饭饭TXT > 海外名作 > 《空の境界/空之境界(日文版)》作者:[日]奈須きのこ/奈须きのこ【完结】 > 空の境界@txtnovel.com.txt

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作者:日-奈須きのこ/奈须きのこ 当前章节:15342 字 更新时间:2026-6-15 18:51

 君の俯瞰風景がどちらであるかは、君自身が決める事だ。だがもし君が罪の意識でどちらかを選ぶのなら、それは間違いだぞ。我々は背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道で罪を背負うべきだからだ」

 そして女の人は去っていった。

 最後まで名乗らなかったけれど、それは必要がなかったからだとわかる。

 ......彼女には、はじめからわたしの採る結末がわかっていたに違いない。だってわたしは飛べなかった。ただ浮いていただけだから。

 わたしは弱いから、あの人の言ったようにはできない。

 だから、この誘惑にも勝てない。

 あの時---心臓を貫かれた瞬間に感じた閃光。

 圧倒的なまでの死の奔流と生の鼓動。

 わたしには何も無いと思っていたけれど、まだそんな単純で大切なものが残っていた。

 有るのは死。

 背骨を凍らすこの怖れ。

 あらんかぎりの死をぶつけて、生の喜びを感じなければならない。

 わたしが今まで|蔑《ないがし》ろにしてきた、わたしの生命であった全てのために。

 けれどあの夜のような死を迎えるのは不可能だろう。

 あれほど鮮烈な最期は、おそらくもう望めまい。針のように、剣のように、|雷《いかずち》のようにわたしを貫いたあの死には。

 だから出来るだけそれに近付こうと思う。考えは浮かばないけれど、わたしにはあと数日の限りがあるから大丈夫。

 それに、方法だけはもう決まっている。

 言うまでもないけれど、わたしの最期は、やはり俯瞰からの墜落死がいいと思うのだ。

俯瞰風景/

 陽が落ちて、僕らは橙子さんの廃ビルを後にした。式のアパートはこの周辺なのだが、僕のアパートはここから電車で二十分程離れている。

 眠り足りないのか、式はおぼつかない足取りで、けれどこちらにぴったりと寄り添って歩いている。

「自殺は正しいのかな、幹也」

 不意に、式はそんな事を訊いてきた。

「......うん、どうだろう。たとえば僕が物凄いレトロウィルスに感染して、生きているだけで東京全員の市民が死んでしまうとする。僕が死ねばみんな助かるというのなら、僕はたぶん自殺するよ」

「なんだよ、それは。そんなありえない話じゃ例え話にもならない」

「いいから。でも、それは僕が弱いからなんだと思う。東京の市民みんなを敵にまわして生き抜くなんて度胸はないから、自殺するんだよ。そのほうが安易だからね。|一時《いっとき》の勇気と、永久に続けなければいけない勇気。どっちが苦しいかはわかるだろ。

 極論だけど、死は甘えなんだと思う。それがどのような決断の下であれ、ね。けれど当事者にはどうしようもなく逃げたい時もあるだろう。それは否定できないし、反論もできない。だって僕も弱い人間だから」

 ......けど、たぶん今いったような状況での自己犠牲は正しいものだし、その行為は英雄的と評価されるだろう。

 けど、違う。いくら正しくても立派でも、死を選ぶのは愚かなんだ。僕らは、たぶん、どんなに無様でも間違っていても、その過ちを正す為に生き抜かないといけない。生き抜いて、自分の行ないの結末を受け入れなくてはいけない。

 それはとても勇気がいる事だ。自分にそれが出来るとも思えないし、なんだか偉そうなので口にするのはやめておいた。

「......えーと、とにかく、人それぞれってコトなんじゃないかな」

 なんとも半端な言葉でまとめると、式は訝しむような視線を向けてきた。

「でも、おまえは違うよ」

 心の呟きを見透かしたように式は言う。それは冷めていても、どこか熱のある言葉だった。

 なんだか照れくさくて、しばし無言で街を歩いた。

 大通りの喧噪が近付いてくる。

 華やかな明かりと雑踏、賑やかな車のライトとエンジン音。溢れかえるような人波と雑多な音たち。

 大通りのデパート群を抜ければ、駅はすぐそこだ。

 と、式はぴたりと立ち止まった。

「幹也、今日は泊まれ」

「は? なんでさ、突然」

 いいから、と式は手をひっぱる。......そりゃあ式のアパートは近いから楽ではあるけど、やっぱり道徳上泊まるのは気が引ける。

「いいよ、式の部屋って何もないじゃないか。行ってもつまんないし。それとも何か用事でもあるの?」

 そんなものがないのは分かっている。

 分かっていて言ったんだから、式には反撃のチャンスはない......と思う。が、式はこっちに非があるような、非難がましい目をして反論してきた。

「ストロベリー」

「は?」

「ハーゲンダッツのストロベリー、二つ。おまえがこの間買ってきてそのままだ。始末してけ」

「......そういえば、そんな事もあったっけ」

 あったあった。

 式のアパートに向かう途中、あんまりに暑いんで買っていったお土産だ。けど、なんだって自分はそんな物を買っていったんだろう。もう暦は九月になろうとしているのに。

 まあ、そんな些細な事はどうでもいい。どうやらここは式に従うしかないようだ。でも、それはなんとなく|癪《しゃく》に障るので少しだけ反撃する事にしよう。

 式には、それを言われると|癇癪《かんしゃく》をおこすものの黙ってしまう、という泣き所があるのだ。

 もっともそれは黒桐幹也としての本心からの頼みでもあるのだけれど、式はまだ聞き入れてくれない。

「しょうがない、今日は泊まるよ。でもね、式」

 うん?と視線を向ける式に、僕は真顔で提案した。

「始末しろ、はないだろ。その言葉遣いだけでもなんとかしてくれ。君は女の子なんだから」

「------」

 女の子、という単語に反応する式。

 式は怒ったようにそっぽを向いて、うるさい、オレの勝手だろう、なんて事を呟いていた。

俯瞰風景/了

[#ここから二段組み表記の下行のみ表記]

 その日、帰り道に大通りを選んだ。

 自分にしては珍しい、ほんの気紛れである。

 見飽きたビル街を呆と歩いていると、ほどなくして人が落ちてきた。

 あまり聞く機会のない、ぐしゃりという音。

 ビルから墜ちて死んだのは明白だった。

 アスファルトには朱色が流れていく。

 その中で原形を留めているのは長い黒髪と。

 細く、白を連想させる脆い手足。

 そして|貌《かお》の亡い、潰れた顔。

 その一連の映像は、古びた|頁《ページ》に挟まれ、書に取り込まれて平面となった押し花を幻想させた。

 それが誰であるか、自分は知っていた。

 眠りは、やはり現実となる事で還る事になったのだろう。

 集まってくる人だかりを無視して歩きだすと、ぱたぱたと足音をたてて鮮花が追い付いてきた。

「橙子さん、今の飛び降り自殺でしたね」

「ああ、そのようだね」......曖昧に答える。正直、あまり興味はなかったからだ。

 その当事者の決意がどのようなものであれ、自殺はやはり自殺として扱われる。

 彼女の最期の意志は飛行でもなく浮遊でもなく、墜落という単語で|纏《まと》められてしまう。そこにあるのは虚しさだけだ。興味が持てる筈もない。

「去年は多かったって聞いたけど、まだ流行りだしたんでしょうか。でも私、自分で死んじゃうヒトの気持ちって分かんないな。

 ---橙子さんは解ります?」

 ああ、とまた曖昧な頷きをする。

 空を見上げ、本来ありえない幻像を眺めるように答えた。

「自殺に理由はない。たんに、今日は飛べなかっただけだろう」

[#ここで二段組み表記の下行のみ表記終わり]

[#改ページ]

<IMG SRC=2殺人考察(上)タイトル頁055.jpg>

本帖地址:http://club.xilu.com/shousetsu/msgview-114109-300.html[复制地址]上一主题:[小野不由美] 十二国記シリーズ ... 下一主题:[奈須きのこ] 空の境界 (下) [楼主] [3楼] 作者:滄炎沁夢2005 发表时间: 2008/04/13 02:12 [加为好友][发送消息][个人空间]回复 修改 来源 删除殺人考察(前)

2 / ...and nothing heart.

[#ここから段組み表記なし横書きの中央表記]

――――1995年4月

  僕は彼女に出会った

/殺人考察(前)

[#ここで段組み表記なし横書きの中央表記終わり]

       /1

 今日も夜歩く事にした。

 夏の終わりにしては涼しく、冷えた風が秋の趣を感じさせたからだろう。

「式お嬢様。今晩はお早くお帰りください」

 玄関口で靴を履いている私に、世話係の|秋隆《アキタカ》がそんな歯止めの言葉を告げる。

 つまらない、抑揚のない彼の声を無視して、私は玄関から出ていった。

 屋敷の庭を越えて、門を抜ける。

 屋敷から出ればその先に電灯の明かりはない。

 周囲は闇。人影もなく物音もしない深夜。日付がまさに八月三十一日から九月一日に替わろうとする午前零時。

 風が微かにあって、屋敷を囲む竹林がざらざらと葉音をたてた。

―――胸の中に、厭なイメージが沸きあがる。

 そんな、ひどく不安を呼び起こすような静けさの中での散歩が、式という名前を持つ私の唯一の愉しみだった。

 夜が深くなれば、闇もまた濃くなっていく。

 誰もいない街を歩くのは、自分が一人になりたいからだと思う。それとも逆に一人なのだと思いたいからなのだろうか。

 ……どちらにしろくだらない自問だ。どうやっても私は一人になどなれはしないというのに。

―――大通りを歩くのをやめて、小さな路地へ曲がった。

 私は今年で十六歳になる。

 学歴でいうのなら高校一年生で、ありきたりの私立高に入学した。

 どうせ何処にいったって私は屋敷に留まるしかない。なら学歴は無意味だろう。それなら距離的に近い高校に入って、通学時間を短縮するほうがよほど効率的だと思っての事だった。

 けれど、それは失敗だったのかもしれない。

――路地は大通りよりなお暗い。ひとつだけ、神経質に点滅している街灯があった。

 不意に誰かの顔が思い出された。

 ぎり、と私は奥歯を噛む。

 近ごろ、私はあまり落ち着かない。こうして夜歩いている最中でさえも、何かの拍子であの男の事を思い出してしまうから。

 高校生になっても私の環境に変化はなかった。周りの人間は同級生であれ上級生であれ、私には近よらなかった。理由は分からないけれど、たぶん私は思っている事が態度に出やすいのだろう。

 私は極度の人間嫌いだ。子供の頃からどうしても彼らが好きになれなかった。救いがない事に私もその人間なので、自分でさえ鎌いなのだ。

 そんなんだから、私は人に話しかけられてもあまり親切に相手ができない。

 ……別に嫌いだから憎んでいるという訳でもないのだが、周りはそう納得したようだ。私のそういった性質は学園内に知れ渡って、一ヵ月ほどで私に関わろうとする者はいなくなった。

 私も静かな環境のほうが好ましいので、周囲の反感はそのままにして理想的な環境を手に入れた。

 けれど、理想は完璧ではなかった。

 同級生の中で一人だけ、私こと両儀式に友人として接する生徒がいる。フランスの詩人めいた名字をしたその人物が、とにかく私には邪魔だった。

 そう。

 本当に、邪魔だったのだ。

 ――遠くの街灯の下に人影が見えた。

 ……不覚だ。あいつの無防備な笑顔を思い出してしまった。

 ――人影は、どこか挙動が不審だった。

 ……後になって思えば。この時、どうして。

 ――なぜか、私は人影の後をつけた。

 ……私は、あんな凶暴な昂まりを覚えたのだろう?

        ◇

 路地裏からさらに路地裏へと奥まったそこは、すでに異世界だった。

 行き止まりになっているそこは、道ではなく密室として機能している。

 周囲を建物の壁に囲まれた狭い道は、昼間でさえも陽射しの入らない空間なのだろう。街の死角ともいうべきその隙間には一人の浮浪者が住んでいる筈だった。

 今はいない。

 色腿せた左右の壁には新しいペンキが塗られていた。

 道ともいえない狭い|径《みち》は何かにぬかるんでいた。

 随時漂っていた腐った果物の匂いは、もっと濃厚な違う匂いに汚染されていた。

 あたりは、血の海だった。

 赤いペンキと思われたのは|夥《おびただ》しいまでの血液だ。

 今なお径にこぼれ、じわじわと流れる液体は人の体液。

 鼻孔に突き付けられる匂いは粘つく朱色。

 その中心に、人間の死体があった。

 表情は見えない。両腕がなく、両足も膝のあたりから切られているようだった。彼は人間ではなく、今はただ血を徹き散らすだけの壊れたスプリンクラーと化していた。

 すでにここは異世界だ。

 夜の闇さえ、血の赤色に敗退している。

 ―――|彼女《シキ》はそこでほころんでいる。

 浅葱色の着物の裾が、今は紅。

 鶴を患わせる雅びさで地面に流れる血に触れると、それを自らの唇に引いた。

 血は唇から滑り落ちる。

 その恍惚に体が震える。

 それが彼女のした、初めての口紅だった。

       /2

 夏休みが終わって新しい学期が始まった。

 学園生活に変化はない。あるとすれば校内の生徒達の服装が変わったというぐらいで、彼らの服装は夏のそれから秋のそれへと少しずつ重くなっていた。

 私は生まれてこのかた、着物以外の服を着たことがない。

 秋隆は十六歳の少女らしい洋服を用意してくれたのだけれど、私は袖を通そうとも思わなかった。

 幸いこの高校は私服登校だったので、私は着物のまま過ごす事が出来た。

 本当は裏地のある正式な着物にしたかったのだが、アレでは体育の時に着替えだけで時間が終わってしまう。妥協案として浴衣めいた、|単衣《ひとえ》の着物を愛用する事にした。

 冬の寒さはどうしようと悩んだ事もあったが、それは昨日解決した。

 ……あれは休み時間の事だ。

 いつものように席についていると、背後から不躾に話しかけられた。

「寒くないの、式」

「今はまだ寒くはないけど、この先は厳しいでしょうね」

 私の返答から、冬でも着物で過ごすという意図を読み取ったのだろう。相手は顔をしかめた。

「冬でもその格好なのか、君は」

「きっと。でも平気よ、上着を着るから」

 早く会話を終わらせたくて、私はそんな事を言った。

 相手は着物の上に羽織る上着なんてあるんだ、と驚いて離れていった。私も自分の意見に驚いた。

 けど結局、私はそれを実行する為に上着を買いにいった。一番暖かい上着という事で、革製のブルゾンを購入した。冬になれば着ることになるが、それまではお蔵入りだ。

        ◇

 誘われて、お昼を一緒に食べる事になった。

 場所は第二校舎の屋上で、周囲には私たちのような男女の二人組がそれなりに見られた。

 それをしげしげと観察していると、耳元で何か話しかけられた。無視しようとも思ったが、その単語がいささか物騒なので訊き返さざるをえない。

「―――え?」

「だから人殺し。夏休みの最後の日にさ、西側の商店街でそういう事件があったんだ。まだ報道されてないけど」

「人殺しって、穏やかじゃないわね」

「うん。内容もかなりキワモノ。両手両足を刃物でばっさりやって、あとはほったらかしにしたんだって。現場は血の海でさ、鑑識するのに道の入り口にトタン板の扉をつけて隠したほどらしい。犯人は捕まってない」

「両手両足だけ? それだけで人間って死ぬの?」

「そりゃあ血がなくなれば酸素欠乏で生命活動が停止するでしょう。でも、この場合はショック死のが先だったろうね」

 もぐもぐ、と口を動かしながら喋る。

 可愛らしい外見とは裏腹に、こいつはこういう話題をふってくる事が多い。なんでも親戚の兄が警察関係の人物なのだそうだ。……肉親に機密を漏洩するぐらいだから、あまり高い地位の人物ではあるまい。

「あ、ごめん。式には関係のない話だった」

「別に。関係がないってわけじゃないわ。ただね、黒桐くん」

 なに?と聞き返してくる同級生に、私は目を閉じながら抗議した。

「そういうの、食事時のお話じゃないでしょう?」

 そうだね、と黒桐は頷く。

 ……まったく。おかげで買ったばかりのトマトサンドが食べられなくなったじゃないか。

        ◇

 私の高校一年の夏は、そんな物騒な噂話を聞くことで終わった。

 季節はゆるやかに秋へと移りかわる。

 両儀式にとって微妙に今までと違う生活は、じき寒い冬を迎えようとしていた。

        ◇

 今日は朝から雨だった。

 雨音の中、私は一階の渡り廊下を歩いている。

 授業が終わり、放課後の校舎にはあまり生徒の姿がない。黒桐が話した殺人事件が報道された為、学校側が生徒の部活動を禁止したのである。

 事件は、たしか今月で四つ目になっていた。今朝車の中で秋隆が言っていたのだから間違いはないのだろう。

 犯人の正体はいまだ掴めず、その動機さえ明らかになっていない。被害者に共通点はなく、その全てが深夜に出歩いていて殺害されたという事だった。

 遠く離れた所での事件なら傍観できるが、それが自分達の住んでいる街となると話は違ってくる。

 生徒達は暗くなる前に帰宅し、女子にたがわず男子までグループになって下校していた。

 夜も九時を過ぎたあたりで警官が巡回しているので、このところ夜の散歩も満足にできないでいる。

「……四人……」

 眩く。

 その四つの光景を、私は。

「両儀さん」

 突然、そう呼び止められた。

 足を止めて振り返ると、そこには見たことのない男が立っていた。

 青いジーンズに白いシャツ、というパッとしない服装に、大人しそうな顔をした人物。たぶん上級生だろう。

「そうですが、何か?」

「あは、そんな恐い目で睨まないでほしいな。黒桐君を捜しているのかい?」

 にこり、という作り物のような微笑みをうかべて、男はそんなたわけた事を言った。

「私は下校する所です。黒桐くんは関係ありません」

「そう? それは違うな、君は分かってない。だから苛立っているんだ。あんまり、そういうのを他人にぶつけちゃ駄目だよ。他人を責めるのは楽だから、クセになる。あはは、四回はやりすぎだろう」

「―――え?」

 知らず、足が一歩退いていた。

 男は作り物のような――いや、明らかに作り物の微笑みを浮かべる。

 なんて満足げで――私に似た。

「最後に君と会話をしてみたかった。それも叶ったから、それじゃあ、さよなら」

 上級生と思われる男は、かつんかつんと足音を響かせて遠くなっていった。私はそれを見届ける事もせず、下駄箱へと向かった。

 靴を履き替えて外に出ると、雨だけが私を出迎えた。

 迎えに来るはずの秋隆の姿はない。

 雨の日は着物が濡れるので秋隆が車で送り迎えをしてくれるのだが、今日は遅れているようだ。

 靴をまた履き替えるのも面倒なので、昇降口の階段わきで雨宿りをする事にした。

 淡いヴェールのような雨が、校庭を曇らせている。

 十二月の寒さのせいで呼吸は白く凍えていた。

 ……どのくらい経っただろう。気がつくと、私の横には黒桐がやってきていた。

「傘あるよ」

 中国人みたいな発音だった。

「いいの、迎えが来るから。黒桐くんは早く帰りなさい」

「もうちょっとしたら帰るよ。それまではここにいようと思うんだけど、いいかな」

 私は答えなかった。

 彼はうん、と頷いてコンクリートの壁にもたれかかる。

 私は今、黒桐の話に付きあえる心境じゃなかった。彼が何を話そうが全て無視するつもりでいる。だから彼がここにいようといまいと関係がない。

 私は雨の中、ただ待った。

 不思議と静かだ。雨音だけが届く。

 黒桐は話さなかった。

 壁にもたれかかったまま、満足そうに瞼を閉じている。眠っているのか、と呆れて見たが、何か小さく詩を歌っていた。流行歌なのだろう。よけい、呆れた。

 あとになって秋隆に聞いてみたら、それはシンギングインザレインという有名な歌だった。流行の歌には違いない。

 黒桐は話さない。

 私と彼の距離は一メートルもないだろう。二人の人間がこんなに側にいて会話がないというのは落ち着かないものだ。

 そんな気まずい状況は、けれど苦ではない沈黙だった。

―――不思議だ。なんで、この沈黙は暖かいのだろう。

 でも不意に恐くなった。

 このままではアイツ[#「アイツ」に傍点]が出てくると直感したから。

「―――黒桐くん!」

「はい!?」

 無意識の叫びに、彼は驚いて壁から離れた。

「どうした、何かあったのか?」

 こちらを覗き見る瞳に、私が映っている。

 たぶん、この時。

 私は初めて黒桐幹也という人物を見た。

 それは観察ではなく。

 彼はいまだ少年の面影が残る、柔らかな顔立ちをしていた。大きな瞳は温和で、濁りなく黒い。その性格を表すように髪型は自然で、染めても固めてもいない。

 かけた眼鏡は黒ぶちで、そんなのは今じゃ小学生だってしまい。

 飾りのない服装は、上下ともに黒色。その色の統一が、黒桐幹也の唯一のおしゃれといえばおしゃれなんだろう。

 つい、思ってしまった。

 ……この人のいい少年は、どうして私なんかにかまってくるのだろう、と。

「……今まで……」

 うつむいて、私は彼を見ないようにする。

「どこに、いたの?」

「ここに来る前は生徒会室だけど。先輩が学校を止めちゃうから、お別れ会めいたものをやっててね。|白純《しらずみ》|里緒《りお》っていう人なんだけど、すごく意外だった。大人しい人だったんだけど、やりたい事が見つかったから、なんて言って退学届をだしちまうんだもんなあ」

 しらずみ、りお。聞かない名前だ。

 けれどそういう会に呼ばれる黒桐の顔の広さは知っている。彼は同級生には友人としてしか見られないが、上級生の女にはささやかな人気があった。

「式も誘っただろ。昨日の別れ際に言ったのに、生徒会室に来ないんだもんな。教室に行ってみたら誰もいないし」

 確かに昨日、彼はそんな事を言っていた。

 けど、そんな会に私が行っても白けるだけだ。黒桐の誘いはただの社交辞令だと思っていたのに。

「……驚いた。あれ、本気だったんだ」

「あったりまえじゃないか。何考えてるんだ、式は」

 黒桐は怒った。

 それは自分の言動が無視されたからではなく、私のつまらない思惑に対してのものだろう。

 私はそれに反感を持つしかない。だって、それは今まで体験しえなかった未知だから。

 私はそれきり黙り込んだ。今日ほど秋隆の迎えが待ち遠しい日はないと思う。

 ほどなくして校門に迎えの車がやってきて、私は黒桐と別れた。

        ◇

 夜になって雨は止んだ。

 式は赤く染め上げた革のブルゾンを羽織って外に出る。

 頭上の空は|斑《まだら》だ。穴だらけの雲が、ときおり月を覗かせる。

 街には私服の警官がせわしなく巡回している。それと鉢合わせするのは面倒なので、今日は川原へ足を運んだ。

 雨に濡れた路面が、街灯の光を反射させる。

 なめくじの跡みたいにてらてらと光っている。

 遠くで電車の音がした。

 ごんごんと響く車輪の音に、陸橋が近いのだと知らされた。川を横断する橋は、人間ではなく電車用の橋なのだろう。

 ―――そこで人影を発見した。

 ふらふらと、ゆっくりと、式は陸橋へ向かった。

 もう一度、電車が走る。おそらくは最終だろう。

 先ほどの音とは比べものにならない轟音が周囲に響く。まるで狭い箱の中に綿を押し詰めるような音の重圧に、知らず彼女は耳を塞いだ。

 電車が去ると、陸橋の下は途端に静かになった。

 街灯もなく月明かりも入らない橋の下の空間は、そこだけが闇に切り取られたように暗い。

 その恩恵だろう。

 今は、川原を濡らす赤色さえも暗い。

 ここは五つ目の殺人現場だ。

 無秩序に生え育った雑草に見立てて、死体は花のように変えられていた。

 切り取られた顔を中心に、両手両足が四つの花弁のように置かれている。

 首と同じく切り取られた手と足は関節を曲げられ、より花らしさを強調していた。……もっとも、それでも花というより卍に見えてしまうのが少し残念だ。

 草野の中、人工の花が捨てられている。

 撒き散らされた血によって、花の色は赤い。

 ―――だんだんと手慣れてきた。

 それが、彼女が抱いた感想だった。

 ごくりと喉をならして、ひどく乾いている事に気がつく。

 緊張か、それとも興奮の為か―――喉の渇きはすでに熱くさえあった。

 ここには、ただ、死だけが充満している。

 式の唇が声もなく笑みの形を作る。

 彼女は法悦を抑えて、ただ死体を見つめ続けた。

 この瞬間にのみ、自分は生きているのだと強く実感できるが故に。

       /3

 月の初めに師範代と真剣で試合をするのが、両儀家の跡取りの決まりだった。

 遥かな前代、わざわざ他流派の剣匠を招くのに嫌気がさした両儀家の当主は、自らの家の中に道場を建て好き勝手に新しい剣の流派を捏造した。

 その系統は現代まで受け継がれてしまい、何の因果か女の身の私まで刀を振り回す事を要求されてしまっている。

 父のこちらを上回る実力差、体力差を歴然とさせた試合が終わって、私は道場を後にした。

 道場から本館までの距離はかなりのもので、高校でいうのなら体育館と校舎の距離ほどもあろう。

 ぎしぎしと音もしない、可愛げのない板張りの廊下を歩く。

 途中、秋隆が待っていた。

 使用人である秋隆は私より十歳は年上だ。汗で汚れた私を着替えさせる為に待っていたのだろう。

「お疲れさまでした。お父上は何か?」

「いつも通り。下がれ、秋隆。着替えぐらい自分でできる。おまえもな、いつまでもオレ専属ってわけじゃないだろ。兄貴についたほうが得だぞ。どうせ最後に跡を継ぐのは男なんだから」

 私の乱暴な口調に、秋隆は微笑んだ。

「いえ、両儀家の跡取りはお嬢様以外おりません。兄上君にはその素質が受け継がれませんでしたから」

「――こんなのに、何の得があるってんだ」

 私はそのまま秋隆を|躱《かわ》して本館へと戻る。 自室に閉じこもると、一息ついてから胴着を脱いだ。

 そのまま鏡を一瞥する。

 ……そこにあるのは、女の体だ。

 顔だけは眉を太く描いて目付きを悪くすれば、まあ男に見えない事もないだろう。

 けれど体だけは誤魔化しようがない。年月とともに成長する女性の肉体は、式はともかく|織《しき》を少しずつ自暴自棄にさせているようだった。

「オレ、男に生まれれば良かったのかな」

 誰にでもなく話しかける。

 いや―――話し相手はいる。私の内に。織という名の、もう一つの人格が。

 両儀家の子供には同じ発音の、異なる名前が二つ用意される。

 陽性、男性としての名前と、

 陰性、女性としての名前が。

 私は女として生まれたから式。男として生まれていたら織と名付けられていた。

 なんでそんな事をするのかというと、両儀家の子供には高い確率で解離性同一性障害――俗にいう二重人格者が生まれるからなのだそうだ。

 つまりは、この、私のように。

 両儀の血にはそういった超越者の遺伝があるのだと、父はいった。それを呪いなのだとも。

 ……たしかに呪いだ。こんなもの、私から見れば超越者どころか異常者のそれに他ならない。

 幸いなのだろう、ここ何代かで私以外にその症状を持つ後継者はいなかった。理由は単純で、みな成人を前に精神病棟に行く事になったからだ。

 一つの体に二つの人格という事実は、それだけで危うい。現実と現実との境界があやふやになって、しまいには自殺してしまうケースが多かったという。

 そんな中、私はとりわけ狂ったそぶりもなく育った。

 私と織は互いを意識せず、無視して生きてきたからだろう。

 肉体の所有権は絶対的に私にある。

 織はあくまで、私の中の代理人格でしかない。ちょうど今、剣の稽古には攻撃的な男性人格である織が適任だからと交替しているように。

 思えば、私と織はほぼ同時に存在している。

 これは世間一般でいう二重人格というやつとは違う。私は式であり織なんだ。ただ、決定権が私にあるだけで。

 父は喜んだ。自分の代で正統な両儀の跡取りを生み出す事が出来たと。

 そういった理由で私は兄を差し置いて、女の身でありながら両儀家の跡取りとして扱われている。

 それはそれでいい。貰えるものは貰っておくのだ。

 私はたぶん、こうしてどこか|歪《いびつ》な、けれど平穏な生活を送っていくのだと思っていた。

 こうした生活しか送れないのだと理解していた。

 ――――そう。

 たとえ織が人殺しを愉しむ殺人鬼であろうとも、私は織を消す事はできない。

 自らの内に“シキ”を飼う私は、やはり彼と同じシキにすぎないのだから。

 殺人考察(前)/

        1

「幹也、おまえ両儀と付き合ってるってホント?」

 |学人《ガクト》の言葉に、僕はあやうくコーヒー牛乳をぶっかけそうになった。

 咳き込みながら周りを見てみる。

 昼休みの教室は騒がしく、幸い今の学人の暴言を聞き付けた奴はいそうにない。

「学人、それ、どういう意味?」

 探りを入れてみると、学人は呆れたように目を開いた。

「おまえなにいってんのよ。1-Cの黒桐が両儀に入れ込んでるってのは周知の事実だぜ。知らぬは当人達だけだ」

 学人の悪態に、僕はたぶん顔をしかめたと思う。

 式と知り合って八ヵ月。季節は冬を間近にした十一月になった。

 ……まあ確かに、それだけあれば付き合っていてもおかしくはないと思うんだけど。

「学人、それは誤報だよ。僕と式はただの友達。それ以上の関係じゃない」

「そうかぁ?」

 柔道部期待の一年生は、その屈強そうな顔を意地悪げに歪めた。

 学人は名前とは正反対の肉体派の友人で、僕とは小学校からの腐れ縁だ。その経験からこっちの言葉に嘘がないと読み取ってくれたのだろう。

「に、しては名前を呼び捨てじゃんかおまえ。あの両儀がただのクラスメイトにそんなん許すはずねーだろが」

「あのね、式はそっちのほうが嫌がるよ。前に両儀さんって呼んだら、思いっきり睨まれた。視線で人を殺すっていうけど、式はその素質ありまくりだ。

 でさ。なんでだか知らないけど、彼女は名字で呼ばれるの好きじゃないんだって。名字で呼ぶのなら“おまえ”でいい、なんて言うんだぜ。それは僕のほうがイヤだから、妥協案として“式さん”になったんだけど、それもイヤだっていうから式。どうだ、このつまらない真相は」

 四月の出来事を思い出してまくしたてると、学人はそりゃつまらん、と同意してくれた。

「なるほどね。なんとも色気のないお話で」

 残念そうに学人はぼやく。……何を期待しているんだろうか、こいつは。

「じゃあ先週の昇降口の一件もなんでもないのか。くそ、1-Cくんだりまで来て損したぜ。大人しく自分の教室でメシ食ってりゃよかった」

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