饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15470 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 と云いかけると、万俵は言下に遮《さえぎ》った。

「当行より下位の銀行と一緒になるような中途半端《はんぱ》な合併をすれば、また再編成の中に組み込まれてしまう、やるからには、少なくとも当行と同クラスを狙《ねら》って、それで終着駅になるような合併を断行すべきだ」

「では、最後にお聞かせ戴《いただ》きたいことがあります、万一、失敗した場合、九千二百人の従業員の将来と、先代から今日まで営々として築いてこられた阪神銀行のオーナー頭取という地位はどうなさるのです、そうした危険が伴うことを充分にご承知になった上で、なお合併をと仰《おお》せられるのですか?」

 大亀は青ざめた顔で、開き直るように云った。さすがの万俵も、暫《しば》し口ごもったが、

「そりゃあ、日夜、営々として働いている九千二百人の行員の将来や、私自身のオーナーとしての立場を思えば、万一、失敗した場合、空怖《そらおそ》ろしいことになる、しかし逆に、何も為《な》さずして、坐して食われることは、それ以上に……」

 万俵は、絶句した。それは美馬の前では絶対に見せない、不安と弱さを剥出《むきだ》しにした姿であった。万俵が人間的な弱さを安心して露呈できるのは、大亀だけだった。芥川や渋野、荒武などの切れ者の常務には見せない弱味も、大亀にだけはあからさまに曝《さら》け出していた。企業のトップとして決断に迷う時、不安に襲われる時、また銀行の頭取という品位が問題にされそうな時、万俵は必ず大亀を呼んで心中を吐露した。そして吐きだしてしまうと、ほっと安堵《あんど》する。それはたとえてみれば、下痢《げり》をしそうになってすぐ便器に走るそれに似ていた。いってみれば、大介にとって、大亀は便器であった。むろん、大亀もそれを承知していた。承知しながら、大亀の人柄はそれを快しとしていた。

 万俵はたち上って、向いのビルの間から見える神戸港の暗い海を眺めた。夜の海と同じように、金融界の再編成も、表面はさほど波だっていないが、底には大きなうねりがあるはずであった。それを他行より先んじて察知し、自行の方向を考え、決定するのが、頭取の役目であった。万俵は、大亀を振り返り、

「私は頭取の地位を捨てねばならぬような馬鹿《ばか》な合併はしないよ、銀行合併は最終的にはトップ同士の力関係によってリーダー.シップがきまる、その点、私はそこいらの傭《やと》われ頭取とは違う、オーナー頭取だ、相手の首をねじきるだけの能力と自信をもっている、その上、美馬を通して永田大蔵大臣とは絶えず気脈を通じ合い、用意周到にやるから、大亀君、ここは一つ協力を頼みたい」

 そこまで云われると、大亀は、もはや万俵の意志が動かし難いものであることを悟った。そうと解った上は、股肱《ここう》の臣として、身を挺《てい》して万俵頭取に協力するほかはなかった。

「頭取のそれほどまでのご決意が解りましたからには、微力ながら、ご協力させて戴きます」

「じゃあ、早速、今度の五月の全国支店長会議の議題の中心は、現在の十位から九位になるための預金獲得大作戦にして貰《もら》いたい、しかし、それが合併への体力づくりであることは、私と君だけで含んでおいて貰いたい、芥川君や渋野君などの役員には、折を見て私から話す」

 そう念を押し、

「それからもう一つ、政官界工作のために、表から出せない裏勘定の献金、その他の金がいる、それを大亀君、何とか工面して貰いたいのだ」

 いわゆるB勘定と称する裏金の操作であった。大亀は、俄《にわ》かに低い声で、

「――その点は、お任せ下さいますよう」

 と云い、憚《はばか》るように、

「ところで高須さんのことはどうなさるのです?」

 万俵家における高須相子のほんとうの立場も、外部の者では大亀だけが知っているのだった。銀行合併ともなれば、マスコミ関係の動きが活発になり、銀行家にとっては、一番の禁物である女の問題が表面化しないともかぎらない。万一、高須相子のことが世間に知られようものなら、万俵の致命傷になることは避けられない。万俵は困惑の気配を見せたが、

「そこまでさしでがましいことは云うな」

 平素のワンマン頭取の表情にかえり、不機嫌に云った。

 居間のテレビのスイッチを消すと、二子は九時半を過ぎた時計に眼を遣《や》り、

「銀平兄さまは、今日も午前さまなのかしら?」

 父にとも、母にともなく云った。

「婚約がおきまりになってからも、全然、変らないわね、毎晚、バーめぐりをしているっていうけど、ほんとうは隠れたる彼女でもいるのやないかしら?――」

 三子がいたずらっぽく笑うと、相子は、

「そんなこと、おっしゃるものではございませんよ、銀平さんは、一々、口に出しておっしゃらないけど、万樹子さまとは時々、デートしていらっしゃるのですよ、今夜だって、そうかもしれませんわ」

 と窘《たしな》めた。寧子はほっとしたような表情で、

「それならいいのですけど、結婚式まであと一カ月半ですから、何ごとも無《の》う、ちゃんとおさまってほしいと思うて――」

 自分は産んだだけで、育児も教育もすべて人任せであったが、男の子を手放す母の感傷のようなものが、籠《こ》められていた。

「何を云っているんだい、これまでと同じように邸内に住むのに、まるで遠くへ別れるような云い方をするじゃないか」

 大介が云うと、相子も、

「そうですよ、日本館のすぐそばですもの、それにあの南欧風の設計、ほんとうにようございましたわ、繊細で明るくて、室内の調度は、設計家の方と相談して、全部発注しました、あと照明器具だけが問題ですけれど、照明器具のデザインだけはほんとにいいのがなくて困ってますの」

 相子は、銀平の新居が着々と完成に向って進められていることを報告した。

 そんな相子を見詰めながら、大介は、最前、「高須さんのことはどうなさるのですか?」と聞いた大亀の言葉を思い返していた。天王山を背後に、一万坪の邸《やしき》の奥に住まい、外界とは完全に遮断《しやだん》されているから、鉄平と一子の結婚の時にも相子とのことは解らずにすんだが、世の中には万一ということがある。銀行合併という大事を前にして、さすがの大介も用心深く考えざるを得なかった。しかし、だからと云って、相子を手放すという気持はいささかもない。大介のように、冷厳なる頭取で世間を通している者ほど、一步、家の中へ入れば、異様なほどの解放と悦楽を求める。そうなると、白い小柄な体で、大介の体をおとなしく受け止めるだけの寧子より、能動的に挑んで来る相子の方が、大介の悦楽を充分に満足させた。特に今日のように、銀行合併のことで、遅くまで大亀と話し合って神経が昂《たかぶ》っている日には、相子と同衾《どうきん》する方が好ましかった。ちょうど外科医が、大手術のあった日に限って、なまなましい性欲を催すというが、大介も仕事に疲れた日に限って、性欲の昂りを覚えるのだった。しかし、今夜に限って、寧子に代れとはさすがに云い出せないし、せっかく十数年来、続けて来た妻妾《さいしよう》同居の平穏な秩序も乱すことになる。

「どうなさいました? 食後のブランディでもお出ししましょうか」

 相子は、大介の様子に気を配るように云った。その途端、大介は、ある戯《たわむ》れを思いつき、頷《うなず》いた。

「じゃあ、私たちはもう退散致しますわ」

 二子と三子はそう云い、自分たちの部屋へ上って行った。

 相子が、大介のグラスにブランディを注《つ》ぎかけると、

「先に寧子の方へ注いでおやり」

 いつになく優しい心配りを見せた。相子は険しい表情になりかけたが、大介の微妙な眼配せに気付くと、すぐ寧子のグラスにブランディを注いだ。

「どうぞ、お召しあがりになって――」

 寧子はあまりアルコールをたしなめる方ではなかったが、相子にそう云われると、素直に受けて、グラスを口に運んだ。

「そちらにも、お入れ致しておきましょう」

 と云いながら、相子が、大介のそばに寄って注ぐと、

「今夜は、お前も一緒だよ」

 大介は早口に囁《ささや》いた。相子は、おっとりとした表情でブランディを口にしている寧子の姿を見、眼を妖《あや》しく輝かせた。

 三人の同衾は、ここ久しくなかったことであった。広い寝室にベッドを三台並べ、大介を真ん中に、寧子と相子がはべるという異常な性行為は、曾《かつ》て寧子に睡眠薬自殺を企てさせるほどの衝撃を与えたことがある。自殺未遂後の寧子は、死ぬことさえ自力でかなわぬ自らの弱さを知り、三人同衾の屈辱に抗《あらが》うことは諦《あきら》めてしまったとはいえ、まともでは容易に応じなかった。それだけに大介と相子は、寧子に感づかれないように、ことを運ばなければならなかった。

「十時半頃においで――」

 大介は新聞を拡《ひろ》げながら、もう一度、相子に低い声で囁いた。

 寧子は、白絹《しらぎぬ》の夜着《よぎ》で、寝室へ入って来た。大介は三台並んでいる真ん中のダブル.ベッドに仰向けに寝ていると、

「およろしゅうございますか?」

 と云い、そっと大介のベッドに入り、寄り添うように体を横たえた。

「あなた、銀平は、あれでとても母親思いですのよ、銀平が結婚して独りだちし、傍《そば》から去って行くと思うと、自分の体の一部分を削《そ》ぎ取られるような気がして――」

 涙ぐむように云うと、

「父親だって同じ気持だよ、男は口にしないだけさ、さあ、おいで――」

 大介は小柄な寧子の体を抱いた。何年経《た》っても、大介の体を受けとめるだけだったが、銀平の結婚に感傷的になっている今夜は、大介の逞《たくま》しい体に引き寄せられると、素直に大介の愛撫《あいぶ》に身を任せた。大介は、静脈が透けて見えるほどに白い寧子の足をまさぐり、その滑らかで小さな足を、自分の体のあらゆる部分に触れさせて愉《たの》しみ、寧子もブランディの酔いでいつになく体を熱くした。

 不意に濃艶《のうえん》なジョイの香水の香りが漂った。寧子は、はっとして上半身を起すと、薄明りの中に、ネグリジェをまとった相子がたっており、

「十時半頃、来るようにとおっしゃったから、参りましたのよ」

「じゃあ、あなたは最初から、今夜、そのつもりで、私にブランディを飲ませて……」

 寧子は、みるみる顔を蒼《あお》ざめさせた。

「そう、そうだったのよ」

 相子は、ベッドに近付いた。

「あなた、あなたまで……、こんな騙《だま》し方を――、私は厭《いや》です」

 夫を詰《なじ》るように振り向くと、つい今まで夫らしい慈《いつく》しみを持っていた大介の顔に、好色な笑いが滲《にじ》んだ。

「久しぶりじゃないか、三人一緒は――」

 大介はそう云うなり、酔いで抗う力をなくした寧子の体を右腕で押え、反対側に相子の豊満な肢体を引き入れた。

 寧子は、汗に濡《ぬ》れた大介と豊満な乳房を押しつけてくる相子の体にはさまれて、抗えば抗うほど、自由を失って行った。そして大介は、寧子の抗いと相子の挑みを、交互に愉しむように時間をかけて愛撫し続けた。

「もうお止《よ》しになって――」

 あまりの執拗《しつよう》さに寧子は叫ぶように云うと、大介の手がかすかにゆるんだ。その隙《すき》に、寧子は身をよじらせるようにしてベッドの外へ降り、露《あら》わな体に夜着を羽織って、扉《ドア》へ向った。

「おい、馬鹿な真似《まね》はするな、女中にでも見られたらどうするんだ」

 背後で大介の押し殺すような声がし、相子も、

「いつまでもお上品ぶって、手をやかさないで」

 冷笑を含んだ声で云いながら、止《と》めにたちかけたが寧子は振り切り、スリッパも履かず跣《はだし》のまま、寝室を走り出た。

 白絹の夜着の胸もとをかき合せ、急いで自分の部屋へ向いかけた時、寧子は薄暗い廊下の向うに人影がたっているのに気付いた。いつからそこにいたのか、玄関のホールから上ってくる階段のところから、じっとこちらを見詰めている。思わず足を止めると、人影は足音をしのばせるように近付いて来た。

「お母さま……」

 帰宅したばかりらしい銀平が、寧子の前にたち、真夏でも白足袋を脱がない母の、スリッパも履かない乱れた姿を凝然と見た。

「まあ、あなただったの、お帰りなさい――」

 やっとそれだけを云い、顔を合わせるのを避けるようにして自分の部屋へ行きかけた。

「お母さま、どうなさったのです?」

「何でもないのよ、お父さまとご一緒していたら、少し気分が悪くなったものだから、お部屋へ帰ろうと思うて――」

「じゃあ、お部屋までお送りしましょう」

 銀平はそう云うと、母の部屋の扉を押した。表見《おもてみ》は洋風になっていたが、寧子の部屋だけは上り框《がまち》をつけて日本風の座敷にしつらえられ、十畳の居間と八畳の寝室の二間続きになっている。

「もうようなりました、あなた、早うお寝《やす》みなさい」

 寧子は、よそよそしく、銀平のいたわりを拒んだ。つい今しがたまで交わっていた大介と相子の汗が、まだ滲《し》みついているような気がし、それを灯りの下で息子に見られたくなかったからだった。

「しかし、お母さま、お顔が真《ま》っ蒼《さお》じゃないですか、早くお寝みになった方が――」

 銀平は、無理に母の華奢《きやしや》な体を抱きかかえるようにして、寝室へ步を運びかけたが、その瞬間、母の体から濃艶なジョイの香水の匂《にお》いを嗅《か》ぎ取った。それはまぎれもなく相子のつけている香水の匂いであった。はっとして母の顔を見下ろすと、寧子は反射的に顔をそむけたが、その時、銀平は、母の身に何が起ったのか、すべてを悟った。幾つになっても雛《ひな》人形のように臈《ろう》たけて美しい母が、妻妾同衾という獣のような交わりの中で弄《もてあそ》ばれ、生贄《いけにえ》にされているのかと思うと、銀平は、自らの体まで汚辱にまみれるようなおぞましさを覚えた。しかし、気付かぬ振りをすることが、この際、母に対するせめてものいたわりであった。銀平は、索漠とした思いの中で、

「お母さま、ほんとうにいいの? 何か気分が落ちつかれるお薬を持って来ましょうか」

 と云うと、寧子は眼を伏せたまま、

「有難う、でも、もう何でもないの、それにお薬なら、そこの小引出しに入っていますから」

 かぼそい声で云い、

「それより、こんな深夜まで、どうして遅かったのです」

 ようやく、母親らしい気持の落ちつきを取り戻して云った。

「ちょっと、飲みに行っていたんですよ、男って、いろんなつき合いがありますからね」

「でも、万樹子さまとの結婚式が近付いているのですから、何かと自重して下さいね、私は心に思うばかりで、実際には、何もしてあげられのうて――」

「それは、お母さまのせいじゃない――」

 相子のせいだと云おうとして、銀平は口を噤《つぐ》んだ。今の銀平と母との間では、彼女の名前すら口にしたくなかった。

「ではお母さま、お寝みなさい」

 そう云って、銀平は、三枚重ねの緞子《どんす》の敷蒲団《しきぶとん》が敷かれている夜具の上に、母の体を寝かせかけ、右手の甲に血が滲《にじ》んでいるのに気付いた。

「お母さま、そのお手は――」

 銀平は、そう問いかけて、あとの言葉を呑《の》んだ。それは三人が縺《もつ》れ合い、相子の長く伸ばしている爪《つめ》にひっかけられた傷であるらしかった。寧子は、夜具の中へ手を隠そうとしたが、銀平はそうはさせず、血の滲んだ母の手を、自分の両手に包むようにして、じっと見詰めた。母は十数年前、睡眠薬自殺を図ったことを、今もって子供たちに気付かれていないと思っているのだろう。銀平は、いま、その母に、自分だけが知っていたことを告げて、互いに、いたわり合いたいという衝動に駈《か》られた。

 しかし、それを母に云ってみたところで、どうなるというのだろう。高須相子という女を父が愛し、その女が万俵家にいる限り、この大きな邸の一角で、母は蔑《ないがし》ろにされて、辱《はずか》しめられる生活が続くのだった。銀平は、小引出しの中からオキシドールと脱脂綿を取り出した。そして、かすかに血が滲んだ母の手の甲を、まるで高須相子の爪あとを浄《きよ》めるかのように何度も拭《ぬぐ》った。真っ白なオキシドールの泡《あわ》を見る銀平のいつもは無表情な眼に、激しい怒りの色が奔《はし》っていた。

 翌日、相子は、大阪まで買物にと云って、その実、心斎橋のミニヨン美容院へ全身美容に出かけた。今までも三人同衾した翌日は、容色の衰えを防ぐために、秘《ひそ》かに全身美容を行なっていたのだった。

 わざわざ大阪まで出かけて行くのも、阪神間ではミニヨン美容院の全身美容術がどこよりも優れているからだった。ガラス扉《ど》を押すと、サロン風の応接セットがあり、いかにも関西の上流夫人たちが集まるのにふさわしい落着きと華やかさがあった。整髪も美容も、すべて予約制であったから、混《こ》み合うことがなく、かかりつけの美容師は、相子の姿を見ると、

「高須さま、お待ち申し上げておりました」

 愛想よく迎えて、個室になった特別美容室へ案内した。広いタイル貼《ば》りの部屋にはスチーム.バスとマッサージ用のベッドが設備され、相子はすぐスーツを脱ぎ、ブラジャーからパンティまで取って、一糸もまとわぬ姿で鏡の前にたった。身長百六十三センチ、ウエスト六十五センチ、ヒップ八十七センチのスタイルに、バストだけが九十センチという豊かさだった。しかしその日は、昨夜の交わりが過ぎたのか、大きな眼の廻りに隈《くま》が出来ている。

「どうぞ、スチーム.バスのご用意が出来ました」

 専任の美容師は、若い助手を使って相子の化粧を落し、バス.キャップをかぶせて、箱型のスチーム.バスに入れた。首だけ出して、全身をスチームで蒸すと、汗が滝のように流れ、皮膚の毛穴が完全に開ききってしまう。そうしておいてから美容師は、香水入りのシャンプーで体を洗い、ややぬる目のバスで流したあと、全身マッサージにかかるのだった。

 相子が全裸でベッドに仰向けになると、美容師と助手が二人がかりで、全身にコールド.クリームを塗ったあと、顔、首筋、胸、腹部、両手、両足という順序で一時間余りマッサージを続ける。いくら目鼻だちが派手で、顔は化粧《メーキヤツプ》で若く見せることが出来ても、首筋と手の甲と足の踵《かかと》には、隠せぬ齢《とし》が出るものだから、相子のような中年の場合は、特にそのあたりを丹念にマッサージして貰《もら》う。若い助手が足の踵をマッサージし、美容師は相子の首廻りにボディ用のオイルをつけながらこすり上げるように何度もマッサージを繰り返す。下手な美容師に会うと、まるで擂粉木《すりこぎ》でこすられるような痛さを感じるが、熟練者にかかると芯《しん》から揉《も》みほぐされるようにソフトな感触を覚える。相子がその巧みなマッサージに眼を閉じていると、

「高須さまは、ほんとうにお若うていらっしゃいますこと、少なくとも十歳はお若いお肌で、手入れをさせて戴《いただ》く方も、甲斐《かい》がございますわ」

 美容師が云った。

「あら、お上手をおっしゃるのね、私はもう四十ですのよ」

「お世辞じゃございませんわ、その証拠にお肌がこんなにきめ細かく、張りがあります、三十歳ぐらいの方でも、もっと固いお肌の方がいらっしゃいますのよ、ほら、こんなに弾力性が――」

 首筋の筋肉をぴちぴちとつまみ上げるようにし、全身のマッサージをすませると、ベッドに取りつけられているバイブレーターのスイッチを入れた。快い震動が体に伝わり、相子はそれに身をゆだねながら、昨夜の寝室でのことを思い出していた。

 大介の計画通り、寧子をブランディで酔わせて、久しぶりに三人同衾の交わりを愉しんでいたが、その最中、寧子に脱け出されてしまった。しかしそのあとも相子は、大介と奔放な愛撫を繰り返した。ゴルフで鍛えているせいか、筋肉質の体は自他ともに四十代と云われている大介も、さすがに昨夜は、相子の意のままになって、寧子に対する云い知れぬ優越感を相子にもたらしたのだった。

 バイブレーターが止まって、マッサージが終った。相子はベッドから降りてシャワーを浴び、全身を拭って貰った。一晚で艶《つや》を失った肌が、みずみずしい潤《うるお》いを取り戻し、桜色に輝くような感じだった。

「ご苦労さま、これで体が軽くなったような、すがすがしさだわ」

 相子は爽《さわ》やかな口調で云い、ローズ色のスーツを着ると、もう一度、自分の顔を鏡に映して、白いだけが取得《とりえ》のような寧子の肌をちらっと思いうかべ、満足げに美容院を出た。

 心斎橋の雑踏に足を踏み入れると、相子は、さらに爽快《そうかい》な気分になった。神戸の街のように、ことさら人目を気にする必要もなかったし、曾《かつ》て自分の生れ育った土地柄という気やすさもあった。

 相子は美味《おい》しいコーヒーを飲みたいと思った。すぐ眼の先にコーヒー専門店のB.Cがあった。扉《ドア》を押すと、ウインザー風の椅子《いす》とテーブルで統一された店内は、コーヒー通らしい男性客で殆《ほとん》ど占められ、隅のテーブルだけが一つ空《あ》いていた。そこに坐って、キリマンジャロを注文していると、

「失礼ですが、高須さんではありませんか?」

 隣の席にいた中年の男が突然、声をかけて来た。どこかで会ったような気もするが、誰だか思い出せない。平凡な紺《こん》の背広に、眼鏡だけ気障《きざ》なフレームの眼鏡をかけた中肉中背の男だった。

「どなたでしたかしら」

「加納《かのう》ですよ、お忘れになりましたか? 昔、よくお宅へお邪魔に上っていた――」

「昔といいますと?」

「天王寺のお宅が戦災で焼ける前の頃です、あなたは、たしかまだ女学生でしたね」

 その頃、父の学校の後輩である若い学生たちがよく父に会いに来ていたことは覚えている。そして彼らの目的が父ではなく、自分にあったことも、当時、相子は感付いていた。そういえば、加納はその中の一人だったような気もする。

「先生が亡《な》くなられて、何年になりますかな?」

 加納はそう云うと、相子の都合もきかずに、なれなれしくテーブルを移ってきた。

「もう十五年以上になります」

「アメリカへ留学されて、向うの方と結婚されたと伺いましたが?」

 相子は運ばれて来たコーヒーを飲みながら、離婚したリチャード.キーンの知的な容貌《ようぼう》を久しぶりに思い出した。

「先生からアメリカで結婚されたことを伺った時は、正直いってがっかりしましたよ」

 相子が、加納の無遠慮な言葉を咎《とが》めるような表情をすると、

「いや、そんな話はよしましょう、ところで、今はどちらに?」

 探るような視線で、相子の右手にはめられているエメラルドの指輪と、全身美容で見事に若がえった美しい顔を見比べるようにして聞いた。

「阪急沿線に住んでおりますわ」

「向うでは、うまくいかなかったようですね……、それで再婚されたのですか?」

 相子は、首を振った。

「どうして、あなたのような方が、その後、結婚なさらないのです?」

「皆さま、同じことをお聞きになりますのね」

 相子は話の腰を折るように云ったが、加納は曖昧《あいまい》に笑って、

「じゃあ、現在は、マンションで、気楽な独り暮しというところらしいですね?」

 相子は応《こた》えなかったが、

「実は私も独り暮しなんです、今、大学の教師をしていますが、女性と違って、男鰥《おとこやもめ》は何かと不自由でしてねぇ」

 問わず語りに喋《しやべ》り、大阪の私立大学の文学部助教授という肩書が刷り込んである名刺をさし出した。

「奥さまは、亡くなられたのでございますか?」

 単なる社交辞令のつもりだったが、加納はその質問を待ちかまえていたように、

「いいえ、これがひどい悪妻でして、子供がなかったのを幸いに別れました」

 そう云って、体を乗り出して来、

「弟さんは、お元気ですか? ここ暫《しばら》くお目にかかっていませんが」

 高校の教師をしている弟のことを聞いた。

「おかげで元気にしておりますわ」

「そうですか、先生が生きておられたらと、つくづく思いますよ」

「父が生きていたら?」

「ええ、あなたのことを何とかお願いできたかも知れないと思うからですよ、でも、こんなところでお目にかかれるなんて、やはり何か、ご縁があるのですね」

 加納が何を考えているのか、相子には見当がついた。とんでもないと思う一方で、父が生きていたら、事実、こういった類《たぐ》いの男との再婚をすすめられていたかもしれないという気がした。大学の文学部助教授の妻として、平々凡々たる生活を営み、もしかしたら、自分もどこかの学校の教壇にたっていたかもしれない。

 万俵家へ家庭教師として入る前の相子には、正直云って、将来への夢など、まるでなかった。リチャードとの結婚に僅《わず》か一年で破れて帰国した相子を待ち受けていたのは、教科書汚職に連座した父の懲戒免職であった。帰国後は母校の奈良女子大の研究室に戻って、学問を続けようと心に決めていた。それがリチャードとの離婚で傷手《いたで》を受けた若い相子の唯一《ゆいいつ》の希望だったが、それも、父の懲戒免職でご破算になった。その頃の日本は、食べることだけに狂奔しなければならなかったが、相子には、自活か再婚かという、二者択一の道しか残されていなかった。そして希望する就職先には、父の事件が禍《わざわ》いし、再婚するには、外人との前歴が大きなハンディとなって道を塞《ふさ》いだ。

 万俵家から家庭教師の仕事を持ち込まれたのは、そうして相子の自尊心がずたずたに切り苛《さいな》まれている時だった。家庭教師は、相子の性分に全く合わなかったが、それを引き受けたのも、ただその高額な報酬が目当てであった。当時、二万五千円という月給は、一流企業の課長クラスに相当し、諦《あきら》めていた弟の大学進学も、それで賄《まかな》うことが出来たのだった。弟が大学を卒業するまで我慢しよう、それが相子の偽らぬ本心であった。

 しかし、万俵家に入った相子の人生は、その意思とかかわりなく、大きく転換した。かつて想像も出来なかった巨大な富と暮し、しかもそれが閨閥《けいばつ》によってさらに膨《ふく》らんで行く事実に眼の眩《くら》む思いがした。そして万俵大介と体の交渉をもった時を境に、相子はそれと引換えに、万俵一族を差配する権勢を購《あがな》おうという野心を燃えたたせたのだった。

 相子は、目の前に坐《すわ》っている男の不躾《ぶしつけ》な眼つきを見た。あなたなどと結ばれる女ではありませんよ、と云ってやりたかった。

「私、お先に失礼致しますわ――」

 相子が席をたち上ると、加納も同時に腰を上げた。

「では僕も――」

 気やすく寄り添って来たが、

「私、今から用向きがございますから、ご免遊ばせ」

 見下《みくだ》すような視線で止《とど》めをさし、階段を下りた。そして表へ出ると、加納が話題にした弟の家を久しぶりに訪ねてみようと思った。現在の相子にとって、弟はたった一人の肉親だった。

 高層アパートが林立する千里ニュータウンのほぼ中央部に、弟の住んでいるC17棟があった。各棟に記されている記号を頼りに、タクシーを降り、エレベーターに乗った。

 四時すぎのエレベーターの中で、ローズ色のツーピースに同系色のターバン.ハットをかぶった相子の姿は人目にたちすぎ、買物籠《かご》をぶらさげた主婦たちの視線は、全身美容をして来たばかりの顔と洗練されたその服装に一斉に集まった。相子が身につけている一着八万円のジバンシーのスーツも、一回七千円の全身美容代も、夫の給料で親子何人かの生活を賄《まかな》っている公団アパートの主婦たちの生活とは、かけはなれたものだった。

 相子は五階でエレベーターを降り、廊下の中程にある高《たか》須徹《すとおる》という表札がかかっている部屋のベルを押した。

「どなたですか?」

 弟の妻の声が聞え、覗《のぞ》き窓が開かれた。

「まあ、お義姉《ねえ》さん、お珍しいこと――何か、急なご用でも?――」

 エプロン姿の幸江は、二年ぶりの義姉の来訪を驚くように云った。

「いいえ、別にとりたてての用などないの」

 居間の座卓につきながらそう云った途端、幸江の眼に、何か警戒するような色がうかんだ。それは何事につけても、少しでも身に振りかかる肩の荷を避けようとする庶民の主婦独特の表情であった。そんな気配を相子は敏感に感じ取って、

「ちょっと、この近くまで来たついでに寄ってみたの、富子ちゃんと悦子ちゃんは?」

 と云うと、鉛筆を持ったまま、隣室から様子を窺《うかが》っていた小学校六年と四年の姉妹が、母のうしろから、はにかむように顔を覗かせた。

「伯母さまにご挨拶《あいさつ》しなさい」

 幸江が、子供たちの肩を押すように云うと、

「伯母ちゃん、今日は――」

 二人はぴょこんと頭を下げた。

「暫く会わないうちに、二人ともまた背が伸びたみたいね、はい、おみやげ」

 赤いリボンで結ばれた洋菓子の箱を手渡すと、六年生の富子は、父親の徹に似た大きな瞳《ひとみ》を輝かせ、

「これ、マロン.グラッセでしょう、大好きやけど、あんまり食べたことないのんよ――」

 嬉《うれ》しそうに云って、しげしげと美しい装いの相子を見て、

「伯母ちゃんは、何してはるの?」

 と聞いた。相子は一瞬、言葉に詰ったが、

「家庭教師よ、お家でお勉強を教えてあげているの」

「何年生やの? その子」

 富子は好奇心に満ちた眼で云った。

「大学生の女の子なの」

 三子のことを云った。

「ふうん、大学生にもなって、伯母ちゃんに教えて貰うてはるのん、その子、あんまり勉強、でけへんのやね?」

「そう、そうなの」

「ほんなら、伯母ちゃんはえらいのやね、大学生に教えてあげてるのやもの、うちのパパだって、高校生を教えてるのやものね」

 四年生の悦子は無邪気に云い、二人で何かえらい人を見るような眼つきで、相子を見上げた。相子にとって肉親は弟とこの二人の姪《めい》しかいないだけに、訝《いぶか》しげに見られるのは、心淋《さび》しいことだった。

 義妹の幸江は、相子が万俵家の邸内に住んでいることを聞き知っていたが、どういう立場で何をしているかまでは知らないはずだった。そして、気位も高く、あまりにもかけ離れた世界に住んでいる義姉とは、話の継穂《つぎほ》がなく、気づまりな表情がありありと見えた。

「あのう、主人は、今日はいつもより早く帰って来ると云ってたんですが……」

「私、別に急がないことよ」

「でも、お義姉《ねえ》さまは、やっぱり何かとお忙しいんでございましょう?」

「どうぞ、あなたこそ、私にかまわないで、夕食のお支度もあるでしょうから――」

 相子が云うと、お茶をいれていた幸江はほっとした表情で、キッチンに入り、夕食の支度に取りかかった。子供たちも、何となくぎごちないらしく、マロン.グラッセの箱を持って次の間へ行ってしまった。相子はお茶を飲みながら、向い側のアパートへ眼を遣《や》った。洗濯物を取り入れたり、掃除をしたりする忙しそうな主婦の姿が見えた。幸江はガス台に鍋《なべ》をかけ、煮ものをしながら、

「筍《たけのこ》も、この頃は高いんですね、でもうちの人の好物なものですから」

 と声をかけた。筍といえば、相子の父の好物で、父は母が生きていた頃には、その季節になるといつも筍で晚酌を楽しんでいた。父は律儀《りちぎ》で、小心過ぎるほど真面目《まじめ》だったが、母はどちらかといえば、モダンで、教育熱心で、今でいう教育ママ的なところがあり、大阪府庁の学務課に勤める夫のささやかな給料の中から、相子にピアノを習わせた。その母は、相子が十六歳、弟が十一歳の時に、結核で死亡したが、もし母が生きておれば、課長の父も、上司の罪をおっかぶせられた教科書汚職に連座することなく、うまくたち廻れたかもしれない。その父も、懲戒免職になってからは、焼酎《しようちゆう》のような安酒を飲み、卒中で急死してしまったのだった。

 扉《ドア》のブザーが鳴り、弟の徹が帰ってきた。

「お帰んなさい、待っていたのよ」

 相子が声をかけると、

「やあ、姉さん、久しぶり――、どうかしたの? 突然」

 驚くように云った。

「突然だと、いけなかったかしら?」

「そんな云い方をしていないよ、でも、めったに現われない姉さんが、何の前ぶれもなく突然、現われると、何か重要なことでも、と思うじゃないか」

「そうじゃないの、久しぶりで大阪まで買物に出かけて来たら、心斎橋の喫茶店で、加納さんとかいう、お父さんの後輩で、今、大阪の私大の助教授をしている人に出会って、お父さんの昔話や、あなたのことを聞かれて、急に寄ってみたくなったの」

 相子は、この弟にだけしか見せない母親のような優しい顔付をして云った。

「ああ、加納さん、あの人は、僕たち国語教師でやっている母親読書サークルの講師になってくれたりして、あれでなかなか、その方のタレントなんですよ」

 と応えた。そう云えば、野暮ったい背広に、眼鏡だけが妙に目だって気障なのが解《わか》るような気がする。

「別に用がなければ、今夜は久しぶりにゆっくりして行けばいいじゃないか、たまには姉弟一緒の夕食もいいだろう」

 無骨な口調であったが、肉親の愛情が籠《こも》っていた。相子はそうしようかと思ったが、キッチンでコトコトと、何かを刻んでいる幸江の手が止まったのを聞き逃《のが》さなかった。

「いいえ、そんな心配しないで、あなたと少しお話ししたら、失礼するわ」

「なんだ、そんなに忙しいのかい?」

「ええ、次男の銀平さんの結婚式を控えて、財界はもちろん、政界、官界のお歴々のご招待名簿から引出物の検討まで、このところ忙殺されているのよ」

 そんな忙しい中を、格別の用もないのに、なぜ訪ねて来たのか、弟は怪訝《けげん》な顔をした。

「姉さん、ちょっとベランダへ出てみないか」

 ベランダといっても、猫の額ほどの狭さで、片隅には洗濯機があり、植木鉢が五、六個並んでいるだけだった。しかし、3DKの公団アパートで、姉弟が二人きりで話すとすれば、そこしかなかった。二人列《なら》んで鉄柵《てつさく》に寄りかかると、弟は声を落して聞いた。

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