饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15390 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 振り搾《しぼ》るような声で云うと、大介は暫く黙っていたが、

「では、当行が輸出前借金として貸した二億八千八百万は、国内の一般貸出しに切り替えて継続融資しよう、しかし大同銀行から借りた輸出前借金の返済分までは当行で面倒みきれない」

「しかし、大同銀行には一月末に二億五千万、既に借りておりますので――」

 鉄平が云いかけると、大介はおっかぶせるように、

「当行が国内融資に切り替えて貸す二億八千八百万も、輸出キャンセルによる前金返済という異常な事態だから、その分は、今月の高炉建設の設備資金の中からさっ引く」

 その一言に鉄平は、息を呑《の》んだが、大介は冷やかに言葉を継いだ。

「当行もそろそろ、大蔵省銀行局の検査があるから、貸金の内容をよくしておかねばならないのだ、企業のトップ同士には、父子《おやこ》の関係などないということをお前はもう一度、改めて頭の中に叩《たた》き込んでおくことだ」

 事実は、銀行局の検査は口実で、少しでも貸金内容をよくしておかねば“小が大を食う”合併に影響するからであった。

 万俵二子は、ホテルのフロントのボーイたちが見ているのもかまわず、がちゃりと怒ったように受話器を置いた。

 六時半から兄の鉄平と一之瀬四々彦と三人で食事をする約束になっているのを、急に父との用件でさし支えが出来たから一之瀬君と二人で食事をするようにと、云って来たのだった。前から何度も、オリエンタル.ホテルのスカイ.ルームでの晚餐《ばんさん》をおねだりし、その度に忙しい忙しいと延ばされ、つい今日の昼過ぎになって、高炉の炉頂装置の取付けも一段落ついたから今夜、一之瀬をまじえて食事をしようと、わざわざ家にいる二子に電話をかけて来たばかりであった。

 二子は、ロビーで待っている一之瀬四々彦の方へ足早に戻ると、

「一之瀬さん、お兄さまったら、三十分も待たせたあげく、急用が出来て行けなくなっただなんて――」

 地団太を踏むように云うと、四々彦は、腕に巻いたエンジニア用の大きな時計を見、

「よほど重要な用件が出来られたのでしょう、食事はいつでもできますよ」

 こだわらない口調で云い、たち上がりかけた。

「そうじゃないの、リザーブしてあるテーブルで、二人で食事をすませるようにということなの、だからご一緒なすって――」

 二子が語調を柔らげ、甘えるように云ったが、

「僕はこうしたところで、女性と食事をするのは苦手なんです」

 四々彦は、阪神銀行の頭取の娘であり、自社の専務の妹である二子と二人きりで、分不相応な贅沢《ぜいたく》な食事をするのは厭《いや》だと思った。

「じゃあ、どちらならいいとおっしゃるの?」

「どこって、僕などが行くのは、南京《ナンキン》町にある安くて美味《おい》しい気楽な店ですよ」

「それじゃあ、私をそこへ案内して下さいな」

「ですが、南京町は昔ながらのチャイナ.タウンでごみごみしていますから、あなたには向きませんよ」

「いいわ、私、そんなところの方が、うんと興味があるの、それに女一人じゃあまり行けないところだから是非、連れて行って――、さあ、参りましょうよ」

 と云うなり、二子はもうひらりと、ソファからたち上った。

 ホテルから南京町までは步いて二十分余りの距離だったが、タクシーを拾わず、オフィス街のビルの谷間を元町《もとまち》に向って步いた。元町一丁目のところまで来ると、左側にメリケン波止場が見えた。夜の港の灯《あか》りは、真っ暗な海にきらきらと光の帯を流すように燦《きらめ》いている。そこから一丁程行くと、南京町の入口であった。

 一步、足を踏み入れると、店先に鶏の丸焼を吊《つ》り下げた食料品店や中華料理店、漢方薬店、爆竹店などが軒を並べ、脂《あぶら》臭い匂《にお》いと漢方薬独特の匂いが鼻をついた。時たま、戦災に焼け残ったような骨董《こつとう》を商う店があり、観光客らしいアメリカ人がもの珍しそうに店内を覗《のぞ》き込み、サリーをまとった美しいインドの女性が、二子たちの横を通りぬけて行ったが、少し入りくんだ露路のような狭い通りに来ると、外国船の水兵や船員たち相手の安バーが、毒々しいペンキを塗りたて、薄暗い灯りの下で二、三人の売春婦が淫《みだ》らな笑いを投げかけて、客を呼んでいる。四々彦と二子にも、淫らな言葉を投げつけたが、四々彦はぐいと二子の手を取って通り過ぎ、一軒の店の扉《とびら》を押し、狭い階段を上って行った。

 そこは明治時代の食堂のような古びたテーブルが十卓ばかり並んでいる何の変哲もないグリルであったが、カウンター越しに中国人のコックと、古馴染《なじ》みらしい年輩の客が、珍しい料理の話を交わしていた。

「どういうお店ですの、ここは――」

「この店の親爺《おやじ》さんは、昔、外国船の厨房《ちゆうぼう》長をしていた日本人で、昭和三、四年頃からこの店を開いているから、ここへ来るお客は古馴染みの年輩の食通が多いんですよ、葡萄酒《ぶどうしゆ》に浸したビーフ.ステーキとコンソメが美味しいですよ」

 と云い、スープとビーフ.ステーキを注文した。

「いいお店ね、よくいらっしゃるの?」

「ええ、時々――、僕はこうした、熱気が漲《みなぎ》っているような町が好きなんですよ、去年の暮、ロスアンゼルスのカイザー.スチール社へ出張した時も、ロスのチャイナ.タウンへ晚飯を食べに出かけたんです」

 と云い、ふとさっきの電話が気になったように、

「先程の専務からのお電話の様子は、どんな工合だったんです?」

 と聞いた。二子は、運ばれて来たスープを飲み、

「よく解《わか》らないけれど、何か急なご用が、お父さまとおありのご様子だったわ、頭取室からかけていらしたから――」

「それじゃあ、アメリカン.ベアリング社のことで、もしや……」

 と云いかけ、口を噤《つぐ》んだ。四々彦は、昨年の末にロスアンゼルスのカイザー.スチール社へ高炉操業の技術指導を受けに渡米した時、シカゴへも寄り、南駐在員と会って、現地の事情をよく知っていたが、阪神特殊鋼の優れた技術に自信を持っていたから、最後まで事態の好転を信じているのだった。

「どうなさったの、お兄さまの会社のことで、何かご心配なことでもおありなの?」

 二子は、スプーンを置いて聞いた。

「いや、別にたいしたことじゃありませんよ、ただ専務のように鉄を作ることに情熱を燃やしておられる方が、銀行へ出かけられたりして、資金面のことまでなすっておられるのかと思って――、専務には高炉建設のことだけに専念して戴きたいのです、僕たちが、こと特殊鋼に関しては、世界一品質の高いものを作る、いや作れるのだという自信を持ち得たのは、専務のエンジニアとしての優れた能力と熱意によるものなんです」

 四々彦は、炉頂装置の取付けが終り、七分通り完成しつつある高炉を思いうかべ、情熱をたぎらせるように云った。話題がまたいつものように仕事に行きかけると、二子は巧みに話題を変えた。

「いやね、一之瀬さんったら、レディとお食事をしている時は、お仕事のお話はなさらないのがエチケットよ、それでよく、レディ.ファーストのアメリカ生活を二年もお出来になったのね」

 軽く睨《にら》むように云うと、四々彦は、

「だから二年もいて、ガール.フレンドが出来なかったんでしょう」

 からりと笑った。

「でも、一之瀬さんだって、理想の女性像がおありでしょう、聞かせて戴きたいわ」

 四々彦は、困惑するような表情をし、

「そうですね、まず仕事に理解があって、聡明《そうめい》でいて、控え目で、そして何よりも温かい心の持主ですね」

「じゃあ、嫌いな女性は?」

「頭が悪くて、我儘《わがまま》で、思いやりのない女性」

「じゃあ、私はその、どちらの部類に入るのかしら?」

 二子は、真剣な眼《まな》ざしを四々彦に向けた。

「そんなこと、急に答えられないじゃありませんか、それにあなたのような聡明な方なら、ご自身で一番よく解っていらっしゃるはずでしょうから、愚問愚答になりますよ」

 と云い、運ばれて来たビーフ.ステーキに、ぐいとナイフを入れた。せっかくリザーブしてあるオリエンタル.ホテルのスカイ.ルームの晚餐を断わり、南京町の小さなグリルで、自分なりの食事をする四々彦と向い合っていると、二子は、そこに兄の鉄平でも、また銀平でもない、一人の強い個性を持った男性像を見る思いがした。兄たちに比べると、いささか野暮ったく、無骨であったが、飾り気のない素朴《そぼく》な男らしさと包容力に満ちている。二子の眼に、父と義兄の美馬からすすめられている佐橋総理夫人の甥《おい》の細川一也が、一層、小さく軽い存在に見えた。

 二子は、つい一時間前まで一之瀬四々彦と二人で過した倖《しあわ》せを噛《か》みしめながら、ピアノに向ってショパンのノクターンを弾いていた。長いしなやかな指が鍵盤《キイ》の上を滑るように動き、静かな情感が部屋の中を包んでいる。

 南京町のグリルで、四々彦と食事をしたあと、どちらからともなくトーアロードを山手に向って步いた。九時近いトーアロードは、両側に並ぶ高級洋装店やテーラー、宝石、毛皮店などの半分以上が既にシャッターをおろして人影も少なく、ひっそりと散步する外国人の中年夫婦の姿が眼についた。異境で肩を寄せ合うようにして生きている夫婦の姿が、なぜか今夜に限って二子の眼に灼《や》きつき、ふと涙が噴きこぼれるような思いがしたが、四々彦を振り仰ぐと、彼もまた強い眼ざしを向けて、互いの胸の中にある思いに触れ合ったのだった。

「二子さん、どうして途中でやめておしまいになるの? そこから私の好きなメロディになるのよ」

 背後《うしろ》で相子の声がし、ピアノの傍《そば》に寄って来た。

「いらっしゃってるなんて、知らなかったわ、人が悪いのね」

「だって、すばらしいピアノが聞えて来るんですもの、聞き惚《ほ》れてしまって――、最近、レッスンに励んでいらっしゃるせいか、一段とお腕が上ったように感じるのですけど、今日はことのほか情感豊かよ、何かよほど素敵なことがあったようね」

 ピアノに体をもたせかけ、二子の顔を覗き見るようにした。二子は視線を白い鍵盤《キイ》の上へそらし、右手で小さく続きを弾き出しながら、

「何よりも嬉《うれ》しいお褒めを有難う、常々、先生からはテクニックに走り過ぎると、批判されていますの」

 と云った。

「今夜、細川一也さんからあなたの帰宅寸前にお電話があったこと、三子さんからお聞きになって?」

 相子はさり気なく、聞いた。

「いいえ、何かご用なのかしら」

「あら、あなたもそういうところはお父さま似ね、電話や手紙というのは、用件を伝えるためにだけあるものじゃなくてよ」

「解っているわ、でも、あの方とはお正月に志摩観光ホテルで一度、お目にかかっただけだから、お電話なんて、あまり唐突過ぎますもの」

「ところが、細川さんは今夜、偶然、美馬さんと銀座のバーで顔を合わせ、志摩で過したお正月を懐《なつ》かしみながら飲んでいるうちに、二子さんに電話しようということになったのですって、でもあなたがいらっしゃらないから、三子さんとお喋《しやべ》りしてらしたけど、三子さんのお話では、細川さんったら、お姉さまのことばかりお聞きになって、失礼だわって、すっかり旋毛《つむじ》を曲げてしまったのよ」

 相子は、可笑《おか》しそうに笑ったが、言外に二子の関心を、細川に繋《つな》ごうとする気配《きくば》りがあった。二子はさらりと聞き流すように、

「三子ちゃんは、お正月にお会いした時から、細川さんに好意を持っている様子よ、あの方なら、あなたがいつもおっしゃるように、家柄、資産、姻戚《いんせき》関係などの結婚の条件をすべて満たしていらっしゃるでしょうから、なんなら三子ちゃんと細川さんとの結婚をプロデュースなさってはいかが?」

 と云い、姿勢を正して再びピアノに向った。

「二子さん、あなた、何もかも解っていらっしゃるくせに、いい加減、女学生のような我儘はおよしなさい、私はもうこれ以上、待たなくてよ」

 びしっと鳴るような厳しさで云った。

「それ、どういう意味なの、私は、自分の結婚相手は自分で決めますって、前から申していますでしょう、それを母親でもないあなたが、僭越《せんえつ》過ぎると思うわ」

 きっとした表情で撥《は》ねつけた。相子は動ずる様子もなく、

「出産以外、何も出来ない無能な母親じゃあ、仕方がないでしょう、ともかく私は、あなたのお父さまからお正月以来、細川さんとのご縁談を進めるように申しつかり、東京まで出かけて慎重な結婚調査をして来ましたの、その結果、万俵コンツェルンの総帥《そうすい》であるお父さまが、二子さんの結婚相手は細川一也さんだと断をお下しになり、私もあなた自身や、ご兄姉《きようだい》、姻戚関係からみて、細川さんが最もふさわしい伴侶《はんりよ》と考え、細川家の方も乗り気でいらっしゃるのですから、何とおっしゃろうと、結婚相手は、ほぼ決まったも同然のことですわよ」

 云い渡すように云った。

「そんな、あんまりだわ! 戦国時代の政略結婚じゃあるまいし、この現代に、本人の意思を無視した、企業や家のための結婚なんて考えられないわ!」

 二子がたち上って、叫ぶように云うと、

「どうやら二子さんの意中の人は、鉄平さんのところへ学生時代から出入りしている一之瀬四々彦さんのようね、そして、今晚、お食事をご一緒なさったのは、一之瀬さんでしょう」

「――そうよ、一之瀬さんだわ」

 はっきりと二子が応《こた》えると、

「お食事にしては、時間がかかり過ぎね、六時半にオリエンタル.ホテルのロビーにいらしたのだから、お食事だけなら、もっと早くお帰りになれたんじゃない?」

 何もかも見通すように相子が云った。

「どうして、そこまでご存知なの、不愉快だわ」

「そんなこと、どうだっていいじゃありませんか、でも一之瀬さんもフェアじゃないわね、よりにもよって、鉄平さんの帰宅が遅い日に、あなたを誘うなんて――」

 相子は、ホテルで開かれていた宝石の展示会へ芦屋《あしや》病院長夫人たちと出かけ、帰り際《ぎわ》に、たまたま二子と四々彦の姿を見かけたのだったが、それは口にせず、四々彦を非難した。

「それは違うわ、今晚は鉄平兄さまにご馳走《ちそう》して戴《いただ》くお約束だったのが、急な用件で行けなくなったから、一之瀬君と食事をして帰るようにと云われたのだわ」

「あら、そうなの、でも鉄平さんとのお食事に、どうして一之瀬さんなどがご一緒なさるの」

 阪神特殊鋼の一常務の息子に過ぎないことを、侮《あなど》るような云い方をした。二子の顔に激しい反撥《はんぱつ》の色がうかんだ。

「それは多分、日頃の私の願いをかなえてやろうという鉄平兄さまの思いやりというものでしょうね」

「すると、鉄平さんは以前からあなたと一之瀬さんの間柄を、積極的にお認めになっていたというわけなのね」

 相子は、二子の言葉を押え込んだ。

「いいえ、鉄平兄さまは、そういうことには関心がない人よ、思いやりというのは、私の勝手な解釈で、お兄さまにしてみれば、案外、同じエンジニアの後輩を久々に犒《ねぎら》う意味でお招《よ》びになったのが、本当のところかもしれないわ」

 兄と父との間が最近、妙によそよそしいだけに、二子は兄の立場を慮《おもんぱか》って弁解しかけたが、相子はもはや、聞く耳をもたぬように、

「鉄平さんが、お父さまや私の方針を無視して、そういう妙なことをしていらっしゃるなんて、心外ですわ、お父さまから、万俵家の縁組のルールを破り、勝手なことをなさる鉄平さんの真意を早速、糺《ただ》して戴《いただ》きます」

 と云うなり、部屋を出て行ったが、相子の顔には何かを画策する表情がうかんでいた。

 吠《ほ》えていたファウン.グレートデンの声が止《や》むと、邸《やしき》は森閑と静まりかえった。万俵鉄平は、十時半を過ぎた夜の邸内の道を独り步いていた。いつもは、邸内の東側の高みにある自宅の玄関まで車を乗りつける鉄平であったが、今夜は、下の門のところで、会社の車を帰してしまい、緩い坂道を上りながら、つい先程まで討議を重ねていた阪神特殊鋼の緊急役員会の模様を重苦しく思い返していた。

 アメリカン.ベアリング社の一方的なキャンセルに対する損害賠償《ペナルテイ》の件が、まず問題になり、去年の十月に鉄平自身が渡米して契約を更新した長期契約書を仔細《しさい》に検討したが、長年の大口取引先という安心感で、キャンセルの場合の損害賠償に関する細部の取りきめが記されていなかった。その上、国際間の商取引での損害賠償の訴訟が、いかに長い年月と多額の費用がかかるかを考えると、誰しも訴訟に持ち込む決断は下せなかった。それよりキャンセルになった製品を売り捌《さば》き、実質的に少しでも損害を食い止めることの方が先決問題であったから、営業担当の川畑常務自ら渡米し、ロスアンゼルスのベアリング会社へ転売する交渉を是が非でも推し進めることに決めた。輸出向けの製品は仕様《しよう》が異なり、国内ではそのまま転売出来ず、仮に売り捌けても二束三文の値打にしかならないから、ロスのベアリング会社への転売の成否が、当面、輸出キャンセルによる損害を最小限度に食い止め得るか否《いな》かの分れ目であった。それだけに鉄平は自身で渡米したかったが、一之瀬工場長は、専務は高炉建設を急ピッチで進める陣頭指揮をするべきだと、渡米を制止したのだった。その上、阪神銀行が、自行の輸出前借金以外の融資は出来ないと断わった今となっては、鉄平自身が大同銀行の三雲頭取に頼んで、資金面の打開を計らねばならなかった。

 重い足どりで步く鉄平の胸に、挫折《ざせつ》感に似た思いが拡がって来た。今度のアメリカン.ベアリング社との契約は鉄平自身が取りきめ、船積み待ての電報を受け取った後の処理も、すべて自分の判断でやって来た。それが今日の結果になったのかと思うと、経営者としての自信が大きく揺らぐのを覚えた。足を止めると、水の流れる音がした。父が毎朝、出勤する時、足を止めて、眼下に見える阪神特殊鋼の煙突を眺める石橋であった。毎日、飽きもせず、愛《め》でるように眺めているというのに、その阪神特殊鋼の急場で、なぜ融資を渋るのか、鉄平には父の心中が解《げ》せなかった。

 背後から警笛が鳴り、車のヘッド.ライトが近付いて来た。

「兄さん、どうしたんです、こんなところにたってらして」

 窓から、銀平が顔を出した。

「ちょっと、独り步きしてみたかったんだよ」

「よかったら、お送りしましょう」

「じゃあ、そうして貰《もら》おうか」

 鉄平は、運転席の横に坐った。石橋を渡ると、道が左右に分れ、左側の高みに鉄平の家があり、右側に入って行くと、銀平の新居になる。

「兄さん、僕のところにお寄りになりませんか、お父さんから巻き上げたエキストラのブランディがありますよ」

「うむ、久しぶりだな、お前と飲むのは」

 頷《うなず》きながら、鉄平は、今夜、二子と一之瀬四々彦と三人で、食事をする約束であったことを思いうかべた。

 鉄筋コンクリート二階建ての白い壁と飾窓のある南欧風の建物の前に車が停まると、いつになく和服を着た万樹子が迎えに出た。

「お帰りなさい、あら、お義兄《にい》さまもご一緒でございましたの、どうぞ――」

 万樹子は、何か云おうと待ち構えていたような様子であったが、鉄平の姿を見ると、いそいそと居間へ案内した。真っ黒な絨毯《じゆうたん》を敷き詰めた部屋に、イタリア製の赤、黄、紫などのカラフルなソファが置かれている。

「お義兄さま、お茶になさいます? それとも――」

 万樹子が気をきかすように云うと、

「いいよ、君は――」

 銀平は素っ気なく云い、万樹子は仕方なく居間を出て行った。銀平は洋酒のワゴンからブランディを取って、注《つ》いだ。

「お父さんは、近頃、妙に苛々《いらいら》してらっしゃるようだな、何か難かしい問題でも抱え込んでおられるのかい」

 鉄平が聞くと、銀平は、

「そうですかね、僕は一向に気がつきませんよ」

 関心なさそうに応えた。

「この間、経済雑誌を読んでいたら、金融再編成の座談会が載っていて、阪神銀行は、富国銀行と合併する可能性大だと予測されていたが、ほんとにそんな気配でもあるのかい」

 それが父の不機嫌の原因の一つかもしれぬと思って聞いた。

「まさか、富国銀行などと合併すれば、全く吸収されてしまいますよ」

「それならほっとしたよ、あんな大銀行と合併したら、両行の融資系列の合理化という美名のもとに、こっちまで大鉄鋼メーカーに呑《の》まれてしまいかねない」

 と云い、鉄平はブランディを口に運んだ。

「それより兄さんこそ、どうなすったんです、邸内の夜道をしょんぼりと独り步いたりして、いつものバリバリとしたエネルギッシュな兄さんらしくないですよ、それに昨日《きのう》は、銭高常務とうちの営業部の前で出会い、今日は、兄さんがじきじき、お父さんに会ってらしたそうで、何かあったんですか」

 グラスを持っている鉄平の手が、止まった。

「実は、アメリカの大口輸出先からキャンセルがあり、高炉建設中の資金繰りと重なって、苦しいところに追い込まれ、お父さんに融資をお願いしたんだが、にべもなく断わられたんだ――」

 と云い、アメリカン.ベアリング社から船積み待ての電報を受け取って以来の経緯をかいつまんで話した。その間、銀平はちらっとも表情を動かさず、聞いていたが、聞き終ると、

「それにしても、兄さんは甘いな、去年の十二月に電報を受け取ってシカゴへ出かけて行き、アメリカン.ベアリング社を乗っ取ろうとしているコングロマリットの動きまで察知しながら、どうして迅速《じんそく》な事態の収拾と同時に、もっと早く資金手当をしておかれなかったのです、そりゃあ、お父さんが立腹されるのも無理からぬことですよ」

「だが、窮地にたっている子会社に輸出前貸金として貸した二億八千八百万だけは、国内融資に切り替えて貸そう、しかし、その分だけ、今月の高炉建設の融資からさっ引くというのは、親会社の阪神銀行としてあまりに冷た過ぎる――」

「そうでしょうか、銀行家たる者は、それでいいのじゃないでしょうか、僕だって、その程度にしか、お貸ししないかも知れませんよ」

 はっとするような冷たさで云った。それは今日の夕方、父が自分に向って投げつけた冷たさと酷似していた。鉄平の脳裡に、太平《たいへい》スーパーを冷酷極まりないやり方で潰《つぶ》し、流通部門を持っていない万俵商事に吸収してしまった銀平のやり口が思いうかび、眼の前のダンディな銀平が老獪《ろうかい》冷徹な銀行家の父と重なった。

「お前は、いつも銀行はいやだと云っているが、どうしてどうして、見事なものだよ」

 鉄平は、自分と弟との間にある大きな距離を感じ、グラスをテーブルに置いて、たち上った。

 鉄平が帰ると、すぐ、万樹子が部屋へ入って来た。

「あなたって、冷たい人ね、お兄さまに、どうして、あんな風なおっしゃり方をなさるの」

「なんだ、君は、たち聞きしていたのか」

「そうじゃないわ、おつまみをお出ししようと思って扉《ドア》のところまで来ると、中のお話が聞え、お部屋へ入るに入れずにいたのですわ」

「まあ、どちらでもいいことだ、さあ、シャワーを浴びて寝《やす》もう」

 銀平がバス.ルームへ行こうとすると、

「あなた、お話があるのよ」

「また、君のお話か、明日でもいいじゃないか」

 欠伸《あくび》を噛《か》み殺すように云った。

「いいえ、今日中に話さなくてはならないことですの」

「一体、どうしたというんだい?」

 大儀そうに足を止めた。

「あなた、私、子供が出来たらしいの」

「なに、君が妊娠――」

 万樹子は、初めての妊娠を羞《は》じらうように着物の衿《えり》もとへ顎《あご》を埋めたが、銀平は無感動な表情で、

「おかしいな、君はいつも大丈夫だと、云ってたじゃないか」

 バース.コントロールについて云った。

「そうよ、でも欲しくなったの」

「じゃあ、騙《だま》したというわけか」

「騙しただなど――、私だって初めは、それほど欲しいとは思わなかったけれど、閨閥《けいばつ》を重んじる万俵家では、子供は必要欠くべからざるものだということが解《わか》ったの、だからあなただって、口では何かとおっしゃっていても、子供が出来ればお喜びになると思って……」

「喜ぶ、僕が子供を――」

 無表情な顔が、おぞましげに歪《ゆが》み、

「堕《おろ》してしまうことだな」

 と云った。みるみる万樹子の顔から血の気が退《ひ》き、

「どうしてなの、私たちは経済的にも、家庭的にも、健康的にも、すべての点で恵まれていて、何一つ堕さねばならない理由などないわ、それなのにあなたは、そんなことを……、あなたは、私を少しも愛していないのだわ、愛していないのに結婚し、子供をつくらせ、そして堕せという冷酷な人なんだわ……」

 万樹子の声が次第に昂《たかぶ》り、ヒステリックになって来たが、銀平は、

「僕のような人間、万俵家の血をひいて背骨がいびつに歪んだような人間を、これ以上、つくりたくないからだ――」

 醒《さ》めた抑揚のない声で云った。

 *

 大同銀行の頭取室は南側に面して明るく、天井から壁面、家具調度に至るまで、贅《ぜい》を尽した豪華さが目立ったが、どことなく野暮ったい。その中で、三雲頭取が日銀から就任した時に掲《か》け替えた岸田劉生《りゆうせい》の「麗子像」の絵が、わずかに三雲の趣味をうかがわせ、部屋の雰囲気を幾分、救っていた。

 三雲頭取は、「麗子像」を背にして、阪神特殊鋼の万俵鉄平と向い合って坐り、鉄平が話すアメリカン.ベアリング社からのキャンセルの経緯とそれに伴う融資依頼を聞いていた。

「一月の末に資金ショートした二億五千万の面倒をみて戴いたばかりですのに、再度、このようなお願いに上り、心苦しい限りですが、ともかく、輸出前金の返済をしなければなりません、二カ月分の前金五億七千六百万のうち、阪神銀行から借りた一月分は何とか国内一般貸出しに切り替え、融資して貰えることになっていますが、大同銀行さんから前借りした昨年十二月分の二億八千八百万の調達がどうしても出来ませんので、もう一度、ご融資戴《いただ》きたいのです」

 鉄平は、恐縮しきって深々と頭を下げ、二億八千八百万円の融資を依頼した。三雲頭取は、鼻筋の通った面長《おもなが》の顔に、厳しい色を湛《たた》え、

「こうした事態について、阪神銀行の万俵頭取はすべてご存知なんでしょうね」

 確かめるように聞いた。

「むろん、私自身が説明し、承知しておりますが――」

「それなら、どうしてもっと面倒をみないのです、それでなくとも、輸出キャンセルという最悪の事態になったら、その面倒はメインがみるのが筋じゃありませんか」

 メイン.バンクである限り、取引企業が順調に行っている時はもちろんのこと、企業がピンチに陥って、イレギュラーに資金需要が出来た時にこそ、親身に面倒をみるべきであったから、三雲は不快な思いを抑えかねるように云った。

「それはそうなんですが、父が申しますには、阪神銀行は地場《じば》産業の資金需要に追われて、資金ポジションが悪化しているので、このまま行くと、日銀からの次期の資金割当の枠《わく》が悪くなりそうなので、資金ポジションが改善されたら、埋め合せをする、ここは半分、大同銀行さんに融資して貰ってほしいと申しました――」

 鉄平は苦しげに応《こた》えた。その阪神銀行が融資してくれる一カ月分の二億八千八百万円も、高炉の設備資金からさっ引いて貸して貰うのだとは、いくら三雲の前でも云えなかった。三雲は鉄平の太い眉《まゆ》が苦しげに眉間《みけん》に寄るのを深い眼《まな》ざしで見た。万俵大介と鉄平父子の間に、何か他人には窺《うかが》い知れない微妙な感情が介在しているのではないかという疑念は、高炉建設の設備資金を調達する当初の段階から、うすうす感じていた。阪神銀行が従来の四〇パーセントの融資比率を三〇パーセントに削ってしまい、その削減された十八億円の資金調達のために、技術者の鉄平が協調融資銀行と生命保険会社を奔走して、ようやく八億円を調達したが、残り十億の都合がつかず、自分のところへ疲労困憊《こんぱい》した顔で頼みに来たのだった。その時の鉄平は、メイン.バンクの頭取を父に持つ息子とは考えられないほど途方にくれ、思い詰めた顔であった。

 そして今また輸出の大口取引先から、二カ月半もの滞貨を持ったままキャンセルされるという異常事態にもかかわらず、メイン.バンクに面倒をみて貰《もら》えず、自分の前に頭《こうべ》を垂れている。その鉄平を見ると、三雲は自分がこれまで漠然と抱いていた疑念が、単なる推測ではないことを感じた。しかし、万俵頭取ほどの銀行家《バンカー》が鉄平との間にある何らかの感情のために、阪神特殊鋼という企業に対してまで冷淡であるのは異常に過ぎた。

「鉄平君、阪神特殊鋼は高炉建設前から比べると、阪神銀行から当行への比重を随分、深めていますね、まず高炉設備資金が、最初の計画段階では阪神銀行四〇パーセント、当行三〇パーセントであったのが、結果的には三〇対三五になり、さらに船荷ストップによる資金ショートの面倒から、今またキャンセルによる輸出前金返済の資金繰りまで持ち込まれるに及んでは、メイン.バンクが後退していると考えざるを得ません、メインが手を引く限り、よくよくの事情がどちらかにあると考えるのが常識ですが、阪神特殊鋼の方にその原因はないのでしょうね」

 穏やかだが、射るような視線を向けて聞くと、鉄平は暫《しばら》く黙っていたが、精悍《せいかん》な眼をぎらりと光らせ、

「強いて阪神特殊鋼に原因があるとすれば、それはメインの云い分を以前のように聞かなくなったからでしょう」

「なぜ、メイン.バンクの云い分を聞かなくなったのですか」

「父の云う通りにしておれば、高炉はいつまでたっても建てられないからです、どんなに説明しても、父には、高炉建設が身のほど知らずの危険な賭《かけ》だとしか考えられないらしいのですが、賭けることを怖《おそ》れていては、企業はいつまでたっても大きく飛躍出来ません」

 鉄平は拳《こぶし》を固め、歯噛《はが》みするように云った。三雲はそうした鉄平の一本気なところを、マサチューセッツ工科大学の留学生であった頃と少しも変っていないと頬笑ましく思う一方、自分も阪神特殊鋼に賭《か》けてみたいという衝動に駈《か》られた。日銀理事から大同銀行の頭取に就任して一年になろうとしていたが、就任当初の理念とは裏腹に、何か新しいことをやりかけると、行内の貯蓄銀行時代の生抜《はえぬ》き派との間に軋轢《あつれき》を生じ、いまだに新頭取としてこれといった業績をなし遂げていなかった。そのことに対する焦《あせ》りがないといえば嘘《うそ》になるが、そうした個人的な功名心をぬきにして、三雲が今、痛切に感じていることは、産業界の傍観者ではなく、企業を育成する仕事に自分も身を以《もつ》て参加したいということであった。十幾つも齢《とし》若い鉄平が高炉建設に賭けるように、自分も日銀から市中銀行の頭取として就任して来たからには、銀行家としての足跡を残し得るような融資を行ないたかった。

 むろん、阪神特殊鋼に対しては、今までも、行内生抜き派の懸念《けねん》を押し切って、阪神銀行と並ぶ平行メインとしての積極的な融資をして来たが、それは鉄平との個人的繋《つな》がりが多分に作用する心情的な平行メインであった。そこで阪神銀行が一時的とはいえ、メインの座から後退した今、メインを奪い取るような意気込みで融資に乗り出し、阪神特殊鋼を大きく育成してみたいと心ひそかに思った。それは即《すなわ》ち、図体《ずうたい》ばかりは大きいが、これという一部上場の取引企業を持たない大同銀行を充実させ、体質を改善することでもあった。

「あなたの今回の融資は、滞貨資金の手当だけに、当行の融資担当が賛成するかどうか、難かしいところですが、ともかく検討させてみます、そして私自身もあなたのお話だけでなく、お父上である万俵頭取に、メイン.バンクの頭取としてのご意向を承らせて戴きたいと思いますが、よろしいでしょうね」

 と三雲が聞くと、鉄平は一瞬、躊躇《ためら》うように言葉を呑《の》んだが、

「どうぞ、それで三雲頭取のご納得がいかれるのでしたら――」

 複雑な表情で頷《うなず》いた。

 三雲頭取は静かに電話をきると、阪神銀行の万俵頭取と話し合ったばかりの内容を反芻《はんすう》した。

 さっき、万俵鉄平から融資を依頼された阪神特殊鋼の業容について問い合せたのに対し、万俵頭取は、メイン.バンクとして阪神特殊鋼の面倒をみてやれないのは、目下、地場《じば》産業の資金需要に追われて、資金ポジションが苦しいためであることを、極めて明瞭《めいりよう》に説明した。もしやと懸念していた経営上の問題も、万俵鉄平から説明をうけた以外に窺《うかが》われず、三雲は融資の決意を固めた。あとは融資担当の綿貫《わたぬき》専務を呼んで、この融資方《がた》を話し合うことであった。

 三雲は、机の上にある役員の在室標示ランプに眼を遣《や》り、役員間にある微妙な派閥を思った。三雲が日銀から大同銀行へ天下って来た時から、行内には貯蓄銀行時代からの牢固《ろうこ》とした生抜き派と、日銀天下り派と、そのどちらにもつかない中間派の三つの流れがあり、専務二人、常務五人の役員陣も、この三派に分れているが、生抜き派の長である五十九歳の綿貫専務が、他を抑えていた。

 扉《ドア》をノックする音がし、咳払《せきばら》いが聞えた。専務の綿貫千太郎であった。さして高くない身長に不釣合いな大きい赭《あか》ら顔が目だち、人一倍低いもの腰で、三雲の前に坐った。新調らしい金目《かねめ》のかかった茶色のスーツを着込み、赤茶の靴を履いた様子が、いかにも大同銀行の前身である貯蓄銀行時代から叩《たた》き上げた生抜きの専務らしい野暮ったさと親しみやすさを示している。中小企業の取引先ではそれが人気になっていたが、三雲のような日銀育ちで、外国勤務もして来ている人間には、正直なところ、綿貫のような持味が、体質的に合わなかった。しかし、綿貫の持っている貯蓄銀行以来の顔の広さと実務の豊富な知識は、毎日の銀行業務に必要であった。

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