御前なる獅子?狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
*第二百三十七段
柳筥に据うる物は、縦様?横様、物によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して、結い附く。硯も、縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。
勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。
*第二百三十八段
御随身近友が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その例を思ひて、自賛の事七つあり。
一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて、落つべし。暫し見給へ」とて立ち止りたるに、また、馬を馳す。止むる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。その詞の誤らざる事を人皆感ず。
一、当代未だ坊におはしましし比、万里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿伺候し給ひし御曹子へ用ありて参りたりしに、論語の四?五?六の巻をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪ふことを悪む』と云ふ文を御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。『なほよく引き見よ』と仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の巻のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あな嬉し」とて、もて参らせ給ひき。かほどの事は、児どもも常の事なれど、昔の人はいさゝかの事をもいみじく自賛したるなり。御鳥羽院の、御歌に、「袖と袂と、一首の中に悪しかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事か候ふべき」と申されたる事も、「時に当りて本歌を覚悟す。道の冥加なり、高運なり」など、ことことしく記し置かれ侍るなり。九条相国伊通公の款状にも、殊なる事なき題目をも書き載せて、自賛せられたり。
一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型に模さんとせしに、奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」と云ふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。己れが高名なり」とて、筆者の許へ言ひ遣りたるに、「誤り侍りけり。数行と直さるべし」と返事侍りき。数行も如何なるべきにか。若し数歩の心か。おぼつかなし。
一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、横川の常行道の中、竜華院と書ける、古き額あり。「佐理?行成の間疑ひありて、未だ決せずと申し伝へたり」と、堂僧ことことしく申し侍りしを、「行成ならば、裏書あるべし。佐理ならば、裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積り、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍りしに、行成位署?名字?年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に入る。
一、那蘭陀寺にて、道眼聖談義せしに、八災と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化皆覚えざりしに、局の内より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見侍りしに、未だ果てぬ程に、僧正帰り出で侍りしに、陳の外まで僧都見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ様なる大衆多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。
一、二月十五日、月明き夜、うち更けて、千本の寺に詣でて、後より入りて、独り顔深く隠して聴聞し侍りしに、優なる女の、姿?匂ひ、人より殊なるが、分け入りて、膝に居かゝれば、匂ひなども移るばかりなれば、便あしと思ひて、摩り退きたるに、なほ居寄りて、同じ様なれば、立ちぬ。その後、ある御所様の古き女房の、そゞろごと言はれしついでに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉る事なんありし。情なしと恨み奉る人なんある」とのたまひ出したるに、「更にこそ心得侍れね」と申して止みぬ。この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より、人の御覧じ知りて、候ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、謀り給ひけるとぞ。
*第二百三十九段
八月十五日?九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。
*第二百四十段
しのぶの浦の蜑の見る目も所せく、くらぶの山も守る人繁からんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も多からめ、親?はらから許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの吾妻人なりとも、賑はゝしきにつきて、「誘う水あらば」など云ふを、仲人、何方も心にくき様に言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。何事をか打ち出づる言の葉にせん。年月のつらさをも、「分け来し葉山の」なども相語らはんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
すべて、余所の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多かるべし。よき女ならんにつけても、品下り、見にくゝ、年も長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心劣りせられ、我が身は、向ひゐたらんも、影恥かしく覚えなん。いとこそあいなからめ。
梅の花かうばしき夜の朧月に佇み、御垣が原の露分け出でん有明の空も、我が身様に偲ばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには如かじ。
*第二百四十一段
望月の円かなる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜の中にさまで変る様の見えぬにやあらん。病の重るも、住する隙なくして、死期既に近し。されども、未だ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念に習ひて、生の中に多くの事を成じて後、閑かに道を修せんと思ふ程に、病を受けて死門に臨む時、所願一事も成せず。言ふかひなくて、年月の懈怠を悔いて、この度、若し立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、この事、かの事、怠らず成じてんと願ひを起すらめど、やがて重りぬれば、我にもあらず取り乱して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。
所願を成じて後、暇ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて、所願皆妄想なり。所願心に来たらば、妄信迷乱すと知りて、一事をもなすべからず。直に万事を放下して道に向ふ時、障りなく、所作なくて、心身永く閑かなり。
*第二百四十二段
とこしなへに違順に使はるゝ事は、ひとへに苦楽のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。楽欲する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才芸との誉なり。二つには色欲、三つには味ひなり。万の願ひ、この三つには如かず。これ、顛倒の想より起りて、若干の煩ひあり。求めざらんにには如かじ。
*第二百四十三段
八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。
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