饭饭TXT > 海外名作 > 《白夜行(日文版)》作者:[日]东野圭吾【完结】 > 东野圭吾《白夜行》(日文版).txt

第 六 章

作者:日-东野圭吾 当前章节:15369 字 更新时间:2026-6-15 18:37

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 目立たぬよう深呼吸を一つしてから、園村友彦は自動ドアをくぐった。

 つい頭に手を持っていきそうになる。カツラがずれそうなのが気になるからだ。だが絶対にそれをしてはいけないと、桐原亮司から厳しく注意されていた。眼鏡にしてもそうだ。必要以上に触ると、それが変装の小道具だとばれてしまうというのだった。

 三協銀行|玉造《たまつくり》出張所には、現金自動預入支払機が二台設置されていた。現在、そのうちの一方が塞《ふさ》がっている。利用しているのは、紫色のワンピースを着た中年の女だった。機械を使い馴れていないのか、操作がやたらに遅い。時折きょろきょろするのは、説明してくれそうな銀行員を探しているからだろう。しかし係の者は誰もいない。時計の針は午後四時を少し回ったところを示している。

 この小太りの中年女が自分に助けを求めてくることを友彦は恐れた。そんなことになったら、今日の計画はとりあえず中止しなければならない。

 ほかには客がおらず、友彦としては、いつまでもそんなに佇《たたず》んでいるわけにはいかなかった。どうしようかなと彼は思った。諦めて踵《きびす》を返すべきか。しかし一刻も早く「実験」をしてみたいという欲求も小さくなかった。

 彼はゆっくりと、空いているほうの機械に近づいた。早く中年女が去ってくれないかと思ったが、彼女は依然として操作盤に向かって首を傾げている。

 友彦はバッグを開け、中に手を入れた。指先にカードが触れた。それを摘《つま》み、取り出そうとした。その時だった。

「あのう……」突然隣の中年女が話しかけてきた。「お金を入れたいんですけど、どうもうまいこといかへんのです」

 友彦は、あわててカードをバッグに戻した。そして女のほうを向かず、顔を伏せたままで小さく手を振った。

「わかりません? 誰でも簡単に出来るて聞いてきたんやけど」女はしつこく尋ねてくる。友彦は手を振り続けた。声を出すわけにはいかなかった。

「ねえちょっと、何やってるの?」その時入り口のほうから別の女の声がした。隣の女の連れらしい。「急がんと遅れるで」

「これ、おかしいねん。うまいこといかへんの。あんた、やったことある?」

「あっ、それか。あかんあかん。うち、そういうのには触らんことにしてるねん」

「うちもあかんねん」

「そしたら、日を改めて窓口でやったらどう? 別に急がへんのでしょ?」

「まあねえ、せやけど、うちに出入りしてる銀行員が、機械のほうが絶対に便利ですっていうたんよ。せやからカードを作ったのに」中年女はようやく諦めたらしく、機械の前から動いた。

「あほやな。あれは、客が便利という意味やのうて、銀行側にとって人手が少なくて済むいうことなんよ」

「ほんまにそうやわ。頭にきた。何が、これからはカード時代です、や」

 中年女は、ぷりぷりして出ていった。

 友彦は小さな吐息をつき、改めてバッグに手を入れた。借り物のハンドバッグだった。流行の品なのかどうか、彼にはよくわからなかった。それどころか、今の自分の姿が現代の女性として変ではないか、ということがずっと気になっていた。桐原亮司は、「もっと変な女が、堂々と歩いてるで」と、いうのだが。

 彼は徐《おもむろ》にカードを取り出した。それは、大きさや形は三協銀行のキャッシュカードと同一にしてあるが、模様は何も印刷されていなかった。ただ磁気テープが貼り付けてあるだけだ。だから、なるべく防犯カメラに手元を写されぬよう気をつける必要があった。

 友彦はキーボード上に目を走らせ、「お引き出し」のボタンを押した。すると、「カードをカード挿入口に入れてください」と書いてある横のランプが点灯した。彼は心臓の鼓動が大きくなるのを感じながら、手に持っていた白いカードを、素早くカード挿入口に入れた。

 機械は何の拒絶反応も見せず、彼のカードを吸い込んだ。続いて、暗証番号を求める表示が出た。

 ここが勝負だ、と彼は思った。

 キーボードの数字ボタンを、4126と押した。さらに確認ボタンを押す。

 一瞬空白の時間があった。その一瞬が、ひどく長く感じられた。機械が少しでも変わった反応を示せば、すぐに立ち去らねばならない。

 だが機械は何も疑った様子がなく、引き出すべき金額を尋ねてきた。友彦は跳び上がりたいのを我慢して、2、0、万、円とボタンを押した。

 数秒後、彼は一万円札二十枚と明細を手にしていた。さらに白いカードを回収し、足早に銀行を出た。

 丈が膝の下まであるフレアスカートは、足にからんで歩きにくかった。それでも不自然にならぬよう気をつけて歩いた。銀行の前の道はバス通りで交通量は多いが、歩道に人は少ない。それが救いだった。慣れない化粧をした顔が、糊《のり》でも塗ったように強張っている。

 二十メートルほど離れた路上に、ライトエースが止まっていた。友彦が近づいていくと助手席のドアが内側から開けられた。友彦はあたりを少し気にしてから、スカートの裾《すそ》を少したくし上げて乗り込んだ。

 桐原亮司は、今まで読んでいたらしいマンガ雑誌を閉じた。友彦が買ったものだ。その雑誌に連載中の、『うる星やつら』というマンガに登場するラムちゃんが、彼のお気に入りだった。

「首尾は?」エンジンキーを回し、桐原亮司が訊いてきた。

「これ」友彦は二十万円の入った袋を見せた。

 桐原は横目でちらりとそれを見ると、コラム式のチェンジレバーをローに入れ、ライトエースを発進させた。表情に大きな変化はなかった。

「俺らの謎解《なぞと》きに、間違いはなかったというわけや」前を向いたままで桐原はいった。その口調にも、はしゃいだところはない。「まあ、自信はあったけどな」

「自信はあったけど、うまいこといった時には、やっぱり思わず身体が震えたで」友彦は臑《すね》の内側を掻いた。ストッキングを穿いた足は、やたらにかゆかった。

「防犯カメラには気をつけたやろな」

「大丈夫。絶対に顔を上げんようにしたから。ただ……」

「なんや?」桐原が、じろりと横目で友彦を見た。

「変なババアがいて、ちょっとやばかった」

「変なババア?」

「うん」

 友彦は現金自動預入支払機の前でのことを話した。

 桐原の顔が途端に曇った。彼は急ブレーキを踏み、ライトエースを路肩に止めた。

「おい、園村。最初に注意したやろ」と彼はいった。「ちょっとでも変なことがあったら、すぐに引き返せっていうたよな」

「それはわかってるけど、あれぐらいは平気やと思て……」友彦は声が琴見るのを抑えられなかった。

 桐原はそんな友彦の襟首を掴んだ。女物のブラウスの襟だ。

「おまえ一人の考えで判断するな。こっちは命がけでやってるんぞ。捕まるのはおまえだけと違うんや」そういって目を剥《む》いた。

「顔は見られてない」うわずった声で友彦はいった。「声も聞かれてない。本当や。だから、俺の正体なんて絶対にばれへん」

 桐原は顔を歪《ゆが》めた。それから、舌打ちをして友彦の襟を離した。

「おまえは、あほか」

「えっ……」

「何のために、そんな気色の悪い格好をさせたと思てるんや?」

「だから、これは変装……やろ?」

「そうや。誰の目をごまかすためや? 銀行や警察の目やろうが。偽造カードが使われたとなったら、連中はまず防犯カメラをチェックする。そこに今のおまえの姿が映っとったら、十人が十人、女やと思う。男にしては線が細いほうやし、なんといっても、高校ではファンクラブができたほどの美形やからな」

「だからカメラには……」

「カメラには、そのうるさいババアも映ってるわけやろ? 警察は、その中年女を見つけだそうとする。見つけるのは簡単や。隣で機械をいじくってたわけやから、その記録も機械に残ってる。で、見つけたら刑事は中年女に訊く。あの時横にいた女について、何か覚えていることはないかとな。そのババアが、あれは女装した男やったというたらどうする? せっかくの変装が水の泡や」

「それは本当に大丈夫やて。あんなババア、何も気づいてないって」

「気づいてないと、どうして断言できる? 女というのは、必要もないのに人のことを観察するのが好きな動物やねんぞ。もしかしたら、おまえの持ってたハンドバッグの銘柄ぐらいは覚えてるかもしれん」

「まさか……」

「そういう可能性もあるということや。仮に何も覚えてなかったとしても、それはラッキーやっただけや。で、こういうことをする以上、ラッキーなんかを期待したらあかん。これは、おまえが昔やってた、ブティックでの万引きとは話が違う」

「……わかった。すまん」友彦は小さく頭を下げた。

 桐原は吐息をつくと、再びギアをローに入れた。そして、ゆっくり発進させた。

「でも」友彦は、怖ず怖ずと口を開いた。「あのババアは、本当に心配ないと思う。自分のことに夢中やったから」

「そのおまえの勘が正しかったとしても、変装した意味がなくなったことはたしかや」

「どうして?」

「声を出さへんかったんやろ? 全く」

「ああ、だから――」

「だからあかんのや」桐原は低い声でいった。「そんなふうに話しかけられて、何も返事せえへん人間がどこにおる? 何か理由があって声を出されへんかったんやないかと警察は判断するやろ。その結果、女装と違うかという説が出てくる。この時点で変装の意味はパーや」

 桐原の話を聞いていて、友彦は返す言葉がなくなった。まさにそのとおりだと思ったからだ。やはりあの時、すぐに引き返すべきだったのだと後悔した。桐原のいっていることは難しいことではない。ちょっと考えればわかることだった。にもかかわらず、そこまで考えが及ばなかった自分の愚かさに腹が立った。

「すまん」友彦は、桐原の横顔に向かって、もう一度謝った。

「二度と、こういうことはいわへんからな」

「わかってる」友彦は答えた。桐原が同じ過ちを犯す馬鹿を許さないことは、十分に承知していた。

 友彦は、運転席と助手席との間の狭い隙間を、窮屈な姿勢で通り抜けた。そして荷台に置いてあった紙袋の中から自分の洋服を取り出し、車の揺れに耐えながら着替えを始めた。パンティストッキングを脱ぐ時には、奇妙な解放感があった。

 サイズの大きい女性服、靴、ハンドバッグ、カツラ、眼鏡、そして化粧品といった変装に必要な品物はすべて、桐原によって調達されていた。どこから、どのようにして入手したのか、彼は決して話そうとはしなかった。友彦も訊かなかった。桐原には、他人が絶対に踏み入ってはならない領域がたくさん存在するということを、友彦はこれまでの付き合いで痛いほどわかっていた。

 着替えを終え、化粧を落とした頃、ライトエースが地下鉄の駅の近くで止まった。友彦は降りる支度をした。

「夕方、事務所のほうに寄ってくれ」桐原がいった。

「ああ、わかってる。そのつもりや」友彦はドアを開けて、車から降りた。ライトエースが発進するのを見送ってから、地下鉄の階段を下り始めた。階段の壁に、『機動戦士ガンダム』のポスターが貼ってあった。見に行かなきゃな、と彼は思った。

 高電圧工学の講義は眠かった。出欠をとらないうえに、試験の時に楽勝でカンニングが出来るという噂が流れているせいで、五十人以上が座れる講義室に、十数人の学生が座っているだけだった。友彦は前から二列目の椅子に座り、時折ふっと意識が途切れそうになるのをこらえながら、白髪の助教授がスローな口調で話すアーク放電やグロー放電のメカニズムを、ノートにメモしていった。手を動かしていなければ、すぐにも机に突っ伏してしまいそうなのだ。

 園村友彦は真面目な学生、ということで通っていた。少なくとも、信和《しんわ》大学工学部電気工学科では、皆からそう思われていた。実際彼は、受講を申請した講義には、確実に出席している。彼がサボタージュするのは、法学とか芸術学とか一般心理学といった、およそ電気工学とは無縁の教養課程にかぎられていた。彼はまだ二年生だったので、こういった内容の講義も、数多くカリキュラムに組み込まれているのだ。

 友彦が専門課程の講義を真面目に聞く理由は、殆ど一つだった。そうするように桐原亮司から命じられているからだ。ビジネスのためだという。

 もともと友彦が電気工学科を選んだこと自体、桐原の影響が小さくなかった。高校三年の時点で理数の成績がよかったので、工学部か理学部に進もうとは思っていた。しかし学科までは決めかねていた。そんな彼に桐原がいったのだ。

「これからはコンピュータの時代や。おまえがそういう方面の知識を仕入れてくれたら、俺も助かる」【 日本大観園 www.jp118.com 】友情整理

 この頃桐原は、例のゲームプログラムを通信販売する仕事を続けて、かなりの成果を上げていた。友彦も、プログラムの開発などを手伝っていた。桐原が「助かる」といったのは、自分の事業を展開していくのに、という意味だったのだろう。

 これに対して友彦は、そんなにいうなら自分が進めばいいじゃないか、と桐原にいったことがある。桐原も、友彦に勝るとも劣らないほど理数科の成績がよかったからだ。

 だがこの時彼は、頬を少しひきつらせたような笑みを浮かべた。

「大学に行く余裕があったら、こんな商売やってへんわ」

 この時初めて友彦は、彼が進学しないことを知った。同時に、それならば自分が電気やコンピュータの知識を身につけようと決心した。ただ漠然と進路を決めるより、誰かの役に立つという目的のもとに決定したほうが、進学する意味が濃いと思った。

 また友彦には桐原に対して、何年かかっても返さねばならない恩というものが存在した。あの高校二年の夏の出来事は、今も彼の心に深い傷となって残っている。

 こうした理由から、友彦は専門課程の講義をできるかぎり真面目に受けようと決めたのだが、驚いたことに、彼がそうやってノートにまとめたものを、桐原はじつに熱心に読むのだった。そのノートの内容を理解するために、専門書を横に置いたりもしている。桐原は信和大学の講義には一度も出ていないが、まず間違いなく、最も講義内容を理解している人間だった。

 そんな桐原が、このところ興味を持っているものがある。キャッシュカードやクレジットカードなどの、いわゆる磁気カードだ。

 最初に手を出したのは、友彦が大学に入学して間もなくの頃だった。きっかけは、友彦がある装置を大学内で目撃したことだ。磁気テープに打ち込まれた情報を読んだり、その情報を書き換えたりできるその装置は、エンコーダーと呼ばれた。

 その装置の話を聞くと、桐原の目の色が変わった。そしてこんなことをいった。

「それを使《つこ》たら、キャッシュカードの複製なんかも作れるわけや」

「そりゃあ作れるかもしれないな」と友彦は答えた。「けど、作っても意味がないんやないか。キャッシュカードを使うには暗証番号が必要やろ。だからこそ、キャッシュカードというのは、万一落としても安心なんやないか」

「暗証番号か」

 その後桐原は黙って何事か考えている様子だった。

 彼がマイコンプログラムの事務所に、ラジカセぐらいの大きさの段ボール箱を運び込んだのは、それから二、三週間が経った頃だ。その箱の中身はエンコーダーだった。磁気カードを挿入するところがあり、その情報を表示するパネルがついている。

「そんなものが、よう手に入ったな」

 友彦がいうと、桐原は小さく肩を揺すって笑った。

 この中古のエンコーダーを入手して間もなく、桐原は一枚のキャッシュカードを偽造した。そのオリジナルとなったカードが、誰のものなのかは友彦も知らない。何しろ桐原の手元にあったのは、ほんの数時間だけだったのだ。

 桐原はそれを使って、二十数万円の金を二回に分けて引き出したようだった。驚くことに彼は、磁気カードに書き込まれている情報から、暗証番号を解読していたのだ。

 だがこれには少しからくりがあった。じつはエンコーダーを入手する以前から、桐原は磁気カードのパターンを読むことに成功していたらしいのだ。

 特別な機械を用いないで、どうやってパターンを解読するか。一度だけ桐原が実演して見せてくれたことがある。それはまさにコロンブスの卵だった。

 彼が用意したのは磁石の微粉末だ。それをカードの磁気部分にふりかけた。間もなく友彦は、あっと声を上げた。

 磁気テープ部分に、細かい縞模様が浮かび上がってきたのだ。

「結局はモールス信号みたいなものや」と桐原はいった。「予《あらかじ》め暗証番号のわかっているカードにこういうことをしてるうちに、パターンの意味が読めてきた。となると、今度はその逆や。暗証番号がわからんでも、パターンを浮かびあがらせたら解読できる」

「すると拾ったり盗んだりしたキャッシュカードも、こんなふうに磁石の粉をふりかけたら……」

「使えるということやな」

「なんと……」友彦は後に続く言葉が思いつかなかった。

 そんな彼の様子がおかしかったのか、桐原が珍しく心底愉快そうに笑った。

「笑《わろ》てしまうわなあ。これのどこが安全やねん。銀行員はよう、通帳と印鑑を別々に保管してくれというけど、キャッシュカードというのは、金庫と鍵が一緒になってるようなものや」

「こんなことでいいと思ってるのかなあ」

「たぶん一部の関係者は知ってるんやろ。これがかなりやばい代物やということをな。けど、もう引っ込みがつかへんから黙ってるんや。ビクビクしながらな」桐原は、また笑い声を上げた。

 だが桐原は、この秘密の技術を、すぐには活用しようとしなかった。本業のマイコンプログラム製作が忙しかったせいもあるが、何より、他人のカードなど、そう簡単には手に入らないということがあった。使ったのは、エンコーダーを入手した直後に、どこかのキャッシュカードを複製した時だけだった。しばらく、彼がカードの話をすることはなかった。

 ところが今年になって、桐原がこんなことをいいだした。

「考えてみたら、他人のキャッシュカードを手に入れる必要なんかないんやな」狭い事務所で、古びたテーブルに向かってインスタントコーヒーを飲んでいる時のことだ。

「どういう意味や」と友彦は訊いた。

「要するに必要なのは現存する口座番号であって、暗証番号ではない。まあ考えてみたら当たり前のことやった」

「よくわからんな」

「つまりや」桐原は椅子にもたれ、テーブルに足をのせた。そして近くにあった名刺を手に取った。「これをキャッシュカードとする。このカードを機械に入れたら、機械は磁気テープに組み込まれた、いろいろな情報を読み取る。その中の一つが口座番号と暗証番号や。当然のことやけど、機械にはカードを入れた人間が本人かどうかはわからん。それを判断するために、暗証番号を押せという。磁気テープに記録された番号と同じ数字が押されたら、疑うことなく要求された金を吐き出す。ということは、磁気テープに何も記録されていない白紙のカードを持ってきて、そこに口座番号なんかの必要事項を記録し、最後に適当な暗証番号を入れたらどうや」

「あっ」

「そうやって作ったカードは、もちろん本物とは内容が違う。暗証番号が違ってるわけや。けどそれを機械に判定する力はない。機械が確認するのは、磁気テープに記録された番号と、人間が押す番号が一致するかどうかということだけや」

「じゃあ実在する口座番号がわかったら……」

「いくらでも偽物のキャッシュカードを作れるということになるな。偽物やけど、金はちゃんとおろせる」桐原は唇の端を曲げた。

 友彦は全身に鳥肌が立った。今桐原がしゃべっていることが、決して夢物語でないということを理解したからだった。

 それから二人で、偽のキャッシュカードを作り始めた――。

 まずカードに記録されているコードを改めて分析してみた。その結果、始め符号、IDコード、承認コード、暗証番号、銀行コードなどが配列されていることを突き止めた。

 次に、銀行のゴミ箱に捨てられた他人の口座の利用明細を多数拾い、突き止めた法則性にしたがって、口座番号や適当に決めた暗証番号を七十六桁の数字とアルファベットに変換した。

 あとはそれをエンコーダーを使って磁気テープに打ち込み、プラスチックカードに張りつければ完成である。

 先程、友彦が現金を引き出すことに成功した白いカードが、その完成品第一号だった。いくつか拾った利用明細の中から、最も残高が多い口座を選んだのだ。そのほうが発覚しにくいというのが桐原の意見だった。友彦も同感だった。

 間違いなく犯罪だったが、友彦に罪悪感はなかった。一つには、偽造カードを作るまでの経過が、あまりにもゲーム的だったからかもしれない。また、金を盗む相手が全く見えないせいもあるだろう。だが何より、桐原からいつも聞かされている言葉が、頭に染みついていることが大きかった。

「落ちてるものを拾うのと、置き引きと、どう違う? 金の入ったカバンを、ぼんやり置いとくほうが悪いんと違うか。この世は隙を見せたほうが負けや」

 この台詞を聞くたびに、戦慄《せんりつ》と共に、ぞくぞくするような快感も、友彦は覚えるのだった。

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 大学の四講目が終わると、友彦はすぐに事務所に向かった。事務所といっても、特に看板を掲げているわけではない。古いマンションの一室を、それに充てているだけだ。

 友彦にとって、様々な思い出のある部屋である。初めて来た時には、自分がこんなふうに出入りすることになるとは、夢にも思わなかった。

 三〇四号室の前に来ると、彼は自分の合鍵で錠を外し、ドアを開けた。入ってすぐのダイニングキッチンで、作業台に向かって桐原が座っていた。

「早かったな」友彦のほうに身体を捻《ひね》って彼がいった。

「寄り道せえへんかったからな」靴を脱ぎながら友彦は答えた。「立ち食いそば屋が満員で入られへんかった」

 作業台の上にはパーソナル・コンピュータが置かれていた。NECのPC8001だった。緑色の画面上に文字が並んでいた。本日は晴天なり、こんにちは山田太郎です――。

「ワードプロセッサーか」桐原の後ろに立って、友彦は訊いた。

「ああ。チップとソフトが届いた」

 桐原は両手を器用に使ってキーボードを叩いた。叩いたのはアルファベットのキーだが、画面には平仮名が表示された。UMAと叩くと、「うま」と出るわけだ。さらに桐原はスペースキーを押した。するとコンピュータに繋《つな》いだディスクドライブ装置がカタッという音をたて、画面の右下隅に「馬」と「午」という漢字が出た。それぞれに、1、2という番号がついている。桐原が1のキーを押すと、またしてもディスクドライブ装置の作動音の後、「うま」という平仮名の部分が「馬」という漢字に変わった。続いて彼は「しか」と押した。同様の手法で「鹿」という漢字に変換させる。これでようやく「馬鹿」という熟語が完成した。この間、十秒近くかかっている。

 友彦は苦笑を漏らした。「手書きのほうが、絶対に速いな」

「システムがフロッピーディスクに入ってて、変換のたびにいちいち呼び出す方式やから、時間がかかるのも当然や。システム全体をメモリーに入れてしまえば格段にスピードアップするんやろうけど、まあ、このコンピュータではここまでがやっとやろ。それにしても、フロッピーはやっぱりすごい」

「これからはフロッピーかな」

「当然やろ」

 友彦は頷き、ディスクドライブ装置に目を向けた。これまではプログラムの読み書きといえば、カセットテープを媒体にするのが主流だった。しかしそれでは読み書きに時間がかかって仕方がなかった。記憶容量も少ない。フロッピーディスクを使えば、速度も記憶容量も格段に上がる。

「問題はソフトやな」桐原がぽつりといった。

 友彦は再び頷き、机の上に置いてある五インチのフロッピーディスクを手に取った。桐原の考えていることが、手に取るようにわかった。

 コンピュータゲームのプログラムを通信販売した時には、反響がすごかった。ある日を境に、現金書留が山のように送られてくるようになったのだ。もちろんすべてゲームソフトの注文書と代金だった。「絶対に当たる」と断言した桐原の予想が的中したわけだ。

 その後もしばらく売れ行きは好調だった。かなりの収益を上げたといえるだろう。しかしそれがここへ来て、行き詰まりつつある。競争相手が増えてきたことはある。だが最も大きな要因は、著作権のことだ。

 これまではインベーダーゲームなどの人気ソフトの海賊版を、堂々と広告に載せて売っていたのだが、どうやらそれも自由にはできなくなりそうな気配だ。いよいよコピーソフトが取り締まられる動きが出てきたのだ。実際に何社かは訴えられており、友彦たちの「会社」にも、警告文が送られてきた。

 これについて桐原は、「裁判になったら、たぶんプログラムのコピーは認められなくなる」と予測していた。その根拠は、一九八〇年にアメリカで著作権法が改正されたことにある。その改正によって、「プログラムは作成者の独自の学術的思想の創作的表現であり、著作物である」と明文化されたのだ。

 コピープログラムの販売が認められなくなると、この道で生き残っていくためには、独自のプログラムを開発するしかない。だがそこまでの資金やノウハウといったものは、友彦たちにはなかった。

「ああ、そうや。これを渡しとかんとな」桐原が思い出したようにいい、ポケットから封筒を取り出した。

 友彦が受け取って中を改めると、一万円札が八枚入っていた。

「今日の報酬。おまえの取り分や」桐原はいった。

 友彦は封筒を捨て、中の札だけをジーンズのポケットにねじこんだ。「あれについては、今後どうする?」

「あれ?」

「だから……」

「キャッシュカードか」

「うん」

「そうやな」桐原は腕組みをした。「あの手を使ってひと稼ぎするとなると、早いほうがええ。ぐずぐずしてると、対抗措置をとられる」

「対抗措置……ゼロ暗証システムか」

「ああ」

「けど、あれはコストもかかるし、大抵の金融機関は乗り気やないて……」

「キャッシュカードの欠点に気づいてるのが、俺らだけと思うか。そのうちに、今日俺らがやったようなことが、全国で行われるようになる。そうなったら、けちな銀行もコストがどうのこうのいうてる場合やない。すぐにも切り替えてくる」

「そうか……」友彦はため息をついた。

 ゼロ暗証システムとは、キャッシュカードの磁気テープに、暗証番号を打ち込まない方式のことをいう。そのかわりに顧客の暗証番号は、ホストコンピュータに記録しておくのだ。つまり利用者がカードを使おうとするたびに、現金自動預入支払機はいちいちホストコンピュータに問い合わせ、暗証番号が正しいかどうかを確認するのである。これならば、今回友彦たちがやったようなキャッシュカードの偽造は無意味になる。

「とはいえ、今日みたいなことを何回も繰り返すのは危険や。防犯カメラはごまかせたとしても、どこで尻尾《しっぽ》を掴まれるか予想でけへんからな」桐原はいった。

「知らんうちに銀行の残高が減ってたら、誰でも警察に届けるやろうしなあ」

「要は、偽造キャッシュカードが使われたということさえ、ばれへんかったらええんやけどな」

 桐原がそこまでいった時、玄関のチャイムが鳴らされた。二人は顔を見合わせた。

「奈美江さんかな」と友彦はいった。

「今日はここには来《け》えへんはずやけどな。それに、まだ仕事の終わる時間ではないやろ」桐原が時計を見て首を傾げた。「まあええ。ちょっと出てみてくれ」

 友彦は玄関ドアの内側に立ち、覗き窓から外の様子を窺《うかが》った。灰色の作業服を着た男が一人立っていた。年齢は三十前後に見えた。

 友彦はドアチェーンをつけたままドアを開けた。

「何ですか」

「換気扇の点検です」男は無表情でいった。

「今すぐ?」

 男は黙って頷いた。無愛想な奴だなと思いながら、友彦は一旦ドアを閉めた。それからドアチェーンを外し、改めてドアを開けた。

 外に立っている男の数が増えていた。紺色の上着を着た大柄な男と、緑色のスーツを着た若い男が、すぐ目の前にいた。作業服の男は、後ろに下がっている。友彦は瞬時に危険を察知し、ドアを閉めようとした。だがそれを、大柄な男に止められた。

「ちょっと邪魔するで」

「なんですか、あんたら」

 友彦がいったが、男は答えず、強引に身体を入れてきた。広い肩幅に、友彦は少し圧倒された。柑橘《かんきつ》系の匂いが洋服に染みついているようだった。

 大柄な男に続いて、緑スーツの若い男も入ってきた。若い男の右眉の横には、傷を縫った痕があった。

 桐原は椅子に座ったままで男を見上げた。

「どなた?」

 しかしここでも大柄な男は返事をしなかった。靴を履いたまま上がり込むと、室内をじろじろ見回しながら、先程まで友彦が座っていた椅子を引き、そこに腰を下ろした。

「奈美江は?」と男は桐原に訊いた。目に酷薄そうな光が宿っていた。真っ黒な頭髪は、べったりとオールバックに固められている。

「さあ」桐原は首を傾げて見せた。「それより、おたくは?」

「奈美江はどこにおる」

「知りません。あの人に何の用ですか」

 だが男は相変わらず桐原の質問を無視し、緑色のスーツを着た若い男に目配せした。若い男が、これまた土足で部屋に上がり込んだ。そして奥の部屋に入っていった。

 大柄な男は、作業台の上のコンピュータに目を向けた。顎《あご》を突き出すような格好で、画面を覗き込んだ。

「何や、これは」と男は訊いた。

「日本語ワードプロセッサー」と桐原は答えた。

「ふうん」男はすぐに興味をなくしたようだ。再び室内を見回した。「儲かるんか、こういう仕事」

「うまいことやれば」と桐原は答えた。

 すると男は肩を揺すって低く笑った。

「どうやら、にいさんらは、あんまりうまいこといっとらんみたいやな。ええ?」

 桐原が、友彦のほうを見た。友彦も見返した。

 奥で若い男が、段ボール箱の中を漁《あさ》っていた。奥の部屋は倉庫になっている。

「西口さんに用があるんですか」桐原は奈美江の名字を口にした。「それやったら、土曜か日曜に出直してきてもらえませんか。平日は、ここへは来ませんから」

「そんなことはわかってる」

 男は上着の内ポケットからダンヒルの箱を取り出した。そして一本くわえると、やはりダンヒルのライターで火をつけた。

「奈美江から連絡は?」煙を吐いてから男は訊いた。

「今日はまだありません。何か伝えておきましょうか」桐原がいった。

「あいつに伝える必要はない」

 男は、煙草の灰をテーブルの上に落とそうとした。すると素早く桐原が、灰を受けるように自分の左手を差し出した。

 男が片方の眉を上げた。「何の真似や」

「ここには電子機器が沢山あるから、煙草の灰には気をつけてもらわんと」

「そしたら灰皿を出せ」

「ありません」

「ほお」男の口元が歪んだ。「ほな、こいつを使わしてもらおか」そういうと桐原の掌の上に、煙草の灰を落とした。

 桐原が眉ひとつ動かさなかったのが、男は気に食わなかったようだ。「なかなかええ灰皿、持っとるやんけ」というと、そのまま煙草の火を掌に押しつけた。

 桐原が全身の筋肉を緊張させているのが、友彦の目にも明らかだった。しかし彼はさほど表情を変えず、声も漏らさず、左手を出したまま、男の顔をじっと睨み続けていた。

「それで根性見せたつもりか。ああ?」男がいった。

「別に」

「スズキ」男は、奥のほうに声をかけた。「何かあったか」

「いえ、何もないみたいです」スズキと呼ばれた若い男が答えた。

「そうか」

 男はダンヒルの箱とライターをポケットにしまった。それから机の上に転がっていたボールペンを手に取ると、広げたままにしてあったワープロソフトの取扱説明書の端に何か書き込んだ。

「奈美江から連絡があったら、ここに電話してくれ。電気屋やというたらわかるようにしておく」

「おたくの名前は?」

「わしの名前なんか、聞いたかてしょうがないやろうが」男は立ち上がった。

「もし連絡しなかったら?」桐原が訊いた。

 男は笑い、鼻から息を吐いた。

「なんで連絡せえへんのや。そんなことして、にいさんらが何か得することがあるか」

「西口さんが、連絡せんといてくれというかもしれません」

「ええか、にいさん」男は桐原の胸のあたりを指差した。「連絡しようとしまいと、にいさんらが得することはない。けど連絡せえへんかったら、確実に損はする。一生後悔しても足りないぐらいの損になるかもしれん。ということはや、どうするべきかははっきりしてるんとちゃうか」

 桐原はしばらく男の顔を見た後、小さく頷いた。「わかりました」

「それでええ。にいさんはあほやない」男はスズキという若い男に目で合図をした。スズキは部屋を出ていった。

 男が財布を取り出した。そして一万円札二枚を友彦に渡した。

「火傷《やけど》の治療代や」

 友彦は黙ってそれを受け取った。その時指先が震えた。それを見たのだろう。男が馬鹿にしたように薄く笑った。

 男が出ていくと、友彦はドアに鍵をかけ、ドアチェーンもかけた。それから桐原を振り返った。「大丈夫か」

 桐原は答えず、奥の部屋に入っていった。そして窓のカーテンを開けた。

 友彦も彼の横に行き、窓の外を見下ろした。マンションの前の通りに黒っぽい色のベンツが止まっていた。少し待っていると、先程の男たちが現れた。大柄な男とスズキという若い男が後部座席に乗り込み、作業服を着た男が運転席についた。

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