饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15413 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 暖炉の前で、貴婦人を気取った身振りをした。

「そんなに喜んで下さったら、銀座を探し廻った甲斐《かい》があってよ」

 一子は、姉らしい優しさを籠《こ》めて云った。

「でも、お勘定の方、お姉さまの家計にひびかないこと?」

 二子が、高価なハンドバッグを抱えながら心配すると、三子が、

「大丈夫、お父さまが美馬中氏渡りに、毎月ちゃんと小切手をおきりになっていらっしゃるはずやもの、だから、これはそのリベートかな」

 悪戯《いたずら》っぽい云い方をすると、母の寧子は、関西訛《なま》りのおっとりとした口調で、

「そんなお品の悪いことを云うものやありません、お姉さまには私からご迷惑にならないようにしておきます」

 窘《たしな》めるように云った。

「いいのよ、お母さま、姉妹でこんなにあけすけなお喋《しやべ》りが出来るのは、久しぶりですもの、それに子供たちも、あんなに大喜びですわ」

 居間から見下ろせる芝生の庭で、慶応幼稚舎の宏《ひろし》と、幼稚園の潤が、鉄平の子供と一緒になって走り廻っている。みんな元気な半ズボン姿で、仲のいい歓声が居間まで聞えて来ていた。そんな子供たちの姿を、一子はうっとりとした表情で見守っている。三人の姉妹の中ではいちばん母に似、色白の細面《ほそおもて》に、一重の張りのある眼とつぼむような小さな口もとをし、三十五歳にしては地味過ぎる青磁色の着物を着ているが、それがかえって清楚《せいそ》な感じを増している。

「久しぶりに鉄平兄さんにお会い出来ると思ってましたのに、ご出張から帰っていらっしゃらないのですってね」

 一子は、絶えず技術者らしい純粋な情熱を燃えたぎらせている鉄平の性格が好きであった。

「銀平さんの方は、どうしているの?」

 弟の銀平のことを聞いた。母の寧子は口詰るように視線を落したが、三子は、右手でグラスを持つ恰好《かつこう》をし、

「銀平兄さんたら、お昼は至極、お品のいい銀行員だけど、夜ともなればプレイ.ボーイよろしく飲み步き、土曜日の夜などは、いつも午前さまでご帰館、だから今日はまず、正午まではお寝《やす》みよ」

「じゃあ、相変らずなのね」

 兄の鉄平と異なり、冷静すぎるというのか、いつも醒《さ》めたような表情でいる青白んだ弟の銀平の顔を思いうかべた。

「それで、ご縁談の方は、その後どうなっているの」

「肝腎の銀平兄さんが、せっかくの良縁にも、たいした熱意も示さず、かといって断わりもせず、ぬらりくらりで全く何を考えていらっしゃるか解《わか》らないの、だから、さすがの相子女史もいささか手をやいているようやわ」

 二子が話した。

「相子さんは、また犬のお散步かしら」

 一子は、朝食で顔を合わせたきり、相子の姿を見かけなかった。

「きっとそうよ、わが家の貴公子、貴公女三匹を引き連れて、今ごろ裏山のお散步よ、ビスマルクは、高貴なる犬を暖炉の両側に従えるのは、富と権威の象徴だと云ったそうだから、相子さんもその気でいるのかもしれないわ」

 三子が、西洋史を専攻している学生らしい比喩《ひゆ》を持ち出した。

「面白い喩《たと》えじゃないの、きっとそのつもりで、ファウン.グレートデンを引っ張り廻しているのよ、でも、高須相子における富と権威というと、どういうことになるのかしら、まさか彼女自身が財産家であるはずはないでしょうしね」

 大学を卒業した後もピアノを続けている二子が皮肉るように云い、

「でも、彼女、たしかに美人ね、四十を過ぎているはずなのに、誰がみても三十五歳以上には見えないわ、一体、何を使っているのかしら? 全身美容にでも通っているのかしら? ともかく彼女には妖《あや》しさがあるわね、人の結婚の世話などするよりも、自分がどこかへさっさと嫁《い》けばいいのに――」

 しゃきしゃきと畳み込むように云うと、

「あら困るわ、私がちゃんといいところへ嫁ぐまではいて貰《もら》わないと――」

 三子がまぜっ返し、互いに顔を見合せて笑った。一子には、高須相子の存在が、少女時代から自分の心に暗い影を落していたが、妹の二子と三子には、さほど深刻な存在ではなく、家庭教師兼女執事、兼自分たちの良縁探し役という、からりとした割切り方をしている。

「さあ、坊やたちがお待ちかねだから、私たちも、そろそろ行こうかな」

 二子と三子は、お揃《そろ》いのスラックス姿で庭へ降りて行った。

 一子は、母と二人きりになると、暖炉に薪《まき》をくべ、ポットの紅茶を注いだ。

「お母さま、先程の銀平さんのことだけど、ほんとうにどうなっておりますの?」

「どうって、私にもよく解らないの、大阪重工の安田さまか、京都大学の有名な数学者の三木教授のお嬢さまか、どちらかのご縁談に定《き》めさせて戴《いただ》こうということになっているのだけど、どう定めてよいのか、私には……」

 細面の白い顔をたゆとうようにかしげた。五十の半ばを過ぎながら、童女のようにあどけない仕種《しぐさ》であった。そんな仕種に出会うと、公卿《くげ》華族の出という特殊な環境から来るものか、それとも母の性格のどこかに何か脱落したものがあるのではないかと、一子は考えるのだった。

「どうしてお母さまは、ご自分の子供の結婚に、母らしいはっきりとしたご意見をお持ちにならないのです、私の時も今と同じでしたわ」

 一子は、多くの縁談の中から、父の妹である叔母が持って来た大阪の繊維会社社長の令息を好ましく思い、心をきめていたのだが、父の意向で、相子に伴われて大蔵官僚の美馬中と見合いをさせられ、断わろうとすると、相子が「お父さまほどの方でも、大蔵省の銀行局にはご苦労遊ばしているのです、それだけにこのご縁談を承知して下さると、お父さまはどれだけお喜びになるかしれません」と強引に縁談を進めたのだった。その時も、母の寧子は何一つはっきりした意見を出さず、結婚式の日だけ、飾りもののように花嫁の母の席に坐《すわ》ったのだった。

「私って、駄目ね、何一つできないのですもの……」

 寧子は、哀《かな》しげに、ぽつりと云った。

 寧子の実家の嵯峨家《さがけ》は、子爵《ししやく》とは名ばかりで、公卿華族という血統を唯一《ゆいいつ》の財産にして、娘たちを資産家に嫁《かたづ》け、その余沢で華族生活を維持して来た京都の貧乏華族であった。寧子たち三人の姉妹にも幼《ちいさ》い時から一人一人の老女が随《つ》き、父をおもうさま[#「おもうさま」に傍点]、母をおたあさま[#「おたあさま」に傍点]と呼ぶ特異な環境の中で育てられて成人すると、手作りの雛《ひな》人形のように財産家へ嫁がされ、その時の巨額な結納金の大半が、華族としての体面を保つ手元金《てもときん》という名目で実家に収納されるのだった。そして、その嵯峨家の現在の当主である寧子の兄は、趣味と実益をかねた関西洋蘭《ようらん》協会の会長として余り豊かでない生活を送っている。

 一子は、ふと話題をかえるように、

「お母さま、子供たちのいる庭へお出になりませんか」

 声をかけると、母は臈《ろう》たけた顔を虚《うつ》ろにして、暖炉の中を見詰めている。暖炉の火が消えそうになり、黒く焼け焦《こ》げた薪が、ちろちろと黄色い炎を吐いている。虚ろな母の眼が、消え尽きそうな炎に吸い寄せられているのを見、一子は、この世間知らずのお姫《ひい》さま育ちの母の日常が、今も昔と少しも変らない状態であることを察した。

 万俵大介と美馬がゴルフから帰り、晚餐《ばんさん》がすむと、一同は居間へ移り、食後の賑《にぎ》やかな団欒に一ときを過していた。暖炉に近い一番大きな安楽椅子《ソファ》には大介が坐り、娘たちは少し離れたテーブルを囲んで、他愛ないお喋りをしていたが、大介はパイプをくゆらせながら、今朝のゴルフの後《あと》、娘婿《むすめむこ》の美馬から聞いた話を思い返していた。

 近く大蔵省銀行局の指導で統一経理基準が適用されることになると、銀行の経理がガラス張りになり、銀行間の格差がはっきりして来、阪神銀行のような下位銀行の経営は難かしくなって、いずれは上位四行の大銀行に吸収合併される危険に曝《さら》される――。そう思うと、大介は、食後の団欒に加わりながらも、明日、緊急に役員会を招集して、対策を練らねばならないと考えていた。

 娘たちの高い笑い声がした。義兄《あに》の美馬を中心にして、二子と三子が喋っている。

「お義兄《にい》さま、大蔵省って、一番、閨閥のすごいところ、閨閥のメッカだなんて云われているの、ほんとうなの?」

 末娘の三子が聞いた。美馬は、苦笑した。彼自身が、万俵家の長女である一子を妻にし、金融機関と閨閥を結んでいる。しかし、三子の質問には悪意がなく、若い娘の単純な好奇心であった。

「閨閥のメッカなどという表現は、大袈裟《おおげさ》すぎるけれど、まんざら間違いでもないねぇ」

 美馬は、いつものやや鼻にかかった女性的な声で云った。

「どんな方が、大蔵省のエリート官僚の花嫁候補におなりになるの?」

 次女の二子も好奇心に満ちた表情で聞いた。

「一番多いのは実力政治家の令嬢だな、エリート意識の強い大蔵官僚でも、国会審議では代議士諸公にもみくちゃにされることが多いから、実力政治家を舅《しゆうと》に持っておけば、少しはお手柔らかにというところかな」

「その次は、どういうところなの?」

「そうだね、次となると、実業家の令嬢というところかな、大蔵次官から選挙に打って出ようとすれば、何といっても相当な選挙資金を必要とするからね」

 美馬自身にも、あてはまるケースであった。

「じゃあ、数ある大蔵省の閨閥の中で、断然、光っているのはどなたなの?」

 三子が、紅茶茶碗《ぢやわん》を手にもったまま、体を乗り出すようにして聞いた。

「そりゃあ、何と云っても、前主計局長の鷹《たか》野亮《のりよう》一《いち》氏だろうね、あの人のお父さんは、三子ちゃんたちも知っている十年前に亡くなられた鷹野亮輔総理で、奥さんの実家《さと》は、東京の財界でも超一流だから、大蔵省内の閨閥でもずば抜けている、何しろ主計局長時代、国会審議に行って、廊下で故鷹野総理に世話になった議員連中に出会うと、“いや、坊ちゃま”と挨拶《あいさつ》されたそうだからね」

「まあ、五十前後の局長が坊ちゃまだなんて、いくら何でも――」

 二子と三子は吹き出した。

「笑い話じゃあないんだよ、だから大蔵省には、どんな才色兼備の女性がいようと、間違っても職場結婚するような馬鹿《ばか》な男はいないよ、まず自由党主流派の政治家か、一流会社の少なくとも常務以上の令嬢というところが狙《ねら》いだよ、どう、二子ちゃんと三子ちゃんならその資格十分だから、大蔵省で将来有望なのを探してあげようか」

「いやよ、お正月もゆっくり出来ないお姉さまを見ていると、私たち関西でのんびり育っている者には、とても大蔵官僚のお嫁さんなど向かないわ、お姉さま一人でたくさん!」

 三子が、願い下げるように云うと、また笑いが起った。同じテーブルを囲んでいる母の寧子と姉の一子、少し離れた安楽椅子《ソファ》に坐っている次男の銀平も苦笑したが、大介だけは笑わなかった。ここにいる一族だけではなく、万俵不動産、万俵倉庫、万俵商事などの同族会社にいる一族のことまで含めて、今後の阪神銀行の在り方を考えると、家庭の団欒の時にさえ、笑えない場合がある。それが、一族の長たる者の肩にかかっている重みであるのかもしれなかった。

 不意に濃厚なジョイの香水の香りが漂った。ワイン.レッドのワンピースを着た高須相子が入って来た。強烈な赤をびしりと抑え込むように巧みに着こなし、女豹《めひよう》のように大きく光る眼で居間を見渡し、

「あら、暖炉の火が小さくなっておりますわね」

 と云い、ベルを押して女中を呼び、すぐ薪《まき》をくべさせ、

「美馬さんがお発《た》ちになるまで、まだ少し時間がございますから、飲物でもお持ちしましょうか」

 女主人のような気配りを見せた。

「そうだな、まだ一時間程あるから、中《あたる》君、ブランディにしようか」

 むっつり黙っていた大介が、はじめて口を開いた。

「ええ、僕はエキストラでも戴きましょうか」

 美馬が応《こた》えた。相子は、居間の片隅にある洋酒棚から、ブランディとグラスを取り出し、まず今夜の客である美馬に注《つ》いだ。そしてその同じテーブルにいる一子たちの前にも、グラスを置きかけると、

「こちらは結構でございます」

 ぴしゃりと一子が、母や妹たちの意向も聞かずに断わった。一瞬、気まずい雰囲気《ふんいき》が流れた。一子は、さっきの晚餐の席で、大介の左側の妻の坐るべき席に、高須相子が坐っていたことにこだわっていた。せめて万俵家の長女が、久しぶりに帰って来た時ぐらいは、相子に遠慮して欲しかったのだった。相子は、平然として、

「では、あちらのテーブルで、殿方ばかりで召し上って戴きましょう」

 と云い、巧みに美馬と銀平を、大介のいるテーブルの方へ誘い出し、自分もそこに加わって、グラスにブランディを注ぎ、

「美馬さんがいらっしゃると、団欒が一段と楽しくなりますわ、鉄平さんがまだお帰りにならなくて残念ですけれど――」

 相子と美馬の間には、相子が、美馬と一子との結婚を積極的に推進したということの他に、互いに万俵家のような富豪の家に生れず、中流の家庭に育ったという共通感のようなものがあった。

「今年も予算編成は大へんでございましたでしょう、この間の新聞でも、各省の方々が、徹夜で主計局の前で待っておられる写真が出ておりましたわね」

「ええ、毎年、十二月下旬から第一回の予算査定をするわけですが、九月頃から各省ごとに出されている予算資料は天井まで届くほど膨大なものでしてね、それを検討し、その説明を聞いた上で、よほどの理由がない限り、第一次査定はだいたい既定経費以外は、殆《ほとん》どゼロの査定をするわけです、そうなると、各省から猛烈な第二次要求が来て、ゼロ査定したものの復活を要求される、これに対して何とかかんとか理窟《りくつ》をこね廻して突っ撥《ぱ》ねる、そうすると、また第三次要求案が出されていよいよ終盤戦に入るんです、この頃から主計局の前の廊下は徹夜で順番待ちの各省の課長連で埋《うず》まり、攻める側も守る側も不眠不休の状態になり、どうにも話し合いのつかないものはいわゆる大臣折衝ということになるわけですが、大臣がやるべきだと定《き》めても、国家の金を預かっている主計官がノーといえばそれまでですよ、それにしても予算査定ともなると、どうしてああ乞食《こじき》がものを貰うように卑屈に頭を下げるのですかねぇ」

 六兆円にのぼる国家予算を一手に握り、場合によっては大臣にも頭を下げさせておきながら、乞食呼ばわりするところに尊大なエリート意識が剥《む》き出しになっていた。美馬は快げに酒気に顔を紅《あか》らませ、さっきから黙ってブランディ.グラスを口に運んでいる銀平を見て、声をかけた。

「その後、銀平君の縁談はどうなっているの、阪神銀行頭取の御曹子で、慶応大学出身、眉目《びもく》秀麗、三十三歳の銀平君には、縁談は降る星の如《ごと》くだろう」

「降るだけでは、仕方がないのでしてねぇ」

「じゃあ、早く定《き》めればいいじゃないか」

 美馬が云うと、銀平は青白んだ顔に薄い笑いをうかべた。

「相当、遊び廻っているということだけど、バー遊びが面白いってわけ?」

「バーなど、たいして面白くないですよ」

 銀平は、素っ気なく云った。

「じゃあ、誰か好きな女《ひと》でもいるのかい?」

 美馬は、わざと男同士のくだけた聞き方をした。

「僕の場合は、好きな女がいても、その場限りで決済[#「決済」に傍点]できるのばかりですよ」

「それじゃあ、結婚の相手として、誰かいい人でもいるのかい?」

「あるはずがありませんよ、どうせ結婚したいという相手があっても、お父さんが簡単に承知するはずはないし、といって、何でもお父さんの仰《おお》せの通りになるのも、だらしないし――」

「それで、この間からの縁談に生《なま》返事しているというわけか」

 大介の眼が、ぎょろりと光った。

「いや、一概にそういうわけでもありませんがねぇ」

 銀平は、父よりも相子の方を見て、云った。

「銀平さんって、いつもこんな応え方をするのよ、何事につけても傍観者的というのか、少年の頃からそんなところがあって、私、随分、困りましたのよ」

 相子は、大介にとも、美馬にともなく云った。大介はぷかりとパイプをくゆらしたが、美馬は、銀平の方を見た。三十三歳の若さで、重役クラスが着るような服を着、ブランディ.グラスを手にして、深々と安楽椅子《ソファ》に体を埋めている。そして少し離れたところでは女ばかりでチェスがはじまっている。一子の姿が見えないのは、隣室で遊んでいる子供たちに帰り支度をさせに行っているらしい。

「相子さんは大へんですね、大家族の万俵家で、しかもそれぞれ、勝手気儘《きまま》な人たちばかりなんだから、縁談をまとめるとなると、一苦労でしょう」

「でも、万俵家をさらに大きくするためには、銀平さんのご縁談は、いろいろと大切な意味を持ちますし、それに相手の方の職業によっては、美馬さんとの関係もございますし――」

「もちろんです、銀平君の縁談は、私の立場にもかかわり合いを持つことですからね」

 美馬中は、当然のように頷《うなず》き、自分も帰り支度を整えるためにたち上った。

 美馬と一子と子供たちを乗せた車が、赤い尾燈《テール.ランプ》を見せながら、邸内の道をゆっくり降りて行った。相子は、玄関のポーチに一緒に列《なら》んで見送った寧子と玄関へ入り、ホールを横ぎって階段のところまで来ると、

「では、お寝《やす》み遊ばせ」

 いつものようにさり気なく挨拶を交わし、階段を上った。二階の廊下を右へ折れ、突き当りの部屋が万俵大介の寝室になっている。ノックすると、応答はなかったが、相子は扉《ドア》を開けた。

 渋いローズ色の絨毯《じゆうたん》を敷き詰めた寝室は、明るい野趣に富んだスペイン風の外観に対して、優美なフランス風にしつらえられ、化粧台からナイト.テーブル、衣裳《いしよう》箪笥《だんす》まですべて象牙《ぞうげ》色に統一されている。その部屋の真ん中には、豪華なベッドが並んでいた。象牙色に金色の縁取りをした三台のベッドであった。三台のベッドの真ん中のダブル.ベッドが大介、両側のシングル.ベッドが、寧子と相子のもので、年に何回かは三人同衾《どうきん》することもある。

 ベッド.ルームに続いたバス.ルームで、シャワーを使う大介の気配がしたが、晚餐前にバスを使った相子は、服を脱いでオール.プリーツのナイト.ガウンに着替えると、化粧台の前に坐って、クレンジング.クリームをたっぷり掌《てのひら》に取り、化粧を落しはじめた。最初にクリーム状のクレンジングで落し、続いて乳液状のクレンジングで落し、さらにスキン.ローションで拭《ぬぐ》って行くにつれ、素顔の高須相子の顔が現われて来る。相子はさっき、一子が万俵家の長女であることを誇示するように振舞ったことを思い浮かべて、不快になった。ただ万俵家の娘に生れたというそれだけのことで、現在の一子があるのではないかと思うと、自分の幼い時のことが思い出された。

 相子の家庭は、母を亡くし、父と弟と相子の三人暮しで、相子が大学進学の時、父は大阪府教育委員会の学事課長であったが、専門学校しか出ていないために、課長以上の昇進は望みがなかった。それだけに相子は学費負担が軽くすむ国立の奈良女子高等師範を選び、社会学を専攻した。そのあと、ガリオア.エロアの奨学資金を得て、カリフォルニア大学へ留学したのだったが、昭和二十三年頃のアメリカにおける留学生の生活は、現在のように恵まれた状態ではなかった。相子は、ガソリン.スタンドやドラッグ.ストアの店員のアルバイトをして卒業したが、卒業後、すぐ日本へ帰国しなかったのは、同じ社会学を専攻する教室の研究員であるリチャード.キーンと結婚したからであった。キーン家は富裕な家庭ではなかったが、父が陸軍大佐という軍人である上に、母がイギリス人であったから、英国風の厳格な家庭だった。したがって相子との結婚には強く反対したのだったが、結局は一人息子の懇願に押し切られた形になった。それだけに結婚してキーン家へ入ってからの相子は、ことごとに、厳しい英国風のマナーにそぐわない点を指摘され、特に舅のエドワードが日本人に対して人種的偏見を持っていることを知った時、学究肌で心の温かいリチャードに対しては断ち難い愛情を抱きながら、それ以上、キーン家にとどまる意欲を失った。

 僅《わず》か一年で離婚し、日本へ帰って来た相子に、思いがけない出来事が待ち受けていたのだった。戦後、国定教科書が廃止され、各校で自由に教材を選ぶ方式に切り替ったが、父は特定の教育図書出版社から物品を受け取って便宜を与えたという教科書汚職に連座し、実刑ではなかったものの、罰金刑を受けて懲戒免職になった。そのころ弟は大阪大学へ入学したところであった。そんな事情の中では、米国留学の肩書を持った相子であったが、一流企業には採用されず、さりとて、中小の企業へ行くことも気が進まず、将来をきめかねていた時、父の旧友から、万俵家が高給をもって欧米風の教育をする家庭教師を探しているからどうかという話があった。経済的な必要に迫られていた相子は、さらに仲介者を得て、万俵家を訪れたのだった。

 最初に万俵大介に会ったのは、採用を決める面接のためであった。当時、まだ健在だった老執事に伴われて、一階の書斎へ入って行くと、万俵大介が書棚の前の椅子《いす》に坐《すわ》っていた。阪神銀行の副頭取であるとは聞いて来たが、年齢に似ぬ冷徹な容貌《ようぼう》に畏怖《いふ》の念を抱いた。大介は相子の履歴書に眼を通し、まず仕事の内容が五人の子供の家庭教師であることを告げた。承知していますと応えると、父の件は口にせず、アメリカへ留学し、アメリカで結婚したあなたが、なぜ離婚したのかと聞いた。夫は心の温かい人でしたが、舅の日本人に対する人種的偏見が我慢ならなかったからと応えると、大介は頷き、執事に、妻と子供を呼んで来るようにと云った。間もなく、美しい妻と聡明《そうめい》そうな三人の子供が入って来ると、大介は、「あと二人の子供は、乳母がついて昼寝をさせているが、これが私の子供と妻です、やって行けそうですか」と聞いた。美しい妻と聡明そうな子供を持ち、自ら家庭教師の採用にたち合いながら、父として、夫としての温かみに欠けているような印象ではあったが、相子は承知した。

 二度目に大介と話したのは、万俵家へ入って一カ月目であった。広い邸内であったし、家庭教師が役目であったから、めったに顔を合わせる機会はなかったが、その日、長男の鉄平の部屋へ、一子と銀平の二人を集めて、英会話の勉強をさせていた。英国の上流家庭で用いられる敬語の使い方の練習であったが、何度繰り返しても敬語の云い廻しができない。少々、苛《いら》だった相子が、思わず、「あなた方は、馬にたとえれば毛並の優れたサラブレッドです、サラブレッドが名馬になるためには、毎日、厳しい調教を重ねるのです、あなた方も満二十歳の成人に達するまで、私の厳しい調教を受けねばなりません」と云った時、いつの間に扉が開いたのか、大介が入って来、「私も、二十歳まで祖父に厳しい教育を受けた、あなたは、私と同じ考えを持っている」と云い、強い眼《まな》ざしで相子の顔をまじまじと見詰めた。その日から相子は、大介に対して畏怖の念とともに、惹《ひ》かれるようなものを感じ、子供たちの教育方針、進学などについての意見を、積極的に大介に話すようになった。そして、相子が万俵家へ来てから半年目の或《あ》る日の夕刻、大介に書斎へ呼ばれた。その時間は、子供たちが一斉に入浴し、女中たちがそれにかかりきって、広い邸内の湯殿以外は人気《ひとけ》がなく、真空状態になっていた。森閑とした異様な静けさの中を大介の書斎へ入って行くと、大介は、傍《そば》へ寄るように眼で命じた。相子は一瞬、眩暈《めまい》するような震えを覚えたが、あとはそれを待っていたような自然さで、大介の体に抱かれた。初めのうちは、そのことにうしろめたさを感じていたが、次第に自分が大介の単なる愛人ではなく、妻の寧子以上に大介にとって必要な存在であるという自信を相子は持った。

 大介の声がして、思い出が跡切《とぎ》れた。

「どうしたんだ、化粧台の前でぼんやり考え込んだりして、美馬たちが来て、疲れたのかい」

 鏡の中に、バスから上ったばかりの大介の裸体が映っている。六十歳とは見えぬ艶々《つやつや》しく引き締まった体であった。若い時からゴルフで鍛えたせいかもしれない。相子は、昼間の大介に齢《とし》を感じる時があっても、寝室での大介には齢を感じたことがない。筋肉質の体と旺盛《おうせい》な性欲は、四十代の壮年のそれであった。パジャマをつけない裸のまま、大介は、相子をベッドの中へ抱き入れた。

 大介の大きな手が、相子の首筋に触れ、豊満な肢体を老練な手馴《てな》れた愛撫《あいぶ》で、自在に締めつけて行き、足にまで触れた。忽《たちま》ち相子の肌が紅《あか》らみ、乳房の間から足の指先まで汗ばんだ時、大介のぬめるような声がした。

「今夜の爪《つめ》はきれいだ――」

 足の爪に塗った銀色に光るペディキュアのことを云った。ペディキュアを塗っていない寧子の白い足が、ちらっと眼にうかんだ。

 突然、ナイト.テーブルの上の室内電話が鳴った。時計を見ると、十一時であった。汗ばんだ裸のまま、片手を伸ばして受話器を取り、

「どなたでございますの――」

 やっと、そう応《こた》えると、遠慮がちな寧子の声が聞えた。

「あのう……こんな時間にご免なさい、今朝、千鶴《ちづる》さまからお電話があって」

 と云い、言葉を跡切らせた。相子の息遣いに気付いたらしい。

「それでゴルフから帰られたら、必ずお電話をほしいというおことづけを、私、忘れていて……ご免遊ばせ」

 寧子は、うろたえ気味に云った。

「ご鄭重《ていちよう》に、お伝え致しておきます、では、お寝み遊ばせ」

 相子は、受話器を置いた。

「なんだ、今頃?」

「お妹さまの千鶴さまから、何か急なご用でお電話があったそうですが、どうなさいます?」

「もう遅い、明日のことでいい」

 そう云い、大介は再び両手を伸ばして、相子の豊満な肢体を愉《たの》しむように、自分の体の下に引き入れた。

 朝、万俵大介の姿が玄関に見えると、三頭のファウン.グレートデンがポーチに坐る。

「お早う、アインス(一)、ツヴァイ(二)、ドライ(三)」

 ドイツ語の数字をそのまま呼名にした呼び方をすると、三頭はぴんと耳をたて、両足を揃《そろ》えて、主人を見送る姿勢を取る。

「行っていらっしゃいまし――」

 妻の寧子は、ポーチにたって夫を送り出したが、傍《かたわ》らにたっていた相子は三頭のファウン.グレートデンを連れて、大介に続いた。相子は、下の正門まで見送ることになっているのだった。寧子は、二人の姿が、玄関から二十メートル離れたロータリーの植込みの陰に見えなくなるまで、じっとポーチにたって見送っていた。その間中、相子は、自分のうしろ姿を身じろぎもせずに見詰めているであろう寧子のひっそりと動かない視線を感じ取っていた。無表情に近いほど感情を抑え、慎《つつま》しく振舞っている寧子であるだけに、或る意味では絶えず、影のように相子の気持につきまとっているとも云える。特に昨夜のように濃厚な情事があった翌朝は、ことさらそれを感じた。

 寧子と自分とが一日交替に、大介と寝室を共にするといっても、いつも交わりがあるわけではない。体を触れ合うだけの時もあれば、また寝室を共にするだけで、大介は真ん中のベッド、相子は右側のベッドに別れて寝む時もあるのだった。昨夜のように首筋から足の爪先まで触れられ、恥ずかしいほど露《あら》わな昂《たかぶ》りに溺《おぼ》れることはそう度々ない。そんな時、突然、室内電話がかかり、とっさに乱れた呼吸を整えて受話器を取ったものの、情交の最中《さなか》である気配は、寧子に感じ取られているはずであるのに、今朝、食堂で顔を合わせた時も、寧子はいつもと同じ平静な表情で、ごきげんようと挨拶《あいさつ》し、いつもと変らず、大介を挟《はさ》んで朝食を摂《と》ったのだった。胸高に帯を締め、背筋をきちんと伸ばした姿勢で、音もなくオートミールのスプーンを口に運ぶ寧子の姿は、たおやかな気品に満ちている。そんな寧子を見ると、相子は、十数年間、大介を挟んだ生活をともに営みながら、寧子の心の中にあるほんとうの動きはいまだに解《わか》っていないと思った。それが公卿《くげ》華族という特異な門閥に生れた人間の血というものかとも考えてみたが、時折、子供たちに見せる母親らしい気持の動きを見ていると、それは普通の女の気持と少しも変らなかった。

 植込み越しに、人声がした。

「お早うおます!」

 庭番の声であった。その方を見ると、庭番夫婦と出入りの植木屋が、五、六人入って、芝生の寒肥《かんごえ》と、蘇鉄《そてつ》やユッカなどの寒さに弱い樹《き》に巻いた霜除《しもよ》けの藁《わら》のゆるみを直している。

「ああ、お早う、ご苦労だね」

 大介がねぎらいの声をかけた。相子も、

「ご苦労さま、芝生の方は寒肥だけでなくて、ローラーもかけておいた方が、育ちがいいんじゃないかしら、それにダイニング.ルームの前の噴水の配水管が少し傷《いた》んでいるから、あれも直しておいて――」

 一家を取り仕切る夫人のように云いつけたが、いつもそれで通っているから、

「へい、その方も承知しとります」

 庭番と植木屋も、鄭重に応えた。

 大介は、そこから少し下って行った石橋のところで、いつものように足を止め、眼下に見える阪神特殊鋼の煙突を眺めた。今日も黒い煙を吐き、相子にとっては、何の変哲もない風景であったが、大介は、そこに万俵コンツェルンを代表する企業が、たゆみなく発展している実感を満喫しているらしい。

「昨夜のお話、早速、進めておきますわ」

「ふむ」

 大介は頷いた。昨夜、情事のあと、大介は、美馬が金融再編成への足どりが速くなって来た情勢を報《しら》せてくれたことを相子に話し、その動きを念頭において、現在、進行している銀平の二つの縁談を検討した結果、阪神銀行の筆頭株主である大阪重工の安田太左衛門の次女の方に決めることにしたのだったが、考えてみると、鉄平の縁談を決める時も、一子の時も、母親である寧子は加わらず、大介と相子の閨房《けいぼう》の中で、万俵家の閨閥の枝が一つ一つ、広げられて行くのだった。

「片一方の京都大学の世界的な数学者でいらっしゃる三木教授のお嬢さま、あの方はご自身も才媛《さいえん》のほまれが高く、優秀な頭脳の血筋を万俵家に入れるという意味では、ほんとうにまたとない方で、ご親戚《しんせき》には元《もと》日経連会長もいらっしゃって、残念なんですけれど、これから金融界の情勢が厳しくなるのでしたら、本筋の銀行を補強することが何よりですもの、少々、三木さまのお嬢さまに見劣りするといっても、大阪重工の安田さまと縁戚関係を結ぶことの方が、万俵コンツェルンとしては必要なことですわ、出来るだけ早く、お縁談《はなし》をきめるようにしてみますわ」

 相子の眼が生き生きと光った。万俵家の閨閥作りの時にこそ、相子には妻以上の権限が委《ゆだ》ねられ、それを自由に動かすことが出来るからであった。

「銀平も、これだけの事情があれば承知するだろうと思うが、何しろあの性格だからな」

 昨夜、飲むほどに青白み、美馬にさえ閨閥結婚を揶揄《やゆ》するような云い方をした銀平の姿が、相子の眼にも浮かんだ。

「解っておりますわ、銀平さんには、私からよくお話しして、取りきめることに致しますから」

「そうかい、じゃあ、相子に任せたよ」

 大介は肩の荷を一つ下ろしたように云い、門へ足を早めた。三頭の愛犬も、大介と相子の前にたち後になって正門に向った。どれも黄金色の滑らかな毛を輝かせ、凜《りん》とした威風に満ちた体躯《たいく》で、いかにも犬の王者らしい。

「あの威風に満ちた姿と云い、悠然とした步き方と云い、あなたによく似ていますわ――」

 相子は大きな眼を細めるように云った。

「万俵大介がファウン.グレートデンか、それで君は、この私を飼い馴らし、征服するようなつもりで、ファウン.グレートデンを買わせ、引っ張り廻しているのかね」

 たしかにファウン.グレートデンを飼おうと云い出したのは、相子であった。

「あら、飼い馴らしていらっしゃるのは、あなたの方ではございませんの、寧子さんと私とを同時に――」

 と云い、相子は形のいい歯をみせて笑ったが、眼だけは笑っていなかった。門のところまで来ると、迎えのベンツが待っていた。運転手は、恭《うやうや》しく扉《ドア》を開けた。相子も改まったもの腰で、

「では、お気をつけ遊ばしませ――」

 車が動き出しても、上半身を屈《かが》めた姿勢で、万俵大介を見送った。高須相子の人前でのそうしたけじめの正しい姿勢と豊かな教養、そして子供たちの家庭教師であった経歴が、詮索《せんさく》がましい近隣の眼をも見事に遮《さえぎ》っていた。

 その朝、阪神銀行の三階役員室では、融資方針会議が開かれていた。

 十億円以上の大口貸出先の融資方針を決める最高会議であったから、万俵頭取も出席し、頭取を正面に、左に経理担当の大亀《おおがめ》専務、右に総務担当の小松専務が座を占め、それに向い合って、融資担当の渋野常務、業務担当の荒武《あらたけ》常務、外国担当の舟山常務、事務能率担当の新井常務の六人が坐っていた。

 新年からの懸案であった平和ハウスの新規設備拡張に伴う十五億円の融資申込みの検討であったが、融資申込書と設備計画の書類が机の上に拡げられ、役員たちの意見は出尽し、あとは頭取の決裁を待つばかりだった。万俵頭取は、眼鏡の下の切れ長の眼をきらりと光らせ、

「プレハブ建築は、将来、家電メーカーにとって代る花形優良産業であるという見通しのもとに、当行は平和ハウスに対してずっと融資を続けて来、その融資方針は正鵠《せいこく》を射たわけであるが、収益面では何といっても、今までは水やり、肥料《こえ》やりの育成時期で、これからがほんとうの収益の時期になるのだから、ここで思いきって積極的に、融資申込金額の全額を認めて、さらに飛躍的な発展を期待すべきだと思う」

 と断を下し、平和ハウスの十五億の融資は決定した。三時間にわたる審議が終り、ほっとした雰囲気《ふんいき》の中で、側近の大亀専務が、肥《ふと》った体を乗り出すように、

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