饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15517 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「ほんとうかい、そりゃあ」

「嘘《うそ》など云うはずがありませんでしょう、しかし、これを知っているのは、当事者以外には、小田さんと私どもぐらいです、ですから小田さん、腹を割って、ほんとうのところを話して下さいませんか、そのあと、日銀総務部企画課で得た情報も全部、提供致しますよ」

 伊佐早は、小田の妻と話している時とは打って変った鋭さで云った。小田が両行の動きの全貌《ぜんぼう》を知っておりながら、しら[#「しら」に傍点]をきっている様子はまずないというのが、伊佐早の勘であった。昼間、小田が妙に奥歯にものが挟まったようなもの云いをしたのは、こちらの反応を探るためで、情報を欲しがっていたのは、或《ある》いは小田の方かもしれない。それだけに銀行課の役人では知り得ない情報を提供することによって、小田が知っている両行の動き、大蔵省の上層部の動きを引き出す作戦であった。

「で、日銀では、どう云っているのかね?」

「第三銀行と平和銀行とが合併することは大賛成という腹で、双方の橋渡しをしたのも日銀のような気配が読み取れます」

「橋渡し役をしたのは誰なんだ?」

「日下部頭取の従兄弟《いとこ》に当る笹原理事だということです」

「なるほど、で、その場合の頭取は、どちらだと考えているんだね?」

「そりゃあ、第三銀行の日下部頭取にしたいらしいですが、平和銀行の神田頭取が、トップを取られるのは諒承しないらしく、なかなか折り合わないようですね、それから、これは当行で独自に調べたことですが、第三銀行の組合幹部たちは、平和銀行のような関西系の下位銀行と対等に合併するなどとはもってのほかと強気だそうで、業績が低下しても、名門意識だけは、上から下まで人一倍、強いのには恐れ入りましたよ」

 伊佐早が云うと、小田の眼が微妙に動いた。

「ふうむ、そうすると、やっぱり――、実のところ、僕んとこは、まだ上の匂《にお》いを嗅《か》いでいる段階なんだが、第三と平和の常務が帰った後、両行の資料を持って来るように云われたんだ」

「資料、どんな内容のものなんです?」

 伊佐早は、ごくりと唾《つば》を呑《の》んだ。

「いやあ、たいしたことないよ、両行の店舗関係のものだから――」

 言葉を濁したが、店舗網は、銀行合併の時の重要な問題点の一つであった。

「僕はすぐ局長室を出たが、あとで検査部長が呼ばれていたな」

「ほう、検査部長が――」

 伊佐早は、心臓の動悸《どうき》が高鳴った。

「やはり両行の動きは、合併含みですが、これはちょっと首をかしげさせる組合せですねぇ、不良貸付の多さでは東西の両横綱だし、行風もあまりに違いすぎますし」

 一しきり、両行の合併ムードに水をぶっかける意見をぶち、

「ところで小田さんご自身は、どう思われるのです?」

「僕は現在の都市銀行の中で、一番不安定な状態にある中位銀行の数が整理されるということには、基本的に賛成だな」

 いつもはもっと積極的な意見を吐く小田であったが、事態を察して、きわどい質問を巧みにかわした。

「で、この話は、どの辺りまで行っている様子ですか?」

「僕の感じでは、局長止まりと思うな」

「それで春田局長の意向は、積極的なんですか?」

「それは解《わか》らないよ、しかし、君んところは、どうしてそんなに他行の動きを熱心に知りたがるんだ?」

 伊佐早は口詰りかけたが、

「たまたま、第三銀行の首脳部が、業績低下の責任をとって退陣する噂《うわさ》の真偽を探っていた矢先に、小田さんから昼、あんな話を聞かされたら、気になるのが当り前じゃないですか」

 何食わぬ態《てい》で応《こた》えながら、もう話の切上げ時だと判断した。

「どうも遅くまでお邪魔しまして、いずれ改めてご挨拶《あいさつ》に参ります」

 伊佐早は、小田の妻にも鄭重《ていちよう》に挨拶して、落ち着き払ったもの腰で玄関を出たが、外へ出るなり、駅まで六、七分の道を走り、駅前の公衆電話のボックスへ飛び込んだ。そして最前の赤坂の待合にいる芥川を呼び出した。

「もし、もし、常務ですか、やはり第三と平和は合併含みの動きです、いえ、間違いのない話です、ええ、もちろん、その辺のところは確かめて聞いておりますから、間違いありません……ええ話は、まだ局長止まりで、次官までは上っていないそうです、ええ、これ以上のことは、課長補佐の段階では解らないというのが、ほんとうのところだと思います」

 と伝えると、さすがの芥川も昂《たかぶ》るような気配で、

「よし、ご苦労、あとは私がやる」

 引き取るように云った。

 成城の美馬家の居間では、妻の一子が、母に習ったフランス刺繍《ししゆう》をしていた。二人の子供はとっくに寝《やす》み、若いお手伝いも先に寝ませて、飾棚の上の時計の音だけが鳴っていたが、一子は毎晚のように帰りの遅い夫を待つことに馴《な》れていた。

 口を開けば、忙しい、忙しいと口癖のように云って、十一時より早く帰宅したことがない。そんな夫に、陰の女性がいるような気配を感じることがあった。毎朝替えるワイシャツに時々、一子が使わぬ香水の匂いがかすかにしみているようなことがある。

 電話のベルが鳴った。一子はゆっくりとたち上って、サイド.テーブルの上の受話器を取った。

「もしもし、阪神銀行の芥川でございます、ああ、奥さまでいらっしゃいますか、ご主人様はお帰りでしょうか?」

「いいえ、まだ帰宅致しておりませんが、何か急なご用でも――」

「いえ、取りたてて急というわけでもございませんが、今夜中にもう一度、十二時頃にお電話させて戴きます、夜分にお手数《てかず》をおかけ致しました」

 と云い、電話をきったが、十一時に電話をかけて来、十二時頃にもう一度、電話をかけるという言葉の裏には、取急ぎの様子が感じ取られた。そして阪神銀行の芥川からという限り、父の仕事で、美馬に何かを依頼するために違いなかったが、美馬は、父から月々、きまった経済的援助を受けていながら、父から少しでも頼まれごとをすると、恩着せがましい云い方をし、一子にまで居丈高になる。それを思うと、一子は、気持が塞《ふさ》いで来た。

 門に車が停まる音がした。時計を見ると、十二時十分前であった。門を開けに出るとタクシーから降りて来た美馬は、酒の匂いがぷんとし、予算編成で主計局に罐詰《かんづめ》だったとは思えぬ酔いが見られた。

「なんだ、またいつものようにきちんと着物を着、帯を締めてのお出迎えかい、先に寝んでいろよ」

 自分の酔いを隠すように不機嫌に云い、家へ入った。一子は、黙って美馬のうしろに廻って上衣を取りながら、

「先程、芥川さんからお電話があって、十二時頃にもう一度、おかけすると云っておられましたわ」

 と伝えると、

「そろそろ、お舅《とう》さんからご用命がある頃だと思っていたよ、しかし、主計局が忙しくなる最中《さなか》に、そうお舅さんのご用命にばかり応じていられるか、どうかだねぇ」

 いや味な云い方をしたが、ネクタイを取り、ワイシャツのボタンをはずしていると、電話が鳴り、美馬が受話器を取った。

「ああ、美馬です、いや、今帰ったところですが、急用というのは何です?」

 無愛想に云った。芥川は、恐縮しきった低い声で、

「深夜、まことに不躾《ぶしつけ》なご依頼ですが、早急に春田銀行局長にお目にかかって、じかにお伺いしたいことが出来ましたので、春田局長にご無理をして戴《いただ》くようにお願いしたいのですが――」

 美馬の顔に、予期していたことを聞くような表情がうかんだが、

「ご承知のように主計局は、今、予算編成の査定で、連日、深夜に及ぶ多忙な最中だから、銀行局長なら、阪神銀行の東京事務所長たるあなた自身から頼めばいいじゃないですか」

「ところが、急を要しますことで、しかも、夜の料亭などでは目だちますので、早朝のゴルフ場あたりでさり気なくお目にかかり、さり気ない聞き方を致したいと思いますので――、そうなりますと、春田局長とお親しい美馬局次長にお口添えして戴きませんことには――」

「それで、春田局長にあたってみたいという話の内容は、どういうことなんだね?」

「実は、第三銀行と平和銀行が合併するかもという情報を得たものですから――」

 美馬は初耳のように聞いたが、元銀行課長である美馬は、両行の動きをおぼろげながら既に察知していたのだった。それをすぐ舅《しゆうと》の大介に報《しら》せないのは、それなりの理由があったのだ。

「その情報の筋は、たしかかね?」

「ええ、日銀の総務部や大蔵省銀行局から取った情報なものですからまず確かです、それで何とか一両日中に、春田局長の胸先三寸を探りあてたいわけで――」

 芥川は、さらにさし迫った声で云った。美馬は瞬時、口を噤《つぐ》み、考えた。自分自身が春田に聞くより、芥川に聞かせた方がより詳しい事情が聞けるかもしれない。しかも官僚の習性として、同じ官僚仲間に洩《も》らさないことでも、自分の仕事と繋《つな》がりのある民間人には洩らす場合がある……。

「では、明日、春田局長に会い、何とか都合をつけて貰《もら》うように頼み込もう、返事のほどは明日、今ぐらいの時間に家へ電話して来てくれ給え、今の内容を聞いては、僕だって、忙しいの何のと、云っておれないじゃないかねぇ」

 美馬は、俄《にわ》かに語調を和らげ、阪神銀行のために動き、万俵大介に為《ため》することを楽しむように云った。一子は、そんな夫の姿を見詰めながら、父と美馬との間にある強い共通の繋がりを知り、それにひきかえ、自分と美馬との繋がりの稀薄《きはく》さを、今さらのように感じた。

 受話器を置いた美馬は、煙草をくわえ、サイド.テーブルの横にあるレター.ボックスに入っている書簡類にぱらぱらと眼を通した。

「おや、相子さんからの手紙が来ているんだな」

「ええ、午後の便に来ておりましたわ」

 一子は素っ気なく応えたが、美馬はすぐ封を切った。女にしては肉太の達筆な字でしたためられていた。

 前略

 このところご無沙汰《ぶさた》致しておりますが、相変らずのお忙しさでいらっしゃることと存じます、こちらは銀平さんの新家庭もすっかり一族の中に溶け込んで、一段落しましたので、二子さんの良縁を考えはじめております、もちろん、財界筋からはいろいろと結構なご縁談が持ち込まれておりますが、何かと今後のことを考えました時、万俵家の閨閥《けいばつ》の枝ぶりは、この際、いささか妙を得たものに致したく、それには政官界のご事情に明るいあなたさまのお力添えを戴きたく、近々、ご都合のおよろしい時に、上京してゆっくりお話しさせて戴きたく、ご都合のほどをお伺い申し上げます。

かしこ

 美馬中さま

高須相子

 さり気ない簡単な手紙であったが、そこには、二子の結婚に対する相子のただならぬ意気込みと野心のほどが読み取れた。

「相子さんからのお手紙、どんな風ですの?」

「二子ちゃんの縁談のことだが、今度も、相当な大物との縁談を望んでいるらしい、読むかい?」

「いいえ、結構ですわ」

 一子は、露骨にいやな顔をした。妻妾《さいしよう》同居の家の中で、相子によって縁談が運ばれることは、自分たち兄妹が穢《けが》されるような気持がしたのだった。

「さて、寝もうか――」

 美馬は、なま欠伸《あくび》をし、寝室へ足を向けた。

 二階の十畳の寝室には、美馬と一子のための二台のベッドが、東向きに置かれ、真っ白なシーツがかかり、ナイト.テーブルの上には、曇り一つなく拭《ふ》き磨かれたクリスタル.ガラスの水入れが置かれている。その冷たいほどの清潔な寝室の雰囲気《ふんいき》が、久しく交わりのない夫婦の間柄を物語っていたが、一子はそれを不満とも思わず、かえって女のように白いなめらかな美馬の手で、ねっとりと触れられることの方が気味悪いぐらいであった。今夜も美馬は、パジャマに着替えると、さっさと自分のベッドへ入り、一子もブルーのネグリジェに着替え、そっと自分のベッドに身を横たえた。

 不意に美馬の手が伸び、一子が思わず体をそらせかけると、

「おあいにくさま、あんたじゃないんだ」

 冷笑するように云い、美馬は宙に泳がせた手を、ナイト.テーブルの上のコップにやり、水をぐうっと呑《の》み干すと、電気スタンドを消した。

 朝露でまだ芝生の湿っている早朝の小金井《こがねい》ゴルフ.クラブに、早くもコースを廻りはじめた三人の人影があった。八時のオープンの時間より一時間も前だったから、その三人組とキャディのほかには、遠くのコースで芝生を手入れしているグリーン.キーパーが一人、豆粒のように見えるばかりで、武蔵《むさし》野《の》の面影を残している雑木林のあたりからは、野鳥の囀《さえず》りが聞えて来る。

 オープン前の早朝のコースを廻る組は、必ずといっていいほど、人目を憚《はばか》る特殊な雰囲気を持っている。都心から車で四、五十分という地の利のよさと、コースも一流というところから、夜の会合でうっかり顔を合わせられない“永田町”や“霞《かすみ》が関《せき》”の政官界人、それに“丸の内”界隈《かいわい》の企業忍者たちが、さり気なく、政治的な取引を行なう恰好《かつこう》の場所として、しばしばここを利用している。

 今朝の三人組は、阪神銀行東京事務所長の芥川と大蔵省銀行局長の春田、そしてこのゴルフ.クラブ専属のプロ.ゴルファー、村上寅七《とらしち》であった。

「局長、今日は最初から随分、当りがいいですね」

 一番ホールが終ると、芥川は、スコア.カードに成績を記《しる》している春田局長に幾分の阿《おもね》りを籠《こ》めて云った。

「うむ、村上プロのような大御所《おおごしよ》にレッスンして貰うとなると、自《おの》ずから気合いが入るよ」

 春田局長は、大振《おおぶ》りな目鼻だちの割に、唇が妙に薄く、それが見るからに官僚らしい怜悧《れいり》さを漂わせていたが、その顔を上げて、上機嫌に応えた。そんな春田を見ながら、芥川はやはり、万俵頭取の電話の指示通り、村上プロに“朝の特訓”を受けるという形を取ったことは、まさに名案だったと思った。村上プロを使うのは派手過ぎて、春田の方が警戒して乗って来ないだろうと芥川は懸念《けねん》したが、万俵は、春田はゴルフ歴が浅く、ハンディも二十台どまりで、銀行局長という立場上、あまり恰好のいいものではないから、村上プロのような大御所にレッスンを受けられるとなれば、春田にとって非常な魅力に違いない、しかも、村上寅七クラスにそんな無理を頼めるのは、彼が関西の広野ゴルフ倶楽部《クラブ》出身で、キャディ時代から万俵がいち早く彼の素質を見抜き、何かと面倒を見てきた縁故があればこそで、他行が真似《まね》することの出来ない接待だと云ったのだった。

 二番ホールに来、春田がアイアン.ショットにしくじると、それまで黙って、春田の打ち方を観察していた村上プロが、はじめて口を開いた。

「アイアンの時は、ボールを掬《すく》おうとしないで、打ち込むつもりでやってごらんなさい、こういう風に――」

 絵に描いたようなダウンブロー.ショットをしてみせた。春田は、感嘆の面持でそれを見、自分も思いきり打ち込むつもりでショットしたが、やはりダフリボールだった。

「これは相当、重症ですね、ドライバーはまずまずですが、アイアンでいつもダフってスコアを崩し、それでハンディ二十の壁を破れないんでしょう」

 村上プロは、春田の長所と短所を僅《わず》かの時間に見抜いて指摘した。

「前に仲間からそう云われて、直したつもりなんだが、やはり駄目なんですかねぇ」

「じゃあ、ちょっとこちらへ――、向うに一本松がありますね、ここから思い切り打ち込んで、あの樹《き》の一番下の枝を抜いて、グリーンを狙《ねら》って下さい」

 そう云われると、春田は眼前の一本松を睨《にら》みつけ、松の枝の下を抜く低いボールを打つつもりでショットしたが、ボールは幹に当ってはね返り、春田は口惜《くや》しそうにクラブの先で芝生を叩《たた》いた。

「あせらずにあの枝の下をぬけるまで、何度でも打ってごらんなさい」

 村上プロは厳しく云った。その間、芥川はバンカー.ショットの練習をする素振りをしていたが、名人気質の村上プロが春田を腐らせないかと、気が気でなかった。

 不意にパカーンという快音が響き、春田の打ったボールが松の枝の下を突きぬけて、グリーンに見事に乗った。

「ナイス.ショット!」

 芥川は思わず叫んだ。春田も会心の笑いをうかべた。芥川はすぐ傍《そば》へ寄って行き、

「いやあ、さっきまでのと様変《さまがわ》りの球筋ですね、こういうのは教え方がうまいのですか、それとも教わり方がいいんですかねぇ」

 巧みなお世辞の云い方をすると、村上プロは、

「掬い打ちをこういう方法で矯正するのは、私の案ではなく、昔、イギリスのエドワード八世が皇太子だった頃、やはり掬い打ちの悪癖がどうしても直らなかったのを、アメリカの有名なプロが樹を使ってレッスンしたその故事に倣《なら》ったまでですよ、もっとも春田さんと皇太子と、どちらが覚えが早いか、そりゃあ解《わか》らないが、覚えはいい方ですね」

 ぶっきら棒に答えた。春田は、その村上プロの譬話《たとえばなし》が大いに気に入ったらしく、

「じゃあ、これからコツを忘れかけたら、またこの樹の下でやることですね」

 頬を上気させていた。芥川はすかさず、

「村上さん、その時はまた、“春田皇太子”のご指導をよろしく頼みますよ」

 と云うと、村上プロは今日の自分の役割を含んでいたから、頷《うなず》いた。これで春田は、いつ来ても遠慮なく村上プロにレッスンを受けられる黙契が成りたったわけで、春田の相好が崩れるのを、芥川は抜け目なく見届けた。

 中断されていた二番ホールのプレイを再開し、やがて七番ホールまで進むと、そのつど三球ずつ打っている春田の額や首筋に汗が流れて来た。

「局長、この辺《あた》りで少し休みましょうか?」

 頃合いとみて芥川が云うと、春田も頷いた。

「じゃあ、私は先に八番へ行ってます」

 村上プロはそう云い、キャディを連れて、先に坂を下りて八番ホールへ行き、芥川と春田は、丸太造りの四阿《あずまや》へ入って腰を下ろした。

「いかがですか、村上プロは?」

「うん、やはりその道の一流人は、寸言人を刺し、寸言人を導くねぇ」

 快げに顔の汗を拭《ぬぐ》った。

「そう云って戴くと、何よりです、ところで今日は折入って、局長にお伺いしたいことがあるのですが――」

 芥川が口を切ると、春田は四阿から八番ホールの村上プロの豪快なショットを見下ろしながら、

「美馬君が昨日の朝、突然、僕の部屋へやって来て、小金井の“朝の特訓”に付き合ってやってほしいと頼み込むものだから、ともかくこうして都合をつけて来たんだが、至急の用件とは、何ですかね?」

「実は第三銀行と平和銀行の合併の信憑《しんぴよう》性についてお伺いしたいのです、両行はほんとうにやるのですか?」

 芥川は単刀直入に聞いた。

「美馬君から、聞いていないかね?」

「いえ、この情報は、当行が独自でキャッチしたものです」

「ふうむ、そうかもしれないな、何しろごく最近の動きだからねぇ」

 芥川の縁なし眼鏡が、きらりと光った。

「なるほど、最近の動き――そうですか」

 春田は“最近の動き”という表現で、両行間に合併の動きがあることを認めたのだった。その確認を銀行局長自らの口から取ったのは大きな収穫であった。芥川はさらに、

「それに対して局長はどういうお考えなんです? 青信号を出すつもりですか、それとも赤、黄、どちらなんですか」

「それは今の段階では、何とも云えないね、もうこの辺でいいだろう」

 春田は、両行の動きを認めたことで、美馬への義理は帳消しだといわんばかりに話を打ち切りかけたが、芥川は、引き下らなかった。

「春田局長ご自身の金融再編成に対する考えは、お変りにならないのでしょう、とすれば、この合併は再編成の火ぶたを切る突破口として、当然、積極的にバックアップされると解釈していいんですね」

 相手の応《こた》えを引き出すために、わざと一人ぎめするように云うと、

「その辺のところは、せいぜい君たちで想像を逞《たくま》しくして貰うことだね」

 そこまでは簡単に応えられないと、云わぬばかりの口調であった。芥川はとりつくしまもなく、口詰ったが、

「じゃあ、第三、平和の合併問題はぬきにして、中位行の再編成について局長はどうお考えなんですか? 上位行へ吸い上げる方ですか、それとも下位行と抱き合せるんですか」

 素早く話を一般論にすりかえた。

「これからの合併は大が小を食ういわゆる弱肉強食型では難かしいだろう、格差の少ない同じ程度の規模の銀行同士が二行、もしくは三行、連合軍を組んで上位に対抗するといった、そういう合併でなければ実現困難な気がするねぇ」

「なるほど、それなら第三と平和の合併は今、局長がおっしゃった意向通りじゃあないですか、ということは大蔵省として青信号を出すとみていいのでしょう」

「しかし、その理論も、いざ実践となると、何しろ銀行というのは複雑な生きものだけに難かしいんだねぇ、そこが予算や税金を扱う局とちがうところなんだ」

 いかにも実力局長らしい云い方をしたが、何かにひっかかっている節《ふし》が感じられた。

「というのは、両行の橋渡しをしたのが日銀だからですか?」

「日銀? そんなもの、われわれは問題にしちゃあいないよ」

 頭から論外だと、云わんばかりに否定した。

「とすると、永田大臣のあたりで、何か決断に迷われるようなことがあるんですね?」

「うん、まあね、例の男が動いているからねぇ」

 春田が例の男というのは、永田大臣の政敵である前大蔵大臣、現幹事長の田淵《たぶち》円三のことであった。

「ほう、そうですか、しかしどちらの銀行も、あの線は薄いのじゃないですか?」

 各銀行には、必ずといっていいほど与党の実力政治家が背後について、資金パイプとなっている。

「ところが、第三銀行のうしろで動いているんだ」

「じゃあ、大蔵省の意向は目下、これ[#「これ」に傍点]のサイン待ちですね?」

 親指をたて、永田大蔵大臣のことを云った。

「まあ、それも想像に任せるよ」

 春田はさっきと同じようにはぐらかしたが、今度はにやりと笑った眼が、それを肯定していた。いかに“合併屋”と云われる春田でも、自分のボスの政敵である田淵幹事長の資金パイプを太くさせるかもしれない合併を、おいそれと進めるわけにはいかなかった。

「どうも今日は、大へんな土産話を戴きました、万俵がさぞかし感謝致しますことでしょう」

 その返礼は改めてというニュアンスを籠めて云い、二人は再びコースへ出た。

 万俵家のダイニング.ルームに銀平と万樹子が珍しく顔を出していた。樫《かし》の大テーブルの上に到来ものの生牡蠣《なまがき》が、氷をのせた大きな銀皿に盛られている。テーブルの正面は、いつものように大介の席であったが、大介は書斎の電話にたっている。左側の妻の席には今夜は寧子が坐り、右側に相子、その隣に三子が坐っているが、二子は東京の音楽会へ出かけて不在だった。

「今日は、お義兄《にい》さまご夫妻は?」

 万樹子は、何となく気詰りな気持で、向い側の席の三子に聞くと、

「鉄平兄さまは、このところ高炉建設で忙しく、殆《ほとん》ど工場へ泊り込んではるんですって、だからお嫂《ねえ》さまも失礼しますってことやわ」

 大阪弁の混じった標準語で応えた。

「でも、お嫂さまだけでもお越しになればおよろしいのに――」

 万樹子は残念そうに云ったが、早苗と仲がいいというのではなく、万俵家の人々の中に、自分一人、混じっていると、たとえ傍《かたわ》らに夫の銀平がいても、息苦しさを感じるからだった。しかし万樹子と並んでいる銀平は、そんな万樹子の気持など斟酌《しんしやく》せず、久しぶりに顔を合わせた母に、何かと話しかけている。

「待たせたね、さあ、戴《いただ》こうか」

 長い電話を終えて大介が席に着くと、相子は純白のワンピース姿で、にこやかな笑いをうかべ、

「さあ、志摩半島の的矢《まとや》牡蠣ですよ、たっぷりと召し上れ」

 とすすめた。大介は大きな牡蠣を皿に取り、フォークで殻をはずしながら、

「銀平たちと一緒に食事をするのは、久しぶりだね、大分、落ち着いたかね?」

 万樹子の方を見て云った。

「はい、おかげさまで、やっと家内《いえうち》の勝手が解って参りましたわ」

 めったに話すことのない舅《しゆうと》であったから、ぎこちなく応えた。

「そうかい、何か不自由なことでもあれば、遠慮なく云うがいい」

「快適な新居ですし、今は何もございませんわ」

 と云ったが、結婚後間もなく、三台のベッドが並んでいる二階の寝室を見、妻妾同衾《さいしようどうきん》の事実を知ってしまった万樹子には、万俵大介を舅として尊敬することは出来なかった。相子はそんな万樹子の心を読み取るように、

「明後日《あさつて》は、安田さまの還暦祝で、お招きを受けておりますけれど、ご都合はおつきになるんでしょう?」

 大介の方へわざとらしく云った。

「うむ、他ならぬ万樹子のお父さまのおめでたい会だから、何はさておいても伺うよ」

 と応えながら、大介は、芥川からの電話の内容を頭に思いうかべた。第三銀行と平和銀行の合併の動きに対して、銀行局長の春田は、永田大蔵大臣の政敵である田淵幹事長が両行の背後で糸を引いていることを警戒し、永田大臣のサイン待ちであることを伝えて来たが、明後日の還暦祝の席で、第三銀行と長い取引のある大阪重工の安田社長から、官庁とはまた別の情報が引き出せるかもしれないと思った。もしそれが出来て、しかも第三銀行が、平和銀行ではなく、阪神銀行へ首を振ってくれるようなとっかかりでも探りあてることが出来れば、それこそ閨閥《けいばつ》によって得るメリットというものであった。そう思うと、大介は、優しい笑いを口もとに漂わせ、

「もちろん、銀平も行くねぇ?」

 と聞くと、銀平はワイン.グラスを口に運びながら、

「僕は、失礼させて戴くつもりですよ」

「それはいかん、万樹子と揃《そろ》ってお祝いに行くことが、安田のお父さんの何よりものお喜びだよ、ねぇ、万樹子」

「ええ、ですけれど、この人はいつもこうなんですから――」

 その言葉の中に、万樹子と銀平の間がうまく行ってない様子がうかがわれ、座が白けかけたが、相子は、そんな気まずい雰囲気をふっ消すように、

「安田さまの還暦祝のお品、出来て参りましてよ、きっとお喜びになって下さいますわ」

 自分が任されて選び、注文した品のことを持ち出すと、

「あら、何になさったのん?」

 三子が、好奇心に満ちた顔で聞いた。

「それは内緒、万樹子さんにも内緒なんですもの――」

 そう云って万樹子を見た相子の眼は、異様な光を帯びていた。“内緒”という言葉に、三台のベッドの秘密を知ってしまった万樹子への牽制《けんせい》があり、万樹子の結婚前の異性関係を知っているという脅かしがあった。万樹子はたじろぐように体をうしろへそらせた時、膝《ひざ》からナプキンが滑り落ちた。目だたぬようにそっと体を屈《かが》めてテーブルの下へ手を伸ばしかけて、万樹子はあっと息を呑《の》んだ。

 テーブルの正面に坐っている舅の大介と、その右側に坐っている相子が、テーブルの下で足を絡《から》み合せているのだった。万樹子は、眼の眩《くら》むような衝撃を受けた。家族で食事をしている食卓で、しかも未婚の娘がいる食卓の下で、足を絡ませている舅と相子の姿は、獣のような生臭さを帯びていた。ナプキンを取ってもと通りの姿勢に返り、舅の方を見ると、万俵は銀髪端正な顔で中央の椅子に坐り、家父長らしく振舞っているのだった。万樹子は、その舅に底知れぬ複雑怪異な人間性を感じた。

 *

 芦屋の安田太左衛門の邸《やしき》で、祭日の昼下り、太左衛門の還暦祝が催されていた。

 十二畳と十畳続きの奥の座敷の正面に、紋付に赤い甚平《じんべ》を重ねた太左衛門が坐り、その両側に、妻と長男夫妻、東京から駈《か》けつけて来た太左衛門の兄弟をはじめ、親《ちか》しい縁戚《えんせき》が三十人ほど集まり、万俵家からも、万俵大介と銀平、万樹子夫妻が出席していた。ごく内輪《うちわ》の会であったが、『かき繁《しげ》』の懐石膳《ぜん》が並び、賑《にぎ》やかに座がはずんでいた。

「そうして赤い甚平を着ておられると、お父さんも今日ばかりは好々爺《こうこうや》に見えますね」

 父と同じ大阪重工の営業部長をしている長男が云うと、無地一つ紋を着た母の佳江も、

「お対《つい》で作った頭巾《ずきん》も冠《かぶ》ってくれはったら、いうことありませんのに」

 残念そうに頷《うなず》いた。

「甚平はお前たちが無理に着せたから仕方なしに着ているが、あんな花咲爺《はなさかじい》さんみたいな頭巾を冠せられては、ほんとに耄碌《もうろく》爺さんになってしまいそうだよ」

 太左衛門は温和な顔に似ず、六十という自分の齢《とし》を頑固に否定するように云うと、中央製紙社長の安田長兵衛は、

「万俵さん、弟はこれで諦《あきら》めの悪い奴《やつ》でしてね、還暦祝など真っ平だと逃げ廻るのを、皆で説得するのに手子摺《てこず》りましたよ、その点、私など三年前に素直に赤い甚平を着て、頭巾も冠ったもんですがねぇ」

 と云うと、太左衛門の実弟で五井地所社長である安田三衛門は、椀物《わんもの》の蓋《ふた》を取りながら、

「今の兄の話も少々、眉唾《まゆつば》ものでしてねぇ、還暦を迎える二人の兄の姿を見ていると、六十という齢は、何かこう捨て切れないものがあるようですね、女の方も含めて――」

 二人の兄より野性味のある風貌《ふうぼう》でにやりと笑った。万俵はその言葉をさらりと受け流し、

「あなた方は、さすがに秀才三兄弟の誉れがお高いだけあって、いずれ劣らず一癖も二癖もおありで、大へんな親戚を持ってしまったものですよ」

 親しみを籠《こ》めた調子で云うと、また笑いが起り、還暦祝の席は、和気藹々《あいあい》と賑わって行ったが、銀平と万樹子夫妻だけは、そうした雰囲気《ふんいき》からかけ離れた気配であった。

「おい、万樹子、今日はいつものように写真を撮らないのか、ジュネーブの美和子が、パパの甚平姿をみたいから、是非、写真を送ってくれと云って来てるんだよ」

 長男の兄が、外交官に嫁いでいる万樹子の姉のことを云った。一族の集まりの時には、カメラの好きな万樹子がいつも撮影係を引き受け、ユーモアたっぷりなスナップ写真を撮るのが常であった。

「いいわ、撮ってあげるから、カメラを貸して――」

 万樹子は、訪問着の袖《そで》をのばして、カメラを受け取り、縦にかまえて、レンズの中に父の顔を捉《とら》えた。温和な澄んだ横顔であった。シャッターを切りかけると、カメラに気付いた太左衛門が万樹子の方へ顔を向け、笑ってみせた。

「パパ、もっと笑って、よくって? 撮るわよ」

 万樹子は、久しぶりに末娘らしい甘えた口調で云い、なるべく真っ正面に父親の姿が捉えられる位置に体をずらせ、カメラを構え直し、はっと手を止めた。レンズの端に、舅の万俵大介の顔が入っていた。端正なその顔は、新しく姻戚関係を結んだ父や伯父たちに向って、にこやかに頬笑んでいたが、レンズを通すと、頬から分厚い唇にかけて脂《あぶら》ぎった肉付きが浮彫りにされて見える。万樹子は、二日前の晚餐《ばんさん》のテーブルの下で、舅が相子と蛇のように足を絡ませ合っていた情景を思い出したのだった。

「万樹子、どうしたんだ?」

 シャッターを切る手を止め、万俵大介を凝視している万樹子に、太左衛門は訝《いぶか》しげに聞いた。

「少し気分が悪いだけ、帯をきつく締めすぎたせいかもしれないわ、ちょっと直して来ます」

 万樹子はそう云うなり、カメラを兄に押しつけ、席をたった。万樹子の心中を知らない人たちには、結婚しても相変らずの我儘《わがまま》と気まぐれとしか映らなかったが、銀平だけは、万樹子の心の動きを察していたようだった。しかし、ちらっとも表情を変えず、大介に似た端麗な顔を庭に向けて煙草《たばこ》をふかし、お義理で出席している様子を隠そうともしない。

 万樹子は座敷を出ると、着物の裾《すそ》を蹴《け》るようにして渡り廊下を渡り、中庭に面した座敷へ駈《か》け込んだ。嫁ぐ前まで万樹子が使っていた部屋で、ベッドも、整理箪笥《だんす》も、鏡台も、嫁ぐ前のそのままの位置に置かれ、娘時代ののびのびとして明るかった息吹《いぶ》きまで残っているようだった。万樹子は、張り詰めていた気持が頽《くずお》れるように泣き伏した。

 廊下を渡って来る足音がした。母が後を追って来たらしい。万樹子は涙を拭《ぬぐ》い、急いで鏡台に向って顔を直した。

「どうしはったの? 万樹子――」

 部屋へ入って来た佳江は、心配そうに聞いた。

「少し気分が悪くなっただけ……」

 それ以上、口を開けば、三台のベッドが並んだ万俵大介の寝室のことを話し、妻妾同衾の事実を告げてしまいそうであった。そうすれば、自分の結婚前の異性関係が、相子によってぶちまけられてしまう。万樹子は、じっと唇を噛《か》みしめた。

「ほんとうに、どうしはったの? お前の様子が妙に元気がないので、お母さんは心配で、もしかして、おめでたではと思うて――」

 母親らしい気遣いで聞くと、万樹子は頭を振った。

「そんなことないわ、たとえ、そうだったとしても、私は産みたくないわ、私は帰りたいぐらいよ!」

「まあ、帰る――、何ということを云いはるのです、銀平さんと何かあったとでも云うの?」

「ううん、何も――、ただ私、万俵家のような家は大嫌い、このまま家にいたい」

 そう云い、両手で顔を掩《おお》った。

「万樹子、どんな気に入らないことがあったかもしれないけど、あんなごりっぱなお舅さまがおいでのご一族のことを、そんな風に云うのは、あまりにも我儘が過ぎます、お前が嫁いでからの、うちのお父さまと万俵さまのおつき合いは、前にも増して深うなり、現に今も、お二人きりで何かお話があるとかで、お茶室へ入られたのですよ」

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