饭饭TXT > 海外名作 > 《白夜行(日文版)》作者:[日]东野圭吾【完结】 > 东野圭吾《白夜行》(日文版).txt

第 八 章

作者:日-东野圭吾 当前章节:15360 字 更新时间:2026-6-15 18:37

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 六時の閉店間際に入ってきたのは、五十前後に見える小柄な中年男と、高校生と思われる痩せた少年の二人組だった。親子だろう、と園村友彦は、その雰囲気から察した。しかも息子のほうの顔を、友彦は知っていた。ここへ何度かやってきたことがあるからだ。しかしいつもは口をきくわけでも、まして何かを買うわけでもなく、ディスプレイしてある高級パソコンを眺めて帰るだけだった。そういう少年は、彼のほかに何人もいた。だが友彦は彼等に対して、何か言葉をかけたりはしない。そんなことをしたら、冷やかしはお断りなのかと思い、もう二度とここへ足を運ばなくなるおそれがあるからだ。冷やかし大いに結構、思わぬ臨時収入が入るか、成績アップのご褒美《ほうび》に親から買ってもらえるよう話がついた時、客として訪れてくれればいいというのが、この店の経営者すなわち桐原亮司の考えだった。

 金縁の眼鏡をかけた父親は、狭い店内をぐるりと見渡した後、まず看板商品であるパソコンに目を留めた。いつも少年が眺めている品だ。親子はそれを見て、何かぼそぼそとしゃべっている。やがて父親は、「なんやこれは」といって、大きくのけぞった。どうやら商品の価格を見たようだ。いくら何でも高すぎるぞ、と叱責《しっせき》の口調で息子にいった。違うんだよ、もっといろいろあるんだ、と息子。

 友彦はパソコンの画面に顔を向け、客には全く関心がないというふうを装いながら、親子の様子を観察し続けた。父親のほうは、外国の景色を眺めるといった感じの視線を、陳列してあるパソコン本体や周辺機器にぼんやりと向けているだけだ。コンピュータの知識はないのだろう。少し白髪の混じった頭を、きっちりとセットしている。ハイネックのセーターの上に毛糸のカーディガンを羽織っただけのラフなスタイルだが、会社人間の臭いは消えていない。どこかの企業の部長といったところか、と友彦は値踏みした。十二月にこの出で立ちということは、当然ここへは自家用車で来たということだろう。

 陳列ケースの中の部品類をチェックしていた中嶋|弘恵《ひろえ》が、友彦をちらりと見た。声を掛けたほうがいいんじゃないの、という視線だ。わかっているよ、という意味を込めて、彼は小さく頷いた。

 頃合を見計らって、友彦は立ち上がった。親子に向かって愛想笑いをする。

「何かお探しのものでも?」

 父親が、救われたような、それでいて少し気後れしたような顔を見せた。息子のほうは、他人との交渉は苦手なのか、ふてくされたような顔で棚に並んだソフトに目を向けている。

「いや、息子がね、パソコンがほしいとかいうものだから」父親は苦笑して見せた。「しかし、どういうものを買っていいのか、さっぱりわからなくて」

「どういったことにお使いになる予定ですか」友彦は親子の顔を交互に見た。

「何に使うんや?」父親が息子に訊いた。

「ワープロとか、パソコン通信とか……」息子は俯《うつむ》いたまま、ぼそぼそと答えた。

「ゲームとか?」友彦はいってみた。

 息子は小さく頷いた。相変わらずふてくされたような態度を取っているのは、買い物をするのに父親を連れてこざるをえなかったことに対する照れ隠しだろう。

「ご予算は?」と友彦は父親に尋ねた。

「まあそれは……十万円ぐらいのつもりでいたんだけどね」

「だから十万円じゃ買われへんって」息子が吐き捨てるようにいった。

「ちょっとお待ち下さい」

 友彦は自分の席に戻り、パソコンのキーを叩いた。たちまち画面に在庫品のリストが現れた。

「|88《ハチハチ》なら、ちょうどいいものがありますよ」

「はちはち?」父親が眉を寄せた。

「NECの88シリーズです。今年の十月に発売されたばかりで、本体価格が約十万円というものがあります。でも、もっとお安くできると思います。悪い品ではないですよ。CPUクロックは一四|MHz《メガヘルツ》、標準RAMは六四|KB《キロバイト》。これにディスプレイを付けて、合計十二万円にはできると思います」

 友彦は後ろの棚からカタログを見つけだし、親子のほうに差し出した。父親はそれを受け取って、ぱらぱらと眺めた後、息子に渡した。

「プリンタは必要ないんですか」迷っている様子の息子に友彦は訊いた。

「あればいいと思うけど」呟くように少年は答えた。

 友彦は再びパソコンで在庫を調べた。

「日本語熱転写プリンタが六万九千八百円であります」

「すると、合わせて十九万か」父親が渋い顔をした。「完全に予算オーバーや」

「申し訳ありませんけど、そのほかにソフトを買っていただかなければなりません」

「ソフト?」

「パソコンにいろいろな仕事をさせるためのプログラムです。それがないと、ただの箱です。ご自分でプログラムを粗むということであれば、話は別ですけど」

「なんや、そんなのはセットになってないのか」

「用途に応じてプログラムが必要なんです」

「ふうん」

「ワープロソフトや代表的なソフトをお付けするとして」友彦は電卓を叩き、最終的に十六万九千八百円という数字を表示させてから、それを父親に見せた。「これぐらいでいかがですか。ほかの店では、絶対に出せない数字ですよ」

 父親は口元を歪めた。予定以上の散財を強いられそうで、憂鬱になったようだ。ところが息子のほうは全く別のことを考えていた。

「|98《キューハチ》は、やっぱり高いんですか」

「98シリーズですと、やっぱり三十万ほど出していただかないと。それに周辺機器を揃えますと、四十万を越えるかもしれません」

「そりゃ論外だ。子供の玩具《おもちゃ》にしては高すぎる」父親がゆらゆらと頭を振った。「その88っていうのにしたって、高すぎる」

「どうされますか。ご予算にこだわられるのでしたら、それなりの商品もありますけど、かなり性能は落ちますよ。機種も古いですし」

 父親は迷っている様子だった。息子の顔を見つめる目に、それが表れていた。しかし結局、息子の訴えるような視線に耐えられなかったようだ。じゃあ、その88というのをくれ、と友彦にいった。

「ありがとうございます。お持ち帰りになられますか」

「うん、車だから自分で運べるんやないかな」

「では、今すぐここへ持ってきますので、少々お待ちください」

 支払いの手続きを中嶋弘恵に任せ、友彦は店を出た。店といっても、事務所用に改装されたマンションの一室だ。ドアに貼ってある、『パソコンショップ MUGEN』の看板がなければ、何の部屋かわからないだろう。そして倉庫代わりに使っているのは、隣の部屋だった。

 倉庫用の部屋には、事務机と簡単な応接セットが置いてある。友彦が入っていくと、向き合って座っていた二人の男が、ほぼ同時に彼を見た。一人は桐原であり、もう一人は金城《かねしろ》という男だった。

「88が売れた」桐原に伝票を見せながら友彦はいった。「モニターとプリンタのセットで、一、六、九、八」

「ようやく88は一掃か。助かった。これで厄介払いができた」桐原が片方の頬に笑みを浮かべた。「これからは98の時代やからな」

「全くだ」

 部屋の中には、パソコンや関連機器を納めた段ボール箱が、天井近くまで積み上げられていた。友彦は段ボール箱に印刷された型番を見ながら、その間を歩いた。

「地道な商売やっとるなあ。十万ちょっとの金を落としていく客が、ぽつりぽつりと来る程度やないか」金城が揶揄《やゆ》する口調でいった。段ボールの山の中にいる友彦には、金城の顔は見えなかったが、その表情は目に浮かぶようだった。こけた頬を歪め、落ちくぼんだ目をぎょろりと剥《む》いたに違いない。あの男を見るたびに友彦は、骸骨《がいこつ》を連想せずにはいられなかった。灰色のスーツを着ていることが多いが、大きさの合わないハンガーにかけたように、肩の部分が飛び出している。

「地道が一番ですよ」桐原亮司が答える。「ローリターンやけど、ローリスクです」

 低い、くぐもった笑い声。金城が発したものに違いなかった。

「なあ、去年のことを忘れたんか? 結構ええ目を見たはずや。おかげで、こういう店も開けた。もう一回、勝負をかけようという気にならへんか」

「前にもいいましたけど、あんなに危ない橋とわかってたら、おたくさんらと一緒に目をつぶって渡るなんてことはしませんでしたよ。一歩間違えたら、何もかもなくしてしまうところやった」

「大層なこというな。俺らをあほやと思とるんか。押さえるべきところをちゃんと押さえておいたら、なんにも心配することはない。大体、あんたかて、こっちの正体を知らんわけやないやろ。全く危険のない橋やとは思ってなかったはずやで」

「とにかく、この話はお断りしますよ。ほかを当たってください」

 何の話だろう、と段ボール箱を探しながら友彦は思った。いくつかの仮説が頭に浮かんだ。金城が、どういう用件で訪ねてくる男かということは、把握しているつもりだった。

 やがて目的の箱は見つかった。パソコン本体とディスプレイとプリンタの三つだ。友彦はそれらを一つずつ、部屋の外に運び出した。そのたびに桐原と金城の脇を通り抜けるのだが、二人は黙って睨み合っているばかりで、それ以上の会話を盗み聞きすることはできなかった。

「桐原」部屋を出る前に、友彦は声を掛けた。「もう店を閉めてもええかな」

 ああ、と桐原は声を出した。上の空のような声だった。「閉めてくれ」

 わかった、といって友彦は部屋を出た。このやりとりの間、金城は一度も友彦のほうを見なかった。

 親子連れに品物を渡すと、友彦は店を閉めた。そして、食事に行こうと中嶋弘恵にいった。

「あの人が来てるんでしょう?」弘恵は眉をひそめた。「あの骸骨みたいな顔をした人」

 彼女の言葉に友彦は吹き出した。自分と同じ印象を弘恵が持っていたというのが、おかしかったのだ。そのことをいうと、彼女もひとしきり笑った。だがその後で、また少し顔を曇らせた。

「桐原さん、あの人とどんな話をしているのかな。大体あの人、何者なの? 友彦さんは何か知ってるの?」

「うんまあ、それについては、ゆっくり話をするよ」そういって友彦はコートの袖に腕を通した。一言で説明できる話ではなかった。

 店を出た後、友彦は弘恵と並んで、夜の舗道をゆっくり歩いた。まだ十二月はじめだが、街のあちらこちらにクリスマスを思わせる飾りがあった。イブはどこへ行こうか、と友彦は考えた。昨年は有名ホテルの中にあるフレンチレストランを予約した。しかし今年はまだこれといったアイデアが浮かばない。いずれにしても、今年も弘恵と一緒に過ごすことになるだろう。彼女と過ごす、三度目のクリスマスイブだ。

 友彦は弘恵とアルバイト先で知り合った。大学二年の時だ。アルバイト先というのは、安売りで有名な大型電器店だった。彼はそこで、パソコンやワープロの販売をしていた。当時は今以上に、その分野で詳しい知識を持っている者が少なかったので、友彦は重宝がられた。店頭での販売が業務内容のはずだったが、時にはサービスマン的なこともやらされた。

 そんなところでアルバイトすることになったのは、それまで手伝っていた桐原の『無限企画』が休業状態に陥ってしまったからだ。コンピュータゲームのブームに乗って、プログラムを販売する会社が林立しすぎたため、粗悪なソフトが出回った。その結果、消費者の信頼を裏切る形になってしまい、多くの会社がつぶれることになった。『無限企画』も、その波にのまれたといってよかった。

 だがこの休業を、今となっては友彦は感謝している。中嶋弘恵と知り合えるきっかけになったからだ。弘恵は友彦と同じフロアで、電話やファクスを売っていた。顔を合わせることも多く、そのうちに言葉を交わすようになった。最初のデートはアルバイトを始めてから一か月が経った頃だ。それからお互いを恋人と認識するようになるまで、長い時間はかからなかった。

 中嶋弘恵は美人ではなかった。目は一重だし、鼻も高いほうではない。丸顔で小柄、そして、少女のようにというより少年のようにと表現したほうがいいくらい痩せていた。しかし彼女には、他人を安心させるような柔らかい雰囲気があった。友彦は彼女と一緒にいると、その時々に抱えている悩みを忘れることができた。そして彼女と別れた後も、その悩みの大半を、大したことではないと思えるようになるのだった。

 しかしそんな弘恵を、友彦は一度だけ苦しめたことがある。二年ほど前のことだ。妊娠させてしまい、結局堕胎手術を受けさせることになってしまったのだ。

 それでも弘恵が泣いたのは、手術を終えた夜だけだった。その夜、彼女はどうしても一人になりたくないといって、一緒にホテルに泊まることを望んだ。彼女は一人でアパートを借り、昼間は働き、夜は専門学校に行くという生活を送っていた。友彦はもちろん彼女の望みをきいてやった。ベッドの中で、手術を受けたばかりの彼女の身体を、そっと抱きしめた。彼女は震えながら、涙を流した。そしてそれ以後、彼女がこの頃のことを思い出して泣くようなことは決してなかった。

 友彦は財布の中に、透明の小さな筒を入れている。煙草を半分に切った程度の大きさのものだ。一方から覗くと、赤い二重丸が底に見える。弘恵の妊娠を確認する時に使った、妊娠判定器具だった。二重丸は陽性の印なのだ。もっとも、友彦が持っている筒の底に見える二重丸は、あとから彼が赤い油性ペンで描いたものだった。実際に使用した際には、弘恵の尿を入れた筒の底に赤い沈殿物が生じ、それが判定の印となった。

 友彦がそんなものを後生大事に持っているのは、自らを戒めるためにほかならなかった。もう二度と弘恵にあんな辛い思いをさせたくなかった。だから財布にはコンドームも入れてある。

 その『お守り』を、友彦は一度だけ桐原に貸したことがある。自戒をこめた台詞を口にしながら見せていると、桐原のほうから、ちょっと貸してくれないかといってきたのだ。

 何に使うんだと友彦が訊くと、見せたい人間がいるんだよと桐原は答えた。そしてそれ以上詳しいことはいわなかった。ただ、それを返す時、桐原は意味ありげに薄く笑いながらこういった。

「男というのは弱いな。こと話が妊娠ということになると、手も足も出えへん」

 彼があの『お守り』を何に使ったのか、友彦は今も知らなかった。

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 友彦と弘恵が入ったのは、玄関に格子の引き戸が入った狭い居酒屋だった。すでにサラリーマンたちが席を埋めており、空いているのは一番手前のテーブルだけだった。友彦は弘恵と向き合うように座り、コートを隣の席に置いた。頭の上にテレビがあり、バラエティ番組の音声が流れていた。

 エプロンをつけた中年女性が注文を取りに来たので、ビール二本と、料理を数点頼んだ。この店は刺身のほか、卵焼きや野菜の煮物が格別|旨《うま》い。

「あの金城という男と初めて会ったのは、去年の春頃や」烏賊《いか》と明太子を和《あ》えた突き出しを肴《さかな》にビールを飲みながら、友彦は話し始めた。「桐原に呼び出されて、紹介された。その時は金城も、まだそれほど人相が悪くなかった」

「骸骨より、もうちょっと肉がついていたわけね」

 弘恵の受け答えに、友彦は笑った。

「まあそういうことや。猫をかぶってたんやろうけどね。で、その時の話というのは、あるゲームのプログラムを作ってほしい、というものやった。あの金城が桐原に依頼してきた」

「ゲーム? どういうゲーム?」

「ゴルフゲーム」

「へえ。それを開発してくれっていう依頼なの?」

「簡単にいうとそうやけど、本当はもっと話は複雑や」友彦は、グラスに半分ほど残ったビールを一気に飲み干した。

 とにかくあれは、最初から胡散臭《うさんくさ》い話だった。まず友彦に見せられたのは、ゲームの仕様書と未完成のプログラムだ。依頼内容は、このプログラムを二か月以内に完成させてほしい、というものだった。

「ここまで出来てて、どうして残りをほかの人間に作らせるんですか」最大の疑問を友彦は口にした。

「プログラムを作っていた担当者が、突然心臓麻痺で死んでしもたんよ。そのプログラム会社には、ほかにろくな技術者がおらんかってね、このままでは納期に間に合いそうもないと思って、何とか無理のききそうなところを探し回ったというわけなんや」今の金城からは想像しにくいソフトな口調で、こう答えた。

「どうや?」と桐原は訊いてきた。「未完成とはいえ、おおまかなシステムは出来上がってる。俺らがすることは、虫食いみたいに欠けている部分を補うだけや。二か月あったら、何とかなるやろ」

「バグが問題やな」と友彦は答えた。「プログラムのほうは一か月ほどで出来ると思うけど、完璧に仕上げるとなると、残り一か月で足りるかどうか」

「何とか頼むわ。ほかにもう頼めるところがなくてねえ」金城が拝む格好をした。あの男がそんなしぐさを見せたのは、この時だけだった。

 結局友彦たちは、この仕事を引き受けることにした。最大の理由は、条件がよかったからだ。うまくいけば、再び『無限企画』を復活させられるかもしれなかった。

 ゲームの内容は、ゴルフをリアリティたっぷりに表現したものだった。プレーヤーは状況によってクラブやスイングを使い分け、グリーン上では芝目を読んだりもするのだ。その特性を理解するため、友彦は桐原と共にゴルフの勉強をしなければならなかった。二人共、ゴルフについてはあまりよく知らなかったのだ。

 作られたゲームは、ゲームセンターや喫茶店などに販売されるという話だった。うまくすれば第二のインベーダーゲームになる、というようなことを金城はいっていた。

 金城という男のことを、友彦はよく知らなかった。桐原が、詳しく説明してくれなかったからだ。だが何度か話すうちに、どうやら榎本宏と関係があるらしいとわかってきた。

 榎本宏――かつて友彦たちが一緒に仕事をしていた西口奈美江の愛人だ。

 奈美江が名古屋で殺された事件は、まだ解決していない。彼女から不正送金を受けていたということで警察は榎本を疑ったようだが、どうやら決定的な証拠を掴めなかったようだ。また横領についても現在係争中だった。肝心の奈美江が死んでしまっているので、警察としても捜査が思うように進まないようだった。

 友彦は、奈美江を殺したのは榎本だろうと確信している。問題は、奈美江が名古屋にいることを、榎本は誰から聞いて知ったかということだった。

 もちろんその答えも友彦は持っている。ただし、決して口には出せない。

 西口奈美江のことは話さず、自分たちがどういうきっかけでゴルフゲームのプログラムを作ることになったかということだけを、友彦は弘恵に説明した。その間に刺身の盛り合わせと、卵焼きがテーブルに並べられていた。

「それで、そのゴルフゲームは完成したわけね」卵焼きを割り箸で半分に切りながら、弘恵が訊いてきた。友彦は頷いた。

「予定通り、二か月後にプログラムが完成した。その一か月後には、全国に出荷が始まっていた」

「よく売れたんでしょう?」

「売れたよ。どうして?」

「そのゲームやったらあたしも知ってるもの。何度かやったことあるよ。アプローチとパターが結構難しいのよね」

 弘恵の口からゴルフ用語が飛び出してきたので、友彦はちょっと意外な気がした。ゴルフのことなど何も知らないと思っていた。

「これはどうもお客様、といいたいところやけど、弘恵が遊んだのが、俺らの作ったゲームやったかどうかはわからんな」

「えっ、どうして?」

「このゴルフゲームは、全国で約一万台が売れた。ただし俺らが作ったのは、そのうちの半分だけで、残りは別会社から売り出されたものやった」

「じゃあ、インベーダーの時みたいに、いろいろな会社が真似をして作ったわけやね」

「ちょっと違う。インベーダーの時は、まず最初に一つのメーカーから売り出されて、それがブームになったから、別の会社もコピーして発売し始めた。ところがゴルフゲームは、大手メーカーのメガビット・エンタープライズから発売されるのとほぼ同時に、海賊版が出回った」

「えっ」焼き茄子《なす》を口に運びかけていた手を、弘恵は止めた。目が丸くなっていた。「どういうこと? 同じ時期に同じゲームが発売されるなんて……偶然やないよね」

「偶然で、そんなことが起こるはずがない。何者かが、事前に一方のプログラムを手に入れて真似したというのが真相やろな」

「念のために訊くけど、友彦さんが作ったのは、オリジナルのほう? それとも、海賊版のほう?」上目遣いに弘恵は友彦を見た。

 友彦はため息をついた。

「そんなこと、いうまでもないやろ」

「そうよ……ねえ」

「どういうルートを使ったのかは知らないけれど、金城たちはゴルフゲームのプログラムや設計図を、開発段階で入手したんやろ。だけどプログラムが不完全だったので、俺たちに仕上げを依頼してきたというわけや」

「それ、よく問題にならへんかったね」

「なった。メガビット社は、血眼になって海賊版の出所を調べたという話や。けど結局わからなかった。どうやら、相当複雑な流通ルートが使われてたらしい」

 その流通ルートとは、端的にいって暴力団絡みのものだったが、友彦としてはそこまでは弘恵に聞かせたくなかった。

「友彦さんたちに火の粉が飛んでくる心配はないの?」不安そうに弘恵は訊いた。

「わからん。今のところは大丈夫やけどね。まあ、もし警察に事情を訊かれるようなことになったら、何も知らんかったということで押し通すしかない。それが本当なんやから」

「そうやね。でも友彦さんら、そんな危ないことをやってたんだ」弘恵は、しげしげと友彦の顔を見つめた。その目には、驚きと好奇の色が混じっていたが、軽蔑している様子ではなかった。

 もうこりごりだよ、と友彦はいった。

 弘恵にはいわなかったが、おそらく桐原はすべての事情を最初から察していたのだろうと友彦は考えていた。あの勘の鋭い男が、金城などという胡散臭い男の話を鵜呑《うの》みにするはずがなかった。その証拠に、自分たちの作らされたものが海賊版だったとわかった時も、彼はさほど驚いた様子を見せなかった。

 友彦は、桐原がこれまでにしてきたことを目の前で見てきている。それらを思い出すと、コンピュータソフトの海賊版を作る程度のことは、何でもないかもしれないとも思うのだった。

 以前、桐原は銀行カードの偽造に凝っていた。実際にそれを使って不正に金を引き出したこともある。友彦も手伝った。一体それによって桐原がどれほど稼いだのか、友彦は知らなかったが、百万二百万の金でないことはたしかだった。

 またつい最近まで、桐原は盗聴に凝っていた。どういう人間に頼まれて、誰の会話を盗聴しているのかは知らなかったが、有効な方法について友彦も何度か相談を受けた。

 ただし、今の桐原は、パソコンショップを無事に運営していくことに気持ちを集中させているようだった。金城などにそそのかされなければいいが、と友彦は思った。もっとも、人の言葉で自分の意思を変えるような男でないことも、友彦が一番よく知っていた。

 弘恵を駅まで送った後、友彦は店に戻ることにした。もしかしたら桐原がまだ残っているのではないか、と思ったのだ。桐原は、店の入っているビルとは別のマンションに部屋を借りていた。

 ピルのそばまで来て上を見ると、店の窓に明かりがついていた。『パソコンショップ MUGEN』は、ビルの二階にある。

 階段で上がり、友彦は自分の鍵で店のドアの錠を外した。入り口から奥を見ると、桐原が缶ビールを飲みながらパソコンに向かっているところだった。

「なんや、戻ってきたのか」友彦の顔を見て、桐原はいった。

「何だか気になってな」友彦は壁にたてかけてあったパイプ椅子を広げて座った。「金城が、また何かいうてきたんか」

「例によって、や。ゴルフゲームで儲《もう》けたことが、余程忘れられへんらしい」桐原は新しい缶ビールのプルトップを引き、ごくりとひと飲みした。彼の足元には小型の冷蔵庫が置いてあり、そこには常時ハイネケンの缶が一ダースほど入っているのだった。

「今度は何をいうてきたんや」

「無茶な話や」桐原は鼻で笑った。「うまい話なら、多少の危険は覚悟するけど、今度の話はまずい。とても乗られへんな」

 彼の言葉ではなく表情から、どうやら相当危ない話らしいと友彦は察した。桐原の目には、何かのことを真剣に考えている時に見せる、鋭い光が宿っていた。金城の話に乗る気はないが、関心は大いにあるということなのだろう。あの骸骨顔の男がどんな話を持ってきたのか、友彦はますます気になった。

「ものは何や?」と彼は訊いた。

 桐原は友彦を見て、にやりと笑った。

「聞かへんほうがええ」

「まさか……」友彦は唇を舐めた。これほど桐原が緊張する獲物となれば、考えられるものは一つしかなかった。「化け物のことやないやろな」

 正解、とでもいうように桐原は缶ビールを高く掲げた。

 友彦は発すべき言葉が思いつかず、ただ首を横に振った。

 化け物、というのは、あるゲームソフトに対して二人でつけた渾名《あだな》だった。ゲームの内容ではなく、その常軌を逸した売れ行きから、そんなふうに呼ぶようになったのだ。

 そのゲームの名前は、『スーパーマリオブラザーズ』という。任天堂のファミリーコンピュータ用ゲームソフトの一つだ。今年の九月に売り出されたとたん、品切れが続出する大人気で、すでに二百万個近く売れている。内容は、主人公の「マリオ」が、敵の妨害をかわしながら、お姫様を救い出すというものだ。単純に一面ずつクリアしていくのではなく、寄り道や抜け道が用意されていたりして、宝探しの要素も含まれている。驚くのは、ゲームだけでなく、このゲームの攻略方法を記した本や雑誌までもが爆発的に売れていることだ。その勢いは、クリスマスを前にして、さらに増してきている。おそらく来年になってもマリオブームは続くだろう、というのが、友彦と桐原の共通した見解だった。

「あのマリオで何をしようというんや。まさか、また偽物を作る話やないやろな」友彦は訊いた。

「ところが、その『まさか』なんや」桐原は、おかしそうにいった。「スーパーマリオの海賊版を作らへんかと誘われた。技術的にはそう難しくないはずやと、金城のやつはいきまいてた」

「そりゃあ技術的には可能や。すでに完成品が出回っているわけやから、それを手に入れて、ICをコピーして、基板に載せてやったらええ。ちょっとした工場があれば、すぐにできる」

 友彦の言葉に、桐原は頷いた。

「金城としては、そのあたりの段取りを俺らにつけてほしいようや。説明書や本物を真似たパッケージの印刷については、すでに滋賀の印刷工場を押さえてあるらしい」

「滋賀? またずいぶん遠くの印刷屋にやらせるんやな」

「大方そこの経営者が、金城のバックにおる暴力団から金を借りてるんやろ」よくあることだといった調子で桐原はいった。

「けど、今からではクリスマス商戦には間に合えへんな」

「金城らは、クリスマスのことは最初から考えてないらしい。連中があてにしているのは、ガキ共の年玉や。けどこれから仕事を始めるとなると、どんなに急いでも、箱詰めした製品が出来上がるのは一月後半やろ。それまでガキ共の財布が膨らんだままかどうかは怪しいで」桐原は、にやにやした。

「作ったとしても、どこでどうやって売るつもりなんや。卸すとなると、現金取引専門の問屋に売るしかないわけやけど……」

「それは危険やろ。問屋の連中は鼻がきく。品切れ続出のスーパーマリオを、突然大量に持ち込んで買《こ》うてくれというたりしたら、一発でおかしいと思うやろ。任天堂に確認されて、おしまいや」

「じゃあ、どこで売る?」

「お得意の闇《やみ》マーケットやろ。ただし今度はインベーダーやゴルフゲームの時と違って、客はゲームセンターや喫茶店の親父やない。ふつうの子供や」

「いずれにしても、その話は断ったわけやな」友彦は確認した。

「当たり前や。連中と心中するつもりはない」

「それを聞いて安心した」友彦は冷蔵庫からハイネケンを取り出し、プルトップを引いた。白く細かい泡が飛んだ。

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 その男がやってきたのは、友彦が桐原とスーパーマリオの話をした翌週の月曜日だった。桐原は仕入れのために外出しており、店に来る客の相手は友彦一人でこなしていた。中嶋弘恵もいるが、彼女の仕事は、専ら電話の応対をすることだった。雑誌に広告を載せているおかげで、電話による問い合わせや注文が結構多いのだ。『MUGEN』をオープンしたのは昨年暮れだが、その時にはまだ弘恵がおらず、桐原と二人で、てんてこ舞いしたものだった。彼女が来てくれるようになったのは、今年の四月からだ。友彦が頼むと、その場ですぐにオーケーしてくれた。職場がつまらなくて、やめたいと思っていたところだと彼女はいった。職場とは、昨年秋まで友彦が働いていた例の量販店だった。

 旧タイプのパソコンを半額で買った客が帰った後、その男はやってきた。中肉中背で、年齢は五十歳には届いていないように見えた。額が少し後退しており、残った髪をオールバックにしていた。白いコーデュロイのズボンを穿き、黒のスエードのジャンパーという出で立ちだった。ジャンパーには胸ポケットがついていて、男はそこに金縁で緑色のレンズが入ったサングラスを差し込んでいた。顔色はよくなく、目つきはさらによくなかった。口は不機嫌そうに閉じられたままだ。唇の両端が少し下がり気味なのを見て、友彦はイグアナを連想していた。

 男は店に入ってくるなり、まず友彦の顔を見た。それから電話をしている最中の弘恵を、友彦の時の倍ほど時間をかけて観察した。途中で気づいた弘恵は、気味悪くなったのか、椅子を半転させてしまった。

 その後、男は棚に積まれたパソコンや周辺機器を、じろじろと眺めた。買うつもりも、パソコンに対する興味もないということは、その表情を見ればわかった。

「ゲームはないんか?」やがて男が声を発した。かすれた声だった。

「どういったゲームをお探しですか?」マニュアル通りに友彦は尋ねた。

「マリオ」と男はいった。「スーパーマリオみたいな、面白いのがええな。ああいうのはないの?」

「せっかくですけど、パソコン用のゲームには、ああいったものはないと思います」

「なんや、そうなんか。残念やな」言葉とは逆に、男は少しも落胆している様子ではなかった。意味不明の不気味な笑みを浮かべたまま、依然として部屋の中を見回している。

「そういうことでしたら、ワープロにされたほうがいいと思いますね。パソコンでもワープロとして使えるんですけど、まだまだ使い勝手が悪いですよ。……NECですか。はいNECさんからも出ていますよ。上位機種では、文豪5Vとか5Nがあります。……保存はフロッピーディスクにするんです。……安い機種ですと、一度に表示できる行数が少ないですし、大きな文書を保存しようとすると、いくつかにわける必要があったりするんです。……ええ、やはり文章をお書きになるお仕事の方でしたら、上の機種のほうがよろしいかと」弘恵の受話器に向かって話す声が、店内に響いている。その声はいつもよりはきはきしているように友彦には聞こえた。彼女の狙いが彼にはわかった。うちの店は忙しくて妙な客に付き合っている暇はないのだというところを、男に示そうとしているのだ。

 一体何者だろうと友彦は思い、同時に警戒した。ただの客でないことは確実だった。スーパーマリオブラザーズの名称を口にしたことが、さらに友彦を不安にさせていた。先週金城が持ち込んできた話と関係があるのだろうか。

 弘恵が電話を終えると、それを待っていたように男の目が再び友彦たちのほうを向いた。どちらに話しかけるか迷うように二人の顔を交互に見た後、弘恵に視線を止めていった。

「リョウは?」

「リョウ?」弘恵が戸惑ったような目を友彦に向けた。

「亮司や。桐原亮司」男はぶっきらぼうにいった。「ここの経営者はあいつやろ。今は留守か?」

「仕事で出かけてまして」と友彦が答えた。

 男は彼のほうに首を回した。「いつ頃帰る?」

「それがよくわからんのです。遅くなると聞いてますけど」

 嘘だった。予定では、そろそろ帰ってくるはずだった。しかし友彦は直感的に、この男を桐原に会わせてはいけないと思った。少なくとも、このまま会わせてはいけない。桐原のことをリョウと呼び捨てにした人間は、友彦の知るかぎりでは西口奈美江だけだ。

「ふうん」男は、じっと友彦の目を見つめた。若い男の言葉の裏に隠された意思を、透視しようとする目だった。友彦は顔をそむけたくなった。

 まあとにかく、と男はいった。「ちょっと待たせてもらうで。待つのは、別にかめへんやろ?」

「ええ、それは構いませんけど」だめだとはいえなかった。そしてこんな場合、桐原ならきっとうまく追い返すのだろうと友彦は思った。彼のように、うまく物事をさばけない自分が腹立たしかった。

 男はパイプ椅子に腰かけた。ジャンパーのポケットから煙草を取り出しかけたが、店内禁煙の張り紙が目に留まったらしく、そのままポケットに戻した。小指にプラチナらしき指輪をはめているのが見えた。

 友彦は男を無視して伝票の整理を始めた。だが男の視線が気になり、何度も間違えた。弘恵は男に背を向けて、注文書の確認をしている。

「しかし、あいつもやるもんやなあ。なかなか立派な店やないか」男が店内を見回しながら口を開いた。「リョウのやつ、元気にしてるか?」

「元気ですよ」男のほうは見ないで、友彦は答えた。

「そうか。それはよかった。まあ昔から、あまり病気とかはせえへんやつやったからな」

 友彦は顔を上げた。昔から、という台詞が気になった。

「お客さん、桐原とはどういったお知り合いなんですか?」

「古い付き合いや」いやな笑いを浮かべて男はいった。「あいつがガキの頃から知ってる。あいつのことも、あいつの親のこともな」

「御親戚とか?」

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