饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

第 15 页

作者:日-山崎丰子 当前章节:15455 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「居着《いつ》きのいい方だね、これから、ちょいちょい来るよ、もっとも一人の時は、下のカウンターだが、いいかい?」

 眼を細め、やに下るように云うと、女も、

「嬉《うれ》しがらせるだけでなく、きっといらしてね、お待ちしているわ」

 媚《こ》びるように応《こた》えた。田中が体を寄せて、女の手を握ると、女もやんわりと握り返してきた。その時、がらりと襖《ふすま》が開いた。田中は慌てて女から離れ、居ずまいを正したが、美馬は敏感に雰囲気《ふんいき》を感じ取り、僅《わず》かな間に、ただ酒で女にやに下る下級官僚のいじましさを鼻先で笑いながらも、

「いや、待たせてしまったね、次官のお伴で、国会の大蔵委員会へ出ていたもので、遅くなって、失敬――」

 と云うと、田中はもっともらしい表情で、丸い縁の眼鏡をずり上げ、仲居は部屋を出た。

「例のもの、間に合わせてくれたのかね?」

 美馬が話をきり出すと、田中は、机の横の鞄《かばん》を大事そうに膝《ひざ》の上に載せた。

「ええ、お持ちしました、都市銀行十二行のうち、六位から九位の資料といいましても、ご存知のようにそれぞれ担当者がおりますので、中位行と下位行の検査概況を比較検討してみたいという口実を設け、疑われないように借り出して、コピーを取りました」

「なるほど、中位行と下位行の比較検討のためか、うまい口実だねぇ」

 感心するように云い、田中が机の上に置いた六位行から九位行までの銀行別の検査報告のコピーを手に取った。大学ノートをひろげた大きさで、厚さは一部について一センチ程の書類であるが、どれも表紙の左肩のところが不自然に白くぼけているのは、そこに銀行局で保管している限られた部数の通しナンバーが打ってあるためで、万一の場合を考えて抹消《まつしよう》してきたものらしい。美馬は、書類を手に取ると、銀行課長時代のもの馴《な》れた眼で、ぱらぱらと頁《ページ》を繰り、経営概況、預金状況、資金ポジションなどの項目を一読し、改めて貸金関係の項目の頁を繰り、不良貸出しについての四行の数字を突き合せた。

中京銀行

 (預金高)1兆3539億

 (貸出高)1兆2049億

 (不良貸出高)301億(2.5%)

第三銀行

 (預金高)1兆2895億

 (貸出高)1兆1863億

 (不良貸出高)415億(3.5%)

大同銀行

 (預金高)9610億

 (貸出高)8196億

 (不良貸出高)173億(2.1%)

平和銀行

 (預金高)8502億

 (貸出高)7226億

 (不良貸出高 )361億(5%)

 こうした不良貸出高は、たとえ大蔵省内でも、銀行局のごく一部のポストの者以外には知らされず、絶対、表には出ない数字であった。それは、銀行にとって、最大の恥部であったからだった。こんな数字を公表すれば、銀行の信用が問われ、ひいては大蔵省の監督不行届という厳しい世論にもなる。

 美馬は、各行のコピーから眼を上げると、女のような白い手で田中の盃《さかずき》に酌をし、

「この資料は一両日、貸しておいて貰《もら》うよ、おかげで四行の業容の実態が解《わか》って、大助かりだ」

 と犒《ねぎら》い、運ばれて来た料理をすすめた。

「ところで、この不良貸出しの内訳、つまり回収不能、回収に疑義、元利延滞の三段階に分類した特別調査表があるだろう、それを是非、みたいのだがねぇ」

 やや声を落して云った。田中は眼鏡の下の眼をはっと瞬《しばたた》かせて、

「あれは局長の手もとにあるのですから、私どもではちょっと――」

「そこのところを何とか検査部の主《ぬし》と云われる君に頼みたいのだよ、ここまで打ちあけたところを頼めるのも君と僕との間なればこそで、誰にでも頼めるというものじゃないからねぇ」

 そう持ち上げながら、美馬は、既に不良貸出しの内訳資料は、田中松夫の机の引出し、ことによっては、すぐ眼の前にある黒い古びた鞄の中に入っているかもしれないと、思った。それをもったいつけて出さぬのが、何かをせびり出すための下級官僚のしみったれたきたなさだと侮蔑《ぶべつ》しながらも、

「田中君、君にそれだけのことを頼むからには手ぶらじゃないよ、この間、話したあの白鷺信用金庫の常務の件ね、あれ、君さえよければ、受け入れる構えになっているのだ、あそこなら君の故郷の加古川《かこがわ》にも近いし、余生を故郷で送るというのも、いいものじゃないかな」

 相手の気持を釣るように話を運ぶと、田中は細い眼を光らせ、

「では、二、三日、日をかして下さい」

「いや、急いでいるので、明日の退庁時間までに間に合わせて貰うと、助かるのだよ」

 美馬は、わざと陳情するような語調で云うと、

「そうおっしゃられますとねぇ……、では、何とか間に合うよう、やってみましょう」

 と田中は云った。美馬はすかさず、上衣の内ポケットから金包みを出し、机の下から田中の膝もとへ置いた。

「とんでもありません、こんなお心遣いなど――」

 田中が押し返すと、美馬は、

「いいじゃないか、調査費として取っといてくれよ」

 わざとくだけた口調で云った。田中は、

「では、お言葉に甘えまして――」

 と云い、机の下の金包みを受け取ると、気詰りなのか、時間を気にするように帰りを急いだ。美馬はことさらに止めだてもせず、

「じゃあ、一緒に出ると目だつから、君から先に、ハイヤーを呼ばせるから、それで家まで帰ってくれ給《たま》え」

「ハイヤーなどとんでもない、自分でタクシーを拾いますよ」

 と辞退したが、美馬はすぐハイヤーを呼ばせた。車が来ると、田中は、美馬に挨拶《あいさつ》し、黒い鞄を小脇《こわき》に抱えてそそくさと席をたった。美馬はそのうしろ姿を見遣りながら、千両箱を抱くようなほくほく顔で、車の中で金包みを開ける田中松夫の顔を思いうかべた。中身の五万円を、田中は少ないと思うかもしれないが、高級官僚の自分がこれぐらいのことをした時の謝礼はおおよそ五十万だから、下級官僚の彼なら、五万か十万円で充分だろう、それ以上やれば、相手を敬ったことになり、高級官僚たる自分の沽券《こけん》にかかわると思った。

 次の晚、美馬は田中松夫から受け取った資料を携えて、麹町《こうじまち》にある阪神銀行の行邸《こうてい》を訪れた。万俵はマル秘資料のコピーをひろげるなり、パイプの火が消えたのも気付かず、吸いつくような視線を当てていた。

 美馬は手持ち無沙汰《ぶさた》にウイスキー.グラスを口に運びながら、応接室を見廻した。広々とした室内には、ブラックの絵が掛り、ギリシャの黒絵の壺《つぼ》が置かれ、塵一つなく拭《ふ》き磨かれていたが、月に十日と使われないせいか、いつ来ても妙に冷え冷えとしている。邸内には、管理人夫婦と二人の書生がいたが、玄関の送り迎えと、云いつけられたものを運んで来る以外にはそれぞれの部屋に控え、森閑と静まりかえっている。

 飾棚の上の置時計が、ウェストミンスターの鐘の音を打ちならした。既に十時であった。その鐘の音が余韻を引いて、邸《やしき》全体の静けさの中に吸い込まれるように消え入ると、万俵はようやく顔を上げた。

「ご苦労だったね、この資料を持ち出させた検査官は、できるだけ早い目に、白鷺信用金庫に引き揚げさせることだな」

「ええ、それは当人にもちゃんといってあり、妙な噂《うわさ》や勘繰りが出ないうちにうまくやりますから、ご安心下さい」

 将棋の駒《こま》を動かすような簡単さで云い、

「如何《いかが》ですか、阪神銀行の花婿《はなむこ》選びに、この資料は、充分なお役にたちますか?」

 充分であることを承知しながら、恩きせがましく聞いた。

「うむ、全くはじめてみる資料ばかりではないが、合併というはっきりとした目的意識をもってみると、やはり見方が違うものだね、この不良貸出高の内訳などは、各行の裸の姿が解って大いに参考になる」

 大介は美馬の注いだウイスキーを美味《うま》そうに口に運び、テーブルの上の別綴《べつとじ》になった資料を眼で指した。それは田中松夫に、今日の夕方までに是非、間に合わせてくれと追加依頼した資料で、不良貸出高を、『元利延滞』、『回収に疑義』、『回収不能』の三つに分類するとともに、さらに細かく一つ一つの分類の中に占める大口貸出先の顔ぶれとその金額をも付記した極秘中の極秘資料であった。

「その資料は、銀行局長と検査部長の二人しか持っていないものだけに、あの男が恐《こわ》がってなかなか持ち出さないものですから、私も多少、手をやきましたが、こうして分類したものを仔細《しさい》に検討しますと、私が銀行課長だった時から、僅か六年しか経《た》っていないのに、急激に悪化の度合いが目立っている銀行があって、実のところ驚いているのですよ」

「そうだね、殊《こと》に第三銀行など、全く思いがけない、あそこは旧財閥系の銀行で、強力な企業グループに支えられ、貸出しのやり方は、非常に手堅いと云われて来たのに、不良貸出額四百十五億の三分の一以上が、回収に疑義ありと回収不能で、あとの延滞の内容も、当面は単純な滞りということになっているが、貸出対象別のリストを見ると、もはや斜陽化している企業や利益率の低い事業が多く、回収不能に転落する危険性を孕《はら》んでいるのが、かなりあるようだな」

 大介は真底、愕《おどろ》いたように云った。

「確かに主力融資先全般を見ても、ここ数年の急激な技術革新、商品革命に乗り遅れた企業に依然として執着している一方、経営効率も悪いですねぇ、こうなると、曾《かつ》ての名門、衰えたりの感が深いですね」

 美馬が云うと、大介は眼鏡の奥の眼を鋭く光らせたが、すぐ何気《なにげ》ない表情になって、

「中京銀行は、一頃《ひところ》より不良貸出しが少なくなったというが、こうして見ると、まだかなりあるようだな、ということは、日銀天下り派と生《は》え抜き派のお家騒動がまだ完全に決着がつかず、燻《くすぶ》り続けている証拠だね」

 と云うと、美馬も頷《うなず》いた。派閥争いが起っている銀行は、各々《おのおの》の勢力を拡大するために、大株主である大口融資先と結託し、その支援を受けて、少しでも自派に有利な立場を築こうとするから、得意先に対して特恵的な情実貸出しを行ないがちになり、貸出規律を紊乱《びんらん》させる因《もと》になる。

「その点、大同銀行と平和銀行には、中京銀行にみられるようなお家騒動はありませんが、大同銀行は、昔ながらの小ぢんまりした優等生タイプ、平和銀行はこの間、京都支店で六億にのぼる不良貸出しが発覚した如《ごと》く、頭取の“顔貸付”が依然として多く、審査部があってなきが如き銀行というわけですかね」

「しかし、平和銀行の場合は、頭取の顔貸付と一言のもとに片付けるのは、ちょっと酷じゃないかね、この資料の頭取の融資態度の項にも、神田《かんだ》頭取の融資態度に問題ありと書かれているが、平和銀行はもともと在阪三行としてスタートしながら、資金力にものを云わせた大友銀行と五和銀行の凄《すさま》じい競争の煽《あお》りを食って、急激に業容が低下して行っている時だけに、神田頭取の経営拡大意欲は人一倍、強いと思う、何といっても、あそこは神田頭取で持っている銀行だが、その積極政策が、不運にもことごとに裏目、裏目に出て、こうした結果になったと見る方が真実じゃないかな」

 同じ都市銀行の下位行として、大介には平和銀行の焦《あせ》りと苦悩が、手に取るように解った。しかし美馬は、口もとに冷笑を含み、

「お舅《とう》さんは、いやに同情的なんですね、しかし、大蔵省にとって、この平和銀行は、一番要《い》らない銀行なんですよ」

 斬《き》って捨てるように云った。大介の背筋に、戦慄《せんりつ》が奔《はし》った。平和銀行がそのように評価されているということは、もしかして、それより一ランク下の自行、阪神銀行も――、という思いに駈《か》られたのだった。

「その要らない銀行というのは、一体、どういう意味合いなのかね?」

「銀行局の中には、金融再編成を行なう上の一つの考え方として、まず地域再編成を行なうという考え方があるのです、つまり大阪なら大友銀行と五和銀行の二行に任せ、平和銀行はもはや独りだちさせておく銀行ではないから整理しようというのですよ」

「ほう、では二行のうちのどちらへくっ付けようというのかね?」

「それが、お舅さんのところの阪神銀行と合併させたいという案があるのですよ、もちろん、春田銀行局長といえども、お舅さんの合併の意図は、まだ知らないわけですが、この間、たまたま春田局長と飲む機会があって、彼の金融再編成に対する考え方を探ってみたのですが、彼は、あくまで私見だがという前おきをして、大阪は大友銀行と五和銀行に任せ、阪神間は大阪の平和銀行と神戸の阪神銀行が合併するのも一案だと云ったんですよ、したがって、もしお舅さんの方にその気がおありなら、まとまらない話ではありませんよ」

 美馬がすすめるように云うと、

「せっかくだが、私の方は断わるね」

 即座に撥《は》ねつけた。その尊大さに、美馬は思わず、舅《しゆうと》の顔を見詰めた。

「当行と平和銀行の合併などというのは、私に云わせれば、銀行合併の何たるかを肌で感じていない役人の考え方だね、合併メリットはおろか、まかり間違えば共倒れの危険性さえある相手など、話にならないじゃないか」

「それなら、この四行のうち、どこと合併をもくろんでおられるわけですか?」

「それはこの資料をもとに、これからじっくり検討するつもりだが、合併後の経営を考えると、第一に店舗の地域補完性の高いところ、第二は経営効率、第三は資金収支の面でも補完性が相互にあるところ、ということになる、しかし、合併を決める時の最大の要因は、何といっても頭取をはじめとする経営陣の優劣にあるのだから、その点の検討となると、理屈通りには判断を下せない」

 慎重を期すように云ってから、話題を転じた。

「ところで中君、金融制度調査会に特別委が発足して四カ月になるが、具体的な審議の方向としては、どういう風に進んでいるのかね?」

「やはり、店舗、金利、配当の自由化という三つを柱にした自由化について、論議が集中しているようですね」

「その店舗の自由化だが、それは新設店を含めた自由化なのかね?」

「いや、新設店の自由化は、三つのうち恐らく一番、後になるでしょう、しかし、合併によって出来た重複店舗の場合は、配置転換が認められる方向になりつつあるようですね」

 美馬が云った途端、大介の表情が動いた。これまでは合併による店舗の重複は、大蔵省の行政指導でどちらか一店に吸収廃止することに定《き》められていたが、重複店はすべて、配置転換の権利を認められるとなると、一店でも多く効率のいい場所へ店舗を出したくて仕方がない銀行にとって、またとない魅力になり、行政面でそうした便益供与を鼻先にぶら下げることによって、金融界を合併の方向へ何が何でも駈りたてて行こうとする大蔵省の意向が、ありありと見て取れた。

「中君、役人というのは、自分たちの意向を実現するためには、どんな便法を弄《ろう》してでも実現させる習性を持っているようだね、しかし、それと同様に企業もまた、自己の利益追求のためには死にもの狂いで奮《ふる》いたつ時がある、そのためにはたとえ狙《ねら》った相手が、本来的には合併する側の、いってみれば雄《おす》的な銀行であっても、何とかねじ伏せてしまいたいと思うだろう、実際問題として、それが可能かどうかは解らないが、そういう心づもりで、私は阪神銀行の合併を推し進めて行くことを知っておいて貰いたい」

 万俵は、四行のなかですでに合併相手を心に決めたような強い意志を漲《みなぎ》らせて云った。

 美馬を送る車の用意が整うと、大介は玄関のホールまで出、管理人夫婦と書生も玄関に出ていた。その時、廊下の奥からつつましやかな足音が聞えた。美馬が振り返ると、地味だが、美しい濃紺《のうこん》のスーツを着た相子だった。

「やあ、あなたでしたか、この間は――」

 驚いて云いかけると、

「お久しゅうございます、銀平さまの東京での結婚披露宴の下打合せで、今朝上京し、先程、外から帰って参ったのですが、お邪魔ではないかと存じて、失礼致しておりました」

 一カ月前、六甲山上の山荘で大介と密談した美馬を車で伊丹空港まで見送った相子とは全く別人のようなつつましさと、他人行儀なよそよそしさで挨拶した。そばにいる管理人や書生たちの眼を意識し、憚《はばか》る作為が読み取れた。

「銀平君の結婚式も、あと一カ月ですね、何かと大へんでしょうが、あなたがうちわの切り盛りをしていて下さるので、安心していますよ」

 美馬も、万俵家の娘婿らしい挨拶を返しながら、相子にこうした応対をさせる万俵大介の巧みさに驚き入ると同時に、こうまで徹底した用心深さが、十数年間、妻妾《さいしよう》同居の生活を営みながら、いささかも世間に知られず、金融担当官の『講評』の頭取評にも、触れられることなく来れたのだと思った。靴紐《くつひも》を結んで、

「ではお舅《とう》さん、失礼致します、お疲れが出ませんように――」

 と挨拶した。万俵はパイプを手にし、

「いや、中君こそ、疲れただろう、何かと世話をかけた、有難う」

 と礼を云ったが、相子は、万俵の横をすりぬけるように玄関へ降り、使用人たちの前へ出て、美馬が車に乗るのを見送った。

「失礼致します、奥さまにどうぞ、およろしく――」

 相子はそう云って、深々と頭を下げた。美馬がかすかな薄笑いをうかべて会釈《えしやく》すると、車は暗い植込みを縫って走りだした。

 車の尾燈《テール.ランプ》が門の外に消え、相子が応接間へ戻ると、万俵は待っていたように、

「今日の下打合せの件は、うまく行ったかね?」

 書生たちがいるのを意識して、事務的な語調で聞いた。

「はい、午前中は披露宴の会場の帝国ホテルへ出向いて、孔雀《くじやく》の間《ま》のテーブルの並べ方とご招待客のお席表を引き比べ、午後は大川一郎先生のお宅をはじめ、東京のご親戚《しんせき》さま方へ伺って、だいたいのお召物のご様子を承り、色柄が重なり合わぬように致しました」

「大川の方の様子はどうだったね? 鉄平がこのところ高炉建設のことで世話になっているのに、こちらの多忙にかまけてご無沙汰《ぶさた》しっ放しだが――」

「大川先生はご不在で、奥さまにだけお目にかかりましたが、お召物については直接、娘と話し合ってきめさせて戴《いただ》くというお返事でございました」

 相子は、大川家のそうした素っ気ない返事が、鉄平の妻の早苗の差金《さしがね》であるような響きを言外に含ませて云った。

「東京の披露宴には、大臣、次官クラスも夫人同伴で出席という風に、石川正治から聞いているが、あのクラスは公務多忙だから、何かと変更があるんじゃないかねぇ」

「ええ、その点を考えまして、さしでがましゅうございますが、明日にでも、大臣、次官、局長方のご自宅をお訪ねして、奥さま方に、よろしくお願い申し上げてはいかがでございましょう」

「うむ、それがいい、夫人同伴のご招待だから、夫人に頼んでおけば、まず間違いないだろう、大蔵、通産両大臣と、次官、局長クラスに出席して貰えれば、云うことなしだ」

 万俵は満足気に頷き、テーブルの飲物やコップを片付けている書生に、

「明日、高須君が大臣、次官、局長方の自宅へ万俵家として挨拶《あいさつ》に廻るから、秘書課へその方面に詳しい運転手の車を廻すよう連絡しておいてくれ」

「承知致しました、他《ほか》にご用は?」

「いつもの精神安定剤を持って来てくれ給《たま》え、用はそれだけだ、君たちも学校があるのだから、早く寝《やす》むといい」

 万俵の郷里である姫路から、東京の大学で学ぶために出てきて書生をしている二人に、犒《ねぎら》うように云った。それを機会《しお》に相子も、

「では私も失礼させて戴きます、お寝み遊ばせ」

「ご苦労、じゃあ、明日はよろしく頼む」

 万俵は、二階の寝室へ上って行った。

 ベッドへ入った万俵は、なかなか寝つけなかった。さきほど見た四行の業容の実態が、大介の脳裡《のうり》に灼《や》きつき、いよいよ、銀行合併への一步を踏み出す昂奮《こうふん》が、神経を昂《たかぶ》らせていた。

 寝室の扉《とびら》が音もなく開き、香水の匂《にお》いが漂った。

「相子かい?――」

「ええ、なかなかお寝みになれないのではないかと思って――」

 万一の場合を考え、きちんと服を着たままの姿であったが、明らかに男の部屋へしのんで来た女の表情であった。

「おいで――」

 万俵が誘い込むように云うと、相子はスーツを脱いで、スリップのまま、ベッドに滑り込んだが、岡本の邸《やしき》にいる時のように挑むような生々しさはなかった。そっと大介のそばに、体を寄り添わせ、安らぐように静かな息をついた。それは、寧子や鉄平、銀平、二子、三子たちの眼を常に意識し、神経を研ぎ澄まし、絶えず何かと闘っているような相子ではなく、一人の男の羽交《はがい》の下に、羽をやすめているようだった。

「こちらを、お向き――」

 大介はいつものように生々しい交わりを行なおうとしたが、相子はそれを拒むように顔を大介の胸に押しあて、

「二人きりね、ここでは私とあなた、二人きりなのよ、こうしていると、まるで普通の夫婦のようね」

 と云いながら、ふと、離婚したリチャードとの結婚生活を思い出した。カリフォルニア市の郊外のさして広くない家で、夫の両親と同居していたが、夕方になると、大学の研究室から帰って来るリチャードを玄関まで出迎え、夕食後は寝室で、夫と二人きりになれた。そこでは一人の男の体を二人で分ち合うような異常さも、淫《みだ》らさもなく、夫の愛撫《あいぶ》にやすらかに身をゆだねられる夫婦の生活があった。それと同じやすらぎが、人気《ひとけ》ない東京の行邸の寝室では得られるのだった。

「いいだろう――」

 大介は、再びいつものような交わりを求めたが、

「今日は少し疲れていますの、だからこうしていて――」

 相子は甘えるような仕種《しぐさ》で云いながら、これからもずっとこうした静かなやすらぎの中で過せたらと、軽く眼を閉じた。

 *

 京都御所の建礼門から堺町御門にかけてしつらえられた葵祭《あおいまつり》の特別観覧席は、東京をはじめ各地方の見物客や、カメラをぶら下げた外人たちで埋まっていた。

 万俵寧子と二子、三子は、寧子の実家《さと》の長兄である嵯峨静麿《さがしずまろ》に招かれて、観覧席の最前列に坐り、下鴨《しもがも》、上賀茂両神社へ向う葵祭の行列が、御所を出発するのを待ち受けていた。

「伯父さま、遅いわね、もう十時だというのに――、私たち、今朝は八時にお家を出て来たから、眠くなって来そうやわ」

 末娘の三子が云うと、二子も、

「その上、今日はお母さまのお云いつけで、私たちお着物でしょ、なおさらやわ」

 二子は御所解きの若草色紋綸子《りんず》の着物に、黒地金箔《きんぱく》おしの袋帯を締め、三子も色違いの御所解きの着物に、臙脂《えんじ》の袋帯を胸高に締め、佐《さ》賀錦《がにしき》のハンドバッグを膝《ひざ》の上に置いていた。伯父の嵯峨静麿は、そうした二人の美しい姉妹を、元公卿《くげ》華族らしいおっとりとした笑顔で見詰め、

「二人とも、暫《しばら》く会わないうちにほんとうにきれいにおなりになった、そうして揃《そろ》って着物を着ていると、若い時の寧子そっくりだね、早くお見合い写真をとって、私のところへも預からせて戴きたいものだね」

「その節は、どうぞおよろしく、でも銀平兄さまの次は、二子姉さまの順でしょ」

「あら、順番などこだわらないわ、お急ぎでしたら、どうぞお先に――」

 二子と三子が笑い合っていると、かつ、かつ、かつと、馬の蹄《ひづめ》の音がし、宜秋《ぎしゆう》門の方から、行列の先払いをする騎馬の衛士《えじ》が走り出て来た。

 先払いの衛士に続いて、検非違使《けびいし》、山城使《やましろつかい》、内《く》蔵使《らつかい》などが、直垂《ひたたれ》、束帯《そくたい》の姿も凜々《りり》しく馬に乗り、衛士や舎人《とねり》を従えて現われ、続いて葵の若葉と藤の花をかざした稚児《ちご》や女官たちが、緋《ひ》色や紫、鬱金《うこん》、萌黄《もえぎ》などの色とりどりの平安朝時代の衣裳《いしよう》で、ゆるゆると步き出して来た。御所の檜皮葺《ひわだぶき》の門と築地塀《ついじべい》を背景に、玉砂利の上を雅《みやび》やかな列をつらねて步く光景は、さながら王朝絵巻を見るような趣があった。

「まあ、いつみても葵祭は、京のお祭りで一番きれいどすなあ」

 二子たちの近くで、京言葉の嘆声が上り、観覧席のそこここから、カメラのシャッターをきる音がした。

 やがて白馬にまたがった勅使の姿が見え、次いで斎王《さいおう》を乗せた腰輿《ようよ》が現われた。その生涯を捧《ささ》げて神に仕える斎王は、十二単《ひとえ》の小《お》忌衣《みごろも》を羽織り、黒漆に金箔の御輿《みこし》に坐《ざ》して、衛士たちにかつがれながら、しずしずと近付いて来る。輿の屋根にも葵の若葉と藤の花が飾られ、その前後を進む四人の舎人の手にも、色さまざまな花を盛った風流《ふりゆう》傘《がさ》が捧げ持たれ、真っ青に冴《さ》え渡った五月の空の下を、花吹雪を散らすような行列が華やかにねり步いた。そしてその後ろからは黒牛に牽《ひ》かれた牛車《ぎつしや》が、大きな轍《わだち》の音をたてて、のろのろと随《つ》いて来る。

 観客たちの多くは、華やかな風流傘や、行列の中心である斎王の腰輿に眼を奪われていたが、寧子だけは、先程から牛車に見とれていた。大きな黒牛に牽かれ、軋《きし》みをたてながら動く御所車には、なぜか人が乗っておらず、時代を経た御簾《みす》だけが垂らされていた。他《ほか》の車や輿には着飾った人が乗っているにもかかわらず、牛車の中だけは、誰も坐さずに、御簾だけがゆらゆらと揺れている。それをじっと見詰めていると、寧子は、ふと自分自身がそこに坐しているような幻想にとらわれ、源氏物語の中の葵の上と六条御息《みやすん》所《どころ》との車争いが想《おも》い出された。

 光源氏の正妻の葵の上と愛人の六条御息所の牛車が、今日のような祭礼の物見《ものみ》で出会い、道を譲る譲らぬという車争いから、車の榻《しじ》を損《そこな》われた六条御息所は、心を深く傷つけられ、その口惜《くや》しさから、葵の上に怨念《おんねん》を抱く。能の『葵上』では、生霊《いきりよう》になった六条御息所が、鬼面《きめん》をかぶり、白地に銀の蛇の鱗《うろこ》を象徴する上重《うわがさね》を着てもの狂いし、何度も何度も葵の上を打ち据えて息絶えさせてしまう。その凄《すさま》じい化身が、寧子の眼にうかんだ。女の嫉妬《しつと》心の凄じさが胸に迫り、自分は一体、そのどちらの立場にあるのかと思った。現実の自分は、正妻の立場にありながら、相子に妻の座を犯され、妻妾同衾《さいしようどうきん》の営みまで強いられ、抗《あらが》うことも出来ずにいる。嫉妬に狂い、生霊となるのは正妻である自分の方かもしれない。そう思うと、自分の心の奥底にあるものを覗《のぞ》き見るような気がして、いつもは能面のように動きのない寧子の顔に、いいようのない狂おしさが漂った。

「お母さま、どうなさったの? お顔色が真っ青やわ」

 三子の声が耳もとでし、寧子は、はっと醒《さ》めるように我に返った。体中がじっとりと汗ばんでいた。兄の静麿も驚くように、

「どうしたの? 気分が悪いのかね、少し席を離れた方がいいだろう」

「ええ、普段、出馴《でな》れないものですから、多勢の人いきれで、少し――」

「じゃあ、お母さま、待たせている車の中で、暫くおやすみになってはいかが?」

 二子がすすめると、寧子は頷《うなず》き、兄に手を取られて、観覧席をたった。

 人混《ひとご》みの間を抜けて、行列が通る道筋と反対側の蛤《はまぐり》御門の方へ足を向けると、長い御所塀が続く玉砂利の広場には殆《ほとん》ど人影がなかった。

「大丈夫かい、寧子――」

「ええ、人混みを離れると、ほっとします」

 そう云い、寧子は御所の方を眺めながら、

「お兄さま、昔、新春の御所へ、お父さまとご一緒に舞楽を拝見に参上したことがございましたわね、あの時はたしか、天皇さまと皇后さまと、行幸あらしゃったですわね」

 昔の公卿言葉で云うと、兄も、

「そう、両陛下が行幸啓あらしゃったので、お父さまは大礼服《たいれいふく》、私と寧子は紋付の装いで参内《さんだい》したことがあるね」

 戦前の公卿華族の格式を懐《なつ》かしむように云ってから、話題を転じた。

「ところで、大介さんは、どうしておられる?」

「このところ、ずっと出張で、今日は、東京やと思います」

「で、あの人は?」

 それは、もちろん相子のことだった。

「やはり東京です、銀平の東京での結婚披露宴の下打合せがあって――」

 あとの言葉を慌《あわ》てて付け加えると、

「そうかい、相変らず――、寧子には苦労させるね」

 静麿は妹をいたわるように見ながら、万俵家の妻妾同居に耐えきれず、実家へ戻って来たことがある妹を戦後の落魄《らくはく》した実家の事情から、無理に万俵家へ追い返した自分の腑甲斐《ふがい》なさを恥じるように云ったが、

「お兄さま、お家の方はいかがでございますの?」

 寧子は話をそらせた。そして夫の大介と同年輩であるにもかかわらず、ずっと老《ふ》けて見える兄の面《おも》ざしを案じるように見上げた。

「心配しなくてもいいよ、関西洋蘭《ようらん》会の会長や京都文化財保護委員会などの委員をしながら、何とかやっているよ」

 公卿育ちらしい鷹揚《おうよう》さで応《こた》えたが、寧子は、仙台平《せんだいひら》の袴《はかま》の紐《ひも》の縁《へり》が摩《す》りきれそうになっているのが、さっきから気になっていた。

「でも、当節のこととて、何かと大へんでございましょう、今度の銀平のご祝儀《しゆうぎ》も、どうかご無理をなさいませんように」

「私のことより、寧子の倖《しあわ》せを考えることだよ、こんな時、先代がもっと長生きしていて下されば、あの方は、お前をいたわって下さっていたから、少しは違ったろうに――」

 静麿は、遠い昔の敬介の死を惜しんだが、寧子はそれに応えず、眼を伏せるように、車が待っている方へ步き出した。

 八千トンの大型貨物船が碇泊《ていはく》している阪神特殊鋼の岸壁は、アメリカへ輸出する製品の荷積みで、活気に溢《あふ》れていた。

 岸壁に近い倉庫から、大型トレーラーで運び出されたベアリング素材や構造用鋼は、品種ごとに十本、二十本とまとめてワイヤーにひっかけ、それを五トン吊《づ》りのクレーンで吊り上げて、船艙《せんそう》へ積みおろすのだった。しかし重量がある上に、六、七メートルに及ぶ長い鋼材だったから、作業は並大抵でなく、西陽の照りつける岸壁に、二十数人の作業員が汗みどろで働いている。

 倉庫内で働いている作業員は、阪神特殊鋼の従業員だが、岸壁から船艙に荷積みする作業員たちは、下請けの荷役専門人夫だったから、仕事は早いが、荒っぽい。水平に吊らなければならない鋼材も、傾いたまま吊り上げて落しそうになったり、ひやりと胆を冷やされる時がある。

「おい、危ないじゃないか! もう一度、鉤《フツク》を掛け直せ」

 三十度程、傾いたまま、クレーンで吊り上げかけているベアリング素材を見つけて、阪神特殊鋼の運輸課長は大声で怒鳴った。斜め吊りは、落下の危険はむろんのこと、船のハッチの端にぶつけて、鋼材に傷をつくる因《もと》になる。特にベアリング素材は、少しでも傷がつけば、クレームの対象になって取引先とのトラブルが起るから、慎重に取り扱わなければならない。しかし、クレーンの鉤《フツク》に荷を掛ける玉掛工は聞えない振りをし、クレーンはそのまま動いていた。

「おい! ストップせんか!」

 運輸課長は声を荒らげて、笛を吹く合図マンにも怒鳴ると、ようやくクレーンは動きを停めた。

「うるさいなあ、こう暑いのに、耳もとで、わんわん、がなり散らさんといてんか」

 五月半ばというのに、汗を滴《したた》らせた若い玉掛工が云い返した。

「うるさいとは、何だ! 文句を云わずに、すぐ掛け直せ!」

 吊り降ろされた二十本のベアリング素材を指さして、運輸課長も汗を流して命じると、相棒の陽灼《ひや》けした屈強な玉掛工は、すごみを含んだ眼付で、

「そない気に入らんかったら、掛け直さして貰《もら》いまっさと、云いたいのやけど、六時に船は出てしまいよるんやでぇ、まだあと大分、残っているのに、そんな悠長なことして、積み残しが出ても、文句はないのやろな!」

 啖呵《たんか》を切るように云った。そう云われると、運輸課長は、言葉に詰った。今月のアメリカ向けの輸出は、ベアリング素材一千トン、構造用鋼二千トンの計三千トンで、これだけのトン数を荷積みするには、本来ならたっぷり二日はかかるのを、倉庫の荷のまとまりが遅れたため、まる半日、積出しが遅れ、その遅れが荷積み作業に皺寄《しわよ》せされていた。そのため、運輸課長自ら陣頭にたって、何が何でも、六時の出航時間までに全部、荷積み出来るように、追込み作業に当っているのだった。阪神特殊鋼が貨物船を丸ごとチャーターしているなら、荷積みが遅れた分だけ、滞船料を支払えばよかったが、三千トンぐらいの出量では、一隻《せき》まる抱えというわけにいかず、商社の調達した船に、他《ほか》の二、三のメーカーと相積みする二港積み、或《ある》いは三港積みの形で輸送するから、各工場の荷積み時間は厳密に定《き》められて、その時間内に荷積み出来ない場合は、積み残されてしまうわけである。そうなると、次のアメリカ行きの便を手当するには、少なくとも二週間かかるから、積み残された製品は納期に遅れ、輸出先に対して著しく信用を落してしまう。したがって、積み残しは、メーカーにとって許されなかった。

「どうやねん! 積み残しを云うたら、急に青い顔して、唖みたいに黙りくさって[#「くさって」に傍点]! 何とか云いさらせ[#「さらせ」に傍点]!」

 屈強な玉掛工は、運輸課長の弱味に乗ずるように、口汚なく罵《ののし》った。その怒声に煽《あお》られて、まる一昼夜、ぶっ通しの作業で気が昂《たかぶ》っている他の作業員たちも、運輸課長を取り囲み、岸壁に不穏な空気が漂いかけた。

目录
设置
设置
阅读主题
字体风格
雅黑 宋体 楷书 卡通
字体大小
适中 偏大 超大
保存设置
恢复默认
手机
手机阅读
扫码获取链接,使用浏览器打开
书架同步,随时随地,手机阅读
首 页 < 上一章 章节列表 下一章 > 尾 页