饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15483 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 なるべく早く導入するように計らってほしいという話ならともかく、その逆であったから、美馬は改めて念を押すように聞いた。

「そういうことだ、特殊鋼業界は今、不況のどん底の上に、金融引締め期に当っているので、阪神特殊鋼としては早く安い金利の外資導入をしたがっているのだが、当行としてはいろんな行内事情で、遅らせたいのだよ」

 わけあり気に短く言葉を切ると、

「解りました、しかし、鉄平君もこんな時期に高炉建設とは大へんですね」

「うむ、一時中止を云ってみたが、聞かないから致し方がない、幸い大同銀行が随分、面倒をみてくれるので助かっているが、向うも最近のようにがたがたとお家騒動の様相を呈して来ると、安心出来なくてねぇ、大蔵省では、大同銀行の日銀天下り対生抜き派の内紛をどう見ているのかねぇ」

 さり気なく大蔵省の意向を聞いた。美馬はジョッキを口に運びながら、

「さあ、どうでしょうか、大同銀行の問題は例の五行連合を通して、お舅さんの方がよくご存知じゃないのですか」

 わざと、話をはぐらかすように云ってみた。

「そりゃあ、大同銀行からあの会合に出ているのは、副頭取昇格をストップさせられた綿貫専務自身だから、何かと情報は入って来るし、一方、日銀からも総裁側近筋からいろいろ流れては来るが、監督官庁の大蔵省としては、もし大同銀行が、第二の中京銀行のようなお家騒動にでも発展したら、どのような処置を取るつもりか、ちょっと聞いておきたいと思ってね」

「しかし、ほんとにそこまで発展しますかね、日銀にしてみれば、何といっても大同銀行は、中京銀行に並ぶ都市銀行の二大拠点ですから、日銀リモコンを強化してでも、生抜き派の鎮圧に当ると思いますよ」

 と云った。美馬の言葉から推測すれば、大蔵省は、生抜き派の力をそれほど評価していないことが察せられた。しかし、その方が阪神銀行としては好都合であった。日銀天下り人事が失敗しそうだと観《み》ているようなら、次は大蔵省自身が天下る機会《チヤンス》を狙《ねら》いはじめるからであった。

 それだけに万俵が、綿貫たち生抜き派に荷担して、日銀進駐軍を追放し、大同銀行を呑《の》むのは、早ければ早いほど成功度が高いと判断した。

「ところで、鯱《しやち》が鯨《くじら》を呑むお舅さんのお話の方は、どうなりましたか?」

 美馬は、女のように鼻にかかった声で聞いた。

「五行連合なんかに入れられると、どうも動きにくくてねぇ、なんだか春田銀行局長に、まんまと枷《かせ》を嵌《は》められ、身動き出来なくなって、春田構想による大蔵省銀行なるものに吸い込まれそうな気がして来て、内心慌てているんだよ」

 冗談とも、本気ともつかぬ云い方をすると、

「まさか、お舅さんに限ってそんなこと、本気でご心配とは思えませんがねぇ」

「むろんだ、だがいざという時は逃げ出すよ、五行一束なんて、真っ平だからね、そのために二子の縁談も考えて運んだのだから」

 万俵は、珍しく声をたてて笑った。

 万俵家の朝は、いつになく賑《にぎ》やかだった。玄関のポーチには、銀行へ出勤する万俵大介と昨夜泊った美馬中を見送るために、寧子、相子のほか二子、三子や女中たちも出揃っている。

 美馬が、朝から胸高にきちっと帯を締めてたっている寧子に、

「お姑《かあ》さま、お世話になりました、ご上京の折には、一子や子供たちもお目にかかりたがっておりますから、是非、おたち寄り下さい」

 娘婿らしく挨拶すると、寧子は雛《ひな》人形のように白い顔をかしげ、

「何のおもてなしも出来ませず……、あの、一子は暑気には弱うございますので、宏たちが夏休みになりましたら、静養かたがた、六甲の山荘に参るようにと、ご伝言下さいまし、その節は中さまもごゆるりと――」

 と挨拶を返した。

「有難うございます、じゃあ二子ちゃん、三子ちゃん、また――」

 寧子の横に並んでいる二人にも笑顔を向け、大介と並んで門の方へ步きはじめた。車はいつものように坂道の下の正門のところで待っているのだった。

「昨夜《ゆうべ》は、よくお寝《やす》みになれまして?」

 三頭のファウン.グレートデンを引き連れ、大介を車のところまで見送る慣《なら》わしになっている相子は、二人より半步退った距離を保ちながら、美馬に声をかけた。美馬はとっさに返事に窮した。昨夜は、大介と相子が同衾したらしい気配が窺《うかが》われ、心おだやかならぬ思いで、なかなか寝つけなかったからだった。しかししいて晴れやかな表情で、

「昨夜は、出張疲れでぐっすり寝入り、今朝《けさ》は山鳩《やまばと》の鳴声で爽《さわ》やかに目ざめましたよ、お舅《とう》さんがお年よりずっとお若く見えるのは、学生時代からゴルフでお鍛えになっているだけでなく、こうした環境にお過しだからだと思いますね」

 美馬は坂道を下りながら、新緑に燃えたつ一万坪の邸内を見渡して云った。言外に隠微な皮肉がこめられていたが、大介は気にする風もなく、

「成城の中君の家のあたりも、最近は建てこんで来たから、そろそろ静かなところへ引っ越してはどうかね、物件の世話なら、万俵不動産にさせればいいのだから」

 と云った時、三叉路《さんさろ》になった坂道から車が徐行して来た。阪神特殊鋼へ出勤する鉄平の車で、鉄平はすぐ車から降りて、父と美馬に朝の挨拶をした。

「美馬さんにお目にかかれてよかったです、昨夜は帰宅が十二時を過ぎていましたので、心ならずも失礼しましたが、一言、お礼を申し上げたくて――」

「え? お礼というと?」

 訝《いぶか》しげに美馬が問い返した。

「阪神特殊鋼の資金繰りのために、インパクト.ローンを導入したいわけですが、その件で、大蔵省国際金融局に、なるべく早期に認可がおりるようお口添え戴いていると、父から聞いています、お世話をおかけして、恐縮です」

 心から感謝するように云った。美馬は昨夜、その反対のことを大介から依頼されたばかりであったから、

「いやいや、最近、認可の順位はうるさくなる一方だから、力になれるかどうか解らないけど――」

 曖昧《あいまい》に応《こた》えると、鉄平は、

「美馬さんはご多忙だから、社の方へお越し下さる時間はないと思いますが、もう少し下の石橋のところまで行くと、視界が展《ひら》けて、建設中の高炉が見えるんですよ、お父さんと一緒にご覧になって下さい」

 と云い、促すように大股《おおまた》で先へ步いて行った。

 裏山の谷川から引いた流れにかかっている石橋のところまで来ると、眼下に芦屋、岡本、御影《みかげ》の住宅街が一望のもとに見渡され、その先に灘浜《なだはま》臨海工業地帯が拡《ひろ》がって、工場群の煙突が林立しているのが見える。

「臨海工業地帯の東端がうちの会社ですが、海岸よりに一際《ひときわ》高く聳《そび》えたっているのが高炉です、そしてその横の円筒状の高い建造物が熱風炉、その向うが転炉の建屋《たてや》、向いは送風機の建屋――」

 鉄平は、この一年余、全力を傾け、今一息というところに迫った高炉建設現場を一つ一つ、いとおしむような熱っぽさで説明した。しかし石橋からの高炉建設現場は、豆粒ほどにしか見えず、大介は不気味なほど無表情に、美馬はプラ.モデルでも見るような無感動な顔付で、鉄平の説明を聞いていた。

 父の励ましも、美馬の質問も、何一つ発せられず、鉄平は気落ちしたが、気を取り直すように、

「お父さん、この前に比べると、急ピッチで工事が進んでおりますでしょう? 原料ヤードには、もうぼつぼつ鉄鉱石も入っておりますし、高炉が完成して稼動《かどう》しはじめるのは、あと一息です」

「あと一息というと、どのくらいかね?」

 はじめて大介は、関心あり気に質問した。

「一週間後から突貫工事体制に入り、十月一杯で全設備を完成し、火入式は十一月一日を目標にしています」

 気負い込むように応えると、

「そうか、十月中に完成するんだね」

 念を押すように云い、大介は今までのゆったりした足どりとは打って変った性急さで、車が待っている正門の方へ步き出した。美馬と鉄平、そして三頭の犬を連れている相子は、それぞれちぐはぐな思いでそのあとに従った。

 三宮駅前の雑踏を、万俵二子は新聞会館に向っていた。一之瀬四々彦と会う約束だった。来る日も来る日も、高炉建設のために残業し、日曜日も休むことの少ない四々彦だったが、今日は工程の都合で、四時過ぎに仕事が終るのだった。

 初夏の夕陽が眩《まぶ》しく舗道を照らす中を、グリーンのワンピースに同色のパンプスを履いて、軽やかに步く二子の姿は、人目を惹《ひ》いた。新聞会館の前まで来ると、まだ約束の五時より十分早かった。会館の中の洋書専門店を約束の場所にしたのは、四々彦が、技術関係の専門書を注文する都合からだった。クーラーのよく効いた店内へ入り、英文学関係の売場へ足を向けかけた時、ちらっと四々彦のうしろ姿が見えた。四々彦は専門の鉄鋼関係の書棚の前で、本の頁《ページ》を繰っている。

「あら、お早かったのね、お待たせしてごめんなさい」

 そっと声をかけると、四々彦は油気のない髪をかき上げ、

「ああ――、こうして見ていると、あれもこれも欲しい本ばかりで、困りますよ」

 苦笑するように応えた。

「ご本は、もう注文なさったの?」

「ええ、すみましたよ、出ましょうか」

 四々彦と二子は、会社帰りのサラリー.マンやオフィス.ガールの溢《あふ》れている土曜日の三宮の繁華街を肩を並べて步いた。

「四々彦さん、異人館のあたりを散步しませんこと? 私、お話ししたいことがありますの」

 二子が云うと、四々彦も頷《うなず》き、生田《いくた》神社の横から回教寺院の方へ行く坂道を上って行った。傾きかけた夕陽の中で、回教寺院のドームと四基の尖塔《せんとう》が輝き、背後には六甲山脈が緑の濃淡を見せて連なっている。

 山手に向ってさらに上って行くと、つい今しがたの三宮の街の賑《にぎ》やかさが嘘《うそ》のような静けさで、初夏の風が二子のワンピースの裾《すそ》を翻《ひるがえ》すように吹き抜けて行った。二子と四々彦は、数カ月前の夜、トーアロードをひっそりと肩を寄せ合うようにして步いた時のように、どちらからともなく寄り添い、黙々と坂道を上って行った。

 あたりは古くから外人たちが住まっている閑静な山手の住宅街で、中には明治の中頃から建っている異人館もあり、今にも朽ち落ちそうな煉瓦《れんが》積みの建物や、風雨に曝《さら》された鎧戸《よろいど》が閉ざされたまま誰も住んでいないような邸《やしき》まで残っている。その辺《あた》りまで行くと、人影も殆《ほとん》どなく、二人の步く足音が夕暮の静けさの中で、ひそやかに響く。二子には自分たち二人のその足音が、美しい音楽のように聞え、こつこつと響く足音を一つ一つ、胸の中に掬《すく》い取るように步を運びながら、

「四々彦さん、この間兄の家へいらした折に、私、お見合いしたことをお話ししましたでしょう、あれ、家では私の意向など聞き入れず、どんどんお縁談《はなし》を進めて、七月十日には結納を取り交わすところまで来てしまいましたのよ」

 と話した。四々彦は驚いたように足を停め、

「それではやはりお決まりになったのですか」

 二子をじっと見詰めた。

「周囲はそう決めてかかっていますわ、でも私は、そんな気持など全くありません、私はこの間も申し上げたように、高炉が完成するまでお待ちしていたいと思っておりますの」

 二子はそう云い、四々彦の眼を見返した。しかし四々彦は視線を逸《そ》らし、黙々と先にたって坂道を上って行き、人家の絶えた崖《がけ》の上まで来ると、そこから昏《く》れなずむ神戸の街を見下ろし、さらに阪神特殊鋼のある灘浜臨海工業地帯の方へ視線を向けた。

「四々彦さん、高炉が完成するまでお待ちしていること、ご承知下さったでしょう? 鉄平兄さまも、私の気持がそんなに強いのなら待っていたらいいだろう、父には自分からよく話してあげるが、高炉が建つまでは、家の中での煩《わずら》わしいトラブルを避けたいから、それまで我慢するようにと、云ってくれましたわ」

 訴えるように云うと、四々彦の濃い眉《まゆ》がぐっと寄った。

「この際、万俵専務は、僕たちのことと関係ないじゃないですか、だけど僕はあなたの家というものを考え、またあなた自身のためをも考えた場合、僕たちの結婚は無理なことのように思える――」

「何が無理なんですの、私、さっき家を出かけて来るまで、二番目の嫂《あによめ》と話していて、つくづく結婚は、自分で納得した相手でなければいやだと思いましたわ」

「二番目のお兄さんというと、阪神銀行にいらっしゃる……」

 四々彦は、訝《いぶか》しげに聞いた。

「ええ、兄の家庭内のことですから、詳しくはお話しできませんけれど――」

 と言葉を濁しながら、不幸な閨閥《けいばつ》結婚によって結ばれ、空疎《くうそ》な結婚生活の中で、はじめて妊《みごも》った胎児を五カ月で流産させ、生涯子供の産めない体になって、毎日、なすこともなく、無為に過している万樹子の痛ましい姿を思い出した。

「私、少なくとも、人から同情の眼で見られたり、一日何もすることなく、ドライ.フラワーのように空《むな》しい日々を送るような結婚は、絶対したくないと、心に決めておりますの、ですから私は、多少、周囲に迷惑をかけても、自分自身の納得の行く結婚、生き方をしてみたいの」

 四々彦は、二子の思い詰めた言葉に、心を動かしかけたが、

「しかし、結納式が目前に迫っているというのに、どうしてそんなことが……」

 四々彦は信じられぬように云った。

「取り止《や》めて戴《いただ》くわ、万一の時は私自身で相手の方へ納得の行くようにお話しし、お断わりしますわ」

 二子はそう云うなり、四々彦の胸にもたれかかって行った。四々彦は思わず、二子の頬を両手に挟《はさ》みかけたが、

「二子さん、気持は嬉《うれ》しいけれど、今の僕は、高炉建設のことしか考えられない、高炉が一週間後には突貫工事に入るのだ――、その完成までは正直云って、あなたとの結婚を考えるだけの心の余裕がない――」

 四々彦は、二子への思いを必死に堪《こら》えるような表情で、万俵鉄平と同じように高炉のことを口にした。

 *

 綿貫千太郎は、専務室の机上の受話器を握って、機嫌よく応答していた。

「これは芥川さん、ご念の入ったお電話で――、ご本人の万俵鉄平専務がご挨拶《あいさつ》においでになるというのに、わざわざ万俵頭取からもご鄭重《ていちよう》なご伝言を戴き、痛み入りますよ、いやいや、先日は私の方こそ万俵頭取じきじきにお目にかかる機会を得、お呼びたてなどと、とんでもない、当方も何かとお引きたて戴き有難うございました、ではまた近いうちに五行連合の席で――」

 と云い、電話を切ると、深々とした大椅子に体をもたせかけた。部屋の壁の色は渋い落ち着いた薄茶《ベージユ》だが、飾棚の上には金箔《きんぱく》の打出《うちで》の小槌《こづち》の置物がガラス.ケースに納まり、壁には奈良の名刹《めいさつ》の管長の筆になる書と、一方にはパリの荻須高徳《おぎすたかのり》画伯の絵が掛ってアンバランスな雰囲気《ふんいき》だったが、綿貫千太郎は、金と名声で飾りつけたような部屋の中を満悦そうに眺めた。

 やがて秘書が、万俵鉄平の来訪を告げに来た。

「三雲頭取は、先のお客さまとのお話が長びき、いかが致したものかと存じましたところ、万俵専務はそれなら先に綿貫専務にご挨拶したいとおっしゃいましたので、こちらへご案内申し上げました」

 綿貫が扉の方へ眼を遣《や》ると、万俵鉄平の姿が見えた。

「これ、これ、失礼じゃないか、万俵専務を私の部屋へなど、すぐ役員応接室へご案内申し上げるのだ、何という気のきかん――」

 大声で秘書を叱《しか》りつけ、自らたって専務室の奥にある役員応接室の扉を開けて、万俵鉄平と銭高常務を迎え入れた。鉄平は、綿貫のあまりの腰の低さに面食いながらも、

「日頃はつい、三雲頭取との旧《ふる》いおつき合いに甘えて、綿貫専務には失礼致しておりますが、この度は別枠《べつわく》融資のご配慮を戴き有難うございました」

 別枠融資がアサヒ石鹸《せつけん》と阪神特殊鋼の交換《バーター》融資によって成りたった経緯《いきさつ》を知らない鉄平は、心からの謝意を述べた。銭高常務も、

「いつもご無理をお願い申し上げております上に、この度はまた格別なるお計らいを賜わり、これも融資担当の綿貫専務のなみなみならぬお力添えと、大いに感謝致し、大船に乗った心強さでございます」

 秘《ひそ》かに万俵大介から、見せかけ融資の形を取って、大同銀行に今後さらに借り増しするべく働きかけるよう命じられていたから、お世辞がましいほどの大げさな礼を述べると、綿貫は、

「いやあ、改まってご挨拶にお運び戴くとは恐縮です、それについ今しがた、阪神銀行の芥川常務を通して、わざわざ万俵頭取から何かとよろしくというお電話を頂戴《ちようだい》しており、重ね重ね恐縮です」

「え? 芥川常務を通して、父から伝言が――」

 父には大同銀行へ挨拶に行くとは云ってなかったので、驚くように聞くと、

「ええ、やはりご令息を思えばこその親心だと、感じ入りましたよ、それに致しましても、万俵専務のご力量はかねがね伺っておりましたが、特殊鋼業界初の高炉建設をご決断されるあたり、お父上に勝るとも劣らない経営手腕の持主でおいでですな、何といっても“企業は人なり”でございますからねぇ」

 先日来、三雲に楯《たて》ついていたのとはうって変った歯の浮くような社交辞令を並べたてながら、綿貫は動物的な嗅覚《きゆうかく》をもって鉄平の才覚を嗅《か》ぎ取ろうとしていた。

「いや、私はただ特殊鋼メーカーといえども高炉を持って一貫生産体制を取り、コスト.ダウンすることが国際競争力をつけることであり、第一、企業家の社会的使命だと考えているのです」

 鉄平は、若い企業家らしい理念をもって応えた。それが綿貫には、いかにも書生っぽく見えて、この御曹子と三雲頭取なら似合いであろうし、自分にとっては与《くみ》し易《やす》い相手だと思われたが、顔には出さず、

「さすがは技術畑ご出身の専務だけあって、良質低廉《ていれん》な製品を作られることに使命感を持っておられ、私たち銀行の者としても大いに共鳴させられるお心がまえですね」

 と褒め上げていると、三雲頭取が現われた。

「どうも、時間をお約束しておきながら、先客の用件が長びき、失礼しました」

 と云い、鉄平の前に坐った。

「この度は、金融引締めの最中《さなか》にもかかわらず、格別のお計らいを戴き、いつもながら御礼の申し上げようもございません」

 感謝の眼《まな》ざしを向けると、三雲は鼻筋の通った面長《おもなが》な顔を鉄平に向け、

「今回の融資は、さすがに私も慎重に考え、行内の意見調整にも手間どりましたが、幸い綿貫専務の同意を得、当行としては、相当思いきった融資方針を打ち出したのです」

 静かながら厳しい口調で云った。綿貫は大きな赭《あか》ら顔を綻《ほころ》ばせ、

「実は頭取がお見えになる前にお話ししていたのですが、阪神特殊鋼の強みは、何と云っても実質的な経営者が技術者出身であるということで、営業出身では、特殊鋼メーカーが高炉を持つなど、とても決断出来ませんですよ、高炉完成まであと一息というところで、こんな不況にぶち当り、さぞお苦しいでしょうが、景気回復と高炉稼動《かどう》のタイミングが合えば、阪神特殊鋼の地位は、国内、国外を問わず、不動のものになると信じております」

 俄《にわ》か勉強で仕入れた知識を並べたてた。阪神銀行がアサヒ石鹸への融資に応じた途端、掌《てのひら》を返したように阪神特殊鋼を持ち上げる綿貫の現金さに、三雲は内心、苦笑したが、鉄平は、

「いや、そんな風に買いかぶられますと、かえって申し上げにくいのですが、実は今日は別枠融資の御礼と同時に、重ねてのお願いの筋があって参上致しました」

 率直に切り出した。

「と申しますのは、当社の来春の増資の件ですが、当社株は既に御行《おんこう》にご保有戴いておりますが、増資に備えて、今少しご保有戴きたく、あわせてお願いしたいと思います」

 と云うと、万俵大介から増資の件をとくと指示されている銭高も、すかさず、

「当社株は、御行には三パーセントご保有戴いておりますが、来春の増資に備えて、いま、二、三パーセントのご保有を増して戴き、株の面でも血の通った親類付合いを、是非ともお願い申し上げたいものでございます」

 親類付合いという表現で頼み込んだ。

「増資環境は、どんな風なのです?」

 三雲は、鉄平に聞いた。

「不況に突っ込む前までは、特殊鋼メーカー初の高炉建設ということで、百五十円台の高値をつけていましたが、目下のところは七十円台というところで、正直申しまして、増資環境はいいとは申せません」

 鉄平が応《こた》えると、銭高がすぐ言葉を継いだ。

「ただし現在は七十円ですが、高炉が完成し、フル操業に入れば、二百円を突破すると証券界で評価してくれておりますので、準メインの大同銀行さんには、二百万株ぐらいを、一株五円引きの六十五円でお願いできれば――」

 と云うと、綿貫は鼻翼をうごめかせ、

「二百万株ねぇ――、まさかそんなにおたくの株がだぶついているわけでもないでしょうし――」

 探りを入れるように聞いた。銭高は狼狽《ろうばい》を押し隠すように口髭《くちひげ》を撫《な》で、

「実は当社株をお持ち戴いている某社が、いろんな社内事情から処分させてほしいと云って参りましたので、今ならお値ごろでもございますので、お引受け戴けたらと存じまして」

「で、その某社というのは、どちらで?」

「ここだけのお話にして戴きたいのですが、当社幹事証券会社の山川証券に保有して貰《もら》っていた株なのです、ところが近く大蔵検査が入るということで――、ご承知のように幹事証券会社が多量の株を保有しておりますと、株価操作の、何のという疑惑を持たれ、追及されますので、当社の株もこの際、手放さざるを得ないことになり、そのうちの二百万株ほどを御行に持って戴ければ、当社としても名誉なことでございます」

 銀行は安定株主だけに、阿《おもね》るように云った。

「すると、今までかなり山川証券が買い支えて、七十円の株価を維持していたというわけですかねぇ」

「そういうわけでもございませんが、この不況下で、市場にぱっと売りに出されれば、七十円を下廻ることも予想され、増資環境が悪くなりますので、山川証券では心配しておりましてね」

「それで失礼ですが、メインの阪神銀行さんのご意向はいかがなんです?」

 綿貫は根掘り葉掘り聞きながら、さっきの芥川常務からのよろしくという電話は、このことを含めてのことだったのかと思った。鉄平は、

「阪神銀行は既に当社株式の八パーセントを持ち、大蔵省の規定している一〇パーセントに近いこともあって、これ以上の保有は無理ですので、関連会社にお願いする一方、準メインの御行にも、この際、お願いに参った次第です」

 と応えると、三雲は暫時《ざんじ》、考え込み、

「綿貫君、どうしたものかねぇ」

 相談するように云った。

「それは頭取が、ご決裁になることでございます」

 綿貫は急に三雲をたてる恭《うやうや》しい言葉遣いで応えた。この際、綿貫としては、イエスともノーとも云わずにいる方が、賢明な態度だと考えたのだった。

「じゃあ、一株いくらで何万株といったことは事務方《かた》で話し合うことにして、ともかく当行としては、出来る限りご要望に添った線で検討させて戴くことにしましょう、増資がうまくいかなければ、高炉操業に何かと悪影響が出て来ますからねぇ」

 三雲が云うと、鉄平はみるみる顔を紅潮させ、

「重ね重ねのご厚志のほど、御礼の申し上げようもございません、これで私も何の憂《うれ》いもなく安心して、高炉建設に打ち込めます」

 心の底から湧《わ》き出るような声で云った。三雲もまた自ら高炉建設を行なうような力強い眼ざしで、鉄平を見返した。綿貫千太郎は、その二人の姿を、微妙な目つきで見ていた。

 麻布六本木のつる乃家の奥座敷で、三雲と鉄平は、二人きりで酒を酌《く》み交わしていた。庭は打水で湿り、ほのかな灯《あか》りが燈籠《とうろう》に入って、初夏らしい涼やかさが漂っていた。

 若女将《おかみ》の芙佐子は、鉄平の大切な招待客と心得て、自ら座敷を取り仕切り、甲斐甲斐《かいがい》しく酒肴《しゆこう》を整え、

「はじめまして、つる乃家でございます、今後ともご贔屓《ひいき》にお願い申し上げます」

 女将らしい挨拶をして、三雲の盃《さかずき》にお酌した。

「鉄平君もなかなか隅におけないね、こんな馴染《なじ》みの店をもっていて――」

「いえ、そうじゃないですよ、実は亡《な》くなった祖父がずっと贔屓にしていた女将の娘が、この若女将なもんですから――」

 鉄平は慌《あわ》て気味に打ち消し、

「それよりお昼は失礼致しました、増資のことまでお願い致しまして――」

「いや、それが高炉建設に必要なことなら、出来るだけの協力をしなければ」

 三雲は、静かに盃をふくみながら応えた。

「いつもそうおっしゃって下さるので、かえってご無理を申し上げるのが辛《つら》く、僕はそのご好意に甘え過ぎていると、反省はしているのですが、つい資金繰りが苦しくなると、三雲頭取のご親切に縋《すが》ってしまって――」

 恥じ入るように云った。

「いやあ、私のようなのが、ほんとうに親切なのかわかりませんよ、不況の最中《さなか》に高炉建設の突貫工事をすることを中止するよう勧告したり、極端な場合は操短や人員整理のことまで云う方が、阪神特殊鋼にとって、或《ある》いは親切なのかもしれない……」

 三雲は、ふと迷うように云った。

「とんでもありません、いつだったか、三雲さんは、企業育成は銀行の使命だとおっしゃっておられたではありませんか」

「育成といっても、或《あ》る時は消極的に止める方が企業を安全にする場合もある、にもかかわらず、私があなたと一緒に高炉建設に賭《か》けていることは、銀行家として果して正しいのかどうなのか、或いはあなたの父上の万俵頭取のように、たとえ自分の息子の企業といえども、厳しい態度をもって接しておられる方が正しいのかもしれない」

「しかし、銀行家としての父の考え方は、どこまでも冷徹な計算の上にのみ成りたったもので、父のことをとやかく申したくありませんが、今後の銀行家は単に利潤追求だけでいいものでしょうか」

 鉄平は箸《はし》をとめて、三雲に問いかけるように云った。

「そりゃあ、銀行家というのは一分のリスクでもあれば踏み切らないというのが、典型でしょう、庶民の大切なお金を預かるのですから、それは当然なことで、銀行家の基本的な姿勢だと思いますよ、しかし、私はこれからの銀行家というものはそれだけではいけない、いささかのリスクが予想されたとしても、そこに企業育成の要素と可能性があれば踏み切るべきだと思うのですよ、その点、あなたのお父さまと私とは、多少、異なった考えをもっているのかもしれませんねぇ」

 三雲はそう云いながら盃を置くと、

「鉄平君、たち入ったことを伺うようで失礼だけど、あなたとお父さまとの間は、うまく行っているの?」

 さり気ない聞き方をしたが、眼には真摯《しんし》な問いかけがあった。鉄平はしんとした思いで、

「いつかはお聞きになることだと思っていました、いくら資金ポジションがどうとか、地場《じば》企業の資金需要に追われているのと云っても、メイン.バンクが従来の融資比率を削減したり、その後の輸出キャンセルで資金繰りが苦しい時も、積極的に融資しないとなれば、そんな疑問を持たれるのは当然です、僕自身、そうした父の態度を、銀行家としての厳しさと感じるより、冷た過ぎると感じておりますから――、それで以前、父と資金繰りのことで云い争った時、僕はつい、お父さんは高炉を建てようとしている僕を嫉妬《しつと》していると、云ってしまったことがあるのです」

 三雲は、愕《おどろ》くように鉄平を見た。

「嫉妬とは、また激しい言葉ですね、私には息子がないから、親子でも、企業家同士の間に嫉妬心が芽生えるかどうか、解《わか》らないけれど、私の高等学校時代の友人に、息子ともども画家になったのがいますが、息子が前衛絵画を描いて高く評価されると、嫉妬を覚えるという言葉を一度、洩《も》らしたことがありました、あなたとお父さまとでは、同じ経営者でも、仕事の種類、場を異にしていらっしゃるから、その点、どんなもんでしょう――、お仕事以外に、お父さまとお家の中で何か気まずいことでも?」

「いいえ、家の中で父と僕とが争わねばならぬようなことは何一つありません、ただ他愛ないことですが、僕の顔つきから性格、声、ものの云い方まで、ことごとく亡くなった祖父似であることが、あまり好ましくないようなのです」

「そんなことは世間でよくあることじゃありませんか、両親に似ず、お祖父《じい》さんっ子とか、お祖母《ばあ》さんっ子などと云って――、うちの娘などは、私より亡くなった家内そっくりで、和服を着て俯《うつむ》いた時の面《おも》ざしなど、家内が生き返って来たのではないかと、はっとするような時がありますよ」

 三雲は他愛なく笑った。

「ところが、父の場合はそれを異常なほど気にするのです、今年のお正月、志摩で雉《きじ》撃ちをした時、ちょうど三雲頭取と丹波へ猪《しし》撃ちに行った時のように、不意に思いがけない方向から雉が飛びたち、引金を引きましたら、その方向の樹《き》の茂みに父がいて、父の鳥打帽《ハンチング》の縁《へり》をかすり、胆の冷える思いをしたのですが、その時、父の云った言葉は、お前ほどの銃の名手がどうして私を撃ったのだ、しかもお祖父《じい》さん譲りの銃でと、云われたのです」

「ほう、お祖父さん譲りの銃で撃ったと……」

 三雲は、怪訝《けげん》な面持をした。息子の誤射を、頭から自分を撃ったと考える万俵大介と万俵鉄平の間柄、或いは万俵家の中に、他人には到底、窺《うかが》い知ることの出来ない暗い澱《よど》みがあるのかもしれないと感じ取ったが、強いて明るい表情をし、

「どうも、いささか酩酊《めいてい》して、つまらぬおしゃべりをしたようですね、久しぶりに牧水の歌でも口ずさみましょうか」

 ニューヨーク時代、酔えば若山牧水の歌を唄《うた》って“純情居士《こじ》”といわれただけあって、

白玉の歯にしみとほる秋の夜の

  酒は静かに飲むべかりけり

 鉄平の心をそれとなくいたわるように、牧水の歌を朗々と口ずさんだ。

 *

 午前中の会議が終り、遅い昼食を摂《と》った万俵鉄平は、受話器をとって、夏休みを六甲の山荘で過している子供に電話した。電話口にはすぐ小学校三年生の太郎の声が聞えた。

「あっ、パパ、いつ来るの、ママと京子だけじゃ、蝉《せみ》とりしたって、面白くないんだよ、それに二子叔母ちゃまも、パパはどうしているのって聞いていたよ」

 口を尖《とが》らせるように云った。

「よし、よし、今日はそちらへ帰るから、夜のお食事、みんなでジンギスカンを食べようね、ママにそう云っておきなさい、じゃあ、楽しみに待っておいで」

 と電話を切った。

 夏になると、万俵一家は揃《そろ》って六甲の山荘へ居を移し、そこから車で四十分程で通える各自の会社へ出勤する習慣になっていた。父の万俵大介も、弟の銀平も、ずっと山荘から通っているが、鉄平は、高炉建設が突貫工事に入っている最中《さなか》で、特にここ四、五日ばかりは深夜まで仕事が続き、岡本の邸《やしき》へ帰っていた。しかし、今日は仕事も一段落つき、あと二カ月で高炉完成に漕《こ》ぎつけるめど[#「めど」に傍点]もついたから、山荘へ帰ることにしたのだった。

 椅子からたち上り、窓ガラスの外を見ると、真夏の炎天下に、工場群の屋根がぎらぎらと灼《や》けるように光り、不況で一部、操短に入っているものの、操業中の棟《むね》からは、絶え間ない金属音が聞えて来る。これらの工場の東側の灘浜に臨んだ十万坪の敷地が、高炉建設用地であった。事務室からは見えなかったが、そこには九分通り出来上った八百立方米《リユーベ》の高炉と、転炉、熱風炉が建ち、岸壁沿いには鉄鉱やコークスを置く原料ヤードと、原料を運ぶ近代的なベルト.コンベアが出来つつあった。鉄平は高炉建設に着工して以来の苦しさを思い返した。

 はじめての高炉建設に伴う技術上の難かしさは云うに及ばず、アメリカン.ベアリング社からの突如とした輸出キャンセル、三月以降、いまだに回復しない不況――、国内国外の悪材料と資金圧迫の中にもかかわらず、高炉建設を一時中止することもなく、逆に工期を早めるために突貫工事に踏み切れたのは、大同銀行の三雲頭取のなみなみならぬ理解と協力によるものであった。あと一息で、その好意に酬《むく》いられるのだと思うと、ルーム.クーラーのきいた静かな部屋の中で、完成への喜びが鉄平の心を豊かに満たした。煙草《たばこ》に火を点《つ》け、ゆっくりと煙を吐きながら、今夜は一之瀬父子も山荘へ誘い、二子や子供たちとともに、野外でジンギスカン料理を楽しむことを思いつき、もう一度、受話器へ手を伸ばしかけた時、突然、窓ガラスが鳴り、ドドドーンと地面が割れるような震動音が伝わって来た。鉄平は地震かと思った。しかし、震動の割に轟音《ごうおん》が異様に激しく、しかも近距離に起った感じがする。急いで窓ガラスを開けた。

「なんだ、今のもの凄《すご》い音は――」

 外へ飛び出した社員に、声をかけた。

「解りませんが、何かが爆発したみたいですね」

 一人が応《こた》えた途端、耳を劈《つんざ》くようなサイレンが鳴り響いた。保安用の緊急サイレンであった。

「専務、高炉建設現場で爆発事故が――」

 秘書課員が、報《しら》せて来た。

「なに、爆発、何が爆発したんだ!」

「解りません、現場にある建設本部の方から報告して来たのです」

「よし、とにかく現場へ行く」

 鉄平は安全用ヘルメットと作業衣を鷲掴《わしづか》みにし、玄関前に停めてあるジープに飛び乗った。工場内に備えつけている消防車が二台、けたたましいサイレンの音をたてて、すぐ横を疾走《しつそう》して行った。工場の各棟からも、工員たちが飛び出し、消防車の走り去った方向に自転車で走っている。

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