饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15442 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「何を云うのだ、お前には次の阪神銀行を荷負《にな》おうという気概がないのか、この辺で心機一転し、お前さえその気になってくれれば、当行の筆頭株主である安田太左衛門氏にも、お前をもりたてて貰うように頼み込むつもりでいるのだ」

「そんなこと、考えたこともありませんね、第一、いくらお父さんがオーナー頭取だといっても、これからの銀行経営に世襲だなんて、時代錯誤もいいところですよ、どうしても万俵一族でとおっしゃるなら、大蔵省主計局次長の美馬《みま》の義兄《にい》さんにでも、将来、天下って貰えばいいでしょう」

 グラスを干しながら、よそごとのように云った。

「いや、美馬は信用できない、あれは自分の野心のためには、銀行を身売りすることも敢《あ》えてしかねない男だ」

 と云い、腕時計を見、

「もう三時過ぎか、芥川《あくたがわ》がやって来る時間だな」

 と云った。もうそろそろ、東京事務所長の芥川常務が、モーター.ボートに乗って、ヨットの上の万俵大介に、半月に一度の定例報告をしに来ることになっているのだった。

 やがてかすかなエンジンの音が響いたかと思うと、一筋の白い曲線を描いて、モーター.ボートが疾走《しつそう》して来た。芥川を乗せたモーター.ボートであった。

 時速八十キロで飛ばしているから、みるみる間近に迫り、ヴァイカウンツ.ドーター号の船体に、真っ赤な船体を横付けした。

「やあ、こんなところまでご苦労だね」

 甲板の上から万俵が声をかけると、芥川は、

「ご静養先へこんな無粋な服装で参上致しまして、何しろ伊丹《いたみ》空港から直行して参りましたものですから――」

 ダーク.スーツを気にするように云い、ヨットに乗り移ろうとして、ぐらりと上体を泳がせた。

「危ないですよ、僕に掴《つか》まって下さい」

 銀平が手をさし出すと、

「これはどうも、恐縮です」

 芥川は、銀平の手に掴まって、ヨットの甲板に乗り移った。銀行の中では、東京探題の常務として、本店営業部の貸付課長である万俵銀平に自然な形で対することが出来たが、静養先となると、頭取の御曹子としての遠慮が出る。

「じゃあ、僕はこのモーター.ボートを走らせて来ますから、失礼――」

 銀平は、芥川を送って来た操縦者に、運転を替ってくれるように云い、さっとモーター.ボートに乗り移るなり、凄《すさま》じいスピードで、ヨットから離れて行った。

「芥川君、疲れたろう、上衣を取って、まず一杯やり給《たま》え」

 万俵は、自分の横のデッキ.チェアを指し、ポルトガルの地酒をすすめた。

「ほう、珍しいお酒ですね、どうして手にお入れになったのですか?」

「一昨年、パリで開かれた国際金融懇談会に出席した帰途、ポルトガルへ寄っただろう、その時、向うの中央銀行の頭取に、ロッカ岬《みさき》へヨットで招待され、船上ですすめられた酒が美味《おい》しかったので褒《ほ》めると、これはポルトガルの船乗りが処女航海の時に、祝酒《いわいざけ》として酌《く》みかわす地酒だということで、ミスター.マンピョウはなかなかの酒通だと逆に褒められ、帰国したら船便で二ダースも送られて来たんだよ」

「なるほど、そういえば、その節、地酒のお話を伺ったのはこれでございましたか」

 芥川は、珍酒を嗜《たしな》むように口をつけ、

「早速ですが、今朝《けさ》、ホテルオークラで開かれました五行連合の初の準備会の模様でございますが――」

 一カ月半前に、万俵大介が呼びかけ役になって、初めて五行の頭取が春田銀行局長を囲む『朝食会』を持ち、五行連合の大まかな趣旨を確認し合ったが、その後、具体的な話合いは、五行で準備委員会をつくり、そこで取定《とりき》めが行なわれることになったのだった。

「まず準備委員会のメンバーは、当初の段階では担当常務ということでしたが、その後、役職にこだわらないということになり、大同銀行は融資担当の専務、太平銀行と坂東銀行は業務担当の専務、北海銀行と当行は、東京駐在の常務といった顔ぶれになりました」

「なるほど、それで具体的にどういう提携の話が出たのかね」

「やはり初会合ですので、互いに腹の探り合いというか、ぎこちない雰囲気《ふんいき》でした、しかし頭取会の趣旨を受けて、各行がやりやすい業務提携から具体化しようということで、真っ先に出たのは、給与の自動振込です、太平洋ベルト地帯にある企業のサラリーを五行で相互に受払い出来れば、これはかなりのメリットですからね」

 グラスを手にして、芥川が云うと、

「たしかに太平洋ベルト地帯のメリットを生かした話ではあるね、その他《ほか》に出たのは、どんなことかね」

「預金の相互受払いとか、オンラインの共同利用といったことが出はしましたが、各行、いろんな家庭の事情があって、まとまりませんでした、何しろ少々突っ込んだ話になると、皆、口を噤《つぐ》んでしまうのですからね、なんだか連合、連合と、掛声ばかり大きくて、内実が整うのか、先行き心配です」

「それでいいじゃないか、五行連合の呼びかけ役をした私の狙《ねら》いは、要は手を横に握り合ってしまえば、それでいいんだ、あとは握った手と手が、じっとりと汗ばんで来るのをゆっくり、時間をかけて待つことだ」

 万俵大介にとっては、五行連合によるメリットなど、さして魅力がなかった。それよりもっと大きいことは、五行が会合を重ねて行く過程で出て来る各行の“お家の事情”を嗅《か》ぎ取り、牛蒡《ごぼう》抜きするチャンスを狙うことであった。

「で、準備委員会は、どのくらいの期間で持つことにするのかね」

「一カ月に一度、ホテルオークラのいつもの部屋でということになりました」

「いいだろう、せいぜい欠伸《あくび》を噛《か》み殺して出席することだが、一つだけ注意しておいて貰いたいことがある、その席上で議題になったことに対して、イエス、ノーを即答出来ないのは、どの銀行か、マークしておいてくれ給え」

 万俵が云うと、芥川はきらりと縁なし眼鏡を光らせ、

「解《わか》りました、それはつまり、内情複雑な銀行に限って、即答出来ないからですね」

「その通りだ、まさか初会合では、そこのところまでは解りはしなかったろうが――」

 そう万俵が云いかけると、

「まあ、そうですが、大同銀行の綿貫《わたぬき》専務と太平銀行の野々山専務は、どうも歯切れが悪かったです、大同銀行は日銀出身の頭取が、太平銀行は大蔵省出身の頭取が、勝手にきめてしまった五行連合なんかに、銀行自体が、そう簡単に乗れるかと云った感じがありますね、もちろん、そんなことは[#「口+愛」、第3水準1-15-23]《おくび》にも出しませんが――」

「なるほど大同と太平か――、たしか大同は、日掛の貯蓄銀行上りの専務、太平は相互銀行上りのはき溜《だ》め専務で、ともに叩き上げだったねぇ」

 毛並の悪さを軽侮するように、笑った。

「そういうことです、これからは、彼らの行内ではぶちまけられない愚痴を、せいぜい聞いてやることに致しますよ、案外、そんなところから、思わぬ拾いものをしないとも限りませんからね」

 芥川はそう云い、

「次にもう一つ、是非、ご報告しておきたいことがございます、近々、当行に大蔵省の銀行検査が行なわれるようです」

「それは間違いのない情報かね」

 万俵は、デッキ.チェアから体を起して、念押しした。大蔵省の銀行検査は、ほぼ二年に一回の割で行なわれ、預金.貸金.資産内容に至るまで、一件、一件、徹底的に調査され、その結果を本省に帰ってから『講評』の形で記され、その結果如何《いかん》が、一行の浮沈にかかわる場合がある。それだけに検査は抜打ちに、銀行局検査部の金融検査官が乗り込んで来るのだが、事前にキャッチするために、二年目前後になると、各行の忍者たちの動きは熾烈《しれつ》を極める。

「当行もそろそろと思っておりましたので、大蔵省担当の伊佐早《いさはや》五郎をはじめ、総務課あげて、検査日の情報収集に当らせておりましたところ、つい三日ほど前、当行の前回の膨大な検査資料が、某係官の机の上に拡《ひろ》げられてあったという情報が入りました、彼らは検査に行く前は必ず、前回の資料を見ますから、ほぼ間違いないと判断されます」

「うむ、そこまで解ったのなら、早急《さつきゆう》に各担当役員に帳簿関係の整備をさせるが、今期の検査の問題点は、どんなところにあるか、そして主任検査官は誰になるのか、出来得る限り、手を廻して情報を取るようにし給え」

 検査の問題点と、主任検査官の得手《えて》.不得手《ふえて》によって、検査の重点が違って来るのだった。

「かしこまりました、それも目下当らせておりますので、解り次第ご報告申し上げます」

 芥川が云うと、万俵はデッキ.チェアにのびのびと体を伸ばし、空を見上げたが、胸中では、金融検査官に、自行の実態を見破られてはならないどころか、実態以上の『講評』をこの際、書かせるように仕向けねばならぬと考えた。

「もしもし、小池先生のお宅でいらっしゃいますか、こちらは万俵でございますが、万俵二子《つぎこ》がレッスンに伺っておりませんでしょうか、えっ、参っておりません――、どうもお邪魔申し上げました」

 相子は、先程から同じ電話を何本もかけていた。二子が出かけていそうなピアノ、フランス語のレッスン先、美容院、友人の家など、心当りに電話をしたがつかまらない。時計を見ると、細川一也《かずや》が、二子を訪ねる約束の午後二時に、十分前であった。さすがの相子も、気が気ではない。相子はまたダイヤルを廻した。大介の実妹の石川千鶴《ちづる》のところであった。

「もしもし、あっ、千鶴さま、ご機嫌よろしく、そちらへ二子さん、お邪魔致しておりませんこと? いえ、別にたいした用件じゃございませんけど、ちょっと急ぎますもので、じゃあ、ご免遊ばせ」

 長電話になりそうなのを慌《あわただ》しく、きった。昨日《きのう》、細川一也から、帝国製鉄大阪支社へ出張して来ているので、明日の土曜日の午前中に仕事をすませ、午後二時から一時間ほどお邪魔したいという電話があり、相子は留守中の二子に代って、喜んでお待ち致しますと応《こた》え、二子には、今日はそのつもりでと云っておいたのである。またダイヤルを廻しかけると、下の門から車が上って来る音がした。相子は仕方なく受話器を置き、玄関へ向った。

 車が停まり、細川一也が降りて来た。サイド.ベンツのスーツを着こなし、ボストン眼鏡をかけた顔に微笑をうかべ、カーネーションの大きな花束を抱えている細川一也は、身長百八十センチ、容姿端麗、東大法学部出身、帝国製鉄秘書課勤務――と、すべてがあまりに整い過ぎているだけに、一種の滑稽味《こつけいみ》さえ感じられたが、相子は、

「まあ、細川さま、ご機嫌よろしゅう、よくお運び下さいました」

 先にたって応接室へ案内した。寧子も帯を胸高に締めた和服姿で出迎え、

「ようお越し下さいました、まあ、きれいなカーネーション、お紅をさしたようなお色でございますこと、あのう……」

 二子のことを云いかけるのを、相子は素早く遮《さえぎ》った。

「さあ、どうぞ、こちらへごゆるりと――」

 スペイン風の皮椅子《いす》をすすめ、

「いかがでございます、神戸のご感想は?」

「はあ、山と海に挟《はさ》まれた緑の多い町ですね、殊《こと》に今も残っている古い異人館は珍しいですね、たしか明治五年頃、海岸通りに建った異人館が最初で、その後、北野町の山手に移り、英国人ハッサム氏が和洋折衷《せつちゆう》の面白味を生かして作った建物が、代表的な異人館だと、記憶しております」

 相変らずの博学多識ぶりを披瀝《ひれき》しながら、二子が姿を現わさないのが気になるのか、落着きがなかった。相子は約束の時間を過ぎても帰って来ない二子に苛《いら》だちを覚えながらも、この場を取り繕う口実を考えていた。

「ほんとうにお待たせして申しわけございませんわ、実は二子さんは、正午から親友のご結婚披露宴がございまして、そちらの方へ参っているのでございます――」

「けど、二子は、今日、お洋服で……」

 寧子が否《いな》むように云いかけると、

「ええ、今日は友人代表で祝辞を述べられるので、裲襠《うちかけ》姿の花嫁さまをお引きたてする意味で、洋装で出かけたのですが、もちろん、細川さまとのお約束の時間には遅れないよう帰宅致すことになっておりますのに、申しわけございません」

 相子は恐縮しきったように云った。細川一也はやっと自尊心を保たれたように、

「そうでしたか、それなら僕の方が、出張で来て、勝手な申し出をしたようですね」

「とんでもございません、私がちゃんと今日の二子さんの予定を知っておりましたら、昨日のお電話で、ご迷惑をおかけしないようなお返事が出来ましたのに、私がついうっかり致しましたばっかりに――」

「いえ、予定の取り間違えなどということは、たまにあるものです、どうかこれ以上、お気遣いなく――」

 細川一也はそう云い、気取ったポーズで足を組み直し、運ばれて来た紅茶を口にしたが、相子は、約束の時間を過ぎても、帰って来ない二子の行動が気になった。まさかすっぽかすようなことはしないと思うものの、ドレスの背中が汗ばむ思いだった。

 扉《ドア》をノックする音がした。ほっとして振り返ると、二子ではなく齢嵩《としかさ》の女中であった。

「あのう、お電話でございますが――」

「あら、二子さんからなの?」

「いいえ、それが……よそさまからでございますが……」

 口ごもるような気配を感じ取り、相子は、

「細川さま、ちょっと、失礼、ご免遊ばせ」

 応接室を出て、廊下の受話器を取りかけると、女中は声をひそめた。

「実は只今《ただいま》、お嬢さまからお電話がございまして、どうしても帰れないから、細川さまにはおよろしくとおっしゃるなり、がちゃりとおきりになって――」

「まあ、何というへま[#「へま」に傍点]を――どこからかけて来たのです?」

「それがお聞き返しする暇《いとま》もなく、申しわけございません……」

「間抜けね、あんたに謝って貰《もら》ったって、しようがないのよ!」

 吐き捨てるように云ったが、細川一也に、重ねて何と云い繕えばよいか、弁解に窮した。この縁談の橋渡し役である小泉元駐仏大使夫人の、「およろしければ私、腕によりをかけて、このカップルを成功させますわ、私、動き出したら止まらない方でしてよ」という言葉が、まざまざと思い返され、応接室へ引っ返すことが躊躇《ためら》われた。といって、総理夫人の甥《おい》であり、昨日から約束をしておいた細川一也を、このまま待ち惚《ぼう》けさせるようなことは出来ない。相子は瞬時、考えあぐねて、廊下に突ったっていたが、やがてことさらに困惑しきった表情で、応接室に戻った。

「細川さま、どう致しましょう、只今、ご婚礼先さまの方からお電話があり、大臣をはじめ知事、市長などの来賓のご祝辞が続いて、一時間以上も進行が遅れ、二子さまは二時までにご帰宅になれませんので、是非ともご諒承《りようしよう》願いますということなのです」

 と云うと、細川一也は白けるように口を噤んだ。寧子が、

「他《ほか》のことと違うて、おめでたい御《ご》祝儀《しゆうぎ》のこととて、中座出来かねるのでしょうから、待ってやって戴《いただ》きとう存じます」

 おろおろとした様子で云うと、

「はあ、僕もできましたら、お待ちさせて戴きたいのですが、今夜は東京で出席しなければならない会合がありますので、二子さんとは日を改めて、お目にかかりたいと存じます」

 夜の会合のことは、昨日の電話の時から聞いていたことであったが、相子は内心、ほっと安堵《あんど》し、

「ほんとうに重ね重ね、私の不調法で、悪《あ》しからずお許し下さいまし、どうか小泉夫人はもとより、伯母上の佐橋総理夫人にもよしなにお願い致します」

 穏便にという意味を籠《こ》めて云った。

「僕こそ、出張中に勝手に押しかけたことなど解りますと、伯母に叱《しか》られますからね」

 と笑ったが、二子と会えぬことが心残りらしく、気落ちした表情で席をたった。相子は寧子と並んで、細川一也を送る車が玄関のロータリーを廻って見えなくなるまで見送りながら、むらむらと突き上げて来る二子に対する怒りを抑えていた。

 車が見えなくなると、相子はすぐ邸内の池の東側にある鉄平の住まいに足を向けた。邸内には、桜が咲き乱れ、池の端まで来ると、足音を聞きつけた三十数尾の鯉《こい》が群れをなして浮かび上って来たが、相子は見向きもしなかった。

 テラスにたつと、居間に小学校二年生の太郎の姿が見えた。

「おばちゃま、どうしたの」

 日頃、親しみのない相子を怪訝《けげん》そうに見た。

「ちょっとね、パパはいらっしゃる?」

 鉄平は土曜日でも帰宅が遅いと聞いていたが、もしやと考えて来たのだった。

「あら、気付かないで失礼しましたわ」

 早苗《さなえ》が顔を出した。

「鉄平さんは、相変らず土曜日でもお仕事のご様子なのね」

「ええ、いつもこんな風なんですよ、でも今日は、先程、電話がかかって、二子さんが会社へいらしたそうで、一緒に帰宅すると云って来ましたわ」

「まあ、二子さんが――」

 相子は、大きな眼をきらりと光らせた。

「二子さんは、よく鉄平さんの会社へいらっしゃるの」

「ええ、時々、お食事やお小遣いのおねだりにいらっしゃるみたいですけども、主人はそれを結構、喜んでいるみたいですわ」

 と云い、お茶の用意をしかけたが、こともあろうに、細川一也を待ち惚けさせた二子が、鉄平の会社へ行っていたのかと思うと、相子は胸の中が煮えくりかえって来た。

「いえ、お茶は結構よ」

 怒りを抑えた声で云った時、玄関に車の停まる音がし、

「おや、珍しいな、あなたがうちへ来るなど――」

 鉄平が、居間へ入って来た。

「お帰り遊ばせ、今日は二子さんとご一緒だったんですって?」

「ええ、今、あちらの家へ降ろして来たところですよ」

 上衣《うわぎ》を早苗に渡しながら云うと、

「鉄平さん、ひどいじゃありませんか」

 不意に激しい言葉が、相子の口をついた。鉄平はあっけに取られた。それが相子にはわざとらしく見え、

「白っぱくれないで下さいな、昨日からのお約束で、細川一也さまが訪ねて来られたというのに、あなたと二子さんが共謀して、すっぽかすなど、あまりにひど過ぎるじゃありませんか」

 さらに気色ばむと、鉄平はやっとことの成行きが解《わか》ったように、

「そういうことだったんですか、お昼過ぎに突然、二子がやって来て、社員食堂でいいから食事をしたいと云い出すから、どうしたんだと理由《わけ》を聞いても、なにも答えず、結局、社員食堂でおし黙ったまま食事したんだよ、様子がへんなので、仕事のきりがついたのを機会《しお》に、一緒に連れて帰って来ただけのことなのにいきなりひどいの、共謀のといわれては、こちらこそ迷惑千万だな」

 ぎょろりとした眼を、相子に向けた。

「迷惑なのは、こちらですわ、この間だって、オリエンタル.ホテルで、二子さんと一之瀬四々彦《いちのせよしひこ》さんを混じえて、三人でお食事なさろうとなさったじゃありませんか、せっかく細川一也さまとのお縁談《はなし》が進みかけている時に、妙なことをなさらないで下さいな」

「妙なことって、あれも二子にせがまれて一之瀬君を招《よ》んだわけで、君がとやかく云うことはないだろう、この際、断わっておくが、一之瀬君に対しては、二子の方が積極的なんだ」

「まあ、積極的、二子さんの方が……」

 相子は言葉を跡切《とぎ》らせ、

「それであなたは、二子さんと一之瀬さんとの間をどうお考えになっているのです」

「正直なところ、僕は、万俵家で一人ぐらい、恋愛結婚する反逆児が出てもいいんじゃないかという気持と、そのために苦労はさせたくないという気持と、半々だな」

 率直に云うと、

「ご冗談はお止《よ》し遊ばせ、万俵家の結婚のルールを守って、二子さんから一之瀬さんをきっぱりと遠ざけて下さい、そうして戴けなければ、お父さまに申し上げますわ、細川家との縁組はお父さまが決められたことでございますからね」

 相子は、高飛車に云った。

 *

 午前八時半というのに、阪神銀行の頭取室には、もう万俵大介が机の前に坐《すわ》っていた。ここ数日来、万俵の出勤は早い。大蔵省が阪神銀行に対して行なう気配が濃厚となった銀行検査に備えるためであった。

「頭取、お早うございます」

 経理担当の大亀《おおがめ》専務が、肥満した体で入って来た。

「お早う、君も、このところ早いね」

「どうも家におりましても、落ち着きませんので、つい――、それより何か検査のことで解りましたことでも――」

 大亀は、いつもの温和な表情をせわしなく動かした。格別、大きな不祥事件を引き起したり、あるいは巨額の不良貸付が発生した年度でなくても、大蔵省の銀行検査というのは、国税庁の査察を受けるような名状し難い不安感を伴うものであった。

「まあ、そこへ坐り給《たま》え」

 万俵は、近くのソファを眼で示し、

「昨夜、芥川常務から自宅へ電話がかかって来、検査項目及び主任検査官の名が、ほぼ確定的に掴《つか》めたと報《しら》せて来たよ」

「それはよかったですね、今回の検査のポイントはどんなところです?」

 大亀は、体を乗り出した。

「第一は、景気がやや翳《かげ》りをみせはじめて来たことに鑑《かんが》み、中下位行の大口貸金の査定を特に厳重にせよ、第二は、統一経理基準の実施に伴い、収益構造をよく分析せよ、第三は、役員関連の貸金、つまり情実貸金をよく洗え、第四、步積《ぶづ》み両建《りようだて》、第五、預金の特別利子を厳しくチェックせよという五項目が眼目になるらしい」

「なるほど、その中でも特に重点的な項目は、一と二でございましょうね」

 確かめるように大亀は云った。第三の情実貸金以下、步積み両建、特別利子の項目は、銀行検査における定例的な項目だったからである。

「その通りだ、第一の中下位行の大口貸金の査定を厳しく行なうということは、大蔵省が今後、景気のかなりな落込み、中小企業の倒産、業績不振を深刻に考えている証拠だが、当行がチェックされそうな貸出先というと、どんなところだと、君は考えるかね」

「そうですね、関西車輛《しやりよう》、ワールド電気、姫路紡績、江州《ごうしゆう》商事は要注意圏内だと覚悟しております」

 銀行検査近しの情報を得るや、連日連夜、全行挙げて帳簿の整備に当り、ことに貸金の洗い直しは力を入れて行なっていたから、大亀はよどみなく返答した。

「阪神特殊鋼は、大丈夫だろうね」

「現在までのところ、問題点はさしてないと存じますが、念のため、融資担当の渋野常務には、詳しくここ二年間の業績の推移を報告させ、例のアメリカン.ベアリング社のキャンセルによる輸出前金の返済に伴う融資の件以外は、ひっかからぬように説明の要領を充分、研究させてあります」

 阪神銀行にとって、最も密接な関係にある企業であるだけに、万遺漏《ばんいろう》なき構えで対処するように云うと、万俵は安心しきれぬ表情で、

「次に統一経理基準実施による収益構造の手直しについては、うまく切り抜けられそうかね」

「明石《あかし》駅前の土地を処分して、利益金に組み入れた件でございますか? あれも何とか突っ撥《ぱ》ねられると存じます、その他《ほか》、注意しなければならないのは、昨年の万国博の用地買収に伴う土地代金の預金獲得で、大口預金者に行なった特別利子の優遇措置、そして先月末に西宮支店で起った五百八十万円の現金紛失事件でございますね」

 声を潜《ひそ》めるようにして云った。

「あれは、まだ犯人が解らないのか」

 万俵は俄《にわ》かに、不機嫌極まりない語調で聞いた。行内で現金が紛失することは決して珍しいことではなく、年に十数件、額にして数千万円を下らない。しかもそうした数字はあくまで行内監査でひっかかって明るみに出たもので、実際の件数と金額は、はるかにそれを上廻っていることは確かであった。紙幣そのものが商品である銀行にとって、一番、頭の痛い問題だが、犯人がなかなか発見できないのも、銀行内の現金紛失事件の特色であった。

「申しわけございません、本店検査部で追及中ですが、集金して金庫に入れるまでの間に関係者は三人しかおらず、犯人はその一人に違いないらしいのですが、依然として黒白がつかないようです」

「銀行検査を前に、綱紀粛正をやかましく通達した矢先というのに、全くなっていない、ともかく全力を挙げて犯人割出しに当り、穴埋めをしてしまうことだ、この際、大蔵省にたとえ一枚の始末書でもとられるのを避けなければならぬことは、大亀君、君自身が一番よく知っているだろう」

 語気を強めて云った。大亀は大きく頷《うなず》き、

「それから主任検査官は、どんな人物でしょうか」

「森永俊次というキャリアの課長補佐だ」

「すると、齢《とし》はまだ若いのでしょうね、その森永課長補佐というのはどんな経歴なんですか」

 若ければ与《くみ》しやすい反面、エリート官僚だけに、別の面で警戒しなければならなかった。

「芥川の話では、もともと銀行局畑の人物で、入省してすぐ銀行局総務課に入って、暫《しばら》く金融政策の勉強をしたらしい、そして五年後に山梨の税務署にいわゆる“学士署長”として転出、二年後に証券局係長として本省に戻り、すぐまたIMF事務局へ海外出向したそうで、銀行局検査部に帰って来てからは、まだ間もないということだ」

「なるほど、典型的なエリート官僚ですね、それで派閥は?」

「うむ、私もそれが気懸《きがか》りで、芥川の電話のあと、すぐ美馬に問い合せたのだ」

「じゃあ、美馬さんのよくご存知の人なんですか」

 美馬がよく知っている人物なら、永田派であり、政治資金を追及される危険もなかったが、反対の田淵派となると、田淵へもぬけ目なく保険つなぎの献金をしているとはいえ、安心出来ない。

「美馬は、森永検査官をよく知っていたが、今のところ無色透明だと云っていたよ」

 万俵はそう応《こた》えながら、昨夜、娘婿《むすめむこ》の美馬と交わした電話のやり取りを思い返した。美馬は、「お舅《とう》さん、昨今、三十四や五で、何々派なんてレッテルを表示する馬鹿《ばか》は大蔵官僚におりませんよ、四十過ぎて八方美人じゃあ二股膏薬《ふたまたこうやく》と軽んじられますが、三十代で八方美人というのは、マイナスどころか、それが最上の保身術です、十年先の大蔵省の派閥地図なんて、誰にも解りゃあしませんからねぇ」と、いつもの鼻にかかった声で云ったのだった。

 机の上の直通電話が鳴った。万俵は、すぐ受話器を取り上げた。芥川からであった。

「もし、もし、只今、日本橋支店へ森永主任検査官と二名の検査官が現物検査に入りました」

 本店検査を前に行なう支店の抜打ち検査のことで、その第一報を、芥川が緊張した声で伝えて来た。

「いよいよか――、すると、もう一カ店、やられるわけだな」

 万俵も、声を引き締めた。

「はい、次席検査官の班が、次はターミナルのどこかの支店を狙《ねら》って行くと思いますが――」

「この分だと本店検査は、いつ頃になりそうだ」

「多分、一週間程、後になると思います、森永主任検査官は、昔の美馬さんのように、いわゆる若手エリート、次席の法華《ほつけ》という検査官は“鬼の法華”といわれるベテラン中のベテラン検査官ですから、万端のご用意は怠りないとは存じますが、なお一層のご準備の程をお願い致します」

 芥川の声が、万俵の耳朶《じだ》を搏《う》った。

 それから一週間経《た》った火曜日の朝、阪神銀行本店の東側玄関に二台の大型車が横付けされた。守衛たちはさっと威儀を正し、出迎えていた融資部長、総務部長、秘書課長も緊張した視線を車に向けた。大蔵省銀行局検査部の本店検査が、いよいよ今日から行なわれるのであった。

 新大阪駅まで迎えに行っていた芥川常務の先導で、車から降りたった六人の検査官は、玄関の階段を上り、一同が恭《うやうや》しく立礼する中を、まっすぐエレベーターで三階の役員ゾーンへ向った。

 奥まった頭取応接室の前まで来ると、先導役の芥川常務は、

「どうぞ、こちらで万俵頭取はじめ役員一同、お待ち申し上げております」

 と云い、検査官たちの入室をすすめた。森永主任検査官ほか五名の検査官が中へ入ると、広い応接室に、万俵頭取を中心に、大亀、小松専務と、渋野、荒武《あらたけ》、舟山、新井の四常務がずらりと列《なら》んでいた。

「検査官は、どうぞこちらの方へ――」

 最後から入った芥川が、検査官たちに上座をすすめ、テーブルを挟んで向い合うと、

「ご遠路を恐縮でございます、万俵でございます」

 万俵は、慇懃《いんぎん》に初対面の挨拶《あいさつ》をした。六人の検査官の中で最も齢の若い、見るからに俊敏そうな顔付をした主任検査官が、

「銀行局検査部の課長補佐、森永俊次です、本日より御行本店に対し、銀行検査をさせて戴《いただ》きます、これはその検査命令書です」

 きびきびとした口調で、命令書を示した。

  検査命令書

 今般、銀行法第二十一条(検査権)に基き貴行に対し、大蔵事務官森永俊次を主任として、検査を命じる

 昭和四十四年四月十日

大蔵大臣 永田  格

阪神銀行頭取 万俵大介殿

 万俵は、大蔵大臣の捺印《なついん》のある検査命令書に眼を通し、

「諒承《りようしよう》致しました」

 落ち着き払った声で、応えた。先導役の芥川は、

「では、検査に先だち、当行の役員をご紹介させて戴きます」

 大亀専務以下、役員を紹介すると、森永主任検査官は、自分を補佐する次席検査官はじめ、五人の検査官を紹介した。次席検査官は、三十五歳のエリート主任検査官とは対照的に、五十歳前後の、この道二十数年のベテラン検査官であった。

「法華です――」

 人を食ったような横柄《おうへい》さで会釈《えしやく》した。頭が丸坊主《ぼうず》で、眼光ばかり鋭く、まるで海坊主のように異様なその容貌《ようぼう》に、万俵をはじめとする役員たちは、不気味なものを感じた。

 検査官の紹介が終ると、森永主任検査官は、少しでも無駄な時間をはぶくように云った。

「早速、検査を開始させて戴きます」

「かしこまりました、別室をご用意致しておりますので、ご案内申し上げます」

 芥川がたち上ると、万俵もたち、

「では、何かとよろしくお願い致します、検査期間中、円滑にお仕事が進行致しますよう、当行挙げてご協力させて戴く所存でおりますから、何なりとご遠慮なくお申しつけ下さい」

 森永主任検査官と法華次席検査官の両方に向って云った。微妙なニュアンスが多分に含まれる言葉であったが、森永主任検査官は、

「ご配慮どうも――」

 言葉短かに応え、検査官たちと出て行った。今日から三週間にわたり、六人の検査官によって、貸金、預金、外国為替、有価証券、不動産、資金繰りなど、阪神銀行の経営内情がつぶさに洗われるのであった。

 芥川と渋野の両常務に案内されて、検査官は、三階東棟の二室続きの応接間に入った。銀行検査で一番の重要事は、なんといっても貸金の査定であったから、最初の五日間は、全検査官がこれにかかりきる。

 机の上に山と積まれた貸出し調査表や関係書類の前に坐ると、検査官たちは、融資部員を傍《そば》におき、直ちに検査にかかった。予《あらかじ》め銀行側に記入させた会社別の貸出し調査表をもとに、貸金と担保の明細書、それに決算報告書をも参考につき合せ、不良貸金か否《いな》かの査定にかかる。問題のない貸金は一分類とし、問題のある貸金については、その不良度によって、二分類(長期化した貸金)、三分類(回収に疑義のある貸金)、四分類(回収不能の貸金)と細かく仕分けられ、この分類査定が、銀行経営の優劣を決める大きなきめ手となる。それだけに銀行側としても一步も譲れず、検査官側と銀行側との間に、火花の散る攻防戦が展開されるのだ。

「君、このワールド電気の過去二年間の貸金の稟議書《りんぎしよ》の綴《つづ》りを持って来て貰《もら》いたい」

 家電メーカーとしては中堅どころのワールド電気の査定をしていた法華次席検査官が、傍《かたわ》らに控えている融資部次長に云いつけた。

「はあ、何かご不審の点でも――」

 ワールド電気は、カラーテレビのモデル.チェンジに失敗し、不良在庫を十数億もかかえて、経営不振に喘《あえ》いでいたが、融資部次長は何食わぬ顔で、聞き返した。

「去年、下期《しもき》からの一億六千万円の貸金は、相当不良化しておるようだな、担保もろくにないんじゃないかね」

 法華検査官は、赤鉛筆で机の上を叩《たた》くようにして云った。

「いえ、そんなことはございません、坪八万円の工場敷地を三千坪、ちゃんと取っており、担保に不足はないと存じますが」

「坪八万――、たしかにこの貸出し調査表にもそう書いてあるが、考えられない評価だな」

 と云い、若い融資部員が持ってきた稟議書の綴りをひったくるように取ると、馴《な》れた手つきで、ぱらぱらと綴りを繰り、またたくうちに、その裏付けとなる稟議書を探しあて、素早く要点を拾い読みした。

「ええっと……、今般一億六千万円の運転資金の申し出があるが、モデル.チェンジに失敗した在庫が少なくとも二十億を下らず、実質三十億以上の含み損は確実と思われる……一方、同社担保の評価額は過大である、したがって今般の融資については特に諒承はするが、以後、新規貸出しは厳重に避けること……」

 法華検査官は、濁声《だみごえ》で読み上げ、融資部次長に稟議書の綴りを突きつけた。

「この通り融資部でも回収に疑義あることを認めておるから、三分類だ」

「そりゃあ、酷でございますよ、その時点ではともかく、最近はスーパー.マーケットとのタイアップで、経営状態はとみに改善の兆《きざし》が見られていますから、貸金長期化の二分類で勘弁して下さい、お願いします」

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