饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

第 43 页

作者:日-山崎丰子 当前章节:15657 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 経理担当役員として、銀行局の松尾審議官に呼ばれていることを云い、

「それにしても、大蔵省へ出かけるというのは、鬱陶《うつとう》しい気分だね、その点、芥川君はよくやるねぇ」

「いえ、私などは御用聞きよろしく年中、お上《かみ》へ出入りして、ご意向を伺っているだけです」

 謙遜《けんそん》して云ったが、若い頃から企画、総務畑が長かったから、苦にならない。

「オレンジ.ジュースでございます、どうぞ――」

 スチュワーデスが、にこやかに紙コップを二人に渡した。飛行機は伊勢湾上空らしく、窓の下に緑色の縁取りを見せた真っ青な海が、きらきらと輝いている。大亀は咽喉《のど》を鳴らすようにジュースを呑み干してから、

「ところで芥川君、昨夜《ゆうべ》、頭取から話されたこと、正直云って、私は暫《しば》し我が耳を疑ったよ」

 昨夜の驚愕《きようがく》をもう一度、思い返すように云った。昨日《きのう》、定例役員会のあと、大亀と芥川の二人だけが別席へ呼ばれ、万俵頭取から“小が大を食う合併”の相手として、大同銀行に眼をつけたことを、告げられたのだった。

「やはり頭取の勘どころは違いますね、大同銀行の中に、空席の副頭取の椅子《いす》をめぐって、日銀天下り派と生抜《はえぬ》き派の抗争があることをお耳に入れたのはつい最近のことですから、まさに電光石火の決断力です」

 芥川が云うと、

「しかし、いくら行内の派閥抗争で、内部ががたがたしているといっても、日銀天下りの頭取がいて、背後に日銀が随《つ》いている限り、そうやすやすと呑めるだろうかねぇ」

 何事にも慎重な大亀は、昨夜と同じように首をかしげ、腕を拱《こまね》いた。

「その呑めるか呑めないか、五分と五分のところを、大同銀行の業容、人事、組合などを徹底的に洗って、呑む可能性を七分どころまで見つけよというのが、昨夜の頭取のご指示だったわけじゃございませんか」

「それで、七分どころにする見込みのほどは?」

「一つは、今、云った大同銀行の副頭取人事の問題で、もし日銀が副頭取を送り込むつもりなら、現在の抗争は深刻の一途を辿《たど》るだけに、楔《くさび》が打ちやすくなります、もう一つは、生抜き派の中心人物をこちらに引っ張り込む具体的な接近方法ですが、たまたま生抜き派の長である綿貫専務が、アサヒ石鹸《せつけん》への協調融資を当行へ依頼して来ていますので、それを梃《てこ》にして、綿貫専務の首根っこを抑え込めば、呑める可能性は七分どころ出て来るのではないでしょうか――」

 芥川は縁なし眼鏡を光らせて云い、

「アサヒ石鹸の業容調査は、融資担当の渋野常務の話によれば、予想していたよりよかったそうじゃありませんか、私は綿貫さんの話は、自分の息子の嫁に、アサヒ石鹸の社長の次女を貰《もら》っている手前、大分、割り引いて考えねばならないと思っていたのですよ」

 と云うと、大亀は頷《うなず》き、

「私もアサヒ石鹸は本社が東京だから、詳しく知らなかったのだが、渋野常務の報告を聞くと、資産内容、収益面ともになかなか小じっかりしているので、取引に不安はない、それより私が危惧《きぐ》するのは、綿貫千太郎のような生抜きが、いくらアサヒ石鹸と姻戚《いんせき》関係があるとはいえ、アサヒ石鹸への協調融資ぐらいのことで、こちらへ引っ張り込めるかということだ」

 大亀自身が、万俵大介の股肱《ここう》の臣として仕えているだけに、寝返りなど到底、考えられぬように云った。しかし綿貫と有楽町のしゃぶしゃぶ屋の座敷で一晚、ゆっくり飲みあかした芥川には、綿貫が三雲頭取に反撥《はんぱつ》しているのは、単に三雲個人が気に食わないという気持から出たものではなく、日銀天下り頭取に、来る年も来る年も仕えねばならない、生抜きの人間としての気持から出たものでまさに鬱積した怨念《おんねん》のようなものを、芥川は感じ取ったのだった。

「いや、当行のように、オーナーであり、名実ともに実力者である頭取に仕えるのではなく、営々と四十年近く、粉骨砕身働きながら、次々に日銀から天下って来る自分より齢下《としした》の頭取に仕えさせられる綿貫さんの気持は、同じ専務でも、大亀専務にはとても、ご想像つかないと思います」

 と云うと、さすがに大亀も黙ったが、

「じゃあ、もう一つの私の懸念《けねん》を云おう、なるほど、大同銀行は図体《ずうたい》ばかり大きくて、内実は貯蓄銀行上りの業態で、しかも内紛があるから、大同自体は与《くみ》しやすいかもしれない、しかしさっきも云ったように、背後に控えているのが、日銀さま[#「さま」に傍点]だということは、よくよく頭に叩《たた》き込んでおかねばならない」

 大亀はそう云い、言葉を切った。通路を隔てた横の席では、商社マンらしい派手なスーツを着た中年の男がアタッシェ.ケースを開け、頻《しき》りに横文字のタイプの書類を読んでいる。大亀は、再び声をひそめて言葉を継いだ。

「万一、阪神銀行が大同銀行を狙っているなどと日銀に気取られたら、忽《たちま》ち毎月、日銀から借り入れている借入金に、貸出先が悪いの、偏《かたよ》っているの、預金集めの状態がよくないのと、けちをつけられて、額を削られ、陰に陽にいびられることになるから、よほどの注意をもってかかることだ、市中銀行を“生かすも殺すも日銀次第”という言葉があるくらいだからねぇ」

 不安を募らせるように云うと、芥川は、

「むろん、私だって日銀法王庁のいびり方のいやらしさは身にしみて解《わか》っていますから、細心の注意をもって、日銀と三雲頭取の繋《つな》がりの度合い、リモコン工合を調べ、対大同作戦を練りますよ」

 と云いながら、窓の外へ眼を遣《や》った。飛行機は高度を下げて木更津《きさらづ》上空に達し、間もなく羽田空港着陸であった。芥川は、東京事務所へ帰って日銀担当の総務課員に与える“特命”事項を、早くも考えていた。

 阪神銀行の忍者である冠収《かんむりおさむ》は、城砦《じようさい》のように聳《そび》えたっている日本銀行の建物が見えて来ると、いつになく表情を引き締めた。

 中央銀行の威厳を誇示するような左右の青銅のドームも、城砦のように高い石壁も、“日銀忍者”を拝命して二年になる冠収は、さして威圧を感じなくなっていたが、今朝《けさ》、本店の役員会を終えて帰って来たばかりの芥川東京事務所長からじきじきに呼出しがかかり、“特命”事項を云い渡された後、「これは頭取に提出するレポートだと思い給《たま》え」と云い添えられたことを考えると、今回の任務の重要性を感じた。

 城門のようにいかめしい門をくぐると、石畳を敷き詰めた中庭は森閑として、外界の騒音から遮断《しやだん》されている。正面の階段を上って、天井の高いホールへ一步、足を踏み入れると、玄関脇《わき》に控えている数人の守衛たちが一斉に誰何《すいか》する視線を向けた。皇居の次に厳重を極めているといわれている警備であったが、二年間、毎日のように顔を合わせていたから、フリー.パスで通れる。守衛にいち早く顔を覚えて貰い、フリー.パスになることが、日銀忍者の第一步であったが、冠は、格別の術《て》を弄《ろう》さずとも、背がひょろ高く、度の強い黒縁の眼鏡をかけて、飄々《ひようひよう》と步くさまが、並いる他行の俊敏そうな忍者と対照的で、守衛たちにすぐ覚えられたのだった。

 内玄関を通り、二人の警官が常時、警戒に当っている営業局の前の渡り廊下を右へ折れると、ここにも守衛がたっている。

「今日は、どちらですか」

 鄭重《ていちよう》に行き先を尋ねられた。

「総務部企画課へ、伺います」

 冠が応えると、守衛は重々しく、どうぞと云った。そこから奥が、頭脳と毛並を兼ね備えた名門のエリート行員たちが綺羅星《きらぼし》の如《ごと》く犇《ひしめ》いている日銀の本丸になるのだった。

 午後三時の営業局の終業時間になったらしく、拍子木が打ち鳴らされた。迷路のように曲りくねった廊下をエレベーターの方へ步いて行くと、陽の射《さ》し込まない中世の回廊のように薄暗い廊下の向うから、見覚えのある人影が近付いて来た。考査局の調査役であった。

「これは調査役、この度は叔父上様の五井商船社長ご就任、おめでとうございます」

 日頃、接触の多い役職者の係累《けいるい》については、人事興信所まがいの綿密な調査をし、挨拶《あいさつ》がわりに係累の消息を話題にするのが、日銀忍者たるもののエチケットであった。曾《かつ》ての五井財閥の理事を父に持つ調査役は、色の白いちんまりと整った顔を綻《ほころ》ばせ、

「どうもご鄭重に――、来月は薫子《かおるこ》がこちらでリサイタルを開くために、パリから帰って参りますし、このところ身辺が慌《あわただ》しくなりましたよ」

 調査役の実妹で、パリ在住の有名なピアニストのことを云った。

「ご令妹のリサイタルのことは、今から大へんなご評判で、切符を手に入れるのに一苦労だと、音楽ファンは皆、嘆いておりますよ」

 生真面目《きまじめ》な表情で云うと、調査役は別にてれもせず、鷹揚《おうよう》な会釈《えしやく》をして行き過ぎた。

 三階に上り、エレベーター.ホールの横の総務部の分厚いガラス扉《ど》を開けると、二十坪ほどの部屋に三十数人の行員が机を並べている。総務部は、金融政策を立案するいわば日銀のシンク.タンクで、毛並と才能を兼ね備えた逸材が集められている。

 冠は、奥の部長室の近くにある冴木《さえき》企画課長の席へ眼をやると、冴木は電話中であったが、横の来客用の椅子に坐《すわ》った。日銀創設以来、そのまま動かさずに置いてあるかのような古めかしい丸テーブルと皮張りの椅子であった。女子職員が日銀流といわれるしずしずとしたもの腰で、お茶を運んで来た。

「どうも、恐縮です」

 冠は入れたてのお茶を飲みながら、冴木企画課長の電話のやりとりに、聞き耳をたてていた。時折、総裁がとか、総裁のご意見はといった言葉が出るのは、企画課長、総務部長、総裁秘書役の三人が、概して総裁を中心にして、重要な立案に従うからであった。それだけに、総務部企画課長のポストは、海外勤務を経験して帰国した四十代前半のエリートが、一番坐りたいポストで、ここに坐るのは、同期のトップであった。事実、冴木は、東大法学部から首席の成績で入行して以来、将来の幹部候補生として刀傷のつかない部署で大切に育てられ、昨年の秋、三年間のロンドン駐在を終えて帰国するや、企画課長に就任したのだった。五代前の日銀副総裁、冴木正之助の三男として、申し分のない栄進の仕方であった。

「おや、冠君じゃないですか、今日は約束していましたかね」

 電話を終えた冴木課長が、席をたちかけて、冠に気付いた。父親譲りの面長で、贅肉《ぜいにく》のない、彫刻的なマスクに一種の鋭さが漂っている。

「いえ、お約束はしていないのですが、公定步合の引上げが最近、あちらこちらで囁《ささや》かれていますので、実際にその操作にあたられる冴木課長の忌憚《きたん》のないご意見を伺いたいと存じまして――」

「あちらこちらって、どの辺《あた》りで云われているのですか、私の方はまだ何も考えていないんですがねぇ」

 冴木は、ケントに火を点《つ》けながら云った。市中銀行は、大蔵省銀行局に対しては、行政指導される立場であったから、何を聞きに行くにも腰を折り、匍匐《ほふく》前進の構えで行かなければならないが、日銀ではそれほどの構えでなくとも話せる。特に総務部企画課は、情報局的な性格を帯び、相手からの情報も得ようとするから、対々で話し合える。煙草《たばこ》をたしなまない冠は、度の強い眼鏡の下の眼を瞬《しばたた》かせ、

「巷間《こうかん》、洩《も》れ聞くところでは、総裁が経団連の先日の常任理事会へ出席し、諸般の情勢から止《や》むを得ず公定步合を引き上げるので協力してほしいと、財界を説得されたということですし、大蔵大臣も、つい三日ほど前、引上げを早期に実施するべきだと、親しい新聞記者に語ったと、聞いています、そんな情報を聞く度に、われわれ日銀さんから資金を借りている市中銀行は、いつ、金利が引き上げられ、窓口規制が厳しくなるかと、びくびくものなんですよ」

 ややオーバーな表現で云い、

「総裁が財界を説得されたというとなると、引上げの下ごしらえは、冴木課長のところで、すっかり出来ているということでしょうか?」

 冴木の顔を覗《のぞ》き込むように聞くと、

「総裁が、経団連の常任理事会へ出向かれたなど、私は初耳ですね、したがって大蔵大臣が、何を根拠に早期実施を新聞記者に語られたのか、理解に苦しみますね」

 煙草の煙を静かに吐きながら、あくまでしら[#「しら」に傍点]を切り通したが、日銀がきめる公定步合を、大蔵省の方で早くも勝手に喋《しやべ》っていることに対する反撥が、ありありと見て取れた。公定步合の上げ下げをきめるのは日銀であり、総務部企画課がその立案、企画をするのだったが、実際に最後の決断を下すのは、総理大臣と大蔵大臣の話し合いによるのが現実で、それが誇り高い日銀マンの屈辱の種らしい。

 冴木の気持が白けかかったのを機会《しお》に、冠はぬるくなったお茶を飲み、

「話はかわりますが、市川理事が近々、ヨーロッパへご出張になるそうですね、今度はお長いのですか?」

 いかにも用件をすませた後の軽い茶飲み話のように切り出したが、冠の今日のほんとうの目的は、大同銀行の副頭取人事を総裁側近の冴木が、どの程度、知っているかを探ることにあった。

「三週間ぐらいじゃないかな、例のマルク相場に関連した出張だから――」

「そうですか、でも市中銀行や新聞記者の間では、またぞろ話題になっていますよ」

「ほう、皆さん、どうおっしゃっているのです?」

 冴木は逆に、冠に聞いた。

「マスコミからの逃避行というのが、一致した意見ですね、というのは、『週刊日本』に大同銀行の三雲頭取が、この間の役員会でも、生抜きの綿貫専務を据置きにして、副頭取のポストを依然として空席にしているのは、来春あたり市川理事を迎え入れるつもりだと書かれてから、大同銀行の派閥抗争が俄《にわ》かに表面化して来ているそうで、市川理事も新聞記者に追い廻されて、あげくの果ての逃避行という観測なんですよ」

「なるほど、あの『週刊日本』の記事以来、市川理事は、まるで“時の人”扱いで、何をするにもあらぬ噂《うわさ》が乱れ飛ぶわけですね」

 冴木は笑いにまかせながらも、やんわりと否定しかかった。冠も笑い返し、

「かりに市川理事が、大同銀行に天下るとしても、それがどうしていけないんでしょうかねぇ? 世間では天下りというと、すぐ目角《めくじら》をたてて非難しますけれど、優秀な人材を活用するのですから、全部が全部、悪いとは思いませんが――」

 心中では日銀天下りを手厳しく批判しながら、相手の言葉を引き出すために首をひねった。

「同感だね、ことに大同銀行の場合など、都市銀行になってから入行した中堅層は、どうにか育って来ているらしいが、三雲頭取のお話を伺っていると、貯蓄銀行時代の体質を完全に払拭《ふつしよく》するには、まだここ当分はという気がしますねぇ」

 ということは、日銀首脳部は依然として、大同銀行を日銀植民地にしておくつもりのようであり、三雲もこの問題で、日銀へ相談に来ているらしい気配が窺《うかが》えた。冠はさらにもう一步、深く突っ込むために、

「三雲頭取は、非常に理想家肌の方だけに、何かとご心労が絶えないでしょうが、かりに市川理事あたりが来春、副頭取に入られるとすると、三雲政権も安定して、長期化しそうな感じですね」

「さあ、そういうことは、私たち末輩は何とも云いかねますが、この間も総裁が三雲頭取に、潔癖すぎるあまり、生抜き派との間の摩擦をこれ以上、エスカレートさせないようにと、警告しておいででしたよ、何しろこの間の人事以後、大同銀行では生抜き派が、箸《はし》の転んだようなことまで一々、あげ足を取るというんですから」

 冴木は、さすがにここぞというポイントをはずした応《こた》え方をしたが、大同銀行の内紛が悪化すれば、天下り人事が難かしくなるだけに、気を揉《も》んでいる気配が読み取れた。

「失礼なことを申し上げるようですが、総裁は、三雲頭取に随分と親身になっておいでのご様子ですね」

 屈託のない口ぶりで、最後に総裁と三雲との密接度を探ると、

「総裁は、日銀出身のすべての後輩に対して、あまねく親身ですよ」

 冴木は意外に素っ気なく応えた。冠はその素っ気なさに驚きながら、これは面白い材料だと思い、三雲の大同銀行へ転出したいきさつを、洗い直そうと考えた。

 総務部企画課を出ると、再び迷路のように折れ曲った日銀の廊下を幾つも曲り、日銀記者クラブへ足を向けた。

 日銀記者クラブは、正面玄関から離れた端にある。新聞記者が、車夫馬丁の次ぐらいの扱いしか受けていなかった明治時代の感覚そのままなのも、日銀ならではのことだった。それにしても口うるさい新聞記者たちが、よく黙っているものだと苦笑しながら、一階正面の営業局前の渡り廊下を、記者クラブの方へ曲りかけ、はっと足を停めた。正面玄関ホールにものものしい守衛たちの立礼の姿が見え、その前を三、四人の行員を引き従えた松平総裁が、鋭い眼で、辺《あた》りを睥睨《へいげい》するようにして通り過ぎ、外に待たせてある車に乗り込んだ。若い頃から日銀のプリンスとして育てられ、二代続いた輸入総裁に替って十年目に実現した“純血総裁”だけに、日銀内部の信望は厚く、日銀法王としての威令は、隅々まで行き渡っている。

 冠は、三雲頭取と松平総裁の関係を考えていた矢先の偶然の光景だけに、久々に見る総裁の姿をたち止まって見詰めていたが、車が動き出すと、急ぎ足で記者クラブへ行った。

 夕刊の原稿の締切もだいぶ前に終ったらしく、古めかしい木の机を並べた各社のデスクにはあまり人影がなかったが、目ざす毎朝新聞の浅田記者は、部下の記者と煙草をふかしながら話していた。冠は背後から、

「浅田さん、一昨日《おととい》はゴルフの手ほどきを有難うございました」

 阪神銀行の東京事務所が、日頃、親しくつき合っている新聞社や経済誌の記者を天城《あまぎ》ゴルフ場へ招待したコンペのことを云った。浅田記者は、椅子ごとくるりと振り返り、

「いや、こちらこそ――、それにしても君の運動神経の鈍いのには、ほとほと感心したよ」

 毒舌家で、云いたいことをずけずけ云う浅田記者は、半ば呆《あき》れたように笑った。冠はそう云われても仕方がないほど、運動に関しては駄目な方だった。

「役目上、励んでいるのですが、何とか見込みないでしょうか」

「まず絶望的だね」

 浅田は、断言するように云い、

「そのかわり、君は近代経営学を語らせても、文学を語らせても相当なものなんだから、そこらのゴルフ忍者よりよほどいい」

 冠は、照れくさそうに度の強い黒縁の眼鏡をずり上げ、

「そうお褒め戴《いただ》いたところで、少し伺いたいことがあるんですがね、鮨《すし》でもつまみながら、おつき合い下さいませんか」

「公定步合のことかい? しかし今日は駄目なんだ、昨夜、大阪へ転勤する同僚の送別会で飲みあかし、二日酔いで頭がずきずきするんだ」

「道理でお顔色が冴《さ》えないと思いましたよ、それじゃあ固い話は後日に譲って、酔いざましにブーケへ行きませんか、あそこのミックス.ジュースは酔いざましに効果抜群なんですよ」

 と誘うと、二日酔いがよほどこたえているのか、浅田記者はあとを若い部下に任せて、たち上った。

 城砦のように荘重な日銀の建物を一步出ると、外は初夏の陽ざしが輝き、白いワイシャツ姿のサラリーマンや、ミニ.スカートの女性達が闊步《かつぽ》している。冠は眩《まぶ》しげに眼を細め、飄々とした足どりで浅田記者と中央通りの交叉点《こうさてん》の手前にある喫茶店『ブーケ』へ入った。

 明るく品のいいことと、步いて二分という近さから、ランチ.タイムになると、日銀マンが息ぬきにたむろする喫茶店だが、四時過ぎの今は、がらんとすいている。奥まったテーブルに坐り、この店独特の野菜と果物と玉子のミックス.ジュースを注文すると、

「さっき、玄関で松平総裁の姿を見かけたんですが、威風辺りを払っていますね、大同銀行の副頭取人事にちゃちゃ[#「ちゃちゃ」に傍点]を入れて、生抜きの専務の昇格を潰《つぶ》したのは、ほんとうなんですか」

 浅田記者の方へ上体を寄せ、声を潜《ひそ》めるように聞いた。一昨年、浅田記者が日銀の金庫から三百万円の現金が消失したという、日銀外部の者には到底、洩れるはずのない事件をスクープして世間を驚かせたのは、この喫茶店で日銀のノン.キャリア連中が、ひそひそ話をしているのを耳にしたのがきっかけだったと聞いているだけに、周囲に人影がなくても、勢い声を潜めてしまう。浅田は運ばれて来たジュースをぐいと半分ほど一気に飲み、同じように声を落した。

「ああ、大同銀行の副頭取人事ねぇ、市中銀行は、えらく気にしているんだな」

「そりゃあ、明日《あす》はわが身とも限らないのですから、対岸の火事と見過すわけにはいきませんよ」

「僕のみるところ、権勢欲の人一倍強い松平法王のことだから、ずばり法王のリモコン人事だと思うね」

「一説には、三雲頭取は大同銀行内の生抜き派の声を容《い》れて、綿貫専務を副頭取に昇格させるつもりだったとも云われてますが、まだまだ日銀のコントロールが効いているわけですか」

「そりゃあ三雲頭取は、大同銀行の中でしっかり根を下ろしているとは云えないし、日銀の後ろ楯《だて》がないと、何かと動きがとれないからねぇ、現に大同銀行は三雲頭取のおかげで貸出しに随分、手ごころを加えて貰《もら》っていると、同じ中下位行の連中がやっかんでいるじゃないか」

 浅田は皮肉っぽい笑いをうかべた。

「まあそういうことですけれど――で、その空席のポストに市川理事が天下るという噂の確率はどんなものでしょうか」

 ニュアンスでしか汲《く》み取れなかった冴木企画課長の言葉の裏を取るために聞くと、

「来春、市川理事が外へ出されることはほぼ間違いないだろう、その天下り先として、はじめ大阪証券取引所所長が考えられていたそうだが、大同銀行ががたがたして来たので、急遽《きゆうきよ》そっちへということになったらしい」

 浅田は、残りのジュースをのみ干しながら云った。

「ところで、今さらこんなことを聞くのも何ですが、三雲頭取はどういう経緯で大同銀行へ天下ったんですか、表面的には金融再編成の波がおしよせる困難な時期だから、内外の金融情勢に通暁《つうぎよう》した視野の広い人物をということで、日銀理事の中でも理論派の三雲さんに白羽の矢が立ったということになっていますが、三雲さんは戦後、はじめて国債を発行するに当って手腕を振るい、大きな功績を残した人だけに、われわれとしては少なくとも副総裁まではいくと思っていたのですがねぇ、松平総裁との間に、何か個人的なトラブルでもあったんじゃないですか」

 冠が一段と声を低めて云うと、

「なかなかいい勘をしているね、もう時効になったんだから話してもいいだろう、実は三雲さんが奥さんを亡くして二年目頃に、当時、まだ理事だった松平さんの奥さんの妹が夫と死別して、再婚先を探していたので、たまたま三雲さんに話が持ちかけられたわけだ、ところが三雲さんは病身の娘さんのことを理由に辞退したらしい、縁のものだから普通ならどうということもないのだが、松平さんの義妹の方がえらく三雲さんに執着したばかりに妙な工合にもつれたらしい」

「なるほど、女のたたりは安珍《あんちん》清姫以来、こわいものですね」

「全くだよ、だが冠君、君のところの万俵頭取は、よくよく他行の人事、しかも中位行あたりの人事には興味があるようだね」

 さんざん、冠に調子を合わせて喋っておきながら、不意打ちするように、ばさりと云った。冠は思わず顔色を変えかけたが、

「他行の人事といったって、大同銀行だけじゃないですか、それというのも阪神特殊鋼が高炉建設に乗り出してから、融資面で一方ならぬお世話になっているので、上層部の人事は気になるのですよ」

 と云うと、浅田は、そんな冠の弁解は聞き流し、

「去年の秋、第三銀行の副頭取のスキャンダルについて、君んところの平松雲太郎君からたれ込みがあり、それを記事に書いて暫《しばら》くして、第三銀行には平和銀行と合併する話があったらしいことを知ったんだが、確証を取れずじまいで、残念なことをしたよ、ただ一つの収穫は、どうやら万俵頭取の眼が東の銀行で、しかも自分のところより大きい銀行に向いているらしいことが、解《わか》ったことだよ」

 にやりと笑い、席をたった。冠は浅田記者の言葉で、自分に課せられている任務の輪郭をはっきりと知った。

 馬場先濠《ぼり》に面した阪神銀行東京支店の五階の頭取応接室からは、鮮やかな皇居の緑が望まれた。万俵大介は、芥川の案内で部屋に入って来た大同銀行の綿貫専務を迎え、

「どうもお呼びたてしたような形になってしまって、失礼しました」

 と云うと、綿貫千太郎は大きな赭《あか》ら顔を振り、

「いえ、いえ、とんでもございません、こちらこそ、本来ならば別席を設けて、お願い申し上げるべき筋合いのことでございます」

 芥川を通して、綿貫と姻戚《いんせき》関係にあるアサヒ石鹸《せつけん》への協調融資を依頼していたから、恐縮して挨拶《あいさつ》した。

「さあ、どうぞ、お楽に――、いつも五行連合の準備会では何かとお世話になっております、芥川の話によれば、あなたが中心的な存在だと聞いておりますよ」

 固くなりがちな雰囲気《ふんいき》をほぐすように云った。

「いやあ、私は齢《とし》の功でお世話役のようなことをしておりますが、会を重ねるだけで遅々《ちち》として進まず、ともかく手近な業務提携からと思って、やっと太平洋ベルト地帯にある企業の給与を五行で相互に受払いする件が決まったような次第で、どうもスムーズに運びません」

「そりゃあ、各行それぞれの家庭の事情や立場がありますから、そう簡単に足並は揃《そろ》わないでしょうが、五行が連合して、上位四行に抵抗し得る連合体を作ることですから、うちの芥川とともに、今後なお一層のご尽力をお願いします」

 日本茶が運ばれて来ると、芥川が、

「じゃあ、私はこの辺で失礼させて戴きます」

 と席をはずした。

 二人きりになると、万俵は、綿貫千太郎を仔細《しさい》に観察した。背丈に似合わぬ大きな赭ら顔、動物的な嗅覚《きゆうかく》を働かせるような鼻翼の張った鼻、如才ないもの腰、どれ一つ取ってみても叩《たた》き上げた人間独特の勘のよさと油断のない狡猾《こうかつ》さがあった。綿貫は玉露《ぎよくろ》を呑《の》み干すと、

「私が、つい昔馴染《なじ》みの気やすさで芥川さんにお願いしましたアサヒ石鹸の件を、頭取じきじきにお心にかけて下さるとは意外で、全く痛み入ります」

 人一倍低いもの腰で頭を下げた。万俵は銀髪端正な姿勢を崩さず、

「早速、融資担当に当らせましたところ、アサヒ石鹸の資産内容は三百億のうち百五十億が自己資本で、収益の面も年商五百億、利益率六パーセントを維持して、ここ五年間の売上げの伸びは二〇パーセント前後ということですので、安定した内容ではありますね、ただ表面に出ていない不良在庫が五億、販売店関係の不良債権が十億前後あるのはどういうことですか?」

 直截《ちよくせつ》に問題点を衝《つ》くと、綿貫は鼻翼を膨《ふく》らませ、

「不良在庫の五億というのは、昨年の夏、洗滌《せんじよう》と漂白をワンタッチで出来る洗剤を開発して発売したところ、漂白が斑《まだら》な汚点《しみ》になる欠陥が出て来、在庫品になりましたが、洗剤業界ではこの程度の不良在庫はままあることで、業礎《ぎようそ》に響くというものではありません、また代理店関係の債権は、無理な販売拡張のためにこげついた分ですが、これに対しては、抜本的な建直し策を行なっていますから、間もなく解消の見込みです」

 と説明しながら、さすがは阪神銀行の調査だけあって、販売店先まで手をまわして調べているのかと、油断なく身構え、今度は自分の方から口をきった。

「とかく洗剤と云いますと、外資の上陸や大手資本の進出で先行《さきゆき》に危惧《きぐ》を持たれるのが普通ですが、万俵頭取はその点、如何《いかが》お考えでございますか」

「私は、洗剤業界は外資上陸、大手資本進出ということに、神経をたて過ぎると思いますよ、要は観方《みかた》の相違で、外資、大手資本が進出して来れば、もろに食い潰されるという観方と、洗剤などの日常生活に密着したものは、昔からのイメージ.ブランドと強固な特約販売組織を持っておれば、そう簡単に潰されるものではないという二つの考え方がありますが、私は後者の方ですよ」

 と応《こた》えると、綿貫は我が意を得たりとばかり膝《ひざ》を乗り出した。

「実は私もそう思うのですが、当行の三雲頭取の考えは違うのです、石鹸企業は化学工業の中でも最も脆弱《ぜいじやく》なもので、外資、大手資本の進出には一たまりもなく潰れるという考えもさることながら、日銀出身の人らしく融資先をきめる時でも、格付《かくづけ》と云いますか、日用雑貨に類する石鹸、洗剤より、鉄鋼などの基幹産業を選ばれるのです、そこで正直なところ私は、阪神特殊鋼への非常な貸込みについて、なぜ鉄がよくて石鹸がいかんのですかと、大いに渡り合ったことがあるのです」

「阪神特殊鋼については、こちらの資金供給が追いつかず、いつもおたくにご無理をお願いしています」

 万俵が改まって礼を云うと、綿貫は、

「大へん失礼なことをお伺い致しますが、今、特殊鋼は底なしの不況に陥り、不況カルテルを結ぶ話合いが行なわれている状況にもかかわらず、阪神特殊鋼から当行に対する貸金の申入れは、このところ急を極めておりますが、メイン.バンクの御行《おんこう》ではどのように対処されるおつもりですか」

 と云った。万俵はにこやかな表情で、

「実は特殊鋼の不況は深刻化する一方で、国内の金融情勢も引締めになっているので、外国銀行からのインパクト.ローンの導入を考え、当行の保証でイースト.アメリカン.バンクに申し入れているのです」

「ほう、さすがは外為《がいため》に強い阪神銀行さんで、実力頭取のなさることは迅速《じんそく》果敢ですねぇ」

 綿貫は感心するように云ったが、万俵は、

「しかし綿貫さん、そのインパクト.ローンは、大蔵省国際金融局の許可が要《い》り、その順番待ちというところですが、主計局次長をしている私の娘婿《むすめむこ》に優先的に割り込めるように働きかけて貰っている矢先ですから、極秘のことにして下さいよ」

 巧みに綿貫の口を封じ、

「こうして阪神特殊鋼の資金繰りには、インパクト.ローン導入の術《て》をうっており、御行に決してご迷惑をかけることはないわけですから、一つおたくで面倒をみてやって下さい、その代り、アサヒ石鹸の融資のお手伝いは、当行でお引き受けしますよ」

 と云うと、綿貫の動物的な嗅覚を持つような鼻翼がぴくっと動いた。万俵大介の意図するところが、アサヒ石鹸と阪神特殊鋼との交換《バーター》融資であることを暗黙裡《り》に嗅《か》ぎ取ったのだった。

「時に、綿貫さん、こうしたお話、三雲頭取をぬきにしていいのですか、後から文句が出るんじゃないでしょうねぇ」

 確かめるように万俵が云うと、

「あの人と相談をしていたら埒《らち》があきませんよ、何しろ理想主義者で、理想ばかり追って、現実的な運びは遅くてまずい人なんですよ」

「これは手厳しい――、しかし三雲さんのような日銀出身の頭取は、最近の金融再編成に対しても、一家言を持っておられるのでしょうね」

「一家言といえば聞えはいいですが、経営内容の転換を図らないと再編成の波に呑まれてしまうの、国際競争に敗《やぶ》れるのと、まるで明日にでも上位行に取って食われるような危機感に脅《おびや》かされていますよ、しかし、銀行がそう簡単に潰れたり、食われたりするものですか、そうでしょう、万俵頭取――」

 綿貫は、三雲のことになると昂奮《こうふん》し、憎悪《ぞうお》を剥《む》き出した。万俵はその口振りから、三雲と綿貫の対立が予想以上に根の深いことを読み取り、

「すると、綿貫さんご自身の考えとしては、銀行合併はなにがなんでも反対というわけですか」

 綿貫の合併に対する個人的な意見に探りを入れた。

「そりゃあ、お上《かみ》がどうこう云うからではなく、大きい上にも大きいのを望むのは企業の本能ですから、相手によっては考えも致しますよ、しかし三雲頭取の理想論をそのまま鵜呑《うの》みにすると、青い鳥を追って足もとの池に落ちるという、あの式になりかねませんよ、合併なんてきれいごとじゃ出来ませんからねぇ」

「確かにおっしゃる通りです、それで綿貫さんは、合併のきめ手となるのは、何だと思われますか」

「ずばり、ポストでしょうねぇ、いくらメリットがどうの、補完性がどうのと云ってみても、ポストを準備しない合併などあり得ないのではないですか、ポストの争奪をめぐって死闘する、これが企業合併の大前提で、合併はポスト次第ということですよ」

「なるほど、合併はポスト次第――」

 万俵は、綿貫の言葉に相槌《あいづち》を打つように云いながら、綿貫千太郎はポストの持って行きようで動かせる人間であることを見抜いた。今日のアサヒ石鹸の融資の話はどこまでも口実で、万俵のほんとうの狙《ねら》いは、大同銀行を呑むために、自ら綿貫専務と会い、綿貫を通して、じかに大同銀行の体質を知ろうとしたのだった。

 好物の鰻《うなぎ》のきも吸《すい》を、ちゅっと音をたてて吸うと、綿貫千太郎は舌つづみをうつように眼を細めた。昼食時間をとっくに過ぎた大同銀行の役員食堂は人影も疎《まば》らで、綿貫のテーブルの近くには、マナーにうるさい日銀天下り役員の姿がなかったから、気がねなく、毎日食べても飽きない鰻重《うなじゆう》定食をとり、好物のきも吸のお代りもすることができた。

 特大の鰻重から、酢のもの、香のものに至るまで、全部きれいに平らげ、最後に吸物椀《わん》の底に残しておいたきもをつるりと咽喉《のど》に通すと、綿貫は爪楊子《つまようじ》で歯をせせりながら、万俵頭取とつい今しがたまで、アサヒ石鹸の融資の件についてじっくり話し込んで来たことを満足げに思い返した。

 万俵頭取の印象は、貯蓄銀行上りの自分とは全く異質で、それでいて日銀天下りの三雲とも異なる典型的なバンカーであった。ひたすら預金集めに邁進《まいしん》し、気心の知れている中小企業に手堅く貸して行くのが貯蓄銀行員上りの自分のやり方であり、日本経済の動向や業界の趨勢《すうせい》を優先させ、公共性を重んじるのが日銀天下りの三雲頭取の考え方であったが、阪神銀行の万俵頭取は金融界の指導者としての品位を保ちながら、あくまで営利性を追求し、営利に結びつかない話には絶対にのらない。その冷徹な割切り方は、見事というほかなかった。アサヒ石鹸の融資に応じるかわり、大同銀行も阪神特殊鋼に対して融資額をそれだけ増やしてほしいという交換《バーター》融資を暗にほのめかされた時には、さすがに都市銀行頭取の中でも辣腕《らつわん》をもって鳴る人物だと、内心たじたじとなった。

目录
设置
设置
阅读主题
字体风格
雅黑 宋体 楷书 卡通
字体大小
适中 偏大 超大
保存设置
恢复默认
手机
手机阅读
扫码获取链接,使用浏览器打开
书架同步,随时随地,手机阅读
首 页 < 上一章 章节列表 下一章 > 尾 页