饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15376 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 と云うなり、電話をきった。

 シガー.ケースから葉巻を取り出して火を点《つ》けると、万俵は、「阪神特殊鋼がよくて、アサヒ石鹸が何で悪いのだ」という綿貫千太郎の言葉を反芻《はんすう》した。たった今、芥川に、綿貫には自身で会うと特に云ったのは、もしここで綿貫千太郎の依頼に応じて、アサヒ石鹸の融資を承諾すれば、ことによっては、大同銀行の生抜き専務である綿貫の首根っこを抑えられるかもしれぬという考えが閃《ひらめ》いたからであった。

 万俵は、暫《しばら》く葉巻をくゆらせ、考えをめぐらせていたが、去年の十一月、三雲と丹波まで猪《しし》撃ちに出かけた鉄平の話から、三雲のアキレス腱《けん》は阪神特殊鋼だと直感したことが、妙に生々しく思い返され、今、聞いたばかりの綿貫の言葉と重なった。

 万俵は、インターフォンで速水を呼び出した。

「すぐ鉄平に電話してくれ給え、さっきはああ云ったものの、考えてみれば、君の云うのも一理あるからね」

 先刻《さつき》とは打って変った声で云い、鉄平が電話口に出ると、

「もしもし、私だ、何とか時間のやり繰りをして五時半なら会えるよ」

 穏やかな声で伝えると、鉄平のほうが困惑するように、

「それが、お父さん、申しわけないのですが、先程、時間がとれないとおっしゃったもので、他《ほか》の約束をし、実はこれから大阪の新町《しんまち》のつる乃家《のや》へ行くところなのです」

「なに、つる乃家で宴会かね」

「いえ、そうではなく、老女将《おかみ》が、三年越しに病んでいる疝痛《せんつう》がだいぶ悪いらしく、床につきっきりなので、見舞う約束をしてしまったところです」

「ほう、わざわざあの老女将の見舞をねぇ」

 曾《かつ》て祖父の愛妾《あいしよう》だった女将を、たかが疝痛ぐらいで見舞に行く鉄平に、厭《いや》みな云い方をした。

「ほんとうに申しわけありません、それで今夜、帰宅しましてから、お父さんの書斎の方へでも伺ってはいけませんでしょうか」

 鉄平は、すまなさそうに云った。

「しかし見舞こそ、そう急ぐことはあるまい」

「そうなんですが、つい忙しさにかまけて、もう二度も約束をすっぽかしていますので、速水君からお父さんの都合がつかないと連絡があった直後、今から行くと電話してしまったのですよ」

 心情が籠《こも》っているだけに、万俵はさらに不快になりながらも、

「お前は案外と義理固いのだねぇ、じゃあ、こうしよう、私も長い間、老女将に会ってないし、病気と聞いては亡《な》くなった父が最後まで面倒をみていた女だけに、見過すことも出来ない、お前と一緒につる乃家へ行こうじゃないか」

「え? お父さんが、いらして下さるんですか、そうして戴くと、さぞ老女将も喜ぶでしょう、では僕、すぐそちらへ伺います」

「うむ、あの女将の好物というと――」

「好物は若狭《わかさ》の小鯛《こだい》のささ漬《づけ》ですが、私が用意しております」

「まるで息子のように気が利《き》くじゃないか、ついでのことに私の手土産も見つくろっておいて貰《もら》いたいねぇ」

 と云い、電話をきった。

 名神高速を突っ走り、大阪の新町に着いたのは、七時を過ぎたばかりであったが、古い花街らしく、玄関に長い暖簾《のれん》を掛けたり、軒灯《のきあか》りを点《つ》けた昔風のお茶屋のたたずまいが、ところどころに見られた。大介はそうした風情《ふぜい》に眼を止め、

「この頃、大阪も南と北の花街が栄え、新町は取り残されて行く一方だが、やはり近松が書いた夕霧伊左衛門の時代からの花街というのは、いい風情だな、昔は、神戸では目だつからと、父に連れられて、私もよく遊びに来たものだよ」

 昔を懐《なつ》かしく思い出すように云い、

「お前はつる乃家を、ちょくちょく、使うのかい」

「ええ、大阪関係の接待によく――、そうでない時もお茶漬を食べに寄ったりすると、老女将が齢《とし》のせいか、最近は殊《こと》に喜びましてねぇ」

 鉄平は、大介と並んで車のシートに背をもたせ、白い歯をみせて笑った。

 車がつる乃家の前に停まると、男衆《おとこし》と仲居が出迎え、

「ようお越しでございました、義母《はは》もお待ち致しております」

 東京店から看病に来ている娘の芙佐子《ふさこ》も、玄関の暖簾をかき分けて出迎えた。

「やあ、暫く会わぬうちに、すっかり女将が板についたね、老女将の様子はどんな風なのかね」

 大介が芙佐子に声をかけると、

「お出迎えは失礼させて戴《いただ》きましたが、奥でお待ちさせて戴いております」

 と云い、奥座敷へ案内した。襖《ふすま》を開けると、敷居際《ぎわ》で、平常《ふだん》着《ぎ》に黒紋付の羽織を着た老女将が、二人を迎えた。

「なんだ、病気で臥《ふ》せっていると聞いたのに――」

 鉄平が驚くように云うと、

「とんでもおまへん、先代さまのお跡を継がれておられる頭取さんがお運びやしておくれやすのに、臥せったままやなど――」

 と云い、大介の方に向って居ずまいを正し、

「お久しゅうおます、日頃はご無沙汰《ぶさた》ばかり申し上げておりますが、先だってのご盛大な先代さまの十七回忌のご法要には、遠くからお詣《まい》りさせて戴きました、先代さまのおかげをもちまして、老後もこない結構に過させて戴いております、その上、本日は、私奴《め》のためにおみ足を頂戴《ちようだい》致しまして、御礼の申し上げようもござりまへん」

 病人にもかかわらず、昔風に座蒲団《ざぶとん》を敷かず、三つ指をつき、作法通りの挨拶《あいさつ》をした。

「いや、いつまでも亡父に仕えて下さるその気持有難う、私もこのところやたらに忙しく、鉄平と用談する暇《ひま》も無かったところ、ぽっかり時間が空いたからと云ってやると、こちらへ見舞の約束があるというので、久しぶりにやって来たわけで、体の工合は、どんな風なんです?」

 いたわるように云うと、

「おおきに有難うさんでおます、三年来の疝痛の発作が、この頃、きつうおまして――けど、こうして頭取さんとぼんぼんとがお見えやすとは夢みたいでおます、頭取さんとは何年ぶりのことでっしゃろ、お若い頃、時々先代さまとご一緒においでやして……、けど、こうして、お二方、お揃《そろ》いになりはりますと、まるで……」

 と云い、言葉を跡切《とぎ》らせた。大介はちらりと眼を動かし、

「鉄平が、亡父とよく似ていて、まるで昔、そのままみたいだというのだろう」

「さよでおます、それにわては、何というてもぼんぼんのご安産を願うて、石切《いしきり》神社へお百度を踏みに行かせて戴いただけに、こないにごりっぱに大きなお仕事をしてはるお姿を拝見すると、嬉《うれ》しゅうて嬉しゅうて、その上、わてを見舞うて下さり、ほんにお心のお優しいお方……」

 涙ぐむように云い、疝痛が起るのか、腰のあたりに手をやりかけると、大介は、

「無理をしないで、早く床についた方がいいよ、医者はちゃんとした先生に診《み》て貰っているんだろうね」

 酒肴《しゆこう》を運んで来た芙佐子に聞いた。

「ところが、なにしろお医者嫌いで、頭取さんから叱《しか》って戴きとうございますわ」

 若女将が云うと、老女将は徹底した医者嫌いらしく、

「よう効く漢方薬を煎《せん》じて飲んでますよって、大丈夫でおます、ほんならお二方のご用談の前に、おひとつお酌をさせておくれやす」

 急に若やいだ声で云い、大介の傍《そば》ににじり寄って酌をはじめた。その所作《しよさ》は、疝痛で臥せっている六十近い病人とは思えぬほど、ほんのりとした艶《つや》めきがあった。そして鉄平にも酌をし、ごゆるりとと云い、気をきかせるように芙佐子を伴って、座敷を退《さが》った。

 二人になると、大介は、

「さすがは曾《かつ》ての名妓《めいぎ》だけあって、ぬき衣紋《えもん》にした肌の白さは色っぽいね、老残の香りというのは、ああいうのを云うんだろうな」

 盃《さかずき》を含みながら云うと、鉄平も、

「それを云うと、若女将がいつも、やきもちを焼くんですよ、口惜《くや》しい、口惜しいって」

「だが、若女将の方もなかなか色っぽくて、いい女じゃないか、お前は、お祖父《じい》さんに似て、若いのに似合わず、お座敷遊びの方が好きらしいが、ああいうタイプが、お前の好みじゃないのかい」

 自らは妻妾同衾《さいしようどうきん》の生活を営みながら、子供たちの前ではあくまで謹厳な表情を崩さない大介が、いつになくくだけた口調で云った。鉄平は内心の動揺を押し隠すように、

「そんなことありませんよ、それよりお父さん、この間からお願いしている来期の融資の件、どうぞお認め下さい」

 単刀直入に切り出した。

「うむ――、資金繰り表を見たが、大分、苦しそうだな」

「はい、業界のダンピング競争はますます激しくなっておりますので、この間、大手特殊鋼メーカー七社が集まって不況カルテルを結ぶ話合いが行なわれたのですが、その口のうらから、抜けがけする会社があり、なかなか足並が揃《そろ》わないのです、ここ当分はまだまだ値引き競争は止《とど》まる見込みがありません、加えてこの間の永田大蔵大臣の金融引締めの政策転換以来、全般的な不況がきて、特殊鋼の需要も下り坂の一方で、目下の業績はほんとうに苦しいです」

「しかし、それでも高炉建設は強引に推し進めるつもりらしいね」

「もちろんです、何しろもう完成寸前のところまで進んでいますので、やり遂げたいと思っています」

 きっぱりとした口調で云いきった。

「しかし、お前のところの経理担当の銭高常務の話では、大同銀行の方も、高炉建設は一時、中断した方がいいのではないかと、云って来ているらしいじゃないか」

「ええ、神戸支店長はそう云っているんですが、先日、上京して三雲頭取にお目にかかった時の話では、それは融資担当の綿貫専務の考えであって、三雲頭取ご自身は、現在の不況に挫《くじ》けず、予定通り完成してほしいと思っておられ、逆にお励ましを戴きました」

 父の注《つ》いでくれた盃を手にして応《こた》えると、

「そうか――、すると、いつだったか、そうそう、お前が三雲さんと丹波へ猪《しし》撃ちに行った時、三雲さんは、阪神特殊鋼が世界の特殊鋼となることに賭《か》けると云って下さったと、お前はえらく感激していたが、それに対して、私は銀行家たる者が賭けるということなどあり得ない、お前の考えは甘いよと云ったのは、どうやら私の考え違いだったらしいな、三雲頭取はほんとうに、とことん、阪神特殊鋼の面倒をみるというわけだねぇ」

 万俵は、確かめるように云い、再び鉄平の盃に酒を満たした。正月の雉《きじ》撃ちの時の誤射事件以来、妙によそよそしさが増していた間柄だけに、鉄平は最初のうちは、父の胸中を測りかね、気味の悪ささえ感じていたが、久しぶりに打ち解け、自分の話に身を入れてくれる父に、次第に温かいものを覚え、返盃《へんぱい》すると、大介もぐいと空けた。

「それだけに、なんだろうね、三雲頭取は、メインで、しかも父親が頭取である阪神銀行が、いくら資金ポジションが悪いからとはいえ、このところ大同銀行にもたれかかり過ぎていることに対して、あまりいい感情をもっておられないだろうねぇ」

「その辺の事情は、よく説明してご理解戴いているつもりです――、そして来期六月~九月の二十四億円の融資額を諒承《りようしよう》して下さる時、冗談に、もうここまで来たら、後に退《ひ》くに退けない、私はもう鉄平君と一緒に高炉に賭けてしまったから、万一の時は心中ものだねぇなどとお笑いになりましたが、僕はその言葉を聞いて、体が震えるような緊張を覚えました」

 その瞬間、大介の眼が不気味に濡《ぬ》れ光った。

「お父さん、何か?」

 鉄平が訝《いぶか》るように、父の顔を見た。

「どうしたのだね、私の顔が、どうかしたのかい」

 大介は胸中を見取られまいと、慌《あわ》てて盃を手にし、鉄平の視線を避けた。

「いえ、今、お父さんの顔が……」

 と云いかけ、鉄平は口詰った。一瞬であったが、父の眼に青い炎のような色が燃えたったのは、父の胸中を何が横切ったのか、或《ある》いは自分の眼の錯覚か――。

「おかしな奴《やつ》だな、今晚はお前、よほど疲れているのじゃないかね」

 そう云われてみれば、疲れた体にたて続けに盃を重ねたせいかもしれない。鉄平は料理に箸《はし》をつけ、再び三雲の協力ぶりを熱っぽく話した。

「じゃあ、お前も、三雲さんに無理心中などさせないように、ますます頑張らなくちゃあ、いけないね」

「そりゃあ、もう――、お父さんにも何かとご無理を申し上げますが、来期二十億の融資の件は、是非ともよろしくお願い致します」

「その融資の件だがね、この間の当行の銀行検査の時、案の定、資金ポジションが悪いのに、阪神特殊鋼のみに貸込み過ぎだと指摘されたので、半分ぐらいしか出せないのだよ」

「そんな、半分だなどと……」

 鉄平の顔から、血の気が引いた。

「いや、最後まで私の云うことを聞くものだよ、半分しか出せないが、今後、不況がいつまで続くか解《わか》らないとすると、高炉の資金計画一つ例にとっても、従来の計画を修正しなければならないかもしれない、そうなると、国内の金融情勢が引締めになっている時だけに、資金繰りの安定のためにも、外国銀行からのインパクト.ローンを導入してはどうかと思うのだよ」

 万俵は、料理を口に運びながら云った。

「しかし、急にそんな風に云われましても――」

「それは、当行の保証で、イースト.アメリカン.バンクにでも頼んでみよう、ただ問題は、大蔵省の国際金融局の許可だが、これも、美馬の線で何とか優先的に取り計らって貰えるように頼めばいい」

「なるほど、ですが……」

 そうした面に暗い鉄平が、不安な面持でなおも躊躇《ためら》いかけると、

「まあ、こういうことは頭取たる私に任せておくことだ、私だって阪神特殊鋼の将来については、お祖父さんに勝るとも、劣らぬ心配をしているのだよ、こんな打ちとけた話をお前と出来るのも、お祖父さんの妾宅だったつる乃家だからかもしれないな」

 大介は、しみじみとした表情で云ったが、鉄平は、父である大介がまさか、阪神特殊鋼をトリックにして、阪神銀行の野望を遂げようと考えついたとは、夢にも考え及ばなかった。

 万俵家の大門が、重々しい軋《きし》みをたてて開かれると、大介と鉄平を乗せたベンツは、そのまま本館の玄関に続く緩い坂道を上って行った。

 大介は、ヘッド.ライトに照らし出された坂道の向うから、自分の帰りをききつけて疾走《しつそう》して来る三頭のファウン.グレートデンに眼を向けながら、

「今晚は久しぶりに楽しかった、それに老女将もあんなに喜んでくれると、見舞に行った甲斐《かい》がある」

 上機嫌に云うと、鉄平も、

「僕もこのところ、酒を飲む相手というと、足もとをみて買い叩《たた》いて来る販売先か、平身低頭して金を借りねばならない銀行ばかりですから、今晚のようにうまい酒は、ほんとうに久々でした」

 ここちよく酔いの廻った口調で応えた。

 車がロータリーの植込みを廻り、本館の玄関の前で停まると、ポーチのところに、妻の寧子だけが出迎えていた。

「お帰りなさいまし――」

 くせのない髪を束髪に結い、胸高にきちっと帯をしめた寧子は、深々と一礼して夫を迎えたが、車の中から鉄平が顔を覗《のぞ》かせると、

「まあ、鉄平、今晚はお父さまとご一緒でしたの」

 大介は、銀平と一緒の時はあっても、鉄平と一緒のことなど、めったになかった。

「ええ、是非ともお願いしたいことがあったので、大阪のつる乃家で、今までご一緒していたのですよ」

 鉄平が快活に応えると、寧子の臈《ろう》たけた雛《ひな》人形のような顔がかすかに動いたが、

「……それはおよろしかったこと、入ってお茶でも飲んでいきなさい」

 優しい頬笑みをうかべた。

「ところが、明日は朝が早いので、そうもしておられないのです」

「そう、じゃあ早うお寝《やす》みなさい、随分、会社の方が忙しいそうですが、あまり無理をしないで――」

「解ってますよ、ではお父さん、今晚はいろいろと有難うございました、あのインパクト.ローンの件は、よろしくお願いします」

 阪神特殊鋼に対する融資は半額に削られたが、そのかわり国内の金利より安い外国銀行の資金導入の面倒をみようと約束してくれた父に、もう一度、念をおすように云うと、

「うむ、努力してみる」

 と頷《うなず》いた。

 鉄平の乗った車が動き出し、大介と寧子が玄関の中へ入ると、相子が姿を見せた。

「お帰りなさいまし、お電話がかかっていましたので、お出迎え出来ませんでしたけれど、どなたかお客さまでも?」

「いや、鉄平と同じ車だったのだ」

「おや、鉄平さんと? お珍しいですこと」

 皮肉っぽく大介を見上げたが、居間に入るとすぐ、

「のびのびになっていた二子さんのお見合いのお日取りが、やっと六月十日に本決まり致しましてよ、今のお電話はそのことで、小泉夫人からでしたの」

 息づくような表情で、告げた。

「今度こそ動かないだろうね、いくら佐橋総理夫人の都合第一といったって、当初の五月二十日の予定が、一度ならず二度までも変更されては、こっちだってたまったものじゃあないよ」

 決まりかけては、その都度、佐橋夫人の都合で変更され、既に半月ほど延びていることを不快げに云うと、

「佐橋夫人も、その点は非常に気になさっておられ、もう動きませんわ、お見合いのお場所はやはり、嵯峨の吉兆で昼食をしながらというご希望ですので、私、早速、お見合いに合わせた佐橋夫人の京都見物の予定を組みますわ」

 昂《たかぶ》った語調で、さらに表情を息づかせた。

「ですけれど、肝腎《かんじん》の二子が参りますか、どうか――」

 相子の昂りと反対に、寧子は案じるように顔を曇らせた。二子は、細川一也との結婚は気が進まないから断わってほしいの一点張りで、見合いの話には一切、乗って来ず、無視し続けているのだった。

「ご心配には及びませんわよ、いくら駄々をこねていても、お日取りが決まって、それに向って私たち周囲の者がどんどんことを進めていけば、観念してしまうものですよ」

「観念だなど、そんな酷《むご》い……、二子は鉄平の会社の一之瀬さんとかいう方を……」

 涙声になって、寧子は言葉を跡切《とぎ》らせた。

「なんだ、二子はまだ一之瀬四々彦と交際しているのか」

 パイプに刻み煙草《たばこ》を詰めていた大介の手が止まり、咎《とが》めだてるように云うと、相子が、

「私は、再三再四、注意は致しましたけれど、一之瀬さんの方もえらくご執心の様子ですの、ですから一番いい方法は鉄平さんの口から、二子さんとの交際をさし控えるように云って戴《いただ》くことですが、その鉄平さんがこの間もお話ししましたように、どんな思惑がおありになってか、二人の交際を深めるようなことばかりなさっているのですから困ってしまいますわ、私、なんとなく鉄平さんが、万俵家の時限爆弾のような気がしてなりませんわ」

 女豹《めひよう》のような大きな眼に、憎悪《ぞうお》を溜《た》めて云った。大介はその言葉に、びくっと頬の肉を動かしたが、果物を運んで来た若い女中に、二子を呼ぶように云いつけた。

 やがて、女中が二子さまはお風邪気味で、お寝みになっていて、今夜は失礼させてほしいとおっしゃっていますと、伝えて来た。

「まあ、この時節に風邪だなんて――、人を食った逃げ口上ね」

「けど、あの子は私に似て腺病質《せんびようしつ》で、気管支はことのほか弱うて……」

「まあ、どっちでもいい、寝む前に私自身が、見合いの本決まりのことを云っておこう、少しは考えもかわるだろう」

 大介は二人の言葉を遮《さえぎ》り、ソファからたち上った。

「では私も――、寧子さま、お先に、お寝み遊ばせ」

 今夜は、相子が大介と同衾《どうきん》する日であった。

 二階に上ると、相子は、

「あなた、なるべく早く――」

 耳もとで云い、自分たちの寝室へ遠ざかって行き、大介はそれとは反対側にある二子の部屋をノックした。

「三子ちゃんなの、開いているわよ」

 風邪声とはほど遠い澄んだ応答がした。六畳二間続きの洋室に、低くしぼったステレオが鳴り、二子は、ロッキング.チェアにもたれていた。

「風邪の工合は、どうなんだい?」

 大介が声をかけると、二子は、驚いてたち上った。

「ごめんなさい、風邪だなんて申し上げて」

「ま、いいだろう、さっきの用は、細川家との見合いの日取りが六月十日に本決まりになったので、それをお前に知らせておこうと思ったのだよ」

「そのお見合いのことですが、私、お父さまにお話があるのです」

「うむ、何かね」

「お断わりして下さい」

 思い詰めた表情で、二子は父に躙《にじ》り寄った。

「お前の気持は、お母さまや相子から聞いて、一応、解った、だが解った上で知らせているのだよ」

「それ、どういうことですの? 少しも解って下さっていないと思うわ」

 詰《なじ》るように云うと、

「二子、聡明《そうめい》なお前に万俵家の結婚のルールを、今さら云うこともないだろう、自分一人のことばかりを考えずに、少しは鉄平兄さんの立場も考えておあげ」

「鉄平兄さまは、私の気持に反対ではありませんわ」

「そうらしいねぇ、だが鉄平が、もしお前と一之瀬四々彦君とのことを表だって賛成する側に廻ったら、お父さまは、万俵家の家父長として、鉄平を許せなくなるのだ、女のお前は、一之瀬君という青年と家出でもすればすむだろうが、鉄平が、私に許されなくなれば、一社の実質的な経営者だけに、どういうことになるか、考えてみなさい」

「そんな、お父さま!」

「ひどいと云いたいのだろう、それを云われるのが私だって辛《つら》いから、今までこの縁談《はなし》は敢《あ》えてしなかったんじゃないか、ともかくこの私、鉄平兄さん、お母さま、それにこれから結婚する三子、それぞれみんなのことを考えてごらん、一之瀬君の家でも、こんな結婚は迷惑じゃあないのかね」

 大介は、最後の言葉に不気味な響きを籠《こ》めて云い、部屋を出た。

 ナイト.スタンドのシェードに、妖《あや》しい影が揺らいでいた。

「あなた、今日はとても……」

 相子は、大介との情事のあとの余韻を娯《たの》しむように、ぴたりと大介の体に寄り添って、囁《ささや》いた。

「お前こそじゃないか、どうかしたのかい?」

 大介も、寄せ合った体の間を汗が滴《したた》り落ちるのを娯しみながら聞くと、相子は含み笑いをし、

「――別に、でも強いていえば、二子ちゃんのお見合いがやっと本決まりになり、佐橋総理夫人の引出しにも成功したからかもしれないわ、あなただって、そうなんでしょう?」

 互いにいつにない昂りを覚えて、激しく交わったことを云うと、

「うむ、そうかもしれないな――」

 口ではそう頷いたが、大介を異様に昂奮《こうふん》させているのは、『つる乃家』で鉄平と一緒に飲みながら、鉄平の言葉によって、電光石火、閃《ひらめ》いた或《あ》る野望のせいであった。鉄平から、大同銀行の三雲頭取の阪神特殊鋼に対する融資方針が、頭取の生命を賭けるほど強いもので、それが生抜きの綿貫専務の反撥《はんぱつ》を買っていると聞いた時、大介は、もしや阪神特殊鋼をトリックに使って、阪神銀行より上位の大同銀行を呑《の》む方法がないかと、今の今まで考えだにしなかったことを思いついたのだった。それは今の段階では、現実的な可能性を伴った着想ではなかったが、そこに鉄平が介在していることに、大介はいいようのない昂りを覚えていた。

「これから寧子を呼ぼうじゃないか、そして三人で……」

 ぬめるような声で云うと、

「でも、どうしてあの人をここへ誘い出すの、簡単には来ないわ」

「まあ、私に任せることだ」

 大介はそう云うと、室内電話を取り、寧子の寝室のボタンを押した。

「ああ、私だ、さっき二子の部屋へ行ってよく話しておいたが、お前に至急、話しておきたいことがあるのだ、そうだ、急ぐのだ、夜着《よぎ》のままでいいから来ておくれ、すぐにだ、いいね」

 否応《いやおう》なしに云い、ベッドから起き上って、素肌の上にガウンをまとった。

 ほどなく寝室の扉《とびら》が開き、白絹の夜着の上に羽織を重ねた寧子が入って来た。一步、足を踏み入れただけで、つい今しがたまでの大介と相子との濃密な情事の気配が解《わか》るのか、寧子は表情を固くして、入口のところにたたずんだ。

「悪かったね、寝んでいるところを起したりして――、二子のことなんだが、見合いの件は、やっと諒承《りようしよう》させたよ」

 寧子の警戒心を和らげるように、穏やかな声で云うと、

「さようでございますか、それを伺うて安心致しました、では私は……」

 寧子はほっとしたように部屋を出かかった。

「待ちなさい、肝腎《かんじん》の話をまだ云ってやしない、それにだいたい、そんな遠くからでは、話が出来ないじゃないか」

「けど、あのう……ここで……」

 ベッドの向うの端に、蝉羽《せみのは》のように透けて見えるナイト.ウェアをまとって坐《すわ》っている相子の方を、ちらっと見て口ごもった。

「あら、私に対するお気遣いでしたら、結構ですわよ、どうぞお近くに――」

 相子は強いて素っ気ない口調で云った。それで安心したのか、寧子は、大介のそば近くまで足を進めたが、その途端、逞《たくま》しい腕が伸び、ぐいとかぼそい寧子の体を抱《かか》え込み、ベッドの中へ引き入れた。

「お、お止《よ》しになって……また、私を騙《だま》して……」

 寧子は必死に抗《あらが》ったが、いつの間にか、大介と相子の間に挟まれ、身動きが出来なくなった。

 三人の蒸れるような体臭が寝室にたち籠めた。

「もう、離して――」

 あまりの浅ましさと屈辱から逃れるように、寧子が叫ぶと、

「静かに! 誰か人が――」

 相子が押し殺すような声で云い、大介に寝室の扉の方を目配せした。さすがに大介も体を緊張させて、耳を※[#奇+支]《そばだ》てると、憚《はばか》るようなノックの音が聞えた。

「どなた、誰なの?」

 咎《とが》めだてるように相子が返答すると、

「深夜に申しわけございません、万樹子若奥さまの方から只今《ただいま》、お電話があり、急にお工合が悪いそうで――」

 齢嵩《としかさ》の女中の動揺しきった声が返って来た。

 万樹子は、ベッドの中で、脂汗《あぶらあせ》を浮かべ、下腹から腰へかけて突き上げて来る疼痛《とうつう》に顔を歪《ゆが》めていた。

「早く! 早く、お母さまを呼んで!」

 おろおろしている若いお手伝いに叱《しか》りつけるように云った。

「はい、只今、ご本館の奥さま方にお報《しら》せ致し、すぐお越し下さいますから――」

「駄目! 芦屋の実家《さと》のお母さまを呼んで!」

 癇走《かんばし》った声で云った時、身繕いした寧子と相子が、慌《あわただ》しく入って来た。

「まあ、万樹子さん、どうしはったのです?」

「お姑《かあ》さま、私、下腹がさし込んで来て、苦しくて……」

「いつからなの、それは――」

「夕食後から少し変だったんですけど、三十分程前から、急に、あっ、痛い!」

 と叫び、体を海老《えび》のようにねじ曲げた。

「相子さん、芦屋病院の院長先生にすぐおいで戴くようお願いして、もしや流産かも……」

 寧子が震えを帯びた声で云うと、相子はすぐ部屋を出、院長の自宅へ電話をかけて戻って来た。

「先生はすぐお越し下さるから、それまで体を温かくして、安静にしているようにとのことです」

 と云い、万樹子の頭から枕《まくら》をはずして体を仰向かせ、毛布を重ねて体を温かく包んで、お手伝いに洗面器とタオルの用意を云いつけた。

「万樹子さん、院長先生はもうすぐお見えになりますから、それまでの我慢よ、銀平さんはまだなのね」

 カバーがかかったままになっている銀平のベッドを見ながら云うと、万樹子は眼を潤《うる》ませて頷《うなず》いた。

「じゃあ、お出かけ先の心あたりは?」

 万樹子は、首を振った。時計は十二時少し前を指している。相変らず、バー遊びをしているらしい。それにしても、こんな時、万樹子は銀平の出先の心当りさえ解らないし、その万樹子自身も、妊娠五カ月の体というのに、昼前から自分で車を運転して遊びに出かけ、夕食前に帰って来ていた。それを見ている相子は、妻が妊娠しても心の通いを取り戻していない銀平夫婦の不和を感じ取った。しかし、それでもいい、万俵家の閨閥《けいばつ》の枝を拡《ひろ》げるために、万樹子の腹に妊《みごも》っている子供だけは、流産せず、無事であってほしかった。

 万樹子が、大きく呻《うめ》いた。

「痛い、苦しい、もういや!」

 体をねじり、毛布を蹴《け》った。ネグリジェの裾《すそ》がまくれ上り、露《あら》わになった両股《もも》の間から、ぬるりとした鮮血が流れ出、シーツを赤く染めた。寧子は、ああっと眼をそむけ、眩暈《めまい》する体を傍《そば》の椅子《いす》で支えたが、相子はすぐお手伝いに、血で汚れたシーツの上にバス.タオルを当てさせ、

「万樹子さん、暴れては駄目、少しは我慢しなさい、今、先生が見えられますよ」

 窘《たしな》めるように云った時、玄関に芦屋病院長の来診の気配がした。

 院長は、部屋へ入って来るなり、用意された洗面器で手を洗った。随《つ》いて来た看護婦が手早く、妊婦の下半身を裸にし、股を汚している下りものと出血を拭《ぬぐ》った。

「さあ、ちょっと内診しますから、体を楽にして両肢《りようあし》をたてて開いて下さい、そう、もう少し拡げて――」

 老練な医師らしく、患者の緊張を解きほぐすように云いながら、右手で外陰部の陰唇《いんしん》を開き、左手の指先で内診しようとした。その途端、万樹子は、

「ああっ!」

 引き裂くような悲鳴を上げて、下腹部を突き上げたかと思うと、大量に出血し、拳大《こぶしだい》のビニール袋のようなものが押し出されて来た。院長は血にまみれたその袋を取り上げ、コッフェルの先で開いた。袋の中の透明な液体の中に薄桃色の肉塊が浮かんでいる。

「残念ですが、胎胞児《たいほうじ》が出てしまいました」

 膿盤《のうばん》の上に、袋の中から出した胎児を置いた。肉塊のように見えたが、よく見ると、既に人間の形を備え、頭をぐにゃりと俯《うつむ》け、足を組んでいる。院長は胎児の足を拡げ、

「惜しいですが、男の子でいらっしゃいました」

 と告げた。万樹子はううっと低く吠《ほ》えるような声を上げ、

「返して! 私のお腹《なか》へ坊やを返して! 坊やを!」

 狂ったように眼をひきつらせ、髪を振り乱して、膿盤の方へ手を伸ばした。院長はその手を遮り、

「昂奮しては体に障《さわ》りますよ、鎮静剤をうちましょう」

 錯乱状態で泣き喚《わめ》く万樹子の腕に、鎮静剤を注射した。

「お若いのですから、またすぐお出来になりますよ、そのためには、今は安静にして、静養に努められることです」

 院長が云うと、寧子が、五人の子供を産んだ母の気持で、

「万樹子さん、辛《つら》いでしょうけど、これはご神仏のおさずかりものですから、次にさずかるまで我慢することですよ」

 涙ぐみながら、万樹子の手を、そっと毛布の中へ入れたが、相子は、

「あなたご自身の養生も悪かったのですから、次の時は、院長先生のおっしゃることをよくお守りになることですよ」

 と云い、せっかくの閨閥の枝の芽生えを失った気落ちと同時に、子供が妊らない女特有の冷やかな残忍さをもって、膿盤に入っている五カ月の胎児に眼を遣《や》った。

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 五   章

 京都.嵯峨《さが》の『吉兆』の座敷で、万俵二子と細川一也の見合いが行なわれていた。

 嵐山《あらしやま》を一望のもとに収める席が正客の座になり、万俵大介と細川一也の父がその席に坐《すわ》り、次いで佐橋総理夫人、一也の母、寧子をはじめ、一同は席につくと、指呼《しこ》の間に見える嵐山の景観に見とれた。全山滴《したた》るばかりの緑に掩《おお》われ、座敷の中まで染まりつきそうであった。

 仲人《なこうど》役の小泉元駐仏大使夫人は、満足そうな微笑をうかべ、

「本来なら、本日はお日柄もよろしくて云々《うんぬん》というご挨拶《あいさつ》から始めなくてはいけないのですけれど、私はそんなのは不得手でございますから、外国流にごく簡単なご紹介をさせて戴《いただ》きますわ」

 と云《い》い、一分の隙《すき》もないサン.ローランのカクテル.スーツ姿で、

「ご当人方は既によくお見知りでいらっしゃいますから、初対面の方だけをご紹介申し上げますわ、まずご正客の席は万俵大介さまと細川信也さま、その両隣が一也さんの伯母さまでいらっしゃる佐橋総理夫人の周子《かねこ》さまと、万俵夫人の寧子さま、その向い側が細川夫人の綾子《あやこ》さま、私の隣席が万俵さまの家内《いえうち》を取り仕切り、ご子弟の教育に当って来られた高須相子さまでございます、私の主人はあいにくロンドンに出かけておりまして、失礼させて戴きます」

 と紹介し終ると、うしろに控えていた仲居たちが鄭重《ていちよう》な作法で、最初の料理であるぎやまんの向付《むこうづけ》に、保津川《ほづがわ》の鮎《あゆ》のあらいを出した。珍しい古代ガラスの器に盛った鮎のあらいは六月の爽《さわ》やかさと贅《ぜい》を尽した涼感をよんだ。

 総理夫人の周子は、箸《はし》を取りながら、

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