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華麗なる一族 上巻
山崎豊子
[#改ページ]
来势汹汹的金融改革浪潮,左右了权力和财富的重新分配,更牵动着关西豪门万俵家族所有成员的命运!在看似璀璨华丽的外表下,他们却是身不由己的傀儡,反抗,就得付出代价……
以万坪豪宅的大门为界,阪神银行的头取万俵大介过着不为人知的『两面人』生活。表面上,他是出身名门、令人尊敬的银行家,为人一丝不苟;私底下却妻妾同室、生活荒口口,甚至连亲生子女也成为他利用裙带婚姻编织政商权力网络的工具。
在政府准备进行金融改革的大政策下,大介一方面致力于防止自家银行被并吞,另一方面则暗自计划先下手为强,想要『以小吃大』并吞其他的银行。此时,大介的长子铁平主持的阪神特殊钢公司,因为兴建高炉的梦想而亟需资金支持,却得不到父亲的支持。铁平失望之余,转而向好友大同银行的三云头取求助,却万万没想到也为自己的未来埋下了一颗不定时炸弹……
全书以一九七○年代日本的金融改革为背景,关西财经界名门万俵家族为主轴,描写当时金融界、政治界的权力斗争、大家族内部的情感纠葛,以及在野心欲望驱使下的人性矛盾,不但生动地描绘出金融与政治挂勾如何影响一国的经济与国力,而人心的贪婪、纵欲,以及FZ反目、婚外情等元素,也照现豪门世家在繁华富丽外表下的汹涌暗潮。本书不但对日本银行在九○年代的整并有着预言式的描写,对照台湾的『一次金改』、『二次金改』,竟发现相似的情节也正在台湾上演,不禁令人触目心惊!
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一 章
陽《ひ》が傾き、潮が満ちはじめると、志摩半島の英虞《あご》湾に華麗な黄昏《たそがれ》が訪れる。
湾内の大小の島々が満潮に洗われ、遠く紀伊半島の稜線《りようせん》まで望まれる西空に、雲の厚さによって、オレンジ色の濃淡が描き出され、やがて真紅の夕陽が、僅《わず》か数分の間に落ちて行く。その一瞬、空一面が燃えたち、英虞湾の空と海とが溶け合うように炎の色に輝く。その中で海面に浮かんだ真珠筏《いかだ》がピアノ線のように銀色に燦《きらめ》き、湾内に波だちが拡《ひろ》がる。
海に突き出た志摩観光ホテルのダイニング.ルームも、この数分間は、窓際《まどぎわ》に坐《すわ》った人影が紅《あか》いシルエットに縁取《ふちど》られ、夕陽が沈むにつれ、その紅い縁取りが次第に淡くなり、夕闇《ゆうやみ》の中に吸い込まれると同時に、ぱっと室内のシャンデリアの灯《あか》りが点《つ》く。明るく照らし出されたダイニング.ルームは、正面に新年らしく六双《そう》の金《きん》屏風《びようぶ》がたてられ、その前に朱塗《しゆぬり》の屠蘇《とそ》台が飾られており、新年の装いを凝らした人々が、テーブルを囲んでいる。どのテーブルにも訪問着やカクテル.ドレスを着飾った女性たちの姿が見られたが、奥まった窓際のテーブルを囲んだ一組が、群を抜いて際だっている。それは関西の財界で名を知られている阪神銀行の頭取、万俵《まんぴよう》大介とその一族であった。
テーブルの正面に、銀髪を光らせた万俵大介がゆったりとした姿勢でおさまっている。銀髪の端正な顔だちが貴族的な冷たさと品の良さを漂わせているが、仔細《しさい》に見ると、眼鏡の下のよく光る眼と分厚な唇に脂《あぶら》ぎったものが感じられ、六十歳を迎えた人とは思えない。大介を囲んで、総疋田《ひつた》の訪問着やカクテル.ドレスをまとった妻や娘たち、ダーク.スーツを整えた息子たちが、新年三日目の晚餐《ばんさん》をはじめている。テーブルの真ん中には、氷の上に的矢牡蠣《まとやがき》を盛り上げたオードブル皿が置かれて、一族の長である万俵大介がオードブル用のフォークを取れば、一族の手が静かにフォークに延び、的矢牡蠣のみずみずしい肉を見事な手捌《てさば》きではずし取る。大介の手が止まれば、申し合せたようにそれに倣《なら》う。椅子《いす》の背後《うしろ》にたっている給仕たちは、話し声が聞き取れない範囲の距離を保ちつつ、注意深くテーブルの進行を見守り、フォークの手が止まると、手早くオードブルの皿をひき、スープ皿を整える。伊勢海老《いせえび》のクリーム.スープであったが、八人の手が一斉にスプーンを取った。テーブルと胸もとの間に拳大《こぶしだい》の間隔をおき、上半身をまっすぐ伸ばした姿勢で、すっとスープを舌の奥に流し込むように呑《の》み、スープの音をたてない。
「マドモアゼル コマン トゥルヴェ ヴ ラ スープ ドジュルデュイ(いかがです、今日のスープの味は)?」
「セ エクセラン ムッシュ サ ム フェ ラプレ パリ(美味《おい》しいです、ムッシュ、パリを思わせるお味ですわ)、まあ、いやだわ……、お父さま、今は日本のお正月ですのよ」
末席に坐っている末娘の三子《みつこ》が、淡いピンクのカクテル.ドレスの胸を若々しくふくらませ、関西訛《なま》りの標準語で甘ったれるように云《い》った。
万俵家では、一族が揃《そろ》った晚餐の席では、今夜はフランス語、明晚は英語の会話でというのが、一種の習慣のようになっていた。しかし、万俵家はもともと外交官の家筋でも、貿易商でもない。万俵という苗字《みようじ》が示すように代々、姫路の播州《ばんしゆう》平野に米蔵《こめぐら》十倉を有する大地主であったが、第一次世界大戦が勃発《ぼつぱつ》した時、十三代目にあたる大介の父、敬介が神戸に万俵船舶と万俵鉄工を創立し、船舶ブームが頂点にさしかかる直前に、万俵鉄工を残して、万俵船舶の持船全部を売り払い、それを資金にして万俵銀行を創立したのだった。そしてその後、群小の田舎銀行を次々と吸収して、昭和九年に現在の阪神銀行の基礎を創《つく》り上げ、万俵鉄工の他に、万俵不動産、万俵倉庫をも興《おこ》して、万俵財閥の基礎を創設したのだった。亡父の跡を継いで阪神銀行の頭取になった大介は、父の代には一介の地方銀行に過ぎなかった阪神銀行を、今では全国第十位の都市銀行にまで発展させ、万俵鉄工も阪神特殊鋼と改称し、近代的な設備をもつ特殊鋼メーカーに成長させたのだった。
「お父さん、明日は恒例の年頭の辞を述べられる日ですね、お父さんの年頭の辞は、関西の経済記者が注目しているだけに気をぬくわけにはいきませんね」
阪神特殊鋼の専務をしている長男の鉄平が、父よりも死んだ祖父に似た色の浅黒い精悍《せいかん》な顔を父に向けた。東京大学の工学部冶金《やきん》科を卒業し、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学後、すぐ阪神特殊鋼に入り、現在、三十八歳の若さで専務になっている鉄平は、父が毎年、阪神銀行の仕事始めに行う年頭の辞を、直接、聞くことは出来なかったが、異色財界人として鳴り響いている父の話は、同じ経営者として大いに興味を持っていた。
「うむ、だいたいの骨子は、秘書課長に話して草案を作らせているが、銀平にも勉強の意味で意見を出させているよ」
と云い、大介と同じ慶応大学の経済学部を出て、阪神銀行本店営業部の貸付課長をしている次男の銀平の方を見た。銀平は、父に似た端麗な顔で、
「お父さんには有能なブレーンがいらっしゃるのに、勉強だと云って、こうしごかれるのでは、よその銀行へ入った方が、よっぽどよかったですよ、はた目には頭取の御曹子《おんぞうし》で結構なご身分と思われているのですがね」
と云うと、銀平の隣に坐っている次女の二子《つぎこ》が、
「そんなの、いっそ、止《や》めておしまいになったら? 行員の方《かた》は直立したままでお父さまの年頭の辞を聞かされるわけなのでしょう、お父さまったら、ご自分のご趣味は、大へんなハイカラ好みで、私たちを、海外へ留学させて向うの教育をおつけになるのに、他の面では随分、封建的なところがおありやわ」
「だが、年頭の辞は、阪神銀行の創設者であるお前たちのお祖父《じい》さんの時代から、ずっと続いているしきたりだから、一朝一夕には止められない、それに都市銀行でオーナー頭取であるのは私ぐらいのものだから、すべてオーナー頭取らしく振舞うことにしている」
と云い、ワイン.グラスを口に運び、
「ところで、鉄平の方の今年の抱負はどうなんだ?」
「今年はまだまだ自動車産業が伸びますから、軸受鋼《じくうけこう》を中心にして、多量生産のための大型設備投資を思いきってやりたいと考えているんです、それが実現すれば、軸受鋼の市場占有率《シエア》はトップになり、特殊鋼メーカーとして、不動の地位を固め得ると思いますよ」
技術者であったが、経営面でも積極策で押して行くタイプの鉄平が熱を籠《こ》めて話すと、大介の顔に笑いがうかんだ。
「そんなことを云って、また私から何十億かを引き出す魂胆らしいな、もちろん、阪神特殊鋼も、お前たちの祖父が創立した会社だから、大いに発展させなければいけないが、阪神特殊鋼をはじめ、万俵不動産、万俵倉庫、万俵商事など万俵コンツェルンの根幹は、阪神銀行なんだということを忘れぬよう」
銀髪の端正な顔だちの中で、眼光の鋭い眼が光った。鯛《たい》のコニャックの蒸し煮の次に、ビーフ.ステーキの上にフォアグラを添えたドルヌード.ロッシティの皿が運ばれて来た。
「あら、パリのマキシムのお献立と一緒ね、覚えていらして? お姉さま」
末娘の三子が、はしゃぐように云った。
「そうね、あなたと二人でパリにいた時、お父さまが国際金融懇話会でパリにいらして、マキシムに連れて行って下さったわね、美味しい、美味しいって、キャビアのオードブルからスーフレのデザートまでフルコースを注文して、さてお勘定をすませたら、お父さまのポケットのお財布に五フランも残らなくなってしまって、ホテル.ジョージ五世まで步いて帰ったわね」
次女の二子が昨年の春、大学卒業と同時に、まだ在学中の三子とフランスへ行っていた時のことを思い出し、くっくっと笑うと、鉄平の妻の早苗《さなえ》も、
「お舅《とう》さまがタクシー代にこと欠かれるなど、日本では考えられないことですわ、それがマキシムのお料理のせいだったと思うと、頬笑ましくて――、私も、実家《さと》の父のお伴《とも》をして、パリへ行った時、マキシムへ参りましたけれど、あの時は大使のお招きでしたから、お勘定の心配はありませんでしたけれど――」
曾《かつ》て通産大臣と国務大臣を歴任した実家の父、大川一郎と旅した時のことを話した。早苗は、総疋田の訪問着にエメラルドの帯止めをし、二子と三子は、カクテル.ドレスの胸もとを金台にスター.ルビーのネックレスで飾り、ダイニング.ルームのシャンデリアの光の中で、三人の姿が燦《きらび》やかに目だっていた。
近くのテーブルから、“ワンダフル!”という外人客の声が上り、拍手が鳴った。パール.スープと名付けられている真珠貝入りのスープの中から、真珠が出て来たことを喜んで、手を鳴らしているのだった。周囲のテーブルの客たちは、その方を振り向いたが、万俵一族は、厳格なテーブル.マナーを守って、他人のテーブルには視線を向けない。
万俵家のテーブルは、デザートに入り、スーフレをテーブルの傍《そば》で作るために、ラム酒をのせたワゴンが運ばれて来た。二人の給仕が馴《な》れた手つきでスーフレを焼いた。
「一子《いちこ》お姉さまは、このホテルのスーフレがお好きやのに、お可哀《かわい》そうに、“ミスター大蔵省”の旦那《だんな》さまのためにお正月早々から、お客さまのご接待に追われていらっしゃるのね」
大蔵省主計局次長、美《み》馬中《まあたる》に嫁いでいる一番上の姉だけが、新春の志摩での団欒《だんらん》から欠けている。それを淋《さび》しがるように三子が云うと、二子は、
「大蔵省というところは諸事大へんなところなのよ、お正月のおもてなしのほどで、妻の実家《さと》方《かた》が解《わか》るというほど皆さん、派手におやりになるのですもの、それにお義兄《にい》さんは未来の大蔵次官、大臣を目指していらっしゃるから、志摩でお正月を楽しんではる暇などおありにならないのよ」
「だから、私、高級官僚のお嫁さんなど大嫌い、どうして銀行家の娘が官僚のところへなど嫁《い》らしたのかしら――、お父さま、私はお姉さまみたいに、お正月も楽しめない方のとこへはお嫁に行きませんわ」
三子が睨《にら》むように父の大介を見たが、大介はスーフレを食べ終ると、娘たちのお喋《しやべ》りはもう聞いていないのか、放心したような表情で一点を見詰めている。
それは大介が自分の両側に坐っている二人の女性に囲まれて、一瞬、恍惚《こうこつ》とした気分に浸った時に見せる表情であった。その二人の女性の一人は、古代紫の綸子《りんず》に金箔《きんぱく》をおいた訪問着に、佐《さ》賀錦《がにしき》の帯を胸高に締め、おすべらかしの髪型が似合いそうな、純日本風の顔だちをし、袖口《そでぐち》から香が匂《にお》いたつような、臈《ろう》たけた美しさに包まれた女性であった。もう一人は、真っ黒なドレスの衿《えり》もとにパール.ミンクを無造作にあしらっているが、着こなしが外人のように洗練されているせいか、それが気障《きざ》でなくおさまる雰囲気《ふんいき》を身につけている。
二人とも、万俵家の息子とその配偶者、娘たちが話している間、その話題に関心がないのか、一言も言葉をさし挟《はさ》まない。そのくせ、微笑を絶えず含んだ表情で、時々、頷《うなず》いている。そして大介が葉巻をくわえると、どちらからともなく、ライターを大介の手もとに置き、テーブルの上の灰皿を目だたぬようにそっと前へ引き寄せる。華やかな晚餐のテーブルの中で、大介を挟んだ二人の女性だけが、パントマイムのように無言に動いている。齢恰好《としかつこう》からみて姉妹のようにも見えるが、それにしては無遠慮に言葉を交わす様子がない。むしろ慇懃《いんぎん》すぎるような気配がある。しかも、テーブルの順からいえば、一家の長である大介の左側が妻の坐るべき位置であったが、その妻の席に二人が一日交替に、替り合って坐っているのが、周囲の人眼を惹《ひ》いた。ホテルの支配人やボーイたちには、毎年、見馴れていることであったが、周囲の人たちには奇異な感じを与える光景であった。
ダイニング.ルームを出て、ロビーへ出ると、着飾った人々が、そこここに集まって、談笑している。殆《ほとん》どが毎年きまったメンバーで、去年のお正月の話の続きや、互いの家族の消息を話し合い、関西財界の社交場のような観を呈している。万俵一族が入って行くと、才媛《さいえん》の聞え高い東亜化学の社長夫人が、にこやかな表情で近付いて来た。
「あら、万俵さま、おめでとうございます、本年も皆さまお揃いで――、今年はいよいよご次男さまがご結婚遊ばすように伺っておりますが、さぞかしごりっぱなご縁組でございましょう」
と云い、当の銀平より、大介を挟んで両脇《りようわき》にたっている二人の女性に、詮索《せんさく》がましい視線を向けたが、二人はそんな視線に気付かないのか、それとも無視しているのか、鄭重《ていちよう》な挨拶《あいさつ》を交わしてから、中二階のラウンジへ上って行った。
鉄平たちと二子たちも揃ってラウンジのテーブルを囲み、飲物を注文したが、大介だけは、独り六階の部屋へ戻り、毎年きまっている英虞湾に突き出した二室続きのロイヤル.ルームの安楽椅子《ソファ》に寛《くつろ》いだ。
真っ黒な海に、真珠筏を見張る島々の番小屋の灯りだけがかすかに瞬《またた》くように点滅し、ひどく静かな夜景であった。年末から新年にかけての四日間を志摩半島で一家揃って過すのが、万俵家の習慣であった。大介が仕事に追われ、子供たちが独立した生活を持つにつれ、家族揃って晚餐をとる機会が少なくなって来ただけに、新年の志摩での団欒は、ことのほか大介の心を満たした。大介のように家父長主義を重んじ、一族の繁栄を望む人間には、欠かすことの出来ない年頭の儀式であった。
大介は上衣を脱ぎ、テーブルの上の新聞を取り上げた。経済面に、金融再編成が大見出しで論じられている。
金融界に、ようやく再編成の波が押し寄せて来た。金融機関も規模が大きくなるほど経営コストが安くなり“規模の利益”が出て来るところから、合併.提携による大型化が必要とされる。
大蔵省でも“金融の効率化”を図るため、積極的に金融再編成を促進する構えで、銀行間に競争原理を導入し、これまで過保護下にあった銀行に、冷たい風を当て、銀行を徹底的にしごこうという方針らしい。銀行相互の競争を助長し、効率の悪い銀行が落伍《らくご》し、効率のよいところに吸収.合併されるという優勝劣敗の状況をつくり出す過程で、大型化を軸にした再編成を促進させようというのである。
こうした“金融の効率化”を促進し、具体化する金融制度改革案を、本年中にまとめるために、大蔵大臣の諮問《しもん》機関である金融制度調査会に『特別委員会』が設けられ、これまでの再編成論議に拍車がかけられる模様である。
不意に電話のベルが鳴ったが、大介はすぐ受話器を取らず、もう一度、紙面に眼を走らせた。“これまで過保護下にあった銀行に、冷たい風を当て、相互の競争を助長し……効率の悪い銀行が落伍し、効率のよいところに吸収.合併される……”大介の唇がむっと不機嫌に歪《ゆが》み、やっと受話器を取った。
「もし、もし、お父さま、新年おめでとうございます、今年も志摩へ伺えなくて残念でしたわ」
大蔵省主計局次長の美馬中に嫁いでいる長女の一子からで、その性格に似つかわしく細い控え目な声であった。
「ああ、おめでとう、今年のお正月も大へんだったろう」
「ええ、それはよろしいのですけれど、子供たちの相手をしてやれないのが、可哀そうで――」
「じゃあ、来年からは子供たちだけでも寄こしなさい、お母さまたちはラウンジだから、そっちへ電話を廻そうか」
「いえ、また後ほど、今、美馬とかわります」
一子に代って、美馬中の声が聞えた。
「お舅《とう》さん、新年のご挨拶が遅くなりまして失礼致しました、今年も何かとよろしく――」
美馬のちょっと鼻にかかった、抑揚のない声が伝わって来た。
「いや、こちらもよろしくだ、大蔵大臣への新年のご挨拶は、いつ伺ったのかね」
「元旦です、大臣がいつも結構なものをと、云っておられましたよ」
「そうかい、今、新聞の金融再編成の記事を読んでいたところだが、以前、君が話していたように金融制度調査会に特別委が設置されるようだね、特別委の委員長はほぼ定《き》まっているのかね」
「いえ、まだ定まっていませんが、今までのようなお題目ではなく、今年あたりから都市銀行の再編成が具体化して来ることは確かですね」
美馬は、国家予算を司《つかさど》る主計局に在りながら、銀行行政を司る銀行局の動向を殆どつかんでいた。
「大臣や銀行局長あたりは、既に具体的な腹案を持っているのだろう?」
「さあ、それはどうでしょうか、なかなか腹の中は見せませんからね」
「ふうむ、しかし、大蔵省は、再編成を急ぎ出した感じがするな、大蔵省は何かというと銀行を保護していると云うが、われわれから云わせれば、保護どころか、銀行に対して横暴だよ」
俄《にわ》かに大介の顔が、頭取室にいる時のような難かしい表情に変った。関西で古い歴史を持つ名門銀行とはいえ、業界ランクは辛うじて都市銀行ベストテンに名を列《つら》ねる阪神銀行にとって、金融再編成は重要な関心事で、再編成によって自行が不利な立場に追い込まれぬよう、絶えず、他行よりも一步、先んじていなければならない。
そのためには大蔵省主計局次長である娘婿《むすめむこ》の情報は、大介にとって得難いものであった。
「それで、委員長が本定まりするのはいつごろなんだね」
「多分、正月明け早々から人選がはじまり、最終的には総理と大蔵大臣とが話し合って定まるわけです、まあ、その辺のところはお目にかかった時に、ゆっくりと……」
相手に気をもたせるような云い方をした。
「うむ、じゃあ、近いうちに孫の顔を見せにでも来なさい、その時、いろいろ聞こう」
大介も落ち着き払って、電話をきった。
妙に気をもたせ、そのくせ肝腎《かんじん》のことは片鱗《へんりん》も口の端《は》にのぼせぬ美馬中の応《こた》え方は、いかにもエリート官僚らしい隙《すき》を見せない応え方だと思った。
しかし、どうせ間もなく関西へやって来る時は、日頃、自分から経済的援助を受けている見返りとして、何がしかの情報を手土産にぶら下げて来るに違いないと思うと、大介の端正な顔にはじめて余裕のある笑いがうかんだ。万俵大介が意図して、政略的に組んだ閨閥《けいばつ》が、着々とその実を上げつつあるからであった。
長男の鉄平は、元通産大臣の大川一郎の長女を娶《めと》り、長女の一子は、将来は大蔵次官と属目《しよくもく》されている美馬中に、銀行局時代に持参金付きで嫁がせ、その後もずっと経済的援助をしている。次男の銀平には、目下、万俵家の新たな閨閥を作るための有力な縁談が進行しつつあり、あとの二子《つぎこ》と三子《みつこ》も、それぞれ万俵一族の繁栄を齎《もたら》すための縁組をするに違いない。
こうした閨閥作りは、妻である寧子《やすこ》より、愛人である高須相子《たかすあいこ》によるところが多かった。
妻の寧子には、公卿《くげ》華族の嵯峨《さが》子爵《ししやく》の出という門地の高さと臈たけた美しさがあったが、相子には女には惜しいほどの政治力があり、到底、四十過ぎとは思えぬ豊満な肢体と彫りの深い美貌《びぼう》は時として娘たちをも圧倒することがある。
今夜、大介と同衾《どうきん》するのは、妻の寧子ではなく、相子であった。それは第三者には奇異に見えることであるが、大介にとって、ここ十数年来、続けてきた生活で、何のこだわりも、不自然さも感じない。
廊下にかすかな足音がしたかと思うと、部屋の前で止まった。寧子と相子であった。
「じゃあ、おやすみ遊ばせ、お静かに――」
いつものようにさり気ない就寝の挨拶を交わす二人の声が聞え、相子が入って来た。
*
神戸元町《もとまち》の栄町《さかえまち》通りは、電車通りを挟んで、戦災を免れた銀行、証券会社の建物が、両側にずらりと並んでいる。戦後になって、建物を新築した大銀行は、新市庁舎のある江戸町の辺りへ移転して行ったとはいえ、戦災に焼け残った建物がたち並ぶ栄町通りは、今でも戦前からの金融街のたたずまいを残している。
その中でも阪神銀行の建物が一際《ひときわ》、古めかしい。正面玄関に六本の石の円柱が聳《そび》えたち、バロック風建築の分厚な石で囲まれた五階建ての建物の窓は高く小さく、容易に人を寄せつけない荘重さを漂わせている。
朝五時に志摩観光ホテルを出発した万俵大介を乗せた黒塗りのベンツが、東側玄関に着くと、頭取秘書と受付事務員が恭《うやうや》しく出迎えた。万俵頭取は、軽く頷きながら、ガラス扉《ど》で仕切られている営業部をじろりと見た。九時を過ぎたばかりであるが、二階まで吹きぬけになった行内には、既に顧客らしい人影が見え、きちっと身装《みなり》を整えた行員たちが、折目正しくたち働き、貸付課長席には、先に着いた万俵銀平の姿が見えた。営業部の横のエレベーターに乗り、三階で降りると、役員受付の女子行員が最敬礼で迎えた。
「いや、おめでとう」
新年らしく微笑で応え、靴の踵《かかと》が沈みそうに厚い真紅の絨毯《じゆうたん》を敷き詰めた廊下を頭取室に向った。行員たちが“松の廊下”と呼んでいる長く折れ曲った廊下で、万俵頭取はセミ.タキシードに黒エナメルの靴を履いた長身のうしろ姿を見せて步んで行った。長い廊下の奥まった一室が頭取室になっている。そこに行くまで幾つかの役員室と役員専用の応接室があるが、すべて厚い扉に閉ざされ、中に人がいるか、いないかの気配さえ、感じ取れない。この同じ建物の階下で、慌《あわただ》しく業務が行われていることが、信じられない程の静寂さに包まれ、薄茶《ベージユ》の壁と真紅の絨毯が奥深く続いている廊下に、初めて訪れた者は、外界から遮断《しやだん》された迷路に迷い込んだような錯覚に捉《とら》われるが、透明な板ガラスの窓に、さらにもう一枚、金網ガラスが入っていることで、銀行である実感が呼び醒《さ》まされる。
頭取室は、建物の東南角の奥まった一室、三十畳敷ほどの広さで、戦前の建物であるから天井が高く、華麗なレリーフが施されて、壁にはルノワールの風景画が掲《かか》っている。調度はグレイの絨毯とチークの机、黒い皮の椅子《いす》で、全体がグレイと黒のトーンで統一され、そこに万俵大介が入ると、銀髪端正な大介の顔だけがうかび上り、まるでその効果が計算されているようにどこまでも渋く豪華な室内である。そして頭取室の前に、さらに受付があり、行内の者でも容易に頭取室へ近付けぬほどものものしい。八千億円の預金を預かっている“銀行の象徴”である頭取の居室であれば、当然のことだというのが、万俵大介の持論であった。
頭取室に入ると、万俵大介は真っ先に机の上の標示器を見た。専務、常務の役員がすべて在室している赤ランプが点《つ》いている。
「役員は、全部、ご出勤でございます」
秘書の速水《はやみ》英二が云った。三十三歳の若さであったが、二年前、調査部から頭取付秘書に抜擢《ばつてき》されたのだった。
「本日のご予定は、このようにお願いします」
いつもは、一刻を惜しんでエレベーターの中で示す日程表であった。九時半から年賀式、十時から十二時まで年賀客の挨拶受け、正午から一時まで役員会食、一時半から二時まで商工会議所新年名刺交換会、二時半から三時半は関西銀行協会年賀会――、平素は六時過ぎぐらいまで詰っている日程が、新年四日の今日は三時半までになっている。
「じゃあ、ちょっと――」
万俵頭取は時計を見てから、壁際の片隅の扉を押した。頭取室に付随している専用のトイレットである。扉がしまると把手《ノブ》の横にオレンジ色の小さなランプが点いた。このランプは、秘書課の標示板と繋《つな》がり、大介が用便中には同色のランプが点き、用便中に電話がかかってきた場合の応対と、用便中に万一のことが起った場合に備えている。用便がすむと、秘書の速水は、年賀式の定刻になったことを報《しら》せた。
秘書課長の先導で、万俵頭取を先頭に、二人の専務、続いて四人の常務が、江戸城中の“松の廊下”を行くようなものものしさで、五階の講堂へ向った。一流大学を卒業して入行した幹部候補生も、入行当時は、支店へ出され、映画館や百貨店の集金雑務から始まって、預金獲得の凄《すさま》じいノルマに狂奔し、それを終えると、融資で振り廻され、不良貸付にひっかかりはしないかと、神経を磨《す》り減らし、競馬のレースのように幾種目もの苛烈《かれつ》なレースに並ばされ、やっと本店まで辿《たど》り着くと、荘重にして冷厳な銀行の建物のたたずまいからは、到底、うかがい知れぬ権謀術数と陰湿な派閥闘争があり、その苛烈なレースにも勝ちぬいた者だけが、“松の廊下の住人”になり得るのだった。
五階の講堂は、塵《ちり》一つなく掃き清められ、正面の壇上には金《きん》屏風《びようぶ》が張りめぐらされ、左側の花台《かだい》には、五葉《よう》の松が白磁の壺《つぼ》に活《い》け込まれ、新年らしい清々《すがすが》しさが漲《みなぎ》っている。平常業務にさしつかえぬよう、課長以上六十数名の行員が、壇上に向って三列に並べられた細長いテーブルの前に侍立《じりつ》するようにたって、年賀式の始まるのを待ちかまえている。預金高八千億円、貸付高六千五百億円、神戸を本店にして、東京、大阪、名古屋をはじめ、横浜、京都、広島、福岡など全国に支店百三十店を持ち、全行員九千人を擁する阪神銀行本店の年賀式であった。
廊下に靴音が響き、秘書課長の先導で、万俵頭取、続いて専務以下六人の役員が講堂へ入って来ると、姿勢を改める気配がたち、六人の役員は、左右に別れて壇の下にたち、万俵頭取だけが、ゆっくりと壇上にあがった。金屏風が配された壇上に、銀髪の万俵大介がたつと、金屏風に銀髪が映え、若くして頭取になるべく育てられた者の威風が行員たちを圧した。
「新年おめでとう、今年の経済界の課題は資本自由化にいかに対処するかということであります、資本自由化が進めば、アメリカを始めとする欧米の巨大資本がなだれ込んで来るのは目にみえており、日本の産業界は、これに対抗し得る体質作りのために、合併、提携を余儀なくされているのが現状であるが、金融界も、いよいよ今年から金融再編成の機運が高まって来つつあり、銀行自体の体質強化が迫られている。
こうした要請に対処するには、貸金の内容をよくしたり、経営の効率を高めて行くような“質”の向上はもちろんであるが、特に今年最大のスローガンを“量の拡大”におき、預金量の飛躍的な拡大を指向したい、そこで新年に当り、諸君にお願いしたいのは、現在の預金量八千億円をこの一年で一兆円にのせるよう必達成を期して頑張って貰《もら》いたいということである、そのためには他行の優良取引先の奪い取りをも辞せずの気概をもって当って貰いたい、他行が秘蔵している優良取引先を奪い取ることは、ライバル銀行との相対的な関係において、上下《うえした》、倍の格差になって現われる、このような思い切った預金量の増大を図ることが、とりもなおさず収益の増進、体質の強化に繋がるわけである」
頭取の年頭の辞にしては、ストレートであり過ぎたが、それだけに、金融再編成の機運の高まりを前にした頭取のなみなみならぬ決意が感じ取られ、行員たちは緊張した面持で聞き入った。
年頭の辞が終ると、テーブルの上のビールが注《つ》がれ、筆頭専務の発声で、
「阪神銀行の発展と、万俵頭取のご健康を祈って、乾杯!」
高らかに乾杯が唱えられた。万俵大介は壇上にたったまま、乾杯を受けた。
頭取室へ帰ると、既に年賀の客が待ち受けており、秘書の速水が、来客の氏名を記したメモを示した。
「例年通り、六、七十人ぐらいお見えになると思いますので、格別のご用向きのない限り、一組五分以内でお願い致します」
万俵は、椅子に坐《すわ》る間もなく、隣接している応接間の扉を押した。
濃紺《のうこん》のカーペットが敷き詰められた部屋の真ん中に大理石の丸テーブルとシルバー.グレイの安楽椅子《ソファ》がセットされ、礼服を着た客がたち上った。最初の来客は、大口融資先の平和ハウスの会長と社長であった。
「新年おめでとうございます」
「おめでとうございます、早々にお揃《そろ》いでお年賀を戴《いただ》き、恐縮です」
万俵は鄭重《ていちよう》に答礼して、二人と向い合って坐った。
「頭取、昨年はえらいお世話になりましたが、今年も一段とよろしゅうに――、昨年は頭取に思い切った融資をして戴いたおかげで設備拡張が出来、うちの社のユニット.ハウスの生産量は、業界の総生産量の二二パーセントも占め、市場占有率《シエア》も業界第一になっとりますわ」
創業者で八十歳の会長が関西人らしい腰の低さで挨拶《あいさつ》すると、五十を過ぎたばかりで手腕家の二代目社長は、
「今年もさらに大きく伸びるために、高層プレハブの具体化を業界に先がけて行う計画をたてております、何しろ日本の住宅事情は宅地に大きな制約がありますから、今後、高層プレハブ化に向う傾向が予想以上に早まると判断されますので、いち早く手がけたいと考えております、今年も何かとよろしく――」
新年の挨拶をかねて、今年の事業計画の見通しを話した。万俵大介は姿勢を崩さぬ程度に足を組み、相手に煙草《たばこ》をすすめ、自分も喫《す》いながら、軽く頷《うなず》く以外に、殆《ほとん》ど喋《しやべ》らない。銀行の頭取としての万俵大介は、最低必要限のことしか喋らないことにしている。万俵の会う相手の大半が、融資に繋がる話であるから、できるだけ沈黙を守ることが、相手と自分との距離をおくことになる。したがって万俵は、一步、自宅を出た時から、家庭にいる時とは全く別人の都市銀行の頭取という公人になりきることにしている。銀髪端正な容姿と、必要なこと以外喋らない寡黙《かもく》さが、外部の者に冷たい感じを与えたが、それ以上に畏怖《いふ》の念を抱かせていることを万俵は、充分に計算していた。
二番目は、地元選出の社民党の中根議員であった。
「さすが万俵頭取ですな、私が来たらもう五、六人先客がありましたよ、幸い顔見知りの連中だったから、お先にと云ってくれたが、いくら何でもいの一番じゃあ気がさして、二番目に挟んで貰ったんですよ」
「これは早々に――、国会議員の先生には、こちらからご挨拶申し上げねばなりませんのに――」
選挙地盤の事情さえ許せば、いつでも自由党から立候補するというような男だったが、国会では大蔵委員をしていたから、万俵は鄭重に挨拶した。
「いや、頭取には、何かとお世話になっているから、こちらから新年の挨拶ぐらい、当然ですよ」
「とんでもない、こちらこそ、平素、何かとお世話になって――」
万俵は慇懃《いんぎん》に頭を下げながら、大蔵委員会という厄介なもののことを考えていた。公定步合のことから、融資会社の倒産、不良貸付、店舗新設の問題まで、大蔵委員が問題にしようと思えば、どんな小さなことでもこじつけて、委員会で問題にされる。そんなところが信用と体面を重んじる銀行側にとって危険な代《しろ》もので、そんな危険を防ぐために、正規の献金以外に、別途の政治献金を行なっているのだった。万俵は政治には興味があったが、政治家は心の中で軽蔑《けいべつ》していた。政府機関によって許認可されている銀行にとって、政治と無関係であり得るはずがなく、むしろ政治と巧妙に繋がる部分がある。したがって銀行の頭取と政治家はパトロンとそのひもつきの関係にあるが、万俵はそんな素振りも見せない。見せないことによって、相手に距離をおき、なじめないものを感じさせ得るからだった。
一組五分の割で二時間に二十四組、六十七人の挨拶を受け終ると頭取室へ戻り、独りになった部屋の中で、万俵ははじめて姿勢を崩し、葉巻をくわえて、ぷかりと煙の輪を吐いた。今朝五時に志摩観光ホテルを出発し、九時過ぎに銀行に入ってから一時《いつとき》の休みもなかった。一步、銀行へ入れば、エレベーターの中はもちろん、廊下を步きながら、秘書からその日の日程を聞き、頭取室へ入るなり、五分刻みに人に会い、そのあと大口貸出の方針決定会議や資金会議、店舗不動産の取得に関する会議と、一刻の休みもないのが頭取であった。そしてそれらの最終の決定は、頭取が一人で裁決し、頭取一人の責任において判を捺《お》さねばならない。しかもその捺印《なついん》が、一つの会社の運命を左右する。