饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15357 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 電話のベルが鳴った。受話器を取ると、東京事務所長の芥川からであった。

「お早うございます、只今《ただいま》、毎朝の朝刊が手元に参りましたが、頭取の方はいかがでございますか?」

「いや、まだだが、記事はどうだ?」

「五段ぬきの大見出しで、でかでかと出ております」

 芥川は昂った声で、早口に記事の内容を読み上げた。それを聞く大介の顔にも、次第に興奮の色が漲《みなぎ》り、

「よし、私もすぐこちらの新聞を読む――」

 と云い、電話をきった。眼を覚ました寧子が、白絹の夜着《よぎ》の衿元《えりもと》を整えながら、

「あのう、私がお取りして参ります」

 慌《あわただ》しい夫の様子に、さすがに驚くように云った。

「いや、私が行く、その方が早い」

 大介は素早くガウンを羽織り、階下へ降りて行った。新聞はいつも居間のマガジン.ラックの中に入れてあったから、ホールを横切って、しんと静まり返っている居間へ入ると、

「旦那《だんな》さま、お早うございます」

 齢嵩《としかさ》の女中が朝の挨拶《あいさつ》をし、

「昨夜、遅くていらっしゃいましたのに、およろしゅうございますのですか?」

 気遣うように云った。大介はそれには応《こた》えず、

「毎朝新聞は来ているかね?」

「いえ、まだでございます、他《ほか》のでしたら、来ているのもございますが――」

 五種類取っているうちの、三種類の新聞をさし出した。大介はたったまま、念のために、その三種類の新聞をめくり、見出しを拾い読みして行ったが、どこにも第三銀行の記事は出ていない。ばさりと新聞の束をテーブルの上に置くと、

「毎朝新聞は、遅いのだな、銀平の家の方へ間違って二部、行っているということはないのかね」

 苛《いら》だつように云った。新聞や郵便物は、正門の脇《わき》の大きな郵便受けに入り、それを庭番夫妻が大介、鉄平、銀平の邸《やしき》へ仕分けして届けるのだったが、大介と銀平の邸は隣接しているせいか、時折、間違っていることがある。

「では、念のため見て参ります」

 女中は小走りに銀平の家へ行ったが、なかなか戻って来なかった。大介は、ますます苛だつ心を鎮《しず》めるように、テラスにたって、庭へ眼をやった。天王山を背景にした邸内には、さまざまの樹木が、朝陽を浴びて燃えたつように紅葉していたが、今の大介には、紅葉の美しさより、血の滴《したた》るような第三銀行の不正融資の記事の方に、生々《なまなま》しい関心があった。

「旦那さま、お待たせ申しました」

 新聞を抱えて、駈け戻って来た。

「銀平若旦那さまの方にもまだでございましたので、下の郵便受けを見に参りましたら、丁度、配達されて来たところでございました」

 息を切らしながら云った。大介は、すぐ新聞を開いた。社会面の中央に“不正融資”というゴチック活字が並んでいるのが、眼に飛び込んで来た。その場で読みたい衝動を抑え、もと通りに四つに畳むと、他の三紙と一緒に小脇に挟み、再び二階の寝室へ戻った。

 身支度を整えていた寧子は、夫が入って来ると、言葉をかけかけたが、大介は寧子に一瞥《いちべつ》をもくれず、三台並んでいる真ん中のダブル.ベッドに腰を下ろすと、毎朝新聞の記事を読み出した。東京系の銀行のニュースであったから、神戸版では中四段の記事になっていた。

 “不正融資”三億五千万円

   第三銀行日本橋支店

    総会屋へ無担保で

警視庁の調べによると、第三銀行日本橋支店が不動産業を表看板にしている総会屋のM氏に、無担保で、二年間に三億五千万円にのぼる不正融資を行なっていた事実が、このほど判明した。

M氏は主に金融機関筋に顔のきく総会屋で、第三銀行本店の総務部には従来から出入りし、昭和四十年、那須高原の別荘開発を行なう不動産会社を設立する際、その資金を同行本店融資部の指令で、日本橋支店から借りた。その後、日本橋支店は同社の業績不振にもかかわらず、次々と融資を続けて、総額三億五千万円に膨れ上ったが、融資の時点では、担保は全く取られていなかった模様である。

銀行側の話によると、同社が倒産すれば、融資がこげつくので、M氏振出しの手形や小切手を交換所経由の正規ルートを通さずに、銀行側の一時立替えという形で、融資の上積みをしたという。しかし、このような融資の形は、企業倒産の瀬戸際《せとぎわ》に行なう支店長決裁による一時的な歯止めであるにもかかわらず、M氏の場合は、約二年間にわたって、ずるずると融資が続き、三億五千万円もの額に達した。そして最近に至り、この問題が表面化しかけて、あわてて融資額に見合う担保として、M氏が那須高原に所有している別荘地(時価八千万円)、杉並区堀ノ内の自邸(時価二千万円)、株券など約一億三千万円相当を担保として確保したが、警視庁ではM氏の恐喝《きようかつ》による不正融資ではないかとの見方を強めている。なお、さる消息筋の話では、M氏の背後に政界の某実力者が介在し、今後の取調べいかんによっては、今回の事件が政界にまで発展する根深い問題をはらんでいるともいわれている。

第三銀行瀬川副頭取談=当行はM氏から恐喝を受けた事実はない。しかし担当者の話によると、不渡りにした場合の懸念される事態を配慮して、融資を続けたということで、現在は債権の確保に全力をあげている。

大蔵省銀行局井床銀行課長談=そういう話を聞いたので、第三銀行の担当者を呼んで、事情を詳細に聴取し、目下、調査中である。

 新聞を読み終えた万俵の眼に、にんまりとした笑いが滲《にじ》んだ。ほぼ満足すべき内容であった。

 これなら阪神銀行が意図した第三銀行のスキャンダルを表沙《おもてざ》汰《た》にすることによって、第三、平和銀行の合併を潰《つぶ》すという目的を果し、同時に永田大蔵大臣も、第三銀行と繋がっている政敵、田淵幹事長の資金パイプを断ち切るという目的を果す。永田大臣もさぞ満悦であろう――。そう思うと、大介はこみ上げて来る笑いを噛《か》み殺し、

「寧子、今朝は寝室で食事をするから、その用意をいいつけるように――」

 と云い、自分はベッドに仰向けになって、もう一度、記事を読み直した。そして、その記事の書き方の巧みさに舌を巻いた。一般庶民には、単なる総会屋の不正融資事件ぐらいにしか受け取られないが、金融機関をはじめその筋の玄人《くろうと》には、黒い山脈の繋がりが感じ取られるような書き方であった。衰えたりとはいえ都市銀行第七位の名門第三銀行のことであるから、全力をあげて、新聞社に術《て》を打ったにちがいなく、丸橋忠の氏名や丸橋が表看板に掲げている会社名は伏せられ、瀬川副頭取が女の問題で丸橋から脅迫されたことも、丸橋の背後にある黒い山脈の繋がりも、あからさまには書かれていなかったが、それだけ逆に、金融筋には、事件の根深さを印象付けることになり、阪神銀行と永田大蔵大臣にとっては、より満足な記事であった。

 ワゴンに載せて、寧子自身が朝食を運んで来ると、入れたてのコーヒーの香りが部屋の中に漂い、大介は上機嫌で、寧子と向い合った。

 万俵銀平は、洗面室の大きな鏡の前で、電気剃刀《かみそり》を使っていた。バス.ルームと隣り合った洗面室は、洗面台と壁面はピンク、床は黒のタイルで、いかにも若い夫婦のための洗面室らしい雰囲気《ふんいき》が溢《あふ》れているが、鏡に映っている銀平の顔は、相変らずの二日酔いで、青白く、生気がない。

「あなた、お茶を入れますわよ、早くいらして――」

 ダイニング.キッチンの方から、妻の万樹子《まきこ》の声がした。銀平はそれには応えず、髭《ひげ》を剃《そ》り終ると、アフター.シェービング.ローションを無造作にぬった。

「あなた、早くなさらないと、遅刻なさるわよ、今日も車がないのですから」

 また万樹子の急《せ》かす声がした。昨夜、飲み過ぎて、マーキュリーを元町《もとまち》の駐車場へ預けたまま、タクシーで帰って来たから、今朝は電車で出勤しなければならず、急がなければならないのは解っていたが、起きる早々、あなた、あなたと急かされると、うんざりする。

「間に合わなかったら、食事はいい、オレンジ.ジュースだけにしておくよ」

「朝食抜きなんて、お体に悪いわ、それに一日のうち、朝食ぐらい、ご一緒して下さったって、いいじゃありませんか」

 結婚して五カ月経《た》っていたが、銀平は仕事関係の接待だと云って、夜は毎晚のように遅く、夫婦の交わりも、たださえ淡泊だったのに、最近は殆《ほとん》どかまいつけなかったので、万樹子の声には苛だちと険しさがあった。銀平はますますうんざりしたが、だからといって万樹子の言葉をおし返すのも、さらに面倒だったから、

「じゃあ、食べて行こう、但《ただ》し、遅刻しない範囲内にね」

 と応えると、万樹子は表情をぱっと明るませ、いそいそと紅茶のポットに湯を注ぎながら、

「あなた、今日はお舅《とう》さま、おかげんがお悪いみたいよ、東京でご無理なさったのじゃないかしら」

 早速、邸内《やしきうち》の話をはじめた。銀平はオレンジ.ジュースを飲むと、傍《かたわ》らの朝刊に半ば眼を向け、

「風邪でもひいたのかな」

「それでしたらよろしいのですけど、さっき、梅ちゃんがあちらのお手伝いさんに用があって伺ったら、朝食をお二階で召し上られたとかいうことですわ」

 三台のベッドが並んだ寝室を見てしまってからの万樹子は、舅《しゆうと》の邸の“寝室”という言葉をなるべく避けるようになっていた。

「たまには病気もいいだろう」

 素っ気なく云って、次の新聞へ眼を向けかけた。万樹子はクロワッサンをパン籠《かご》から銀平の皿へとってやりながら、その新聞が毎朝新聞であることを見ると、

「でも……ご病気にしてはへんな気もするわ、今朝早く、梅ちゃんもまだ寝《やす》んでいる時に、あちらから、毎朝新聞が二部、間違ってこちらへ来てないかって、聞きに来たということですもの」

「親父《おやじ》がそう云って寄こしたのかな」

「多分、そうだと思うわ、いくら何でも相子さんじゃないでしょう」

 万樹子は皮肉な表情で云った。銀平はすぐ経済面を見た。そして次に社会面を繰った。そこに第三銀行日本橋支店の三億五千万円の不正融資事件が、でかでかと報じられていた。

「あら、また銀行の不正融資事件? いやあね」

 一緒にのぞき込んだ万樹子は、さして関心もなさそうに云い、食事を続けていたが、銀平はその記事を読んで行くにしたがい、はじめて眼が覚めたような表情になった。そして、記事を読み終ると、毎朝新聞のスクープ記事と、父の大介とは、何か関係がありそうだと、直感的に感じた。そう判断するような確たる証拠は何もなかったが、阪神銀行が最も親しくしているのは毎朝新聞であること、東京事務所長の芥川がどうやら頻繁《ひんぱん》に東京と大阪を往《ゆ》き来しているらしいこと、頭取秘書の速水《はやみ》と三日程前、大阪キタのバーで久し振りに一緒に飲んでいた時、速水の顔見知りの金融専門業界誌の記者と会い、速水は最近の総会屋の動きにことよせて、ある総会屋について聞き出そうとしていたことなどが思い合わされ、それからすると、父は少なくとも第三銀行日本橋支店の不正融資事件を三日前には知っており、あわせて今日の毎朝新聞の朝刊にそのことが記事になって表沙汰になるのも知っていたのだと思われる。しかし、同じ関西系のライバル銀行ならともかく、東京に本店を持つ第三銀行のことで、父が何故《なぜ》、そこまでかかわりを持つのか、それを考えると、この事件の裏には、父の別の目的があるような気がした。父の性癖として、これとマークした標的は、決してストレートに狙《ねら》わず、陰湿、複雑極まる方法で叩《たた》き落すからだった。

「あなた、いつまで新聞を読んでいらっしゃるの、もう八時十五分よ、ほんとうに遅刻してしまうわ」

 万樹子の声で、銀平ははっと我に返り、急いでスーツに着替え、玄関を出た。

 足早に、ロータリーの植込みを廻り、正門へ向う緩い坂道を下りかけると、背後《うしろ》から犬の鳴声がし、三頭の犬が尾を振って駈《か》け寄って来た。父の出勤時間と重なったなと思う間もなく、

「銀平、車はどうしたんだ」

 父の声がした。病気どころか上機嫌な張りのある声であった。仕方なく振り返ると、父と相子が坂を下りて来た。

「例の如《ごと》く、元町の駐車場ですよ」

 それだけ云い、さっさと步きかけると、

「いつまでたっても、ちっとも変らないのだな、仕方がない、じゃあ今日は、私の車に同乗して行くことだ、頭取たる私の息子が遅刻するようでは、しめしがつかないからね」

 大股《おおまた》に銀平に追いついて来た。長男の鉄平と違い、銀平を叱《しか》り、窘《たしな》める時にも、大介の眼には父親らしい慈愛が籠《こも》っている。

「じゃあ、そうさせて下さい」

 ラッシュの電車に乗ることを考えると、銀平はそう応えて、步をゆるめた。

「お早う、銀平さん」

 カーディガンを羽織った相子は一言、そう声をかけただけで、三頭の犬たちと先へ行ったが、いつもとちがって、不機嫌な気配がありありと見て取れた。毎朝新聞の記事のことを知らない相子は、一昨夜、東京の行邸で、自分とあれほど濃厚な情事をしながら、帰神早々、寧子と寝室で朝食を共にし、出勤間際まで階下へおりて来なかったことを快く思っていなかったのだが、今朝の大介は、そんな相子をあやすより、まんまと成功した密告者の喜びに酔っていた。

「お父さん、今朝の毎朝新聞、ご覧になりましたか?」

 肩を並べて步いていた銀平が突然、云った。

「うむ、第三銀行、えらいことになったねぇ」

 他人《ひと》ごとのように応えると、

「お父さんは、関係ないのですか?」

 はっとするような冷たさで云った。

「馬鹿《ばか》な、どうして私がよその銀行のスキャンダルなどと、関係があるんだね」

 大介は抑えた声で、聞き返した。

「いえ、別に、ただちょっと伺ったまでですよ」

 青白んだ無表情な顔で銀平が云った時、

「あなた、お忘れものよ!」

 銀平を呼ぶ万樹子の声がし、軽やかに走って来た。

「お舅さま、お早うございます、あなた、胸ポケットのハンカチーフ――」

 と云い、チャコール.グレイにブルーのストライプが入った服に合わせたブルー.グレイの絹のハンカチーフを、銀平の胸ポケットにさし入れた。着ている服と同色の絹のハンカチーフを胸ポケットから目だたぬようにのぞかせるのが、銀平のおしゃれの一つであった。

「よかったわ、間に合って――、では、行ってらっしゃいまし」

 万樹子は、先を行く相子の姿を見て、門まで送らず、そこで舅と夫を見送った。大介の脳裡《のうり》に、万樹子の父である大阪重工社長の安田太左衛門のことがうかんだ。今朝の新聞に載った第三銀行の不正融資の緒《いとぐち》をつかんだのも、もとはといえば、第三銀行との合併をもくろんでいた自分が、十日前に、安田太左衛門の還暦祝に行き、第三銀行の大株主である安田に、それとなく、第三銀行の幹部の考えを聞き出そうとしたところから得たものであった。

 大介は、ちらっと万樹子の方を振り向いた。若く美しい息子の嫁であった。しかし、この一人の女と息子の縁組という閨閥《けいばつ》の繋がりによって得たメリットは、大介自身も予想出来なかったほど、大きかった。大介は眼に隠微な笑いをにじませ、今頃、大蔵省銀行局では、大へんな騒ぎであろうと思った。

 大蔵省の正面玄関に、黒塗りの大臣の車が着くと、居列《いなら》んだ守衛が威儀を正して迎え、恭《うやうや》しく扉《とびら》を開いた。総理官邸で定例閣議を終えて来た永田大蔵大臣であった。

 永田大臣が車から下りたつと、助手席に乗っていた眼つきの鋭い男が、素早くその背後に廻って、ぴたりと貼《は》り付くようにつき従ったが、玄関に出迎えていたもう一人の男も機敏に步み寄って、左側についた。二人の男は永田大臣の身辺を常時、護衛している警視庁派遣のボディ.ガードで、後から車を下りた秘書官が、永田大臣の右脇に列ぶと、ちょうど三方を取り囲んだ形になり、ものものしい気配があたりを払った。

 永田大臣の一団は、省内へ入ると、開かれていたエレベーターで二階へ上り、大臣室へ通じる廊下を步いて行った。官房長室、事務次官室、政務次官室が続くこのあたりは、いわば大蔵省の“赤い絨毯通り《レツド.カーペツト.ストリート》”で、人の出入りの慌《あわただ》しい朝の官庁とは思えぬ静けさに包まれている。大蔵大臣の部屋は、政務次官室の奥にあったが、公式の来客がある時以外は、扉も閉ざされ、平素は隣接する秘書官室から出入りする慣《なら》わしになっている。

「十時半の記者会見の時間が少し遅れていますが、すぐ記者クラブへいらっしゃいますか?」

 秘書官が、大臣の意向を聞いた。毎週、火曜日と金曜日にある定例閣議のあとは、記者クラブで大臣記者会見が行なわれることになっている。

「いや、その前に春田銀行局長に話があるから、至急、呼んでくれ」

 永田大臣は、取り急いだ語調で命じた。定例記者会見を後廻しにしてまで急ぐ用件というのは、よほどの重大事だったから、秘書官はすぐ連絡を取るために、自分の部屋へ入って行き、永田大臣は、大臣室へ入った。

 赤い絨毯《じゆうたん》を敷き詰めた三十坪ほどの大臣室には、執務用の机と応接ソファ、会議用の大テーブルが並べられ、正面の机の横には、日の丸の国旗が掲揚されて、一国の経済行政を司《つかさど》る最高官庁の尊厳が象徴されている。

 永田大臣は、足早に執務用の大きな机の前に来ると、ふとたち止まり、三白眼《さんぱくがん》を窓の外へ向けた。すぐ向うのやや斜めの位置に、国会議事堂が見える。そこには、幹事長の田淵円三がいるはずだったが、閣議の前に開かれた国会対策委員会の間、終始、苦虫を噛《か》みつぶしたような不機嫌な田淵の表情と落着きのない態度を思い出すと、眼に薄い笑いをうかべた。今朝《けさ》の毎朝新聞にすっぱ抜かれた第三銀行の不正融資の記事は、田淵にとって、それだけ衝撃《シヨツク》であったかわり、永田自身にとっては、満足すべき扱いと書き方で、阪神銀行の万俵大介と組んだ二人三脚は、狙った効果をほぼ果した。この先は、毎朝新聞の記事を口実に、大蔵省が第三銀行の体質を問題にし、田淵が背後から糸をひく第三銀行と平和銀行との合併をいかに潰《つぶ》すかであった。

「大臣、遅くなりました」

 春田銀行局長の声がした。永田大臣は、

「記者会見を待たしているので、簡単に聞いておくが――」

 と云いながら、椅子に坐り、

「今朝の毎朝新聞に出ていた第三銀行の記事だが、あれはどういうことなのかね」

 最初から叱責《しつせき》する口調で聞いた。

「どうも、監督不行届で申しわけございません」

 春田は、頭を下げた。

「新聞に書かれる前に、もっと迅速に第三銀行に責任を取らせ、うまく始末することが出来なかったのかね」

「銀行課長が担当常務を呼んで、事情を聴取しはじめたばかりの段階だったものですから――」

 日頃は、各行の幹部を震え上らせている春田も、困惑気味に応《こた》えた。

「だが、あんな記事が出て、ことが表沙《おもてざ》汰《た》になってしまった限り、今日中に第三銀行の責任者を呼んで、あの問題についての詳細な報告をさせ給《たま》え」

「承知しました、早速、瀬川副頭取を呼びます」

 永田大臣の意外に厳しい態度に、春田は驚きながら頷《うなず》くと、

「もし、あの事件が新聞に書かれている通りなら、困ったことだ――、平和銀行との合併は目下、どの程度、進んでいるのかね」

「両行の常務クラスが一昨日、ホテルオークラで初の顔合せを行なったところです」

「そうか――、しかし第三銀行の体質については、最近、とかく問題になっており、今度の事件もその特異体質を考えれば、起るべくして起った事件でもあるから、この際、平和銀行との合併は少し慎重に考えてはどうかね」

 永田大臣は、低い声で云った。春田はその言葉を聞いて、永田大臣が、この問題で第三銀行と平和銀行の合併を潰そうと意図していることに気付いたが、

「しかし、大臣、双方の銀行の意思は――」

“合併屋”の異名をとっている合併促進論者である春田としては、出来れば両行の合併を成立させることによって、金融再編成の火蓋《ひぶた》を切り、銀行局長としての実績をつくっておきたかったから、躊躇《ためら》いの構えを見せたが、永田は、それを黙殺し、

「ともかく、話はこれだけだ、今日の記者会見では、閣議の懸案事項より、第三銀行の不正融資の方に質問が集中するだろうが、僕は厳しいことを云っておくから、君もそのつもりで――」

 有無を云わさず命じ、たち上った。その強引さは、すでに大臣レベルでことが仕組まれてしまっていることを意味したから、それ以上、躊躇《ちゆうちよ》することは悟りの悪い官僚として、評価を落すだけであった。まして春田の場合は、自分の派閥のボスであったから、

「解《わか》りました、では――」

 秘書官を従えて慌しく記者会見へ行く永田大臣を見送ると、春田はすぐ大臣室を出た。

 記者たちに掴《つか》まらないよう、記者クラブと反対側のエレベーターへ遠廻りして、春田は四階の銀行局長室に戻って来ると、局長付の女子職員に、緊急局議を開くから、暫《しばら》く人を入れないように命じ、直ちに審議官、総務課長、銀行課長、検査部長の四人に招集をかけた。三億五千万円の不正融資事件の対策会議にしては、いささか大げさ過ぎたが、意識的に騒ぎを大きくするための必要なお膳《ぜん》だてであった。

 春田は四人の顔が揃《そろ》うと、

「緊急に集まって貰《もら》ったのは、ほかでもない、例の第三銀行の不正融資の件だが、新聞を読んで事件を知られた大臣の態度は、ことのほか厳しく、この際、金融界全般に見られる融資態度のゆるみを、糺《ただ》す意味でも、第三銀行の今回の不正融資は、徹底的に調査するように云っておられる」

 永田大臣の意向を伝えると、井床銀行課長たちは、驚くように顔を見合せたが、松尾審議官だけは、顔色も変えずに聞いている。

「私としても、今回の事件が単純な不祥事でなさそうなだけに、強い態度で不明朗な銀行経営を追及すべきだと考えている、したがって井床君、君は第三銀行の瀬川副頭取に今日の二時までに、私のところへことの報告に来るよう、連絡してくれ給え」

 春田はきびきびした口調で、井床銀行課長に命じ、次に鈴木検査部長に向って、

「場合によっては、特別検査を行なうかもしれないから、君はその準備をしておくように、但《ただ》し、このことは新聞記者には、感付かれないように、内密に運んでくれ給え」

 と云うと、検査部長は勢いづくように頷いたが、松尾審議官の表情が微妙に変化していた。松尾審議官は田淵幹事長が大蔵大臣だった時の秘書官で、田淵の息のかかった男である。したがって、いかに内密といっても、この会議の内容が時を移さず、第三銀行へ流れてしまうことは、解りきっていた。それにもかかわらず、松尾審議官を会議に加えているのは、大蔵省の態度が極めて厳しいことを田淵側に流させるためであった。

 井床銀行課長と、鈴木検査部長が手配のために席をたって行き、久米《くめ》総務課長にマスコミ対策と全体の指揮を話しはじめると、案の定、松尾審議官はすぐ戻って来るからと、いかにも急な所用を思いついた振りを装い、局長室を出て行った。それが田淵への連絡のためだろうと思うと、春田は内心、にやりとした。

 第三銀行の瀬川副頭取は、不安な思いで大蔵省へ向って、車を走らせていた。昨夜来、事態の収拾策にかけ廻って、一睡もしていない顔は青黒くむくみ、眼は充血して、平素の石仏《いしぼとけ》のような柔和な風貌《ふうぼう》は微塵《みじん》も窺《うかが》えない。

 ラッシュの赤坂溜池《ためいけ》をぬけ、霞《かすみ》が関《せき》の大蔵省へ近付くにつれ、瀬川は落着きをなくした。第三銀行本店がある丸の内と全く違う方向から車を走らせて来たのは、つい今しがたまで、赤坂の料亭で田淵幹事長と会い、呼出しをうけている春田銀行局長に、どう対応するかを話し合っていたからだった。

 田淵幹事長の話では、大蔵省の態度は、昨日と打って変って厳しく、特別検査まで準備しているという。もし、ほんとうにそこまでやられれば、丸橋忠の太陽土地開発をトンネル会社にして、田淵―“鎌倉の男”のラインに流していた政治資金が三億五千万円どころか、実際にはその二倍以上であること、さらに他のルートを使っても流していることまで発覚し、それこそ大へんな事態を招いてしまう。田淵幹事長は、いかに永田といえども、そこまで徹底的にやれば、佐橋総理にまで波及する問題だけに、本気で指令するつもりはない、ポーズだけだろうと云ったが、瀬川は春田局長に会うまでは不安であった。

 疲れた脳裡に、新橋の待合『右近』の仲居、小川美代の小柄な白い体がよぎった。芸者を囲う程の度胸はなく、仲居ぐらいならと手を出したのが、今にして思えば不覚で、それが丸橋に脅迫される因《もと》になり、思いがけない事態を招いてしまったのだった。

 昨日午後、毎朝新聞の記者の取材を受けた後、慌《あわ》てて担保物件をこしらえ上げ、担当常務を直ちに銀行局へ走らせ、不正融資でないことを説明に行かせ、検察庁と警視庁の上層部へも、田淵や“鎌倉のあの男”の力を借りて、これ以上、捜査が発展しないように術《て》を打ち、新聞、週刊誌にもしかるべく術《て》を廻した。当の毎朝新聞社には、記事をさし止めることはもはや不可能だったが、極力、その書き方について交渉し、大蔵省の心証も少しはとり結んだつもりであった。

 しかし、一夜明けて毎朝新聞の記事が出た途端、大蔵省の態度は一変して、特別検査を準備するところまでになっているという。さっき、田淵が「こうしつこいところをみると、第三、平和の合併を潰すために、永田に脚本を突きつけたのが、誰かいるに違いない」と云った言葉が、生々しく思いうかんで来た。

 大蔵省に着くと、瀬川は足早に四階の銀行局長室へ上った。新聞記者や他行の“忍者”たちと顔を合わさないか気になったが、局長付の女子職員が、巧みに人払いをしていたらしく、あたりに人影はなかった。

 局長室へ入るなり、

「この度は、世間をお騒がせし、申しわけございません」

 瀬川は、深々と頭を下げた。

「まあ、われわれとしても、毎朝新聞の記事の通りとは思っていないが、どういうことなのか、副頭取じきじきにお尋ねしたいと思いましてねぇ」

 と春田局長は、切り出した。瀬川は充血した眼を瞬《しばたた》かせ、

「問題の丸橋なる人物がはじめて当行本店融資部に現われましたのは、昭和四十年四月で、不動産会社設立にあたって、設立資金と当座の運転資金合わせて四千万円を融資してほしいという依頼があり、以前から総務部と顔馴染《なじ》みでもありましたし、融資申込み額に見合う担保もありましたので、日本橋支店に紹介し、それから取引がはじまったという次第です、当初一年間は業績も順調に伸び、預金も増えて来、日本橋支店では信頼して、その後は無担保で融資の申込みに応じていたようです、ところがそれから半年ほどして、業績が急速に悪化しはじめたので、その間の融資額二億五千万円の債権の取りたてに入りましたが、もう一度、チャンスをくれと泣きつかれ、ずるずると融資を続けて、三億五千万円の情実貸金になった次第です、しかし一カ月前、これ以上、もはや融資出来ないと判断し、担保を確保すべく努力している最中に、今朝の新聞に書かれてしまったわけで、当行としては、債権の保全には万全を尽すつもりでおります」

 と融資の経過を説明した。春田は黙って頷いていたが、聞き終ると、

「どうしてこんな男を信用し、無担保で三億五千万もの金を貸すに至ったのですか、銀行の姿勢としては、ルーズ過ぎるんじゃないですか」

「申しわけありません――」

「誰か、この男をあなたの銀行に紹介した人物でもいるのですか」

 春田の語調に、鋭さが増した。

「いえ、別に――、先程も申しましたように、以前から本店総務部と付き合いもありましたので、つい支店も信用したということでして……」

 自分の女の問題や、田淵との関係は知られていることは承知していたが、自分の口から認めるわけにはいかなかったから、瀬川は言外に謹慎の意を表した。しかし春田は、

「ますますもって妙な話じゃないですか、新聞によると政界の某実力者とか、黒幕とかが介在しているとも書かれていますが、一体、それは誰のことを指しているんですか?」

 容赦のない口調で聞いた。営業の許認可権を握る銀行局長にそう追及されては、もはや、架空の名前をあげつらうことは出来なかった。

「この記事を書いた記者は、どうやら田淵幹事長のつもりで書いているようです」

 記事にこと寄せた云い方をすると、春田は皮肉な笑いを見せ、

「その記者は、ほかの人物も想定しているのじゃあないのですか」

 暗に“鎌倉の男”のことを指した。

「さあ、どうですか、私には思い当りませんが……」

 ごくりと咽《の》喉仏《どぼとけ》を動かすと、春田も将来、政界入りを狙《ねら》っている官僚であったから、それ以上は強いて聞かず、

「次に、三億五千万円の金の動きですがね、丸橋某なる男の不動産会社は、会社設立の一年後からは、開店休業も同然のところだったというのに、一体、何にそんなに使ったんですか」

「その点については、まことに恐縮ですが、もう暫くお時間を戴けませんでしょうか、目下、全力をあげて調査中でございますので」

 田淵幹事長と打ち合せた通りの台詞《せりふ》を云うと、

「銀行経営として一番、肝腎《かんじん》の点が曖昧《あいまい》では、困るじゃないですか、今回のおたくの不正融資には、あなたの報告を聞いていても、実に明朗でないところがあり、ことと次第によっては、特別検査をする考えでおります」

 ぐいと見据えるように云った。瀬川は慌てて、

「とりあえず、本日は急ぎご報告ということで参りましたので、説明が至りませず、後刻、資料を充分に整えた上、改めてご報告に参上しますので、それまで……」

 懇願するように云ったが、春田は、

「いや、それより今の話を文書にして、至急提出して戴きましょう」

 突き放すように云った。瀬川は顔を硬《こわ》ばらせて黙り込んだが、つと顔を上げ、

「局長、平和銀行との合併は、今回の当行の不祥事と、切り離して従来通り、お考え戴《いただ》けるものでございましょうか?」

 一番、気懸りな点を聞いた。

「むろん、銀行局としては、本件に対して、おたくの幹部が責任をもって処理されれば、平和銀行との合併問題に、何ら影響されるものとは考えておりません」

 と応え、瀬川がほっと安堵《あんど》の胸を撫《な》でおろしかけると、

「しかし、あなたがいらしたつい十五分程前に、平和銀行の専務が見え、第三銀行との合併はこの際、暫く延期させてほしいという申入れがありました、いずれ正式には、平和銀行の神田頭取から、おたくの日下部頭取にお話があると思いますがね」

 瀬川は愕然《がくぜん》と顔色を失い、頬が痙攣《けいれん》した。

「――しかし、永田大臣はそのことを、ご存知なのでしょうか?」

 やっとの思いで聞くと、

「報告だけは、さっき、私からしておきましたよ」

 言葉短かに応えたが、それは諒承《りようしよう》したも同然のことであった。瀬川の頭に『銀行法』第十四条がうかんだ。

 第十四条〔合併の認可〕 銀行ノ合併ハ主務大臣ノ認可ヲ受クルニ非《あら》ザレバ 其ノ効力ヲ生ゼズ

 第三銀行と平和銀行との合併は、事実上、潰《つい》えたのであった。

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 二   章

 寧子《やすこ》は、この冬はじめて暖炉に薪《まき》がくべられた居間のソファに坐《すわ》り、昼過ぎからずっとフランス刺繍《ししゆう》に興じていた。相子は朝から外出していたし、二子《つぎこ》はピアノのレッスン、三子《みつこ》は大学で、ずっと一人きりだったが、退屈とも寂しいとも思わず、むしろこういう時が寧子の一番、寛《くつろ》げる時間であった。

 刺繍の図案はカトレアで、寧子はこれをクッションにするつもりでいた。薄紫と薄紅の色糸を交互に刺して行きながら、淡紅紫色の花弁を丹念に刺繍し、二枚目の花弁を仕上げて、糸をぷつんと切った時、玄関に人の気配がした。女中と声を交わしながら、居間の方へ近付いて来る足音で、相子かと思い、そのまま刺繍を続けていると、扉《ドア》を開けて入って来たのは夫の実妹で、阪神特殊鋼の社長夫人である石川千鶴《ちづる》だった。

「まあ、千鶴さま、ようこそ――」

 突然の来訪を驚いて迎えると、千鶴は、大介に似た端正な中にも権高《けんだか》な顔を綻《ほころ》ばせ、

「ご機嫌よう、ちょっとこのお近くまで来たので、帰り道ついでにお寄りしたの、今日は、相子女史、出かけているのですって?」

「ええ、二子の縁談をお世話願うかもしれない東京の外交官夫人が、関西へおいでになっていますので、ご親交を深めるためにお訪ねすると云《い》って、今朝早く、わざわざ奈良まで出かけて下さいましたの」

 ゆっくりとしたもの云いで、心から感謝するように云うと、千鶴は、ソファに背をもたせかけ、

「外交官夫人っていうと、今度の二子ちゃんのお婿《むこ》さん候補は、どなたなの?」

「さあ、それは……、何でも相子さんのお話では、政界のお偉い方のご令息だから、今度は美馬さんにもお力添え戴《いただ》いているとかで……」

 寧子には、佐橋総理夫人の甥《おい》を狙《ねら》っていることは、まだ告げられていなかったから口ごもると、千鶴は、

「肝腎《かんじん》の娘の伴侶《はんりよ》となるべき候補者の名前も知らされずにいるなんて、お嫂《ねえ》さまもよくよく、蔑《ないがし》ろにされたものだこと、母親たるあなたがそんな風だから、万俵家の閨閥《けいばつ》は、美馬や高須のような、万俵家とは元来、何のかかわりもない他人に介入されて、勝手にいじくり廻され、その挙句《あげく》、一人一人が皆、不幸になって行くのよ、私、この頃の高須のやり方を見ていると、なんだかそれが目的のような気がしてきて、空恐ろしいと思うことがあるわ」

 語尾を震わせて云った。

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