饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15387 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 低姿勢で、頼み込んだ。

「国民大衆から預かっている預金の使い道にさじ加減など出来んね、三分類だ」

 にべもなく突っ撥《ぱ》ね、海坊主のようなぎょろりとした眼を一段と光らせると、法華検査官の向い側に坐《すわ》っている別の検査官が、

「ほう、アメリカ向けの輸出キャンセル――、そうすると、このベアリングは、そのまま不良在庫になるわけですな」

 阪神特殊鋼の貸金査定をしているのであった。説明に当っている融資部長は、

「いえ、阪神特殊鋼のベアリングは、品質と技術が優れておりますので、むしろ売手市場でして、不良在庫などとは、いささかお考え過ぎかと存じます」

 アメリカン.ベアリング社向けの輸出キャンセルによる滞貨であったが、金融検査官には、ベアリングの規格が、国内と国外で全く異なることまで解《わか》らなかったから、落ち着き払って応えた。

「貸した貸金が返って来ないとは云わないが、貸金の性質としては問題があり、長期化の二分類に入りますね」

 厳しくチェックし、さらに高炉建設の設備資金表を見、

「それにしても、えらく過大な設備投資ですねぇ、特殊鋼業界は、好.不況の波が非常に荒いだけに、一度、不景気風が吹くと、こんなぎりぎり一杯の背伸びをしている状態では、会社の存立基盤そのものが、危うくなりかねませんよ」

「しかし、阪神特殊鋼の高炉建設は、五年前から綿密に資金繰りを考えて計画し、通産省にもお認め戴いておりますので――」

「通産省がよく認可したものですね、だがくどいようですが、鉄鋼市況が悪くなった時には、協調融資をしている他行の動きに注意し、メインのおたく一行で背負い込むような羽目にならぬよう、くれぐれも注意することですな」

「ご忠告のほど、よく心致しておきます」

 融資部長は、検査官が阪神特殊鋼の融資に対して強い警戒を持っていることに内心、忸怩《じくじ》たるものを感じたが、その時、また法華検査官の声が響いた。

「君、山田興産って、これは何をする会社かね」

 濁声が異様に高いのは、よほどの不良貸付を見つけたらしい。

「不動産の斡旋《あつせん》、ビルの賃貸が主な業務です」

 融資部次長は、動揺しそうになる顔色を抑えた。

「ふうむ、東京麹町《こうじまち》にある資本金三千万の不動産斡旋会社へ、貸出し金の残高が二十億とは、随分、妙じゃないか、運転資金もろくに必要のない会社に、何のためにこんな多額な金を融資したのかね」

“鬼の法華”といわれる面目躍如とした追及であった。

「それはですね、昭和二十八年に山田興産が、神田橋に延《のべ》二千坪の貸ビルを建てた時に融資したものでして――」

「で、建築資金は?」

「それが、三億七千万でした」

「じゃあ、あとの十六億三千万は、どこへ消えたのかね」

 畳みかけるように、声に凄味《すごみ》を帯びていた。返答に窮した融資部次長の顔から、血の気が退《ひ》きかけた時、

「法華君、その件については僕が聞いていますよ」

 背後《うしろ》から主任検査官の森永俊次が、口を挟んだ。

「ほう、主任が? そりゃあまた、どういうことなんです?」

 法華は、むっとした語調で問い返した。

「いやね、つい先程、芥川常務から説明を聞いたばかりだから、あとで君に詳しく説明しますよ」

 暗にこれ以上、突っつくなという意味合いが籠《こ》められていた。それは永田大蔵大臣への政治資金だった。法華検査官は、自分より一廻り以上も若くて、しかも伝票と帳簿のつき合せ方もろくに知らない森永が、エリート官僚というだけで主任検査官におさまり、銀行幹部と政治的な取引までしていることに、万年冷飯食いの下級官僚独特の陰険な反撥《はんぱつ》を示し、すぐには引き下らなかった。

 有馬川沿いの高みにたった『飛雲閣』の岩風呂《ぶろ》の窓から、六甲山脈と丹波高原に挟まれた有馬温泉の街が一望のもとに見渡せた。夕方の温泉街は、そこここの旅館から白い湯煙がたち、薄暮の中で夜の灯《あか》りが点《つ》きはじめている。眼の下の川沿いの道には、どてら姿の遊び客や座敷に向う温泉芸者の姿が見え、大阪、神戸に近い温泉場らしい賑《にぎ》わいがたちはじめていた。

 阪神銀行の芥川常務と大蔵省金融検査官の法華は、そんな温泉街の景色を眺めながら、広い浴場に二人きりで浸《つ》かっていたが、互いの胸の中は、一風呂などとは程遠い心境であった。芥川は、頃加減の湯に浸かりながら、むっつりと押し黙っている法華に、

「ねえ、法華さん、くどいようですが、この間の件は、いろいろといりわけがございまして、主任検査官の耳に、先に入ってしまったんですが、当行としては、この道二十数年の検査のベテランである法華さんをさしおいて云々《うんぬん》、などという意図は、毛頭ありませんよ」

 湯面に頭をつけんばかりにして云った。

「いりわけねぇ、そのいりわけが、私には今もって、とんと解《げ》せませんでねぇ」

 湯気で海坊主のように赭《あか》らんだ顔を横向けたまま、法華はうそぶくように云った。既にそれは万俵頭取と繋《つな》がっている永田大蔵大臣への政治献金であるらしいと感付いていたが、法華よりはるかに若輩のエリート官僚である森永主任検査官と先に話をつけたことが、法華の心証を害しているのだった。ざぶりと岩風呂から上ると、法華は石鹸《せつけん》を体にこすりつけ、

「私は夕食を食べたら、大蔵省できめられているように、公務員宿舎へ帰りますから、バスの時間を調べておいて下さいよ」

「とんでもない、せっかく有馬温泉まで気晴らしに来たのですから、今夜は一晚、この芥川に付き合って下さいよ」

「いや、銀行のそうした接待には一切、応じることを禁止されていますから、私は最終のバスででも、帰りますよ」

 重ねて素っ気なく断わられると、芥川は、つと法華の傍《そば》へ寄り、

「そんなにいじめないで下さいよ、この通り――」

 と云うなり、流しの上で頭を下げ、法華の手から手拭《てぬぐ》いを取り、背中を流しにかかった。さすがの法華も虚を衝《つ》かれたように、

「三助《さんすけ》の真似《まね》など、冗談じゃありませんよ、阪神銀行の常務ともあろう人が――」

 首を振ったが、芥川にとっては、“鬼の法華”と云われるベテラン検査官を骨抜きにするためなら、三助でも、くも助の真似でも辞さぬ気であった。手拭いに力を籠め、

「じゃあ、ご機嫌を直して、今夜は付き合って下さいますね」

 さらに下手に出ると、

「そこまで云われては、帰れませんな」

 大儀そうに、芥川の接待に応ずる気配を見せた。

 湯上りのどてら姿で座敷へ戻ると、既に酒肴《しゆこう》の用意が整えられ、

「ようお越しやす」

 五人の芸者が、並んで待っていた。すべて芥川が、事前に女将《おかみ》に連絡し、お膳《ぜん》だてしておいたのだった。

「さあ、お一つどうぞ――、今晚は、わてらでお座敷さして戴《いただ》きまっさ」

 年嵩《としかさ》の芸者が、座を取りしきるように云った。女将の気配りで、日本髪の鬘《かつら》をつけ、裾《すそ》を長くひいていたが、温泉芸者らしいうらぶれがどこかにある。その中で一人だけ、はっと眼を見張るような若い妓《こ》がいる。顔だちにはまだ野良《のら》の陽灼《ひや》けが残っているような田舎くささがあるが、十八、九歳のはち切れるような若さが眼を惹《ひ》いた。

「さあ、雛菊《ひなぎく》ちゃん、旦那《だんな》さんにお酌をさして貰いなはれ」

 年増《としま》芸者が、若い妓の肩を押し、

「これでも一昨日《おととい》、二十《はたち》になったばっかしですよって、違反やおまへんでぇ」

 未成年を売りものにするような云い方をすると、丸坊主の法華の眼が、卑猥《ひわい》に光った。芥川はすかさず、

「雛菊とは、似合いの名前だね、それで郷里《くに》はどこなんだい」

 法華の注意をひくように、雛菊に聞いた。

「鳥取県と岡山県の境で、寒いとこやけど、ええとこです」

 鳥取訛《なま》りで応《こた》え、

「さあ、旦那さん、わてのお酌で、どうぞ――」

 顔に似合わぬ大人びた仕種《しぐさ》で酌をすると、法華は相好を崩し、

「ほんとに可愛《かわい》い妓だな、芸は何か出来るのかい」

 盃《さかずき》を空けながら云った。横から年増芸者が、

「なんし、まだ出たばかりで、芸なし猿でっさかい、わてが代りに勤めさして貰いまっさ」

 と云うなり、三味線を取って、お座敷唄《うた》の『日本一』を賑《にぎ》やかに弾き、雛菊も一緒になって唄い出した。

「旦那さんのお名前、法華やなんて、お坊《ぼん》さんみたいやこと、お寺さんですのん?」

 唄の合間に雛菊が、あどけない笑顔で聞くと、法華はやに下った顔で、

「坊主《ぼうず》なら、生臭坊主というところだが、あいにくそうじゃなくて、会社勤めだよ」

「会社て、何する会社ですのん?」

 法華が困った顔をすると、芥川が、

「不動産会社の社長さんだよ」

「まあ、ほんなら、うちにも安うて、ええ土地、世話してほしいわ」

「土地か、なるほど、それなら万俵不動産にでも頼んでやるか」

 法華は、先日来の貸金査定で、阪神銀行と万俵不動産の間にも、巧妙な経理のからくりがあるのを調べていて、それをあてこするように云った。芥川が気詰りになりかけた時、からりと襖《ふすま》が開いた。

「よう、法華君、久しぶりだね」

 元大蔵省金融検査官で、現在、阪神銀行の系列である姫路の白鷺《しらさぎ》信用金庫の常務理事におさまっている田中松夫であった。曾《かつ》てはくたぶれたぶら下りの既製服を着、角ばった顔に丸縁眼鏡をかけていた田中松夫が、いまは金縁眼鏡をかけ、服も金目のかかったダーク.スーツを着て、中小企業の重役タイプに変身している。

「田中君じゃないか、どこの会社の重役かと思ったよ、それにしても奇遇だなあ」

 愕《おどろ》くように法華が云うと、芥川が、

「実は、田中さんもお招きしていたのですよ、こんな機会はめったにないと思いましてねぇ」

 検査部で同僚だった二人を等分に見比べて云った。田中は、

「いや、君がこちらへ検査に来ていると常務から伺ったので、僕の方から一度、会いたい旨《むね》、申し上げたのだよ、それにしても相変らず、検査の旅がらすかい、覚えがあるよ、十年一日の如《ごと》く、殆《ほとん》ど家をあけての男やもめの旅がらすだものな、しかし、眼光紙背に徹する“鬼の法華”の令名は、ますます高まる一方らしいな」

 と云いながら、趺坐《あぐら》をかくと、法華は酒気に染まった海坊主のような顔に、にやりとした笑いをうかべ、

「鬼どころか、仏の法華だよ、その証拠に検査をはじめて半月以上になるというのに、まだ臭い匂《にお》いを嗅《か》ぐだけで、獲物《えもの》を掴《つか》まえられなくてねぇ」

 怪しい点は多々あっても、ずばり大きな摘発が出来ていないという意味であった。田中松夫は、法華の盃に酒を注《つ》ぎ、

「そうかい、鬼の法華といわれる君が、三日洗えば、解らんことはないだろうに――、だが法華君よ、役所にいると世間のことは解らんよ、僕も外へ出てみて、世の中というのは筋や理屈だけで動かんことが解ったよ」

「なるほど、世間ねぇ、君も変ったな」

「そうかもしれない、しかしどうせエリートという特急列車に、次々追い抜かれる三等列車並のノン.キャリアは、今のうちに、世間を勉強しておくことだな」

 田中は、幾分うしろめたそうな笑いを見せ、ぽんと法華の肩を叩《たた》くと、

「さあ、今夜は一つ、芥川常務のお言葉に甘えて、楽しくやろうじゃないか」

 と景気づけた。年増芸者は心得顔に、

「ほんなら、“浅い川”をやりまひょ」

「いややわ、あんなお尻《いど》まくり!」

 他の芸者たちは、悲鳴をあげたが、それでも三味線が鳴り出すと、四人は揃《そろ》って次の間の敷居際《ぎわ》に並んだ。

浅い川なら 小褄《こづま》をとりて

深い川なら 帯を解く……

 賑やかに囃《はや》し、唄いながら、着物の裾を端折《はしよ》って、浅い川を渡る仕種をしたが、次第に深い川へ入って行くにつれ、長襦袢《じゆばん》の裾をまくり、膝《ひざ》を出し、太股《ふともも》まで見せて、ぱっとうしろ向きに腰巻をまくり上げた。赤い腰巻の下に四つの尻《しり》が列《なら》ぶと、二つはむっちりとした尻だったが、あと二つは脂肪肥《ぶと》りの贅肉《ぜいにく》が垂れ下っていた。そして、ほい! とかけ声をかけると同時に、くるりと前向きになり、黒いおまえを見せたが、雛菊のそれだけは、河原の薄《すすき》のように可愛かった。法華はごくりと、生唾《なまつば》を呑《の》んだ。

「どうです、この辺であの妓と――」

 芥川が囁《ささや》くように云った。法華が躊躇《ためら》うような様子を見せると、田中が、

「じゃあ、僕はそのお隣を戴くよ」

 と云うなり、法華がたちやすいように、先に席をたった。田中が席をたつと、法華ものっそりと席をたった。雛菊と寝るためだった。やがて、雛菊も年増芸者に押し出されるように座敷を出て行った。すべて芥川が女将と打ち合せ、示し合せた通りの運びであった。

「旦那さんは、どないしはります?」

「僕かい、僕ならその踊りだけで結構だ」

 芥川は温泉芸者など眼もくれぬように云い、安サラリーの中年男が小便くさい温泉芸者といちゃつき、交わる光景を思い描き、卑猥な笑いがこみ上げて来たが、大亀専務の夜の誘いを体《てい》よく断わった森永主任検査官の、役員面接と頭取面接が、近々に迫っていることを思い出して、顔から笑いが消えた。

「どうもお時間をお取りしました、これで役員面接は終りました」

 主任検査官の森永が、きりっとした眼《まな》ざしで、大亀専務に向って云うと、大亀は肥満した大きな体でほっと息をつき、

「どうも、口べたなものですから、ご満足戴けるような答えが出来ましたかどうか――、私以下八人の役員たちも含めまして、よろしくお願い致します」

 役員応接室の大きな机を挟んで向い合っている若い森永主任検査官に向って、深々と一礼した。役員面接は、一人一人の役員に個別に面接し、その経営理念から日常業務、或《あ》る時は私生活に至るまでを審査し、講評するのであったから、審査を行なう主任検査官の態度には、大蔵省銀行局の権威を笠《かさ》に着る尊大さがあったし、面接を受ける役員たちは、まるで入社試験を受ける学生のように緊張していた。

「では、これから頭取面接でございますね、早速、万俵がこちらへ伺います」

 大亀が云うと、

「いや、私の方が伺いましょう」

 さすがに一行の頭取、それもオーナー頭取として鳴っている万俵大介を呼びつけることを遠慮したのか、自分の方からたち上った。

「では、ご案内させて戴きましょう」

 大亀が恐縮するように森永主任検査官を先導し、役員応接室の斜め向いの頭取室の扉《とびら》を開くと、万俵は、回転椅子《いす》からたち上って、森永を迎えた。

「これは恐縮です、ご連絡下されば私がそちらへ参りましたのに――」

 と云い、ソファをすすめた。弱冠三十五歳のエリート官僚は、臆《おく》する様子もなく、

「ご多用中、恐縮ですが、頭取に二、三、お伺いしたい点があります」

 やや気負うように云った。

「なんなりと、どうぞ――」

 万俵は、銀髪端正な姿勢を崩さず、英国紳士然とした一分の隙《すき》もない容姿で応えた。

「現在、頭取として頭を痛めておられる問題は、どういうことでしょうか」

 慇懃な語調で質問をはじめた。

「そうですね、やはり行員の教育、人材の問題です、特に近い将来、金融機関も国際競争場裡《り》にたって鎬《しのぎ》を削らねばならぬことを考えますと、国際的な知見と頭脳を持った人材を開発することが急務で、それに頭を痛めております、したがって当行では、戦後、入行した者を取締役に登用し、外国部の業務を担当させております、もう一つは、中央の情報不足に頭を痛めております、本店が神戸にある関係上、ともすれば情報のキャッチに遅れるのです、もちろん、当行東京事務所長の芥川常務はよくやってくれていますが、なかなか万遺漏なくというところまで参りませんので、これをご縁にせいぜい、面倒をみてやって下さい」

 芥川はむろんのこと、娘婿《むすめむこ》の美馬中《あたる》まで使って、大蔵省の高級情報を手に入れておきながら、万俵大介はぬけぬけと云った。

「次に来年三月期から実施される配当の自由化について、どう考えられますか」

「私は、統一経理基準が実施された当初から、銀行の経理といえども、公開性の原則に従うべきだと思い、かねて覚悟をしておりました、今般の配当の自由化によって、従来以上に経営上の格差、優勝劣敗がはっきりとして来ますが、当行は、人並の配当が維持出来る自信があります、そしてここでさらに、当行の経営全般にわたって徹底的な見直しを行ない、その成果を配当率で世に問いたいと思っております」

 統一経理基準が実施された当初から、いち早く、今日あることを見通していた銀行家の言葉であった。

「では金融再編成について、ご意見を承らせて戴きたい」

「金融機関の再編成が必要だということについては、私もかねがね考えております、しかし大銀行が、金融再編成の流れを悪用して、さらに巨大化するのは、日本の一般産業界にとって好ましいことではなく、かつ、世間の批判をかうことにもなると懸念《けねん》致します、したがって、いたずらに規模の巨大化を目指すより、真に経営効率の高い銀行が、体質の劣る銀行と合併することによって、銀行界全体の力をつけ、今後の国際競争に備えて行くのが、必要だと思います」

“小が大を食う”合併をもくろみ、そのために春田銀行局長を混じえた五行連合の会を作り、その中から恰好《かつこう》の相手をつまみ食おうとしていながら、そんな素振りは[#「口+愛」、第3水準1-15-23]《おくび》にも出さず、一般論として意見を述べた。

「じゃあ、御行《おんこう》は金融再編成に備えて、どのような対処の仕方を考えておられますか」

「私は前々から、預金量の大小のみを競う業界の風潮にはあきたらぬものを感じており、量より質、効率の向上ということを機会あるごとに、行員たちに訴えて来ました、したがって一口に合併と云っても、これは吸収される側にとって、企業の存立にかかわる問題でありますから、そう簡単に実現するとは思えませんが、いかなる事態になっても、当行は生き延び得る銀行となるため、従来以上に体力の蓄積を心がけております」

 オーナー頭取らしい自信に満ちた応え方をすると、森永は思わず、万俵の言葉に惹《ひ》き入れられるように、

「現在、何か具体的に進んでいるお話がおありじゃないのですか」

「いや、とても、とても――、いろいろと私なりに考えはありますが、何分、相手があってのことですからねぇ、ただ私の持論としているのは、いたずらに図体《ずうたい》が大きいというだけをもって、大が小を食う合併は無意味であり、たとえ図体が小さくとも、内容が整っておれば、小が大を食っても結構じゃないかという風に考えていますが、いかがでしょう」

 にこやかに笑いながら、さらりと云ったが、見事な応えであった。三つの答えのどれ一つを取ってみても、銀行家としての鋭い冴《さ》えがあった。しかも、その冷厳端正なる姿勢に相応《ふさわ》しく、私生活の乱れを云々《うんぬん》されるような気配一つなかった。

「こちらがお伺い致したい点は、以上です、興味あるご意見を伺わせて戴きました」

 森永が云うと、万俵はインターフォンを押して、お茶を運ばせ、寛《くつろ》いだ表情で、

「失礼ですが、森永さんのご入省は何年でいらっしゃるのです?」

「三十一年です」

「ほう、お若うございますね、不躾《ぶしつけ》な申し上げようですが、とてもお齢《とし》には見えぬお仕事ぶりでいらっしゃいますね」

 相手の自尊心をくすぐるように云い、

「主計局次長をしております美馬は、私の長女の婿ですが、美馬も若い時、当行へ検査に参り、その検査ぶりの見事さを見込んで、娘を娶《めと》って貰《もら》った次第なんですよ」

 大蔵官僚である相手の自尊心をさらに持ち上げるように云うと、

「美馬さんには、私も可愛《かわい》がって戴いております、何しろ頭がきれて、腹の出来た方なので、私たちの間でも信望が厚いのですよ」

 森永も、美馬を持ち上げるように云い、

「失礼ですが、美馬さんの奥さまは、非常におきれいな方ですね」

「いや、それほどでもありませんよ、あの程度なら――」

 娘のことだけに謙遜《けんそん》するように応じると、

「いいえ、お世辞でなく、ほんとうにおきれいな方で、この間、オーケストラを聴きに参りました時、遠くからお見受けしましたが、日本人ばなれしたエキゾチックなお顔に、洋服がぴったりお似合いでした」

 万俵は思わず、口を噤《つぐ》んだ。森永のいうのは、娘の一子《いちこ》ではなく、自分の愛人の相子であった。しかし、一行の頭取の私生活をもチェックする金融検査官の前で、狼狽《ろうばい》の色は見せられない。万俵は咽喉《のど》に熱い渇きを覚えながら、

「それはまた、えらくお褒めに与《あずか》って、娘に伝えましたら、恐縮することでしょう」

 やっとそう云い、

「いかがです、今日は森永さんのために、ずっと時間を取ってありますから、晚餐《ばんさん》をご一緒に――」

 と誘うと、森永はもう、主任検査官の表情に戻り、

「いえ、いささか仕事に疲れておりますし、それに今夜は、神戸にいる大学時代の友人と気楽に飲む約束をしているものですから」

「それは残念です、じゃあ、東京で、美馬を混じえて、一度ゆっくりご一緒させて戴くことに致しましょう」

 万俵はそう云い、ソファからたち上ると、自らエレベーターまで見送り、

「では何かと、およろしく――」

 森永が書くであろう講評を頭に思いうかべながら、恭《うやうや》しいまでの鄭重《ていちよう》さで見送った。

 *

 万俵鉄平は、専務室の窓際に突ったち、暗い表情で工場内を見詰めていた。二十五万坪の敷地に並ぶ電気炉工場や圧延、製管工場の棟々から伝わって来る電気のアークする震動音や金属音には曾《かつ》てのような活気はなく、資材や製品を運ぶトラックの出入りも少なくなって、僅《わず》かの間に悪化した阪神特殊鋼の経営状態を反映していた。

 鉄平は、机の上の書類をもう一度、手に取った。それは営業担当の川畑常務が提出した緊急の稟議書《りんぎしよ》で、阪神特殊鋼の大口取引先である日本自動車に対して、特殊鋼の納入価格を大幅に値下げした数字が並んでいる。つい二カ月程前までトン当り八万五千円で納入していた軸受鋼《じくうけこう》が七万五千円に、四万五千円だった構造用鋼が三万九千円にまで下っている。

「こんなめちゃな値引きがあるものか!」

 歯ぎしりしながらも、三月下旬頃から急激に悪化した特殊鋼業界の現状を考えると、認めざるを得ない数字であった。それも、もとを糺《ただ》せば、昨年暮のアメリカン.ベアリング社の船積みストップが原因していた。その滞貨分の転売先と新規取引先を獲得するために、営業担当の川畑常務が先月も二度、渡米したが、アメリカが不況で特殊鋼の需要が停滞しているために、不成功に終ったのだった。そこで、穴のあいた全生産量の三割は、国内向けの製品に切り替え、国内で売り捌《さば》くよりほか、仕方がなかった。その時の苦しまぎれのダンピングが、折からのベアリング業界の不況ムードに火を点《つ》け、思いもかけぬスピードで、特殊鋼業界全体の値引き競争を引き起してしまったのだった。したがって、国内向けの販売が少々増えても、同業間の激しい値引き競争と、それにつけ込む取引先の徹底的な買い叩《たた》きで、その分の利益は吹っ飛び、さらに今後、不況が産業界全般を掩《おお》うことになれば、販売価格は低落し、製品を作っても、売れば売るほど赤字になる。

「鉄平君、鉄平君ったら――」

 声がし、振り返ると、社長であり、叔父である石川正治がたっていた。

「どうかしたのかね、ドアをノックしても返事がなく、ぼんやり突ったって――」

 鶴《つる》のような痩身《そうしん》で、怪訝《けげん》そうに聞いた。

「何でもありませんよ、それより何かご用でも――」

「ほかでもない、来月の社の創立記念行事のことだが、ロータリー.クラブで、中松宮ご夫妻が中国縦貫道路の建設状況ご視察のため、来月下旬に当地へお見えになると聞き及んでね、昨今は宮さま方も割合、気軽に民間企業の記念行事にご臨席下さるそうだから、特殊鋼業界初の高炉建設をご覧戴きかたがた、ご臨席願えれば盛大だと思ってねぇ」

 お飾り餅《もち》的な社長の気がねはあったが、今からそれを楽しみにするように云った。鉄平の眉間《みけん》にぐっと太い皺《しわ》が寄った。

「せっかくですが、今、社は記念行事どころじゃありませんよ」

 言下に反対すると、石川正治はその語気の強さに、驚くように口を噤んだが、

「だって、いくら不景気といっても、宮さまご夫妻をおもてなしする接待費まで不自由していないだろう、東京からわざわざお招き申し上げるのでなく、おついでにお立寄り願うのだからねぇ」

 思い切れぬように云った。

「叔父さん、社長として、会社の事態の深刻さをもう少し、ご認識になって下さい」

 鉄平はそう云うと、手にしていた川畑常務からの稟議書を、突きつけた。

「ご覧のように、日本自動車は一カ月前に五~六パーセントの値引きを云って来たかと思ったら、今度は一〇~一三パーセント引きにしろと叩いて来ているのです、部長クラスの事務ベースでいくら何でもと蹴《け》ると、東都特殊鋼が一〇パーセント引きで売り込んで来ているので、どうしても阪神特殊鋼がそこまで値下げ出来ないのなら、他《ほか》の自動車メーカーとの競争上、やむを得ぬから、安い方の東都特殊鋼から買うと高姿勢で云って来ているのです、日本自動車は当社の大口得意先だけに、向うの云い分を断わって取引を失えば、さらに下廻る価格で別の販路を捜さねばなりませんが、高炉建設で他社より固定費の負担の大きい当社の現状を考えると、それも出来ず、向うの云い値に応じるほかありません、日本自動車一社に値引きすれば、早晚、他社への価格も雪崩《なだれ》式に値崩れするでしょう」

 切迫した事態を説明し、

「そんなわけで、社長の経費も節減して戴きますから、ご諒承《りようしよう》下さい」

 びしりと云った。ゴルフと宴会好きの石川正治もさすがに不満そうな顔をした時、経理担当の銭高常務が、口髭《くちひげ》をたくわえたねっそりとした顔を覗《のぞ》かせた。

「只今《ただいま》、大同銀行の橋爪神戸支店長が見えられ、ちょっと専務にお会いしたいそうでございますので、ご案内したのですが――」

 扉《とびら》のところにたっている橋爪支店長を顧みた。

「どうも、突然、お邪魔申し上げまして――、これは石川社長もお揃《そろ》いで――、いつもお引きたて戴いております」

 橋爪支店長は、低いもの腰で挨拶《あいさつ》した。鉄平はソファをすすめ、

「お世話戴いているのは、こちらの方です、三雲《みぐも》頭取はお変りございませんか」

「はい、先日、融資会議で本店へ参りました時、顔を合わせまして、特殊鋼業界が不振な折から、御社の様子をしきりと気に致し、万俵専務によろしくとのことでございました」

 石川社長が同席しているにもかかわらず、橋爪支店長は専《もつぱ》ら、鉄平の方を向いて話し、

「ところがその融資会議の席上、業界が不況に落ち込んでいる最中だけに、御社から提出されている向う四カ月間の資金計画を、もっと削減できぬかという意見が強うございまして――」

 と切り出した。大同銀行に対する借入れは高炉建設のための設備資金が月平均三億、そして運転資金の借入れ増加が三億ずつ増え、今期六月~九月の四カ月間の資金計画は計二十四億に膨《ふく》れ上っているのだった。

「そう云われますと、心苦しい限りですが、こう市況が悪くなりましては、高炉が完成して、コストの安い製品が出来るようになるまで、何とか御行《おんこう》にお力添え戴くほかありません、むろん、当社としてもその間、間接費や研究開発費を出来うる限り抑え、真剣に不況対策を考えております」

 鉄平が云うと、石川正治も横から大きく頷《うなず》いたが、橋爪支店長は俄《にわ》かに改まった口調で、

「その高炉建設のことですが、景気が回復するまで、一時、中止されるおつもりはございませんか」

 と云った。阪神銀行が融資比率を徐々に低め、その分、大同銀行の融資がせり上って来るにつれ、大同銀行は以前とは比較にならぬ力を阪神特殊鋼に持ちはじめているのだった。

「しかし、急にそう云われても、高炉はあと二カ月で完成するのですから……」

 石川正治が戸惑うように云うと、

「それは承知しています、しかし、実際に稼動《かどう》するまでには、もう少し長くかかるんでございましょう?」

 橋爪支店長は、踏みこむような聞き方をした。鉄平は、

「失礼ですが、高炉建設の一時中止は、三雲頭取のご意向なんですか」

 憤《いきどお》りを抑え切れないように聞いた。

「いえ、その時の会議で、そういう意見が強く出たものですから、ご参考までに申し上げているのです、不況が特殊鋼業界のみならず、産業界全般にひろがり、しかも長期化するようなことになりますと、特殊鋼の需要はさらに減退しますから、高炉が出来て、ロウ.コストの製品がつくれたとしても、売れなければ負担はさらに大きくなるばかりで、危険ではないかと――」

 橋爪支店長は、自分の派閥の長である融資担当の綿貫千太郎専務の主張を代弁するように云った。

「おっしゃる懸念《けねん》はもっともだと思いますが、もう八分どころ以上出来上った高炉建設を、今さら中止することはできません、設備資金の金利の返済一つとっても、操業が遅れれば、それだけ回収が遅くなります、それより早く高炉をつくって、コストを下げ、売値の値下りをカバーすることの方が本筋ではありませんか、もし本店融資部の方で、中止意見が強いようでしたら、融資担当の綿貫専務に直接、足を運んで、お願いしましょうか」

 橋爪支店長と綿貫専務の繋《つな》がりを知らない鉄平は、体を乗り出して云うと、橋爪は急に狼狽《ろうばい》した表情で、

「いえいえ、高炉建設については、三雲頭取がご決断になり、今もその方針には何ら変更がありませんので、どうかご心配なく、私はただ、厳しくなる一方の業界の情勢にどう対処して乗り切られるおつもりか、それをお伺いしたくて、ちょっとお寄りしたまでのことですから」

 俄かに言葉を濁して、蒼惶《そうこう》と席をたった。

 橋爪支店長が帰ると、秘書がお茶をさげかたがた、夕刊を持って来た。鉄平は夕刊を拡《ひろ》げ、思わず、眼を見張った。

 一面トップに“大蔵大臣、景気引締め政策を発表”という大きな見出しがあり、続いて、“金融引締め、鉄鋼、自動車、家電は深刻な不況に”というゴチックの見出しが並び、永田大蔵大臣の顔写真が載っている。鉄平は暗い胸騒ぎを覚えた。

 乃木《のぎ》神社の緑が見下ろせる小泉元駐仏大使のマンションの客間《サロン》で、相子は先刻《さつき》から夫人と話し合っていた。

「ええ、ようござんすとも、何しろ当人の細川一也の方は、最初にお目にかかった時から乗り気で、この間、大阪へ出張した時もお訪ね申し上げた様子じゃございませんか、ですから、もうこのカップルは成功したのと同じでございますよ、私と又従姉妹《またいとこ》の佐橋総理夫人の周子《かねこ》さんも、このお縁談《はなし》を耳にして、関西のご名家の万俵さまならと、ついこの間、お噂《うわさ》していたところでございますのよ」

 小泉夫人は、自分の又従姉妹のことをわざとらしく総理夫人と云うと、狆《ちん》のように寸詰りで鼻の低い顔をつんとそらせた。相子は、紺《こん》のアンサンブルの胸もとに真珠のブローチをつけ、どこまでも万俵家の家内《いえうち》を取り仕切る女執事然とした慎しさで、

「まあ、佐橋総理夫人にそんな風におっしゃって戴き、光栄でございますわ、万俵の方でも、ここまでお縁談《はなし》が煮詰って参りましたからには、正式のお見合いをさせて戴きたいと申し、今日はそのお取りきめを致したいと存じまして――」

 と云うと、小泉夫人はフランス.ジョーゼットのブラウスの袖口《そでぐち》から香水の香りを撒《ま》き散らし、大きな身振りで、

「そう、そのご両家の正式のお見合いのお場所に、私も頭を痛めておりますのよ、近頃の女性週刊誌は、芸能人の結婚に食傷して、上流階級の子女の結婚に眼をつけはじめておりますでしょ、それだけに総理夫人の甥《おい》と、関西の名家の令嬢の結婚ともなれば騒がれますから、東京ではまずいですわね、高須さま、あなた何か、ご名案がなくって?」

「さようでございますね、では双方、京都あたりでお出会いして、嵯峨《さが》の吉兆ででも京料理を戴きながらというのは、いかがでございましょう」

「それはようござんすわ、それならマスコミの眼にふれないし、第一、一也の父は、京都というと眼のない人ですからねぇ」

 一也の父の細川信也は、日本を代表する著名な建築家で、文化功労章を受章した人物であったし、一也の母の実家も、大手建設会社の出であった。もちろん、相子は、京都という土地柄だけではなく、そうした点も織り込んで云ったのだった。

「それから、もし失礼でございませんでしたら、一也さまの伯母さまの総理夫人も、京都見物をかねて、ご一緒にいかがでございましょう」

 煙草《たばこ》を喫《す》う小泉夫人の手が止まり、まじまじと相子を見詰めた。

「あなたって、なかなかやり手でいらっしゃること、外国流にいえば、万俵家のゼネラル.マネージャーというところね、京都の嵯峨野の新緑を賞《め》でながらのお見合い、トレビアン!」

 小泉夫人は、見合いもさることながら、豪奢《ごうしや》な京都見物を楽しむように表情を息づかせ、

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