饭饭TXT > 海外名作 > 《空の境界/空之境界(日文版)》作者:[日]奈須きのこ/奈须きのこ【完结】 > 空の境界@txtnovel.com.txt

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作者:日-奈須きのこ/奈须きのこ 当前章节:15390 字 更新时间:2026-6-15 18:51

 ゆえに、わたしは今回の事件については幹也に一言も話していない。橙子師にも秘密は厳守させた。なのに、どうしてこんな絶妙のタイミングで連絡をいれてきて、あまつさえ橘佳織の成績を調べろ、なんて言ってくるんだろう? いったい幹也は誰から今回の話を―――

「……そっか。考えるまでもなかった。元凶はいつだってあんただものね、式」

「なんだよ。居ないおまえが悪いんだ。あの様子じゃ明日もかけてくるだろうから、昼すぎは自分の部屋で待ってればいいだろ」

 そういう事ではないのだが、そういえばそれも横取りされたのかと気がついて、式を睨む目がよけい厳しくなってしまった。

 式はわたしの視線を気にもしないで話を続ける。

「幹也が言うには体育の出席率が重要らしいぜ。どう思う、鮮花。オレにはあいつの考えなんてさっぱりだ」

「体育の出席率?」

 なんだろ、それ。新手の暗号かしら、なんてとぼけた時、脳裏に稲妻めいた閃きがあった。

 黄路美沙夜は言った。橘佳織は火事に巻き込まれて死んだのではない。彼女は自殺したのだと。

 重要な事をわたしは聞き逃し、核心となる事実を黄路美沙夜は口にしなかった。

 それは橘佳織の――――

「……自殺の、理由」

 口にして、わたしは駆け出していた。

 火事で半壊している旧校舎を飛び出して、森の中を全力で走り抜ける。

 何かに取り愚かれたようにわたしは走った。

 行くべき場所は決まっている。

 生徒の健康状態を調べる為には、カルテが保管されている保健室に行くしかないのだから。

 そうして、私は橘佳織の健康診断書と、保健室の使用記録を発見した。

 九月から体育はすべて見学。十月からは欠席が目立ち、あの火事が起きる一週間前からは一度も登校していない。

 念の為に保健のシスターに尋ねてみると、案の定彼女はある相談をしていたという。

 これで伏せられていた力ードはすべて開いたな、とわたしは暗い心持ちで確信できた。

 /4

 日が落ちて、校内にちらほらといた生徒達が各々の自室に戻っていく。礼園の寮の門限は午後の六時までで、それ以降は生徒に自由というものはない。

 私と鮮花は食堂で寮生達による合同の食事を終えて、自分たちの部屋に戻ってきた。窓の外はとうに暗い夜の闇に包まれている。聞こえてくる音は風にゆれる木々の音だけで、寮舎は寒気がするぐらい寂しい雰囲気だ。

 そういう所だけなら私は気に入っていて、全寮制でなければ本当に転入してもいいとさえ思っていた。都心の高校はとにかく煩《うるさ》すぎるのだ。

 そんな事を考えながらベッドに腰を下ろす。

 鮮花はきちんとドアの鍵を閉めると、長い髪をなびかせてくるりと振り返った。

「式。隠しているもの、あるでしょ」

 人差し指をたてて、鮮花はこちらを見つめてくる。

「隠しているものなんてない。おまえのほうこそオレに黙ってるコトがあるだろ」

「私が言ってるのは物質的な物です。いいから四の五の言わず、さっき食堂でちょっぱったナイフをだせっていってるの!」

 喧嘩腰で鮮花は言った。

 ……驚いた。鮮花の言うとおり、私はさっき食堂で出されていたパン切り用のナイフをこっそり服の袖に忍ばせていたのだ。

 けれどアレに気付いた奴がいるなんて、私の暗器術も錆び付いてしまったらしい。最近は堂々と帯刀していたから武器を隠す事に慣れていなかったとはいえ、素人の鮮花に見破られるなんて、ひどい堕落ぶりだ。

「あんなの、たかだか食事用のナイフだろ。鮮花が気にするほどのことじゃない」

 見破られた事実からか、私は拗ねたような口調で返答していた。

 鮮花は私の言い分など聞かずに詰め寄ってくる。

「だめよ。たとえ刃のないナイフでも、あんたが持つとダムダム弾なみの凶器になるんだから。礼園で人死に沙汰なんて起こされちゃたまらないわ」

「なにをいまさら。もう二人も死んでるんだぜ、気にするような体裁なんてとっくに消えちまってるだろ」

「いえ、殺人事件と死亡事故は別物です。さ、早くナイフを出しなさい。私達の役目は原因の究明であって解決じゃないんだから」

「……嘘つけ。すっかりやる気のくせに」

 断固としてナイフを手放す気のない私は、詰め寄ってくる鮮花を見つめ返す。

 ……私だっていたずらにナイフを持っているわけじゃない。鮮花には告げていないが、今朝目覚める前に私にも何かおかしな感覚があった。

 眠りについてる私の意識と同化してきたアレが妖精というものなのかは知らない。ただ、次があるのなら逃がさない。そのための武器としてのナイフだし、礼園の食器のデザインはすべて凝っていて、気に入っていた。帰ったらこのナイフは観賞用として大事に保管するって、決めた。

 私がそうやって沈黙している中、鮮花はもう目前にまで寄ってきていた。

「どうしても渡さないつもりね、式」

「うるさいな、しつこいぞおまえ。そんなんだから幹也に約束をすっぼかされるんだ」

 数日前の元旦の出来事を私は口にする。

 けど、それは鮮花の感情を荒立てるだけのものだったようだ。……なにか、まずい。

 目の前にいる鮮花の目は、さあ、と引いていく波のように感情をなくしていく。

「―――わかりました。わたし、実力行使にでます」

 恐い声でそう呟くと、彼女は私にのしかかってきた。ベッドに腰を下ろしていた私は、覆いかぶさってくる鮮花を避けられない。

 私と鮮花は、そのままベッドにもつれながら倒れこんだ。

 ……結果として、ナイフは鮮花に奪われてしまった。

 表向き可愛らしい外見をしているが、鮮花はかなり怒りやすい。そんな彼女が本当に怒るとものすごい暴れようで、手負いのクマか何かを連想させるのだ。

 獣を大人しくさせるには言葉も反撃も無意味か、と判断した私は仕方なく隠していたナイフをひとつ差し出して、害のない取っ組み合いを終わらせた。

 鮮花はナイフを持って自分の机へと歩いていく。私はというと、ベッドの上で横になったままだった。

「……このばか力。みろこの腕、真っ赤なアザができてやがる。おまえ、普段なに食べて生きてるんだ」

「失礼ですね、ささやかなパンと新鮮な野菜だけです」

 鮮花はこっちに振り返りもしないで机にナイフを仕舞う。と、そのままカギをかけてしまった。

 私はベッドに腰をかけなおして、彼女の背中を見つめてみる。

 よせばいいのに、なんとなく思った事が口にでた。

「でも意外だ。本当におまえって運動神経がいいんだな。これなら十分幹也を押し倒せるんじゃないか、鮮花」

 とたん、鮮花の顔が真っ赤になる。後ろ姿でそうと判るのは、耳まで赤く染まっていたからだ。

 な、な、な、と声を呑み込みながら鮮花は振り返る。やっぱり彼女は赤面していた。

「な、なにを、言い出すのよ、あんたは」

「別に。他意はないよ。ただそう思っただけのこと」

 ……問題はそう思った理由なのだろうけど、私はそれを深く追求するのをやめておいた。

 鮮花は赤面したままこちらを見据えている。私は、どことなく無関心な瞳でそれを見返していた。

 時計の秒針の音が百回ほど繰り返された頃、鮮花は、はあ、と深く息をついて口を開けた。

「―――やっぱり、わかる?」

「さあ、どうだか。知っていたのはオレじゃないから。少なくとも当の本人は気付いてないから、それでいいんじゃないか?」

 そう、と鮮花は安心したように胸を撫で下ろした。

 ……彼女が黒桐幹也に恋愛感情を持っていると知っていたのは、私ではない。昔、鮮花と初めて会った時にいた織《シキ》が一目で看破しただけだ。式は織づてにそれを知っただけ。

 その知識がなければ、私だって気がつかなかっただろう。彼女が幹也に対してだけ厳しい対応をする理由も、彼がいない所では自分に言い聞かせるように兄という単語を使わないのも。

 鮮花は元通りの冷静さを取り戻すと、今度は逆に私をじろりと睨んできた。

「けどあたまにくるなあ。それって余裕、式?」

 わけのわからない事で鮮花は難癖をつけてくる。

 私は理解不能な質問に、ひとり首をかしげた。

「わたしに取られてもいいのかってこと。ほんと、あったまくるなあ」

 じれったそうに鮮花は同じ台詞を繰り返す。

 けど、とられるって誰をだろう。話の流れからいって幹也の事か。でも、アレは私の物じゃない。アレは、そう。悔しいけれど式という私の物ではなくて―――――

 いけない。その先は、考えてはいけない事だ。

 不意に背筋に怖れが走って、私は思考を止めた。

「……鮮花はさ、なんであんなのがいいんだよ。兄妹だろ、おまえ達って」

 自分を誤魔化すためにイヤな質問を私はする。

 鮮花はそうね、と視線を泳がせて答えた。

「白状するとね、式。わたしって特別なものが好きなの。っていうより、禁忌と呼ばれるものに惹かれる質《たち》みたいなんだ。だから幹也が兄である事に問題はないのよ。あるのはあっちだけで、わたしにはむしろ喜ばしい事だわ。好きな相手が近親なんて、幸運なことだって思ってるし」

 あくまで冷静な趣で鮮花はとんでもない事を口にした。

 ……つくづく。あの男は、おかしなヤツに好かれる傾向にあるみたいだ。

「この、ヘンタイ」

「なによ、異常者」

 ほぼ同じタイミングで、私と鮮花は互いを罵りあう。それは嫌悪や軽蔑を含まない、本当に素直な意見の言い合いだった。

 鮮花は明日早くから調べる事があるから、と早々に眠ってしまった。

 私はというと、普段が夜行性なだけあって簡単には眠りにつけない。

 時計の針が二時をすぎても眠気はやってこないので、ただぼんやりと窓の外の景色を見つめていた。

 外には明かりもなく、深い木々の闇だけがある。森の中には月の明かりさえ届かず、この寮舎は深海にあるように静かだ。

 私は食堂で手に入れたナイフを片手でもてあそびながら、森と闇とを眺める。

 食堂で手に入れたナイフは二本。一本はここで使う為に、一本は持ちかえる為に入手したのに、観賞用の方は鮮花にとられてしまった。

 こうなると残った一本が使われない事を願うだけだが、やはりそれは叶いそうにない。

「今夜はずいぶんと忙しいじゃないか、おまえ達」

 窓の外の景色を見て、私はひとり呟く。

 暗い礼園の夜の中、ホタルのように燈《とも》るモノが無数に飛びかっている。その数は十や二十ではない。昨夜は一、二匹程度だったというのに、今夜にかぎって妖精とやらは活発に動き回っている。

 鮮花と私が事件をかぎまわっている為だろう。妖精使いは予定を急激に早めたようだ。

「これじゃあ使わないなんてコト、できそうにない」

 鈍く月光を照り返すナイフを見つめて、私はそんな言葉を漏らす。

 礼園で夜を過ごすのは今日かぎりだ。どのような結果になろうと、決着が明日になるのは明白な事なのだから。

忘却録音

 5/

 ◇

 私は言った。

「もう、どうしていいかわかりません」

 彼は答える。

「まだ手段はあるでしょう。壊れてしまったモノは治せばいいのです」

 私は言った。

「けれど、私には治せない」

 彼は答える。

「造り治すのは私が受け持ちましょう。あなたには罪はない。キレイなモノは、汚いモノに触れる必要はないのです。あなたはそのままでいるのがいい」

 私は言った。

「……私は綺麗なんでしょうか。そうであるように生きてきましたが、今は自信がないのです」

 彼は答える。

「あなたは汚《けが》れてはいません。自身に芽生えた昏《くら》い感情を抑えきれないとしても、その手は未だ白いままです」

 彼は頷き―――優しく笑った。

「自分の手は綺麗なままでなければいけない。この世界に、あのような汚れはあってはいけない。

 汚れには汚れ自身で消えていただくのが最良です。どんな人間でも、汚れを消そうとすればその汚れを受け継いでしまう。この不浄なる循環を、私達は呪いと言うのです」

 汚れないために、私以外の何かを使えばいいと彼は言う。

 私は言わない。

 だって、それでも、結果としては―――――

 彼は答える。

「永遠は還さないといけない。その嘆きを再生します。たとえ君が忘れ却ろうとも。記録は、たしかに君に録音されているのだから」

 私は言った。

「私に、忘れている事などありません」

 彼は答える。

「忘却は意識できない欠落です。人には忘れていない事などない」

 ―――なら、私の記憶の断絶とはなんだろう。

「わかりません。私の欠けた部分とはなんでしょう」

 彼は答える。

「それは兄への幻想です。あなたが望むというのならば。その欠落を再生してあげましょう」

 私は、それにイエスと答えた。

    ◇

 一月六日、水曜日。

 空は相変わらず灰色の雲に覆われていて、天気は曇りのままだった。

「……しちじ、はん」

 眠りから目覚めて時間を確認する。……信じられない事に、このわたしが一時間も寝過ごしてしまっていた。

 あわててベッドから起きて、寝巻きから制服に着替える。

 二段ベッドの上で眠っている式に声をかけてみたけど、彼女はまったく目を覚まさない。昨日の夜はおそくまで起きていたようで、式は寝巻きに着替えず制服のままで眠っていた。

 寒いのも暑いのも平気、という式は毛布一枚でこんこんと眠っている。その様は彫刻か何かのように静かで、わたしは起こす事を諦めた。

 もともとわたし達の役割は原因の究明なんだ。昨日、黄路美沙夜とやりあったのはその必要がないからである。事件の犯人が判っても、わたしと式はその犯人を捕まえる必要なんてないんだ。

 ……もっとも、わたしだって黄路美沙夜が素直に寮に居るとは思っていないし、実際に彼女は昨日から帰宅の為に外出届をマザーに提出していた。つまり、書類の上では昨日の朝から黄路美沙夜は礼園の敷地内にはいないという事になっている。

 その事から見ても、彼女はもうわたしと接触するような事はないと思う。……けど、頭はいいクセにどこか激情家みたいな美沙夜は、わたしの懐柔をまだ諦めていないかもしれない。

 一昨日の昼と昨日の昼、二度にわたってこちらに接触してきた美沙夜は、結局のところどちらも式に邪魔をされて結果を出していない。今日、正体を知られたうえで襲ってくるとは考えにくいが、三度目の正直という事もある。用心のためにトカゲの皮で作られた手袋をポケットに仕舞って、わたしは部屋を後にした。

 冷凍庫みたいに冷えた寮の廊下を歩いて、一年四組の生徒の部屋をいくつか訪ねた。

 けれど大半の生徒は留守で、たまに自室に残っている生徒達も会話の相手にはならなかった。

 彼女達は息遣いも荒く、目の焦点も確かではなくて、麻薬中毒者さながらの様子だったからだ。

 仇《かたき》か何かを見るような目付きで睨まれては、まともな話が出来るとは思えない。式なら睨み返してでも話を聞くのだろうけど、わたしはそんな非効率的な行動は選ばなかった。

 一年四組の生徒と話をするのは諦める。

 話を聞く相手はなにも生徒達だけじゃない、とわたしは寮から出て校舎に移動した。

 消費した時間を取り戻すように、手早くシスター達から必要な事を訊き出して、もう一度寮へと戻る。手に入れた情報を整理する為に自分の部屋に戻ると、式はまだ眠っていた。

 ……すこしカチンときたけど、『目』に考える事を期待するこっちが浅はかなんでしょう、ええ、と思いとどまって、わたしは椅子に腰をかけた。

 ―――さて。

 昨日保健室で調べた資料から、橘佳織がどんな状況だったかは予想がついていた。

 体育の授業を見学するのは、別にたいした事じゃない。生理が重なったのなら仕方のない事だとシスターも認めてくれるから、礼園では体育を見学するのはわりと簡単な部類にはいる。

 重要視するべきなのは体育の見学が多い、という事ではなく、彼女の健康診断と見学の日を照らし合わせる事だ。

 他の高校ではどうなのか知らないけれど、礼園では生徒の生理の間隔だってきちんとリストされている。それによると、橘佳織は本来ありえない曜日に生理だといって体育を見学していた。

 この不自然さは彼女の言い分とは逆の事実を連想させる。

 シスターを問い詰めてみると、彼女はたしかに十月あたりに生理が遅れている、と相談をしにきたらしい。シスターはストレスによる一時的な体の変調でしょう、と安心させたというけれど、それは事情を知らないシスターが口にした当たり前の返答だと思う。

 まだ憶測の域を出ないが、橘佳織は生理が遅れていたんじゃなくて、生理がきていなかったんじゃないか。

 ……まあ、ようするに、なんというか、その、妊娠していたんじゃないかってコト。

 もしそうだとしたら、それは十分すぎるほどの自殺の理由になる。初めはただ生理がこないだけの不安だろうけれど、お腹の中の胎児は日増しにその存在感を増していく。九月から三ヵ月近くたった十一月には、彼女の精神はどうしようもない所まで追い込まれていたんじゃないだろうか。

 ……礼園で妊娠するなんて、それは誰かを殺すコトよりもっと背徳的な行為だ。外に出れないはずの生徒が、校則をやぶって街に出て性交の末に子供を身籠もる、なんてマザーやシスターが聞いたら卒倒するどころの話じゃない。

 橘佳織本人への軽蔑はもちろん、彼女の両親だってそんな娘を許しはしないだろう。

 コトの発覚を怖れて日々を過ごす橘佳織には、けれど解決策というものがない。堕胎するには病院に行かなければいけない。街に出るだけならともかく、医者にかかるのならどうしても学園に連絡がいってしまう。小等部から礼園の生徒だった彼女が医師免許のないもぐりの闇医なんて知っているわけもなく、彼女はいずれ膨らんでいくお腹に怯えながら、死刑囚のような毎日を送っていた。

 わたしは橘佳織と面識がないからなんとも言えないけれど、それは自業自得なのか。……いや、黄路美沙夜の口振りからして橘佳織は校則を破るような娘ではなさそうだ。

 なら―――――

「寮内で襲われたってコトでしょうね。……相手は葉山かな、やっぱり」

 それなら、なんとなく辻褄《つじつま》は合う。

 橘佳織と性交して彼女を妊娠させてしまった葉山英雄は、妊娠三ヵ月になった佳織という証拠を消すために寮に火を放った、とか。

 ……あんまりにも大雑把な考えだけど、話の本筋はだいたいそんなモノかな、とわたしは一人で頷いてみたりした。

 けど、ひとつ引っ掛かる部分がある。

 橘佳織の相談をうけたシスターはストレスのせいだ、と言った。それが意味のない説得とは思えない。シスター達は、橘佳織がストレスを抱くような環境にあると知っていたのではないか。

 それも教師である彼女達にも感じられて、かつ、口出しできないストレス。

 一年四組の生徒たちがそろって隠している何か。

「―――いじめ、かな」

 呟いてみて、なんとなく近い気がした。

 もともと一年四組の生徒は高校から入学してきた生徒ばかりだという。生粋のクリスチャンである橘佳織とは合わない所もあったのだろう。けど、四組の委員長は紺野文緒だ。あのさっぱりした性格の彼女が、そんなつまらない事を傍観しているとは思えない。

 橘佳織がクラスから迫害をうけるとしたら、それ相応の理由が必要のはずだ。

 たとえば、そう。

「クラスに、妊娠している事が知られたか」

 これなら話は符合する。

 妊娠するような行為をした橘佳織を迫害する四組の生徒達。理由が理由なだけにシスターにも相談できない佳織と、やっぱり自業自得と傍観する紺野文緒。

 その結果、自殺してしまった佳織に負い目があって、クラス共通の秘密として彼女達は事実を黙っている――

「でも―――それじゃあ話が合わないよね」

 ひとり頷いてみたけど、どこが合わないのかわたしはてんで見当がつかなかった。

 断片的な情報と直感だけで話を構成するのは簡単だけど、それを真実として断定するに足る根拠を捜し当てる作業は苦手だ。

 こういうのは、とにかく幹也が抜群に向いている。

 しいていうならわたしは突飛な発想でトリックを言いあてる探偵で、幹也は堅実な捜査で確実に犯人を逮捕する刑事だと思う。

 わたしは、よくある探偵小説で頭の硬い刑事たちを嘲笑《あざわら》って鮮やかに犯人を言いあてる探偵というヤツが大嫌いだ。

 所詮《しょせん》推測にしかすぎない事をただ〝可能だから?という理由だけで推理と称して、常人を超越した頭の良さをみせつけて犯人を言いあてる。

 当たり前の捜査しか出来ずに犯人を捕まえられない刑事達を無能だ、と探偵は言う。でも、無能なのは探偵のほうだとわたしは思う。

 刑事の作業とは、砂漠の中から一粒の宝石を見付ける事に等しい。彼らはその苦しい作業をやり通して、万人が納得できるように過去という不確定な出来事をカタチにするんだ。なのに探偵は見てきたような口振りで自分一人だけの空想を口にして、犯人を特定する。砂漠の中から宝石を見付けるという努力を放棄して、自分だけの範囲で物事を納得させる。

 ありとあらゆる状況を想定して、その全てを平等に評価しながら一つの解答を練りだしていく凡人と。

 閃光のような発想を真実として、それだけが正しい物と決め付けて解答をだす天才。

 たしかに、真実の多くは探偵にしか辿り着けない発想にあるだろう。けれど発想が貧困なのは、前者ではないと思う。観念に囚われているのは後者のほうなのだから。

 天才というものは、結局、自分だけしか相手にできない。

 だから彼らは孤独と言われる。……そう、ずっと孤独。

「あれ、論点がズレちゃってる」

 自分でも呆れて、わたしは椅子の背もたれに背中をあずけた。

 行き詰まったのかな、と内心でため息をついて時計を見る。

 時刻は正午になろうとしていた。

 窓の外の天気は曇ったままだ。

 いずれ雨でも降るのだろうか、と思ったとき、部屋の扉がノックされた。

「黒桐さん、おられますか?」

 聞き慣れたシスターの声。

「はい。在室していますが、何でしょう?」

 答えながら扉を開ける。ノックの相手はやっぱりシスターで、彼女はわたしに電話が掛かっていると告げた。

 それが幹也からのものと即座に思い当たって、わたしは足早にロビーへと向かった。

 閑散としたロビーまで歩いて、わたしは受話器を手に取った。

「もしもし、式?」

 幼いころから聞き馴染んだ男性の声がしてくる。

 電話の相手はやっぱり黒桐幹也だった。

「式はまだ睡眠中です。わざわざ礼園にまで電話をかけてくるなんて、恋人思いなんですね、兄さんって」

 あえてわたしは冷たい声で言っていた。

 電話の向こうの幹也は、う、と言葉を呑み込んでいる。

「別にそういうワケで電話したんじゃないぞ。事件のなりゆきが心配だから連絡してるんだ」

「そんなのは余計な心配です。わたし、以前に言いましたよね。兄さんにはこういった類の出来事に関わってほしくないって」

「そりゃあ、こっちだって関わりたくはないよ。でも仕方ないだろう。おまえや式が首をつっこむから、無視するわけにもいかないんだ」

 わたしとしては無視してもらっておおいに結構なんだけど、なんとなく今の言葉はジーンときたので文句を言うめは止めておいた。

 ……我ながら幻滅する。わたしって、半端なところで現金なんだ。

「それで用件はなに? 式宛て、それとも私宛てですか?」

「依頼は式からだけど、報告するのなら鮮花のほうが適任かな。葉山英雄と玄霧皐月について調べた結果だけど、聞く?」

 え、とわたしは言葉を呑み込んだ。

 幹也から橘佳織について調べなさい、という指示があったのは聞いていたけど、式のほうからもそんな調べ事を任していたなんて聞いていない。

 ほんと、式の考えなしの行動にはカチンとくる。

「―――へえ、式がそんな事を頼んでいたんですか。兄さんには危険な真似はさせるなってあれほど言ってるのに、懲りてないみたいですね。きっと、あの人は兄さんの身の心配なんてしてないんです。だからそんな危なかしい調査を押しつける。兄さんも、いい加減あんな女とは手を切るべきです」

 憮然としたわたしの台詞も、幹也には通用しなかったみたいだ。

 彼はあはは、なんて笑って答えてくる。

「そうだね。式の心配の仕方は、みんなよりかなり曲がってるからね」

 ……まったく、なにが楽しいのか電話の声は嬉しそうだ。

 わたしはあたまにきて、幹也が調べたという葉山英雄の情報を催促した。受話器の向こうでぱらり、とファイルのぺージをめくる音がする。どうもかなりの量があるらしく、資料をファイル形式にまとめてあるのだろう。

 ……と、いう事はそこいらの公衆電話や携帯電話からかけてきているのではなさそうだ。

「あれ?兄さん、今どこにいるんですか?」

「会社の事務所。橙子さんは秋巳《あきみ 》刑事とお出かけ中」

 むっとした声で幹也は言う。

 わたしも、その事実には少しばかり動揺した。

「秋巳刑事って―――その、大輔《だいすけ》さんの事!?」

 ああ、と拗ねたふうな趣で幹也は頷いた。

 秋巳大輔《あきみ だいすけ》というのは、わたしの父の弟で警視庁の刑事をしている人物だ。父の弟の中では末っ子で、わたし達にとっては兄のような存在と言える。とりわけ大輔さんは幹也がお気にいりで、このふたりに関しては本当に兄弟なんじゃないかって思うぐらいに仲がいい。

「なんでもさ、橙子さんの知り合いの刑事って大輔兄さんのコトなんだって。正月に大輔兄さんに会社の所長のコトを話したら、そりゃあ蒼崎橙子じゃねえか、なんて叫んでさ。それで、今日は弟をダシにして橙子さんとデートってわけ。黒桐の義兄の誘いは断れまい、なんていって出かける所長も所長」

 何が気に食わないのか、とにかく幹也は不満そうに独り言を繰り返す。

 ……橙子師の情報源の一人がうちの大輔さんだったっていうのは、まあ有り得る話だと思う。大輔さんは捜査一課でもアウトローな人だから、橙子師みたいな人と情報交換をしていてもおかしくはない。

「いいや、話を戻すよ。それで葉山英雄についてだけど、鮮花はどのくらい知ってるんだ?」

 幹也の声には、こちらの心情を探る気配が感じられた。

 ……そういった表に出ない心遣いをよく知っているわたしは、彼が何を危倶しているか瞬時に理解できた。

「大丈夫、心配は無用です。わたし、大抵の事には驚きません。葉山英雄っていう教諭がどんな人間だったかは知っているつもりですから」

 そうか、と受話器の向こうで呟く声がした。

 幹也は少しためらってから、じゃあ、と断って話をはじめる。

「―――率直に言うとね、葉山英雄は礼園の生徒たちに援助交際をさせていたみたいだ。彼の担任していたクラスの生徒を外に連れ出して、そういう事をさせていたらしい」

「――――え?」

 あまりに突拍子もない言葉に、わたしはそんなリアクションしかとれなかった。

 幹也はわたしの動揺をあえて無視して、一気に真実を報告してくる。

「実際に何をさせていたかは判らない。ただ、礼園の生徒っていう希少価値を活かすぐらいだから、あまり込み入った事はさせていなかっただろう。値をあげるなら、出し惜しみをするものだからね。生徒を外に連れ出すのも週に二回ほどで、数人しか連れ出さなかったらしい。大胆なのか慎重なのかどっちともつかない事だけど、葉山英雄はうまくやっていたんだろう。

 もともと彼は繁華街では有名でね、派手な遊び人を気取っていたっていう話だ。その遊びも日に日に度を超えてきて、多額の借金を負ってる。そっち系統の飲み屋には大抵スポンサーがついていて、まあ、ようするに暴力団って言われる人達なんだけど、葉山はそういう連中に借金をしていた事になる。返済を迫られ、進退窮まった葉山英雄は疎遠にしていた兄を頼って礼園に教師として採用された。

 真面目に働いて借金を返す、という名目で兄を説得したんだろうけど、どうも葉山英雄は初めから礼園の生徒を連れ出して遊ばせるのが目的だったみたいだ。

 ……解るだろ。礼園の生徒っていうのは、名門女子校って事以外にも価値はあるんだ。大抵が資産家の一人娘だからさ、葉山英雄をせっついていた連中も何かと役にたつと考えたんだ。それとも、初めから目的である生徒は一人だけだったのかもしれない。そのあたりはまだ不明だけど、とにかく葉山も暴力団も味をしめてしまって、九月ごろまでには一年四組の生徒のほぼ全員が外に連れ出されている。

 とりあえず、大まかな本筋はこんなところ」

 そうして、幹也は葉山が連れ出していった生徒達の名前やその順番、日付、帰宅時間まで一つ一つ報告してくれた。

 もちろん、葉山が関わっていた暴力団の事も細部まできちんと調べてある。

「証拠にならないのが、悔しいけどね」

 と、幹也は弱々しくぽやいていた。たしかに幹也が調べあげた資料だけでは警察は動いてくれないし、もしかすると生徒の両親達が止めてしまうかもしれない。

 こんなの、橘佳織の妊娠どころのスキャンダルじゃない。この学園そのものが無くなりかねない大事件だ。

「―――ごめんな、鮮花」

 葉山に関する情報を全て話し終わって、幹也はぽつりとそんな事を言った。

 あまりの事実に混乱していたわたしは、それでもうん、と一度だけ深く頷いた。

 でも、これで話は全てつながった。

 一年四組全体が隠していた秘密というのは橘佳織の自殺の事なんかじゃなくて、この交際グループの事だったんだ。

 彼女達は、はじめは葉山英雄に何らかの脅迫をうけて外に連れ出されたのかもしれない。けど、それが半年間も秘密を守って続けられたのは葉山だけの力じゃない。

 幹也の話では、無理遣りに連れてこられた生徒が大半だったらしいけど、中には自分から進んで外に出る娘もいたそうだ。

 彼女達は、自分の保身の為と、自分の娯楽のためにこぞって秘密を守って、葉山英雄の言いなりになっていた。

 もとより中学まで普通の生活をしていた者達に、ここの禁欲的な生活はそうそう耐えられない。彼女達にとって、葉山の脅迫はそれこそ蛇の誘惑だったのだと思う。

 悪いのは葉山英雄だと言えば、彼女達自身に負い目はない。だからこそ半年間も秘密が守られた。

 ……でも、彼女達が悪いとは言い切れないのも事実だ。

 大元の原因は、この学園にある。

 周囲を壁でかこって、病的なまでに外界と遮断した違う世界。風も吹かず、外の音さえ聞こえない。ゆったりと流れる空気は、たしかに俗世の不浄から隔離されている証拠だ。

 けれど――ここには空気の出口すらない。

 流れない空気は淀《よど》んで、沈澱《ちんでん》する。ここは外界から遮断された異界なんかじゃない。異界を作るのに壁を用意してはいけないんだ。壁に覆われた世界は異世界なんかじゃなくて、ただの檻《おり》にすぎないのだから―――。

「じゃあ、橘佳織は? なんで兄さんはその子の名前を知っていて、成績を調べろなんて言い出したんですか」

 わたしは最後の疑問を口にする。

「ああ、十一月に焼死した子だね。あの頃、鮮花は寮が燃えたとかで少しだけ橙子さんの事務所にいたろ。その時に、ちょっとね。仕事以外の調べ物をしている時に、ついでだから調べておいたんだ。大輔兄さんに無理いって焼死した子の鑑識結果を見せてもらってさ。

 橘佳織の死因は、どうも曖昧なんだよ。焼死だったかもしれないし、その前にすでに死んでいたかもしれない。彼女の検死結果は薬物による中毒死か火事による焼死かは判らずじまい。けど、おかしな記録が残ってた。彼女は妊娠していた可能性があるらしい。遺体は焼かれてしまったから結局真偽ははっきりしないままだけど。

 ああ、かといって誰かが火事に紛れて彼女を殺した、なんて事はないと思う。死因が焼死にしろ薬物による中毒死にしろ、橘佳織が他殺された可能性は極めて低いんだ。

 彼女はね、クラスの中では最後に外に連れ出されている。その事から彼女が最後まで葉山英雄に抵抗したのは明白だ。本人が望まない結果として性行為をさせられ、かつ妊娠してしまったとしたら、それはどうしようもない自身の穢《けが》れだ。十六歳の女の子が、周りになんの助けもない状況で耐えられる事じゃない。

 ……これは憶測にすぎないけど。だから火事の時、寮生が全て逃げ出せる状況だったのに彼女は部屋に閉じこもったんじゃないかな。死は、彼女自身の意志だったのかもしれない」

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