饭饭TXT > 海外名作 > 《空の境界/空之境界(日文版)》作者:[日]奈須きのこ/奈须きのこ【完结】 > 空の境界@txtnovel.com.txt

第 20 页

作者:日-奈須きのこ/奈须きのこ 当前章节:15380 字 更新时间:2026-6-15 18:51

 そう言われて、僕はようやくあの赤いコートの青年が橙子さんと同類の人間なのだと思い至った。

 ……たしかに、あのちょっとした変人ぶりは普通の物ではないと思ってはいたけれど。

「でも、昨日は何もなかったじゃないですか」

「昨日は一般人と思われていたからだろ、前に言わなかったか? 魔術師は魔術師以外には魔術を使用しないんだ。下手に手を出してトラブルが起きれば今までの苦労が水の泡になる。あのマンションが異常であると外に知られるのは、アルバの望む所じゃない」

 そうは言うけど、魔術師なら僕程度を簡単にあしらえるんじゃないだろうか。催眠術だって人間の記憶を曖昧にできるのだ。魔術と銘打つ物ならそれ以上の事が出来ると思う。

 その疑問を口にすると、橙子さんは頷いてから違う、という矛盾した答えを返してきた。

「そりゃあな、人の記憶に関する事なら幾らでも手は加えられる。ルーンには忘却というまさにそのタメだけの刻印さえある。

 だが、それが通用したのは過去の話だ。昔は記憶を消された人間が一人や二人いても問題にはならなかった。妖精にでもたぶらかされたか、で終わってしまう。けれど現代では違うだろう? 人ひとりの記憶に異常があれば徹底して調べあげる。調べようとするのは消された個人ではなく、周囲の人間達だ。家族や友人、上役がそれを不審がらない可能性もあるが、そこまで見通して記憶の消去はできない。

 結界と同じさ。一つの異常を隠蔽するタメに記憶を操作すると、今度はその記憶の操作という異常が露呈する。そこから元を辿ってあのマンションに行き着く可能性はゼロじゃないんだ。記憶を消された本人が唐突に思い出す可能性だって、絶対にないとはいいきれない」

 苦々しく煙草を吸いながら橙子さんは言った。

 ……なるほど、たしかにその通りだ。多少心配性すぎるきらいはあるけれど、今の世の中ではちょっとした不思議さえも無視されずに追究されてしまっている。いや、あらゆる物事に説明がされてしまっているから、逆に説明されない物が浮き彫りになってしまうのだ。

 ならいっそ記憶ではなく、その人間そのものを消したらどうか? 知性を破壊して廃人にするか、主命そのものを消去して亡き者にするか。死人にくちなし、これなら秘密は漏れる事もない。

 ……ああそうか。それでも結果は同じだ。

 周囲は必ずその穴に気がつく。情報化が極限まで進みつつある現代において、消えた人間一人の足取りを追う事は難しい事ではない。結果として、あのマンションに辿り着いてしまうのだ。

 だから―――あのマンションを訪れた一般人は何も異常なモノは見ていない。あそこのおかしな建物の造りは、そういった外的要因を何事もなかったように追い返すためのものなんだ。

 あのアルバという人が魔術師で、何かよくない事を企んでいる(というか、さっきの話ではそうとしかとれない)としても、彼は黙ってみているしかなかった。本当にとんでもない偶然で空き巣に入った強盗や、暴漢に襲われて逃げ込んだ女性が警察を呼び込むと判っていても、手を出す事はしなかったのだ。彼らの記憶を操作したり、その、殺してしまったりしたら、逆にそこに関心の目が寄せられる。

 そう―――あくまで普通のマンションとして、あの運の悪い人たちが起こした事件を受け入れるしかなかったのだ。

 いつか、この事務所で鮮花が口にしたパラドックスを思い出す。

 現象を消すタメに起こした現象が、結局自己を追い詰める行為になる。けれどやっぱり、初めの現象を残していても追い詰められてしまう。どんなにあがいても“現象”という言葉が消えてくれない――。

 問題自身が問題を追い詰める。

 起きてしまった現象は、違った意味づけで塗り潰すしかない。現象そのものは決して無には帰せないから。

「そういう事だ。あの結界に欠点はなかった。二つの事件さえなければ。私達だって気がつかずに式は消えてしまって、その居場所を特定できなかったろう。ここから得られる教訓はね、黒桐。物事にはつねに邪魔がつきまとうが故に、完璧なものなんてないという事だ」

 なかなか穿った事を橙子さんは言う。

 ……それ自身が完璧でも、外からやってくる予測不能の邪魔もの。あのマンションを襲った邪魔ものとは、偶然に重なったあの二つの事件を言うのだろう。

「あの、さっきの人が言っていた抑止力ってそれの事ですか?」

 さっきの会話を思い出して訊いてみると、またも橙子さんは苦々しい顔をして頷く。

「―――そうかもしれない。

 抑止力というのはね、我々にとって最大の味方でもあり、同時に最大の敵でもある“方向の修復者”を指す。

 私達人間は死にたくない。平和でいたい。

 私達のいる星だって死にたくない。長生きしたい。

 抑止力というのはそれだ。霊長という群体の誰もが持つ統一された意識、自分達の世を存続させたいという願望。我を取り外してヒトという種の本能にある方向性が収束し、カタチになったもの。それが抑止力とよばれるカウンターガーディアン。

 そうだな、例えばaという優れた人間が世界征服を行なったとしよう。彼は正義の人で、その統治は理想的であったとする。人間が人間として見た道徳性の限りでね。

 しかしaの行動がひとりの人間としてではなく、霊長全体の視点から見て悪、つまり滅びの要因となる場合、抑止力は具現する。

 コレは霊長の世を存続させたい、というaさえ含めた人類の無意識下の集合体だ。人類を守る為に人類を拘束するこの存在は、誰も知らないうちに現れ、誰にも観測される事なくaを消滅させる。人々の無意識下の渦が作り上げた代表者は、やはり無意識であるが故に意識されない。

 とはいっても、何もカタチのない意識が呪いになってaを殺す訳ではない。抑止力は、たいてい媒体となりうる人間に宿り、敵となるaを駆逐する。媒体になった人間はaを倒す為だけの能力を持つが、それ以上の能力は与えられない。aにとって代わる事ができないようにね。

 抑止力という霊長全体の意志を受けとめられる受信者、そういった特殊なチャンネルを持つ人間というのは稀に存在する。歴史は、これを英雄と呼んでもてはやすんだ。

 だが近代になってこの呼び名は使われないな。文明が発達して、人間が自分達自身を滅ぼすなんて事は簡単になってしまった。どこぞの企業の会長が全財力を傾けてアマゾンの森林の伐採量を増やせば、一年後にも地球は終わる。ほら、いつでもどこでも地球のピンチだろ? 抑止力に衝き動かされて誰も知らないうちに世界を救っている、なんて輩はごまんといるんだ。英雄は一世代に一人だけ。世界を救う、なんて程度の事じゃあ現代では英雄とは呼ばれない。

 また、このaが人間の手におえない場合、抑止力は自然現象となってaもろとも周囲を消滅させる。大昔、どこぞの大陸が沈んだのもこいつの仕業さ。

 こう話すと人類の守護者そのものなんだが、こいつには人間としての感情がない。時には万人を幸せにするという行為の前に立ち塞がる事もある。

 厄介なのは、こいつが結局人間そのものの代表者だという事だ。我々がそれを認識できなくても、抑止力は最強の霊長なんだ。過去幾度となく、ある実験に挑戦した魔術師達の前にはコレが現れ、魔術師達はことごとく斬殺された」

 ……橙子さんの話は、とにかく長い。

 でもそれと似た話を、僕は高校の授業で聞いた覚えがある。アレはどの科目の、どんな内容だっただろう。人間はみんな別々だけど、どこかで繋がっているという話だった。

 ……それとは別に、僕は今の話でオルレアンの聖女を連想した。ただの農民の娘が神の啓示を受けて戦った、という昔話。実際は当時の騎士達が卑怯、下賎と蔑んでやらなかった戦法を採っただけというけれど、それも何かに後押しされた結果ではないだろうか。

 突然人が変わったように活躍する誰か。その時だけ別人格となって悪者と戦う誰か。それが抑止力という、霊長の守護者というモノ。

「……話は解りました。それで、その実験っていうのが式に関わりがあるんですね?」

 僕も橙子さんと付き合いだして、この人の会話の流れは読めてきていた。この人は意味のない事柄は口にしない。後々になって必ず無駄話が関わりを持つようになる。だから―――その実験とやらが式がさらわれた理由なのだと感付いた。

 橙子さんは煙草の火をもみ消すと、嬉しそうにこちらを見据える。

「―――アルバが式をどうするつもりかは知らない。

 ただヤツの目的は根源の渦への到達だ。なら式の体を開くだろうが、あいにくとヤツにはそんな勇気はない。期限ぎりぎりまで思案する事だろう。昔からそうでね、赤帽子を生け捕りにしたと喜んだのはいいが適切な解剖法が解らず、結局腐らせてしまった事もあったな。まあ本人もああ言っていたし、式の身体は七日間は無事だろう。もっとも、無事に生け捕りにされていればの話だが」

 ものすごく不吉な事を橙子さんは言う。

「――式は無事です。あいつ、預かっていると言っ

たでしょう。それは生きているという意味を含んでいる言葉だ」

 反論する僕は、知らずに橙子さんを睨んでいた。

 だって、自分で口にして――式が殺されている姿なんかを、イメージしてしまったから。

「―――だから、早く助けないと」

 呟く。でもどうやって? こういう時、僕には手段がない。警察を呼んであのマンションを調べてもらう事しかできない。けど、そんなものは何の効果もないだろう。あれだけ用意周到な仕掛けを作る相手なんだ。警察が大挙してやってくれば、何の未練もなく消えてしまうに違いない。

 式を助けるのなら、方法は二つぐらいしかない。

 あの赤いコートの男を倒すか、気付かれずに式を取り返すか。――――僕に可能だとすると、それは後者の方法だ。

 ……うん、あのマンションの設計図を調へ直してみよう。どこか、作った本人達でさえ気がついていない侵入経路があるかもしれない――――。

 そう自己の思考に埋没していると、橙子さんが呆れたように声をかけてきた。

「待て待て。なんだって式が絡むとおまえはタガが外れるんだ。病院の時も言っただろう。危険だから黒桐は大人しくしていること。今回、おまえの出番はないよ。

 ――魔術師の相手は、魔術師がするものだからな」

 言って、彼女は立ち上がった。

 いつも普段着にしているスーツ姿のまま、上にロングコートを羽織る。ブラウンの革製のコートは重たげで、ナイフぐらいでは切れそうになかった。

「―――アルバのヤツはああ言っていたがね、ヤツの根城に挑む準備に二日も三日も必要ない。望みどおり今すぐ行ってやるさ。

 黒桐、私の部屋のクローゼットに鞄が入っているから持ってきてくれ。オレンジ色のほうだ」

 橙子さんの言葉には、感情というものがなかった。

 魔術師然とした彼女の言葉に促されて隣の部屋に移動して、クローゼットを開ける。……中には洋服のかわりに鞄が置かれていた。アタッシュケースをちょっと太めにしたようなオレンジの鞄と、このまま旅行にでも行けそうな大きな鞄がある。

 言われた通りにオレンジの鞄を手に取る。わりと重い。作りはシャレていて、鞄の外側には色々とステッカーらしきものが貼られていた。

 事務所に戻って鞄を手渡すと、橙子さんは胸ポケットから煙草の箱を取り出して、僕に手渡した。

「預けておく。台湾の不味い煙草でね、もうそれしかないんだ。作った会社は当然のようになく、どこぞの物好きな職人がダンボール一箱分だけ作ったという一品だ。そうだな、今のうちの備品の中で二番目ぐらいに価値のある品物だよ」

 おかしな言葉を残して、彼女は背を向けて歩きだした。

 ……もしかして一番目に大切な備品って自分の事だろうか、と思って尋ねてみると、彼女は顔だけを振り向かせて答えた。

「失礼な。いくら私でも人を備品扱いはしないよ」

 まるで眼鏡をかけている時の彼女のように、拗ねた風に唇をとがらせる。そうした後、いつもの冷淡な顔つきに戻って橙子さんは続けた。

「黒桐。魔術師という輩はね、弟子や身内には親身になるんだ。自分の分身みたいなものだから、必死になって守りもする……まあそんなわけだから、きみは安心して待っていろ。今夜には式を連れて帰ってくる」

 かつかつと歩いていく音。

 僕はその後ろ姿に何も言えず、茶色いコートの魔法使いを送り出した。

财经社区女性社区汽车社区军事社区文学社区社会社区娱乐社区游戏社区个人空间西陆首页-> 论坛-> 文学-> 综合-> 日文流行小说[http://club.xilu.com/shousetsu] 上一主题:[奈須きのこ] 空の境界 (上) 下一主题:[宮部みゆき] R.P.G. [奈須きのこ] 空の境界 (下)[楼主] 作者:滄炎沁夢2005 发表时间:2008/04/13 02:23收藏 修改 加精 置顶 锁定 标题 来源 删除点击:196次[加为好友][发送消息][个人空间]

图片:1张 尺寸:小图 - 中图 - 大图

<IMG SRC=表紙.jpg>

空の境界(下) is nothing id, nothing cosmos

奈須きのこ

-------------------------------------------------------

【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号

(例)|気怠《けだる》そう

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定

(例)[#ここからタイトルページ]

-------------------------------------------------------

 [#ここからタイトルページ]

...is nothing id, nothing cosmos

Kinoko Nasu

 1 / Thanatos. 2 / ...and nothing heart. 3 / ever cry, never life.

 4 / garan-no-dou. 5 /Paradox Paradigm. 6 / Fairy Tale.

 7 /...not nothing heart.

 [#ここでタイトルページ終わり]

[#地付き]カバー?本文イラストレーション

[#地付き] 武内崇《たけうちたかし》

 [#ここから目次]

空《から》の境界《きょうかい》?下

目次

 5/矛盾螺旋

Ennjou Tomoe

 6/忘却録音

Kurogiri Satuki

  境界式

 7/殺人考察

Sirazumi Rio

  空の境界

 [#ここで目次終わり]

[#改ページ]

<IMG SRC=矛盾螺旋.jpg>

矛盾螺旋

 5/ Paradox Paradigm.

/12

 赤い陽射しが、螺旋《らせん》の塔を照らしあげる。

 日没を間近に控えたオレンジ色の世界の中、蒼崎《あおざき》橙子《とうこ》はマンションの敷地へと足を踏み入れた。

 蜥蜴《とかげ》の皮を茶色に染め抜いたような革のロングコートは、細い彼女の体には似合わない。外套《がいとう》は、服ではなく鎧の趣《おもむき》さえ漂わせている。

 彼女は一度だけマンションを見上げると、オレンジ色の鞄《かばん》を片手に歩きだした。

 緑の芝に覆われた庭をぬけて、マンションの内部へと入っていく。

 ガラス張りのロビーは、やはり夕日の赤色に染まっていた。

 床も、壁も、上の階へと続くエレベーターがある柱も、太陽の中にあるように赤い。

 しばしの思案の末、彼女はくるりと行き先を変更した。

 エレベーターではなく、そのままロビーを東へと歩いていく。......二つに分かたれたこのマンションは、東と西とに別々のロビーを設けていた。

 彼女はそのうちの一つ、東棟の一階にあるロビーヘと向かう。

 ロビーは、半円形の広い空間だった。二階を吹き抜けにして繋がっている大広間、といった所だろうか。すでに建物の中であるここでは、夕日のオレンジ色はない。ただ電灯の黄色い光だけが、大理石の床を照らしていた。

「驚いたな。性急なんだねえ、君は」

 男性にしては高い声がロビーに響く。橙子は何も答えず、無言で視線をあげる。

 緩やかな勾配《こうばい》を描いて二階に続く階段。その途中に、赤いコートを着た男が立っていた。

「だが、それは喜ばしい事でもある。ようこそ私のゲヘナに。歓迎するよ、最高位の人形遣い」

 魔術師コルネリウス?アルバは楽しげに笑うと、芝居がかった仕草で大げさに一礼した。

 ◇

「地獄《ゲヘナ》?」

「そうとも。ここはヒンノムの谷にあった火の祭壇の再現だ。人々を焼き、殺し、苦しめ負の想念を集める溶鉱炉さ。あいにくと神殿の主であるモロクは不在だがね、なかなかどうして立派なものだろう?これほどの異界なら外界の物質法則とは完全に切り離される。道を開く準備はとうに調《ととの》っているんだ、アオザキ」

 赤い魔術師は眼下の橙子を見つめながら得意げに語る。

 陽気な青年とは裏腹に、彼女はあくまで感情を圧《お》し殺して返答する。

「アグリッパの直系がユダヤかぶれとは皮肉な話だ。そんなんだから、おまえはここの本質に気がつかない。地獄? そんなものは地球上のそこかしこに今も存在している。人知をこえた殺戮《さつりく》を見たいのなら戦場へ行け。理不尽なまでの死途を見たいのなら飢餓の国に行けばいい。こんなモノは地獄でもなんでもない。ただの煉獄《れんごく》だよ、これは」

 言って、彼女は鞄を床に置いた。

 かこん、という乾いた音。

「小罪を犯した為に地獄にも天国にも行けずに永遠に苦しむ魂の在り処。それがここの正体だ。目的があって苦しませるのではない。苦しませる事だけが目的の閉じた輪なんだ。こんなものに、なんら魔術的な効果はない。---少なくとも、部外者であるおまえ自身にはな」

 突き刺すような言葉に、赤い魔術師はぴくりと顔をひきつらせる。

 彼女は階段に立つ青年ではなく、この建物を相手にするかのように目を細めた。

「太極図の具現はおまえの考えによるものではあるまい? いいから荒耶《あらや 》をだせ。おまえでは器量不足だし、この先の出来事で利になる事はないぞ。おまえの目的がなんであるかは知らないが、ここにはおまえが求めそうな解りやすい価値はない。先の忠告のお返しとして、それだけは言っておいてやる」

 さて、とばかりに橙子は周囲に視線をくばる。こうして対峙しているはずの赤い魔術師には目もくれず、居もしない相手を捜しているのだ。

 魔術師は、そんな彼女の姿を見つめ続ける。

 今にも泣きそうな、殺意に満ちた瞳で。

「きみは、いつもそうだ」

 呟きは、堪え切れずに漏れたものだった。

「そうだ。いつもそうだった。そうやって私を過小に評価する。ルーンだって私が先に専攻していたんだ。人形師としての名誉も私にだけあったんだ。だというのに、おまえのその態度に低能な連中は|誑《たぶら》かされた。私を下だと扱うおまえの態度が、連中にそろって私が劣っているのだと認識させてしまった。考えれば判るだろうに! 私はシュポンハイムの次期院長だぞ? 魔道を学んだ年月は四十年を超える。その私がなんだって、二十かそこいらの小娘の下に位置付けられなくてはならんのだ......!」

 呟きは、いつか激昂となってロビーに満たされていた。

 今までの親しみに満ちた態度を捨てて呪詛《じゅそ》を撒き散らす相手を、橙子は興味なさそうに眺める。

「学問に年齢は関係あるまい。若作りもいいがな、コルネリウス。おまえは|外見《そとみ》ばかり気にしているから、中身が追いついてこないんだよ」

 冷静な一言は、けれどこの上なく挑発的な侮辱だった。

 齢五十歳を超える美貌の青年の顔が、憎悪に歪む。

「----まだ、私の目的を言っていなかったね」

 つとめて冷静に、赤い魔術師は語尾を改める。

「私はね、アラヤの実験などどうでもいいんだ。実のところ根源の渦になど興味はない。あんな有るかどうかも判らない物を追い求めるなんて、ナンセンスさ。神の領域に触れたいのならグノーシスに走ればいいんだ。遡《さかのぼ》る必要などない」

 一歩、彼は後ろに退いた。二階に登ろうとするように少しずつ上にあがっていく。

「きみにリョウギシキの事を知らせたのは私の独断だ。アラヤはリョウギシキを捕らえる為に命を落とした。同士討ちだったんだ、アレは。よって、この結界は私の物となった。だがね、私はヤツの実験の後を継ぐつもりなぞない。あたりまえだろう? 私はね、アオザキ。おまえを殺せるというから、こんな僻地《へきち》にまでやって来てやったのだ!」

 喉を壊しかねない勢いで甲高《かんだか》い笑い声をあげて、魔術師は階段を駆け上がる。

 魔術師が二階まで上がっていくのを、彼女はただ黙って見つめるしかなかった。

 ......一階のロビーには、すでに魔術師の悪意の具現ともいえるモノが満ち満ちていたからである。

 その時、彼女は今までのどんなコトより侮蔑と憎悪を込めて言った。

「---スライムか、これは」

 己の周囲に満ち溢れた異形のモノ達を、蒼崎橙子は簡潔に表現した。

 しかし、ロビーの外壁から惨み出てきたそのモノ達は、そんな単純なものではない。クリーム色の粘液は壁からぼたぽたとこぼれだすと急速にカタチを成していく。

 あるモノは人型に、あるモノは獣型に。

 表面こそケロイド状に溶けだしてはいるものの、たえずカタチを作り直す彼らの外見は、この上なくリアルだった。例えるのなら、本物の人間や獣が永遠に腐敗していっているような、無様さと精巧さを兼ね備えたモノ達。

「これだけの場において、こんなモノしか具現化できないとはな。アルバ、魔術師から映画監督に転向するべきだ。おまえならクリーチャーを用意する予算が浮くぞ。安手のホラー専門になるだろうが、なに、おまえには院長などより向いている職業だ」

 ロビーを埋め尽くすほどのモノ達に囲まれて、彼女はそんな事をぽやいた。

 確かにこの状況はホラー映画じみている。違う事といえば、このモノ達には十字架も散弾銃も効かないという事ぐらいだろう。

 そうして、自らの周囲一メートルほどの余地だけ残してスライム状のモノに囲まれてしまったというのに、彼女は眉ひとつ動かさずに胸ポケットに手をやった。

 ......ち、と舌をうつ。そういえば煙草は幹也に預けてしまったな、と橙子は少しだけ後悔した。これなら日本製の物でもいいから買っておけば良かった、と内心で毒突く。

 彼女は、まさかこんなに詰まらない出し物になるなんて思ってもいなかったのだ。これでは煙草でも吸わなけれはやっていられない----。

「いや、監督もいけないか。演出が下手すぎる。この程度じゃあこの頃の客は喜んでくれない。仕方ないな、ひとつ手本を見せてやろうアルバ。怪奇を銘打つのなら、せめてこのぐらいのレベルは維持するべきだ」

 かん、と彼女は足元の鞄に足の爪先を打ち付けた。

「----出ろ」

 拒否を許さない、威厳に満ちた命令。

 呼応して鞄が開く。ぱたん、とチューリップの花みたいに開いた鞄の中には、何もなかった。

 同時に----ナニか黒い物が、蒼崎橙子という魔術師の周囲を回りだす。

 黒い物は、体を持った台風だった。

 橙子を台風の目にして、ぐるぐるぐるぐると高速で回りだす。

 それは、気が狂ったような勢いだった。

 数秒を待たずしてロビーには何もいなくなる。それこそロビーから溢れ出しそうだったモノ達は影も形もなく。あるのはただ、蒼崎橙子と閉じてしまった鞄。そして、彼女の前に座るネコだけだった。

「----な、」

 その光景を、アルバは夢心地で眺めていた。

 ネコは橙子より大きい。その体は真っ黒で、厚さというものがない。影で出来ている平面の黒いネコ。いや、ネコかさえも判別はつかない。ネコのようなシルエットで、頭の部分にエジプトの象形文字じみた目だけがついている。

「なんだ、ソレは---」

 二階から、彼はそのネコを見下ろした。

 ネコの絵のような目と視線が合う。と--ネコはにやりと、ロ元の部分だけを無くして笑いを表現した。

 悪夢を見せられているのか、とアルバは息を呑む。

 橙子は何も言わない。

 どこかで、ジジジジジ、という音だけがしていた。

「話が違うぞ、おまえの使い魔は妹に敗れたというのは偽《いつわ》りか......!」

 沈黙に耐えられなくなったのか、アルバは叫ぶ。

 彼女はさあ、とだけ答えると黒いネコに視線を移した。

「---不味いモノを食わせたな。だが次は少しはマシだぞ。こんなエーテル塊ではなく本物のヒトの肉。霊的な蓄えも十分にある。私の学友だからといって遠慮する事はないんだ。日頃からちゃんと躾《しつ》けているだろ? 敵は食い殺すものだ、と」

 とたん、黒いネコは走りだした。

 大理石の床を滑るように横断し、階段へと走り行く。......といってもネコの足は動かない。座り込んだシルエットのまま、目だけを動かして赤いコートの人間へと疾走していく。

 橙子のいた一階のロビーからアルバのいる二階の踊り場まで、おそらく十秒もかかるまい。

 だが、それを許すほどアルバも常人ではなかった。

 彼は、魔術師である。

「|Go away the shadow.《 影 は 消 え よ 。 》 |It is impossible to touch the thing which are not visible.《 己 が 不 視 の 手 段 を も っ て 。 》|Forget the darkness.《 闇 な ら ば 忘 却 せ よ 。 》 |It is impossible to see the thing which are not touched.《 己 が 不 触 の 常 識 に た ち か え れ 。 》

|The question is prohibited.《 問 う 事 は あ た わ じ 。 》 |The answer is simple.《 我 が 回 答 は 明 白 な り ! 》 |I have the flame in the left hand. 《 こ の 手 に は 光 。》|And I have everything in the right hand《 こ の 手 こ そ が 全 て と 知 れ 》--------」

 落ち着いた、しかし限界近くまでの速さでアルバは呪文を詠唱する。

 ---魔術にとって呪文とは、その個人による自己暗示に他ならない。

 風を起こす魔術がある。これは一つの武器と同じく、初めから性能が決められた力だ。どのような魔術師が使用しても効力は変わらない。ただ、詠唱だけが異なる。

 呪文の詠唱とは自己の体に刻み込んだ魔術を発現させる為のもので、その内容には魔術師の性質が濃く表れる。その魔術の発現に必要となる意味合いと定められたキーワードさえ含まれていれば、詠唱の細部は各魔術師の好みによるからだ。

 大袈裟《おおげさ》で芝居掛かり、自己に陶酔しやすい魔術師の詠唱は長い。だが長く意味付けをする分だけ、威力が増大するのも事実である。自己にかける暗示が強力であればあるほど、自己から引き出す能力もまた向上するのだから。

 そういった意味で、アルバの詠唱は優れているといえた。大がかりな長さではなく、必要最低限の韻《イン》を踏み、また、自己の精神を高揚させる言葉を|胎《はら》み、詠唱そのものの発音に二秒と時間を必要としない。

 その事実に橙子はほう、と感心した。

 アルバという青年は必要以上に長く、無駄の多い詠唱を好んでいたのだが、ここ数年で確かに成長している。

 呪文詠唱の組み立てのカタチと速さ、そして物質界に働きかける回路の繋ぎ方が、驚くほど巧い。

 彼の詠唱は、単純に物を破壊する魔術ならば間違いなく一流の業だった。

「|I am the order. Therefore, you will be defeated securely 《我 を 存 か す は 万 物 の 理 。 全 て の 前 に 、汝 。 こ こ に、敗 北 は 必 定 な り --......!》-------!」

 アルバの片腕が突き出される。

 階段の一段目に黒いネコが到達した瞬間、かすかに大気が震動し---階段が燃え上がった。

 地面から揺らめき立ち昇る蜃気楼のように、青い炎の海が階段を埋め尽くす。

 わずか数秒だけ、炎は階段そのものから出現し、吹き抜けとなっている二階のフロアを貫通して天井へと消えていく。

 まるで火山地帯の間歇泉《かんけつせん》だ。

 ロビーの酸素をこの一瞬だけで奪い尽くした火の海は、黒いネコだけをこの世界から焼滅させた。それも当然。摂氏《せっし》にして千を優に超える魔力の炎は、いかなる動物をもバターのように固体から気体へと変えてしまう。液体を経るプロセスなど、コンマの間さえなかっただろう。

 だが、アルバは見た。

 炎が燃え尽きた後、ひょっこりと姿を現した黒いネコの奇怪な姿を。

「---有り得ん」

 碧眼が階段を凝視する。

 黒いネコは薄くなってしまった自分の黒い体を残念そうに舐めると、赤い魔術師へ、ぎょろりと視線を移した。

 黒い奇怪が疾走を再開する。

 アルバにはネコの正体を看破する余裕さえなかった。

「|Repeat《命 ず る》......!」

 切り裂くような鋭さで、アルバは呪文を繰り返した。

 階段が燃え上がる。けれど、今度こそネコは止まらなかった。もうこの火には慣れたとでもいうのか、一直線に魔術師へと伸びていく。

「Repeat!」

 炎の海が再度噴き上がり、消える。

 ネコはすでに階段を昇りきろうとしていた。

「Repeat!」

 四度目の炎も、無意味に終わった。

 黒いネコは二階に到達すると、アルバヘと近寄って口を開けた。人間大ほどのネコの体が、その足元からばくんと開かれる。脳天を|蝶番《ちょうつがい》にして開く宝箱に似ている。

 厚さのない、平面のはずのネコの中には、さきほど呑み込んだ異形のモノ達の残骸がドロのようにへばり付いている。

 アルバはようやく得心した。これがネコに似たカタチをしただけの、口だけの生き物だったという事を。

「Repeat----!」

 死を目前にした恐怖が最後の呪文を繰り返させる。

 だがその前に、鮫《さめ》の顎めいたネコの体が魔術師を挟み込む。赤いコートの上から丸呑みに咥えこまれ、アルバは意識を失った。

   ◇

「、王顕」

 不意に、短い韻が流れた。

 アルバの体に袈裟《けさ》に食いついたネコが動きを止める。

 事を傍観者のように眺めていた橙子さえ、その声に反応する。

 アルバ達の背後に、男がいた。

 たえず苦悩に満ちた厳しい面差しをした男は、黒い外套《コート》を着ていた。

 男は初めからそこにいたように、現れた形跡というものがない。

 黒い男はアルバを片手で掴むと、無造作にネコから引き剥がし床に転がす。ネコは男が連れ歩く三重の結界の一つに触れてしまって動けない。

 男は眼下の女へ振り向く。それだけでロビーの空気は一変した。

 空気が凍りつくとはこの事か。

 先程までの大気の緩みが消えていく。本当の主を迎えて、このマンション自身が緊張しているかのように。

「---久しいな、蒼崎《あおざき》」

「ああ。お互い、会いたくはなかっただろうがね」

 一階と二階---天と地とに分かれて、橙子は荒耶《あらや》宗蓮《そうれん》という名の元凶と対峙した。

「アルバが出すぎた真似をしたようだな。本来はおまえに知られぬ内に事を済ます筈だったが、仕方あるまい。私一人では六十四人もの体を用意できなかった。この街におまえがいた事は偶然だが必然でもあるという事か」

「どちらが引き寄せられたのかは知らないが、そうだろうね。偶然というのは神秘の隠語だ。知りえない法則を隠す為に偶然性という言葉が駆り出される」

 答えながら橙子は壁際へと後退した。

 この相手はアルバとは格が違う。能力的には同格なのだろうが、この建物の中においては荒耶宗蓮は誰よりも優れている。壁を背後にして前方にのみ意識を集中させなくては、大きな隙を見せてしまうだろう。

「それで。このマンションは何の為の装置だ? まさか生きてはいるが死んでもいる、という不確定性を形にした箱というわけでもあるまい。一日で完結する世界を捏造《ねつぞう》して、死に至る瞬間の魂の炸裂を集める作業は効果的ではない、と何百年も前に結論が下されただろう。何百という死を集めても、おまえの目的は叶えられない」

目录
设置
设置
阅读主题
字体风格
雅黑 宋体 楷书 卡通
字体大小
适中 偏大 超大
保存设置
恢复默认
手机
手机阅读
扫码获取链接,使用浏览器打开
书架同步,随时随地,手机阅读
首 页 < 上一章 章节列表 下一章 > 尾 页