饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15367 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 満座が静まりかえった中で、永田大蔵大臣は、小柄で貧相な体に似合わぬ大きな声で、最近の経済成長を語り、その繁栄を金融機関と重工業に結びつけて、万俵家と安田家に花をもたせた。そのスピーチの中には、銀平も、万樹子も出て来なかった。話を聞いていると、まるで万俵大介と安田太左衛門が結婚するとしか思われないような内容であった。続いてその他の祝辞も殆《ほとん》どといっていいほど万俵、安田両家の結びつきを強調し、新郎新婦は置去りにされた形であった。

 政官財界の重だった来賓の祝辞が一通り終ると、司会者は、

「結構なお言葉を沢山戴《いただ》き、新郎新婦の門出《かどで》に、多くの教訓と花をそえさせて戴きましたので、この辺で暫《しばら》くお食事に移って戴きましょう」

 と云うと、静かなピアノの伴奏とともに、多数のボーイによって豪華な料理が運び込まれて来た。

 テーブルは、六人ずつで、大蔵大臣はじめ来賓のテーブルをメインに置き、下座《しもざ》になるほど近親者のテーブルになっていた。どのテーブルにも大輪の洋蘭が活《い》けられ、孔雀の間にふさわしい豪華さであった。二子と三子のテーブルには、鉄平夫妻と美馬夫妻が坐《すわ》り、相子は、石川正治、千鶴夫妻と、寧子の実家の兄である嵯峨静麿と大川一郎夫妻と同席であった。大川一郎は、食事になると、いかにも健啖《けんたん》家らしく、次々と料理を口に運びながら、あたりかまわぬ濁声で、石川正治と阪神特殊鋼の高炉建設の話をしていたが、相子は、黙々とフォークを動かしながら、その阪神特殊鋼の専務である鉄平が、さっき自分に云った言葉を思い返していた。思えば思うほど、いいようのない口惜《くや》しさがこみ上げて来た。この政官財界の要人を綺羅星《きらぼし》の如《ごと》く集めた華燭の典の陰の推進役はこの自分であるにもかかわらず、その披露宴の出席を遠慮せよとは、何という云い方であろうか――。自分を蔑《ないがし》ろにした鉄平に対し、必ずその償いをさせねばという陰険な思いが、相子の心を占めた。

 *

 万俵万樹子は、自室の窓から退屈をもてあますように、広い邸内を見下ろしていた。

 楓《かえで》や欅《けやき》の大樹が紅葉し、背後の天王山から引いた庭の遣水《やりみず》にまで紅《くれない》の美しさが映っている。万樹子と銀平の新居は、鉄筋コンクリート二階建ての真っ白な壁と、飾窓のある南欧風の邸《やしき》であった。そして家具調度類も、南欧風のカラフルなものであったが、万樹子は、そんなものでは紛らわされない退屈な時間をもてあましていた。

 結婚後四カ月目を迎えていたが、若いお手伝いがいるから、掃除や洗濯などをする必要がなく、せめて夕食は自分の手料理でと思っても、夫の銀平は殆ど毎晚のように仕事関係の接待だと云って、帰りが遅い。ショッピングに出かけようと思ってみたが、結婚したばかりで、買い足すものがなく、しょっちゅう出かけるパーティも、今日はどこにも催されない。万樹子は、時計の針が止まったように森閑と静まりかえっている邸内で、気が狂いそうな苛《いら》だちを覚えた。

 窓際《まどぎわ》からつと離れると、化粧室に入った。バス.ルームと隣り合った化粧室は、洗面台と壁面はピンク、床《ゆか》は黒のタイルで、大きな鏡を三面に取りつけている。万樹子は、鏡に自分の姿を映した。一メートル六十一センチのグラマーな肢体に、グリーンのジャージーのワンピースが、ぴったりと吸いつくように添い、八十七センチのバストが、呼吸する度に妖《あや》しく揺れ、眼と唇の大きい派手な顔は、結婚前よりさらに若い華やぎを帯びている。万樹子は、見惚《みと》れるように自分の容姿を見、自分の美しさに溺《おぼ》れない銀平が、不満であった。結婚後の夫婦の交わりも、万樹子の方から求めなければ、求めて来ず、セックスが終った瞬間、他人のような醒《さ》めた表情で煙草《たばこ》をくわえる。そんなもの足りなさも万樹子の気持を苛だたせていた。時計を見ると、お昼前であった。また独りで昼食を摂《と》る退屈さを思うと、二子を誘って、神戸へ食事に出かけることを思いついた。

 芝生を横切り、すぐ隣り合せの、母屋《おもや》のテラスに近付くと、威嚇《いかく》するような犬の吠声《ほえごえ》がした。黄金色の毛並を秋の陽ざしに輝かせ、両足を踏んばり、空を仰ぐように吠える。

「まあ、いやだ、いつになったら懐《なつ》くの、アインス! ツヴァイ! ドライ!」

 それぞれの名を呼んだが、三頭ともよそ者に対するような警戒心で吠え続ける。

「二子さん! 二子さん!」

 万樹子は、犬を牽制《けんせい》する意味合いも含めて、テラスから二階の二子の部屋を見上げて呼んだが、一向に返事がない。しかし、窓が開いているからもう一度、声を上げて呼ぶと、庭掃除をしていたらしいお手伝いが走り寄り、

「若奥さま、二子お嬢さまは朝から、フランス語とピアノのお稽古《けいこ》でお出かけですけれど」

「じゃあ、相子さんは?」

「つい先程まで、アインスたちのブラッシングをしておいででしたが、どうなさったのですかしら? 奥さまでございましたら、階下《した》の居間にいらっしゃいますが――」

 と云ったが、何を云っても殆ど意見らしいことを口にせず、曖昧《あいまい》に頷《うなず》くだけの姑《しゆうとめ》の寧子と話してみたところで、退屈が増すばかりであった。

「相子さんのお部屋へ伺ってみるわ」

 万樹子はそう云い、テラスから二階へ足を向けた。万俵家へ嫁いで四カ月目になるが、二階は各自の個室になっているからと、一度だけ案内され、以後は二階へ上ることを禁じられるような雰囲気《ふんいき》があった。しかもその一度だけ案内された時、東側の突き当りの頑丈なチークの扉《とびら》がはまっている部屋だけは開けられなかった。そしてその部屋は、万樹子たちの住まいの化粧室から対角線に見えたが、いつもカーテンを深くひき、窓も殆ど開かれない。それとなく齢嵩《としかさ》の女中に聞いてみると、「あのお部屋は、先代のお部屋で、殆どお使いにならないのです」という応《こた》えであったが、妙にたちはだかるような気配があった。夫にそのことを聞くと、いつになく動揺し、「そんなこと、どうだっていいじゃないか」と吐き捨てるように云った。その時から万樹子は、あの部屋には何か万俵家の影の部分が隠されているような気がしていたのだった。

 階段を上ると、廊下には人影がなく、その両側の部屋も、ひっそりとして人気《ひとけ》がない。廊下の広さと云い、天井の高さと云い、その両側のものものしいほど飾りたてた扉飾りと云い、すべて戦前の富豪でなければ到底、出来ぬ豪奢《ごうしや》な造りであった。万樹子は、相子の部屋の前にたった。

「相子さん、いらっしゃいます?」

 ノックしてみたが、返事はなく、室内のもの音も聞えない。二階に完全に誰もいないと解《わか》った時、万樹子はあの閉ざされた部屋を覗《のぞ》いてみたい衝動に駈《か》られた。足音を忍ばせ、部屋の前で足を止め、耳をすましてから、そっと扉を押すと、音もなく開いた。把手《ノブ》に手をかけ、中を覗いた途端、万樹子はあっと息を呑《の》んだ。

 ローズ色の絨毯《じゆうたん》を敷き詰め、フランス風のレースのカーテンに閉ざされた部屋の中に、豪華なベッドが三台並んでいた。象牙《ぞうげ》色に金色の縁取りをした三台のベッドで、三台とも使われている形跡があり、ベッド.カバーもまだかけられていない。万樹子は、眼の眩《くら》むような愕《おどろ》きの中で、三台のベッドの意味するものを探りあてようとした。真ん中のベッドは、薄茶《ベージユ》の羽根蒲団《ぶとん》、両側のベッドは深いローズ色の羽根蒲団で、明らかに一人の男と、二人の女のためのベッドであった。世間から遮断《しやだん》され、家族たちの眼からも隔離されているこの部屋の中で、毎晚、何が行われているというのだろうか――、万樹子は、白昼夢を見るような思いで、呆然《ぼうぜん》とたち尽した。

 不意に、窓ガラスに黒い影が映ったかと思うと、忍び寄るような人の気配がした。振り返ると、真っ黒なワンピースに身を包んだ相子が、うしろ手でぴたりと扉を締めた。

「万樹子さま、何をなさっているのです?」

 万樹子は、とっさに応えられなかった。

「黙って他人《ひと》の寝室を開け、覗き見なさるなど、ご趣味のいいことではございませんわ」

 相子は、凍りつくような冷やかさで云った。その眼《まな》ざしの冷たさに、万樹子は後退《あとずさ》りし、

「私は、あなたを探してお二階へ上り、長いお廊下を步いているうちに、つい何気なくここを開けてしまったら……」

 あとは言葉に詰った。

「三台のベッドが並んでいたというわけね、それで、どうして三台並んでいるのか、お解り?」

 真っ黒なワンピースを着、両手を腕組みしてたっている相子の姿は、黒い彫像のように不気味であった。万樹子の顔から、日頃の驕慢《きようまん》さが消え、視線を伏せた。

「銀平さんから、何もお聞きになっていらっしゃらないのね?」

「ええ――」

「何もおっしゃらないのは、新妻に対するいたわりというものでしょう、それをあなたは、無断で他人の部屋を覗き見るという不躾《ぶしつけ》なことをなさったばかりに、知らずにすませられることを、知っておしまいになったわけです」

 一語、一語、止《とど》めを刺すような鋭さで云い、

「それで、知っておしまいになったご感想はいかが?」

 相子の口もとに、冷やかな笑いが含まれた。

「私――、私とても信じられなくて……」

 肩を震わせ、頭《かぶり》を振った。

「あら、日頃のあなたらしくないご様子ね、活発でもの怯《お》じしないあなたが、まるで小娘のように怯《おび》えていらっしゃるなど――、でも、事実、あなた自身の眼で今、このお部屋の中をご覧になっていらっしゃるじゃありませんか」

 相子は眼で、三台のベッドを指し、

「これで、万俵家の晚餐《ばんさん》の時の妻の席が、私と寧子さまとで一日交替になっている意味と、万俵家における私の立場がお解りになりましたでしょう、私と寧子さまとで、妻の座を分ち合い、共有しているのです」

 傲然《ごうぜん》とした語調で、万樹子をも軽んずるように云うと、万樹子は両手で耳を掩《おお》い、打ちのめされるようにその場に踞《うずくま》った。

「でもこのことは、誰にも口外なさらないよう、あなたのお実家《さと》のご両親にも、絶対、口外してはなりません、このお部屋のお掃除だけは一番齢嵩のすべてを心得た女中がしていて、他の者たちは誰一人、知らないことなのです、もしあなたが、誰かに口外なさったら、私はあなたを万俵家から離縁することだって出来ましてよ、私は、あなたの結婚前の過去を知っておりますから――」

 相子は、蛇が蛙《かえる》を見入るような残忍な光を帯びた眼で、万樹子を凝視し、口を封じた。

 万俵大介は頭取応接室で、朝から十二人目の来客と向い合っていた。一部上場の東亜化学の島崎社長で、設備拡大に伴う融資依頼であった。

 万俵はいつものように銀髪端正な長身をソファにもたせ、姿勢を崩さぬ程度に足を組み、相手の話を黙って聞き、聞き終ると、

「今回のご計画の内容は、おおよそ解りました、しかし、従来、御社とはそう深いお付き合いがあったとは申せませんので、このお話は、今暫く時間を戴き、ご返事はいずれ融資担当役員からさせて戴きます」

 慇懃《いんぎん》な語調であったが、相手にそれ以上、話を続けさせない冷厳さがあった。近代化にたち遅れ、業績が悪化している東亜化学の内情を既に掴《つか》んでいる万俵は、今度の融資申込みに応じる気持など毛頭なく、逆にこれまでの貸金を引き揚げるよう、融資担当の渋野常務に指示を出しているのだった。

 島崎社長が部屋から出て行くと、すぐ秘書の速水が入って来、

「次は、副知事の原さんでございますが、ご用向きは例の万博関係の寄付のことだそうです」

 と伝えると、万俵は、

「速水君、十二時からオリエンタル.ホテルである一水《いつすい》会の昼食会だがね、今日は出席出来ないから、連絡しておいてくれ給《たま》え」

 と命じた。一水会は神戸財界人の懇話会で、毎月、第一水曜日に会合をもつところからつけられた名称であった。

「しかし、今日の午前中の来客は、副知事で最後でございますし、このあと一水会の時間は、予定に組んでおりますので、少しでもお顔を出された方がおよろしいのでは――」

 速水は、万俵の指示が解《げ》せぬように云った。副知事との用談など、十分ぐらいで済むものであったし、一方の一水会は、万俵が世話人格の会合であったから、よほどのことがない限り、欠席することは工合が悪い。しかも、会合の始まる三十分前になって、出席を取り消すなど、なおのことよくなかった。

「それが出来ないから取り消すように云っているのだ、適当な理由をつけて、すぐ断わっておいてくれ給え」

 万俵は重ねてそう命じた。

 速水は、副知事を頭取応接室へ案内し、斜め向いの秘書室へ入ると、一水会の事務局へ鄭重《ていちよう》に断わりを云った後、暫《しばら》く割りきれぬ思いで、万俵頭取の不可解な行動に思いをめぐらせた。これまでは頭取秘書という役職上、自宅以外の万俵頭取の行動はすべて自分が把握《はあく》していたが、五カ月程前から、自分の知り得ない不透明な部分が出来はじめたことに気付いたのだった。そしてその不透明な部分は、万俵銀平が、阪神銀行の筆頭株主である大阪重工の安田社長の次女と結婚し、両家に閨閥《けいばつ》が出来てから、一層、はっきりと感じ取られた。つい五日程前も、阪神銀行が日頃、使わない料亭から、頭取のお忘れ物ですと、シガー.ケースが届けられた。その日は業務担当の荒武常務と取引先の招宴を予定していたのに、急に体の工合が悪いからと予定を変更しておきながら、秘《ひそ》かに誰かと会っていたのだった。そのほかにも、何を思案しているのか、夕方、灯《あか》りも点《つ》けない薄暗い部屋の中で、じっと独りたたずんでいたり、机の上に書類を拡《ひろ》げて、もの思いに耽《ふけ》り、自分が入って行くと、さっと伏せてしまう。しかも大亀専務が目だって頭取室に出入りする回数が増え、今まであまり頭取室に呼ばれなかった調査部長、人事部長も、呼ばれる場合があった。

「速水君、速水君はいないのかね」

 はっと我に返ると、入口に大亀専務がたっていた。

「頭取の来客は、まだ大分かかりそうかね」

「いえ、只今《ただいま》、副知事がお見えですが、簡単なご用件ですので、もう間もなくおすみになると存じますが――」

「じゃあ、頭取室でお待ちしているから、用談がすまれたら、姫路の白鷺《しらさぎ》信用金庫の常務理事に就任される田中松夫氏が挨拶《あいさつ》に見えておられると伝えてくれ給え」

 大亀専務はそう云い、廊下へ出ると、

「田中さん、お待たせしますが、どうぞこちらへ――」

 と云い、自ら頭取室の扉《ドア》を押した。速水は驚いてその方を見ると、中肉中背で、やや猫背《ねこぜ》の男が、人目を憚《はばか》るようにひっそりとたっていた。怪訝《けげん》に思いながら鄭重に一礼すると、男は固い表情で目礼し、そそくさと大亀の後に随《つ》いて、頭取室へ入って行った。

 速水は、そのうしろ姿を見送りながら、万俵頭取が急に一水会の出席を取り消したのは、このためだったのかと思った。それにしても、阪神銀行の系列下にある白鷺信用金庫の常務理事に就任する挨拶ぐらいに、どうして万俵頭取がじきじきに会い、しかも大亀専務まで同席しているのだろうか。そして今までなら系列の相互銀行、信用金庫の理事クラスには、阪神銀行から直接、人を派遣するか、近畿《きんき》財務局の停年退職者が天下るか、どちらかであるのに、田中松夫という人物は、そのどちらにも該当しない。一体、何者だろうかと思い、ふと、大蔵省の銀行局検査部に同姓同名の人物がいることに思い当った。阪神銀行の頭取秘書として、大蔵省銀行局の職員の名前は、殆《ほとん》ど記憶しているのだった。しかし、田中松夫という人物は、阪神銀行の検査には、一度も来たことのない金融検査官であった。阪神銀行の検査を担当している馴染《なじ》みの金融検査官ならともかく、そうでない検査官が、突然、どうして――。やはりこれも万俵の不透明な一連の動きに繋《つな》がるものに違いないと思った時、応接室の扉が開いた。

 万俵は、速水に副知事をエレベーターまで見送らせると、隣接する頭取室へ入った。

「頭取、今度、姫路の白鷺信用金庫の常務理事に行って戴く田中さんです」

 大亀が紹介すると、田中松夫は、角ばった顔に丸い縁の眼鏡をかけた顔で、

「この度は何かとご配慮を戴き、有難うございました」

 姫路訛《なま》りのある口調で、礼を云った。

「いや、こちらの方こそ、あなたのような本省のベテラン検査官を迎えることが出来て、心強く思っています、まあ、お楽に――」

 万俵は微笑をうかべてソファをすすめながら、娘婿《むすめむこ》の美馬中を通して、都市銀行第六位から第九位までの中位四行のマル秘資料を検査部から極秘裡《ごくひり》に持ち出させた男の様子を、鋭く観察した。ダーク.スーツで改まって来たつもりであろうが、かえって野暮ったく、うだつのあがらぬ下級官吏の典型であった。だが、それなればこそ、第二の人生の就職口に飛びつくような思いで、官庁のマル秘資料を持ち出す危険なことも敢《あえ》てしたのだろう。しかし、万俵はそうした問題は、頭取の関知しないことにするために、大亀を同席させたのだった。大亀もその辺のところを心得、

「田中さんは検査畑一筋の人で、この道二十数年のベテラン、田中さんが主《おも》に担当していた中位四行あたりでは、田中さんの名前を聞いただけで、震え上るという噂《うわさ》を耳にしております、その田中さんが、最後に震え上らせたのが第三銀行さんだそうで、つい今も第三銀行さんはお気の毒でと、冗談を云っていたところです」

「ほう、その道二十数年の経験というものはそんなものですかねぇ」

 万俵は感服するように頷《うなず》いたが、田中が第三銀行の検査に当ったことは、既に知っていた。万俵の胸中にある秘かな合併相手である中京銀行、第三銀行、大同銀行、平和銀行の大蔵省しか把握出来ない極秘の計数情報を、田中松夫に持ち出させた当初は、妙な噂《うわさ》がたたない早いうちに、田中の身の振り方をつけるように美馬に云ったが、その後、田中が第三銀行へ検査に行くことが解ったため、わざと第三銀行の検査を終えるまで、田中の退官の時期を延ばさせ、検査の講評を書き終えた段階で、辞表を提出するようにしたのだった。たまたま、田中の郷里が姫路に近い加古川で、曾《かつ》ての上司である美馬から、是非にと頼まれたというのが理由であったから、検査部長は、何の疑問もさし挟まず、むしろ売れ口の悪い古参の行き先を引き受けてくれた美馬に感謝したくらいであった。

 万俵は葉巻を取り出し、

「それにしても、長年、馴染んだ本省を去られる気持は、感慨無量でしょうが、第三銀行さんのような名門銀行で最後の腕を振るわれたのなら、田中さんも思い残すことがないでしょう」

 と云い、葉巻の煙を通して、じいっと田中松夫を見詰めた。田中は、真っ正面から万俵に見詰められると、小心そうに細い眼を瞬《しばたた》かせ、

「それはそうですが……しかし、第三銀行も、名門とはいえ、業績低下はもはや如何《いかん》ともしがたく、系列の企業グループの間にさえ、第三銀行頼むに足らずという風潮が瀰漫《びまん》しはじめているような状態ですから……」

 万俵の表情を読むように云った。金融検査官として美馬と対していた時は、下級官僚は下級官僚なりのこずるさで、知っていることでも小出しにして、決してすべてを云わなかったが、大蔵省を辞めて、阪神銀行の系列である白鷺信用金庫の常務理事のポストを与えられた今となっては、万俵頭取の知りたがっていることに、どう応《こた》えれば満足して貰《もら》えるか、迎合する様子であった。

「第三銀行さんの地盤沈下については、経済記者たちからも、時折、聞かされますが、やはり、事実なんですかねぇ」

「はあ、何かこう、骨が細っていくという感じが致します、今度の検査でも、規模はさして大きくありませんが、グループ企業の中の主な二社のメイン.バンクを他行に取られてしまっていますし、直系の第三物産のメインさえも、富国銀行に取って替られかけています、むろん血の繋がった兄弟会社だけに、第三銀行としては、面子《メンツ》にかけて必死の防戦をしているようですが、防ぎきれますか、どうか――、何しろ経営上の大問題だけに、日下《くさか》部《べ》頭取も、相当、悩んでおられるようです」

 丸い縁の眼鏡をずり上げながら、さすがに周囲を憚るような口調で田中が話すと、万俵の切れ長の眼がきらりと光った。しかし、すぐ柔らかい笑顔に戻り、

「第三銀行さんも、そこまで握られてしまいましたか、金融検査官というのはやはり国税における査察官と同じで、銀行にとってはこわい存在ですよ、ところで今度、あなたに行って戴く白鷺信用金庫ですが、姫路市の開発に伴って、ここ数年の間に急速に伸びた信用金庫で、当行とはとりわけ親密な間柄ですから、あなたとしても、仕事がしやすいと思います、これまでの本省での経験をもとに、大いに腕を振るって下さることを、期待しています」

 と云い、大亀に向って、

「何か、条件その他で、ご不満な点はないのかね?」

 配慮のほどをみせるように聞いた。

「ええ、その点につきましては――」

 大亀が、田中の方を顧みると、

「とんでもございません、充分すぎるほどのご配慮を戴《いただ》いて、かえって恐縮しておりますほどで――」

 田中松夫は、慌《あわ》てて云った。大蔵省の金融検査官としての田中の給料は手取り九万二千円で、浪人中の息子を頭《かしら》に四人の子供を育てねばならない生活に、余裕のあろうはずがなかったが、今度の白鷺信用金庫の常務理事の給料は手取り十七万近くで、信用金庫の常務理事としての標準を、はるかに上廻る額であった。そこに中位四行のマル秘資料を持ち出させた万俵の“口封じ料”がプラスされていることは云うまでもなかった。万俵は、田中松夫の表情で、そのプラス.アルファに満足どころか、感激していることを自らの眼で確かめ、

「では、新しい第二の人生を、頑張ってやって下さい」

 と云うと、田中は卑屈なほど深い礼をして出て行った。

 田中松夫が帰り、大亀専務と二人きりになると、万俵は暫く、黙って葉巻をくゆらしていた。万俵の顔からつい今、田中松夫と対していた時の余裕に溢《あふ》れた表情が消え、異様に張り詰めた眼《まな》ざしが天井のレリーフに向けられたまま、葉巻を持つ指先は神経質に動いていた。

 万俵は燃えつきた葉巻を灰皿に入れると、大亀の方へ顔を向けた。

「ここ数カ月、いろんな観点から合併候補の情報を集め、考えて来たが、結論として狙《ねら》うとすれば、第三銀行だと思うが、君はどう思うかね?」

「第三銀行? あの第三銀行と当行とが――」

 大亀は、耳を疑うように聞き返した。

「いくら何でも高望みすぎるというのかね?」

「率直な感じと致しまして、いささか相手が大き過ぎるようで――、私自身も及ばずながら、いろいろ考えてみましたが、企業の結婚というのは、人間同士の結婚より難かしいことが、しみじみと解《わか》りました、たとえば、こちらがいいと思っても、企業面でいろんな制約があって、駄目な場合、それは候補から消去して行かねばなりませんから」

「その消去の基準を、君はどの点に置くかね」

「消去基準の第一は、経営基盤が強大で、いわゆる被吸収合併には絶対応じないという相手、つまり都市銀行の上位四行、これは真っ先に消去、第二は、銀行自体は多少、脆弱《ひよわ》くても、強力な企業グループに支えられている銀行で、グループの面子《メンツ》にかけても吸収合併はあり得ません、第三は、一種のローカリティというか、地方性があって、その地方には必要不可欠の存在になっている銀行、これはその地方財界が離しません、第四は、いわゆる大蔵閥、日銀閥の銀行で、大蔵、日銀幹部のポストを分け取りするところであるだけに、おいそれとは諒承《りようしよう》しません、第五は、あまり内容の腐っている銀行では、たとえ向うがよくても、共倒れになりかねません」

 大亀らしく綿密に考えた消去法を述べた。

「じゃあ、今、当行が合併相手として考えている中京、第三、大同、平和の四行の候補に対する君の分析はどうなんだ?」

「まず中京銀行は、いかにお家騒動の最中で乗じる隙《すき》があるといっても、名古屋財界がうんというはずがありませんし、大阪の平和銀行は、合併のメリットどころか、内容の腐れが大き過ぎますから、まずこの二行は消去せざるを得ません、次に大同銀行ですが、ここは日銀閥の根強いところで、頭取以下、役員にも日銀からの天下りが多く、当行との合併など、まずもって不可能です、そうなると残るは、頭取がおっしゃる第三銀行ということになりますが、さっき田中松夫が話したように、第三物産のメインさえも他行に取って替られそうな経営上の深刻な問題に突き当っているとしても、何といっても曾ての名門、大沢一族の伝統ある銀行ですし、系列の企業グループの結束力も、いざという時には第三銀行を金融核にして相当、強く作用するものと考えねばならぬと思います、それだけに第十位の当行との合併など、おいそれと乗ってくるとは考えられませんが――」

「君のように、いつまでたってもそんな常識論でもの事をああでもない、こうでもないと考えていたんでは、合併の相手など全部、消去されて、なくなってしまうじゃないか、そんな消極的な姿勢で、“小が大を食う”合併など、どうして出来るのかね!」

 万俵は眉《まゆ》を寄せ、語気を荒らげるように云った。しかしその語調には大亀に対する腹だちより、自分自身に対する焦《あせ》りのようなものがあった。たしかに理屈で詰めていくと、大亀の云うように、小が大を食う合併など、不可能な条件ばかりが出てくる。万俵は、気持を取り直すように言葉を継いだ。

「ともかく、今まではどちらかといえば、四行について綜合《そうごう》的に情報収集をしていたが、これからは、第三銀行に狙いをつけた情報を徹底的に集めさせ給《たま》え、芥川常務にも、東京事務所の総務課を動かして、第三銀行の情報収集を開始させるのだ」

「では、今、個別に情報収集にあたらせている調査、融資、業務、人事、経理部のメンバーに、合併のことを話して、東京事務所とタイアップした“特命班”を組織することを、そろそろ考えねばなりませんね」

「いや、彼らにはまだ合併のことは、当分云わないで、伏せておいた方がいい、こういうことは、洩《も》れたら最後、成る話も成らなくなるから、今まで通りの慎重さでやることだ」

 万俵はそう云いながら、秘書の速水にだけは、もう自分の真意を話す時期だと思った。何一つさし出がましいことを云ったり、聞いたりはしなかったが、俊敏で洞察力が深いだけに、もう相当のところまで感付いているらしいことが、窺《うかが》われた。

 海岸通りにある郵船ビルの地下のバーで、速水英二は、ひとりカウンターに坐《すわ》って、ハイボールを飲んでいた。洋酒通が女気なしに静かに酒をたしなむ溜《たま》り場らしく、速水のようにカウンターにひとり坐って、黙って飲む常連が多い。

「もう一杯――」

 速水は、空《から》になったグラスを、バーテンダーの方へ押しやった。むっつりと口数の少ない老バーテンダーは、速水の顔を見、

「悪酔いにならないんでしょうね?」

 と心配した。いつもはゆっくりと飲むのに、今日は、グラスを空けるピッチが早い。

「大丈夫、そんなんじゃないのだ」

 秀《ひい》でた額や、頬のあたりに紅《あか》みを帯びていたが、澄んだ眼は飲むほどに冴《さ》え、老バーテンダーが注《つ》いだ三杯目のグラスを口に運んだ。冷やかな液体が咽喉《のど》を通り、胃腑《いのふ》へ流れて行く感触が快かった。今晚の速水は曾て経験したことのない昂奮《こうふん》に駈《か》られているのだった。グラスを置き、速水はもう一度、数時間前に万俵頭取から聞かされた阪神銀行の意図する銀行合併の話を思い出した。

 万俵頭取の胸中に、何か重大な決意がなされつつあると感じてはいたが、まさか阪神銀行より上位の銀行と、対等どころか、リーダー.シップを取る“小が大を食う”合併をもくろんでいたとは、想像だにし得ないことだった。しかも、中位四行の一つである第三銀行に狙いをつけるとは――。しかし、それ以上に速水が驚愕《きようがく》したのは、自分も四行を絞る段階で、それとは知らずに情報収集に動かされていたことだった。速水が関西系の頭取秘書の会合に出席する度に、大阪に本店を持つ平和銀行の頭取秘書を通じて、神田頭取の金融再編成に対する考えを引き出させられたり、次期頭取は誰かなどを探らされていたのだった。またつい三日前にも、万俵頭取の指示で、或《あ》る大物総会屋と会って、来月の株主総会の話をしに行ったのも、もう一つの目的は、第三銀行の地盤沈下についての情報を得るためであったのだ。速水は今さらながら、万俵頭取の企業のトップとしての見事な決断力と、行動の適確さに畏敬《いけい》の念を深めた。

「久しぶりだな、ここで会うなど――」

 声とともに、自分の横に坐る人の気配に気付いた。振り向くと、万俵銀平であった。速水は、すぐ言葉が出なかった。さっき万俵頭取から、銀平にはこの話は伏せているから、君もそのつもりでと、念押しされたばかりであった。

「どうかしたのかい? 驚いたような顔をして――」

「いや、ちょっと飲み過ぎたらしいのだ」

 取り繕うように笑うと、

「君でも、適量を過すということがあるのかね、そういえば、今日の君はいつもの飲み方と様子が違うようだな」

 銀平は、酒気に紅らんだ速水の横顔をちらっと見、黙っていても老バーテンダーが出してくれる銀平の好みのカティーサークを口に運んだ。速水の方が、気詰りを感じるように、

「万俵君、今日、渋野常務から耳にしたんだけど、東亜化学の融資は、引き揚げるんだってね? そうなると、ここ当分、君も忙しいだろう」

 と云うと、銀平はチョーク.ストライプの瀟洒《しようしや》なスーツの肘《ひじ》をつき、

「うん、それで今日も今までずっと会議だったんだ、他行はまだ島崎社長の巧みな弁舌で、設備の大型化計画を信じているらしいが、どうやらあれは運転資金の行き詰りで、新たな設備投資をだし[#「だし」に傍点]に、資金調達をしようという腹らしい」

「そうだったのか――」

 速水はグラスを口に運びながら、合併のことを同期の銀平に話したい衝動を覚えた。他《ほか》ならぬ自分たちの銀行の命運を左右する問題だけに、同年代の感覚で、阪神銀行の将来はどうあるべきかを徹底的に議論し合いたかったのだった。しかし頭取から他言を禁じられている以上、黙していなければならない自分の立場に、速水はいいしれぬもどかしさを覚え、企業秘密を守るためには、迸《ほとばし》り出るような個人の情熱も欲望も、友情も押し殺し、封じ込めてしまわねばならぬ企業の持つ非人間性を、今さらのように感じた。

 ぎこちなく、跡切《とぎ》れた会話の継穂を探すように、

「ところで君の奥さんの風邪は、治《なお》ったの?」

 と云うと、銀平はグラスを置き、

「え? 何のことだい」

「何のことじゃないだろう、うちのワイフに何かの用で、一週間ほど前、電話があって、その時、風邪から扁桃腺《へんとうせん》を痛めたとかいうことだったので、ワイフがすぐ医者の僕の親父《おやじ》に聞いて、吸入をおすすめしたけれど、工合はどうなったかと、心配していたよ」

 銀平の結婚披露に、速水は友人として出席し、その後も一度、夫妻で銀平の新居を訪れていたから、妻同士も顔馴染《なじ》みになっていたが、銀平は万樹子の風邪や扁桃腺のことなど、全く気付かなかった。

「どうせ、たいしたこともないのに、退屈しのぎに電話をしたんだろう、僕は知らないよ」

 素っ気なく云うと、

「相変らずだな、君にフェミニストになれとは云わないが、妻となった女性ぐらいには、夫らしいいたわりをもって接するべきじゃないかな」

 速水らしい優しさを籠《こ》めて云った。

「そういうものかね、しかし、単に何カ月か前から、一つの家で生活するようになったからと云って、夫の妻のと、煩《わずら》わしく考えるなんて、僕はご免だな」

 興ざめるように云い、ぐいとグラスを空けた。速水はそんな銀平の様子を見詰めながら、結婚しても全く変らないどころか、ニヒルな面が以前にも増したような気がした。

 銀平は自分の車で、速水を家の近くまで送り、自宅へ帰った。

 門の中へ車を入れると、森閑とした夜の闇《やみ》の中に父たちの住まうスペイン風の建物、自分たちの南欧風の新居、兄たちのル.コルビジェ風の建物が煌々《こうこう》と灯りをつけて、うかび上っている。邸内の緩やかな坂道を上り、一際《ひときわ》、明るい照明が点《つ》いている新居の玄関に車を停め、ベルを押すと、万樹子が出迎えた。グリーンのジャージーのワンピースに、ロング.ネックレスを巻いているが、帰りを待ち受けていたようないつもの気配はない。

「お帰りなさい」

 とだけ云い、同じように出迎えた若いお手伝いに、先に寝《やす》んでいいからと退《さが》らせ、居間へ入った。南欧風の白い壁に囲まれた部屋の床《ゆか》には、真っ黒の絨毯《じゆうたん》を敷き詰め、イタリア製の赤、黄、紫、グリーン、ブルーの五色のソファがカラフルに部屋を彩《いろど》っている。いつもなら、この部屋の雰囲気《ふんいき》を楽しむように、万樹子は、紅茶やブランディを出して、賑《にぎ》やかに喋《しやべ》るのに、今夜は妙に塞《ふさ》ぎ込んでいる。

「さっきまで速水君と飲んでいたんだが、君、速水君の奥さんに扁桃腺の治療法を聞いたらしいね、工合が悪い時は僕を待たず、先に早く寝めばいいよ」

 上衣を取りながら云うと、

「そんなの、とっくに癒《なお》ってしまったわ」

 ぷつんと云い、また黙った。いつもは、一日中の退屈さを吹き飛ばすようにその日あった出来事をたて続けに喋り、パーティのあった日などは、そのメンバーから、出席者の衣裳《いしよう》まで話すのに、今夜は不思議なほど喋らない。もっとも銀平にとってはその方が、くだらないお喋りを聞かされず、気が憩《やす》まる。ネクタイをゆるめ、夕刊を読みかけると、不意にヒステリックな声をあげた。

「私、騙《だま》されたわ! 私とあなたの結婚は、閨閥《けいばつ》をつくるための道具だったのよ、すべて欺瞞《ぎまん》だらけだわ!」

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