饭饭TXT > 海外名作 > 《こころ/心(日文版)》作者:[日]夏目漱石【完结】 > 《心》(日文版)作者:夏目漱石.txt

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作者:日-夏目漱石 当前章节:15468 字 更新时间:2026-6-15 23:39

 私は夏休みにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振(くちぶり)を見せました。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体(からだ)ではありませんが、私が誘いさえすれば、またどこへ行っても差支(さしつか)えない身体だったのです。私はなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました。彼は理由も何にもないというのです。宅(うち)で書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。私が避暑地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それなら私一人行ったらよかろうというのです。しかし私はK一人をここに残して行く気にはなれないのです。私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好(い)い心持ではなかったのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を悪くするのかといわれればそれまでです。私は馬鹿に違いないのです。果(はて)しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲へ入りました。二人はとうとういっしょに房州(ぼうしゅう)へ行く事になりました。

   二十八

「Kはあまり旅へ出ない男でした。私(わたくし)にも房州(ぼうしゅう)は始めてでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田(ほた)とかいいました。今ではどんなに変っているか知りませんが、その頃(ころ)はひどい漁村でした。第一(だいち)どこもかしこも腥(なまぐさ)いのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦(す)り剥(む)くのです。拳(こぶし)のような大きな石が打ち寄せる波に揉(も)まれて、始終ごろごろしているのです。

 私はすぐ厭(いや)になりました。しかしKは好(い)いとも悪いともいいません。少なくとも顔付(かおつき)だけは平気なものでした。そのくせ彼は海へ入るたんびにどこかに怪我(けが)をしない事はなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦(とみうら)に行きました。富浦からまた那古(なこ)に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重(おも)に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃(てごろ)の海水浴場だったのです。Kと私はよく海岸の岩の上に坐(すわ)って、遠い海の色や、近い水の底を眺(なが)めました。岩の上から見下(みおろ)す水は、また特別に綺麗(きれい)なものでした。赤い色だの藍(あい)の色だの、普通市場(しじょう)に上(のぼ)らないような色をした小魚(こうお)が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのが鮮やかに指さされました。

 私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽(ふけ)っているのか、景色に見惚(みと)れているのか、もしくは好きな想像を描(えが)いているのか、全く解(わか)らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口(ひとくち)答えるだけでした。私は自分の傍(そば)にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱(いだ)いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然(こつぜん)疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上(あが)ります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴(どな)ります。纏(まと)まった詩だの歌だのを面白そうに吟(ぎん)ずるような手緩(てぬる)い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸(えりくび)を後ろからぐいと攫(つか)みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好(い)い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑(おさ)えた手を放しました。

 Kの神経衰弱はこの時もう大分(だいぶ)よくなっていたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になって来ていたのです。私は自分より落ち付いているKを見て、羨(うらや)ましがりました。また憎らしがりました。彼はどうしても私に取り合う気色(けしき)を見せなかったからです。私にはそれが一種の自信のごとく映りました。しかしその自信を彼に認めたところで、私は決して満足できなかったのです。私の疑いはもう一歩前へ出て、その性質を明(あき)らめたがりました。彼は学問なり事業なりについて、これから自分の進んで行くべき前途の光明(こうみょう)を再び取り返した心持になったのだろうか。単にそれだけならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。私はかえって世話のし甲斐(がい)があったのを嬉(うれ)しく思うくらいなものです。けれども彼の安心がもしお嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許す事ができなくなるのです。不思議にも彼は私のお嬢さんを愛している素振(そぶり)に全く気が付いていないように見えました。無論私もそれがKの眼に付くようにわざとらしくは振舞いませんでしたけれども。Kは元来そういう点にかけると鈍(にぶ)い人なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅(うち)へ連れて来たのです。

   二十九

「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際(てぎわ)では旨(うま)くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種(たね)をもたないのも大分(だいぶ)いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学(どうがく)の余習(よしゅう)なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。

 Kと私は何でも話し合える中でした。偶(たま)には愛とか恋とかいう問題も、口に上(のぼ)らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多(めった)には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩(くず)せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍(なんべん)歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。

 あなたがたから見て笑止千万(しょうしせんばん)な事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも宅(うち)にいた時と同じように卑怯(ひきょう)でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆(うるし)で重(あつ)く塗り固められたのも同然でした。私の注(そそ)ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉(ことごと)く弾(はじ)き返されてしまうのです。

 或(あ)る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫(わ)びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭(いや)な心持になるのです。しかし少時(しばらく)すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。容貌(ようぼう)もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間(ま)が抜けていて、それでどこかに確(しっ)かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力(がくりき)になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好(い)いところだけがこう一度に眼先(めさき)へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。

 Kは落ち付かない私の様子を見て、厭(いや)ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州(ぼうしゅう)の鼻を廻(まわ)って向う側へ出ました。我々は暑い日に射(い)られながら、苦しい思いをして、上総(かずさ)のそこ一里(いちり)に騙(だま)されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるで解(わか)らなかったくらいです。私は冗談(じょうだん)半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮(しお)へ漬(つか)りました。その後(あと)をまた強い日で照り付けられるのですから、身体(からだ)が倦怠(だる)くてぐたぐたになりました。

   三十

「こんな風(ふう)にして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体(からだ)の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に他(ひと)の身体の中へ、自分の霊魂が宿替(やどがえ)をしたような気分になるのです。私(わたくし)は平生(へいぜい)の通りKと口を利(き)きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中(りょちゅう)限(かぎ)りという特別な性質を帯(お)びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮(しお)のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商(ぎょうしょう)のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。

 我々はこの調子でとうとう銚子(ちょうし)まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊(こみなと)という所で、鯛(たい)の浦(うら)を見物しました。もう年数(ねんすう)もよほど経(た)っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然(はんぜん)とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮(にちれん)の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾(び)磯(いそ)に打ち上げられていたとかいう言伝(いいつた)えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭(やと)って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。

 その時私はただ一図(いちず)に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺(たんじょうじ)という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍(がらん)でした。Kはその寺に行って住持(じゅうじ)に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装(なり)をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠(すげがさ)を買って被(かぶ)っていました。着物は固(もと)より双方とも垢(あか)じみた上に汗で臭(くさ)くなっていました。私は坊さんなどに会うのは止(よ)そうといいました。Kは強情(ごうじょう)だから聞きません。厭(いや)なら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外丁寧(ていねい)なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと大分(だいぶ)考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮(そうにちれん)といわれるくらいで、草書(そうしょ)が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙(まず)いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内(けいだい)を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々(うんぬん)し出しました。私は暑くて草臥(くたび)れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で好(い)い加減な挨拶(あいさつ)をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。

 たしかその翌(あく)る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯(めし)を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日(きのう)自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠(わだかま)っていますから、彼の侮蔑(ぶべつ)に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。

   三十一

「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点(しゅったつてん)がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。

 私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他(ひと)にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向(いっこう)私を反駁(はんばく)しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然(ちょうぜん)としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐(しいた)げたり、道のために体(たい)を鞭(むち)うったりしたいわゆる難行苦行(なんぎょうくぎょう)の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解(わか)らないのが、いかにも残念だと明言しました。

 Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌(あく)る日からまた普通の行商(ぎょうしょう)の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々(みちみち)その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない好(い)い機会が与えられたのに、知らない振(ふ)りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截(ちょくせつ)で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜(じょうりゅう)して拵(こしら)えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原(もと)の形(かたち)そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自(おのず)から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟(たた)ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。

 我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈(こりくつ)はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺(なが)めました。それから両国(りょうごく)へ来て、暑いのに軍鶏(しゃも)を食いました。Kはその勢(いきお)いで小石川(こいしかわ)まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。

 宅(うち)へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変瘠(や)せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞(ほ)めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。

   三十二

「それのみならず私(わたくし)はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生(へいぜい)の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻(あとまわ)しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作(しょさ)はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉(うれ)しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解(わか)るように、持前(もちまえ)の親切を余分に私の方へ割り宛(あ)ててくれたのです。だからKは別に厭(いや)な顔もせずに平気でいました。私は心の中(うち)でひそかに彼に対する歌(がいか)を奏しました。

 やがて夏も過ぎて九月の中頃(なかごろ)から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自(てんでん)の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後(おく)れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室(へや)に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。

 たしか十月の中頃と思います。私は寝坊(ねぼう)をした結果、日本服(にほんふく)のまま急いで学校へ出た事があります。穿物(はきもの)も編上(あみあげ)などを結んでいる時間が惜しいので、草履(ぞうり)を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子(こうし)をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数(てかず)のかかる靴を穿(は)いていないから、すぐ玄関に上がって仕切(しきり)の襖(ふすま)を開けました。私は例の通り机の前に坐(すわ)っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室(へや)から逃(のが)れ出るように去るその後姿(うしろすがた)をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶(あいさつ)をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌(さば)けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝(えんがわづた)いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言(ふたこと)三言(みこと)内と外とで話をしていました。それは先刻(さっき)の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。

 そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅(うち)にいる時でも、よくKの室(へや)の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張(ひっぱ)って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。

   三十三

「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私(わたくし)は外套(がいとう)を濡(ぬ)らして例の通り蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)を抜けて細い坂路(さかみち)を上(あが)って宅(うち)へ帰りました。Kの室は空虚(がらんどう)でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳(かざ)そうと思って、急いで自分の室の仕切(しき)りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種(ひだね)さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。

 その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間(ま)からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後(おく)れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方(おおかた)用事でもできたのだろうといっていました。

 私はしばらくそこに坐(すわ)ったまま書見(しょけん)をしました。宅の中がしんと静まって、誰(だれ)の話し声も聞こえないうちに、初冬(はつふゆ)の寒さと佗(わ)びしさとが、私の身体(からだ)に食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと賑(にぎ)やかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと歇(あが)ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、蛇(じゃ)の目(め)を肩に担(かつ)いで、砲兵(ほうへい)工廠(こうしょう)の裏手の土塀(どべい)について東へ坂を下(お)りました。その時分はまだ道路の改正ができない頃(ころ)なので、坂の勾配(こうばい)が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直(まっすぐ)ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞(ふさ)がっているのと、放水(みずはき)がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って柳町(やなぎちょう)の通りへ出る間が非道(ひど)かったのです。足駄(あしだ)でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも路(みち)の真中に自然と細長く泥が掻(か)き分けられた所を、後生(ごしょう)大事(だいじ)に辿(たど)って行かなければならないのです。その幅は僅(わず)か一、二尺(しゃく)しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞(ふさ)がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を替(かわ)せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後(あと)で、その女の顔を見ると、それが宅(うち)のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶(あいさつ)をしました。その時分の束髪(そくはつ)は今と違って廂(ひさし)が出ていないのです、そうして頭の真中(まんなか)に蛇(へび)のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路(みち)を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足踏(ふ)ん込(ご)みました。そうして比較的通りやすい所を空(あ)けて、お嬢さんを渡してやりました。

 それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好(い)いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は飛泥(はね)の上がるのも構わずに、糠(ぬか)る海(み)の中を自暴(やけ)にどしどし歩きました。それから直(す)ぐ宅へ帰って来ました。

   三十四

「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町(まさごちょう)で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中(あ)ててみろとしまいにいうのです。その頃(ころ)の私はまだ癇癪(かんしゃく)持(も)ちでしたから、そう不真面目(ふまじめ)に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気(むじゃき)にやるのか、そこの区別がちょっと判然(はんぜん)しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方(ほう)でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬(しっと)に帰(き)していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚(みな)してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面(りめん)にこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかも傍(はた)のものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事(さじ)に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事(よじ)ですが、こういう嫉妬(しっと)は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。

 私はそれまで躊躇(ちゅうちょ)していた自分の心を、一思(ひとおも)いに相手の胸へ擲(たた)き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉(く)れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔(ゆうじゅう)な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、他(ひと)の手に乗るのが厭(いや)だという我慢が私を抑(おさ)え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後(のち)は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を掻(か)かせられるのが辛(つら)いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心他(ほか)の人に愛の眼(まなこ)を注(そそ)いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応(いやおう)なしに自分の好いた女を嫁に貰(もら)って嬉(うれ)しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑(の)み込めない鈍物(どんぶつ)のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠(うえん)な愛の実際家だったのです。

 肝心(かんじん)のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼(きがね)なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。

   三十五

「こんな訳で私(わたくし)はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦(すく)んでいました。身体(からだ)の悪い時に午睡(ひるね)などをすると、眼だけ覚(さ)めて周囲のものが判然(はっきり)見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。

 その内(うち)年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多(かるた)をやるから誰(だれ)か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶(あいさつ)をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多(かるた)などを取る柄(がら)ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎(あいにく)そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好(い)い加減な生返事(なまへんじ)をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々(うちうち)の小人数(こにんず)だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手(ふところで)をしている人と同様でした。私はKに一体百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方(おおかた)Kを軽蔑(けいべつ)するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩(けんか)を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。

 それから二、三日経(た)った後(のち)の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅(うち)を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃(ころ)でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭(いや)だったので、ただ漠然と火鉢の縁(ふち)に肱(ひじ)を載せて凝(じっ)と顋(あご)を支えたなり考えていました。隣(となり)の室(へや)にいるKも一向(いっこう)音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。

 十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖(ふすま)を開けて私と顔を見合(みあわ)せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回(めぐ)って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気(おぼろげ)に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐(すわ)りました。私はすぐ両肱(りょうひじ)を火鉢の縁から取り除(の)けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。

 Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方叔母(おば)さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君(さいくん)だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日過(すぎ)だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外(ほか)に仕方がありませんでした。

   三十六

「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已(や)めませんでした。しまいには私(わたくし)も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が顫(ふる)えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生(へいぜい)から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖(くせ)がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易(たやす)く開(あ)かないところに、彼の言葉の重みも籠(こも)っていたのでしょう。一旦(いったん)声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。

 彼の口元をちょっと眺(なが)めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付(かんづ)いたのですが、それがはたして何(なん)の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。

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