饭饭TXT > 海外名作 > 《ノルウェイの森/挪威的森林(日文版)》作者:[日]村上春树【完结】 > 挪威的森林 (日文版).txt

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作者:日-村上春树 当前章节:15466 字 更新时间:2026-6-15 22:18

「だから僕としてもハツミさんに幸せになってもらいたいんです」と僕はちょっと赤くなって言った。「でも不思議ですね。あなたみたいな人なら誰とだって幸せになれそうに見えるのに、どうしてまたよりによって永沢さんみたいな人とくっついちゃうんだろう?」

「そういうのってたぶんどうしようもないことなのよ。自分ではどうしようもないことなのよ。永沢君に言わせれば、そんなこと君の責任だ。俺は知らんってことになるでしょうけれどね」

「そういうでしょうね」と僕は同意した。

「でもね、ワタナベ君、私はそんなに頭の良い女じゃないのよ。私はどっちかっていうと馬鹿で古風な女なの。システムとか責任とか、そんなことどうだっていいの。結婚して、好きな人に毎晩抱かれて、子供を産めばそれでいいのよ。それだけなの。私が求めているのはそれだけなのよ」

「彼が求めているのはそれとは全然別のものですよ」

「でも人は変るわ。そうでしょう?」とハツミさんは言った。

「社会に出て世間の荒波に打たれ、挫折し、大人になり……ということ?」

「そう。それに長く私と離れることによって、私に対する感情も変ってくるかもしれないでしょう?」

「それは普通の人間の話です」と僕は言った。「普通の人間だったらそういうのもあるでしょうね。でもあの人は別です。あの人は我々の想像を越えて意志の強い人だし、その上毎日毎日それを補強してるんです。そして何かに打たれればもっと強くなろうとする人なんです。他人にうしろを見せるくらいならナメクジだって食べちゃうような人です。そんな人間にあなたはいったい何を期待するんですか?」

「でもね、ワタナベ君。今の私には待つしかないのよ」とハツミさんはテーブルに頬杖をついて言った。

「そんなに永沢さんのこと好きなんですか?」

「好きよ」と彼女は即座に答えた。

「やれやれ」と僕は言ってため息をつき、ビールの残りを飲み干した。「それくらい確信を持って誰かを愛するというのはきっと素晴らしいことなんでしょうね」

「私はただ馬鹿で古風なのよ」とハツミさんは言った。「ビールもっと飲む?」

「いや、もう結構です。そろそろ帰ります。包帯とビールをどうもありがとう」

僕が立ち上がって戸口で靴をはいていると、電話のベルが鳴りはじめた。ハツミさんは僕を見て電話を見て、それからまた僕を見た。「おやすみなさい」と言って僕はドアを開けて外に出た。ドアをそっと閉めるときにハツミさんが受話器をとっている姿がちらりと見えた。それが僕の見た彼女の最後の姿だった。

寮に戻ったのは十一時半だった。僕はそのまますぐ永沢さんの部屋に行ってドアをノックした。そして十回くらいノックしてから今日は土曜日の夜だったことを思いだした。土曜日の夜は永沢さんは親戚の家に泊まるという名目で毎週外泊許可をとっているのだ。

僕は部屋に戻ってネクタイを外し、上着とズボンをハンガーにかけてパジャマに着がえ、歯を磨いた。そしてやれやれ明日はまた日曜日かと思った。まるで四日に一回くらいのペースで日曜日がやってきているような気がした。そしてあと二回土曜日が来たら僕は二十歳になる。僕はベッドに寝転んで壁にかかったカレンダーを眺め、暗い気持になった。

日曜日の朝、僕はいつものように机に向って直子への手紙を書いた。大きなカップでコーヒーを飲み、マイルス?ディヴィスの古いレコードを聴きながら、長い手紙を書いた。窓の外には細い雨が降っていて、部屋の中は水族館みたいにひやりとしていた。衣裳箱から出してきたばかりの厚手のセーターには防虫剤の匂いが残っていた。窓ガラスの上の方にはむくむくと太った蠅が一匹とまったまま身動きひとつしなかった。日の丸の旗は風がないせいで元老院議員のトーガの裾みたいにくしゃっとボールに絡みついたままびくりとも動かなかった。どこかから中庭に入りこんできた気弱そうな顔つきのやせた茶色い犬が、花壇の花を片端からくんくんと嗅ぎまわっていた。いったい何の目的で雨の日に犬が花の匂いを嗅いでまわらねばならないのか、僕にはさっぱりわからなかった。

僕は机に向って手紙を書き、ペンを持った右手の傷が痛んでくるとそんな雨の中庭の風景をぼんやりと眺めた。

僕はまずレコード店で働いているときに手のひらを深く切ってしまったことを書き、土曜日の夜に、永沢さんとハツミさんと僕の三人で永沢さんの外交官試験合格の祝いのようなことをやったと書いた。そして僕はそこがどんな店で、どんな料理が出たかというのを説明した。料理はなかなかのものだったが、途中で雰囲気がいささかややこしいものになって云々と僕は書いた。

僕はハツミさんとビリヤード場に行ったことに関連してキズキのことを書こうかどうか少し迷ったが、結局書くことにした。書くべきだという気がしたからだ。

「僕はあの日――キズキが死んだ日――彼が最後に撞いたボールのことをはっきりと覚えています。それはずいぶんむずかしいクッションを必要とするボールで、僕はまさかそんなものがうまく行くと思わなかった。でも、たぶん何かの偶然によるものだとは思うのだけれど、そのショットは百パーセントぴったりと決まって、緑のフェルトの上で白いボールと赤いボールが音もたてないくらいそっとぶつかりあって、それが結局最終得点になったわけです。今でもありありと思い出せるくらい美しく印象的なショットでした。そしてそれ以来二年近く僕はビリヤードというものをやりませんでした。

でもハツミさんとビリヤードをやったその夜、僕は最初の一ゲームが終るまでキズキのことを思い出しもしなかったし、そのことは僕としては少なからざるショックでした。というのはキズキが死んだあとずっと、これからはビリヤードをやるたびに彼を思い出すことになるだろうなという風に考えていたからです。でも僕は一ゲーム終えて店内の自動販売機でペプシコーラを買って飲むまで、キズキのことを思い出しもしませんでした。どうしてそこでキズキのことを思い出したかというと、僕と彼がよく通ったビリヤード屋にもやはりペプシの販売機があって、僕らはよくその代金を賭けてゲームをしたからです。

キズキのことを思い出さなかったことで、僕は彼に対してなんだか悪いことをしたような気になりました。そのときはまるで自分が彼のことを見捨ててしまったように感じられたのです。でもその夜部屋に戻って、こんな風に考えました。あれからもう二年半だったんだ。そしてあいつはまだ十七歳のままなんだ、と。でもそれは僕の中で彼の記憶が薄れたということを意味しているのではありません。彼の死がもたらしたものはまだ鮮明に僕の中に残っているし、その中のあるものはその当時よりかえって鮮明になっているくらいです。僕が言いたいのはこういうことです。僕はもうすぐ二十歳だし、僕とキズキが十六か十七の年に共有したもののある部分は既に消滅しちゃったし、それはどのように嘆いたところで二度と戻っては来ないのだ、ということです。僕はそれ以上うまく説明できないけれど、君なら僕の感じたこと、言わんとすることをうまく理解してくれるのではないかと思います。そしてこういうことを理解してくれるのはたぶん君の他にはいないだろうという気がします。

僕はこれまで以上に君のことをよく考えています。今日は雨が降っています。雨の日曜日は僕を少し混乱させます。雨が降ると洗濯できないし、したがってアイロンがけもできないからです。散歩もできなし、屋上に寝転んでいることもできません。机の前に座って『カインド?オブ?ブルー』をオートリピートで何度も聴きながら雨の中庭の風景をぼんやりと眺めているくらいしかやることがないのです。前にも書いたように僕は日曜日にはねじを巻かないのです。そのせいで手紙がひどく長くなってしまいました。もうやめます。そして食堂に行って昼ごはんを食べます。さようなら」

翌日の月曜日の講義にも緑は現れなかった。いったいどうしちゃったんだろうと僕は思った。最後に電話で話してからもう十日経っていた。家に電話をかけてみようかとも思ったが、自分の方から連絡するからと彼女が言っていたことを思い出してやめた。

その週の木曜日に、僕は永沢さんと食堂で顔をあわせた。彼は食事をのせた盆を持って僕のとなりに座り、このあいだいろいろ済まなかったなと謝まった。

「いいですよ。こちらこそごちそうになっちゃったし」と僕は言った。「まあ奇妙といえば奇妙な就職決定祝いでしたけど」

「まったくな」と彼は言った。

そして我々はしばらく黙って食事をつづけた。

「ハツミとは仲なおりしたよ」と彼は言った。

「まあそうでしょうね」と僕は言った。

「お前にもけっこうきついことを言ったような気がするんだけど」

「どうしたんですか、反省するなんて?体の具合がわるいんじゃないですか?」

「そうかもしれないな」と彼は言ってニ、三度小さく肯いた。「ところでお前、ハツミに俺と別れろって忠告したんだって?」

「あたり前でしょう」

「そうだな、まあ」

「あの人良い人ですよ」と僕は味噌汁を飲みながら言った。

「知ってるよ」と永沢さんはため息をついて言った。「俺にはいささか良すぎる」

電話かかかっていることを知らせるブザーが鳴ったとき、僕は死んだようにぐっすり眠っていた。僕はそのとき本当に眠りの中枢に達していたのだ。だから僕には何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。眠っているあいだに頭の中が水びたしになって脳がふやけてしまったような気分だった。時計を見ると六時十五分だったが、それが午前か午後かわからなかった。何日の何曜日なのかも思い出せなかった。窓の外を見ると中庭のボールには旗は上っていなかった。それでたぶんこれは夕方の六時十五分なのだろうと僕は見当をつけた。国旗掲揚もなかなか役に立つものだ。

「ねえワタナベ君、今は暇?」と緑が訊いた。

「今日は何曜日だったかな?」

「金曜日」

「今は夕方だっけ?」

「あたり前でしょう。変な人ね。午後の、ん―と、六時十八分」

やはり夕方だったんだ、と僕は思った。そうだ、ベッドに寝転んで本を読んでいるうちにぐっすり眠りこんでしまったんだ。金曜日――と僕は頭を働かせた。金曜日の夜にはアルバイトはない。「暇だよ。今どこにいるの?」

「上野駅。今から新宿に出るから待ちあわせない?」

我々は場所とだいたいの時刻を打ち合わせ、電話を切った。

DUGに着いたとき、緑は既にカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた。彼女は男もののくしゃっとした白いステン?カラー?コートの下に黄色い薄いセーターを着て、ブルージーンズをはいていた。そして手首にはブレスレットを二本つけていた。

「何飲んでるの?」と僕は訊いた。

「トム?コリンズ」と緑は言った。

僕はウィスキー?ソーダを注文してから、足もとに大きな革鞄が置いてあることに気づいた。

「旅行に行ってたのよ。ついさっき戻ってきたところ」と彼女は言った。

「どこに行ったの?」

「奈良と青森」

「一度に?」と僕はびっくりして訊いた。

「まさか。いくら私が変ってるといっても奈良と青森に一度にいったりはしないわよ。べつべつに行ったのよ。二回にわけて。奈良には彼と行って、青森は一人でぶらっと行ってきたの」

僕はウィスキー?ソーダをひとくち飲み、緑のくわえたマルボロにマッチで火をつけてやった。「いろいろと大変だった?お葬式とか、そういうの」

「お葬式なんて楽なものよ。私たち馴れてるの。黒い着物着て神妙な顔して座ってれば、まわりの人がみんなで適当に事を進めてくれるの。親戚のおじさんとか近所の人とかね。勝手にお酒買ってきたり、おすし取ったり、慰めてくれたり、泣いたり、騒いだり、好きに形見わけしたり、気楽なものよ。あんなのピクニックと同じよ。来る日も来る日も看病にあけくれてたのに比べたら、ピクニックよ、もう。ぐったり疲れて涙も出やしないもの、お姉さんも私も。気が抜けて涙も出やしないのよ、本当に。でもそうするとね、まわりの人たちはあそこの娘たちは冷たい、涙も見せないってかげぐちきくの。私たちだから意地でも泣かないの。嘘泣きしようと思えばできるんだけど、絶対にやんないもの。しゃくだから。みんなが私たちの泣くことを期待してるから、余計に泣いてなんかやらないの。私とお姉さんはそういうところすごく気が合うの。性格はずいぶん違うけれど」

緑はブレスレットをじゃらじゃらと鳴らしてウェイターを呼び、トム?コリンズのおかわりとピスタチオの皿を頼んだ。

「お葬式が終ってみんな帰っちゃってから、私たち二人で明け方まで日本酒を飲んだの、一升五合くらい。そしてまわりの連中の悪口をかたっぱしから言ったの。あいつはアホだ、クソだ、疥癬病みの犬だ、豚だ、偽善者だ、盗っ人だって、そういうのずうっと言ってたのよ。すうっとしたわね」

「だろうね」

「そして酔払って布団に入ってぐっすり眠ったの。すごくよく寝たわねえ。途中で電話なんかかかってきても全然無視しちゃってね、ぐうぐう寝ちゃったわよ。目がさめて、二人でおすしとって食べて、それで相談して決めたのよ。しばらく店を閉めてお互い好きなことしようって。これまで二人でずいぶん頑張ってやってきたんだもの、それくらいやったっていいじゃない。お姉さんは彼と二人でのんびりするし、私も彼と二泊旅行くらいしてやりまくろうと思ったの」緑はそう言ってから少し口をつぐんで、耳のあたりをぼりぼりと掻いた。「ごめんなさい。言葉わるくて」

「いいよ。それで奈良に行ったんだ」

「そう。奈良って昔から好きなの」

「それでやりまくったの?」

「一度もやらなかった」と彼女は言ってため息をついた。「ホテルに着いて鞄をよっこらしょと置いたとたんに生理が始まっちゃったの、どっと」

僕は思わず笑ってしまった。

「笑いごとじゃないわよ、あなた。予定より一週間早いのよ。泣けちゃうわよ、まったく。たぶんいろいろと緊張したんで、それで狂っちゃったのね。彼の方はぶんぶん怒っちゃうし。わりに怒っちゃう人なのよ、すぐ。でも仕方ないじゃない、私だってなりたくてなったわけじゃないし。それにね、私けっこう重い方なのよ、あれ。はじめの二日くらいは何もする気なくなっちゃうの。だからそういうとき私と会わないで」

「そうしたいけれど、どうすればわかるかな?」と僕は訊いた。

「じゃあ私、生理が始まったらニ、三日赤い帽子かぶるわよ。それでかわるんじゃない?」と緑は笑って言った。「私が赤い帽子をかぶってたら、道で会っても声をかけずにさっさと逃げればいいのよ」

「いっそ世の中の女の人がみんなそうしてくれればいいのに」と僕は言った。「それで奈良で何してたの?」

「仕方ないから鹿と遊んだり、そのへん散歩して帰ってきたわ。散々よ、もう。彼とは喧嘩してそれっきり会ってないし。まあそれで東京に戻ってきてニ、三日ぶらぶらして、それから今度は一人で気楽に旅行しようと思って青森に行ったの。弘前に友だちがいて、そこでニ日ほど泊めてもらって、そのあと下北とか竜飛とかまわったの。いいところよ、すごく。私あのへんの地図の解説書書いたことあるのよ、一度。あなた行ったことある?」

ない、と僕は言った。

「それでね」と言ってから緑はトム?コリンズをすすり、ピスタチオの殻をむいた。「一人で旅行しているときずっとワタナベ君のことを思いだしていたの。そして今あなたがとなりにいるといいなあって思ってたの」

「どうして?」

「どうして?」と言って緑は虚無をのぞきこむような目で僕を見た。「どうしてって、どういうことよ、それ?」

「つまり、どうして僕のことを思いだすかってことだよ」

「あなたのこと好きだからに決まっているでしょうが。他にどんな理由があるっていうのよ?いったいどこの誰が好きでもない相手と一緒いたいと思うのよ?」

「だって君には恋人がいるし、僕のこと考える必要なんてないじゃないか?」と僕はウィスキー?ソーダをゆっくり飲みながら言った。

「恋人がいたらあなたのことを考えちゃいけないわけ?」

「いや、べつにそういう意味じゃなくて――」

「あのね、ワタナベ君」と緑は言って人さし指を僕の方に向けた。「警告しておくけど、今私の中にはね、一ヶ月ぶんくらいの何やかやが絡みあって貯ってもやもやしてるのよ。すごおく。だからそれ以上ひどいことを言わないで。でないと私ここでおいおい泣きだしちゃうし、一度泣きだすと一晩泣いちゃうわよ。それでもいいの?私はね、あたりかまわず獣のように泣くわよ。本当よ」

僕は肯いて、それ以上何も言わなかった。ウィスキー?ソーダの二杯目を注文し、ピスタチオを食べた。シェーカが振られたり、グラスが触れ合ったり、製氷機の氷をすくうゴソゴソという音がしたりするうしろでサラ?ヴォーンが古いラブ?ソングを唄っていた。

「だいたいタンポン事件以来、私と彼の仲はいささか険悪だったの」と緑は言った。

「タンポン事件?」

「うん、一ヶ月くらい前、私と彼と彼の友だちの五、六人くらいでお酒飲んでてね、私、うちの近所のおばさんがくしゃみしたとたんにスポッとタンポンが抜けた話をしたの。おかしいでしょう?」

「おかしい」と僕は笑って同意した。

「みんなにも受けたのよ、すごく。でも彼は怒っちゃったの。そんな下品な話をするなって。それで何かこうしらけちゃって」

「ふむ」と僕は言った。

「良い人なんだけど、そういうところ偏狭なの」と緑は言った。「たとえば私が白以外の下着をつけると怒ったりね。偏狭だと思わない、そういうの?」

「うーん、でもそういうのは好みの問題だから」と僕は言った。僕としてはそういう人物が緑を好きになったこと自体が驚きだったが、それは口に出さないことにした。

「あなたの方は何してたの?」

「何もないよ。ずっと同じだよ」それから僕は約束どおり緑のことを考えてマスターペーションしてみたことを思いだした。僕はまわりに聞こえないように小声で緑にそのことを話した。

緑は顔を輝かせて指をぱちんと鳴らした。「どうだった?上手く行った?」

「途中でなんだか恥ずかしくなってやめちゃったよ」

「立たなくなっちゃったの?」

「まあね」

「駄目ねえ」と緑は横目で僕を見ながら言った。「恥ずかしがったりしちゃ駄目よ。すごくいやらしいこと考えていいから。ね、私がいいって言うからいいんじゃない。そうだ、今度電話で言ってあげるわよ。ああ……そこいい……すごく感じる……駄目、私、いっちゃう……ああ、そんなことしちゃいやっ……とかそういうの。それを聞きながらあなたがやるの」

「寮の電話は玄関わきのロビーにあってね、みんなそこの前を通って出入りするだよ」と僕は説明した。「そんなところでマスターペーションしてたら寮長に叩き殺されるね、まず間違いなく」

「そうか、それは弱ったわね」

「弱ることないよ。そのうちにまた一人でなんとかやってみるから」

「頑張ってね」

「うん」

「私ってあまりセクシーじゃないのかな、存在そのものが?」

「いや、そういう問題じゃないんだ」と僕は言った。「なんていうかな、立場の問題なんだよね」

「私ね、背中がすごく感じるの。指ですうっと撫でられると」

「気をつけるよ」

「ねえ、今からいやらしい映画観に行かない?ばりばりのいやらしいSM」と緑は言った。

僕と緑は鰻屋に入って鰻を食べ、それから新宿でも有数のうらさびれた映画館に入って、成人映画三本立てを見た。新聞を買って調べるとそこでしかSMものをやっていなかったからだ。わけのわからない臭いのする映画館だった。うまい具合に我々が映画館に入ったときにそのSMものが始まった。OLのお姉さんと高校生の妹が何人かの男たちにつかまってどこかに監禁され、サディスティックにいたぶられる話だった。男たちは妹をレイプするぞと脅してお姉さんに散々ひどいことをさせるのだが、そうこうするうちにお姉さんは完全なマゾになり、妹の方はそういうのを目の前で逐一見せられているうちに頭がおかしくなってしまうという筋だった。雰囲気がやたら屈折して暗い上に同じようなことばかりやっているので、僕は途中でいささか退屈してしまった。

「私が妹だったらあれくらいで気が狂ったりしないわね。もっとじっと見てる」と緑は僕に言った。

「だろうね」と僕は言った。

「でもあの妹の方だけど、処女の高校生にしちゃオッパイが黒ずんでると思わない?」

「たしかに」

彼女はすごく熱心に、食いいるようにその映画を見ていた。これくらい一所懸命見るなら入場料のぶんくらいは十分もとがとれるなあと僕は感心した。そして緑は何か思いつくたびに僕にそれを報告した。

「ねえねえ、凄い、あんなことやっちゃうんだ」とか、「ひどいわ。三人も一度にやられたりしたら壊れちゃうわよ」とか、「ねえワタナベ君。私、ああいうの誰かにちょっとやってみたい」とか、そんなことだ。僕は映画を見ているより、彼女を見ている方がずっと面白かった。

休憩時間に明るくなった場内を見まわしてみたが、緑の他には女の客はいないようだった。近くに座っていた学生風の若い男は緑の顔を見て、ずっと遠くの席に移ってしまった。

「ねえワタナベ君?」と緑が訊ねた。「こういうの見てると立っちゃう?」

「まあ、そりゃときどきね」と僕は言った。「この映画って、そういう目的のために作られているわけだから」

「それでそういうシーンが来ると、ここにいる人たちのあれがみんなピンと立っちゃうわけでしょ?三十本か四十本、一斉にピンと?そういうのって考えるとちょっと不思議な気しない?」

そう言われればそうだな、と僕は言った。

二本目のはわりにまともな映画だったが、まともなぶん一本目よりもっと退屈だった。やたら口唇性愛の多い映画で、フェラチオやクンニリングスやシックスティー?ナインをやるたびにぺちゃぺちゃとかくちゃくちゃとかいう擬音が大きな音で館内に響きわたった。そういう音を聞いていると、僕は自分がこの奇妙な惑星の上で生を送っていることに対して何かしら不思議な感動を覚えた。

「誰がああいう音を思いつくんだろうね」と僕は緑に言った。

「あの音大好きよ、私」

ペニスがヴァギナに入って往復する音というのもあった。そんな音があるなんて僕はそれまで気づきもしなかった。男がはあはあと息をし、女があえぎ、「いいわ」とか「もっと」とか、そういうわりにありふれた言葉を口にした。ベッドがきしむ音も聞こえた。そういうシーンがけっこう延々とつづいた。緑は最初のうち面白がって見ていたが、そのうちにさすがに飽きたらしく、もう出ようと言った。僕らは立ち上がって外に出て深呼吸した。新宿の町の空気がすがすがしく感じられたのはそれが初めてだった。

「楽しかった」と緑は言った。「また今度行きましょうね」

「何度見たって同じようなことしかやらないよ」と僕は言った。

「仕方なしでしょ、私たちだってずっと同じようなことやってるんだもの」

そう言われて見ればたしかにそのとおりだった。

それから僕らはまたどこかのバーに入ってお酒を飲んだ。僕はウィスキーを飲み、緑はわけのわからないカクテルを三、四杯飲んだ。店を出ると木のぼりしたいと緑が言いだした。

「このへんに木なんてないよ。それにそんなふらふらしてちゃ木になんてのぼれないよ」と僕は言った。

「あなたっていつも分別くさいこと言って人を落ちこませるのね。酔払いたいから酔払ってるのよ。それでいいんじゃない。酔払ったって木のぼりくらいできるわよ。ふん。高い高い木の上にのぼっててっぺんから蝉みたいにおしっこしてみんなにひっかけてやるの」

「ひょっとして君、トイレに行きたいの?」

「そう」

僕は新宿駅の有料トイレまで緑をつれていって小銭を払って中に入れ、売店で夕刊を買ってそれを読みながら彼女が出てくるのを待った。でも緑はなかなか出てこなかった。十五分たって、僕が心配になってちょっと様子を見に行ってみようかと思う頃にやっと彼女が外に出てきた。顔色はいくぶん白っぽくなっていた。

「ごめんね。座ったままうとうと眠っちゃったの」と緑は言った。

「気分はどう?」と僕はコートを着せてやりながら訊ねた。

「あまり良くない」

「家まで送るよ」と僕は言った。「家に帰ってゆっくり風呂にでも入って寝ちゃうといいよ。疲れてるんだ」

「家なんか帰らないわよ。今家に帰ったって誰もいないし、あんなところで一人で寝たくなんかないもの」

「やれやれ」と僕は言った。「じゃあどうするんだよ?」

「このへんのラブ?ホテルに入って、あなたと二人で抱きあって眠るの。朝までぐっすりと。そして朝になったらどこかそのへんでごはん食べて、二人で一緒に学校に行くの」

「はじめからそうするつもりで僕を呼びだしたの?」

「もちろんよ」

「そんなの僕じゃなくて彼を呼び出せばいいだろう。どう考えたってそれがまともじゃないか。恋人なんてそのためにいるんだ」

「でも私、あなたと一緒いたいのよ」

「そんなことはできない」と僕はきっぱりと言った。「まず第一に僕は十二時までに寮に戻らないといけないんだ。そうしないと無断外泊になる。前に一回やってすごく面倒なことになったんだ。第二に僕だって女の子と寝れば当然やりたくなるし、そういうの我慢して悶々とするのは嫌だ。本当に無理にやっちゃうかもしれないよ。」

「私のことぶって縛ってうしろから犯すの?」

「あのね、冗談じゃないんだよ、こういうの」

「でも私、淋しいのよ。ものすごく淋しいの。私だってあなたには悪いと思うわよ。何も与えないでいろんなこと要求ばかりして。好き放題言ったり、呼びだしたり、ひっぱりまわしたり、でもね、私がそういうことのできる相手ってあなたしかしないのよ。これまでの二十年間の人生で、私ただの一度もわかままきいてもらったことないのよ。お父さんもお母さんも全然とりあってくれなかったし、彼だってそういうタイプじゃないのよ。私がわがまま言うと怒るの。そして喧嘩になるの。だからこういうのってあなたにしか言えないのよ。そして私、今本当に疲れて参ってて、誰かに可愛いとかきれいだとか言われながら眠りたいの。ただそれだけなの。目がさめたらすっかり元気になって、二度とこんな身勝手なことあなたに要求しないから。絶対。すごく良い子にしてるから」

「そう言われても困るんだよ」と僕は言った。

「お願い。でないと私ここに座って一晩おいおい泣いてるわよ。そして最初に声かけてきた人と寝ちゃうわよ」

僕はどうしようもなくなって寮に電話をかけて永沢さんを呼んでもらった。そして僕が帰寮しているように操作してもらえないだろうかと頼んでみた。ちょっと女の子と一緒なんですよ、と僕は言った。いいよ、そういうことなら喜んで力になろうと彼は言った。

「名札をうまく在室の方にかけかえておくから心配しないでゆっくりやってこいよ。明日の朝俺の部屋の窓から入ってくりゃいい」と彼は言った。

「どうもすみません。恩に着ます」と僕は言って電話を切った。

「うまく行った?」と緑は訊いた。

「まあ、なんとか」と僕は深いため息をついた。

「じゃあまだ時間も早いことだし、ディスコでも行こう」

「君疲れてるんじゃなかったの?」

「こういうのなら全然大丈夫なの」

「やれやれ」と僕は言った。

たしかにディスコに入って踊っているうちに緑は少しずつ元気を回復してきたようだった。そしてウィスキー?コークを二杯飲んで、額に汗をかくまでフロアで踊った。

「すごく楽しい」と緑はテーブル席でひと息ついて言った。「こんなに踊ったの久しぶりだもの。体を動かすとなんだか精神が解放されるみたい」

「君のはいつも解放されてるみたいに見えるけどね」

「あら、そんなことないのよ」と彼女はにっこりと首をかしげて言った。「それはそうと元気になったらおなかが減っちゃったわ。ピツァでも食べに行かない?」

僕がよく行くピツァ?ハウスに彼女をつれていって生ビールとアンチョビのピツァを注文した。僕はそれほど腹が減っていなかったので十二ピースのうち四つだけを食べ、残りを緑が全部食べた。

「ずいぶん回復が早いね。さっきまで青くなってふらふらしてたのに」と僕はあきれて言った。

「わがままが聞き届けられたからよ」と緑は言った。「それでつっかえがとれちゃったの。でもこのピツァおいしいわね」

「ねえ、本当に君の家、今誰もいないの?」

「うん、いないわよ。お姉さんも友だちの家に泊りに行ってていないわよ。彼女ものすごい怖がりだから、私がいないとき独りで家で寝たりできないの」

「ラブ?ホテルなんて行くのはやめよう」と僕は言った。「あんなところ行ったって空しくなるだけだよ。そんなのやめて君の家に行こう。僕のぶんの布団くらいあるだろう?」

緑は少し考えていたが、やがて肯いた。「いいわよ。家に泊ろう」と彼女は言った。

僕らは山手線に乗って大塚まで行って、小林書店のシャッターを上げた。シャッターには「休業中」の紙が貼ってあった。シャッターは長いあいだ開けられたことがなかったらしく、暗い店内には古びた紙の匂いが漂っていた。棚の半分は空っぽで、雑誌は殆んど全部返品用に紐でくくられていた。最初に見たときより店内はもっとがらんとして寒々しかった。まるで海岸打ち捨てられた廃船のように見えた。

「もう店をやるつもりはないの?」と僕は訊いてみた。

「売ることにしたのよ」と緑はぽつんと言った。「お店売って、私とお姉さんとでそのお金をわけるの。そしてこれからは誰に保護されることもなく身ひとつで生きていくの。お姉さんは来年結婚して、私はあと三年ちょっと大学に通うの。まあそれくらいのお金にはなるでしょう。アルバイトもするし。店が売れたらどこかにアパートを借りてお姉さんと二人でしばらく暮すわ」

「店は売れそうなの?」

「たぶんね。知りあいに毛糸屋さんをやりたいっていう人がいて、少し前からここを売らないかって話があったの」と緑は言った。「でも可哀そうなお父さん。あんなに一所懸命働いて、店を手に入れて、借金を少しずつ返して、そのあげく結局は殆んど何も残らなかったのね。まるであぶくみたいい消えちゃったのね」

「君が残ってる」と僕は言った。

「私?」と緑は言っておかしそうに笑った。そして深く息を吸って吐きだした。「もう上に行きましょう。ここ寒いわ」

二階に上ると彼女は僕を食卓に座らせ、風呂をわかした。そのあいだ僕はやかんにお湯をわかし、お茶を入れた。そして風呂がわくまで、僕と緑は食卓で向いあってお茶を飲んだ。彼女は頬杖をついてしばらくじっと僕の顔を見ていた。時計のコツコツという音と冷蔵庫のサーモスタットが入ったり切れたりする音の他には何も聞こえなかった。時計はもう十二時近くを指していた。

「ワタナベ君ってよく見るとけっこう面白い顔してるのね」と緑は言った。

「そうかな」と僕は少し傷ついて言った。

「私って面食いの方なんだけど、あなたの顔って、ほら、よく見ているとだんだんまあこの人でもいいやって気がしてくるのね」

「僕もときどき自分のことそう思うよ。まあ俺でもいいやって」

「ねえ、私、悪く言ってるんじゃないのよ。私ね、うまく感情を言葉で表わすことができないのよ。だからしょっちょう誤解されるの。私が言いたいのは、あなたのことが好きだってこと。これさっき言ったかしら?」

「言った」と僕は言った。

「つまり私も少しずつ男の人のことを学んでいるの」

緑はマルボロの箱を持ってきて一本吸った。「最初がゼロだといろいろ学ぶこと多いわね」

「だろうね」と僕は言った。

「あ、そうだ。お父さんにお線香あげてくれる?」と緑が言った。僕は彼女のあとをついて仏壇のある部屋に行って、お線香をあげて手をあわせた。

「私ね、この前お父さんのこの写真の前で裸になっちゃったの。全部脱いでじっくり見せてあげたの。ヨガみたいにやって。はい、お父さん、これオッパイよ、これオマンコよって」と緑は言った。

「なんでまた?」といささか唖然として質問した。

「なんとなく見せてあげたかったのよ。だって私という存在の半分はお父さんの精子でしょ?見せてあげたっていいじゃない。これがあなたの娘ですよって。まあいささか酔払っていたせいはあるけれど」

「ふむ」

「お姉さんがそこに来て腰抜かしてね。だって私がお父さんの遺影の前で裸になって股広げてるんですもの、そりゃまあ驚くわよね」

「まあ、そうだろうね」

「それで私、主旨を説明したの。これこれこういうわけなのよ、だからモモちゃんも私の隣に来て服脱いで一緒にお父さんに見せてあげようって。でも彼女やんなかったわ。あきれて向うに行っちゃったの。そういうところすごく保守的なの」

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