饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15374 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「そうすると、失礼ながら、御行《おんこう》には日銀天下り派、生抜き派、中間派の三つの派閥が役員間にまではっきりあり、その比率は、いま伺ったところでは、天下り派二、中間派二、生抜き派四というわけですね」

「……まあそういうことになりますが、うっかり、つまらぬことをお耳に入れてしまいました――」

 綿貫は、うしろめたそうに云った。

「いやいや、決してつまらぬことじゃありませんよ、私がこうしてあなたにさし[#「さし」に傍点]でお伺いしたいのは、実はその辺のところなんですよ」

 万俵はゆっくりと盃をふくみながら云い、

「そうすると、綿貫さん、あなたを長とする生抜き派が数の上で役員会を制しており、役員会の議決が多数決によるかぎり、三雲頭取がどう考えられようと、阪神特殊鋼への対処の仕方は、あなたの思惑一つで、どうにでも出来るんじゃないですか」

「どうにでも出来るって――、それは一体、どういう意味……」

 と云いかけ、綿貫ははっと言葉を切った。薄暗い灯りの中で、万俵の眼が不気味な謎《なぞ》を投げかけるように異様な光を放っていた。綿貫は、大事故を起して深傷《ふかで》を負った阪神特殊鋼を、万俵大介が見放そうとしていることにはじめて感付いた。あるいは万俵大介は、大同銀行に対し、阪神特殊鋼への融資を過熱させて、自行はうまく手を引き、結局、不良貸付で傷つく大同銀行を呑《の》もうと、相当以前から狙《ねら》っていたのではないかとさえ思った。万俵とじか[#「じか」に傍点]取引したアサヒ石鹸と阪神特殊鋼の交換《バーター》融資も、その狙いの一環であったのかと思うと、戦慄《せんりつ》が走った。

「頭取、あなたが欲しいのは石鹸でなく、銀行でしょう」

 斬《き》り込むように云うと、万俵は、

「女の話じゃありませんから、欲しいと云っても、簡単に手に入るものではありませんよ、あの妓《こ》たちが欲しいというのと、わけが違いますからね」

 座敷からすだれ障子越しに見える床で、芥川を囲んでふざけている舞妓たちの方を眼で指した。

「けれど、万俵頭取なら欲しいもので手に入らないことはないでしょう」

「それは女将《おかみ》の計らい次第でしょう」

 意味あり気に万俵が云った時、床の方からどよめきの声がし、

「早うおいでやす、送り火がはじまりますえ」

 舞妓たちが、長い袖《そで》を振るように呼んだ。

 斜め向いの大文字山の山腹にぽっと火が点いた瞬間、京の街のネオン.サインは一斉に消え、漆黒《しつこく》の夜空にくっきりと大の字が燃え上った。

「つまり、お望みはあれですな」

 綿貫が云うと、万俵は頷《うなず》いた。まさしく大の字に燃え上る送り火は、大同銀行の大の字であり、“小が大を食う”万俵大介の年来の念願を象徴していた。

「綿貫さん、今のように家がたて込まない昔は、大文字の“大の字”を盃にうつして、その盃を呑み交わすことが花街の粋《いき》な契《ちぎ》りとされたそうです、私たちもその故事にならって、盃を呑み交わそうじゃないですか」

 万俵が促すと、綿貫はさすがに決心しかねるように躊躇《ためら》ったが、こうしてさし[#「さし」に傍点]で密談した限りは、男女の仲でいえば同衾《どうきん》したも同じで、何もなかったでは通らない。まんまと万俵の罠《わな》にはめられたと思うと、綿貫は開き直るように、

「それでは、はしなくもこれまでご協力して参ったわけでございますな」

 と云うと、万俵ははじめて、にんまりと笑った。

「綿貫さん、あなたのことは重々、心に畳み、今以上にご満足の行く立場を考えておりますよ、まあ盃を上げて下さい」

 自分に加担して寝返るなら、副頭取のポストを用意することをほのめかすと、今は腹をきめてしまった綿貫は、注《つ》がれた盃を一気にあけた。

「それでは、もう一度、床に出て、うちの芥川も交えて盃をあげましょう」

 床に出ると、綿貫は手摺《てすり》に身を乗り出した。大文字山に次いで、金閣寺山の左大文字が燃えはじめ、京の空を焼いた。

「ああ、燃えている、燃えている、大の字が!」

 綿貫は異様に昂奮《こうふん》し、狂気のような声を上げて、両手で手摺を叩《たた》き、叩きながらまた大声を上げた。

 月末の阪神特殊鋼の経理部は、一日中、多忙を極め、午後四時近くになっても、出納《すいとう》窓口には、支払手形や小切手を貰いに来る各社の事務員の姿が絶えない。

 経理部長の安井は、ワイシャツ姿で忙しくたち働いている二十数名の部員たちに眼を配りながら、さっきから机の前に坐り込んでいる下請けの戎《えびす》歯車の社長が、一刻も早く帰ってくれることを願っていた。

「そら、あんな大きな爆発事故のあとでっさかい、苦しいのはようわかってま、そやけど、この不況の最中《さなか》では、阪神さんより、うちら従業員七十人足らずの正真正銘の中小企業の方がもっと苦しいのに、百二十日の手形を、この上さらに百五十日に引き延ばしはるとは、あんまり殺生《せつしよう》やおまへんか」

 阪神特殊鋼の下請け会社の中で中クラスの戎歯車の社長は、その名前のように丸い戎顔をふくらませ、半袖の開襟《かいきん》シャツの衿もとに風を入れながら、安井経理部長の方へ乗り出した。

「その点はほんとうに申しわけなく、先日来、担当者が説明に伺っている次第で、取引先の皆さん方には、商社筋も下請け筋もご納得戴きましたので、暫くの間、おたくもご協力のほどを――」

 下手《したで》に出ながらも、次第に有無《うむ》を云わさぬ云い方をすると、

「そうでっか、こんだけ頼んでも百五十日の手形で辛抱せぇと云わはるのなら、諦《あきら》めんと仕方おまへんけど、おたくさんとこ、大丈夫でおますやろな」

 百五十日先の支払手形と、安井経理部長の顔を見比べ、不安そうに聞いた。

「何を根拠に、そんなことをおっしゃるのです!」

 聞き咎《とが》めるように云うと、その剣幕に気圧《けお》されるように、戎社長は、

「いや、そのでんな、事故以来、いろんな噂《うわさ》を聞くもんで、つい……どうもご無礼申しました、ほな、ごめんやす」

 蒼惶《そうこう》と手形を集金鞄《かばん》におし込んで出て行った。

 そのうしろ姿を見ながら、安井は確かに熱風炉の爆発事故さえなければ、いかに不況が長びいているとはいえ、支払い条件の悪化は、今少し先まで持ちこたえられたものをと、万俵専務の高炉建設突貫工事の指令を苦々しく思った。不況下に、支払い条件が悪化すると、たちまち危ないという噂がたって、会社の信用が失墜するから、何とか銀行で借り繋《つな》いで、がんばり通してきたが、爆発事故後の資金繰りの苦しさは、もはや掩《おお》うべくもなかった。

 安井は、大きな溜息《ためいき》をつき、斜め向いの次長に、

「君、例の東京精工の手形の件について、五菱《ごりよう》銀行の方から、まだ何も云って来ないかね」

 気懸《きがか》りになっていたことを聞くと、

「え? まだ連絡が来ていないのですか、私はとっくに部長のところへ返事が来ていると思っておりましたが――」

 驚くように云った。

「うむ、この時間まで何も云って来ないのだから、心配することはないと思うが、ともかく確認の電話をしておこう」

 安井は四時を指した時計を見て、交換手に五菱銀行神戸支店へ繋ぐように命じた。毎月、東京精工に対しては、三千万円の高級特殊鋼の売掛があり、その売掛金は通常、九十日手形で貰っていたが、月はじめに貰う支払手形は、たいていその月末に、東京精工の取引銀行である五菱銀行神戸支店で割り引いていた。そして今月も、その前提で資金繰りを考え、同じく八月末日に五菱銀行神戸支店を支払い場所とした江州《ごうしゆう》商事の二千五百万円の支払手形を割り引いて貰うその資金で、決済する算段にしていたのだった。ところが三日前になって、突如、五菱銀行神戸支店から、今月の手形割引には応じられないと云って来たのだった。

 理由は、阪神特殊鋼の当座預金の残高が一千万円しかない上、熱風炉の大事故でとかく資金繰りの破綻《はたん》が取沙汰《とりざた》されているので、阪神特殊鋼の融資残高五億をかかえている五菱銀行としては、一時、事態を静観したいというのであった。当座預金に一千万円の残高しかなくとも、二億の定期預金があるのだから、割引には応じてほしいと再度、交渉し、五菱銀行の神戸支店長は、ようやく諒承《りようしよう》してくれたが、最終的な返事は後日、改めてということになっていたのだった。とかく形式と手順を重んじる銀行であったから、事実上、収拾がついていると思ったが、何の連絡もないとなると、やはり気になる。

 電話が鳴り、交換手が五菱銀行の支店長席に繋いでいる最中に、向うから電話が入ったことを知らせた。

「これはどうも――、今、ちょうど御行《おんこう》へ電話を申し込んでいたところですよ」

 安井が声をはずませると、

「さようでございますか、実は先日、お話合いした東京精工の三千万の手形割引は、本店指示により、割引停止にさせて戴《いただ》きました」

 五菱銀行神戸支店長の硬い声が返って来た。

「なんですって! すると、江州商事の今日が期限の支払手形は、一体どうなるのですか」

 驚愕《きようがく》のあまり、怒鳴るように云うと、

「どうなるかと、今になって云われましても――、そちらからはその後、何のご連絡もありませんし、先日もご通知申し上げましたように、御社の当座預金は一千万の残高しかございませんので、やむを得ず、一応不渡りの処置をとり、持出し銀行の富国銀行大阪支店へ返却致しました」

「不渡り? そ、そんな、あんまりひどいじゃないですか、この間、諒承して下さったのは、あれは嘘《うそ》だったんですか!」

 経理部員たちは、総だちになった。しかし受話器を伝わって来る声は、あくまで慇懃《いんぎん》であった。

「御社の窮状はよく解《わか》り、ご要望に添うべく努力致しましたが、本店からはやはり只今《ただいま》ご通知したような指示が参りましたので、ここのところはひとつ――」

「そんな馬鹿《ばか》な! それならなぜ、もっと早く云って来て下さらないのです、支店長、おたくはうちの会社を潰《つぶ》すつもりなんですか!」

 安井は心臓が動悸《どうき》を搏《う》ち、声が上ずった。

「とんでもありません、私と致しましては、三日前の段階では、この事態を何とか回避したいと思い、最後の最後まで本店と折衝しましたが、おたくからはその後、どうなったかの電話一本なく、挙句《あげく》の果てにそんなおっしゃられ方をされるとは、心外です」

「しかし、決済日の午後になって、事後承諾を求めて来られるおたくこそ、あんまり血が通わなさすぎる仕打ちではないですか、決済資金が御行でみて貰《もら》えないなら、これから急遽《きゆうきよ》、ほかで手当しますから、江州商事の手形を不渡りにすることはストップして下さい、お願い致します!」

「お気持の程は、充分解りますが、既に手形の交換時間は過ぎております関係上、一応、不渡りという処置にしないと当店がかぶってしまいますので、ともかく持出し銀行に返却の手続きをしてしまったのですよ、したがってこれから後のことは、御社が富国銀行大阪支店へ明朝の十時までに行かれ、江州商事の手形を買い戻して下さることです、十時までに買い戻されれば、不渡りにはなりません」

 事務的に応答した。

「それは解っていますが、そこを何とか――」

 安井が取り縋《すが》るように云った時、背後から受話器がもぎ取られた。銭高《ぜにたか》常務であった。経理部員から報《しら》せを受けて駈《か》けつけ、電話のやりとりを聞いていたらしく、蒼白《そうはく》な顔で受話器を握った。

「もしもし、銭高でございます、経緯《いきさつ》は横にいて、大体聞いておりましたが、何とか富国銀行へ返却される手形は、御行でストップ願えませんか」

「これはこれは、常務じきじきに恐縮でございます、ですが安井経理部長にご説明した如《ごと》く、本店の指示で、私の力ではどうにもならないことでございますので――」

「しかし、一旦《いつたん》、諒解されたことを、どうして本店がノーと云って来られたのですか、その点が納得出来かねます」

 銭高も次第に声を荒らげて詰《なじ》ると、暫《しば》し沈黙があったが、

「常務がそうおっしゃるなら、甚《はなは》だ僭越《せんえつ》ながら、この際、本店及び当支店の気持をありていに申し上げましょう、実は私どもとしましては、高炉の設備資金におつき合いするかわりと申しては何ですが、振込指定や外国為替《かわせ》の取扱いをさせてほしいと、安井経理部長を通して、いろいろお願いしておりましたが、今まで何一つお聞き届け戴けないばかりか、先般、あれだけ大きな爆発事故が発生しながら、若い係員の方がご挨拶《あいさつ》程度においでになっただけで、事故の詳しい内容や今後の再建策等については碌《ろく》に説明も受けておりません、こういうことが重なりますと、もはや阪神特殊鋼さんは私どもの銀行とはお取引なさる意思がないのだと、思わざるを得ないのでありまして、三日前、当方なりの意思表示をしたわけでございます」

 厭味《いやみ》な云い方をした。

「事故のご説明に不充分な点がありましたことは衷心よりお詫《わ》び申し上げます、しかし三日前、その通知を受けまして、安井がお詫びかたがた、ひき続き今まで通りのお取引をと、改めてのご依頼に参上しました時には、支店長はお引受け下さったでは――」

 銭高は、粘り強く食い下った。

「それは安井経理部長のお思い違いで、私はちゃんと最終的には、本店の意向を聞いてから決めさせて戴くと申し上げましたよ、本店では、金融逼迫《ひつぱく》期の折柄、長いおつき合いの取引先にも手が廻りかねる状態だから、この際、阪神特殊鋼さんはメインの阪神銀行さん以外に、大同銀行さんも平行メインとしてがっちりついておいでになることだし、そちらの方でよりお取引を深めて行かれれば、と申しましてねぇ」

 と云った。これまでのつき合いの悪さと、事故後の阪神特殊鋼の説明の不充分さが五菱銀行本店の態度を硬化させ、同時に危機感を募らせていることが察知された。

「では、どうあっても江州商事の手形は、御行の手でお戻し戴くわけには参らないのですか」

 銭高は、最後の一押しをした。

「はい、こうなりましては、御社からじきじきに持出し銀行へ行かれ、解決されるのがよろしいかと存じます、悪《あ》しからず――」

 支店長は突き放すような冷たさで云い、電話をきった。不渡りになった手形は、手形交換所を経由して持出し銀行へ逆交換されるのだった。

 銭高は受話器を置くと、安井と顔を見合せた。すぐさま二千五百万円の資金の手当をして、不渡り手形を買い戻すとしても、一時不渡りを出してしまった阪神特殊鋼の噂は、明日の午前中に金融界に拡《ひろ》がることは明らかであった。

「常務、どう致しましょう」

 茫然《ぼうぜん》として安井が云うと、銭高は、安井にだけ通じる眼くばせをし、隣接する応接室に入り、ぴたりと扉《ドア》を閉めた。

「まずいことになったな、早速、買戻しの資金をつくらなければならないが、阪神銀行には頼めないし――」

 万俵頭取から見せかけ融資の操作をして、大同銀行に貸し込ませることを命じられているので、困惑するように口髭《くちひげ》を撫《な》でた。銭高の指示で、直接、その操作に当っている安井も頭を抱《かか》え込んだ。

「やはり大同銀行へ行かざるを得ませんね」

「うむ、私が今から行って来る」

「では、私も――」

「いや、君は来ない方が目だたなくていい」

「しかし、じっとしておれません、もとはといえば、私が五菱銀行ときっちり話を詰めなかったばかりに起ったことですから――」

「むろん、君にも責任はあるが、万俵頭取が見せかけ融資を云い出された時から、阪神特殊鋼はこうなることが解っていたのだ、ただ、ちょっとその時期が早すぎただけだ――、ともかく君は社内の動揺を大きくしないためにも、残っており給《たま》え」

「解りました、上京中の万俵専務にはすぐお報せした方がいいでしょうね」

 指示を仰ぐと、銭高は一瞬、躊躇《ためら》ったが、

「やむを得まい、だがその前に、大同銀行の橋爪《はしづめ》支店長を足止めしておいてくれ」

 早口に命じた。

 四時三十五分に大同銀行神戸支店に着くと、橋爪支店長は、支店長室におり、行員たちもシャッターをおろした店内で忙しく仕事をしていた。

「どうも月末のご多忙のところ、突然お邪魔致しまして――」

 銭高はあたふたと支店長室に入り、恐縮するように挨拶した。

「早速ですが、常務ごじきじき、火急のご用件とは何でございましょう、安井経理部長からお電話を戴いた時は、今日はご勘弁願いたいと申し上げたのですがねぇ」

 月末の飛込みに、橋爪支店長は警戒するように云った。

「実は五菱銀行神戸支店で、不渡り手形を出してしまいまして――」

「えっ! それはまたどういうことです?」

 橋爪はくわえかけた煙草《たばこ》を取り落さんばかりに驚いた。銭高は経緯を説明し、

「まことにお恥ずかしい限りです、こちらとしても不意打ちを食った形で、五菱銀行のなさり方にはわが社なりの云い分がありますが、今となって残された道は、不渡り処分になった手形を買い戻すことのみで、御行《おんこう》で是非とも二千五百万円の日銀チェックを切って戴きたいのです、明日一番に、富国銀行大阪支店へ行って、不渡り処分となった手形を買い戻して参ります」

 と頼み込んだ。橋爪支店長は露骨に厭な顔をし、

「そういうご用だてはメインの阪神銀行さんへお願いに行かれるのが、筋というものではないでしょうか」

「しかし阪神銀行には、既に事故後も何かと借り増しておりますので、今回は御行でお借りしたいのです」

「そんな無茶な――、当行は、他行が不渡りとされた手形の買戻し金の融通など出来かねます、しかも御社が不渡りを出すほど切羽詰った状態だなど、ちっともおっしゃらなかったじゃありませんか」

「それは先程もご説明しましたように、わが社と五菱銀行さんとの間で意思の疎通《そつう》を欠いたことによって起った事態で、御行に隠しだてをするようなことは何らありません、またそれなればこそ、恥を忍んで、こうして参上したわけでして、橋爪支店長のご慈悲におすがりする次第です」

 恥も外聞もなく頭を下げると、橋爪は苦りきって、黙り込んだ。二千五百万円のことで融資を拒めば、手形を買い戻す時間的余裕のない時だけに、万一の事態に発展した場合、直接の担当者として重大な責任がのしかかって来る。といって、本来メイン.バンクが面倒をみるべき筋である融資を肩替りするのは、すっきりしないものが残る。こんな場合は自分で決裁せず、綿貫専務に相談して下駄を預けた方が得策かと、判断に迷っていると、

「支店長、こんなことをお願いに参るのも、実は以前、別枠《べつわく》融資の御礼に本店へ参上し、綿貫専務にお目にかかった折、困ったことがあれば橋爪支店長に何なりと相談するようにと云われたものですから……」

 銭高がちらっと上眼遣いで云った。橋爪は、内心を見抜かれたようなばつの悪い顔をし、

「じゃあ、少しお待ち下さい、金額よりことがことだけに、本店の意向を聞かないことには――」

 と云い、支店長室を出て行ったが、十分程して戻って来ると、

「今回は当行が面倒をみましょう、しかし改めて、おたくの財務内容の調査をさせて戴きますよ」

 と云い、二千五百万円の日銀チェックを切った。日銀チェックは現金と同じ価値を持つもので、不渡り処分にされた手形は、現金もしくは日銀チェックでなければ買い戻せない。銭高はおし戴くように受け取り、

「おかげで助かりました、万俵専務は上京中でございますが、このことは直ちに連絡致します」

 と云い、これ以上、長居して藪蛇《やぶへび》にならぬよう慌《あわただ》しく席をたった。橋爪支店長はまだ阪神銀行の見せかけ融資に全く気付いていない様子だからであった。

 東京の大同銀行本店では、三雲頭取が先刻《さつき》から何度も五菱銀行本店へ電話をかけていた。神戸支店で不渡りになった阪神特殊鋼の手形を、五菱銀行本店の融資担当の松村専務に頼んで、不渡り手形として手形交換所に廻らぬようにして貰うためであったが、なかなか、相手がつかまらない。三雲頭取は、万俵鉄平の方を向き、

「困りましたねぇ、明朝、持出し銀行で買い戻せば、不渡りは回避出来ますが、一旦、持出し銀行へ不渡りの形で戻ってしまうと、金融機関の信用を失うから、何とかして手形が交換所へ廻らぬ前に止めなくては――」

 先行《さきゆき》を案じるように云うと、万俵鉄平は頭を垂れた。

「手形買戻しの資金手当を、御行でして戴いた上、さらにこのようなご配慮まで戴き、お恥ずかしい限りです……」

 鉄平は、事故によってユーザーが動揺し、契約がキャンセルにならないように、東京の大口ユーザーの間を奔走しているところへ、銭高常務から電話がかかり、ことの次第を聞いて、三雲頭取のもとへ駈けつけて来たのだったが、いかに自分の留守中とはいえ、メイン.バンクである阪神銀行に手形買戻しの資金を頼まなかった銭高の処置が腹だたしく、恥ずかしかった。

 三雲は、また直通電話のダイヤルを廻した。五菱銀行の松村専務とは、日銀時代から昵懇《じつこん》の間柄であった。

「もしもし、松村さん、三雲です、今日はお願いしたい件があって、先程来ご連絡申し上げているのですよ、実は当行の融資先である阪神特殊鋼の手形が、おたくの神戸支店でちょっとした行き違いから、つい先程、不渡り処分になったのですが、当行で手形買戻しの資金手当をしましたから、一応、御行の当座の貸越しにして、不渡りにならぬようにしてやって下さい、金額は少額ですが、何分、高炉建設中の時ですので、こんな噂《うわさ》が拡がりますと、今後の資金調達に大きく影響しますので、何とか善処をお願いしたいのです、最終的にこの手形に関しては当行が責任を持ちますから――」

 三雲は、五時を指しかけている時計を見ながら、慌しく云った。電話器の向うで、暫時《ざんじ》、困惑するような沈黙があり、

「解りました、御行が責任を持たれるならば、技術的な面で、今からでもそれが可能かどうか問題ですが、ともかく直ちに現地に連絡を取ってみましょう」

 と応《こた》え、すぐ電話をきった。三雲は受話器を置くと、ハンカチーフで額に滲《にじ》んだ汗を拭《ぬぐ》った。

 大きな咳払《せきばら》いがして、扉《とびら》が開いた。綿貫千太郎であった。

「頭取、五菱銀行とのお話合いはいかがでございましたか?」

 気懸《きがか》りそうに聞き、鉄平にも、

「専務も何かとご心配でしょうが、三雲頭取から向うの松村専務という線なら、何とかなりそうでございますよ」

 と励まし、秘書に新しいお茶を云いつけかけると、ベルが鳴った。三雲はすぐ受話器を取った。待ち受けていた松村専務からの電話であった。

「もし、もし、三雲です、いかがでしたか?」

 急《せ》き込むように聞くと、

「あれからすぐ神戸支店へ連絡し、支店長に事情を話したのですが、一足違いで、手形を交換便の車に積み込んでしまい、その最終便の車が出てしまったあとだものですから――、どうしようもないわけで、せっかくのお電話でございましたが、悪しからずご諒承《りようしよう》願いたいのです」

 慇懃《いんぎん》に云った。一行の各支店から出る一日数万枚にのぼる手形、小切手類は、交換便の車によって集められ、交換所に運ばれるが、一旦、その車に積み込まれてしまうと、その分だけ引き出すことは、事実上、不可能であった。

 三雲は黙って受話器を置き、鉄平はがくりと肩を落した。阪神特殊鋼の一時不渡りは、忽《たちま》ちブラック.ニュースとして業界、金融筋に流れることは必至であった。

「ひどいとこですな、五菱銀行というのは」

 綿貫は大きな声で憤《いきどお》るように云ったが、鼻翼を膨《ふく》らませたその顔は、口ほどでもなかった。

 万俵鉄平は、大同銀行本店を出ると、麻布《あざぶ》六本木の『つる乃家』に向って、車を走らせていた。

 独りになると、今さらのように三雲頭取に対する申しわけなさと恥ずかしさが募り、阪神銀行の頭取を父に持ちながら、その父から何の助力も得られず、大同銀行の三雲頭取にかほどまでの迷惑をかけたという思いが、心を重く押しひしいだ。つる乃家の玄関を入ると、若女将《おかみ》の芙佐子《ふさこ》が出迎えた。

「お久しぶりですこと、お達者で何よりですわ」

 阪神特殊鋼の事故後、はじめてであったが、そのことは口にせず、いそいそと奥座敷へ案内した。打水に濡《ぬ》れた中庭を隔てた表座敷には、芸者をあげている賑《にぎ》やかな客の声が聞えたが、奥座敷はひっそりとして、冷房がきいていた。

「ちょうど、お夕食の頃ですけれど、お召し上りものは何になさる?」

「何もいらない、酒、冷酒だけでいい」

 ぶっきら棒に応えた。

「駄目よ、そんな充血した疲れた眼をしてらして、お酒だけ召し上ると、体を悪くするわ」

 仲居を呼んで酒と料理の用意を云いつけ、運ばれて来ると、

「さあ、どうぞ、お一つ――」

 盃《さかずき》をすすめた。しかし鉄平はそばにあるコップを取って注《つ》がせ、ぐいと酒をあおった途端、激しい頭痛がし、顔を顰《しか》めた。

「どうなすったの、どこかお工合でもお悪いのじゃなくて?」

「いや、このところ東奔西走で睡眠不足なんだろう」

「そんな無茶な飲み方は駄目、大分、お疲れの様子だから、少しお寝《やす》みになっては? すぐお床を取らせますから――」

 気遣うように云った。事故発生以来、事故原因の究明、遺族の弔慰、熱風炉の再建策、その上に資金繰りと、この二週間ほどはぶっ通しに駈《か》けずり廻り、疲れきっていたが、頭痛を覚えるのは初めての兆候であった。

「じゃあ、飲むのはこれぐらいにして、少し寝むよ、だが、若い妓《こ》を呼んでくれ」

「まあ、それこそ、体に毒よ」

 窘《たしな》めるように云ったが、鉄平はどんよりと澱《よど》むような疲れの中で、女が欲しかった。

 次の間に、床の用意がされている間に、鉄平はさっとシャワーを浴び、浴衣《ゆかた》に着替えた。越後上布のさらりとした夏夜具に、男女の枕《まくら》が並べられ、鉄平は男枕にごろりと仰向き、芸者が来るまで少し眠ろうとすると、芙佐子が水差しを運んで来た。

「はい、湯上りのお氷水《ひや》よ」

 平絽《ひらろ》の涼やかな着物の袖口《そでぐち》から、白く肉付いた手が、眼の上に見えた。鉄平は氷水を受け取らず、芙佐子の手を取った。夜具に水がこぼれ、芙佐子の体が揺らいだ。

「あら、お水がこぼれたじゃないの」

 さらりと受け流すように、鉄平の顔を睨《にら》んだ。

「どうして逃げるんだ、あんたは老女将の養女ではなく、ほんとうは祖父と老女将の間に生れた実の娘だということは、この間、聞いたが、それだって別にどうってことはないじゃないか」

 鉄平はぐいと芙佐子を引き寄せ、いきなり衿《えり》もとに手をさし入れた。むっちりとした白い肌が露《あら》わになり、乳房にふれた。

「あなた、自分の云ってることが解《わか》らないの、あなたと私は血の繋《つな》がった叔母と甥《おい》なのよ、おそろしい……」

 芙佐子は体を震わせ、鉄平の腕をふりほどこうと、抗《あらが》った。

「ほんとに叔母と甥なのかい、もしかしてもっと血が濃いので、それであんたはそんなに怯《おび》えているんじゃないのか」

 鉄平の脳裡《のうり》に祖父の顔がうかび、芙佐子の体を引き寄せたまま、問い詰めるように迫ると、芙佐子は頬をひきつらせ、

「何ということを……、そんなことありようはずがないって、前にも云ったじゃありませんか、離して!」

「離さん、ほんとうのことを云え、あんたは、僕の何にあたるのだ!」

 鉄平の眼に異様な光が増した。それが解れば、自身の出生《しゆつしよう》が明らかになる。しかし、芙佐子は頑《かたく》なに口を閉ざしている。

「云え、云え、ほんとうのことを云ってくれ!」

 芙佐子の体を揺さぶり、声を荒らげながら、鉄平はいつの間にか、自分の声が悲痛な哀訴になっていることに気付いた。

「云わないのか、それなら――」

 鉄平の手に力が入り、芙佐子の体を押し倒した。はだけた衿もとがさらに露わになり、夜具の上に束ねた黒髪が乱れた。

「駄目! いけないのよ……」

 振り搾《しぼ》るような声で、鉄平の手を払い除《の》けると、芙佐子は逃れるように座敷を走り出た。

 一時不渡りを出した阪神特殊鋼の噂は、燎原《りようげん》の火の如《ごと》く業界、金融界に拡《ひろ》がった。

 そしてそれから半月もたたぬうちに、融資各行の会合が開かれた。表面上は爆発事故の事故処理委員会という名目を設けて、半官半民的な性格をもつ長期開発銀行が招集した会合であったが、事実は一時不渡りが出て、融資各行が警戒の色をみせはじめたのに便乗し、大同銀行の綿貫千太郎が委員会を開かせるべく策動したのだった。その綿貫の策謀こそ、京都鴨川べりの床で、阪神銀行の万俵大介と大文字の送り火を眺めて、燃える“大”の字を盃にうつしながら取り交わした密約を実行するためのものだった。

 大阪城が窓越しに望まれる関西銀行協会の会議室に集まっているのは、協調融資銀行三十数行のうちの主《おも》な七行の融資担当役員であった。

 長方形のテーブルの正面に坐《すわ》っている司会役の長期開発銀行の東郷常務は、融資順に左右に列《なら》んでいる阪神、大同、五和、第三、大友、五菱銀行の出席者を見渡し、

「メインでもない当行が、本日の司会を致すなどおこがましい限りですが、阪神銀行さんと大同銀行さんから要請があり、お引受け致しました、よろしくお願い申し上げます」

 鄭重《ていちよう》に挨拶《あいさつ》すると、阪神銀行の渋野と大同銀行の綿貫は穏やかに頷《うなず》いたが、一番末席の五菱銀行は担当役員が急病という理由で、代りに融資部長が出席していた。

「最初に、メインの阪神銀行さんから経過説明をお願い致します」

 東郷が促すと、渋野が口を開いた。

「爆発事故後、今日で一カ月半経《た》っておりますが、従来の既存の電気炉工場の操業、営業その他は、事故前とかわることなく順調に動いているのを、まずご報告すると同時に、これもひとえに各行のご支援の賜物《たまもの》と厚く御礼申し上げます。

 さて、事故後、阪神特殊鋼側が提出した資金計画によりますと、まず事故による直接的な損害額は死傷者への弔慰金、見舞金など約五千万、間接的な損害額、つまり高炉完成が遅れた間の休業による損失額は、不稼動《ふかどう》資産二百億の金利、償却負担など計十六億であります、以上十六億五千万円の損害がどの位の期間でカバー出来るかという点につきましては、不況による価格の落込みが現在三割強で、既に底入れに来ていると見てよく、熱風炉復旧によって高炉が稼動する約半年後には、市況も一割ぐらいアップすると推測されます、となりますと、阪神特殊鋼の月間損益は二億ベースに回復しうる見込みで、十六億五千万の損害は、高炉の稼動後約八カ月余でカバー出来ると考えられます。

 次に金融的にみた場合、会社側の資金計画表によりますと、当面の損害の跳《は》ね返り約十二億に加えて、設備資金のもたれ込みが約四十億、計五十二億の資金ショートが見込まれ、この分を協調融資各行でみてほしいという内容であります。

 以上が阪神特殊鋼の再建計画で、細かい点については多少の異論もあるかと存じますが、大筋としては、私どもメインと致しましても、この線で各行の皆さま方のご協力を戴《いただ》ければ幸いでございます」

 渋野は説明を終えると、改めて一同に頭を下げ、協力方《がた》を要請した。長期開発銀行の東郷常務は、

「では只今《ただいま》のご説明をもとに、われわれ銀行団の融資方針を決めたいと思いますが、以上の点でどなたかご質問は?」

 と聞いたが、各行役員は眼をテーブルの上に向け、黙りこくっている。ややあって、大同銀行の綿貫が口を開いた。

「では、私から一、二、お尋ねさせて戴きます、まず第一に特殊鋼業界の今後の市況について、渋野さんは今が底入れ期で、半年後には一割アップするというご見解ですが、渋野さんらしくない楽観論ですねぇ、鉄鋼連盟や通産省の景気指標を仔細《しさい》に検討しての私見ですが、私は特殊鋼需要は、この先当分、頭打ちの上、需給のアンバランスは半年や一年では回復しないと思います」

 大きく張った鼻翼をふくらませ、したり顔で云った。日頃、そういう方面に通暁《つうぎよう》していないはずの綿貫が、この日に限って滔々《とうとう》と弁じたてるのに、他行の役員たちは奇異な眼《まな》ざしを交わしたが、綿貫はこの委員会のために、部下に進講させて俄《にわか》勉強して来たのだった。綿貫はますます得意気に、

「どうですかな、大友銀行さん、“調査の大友”と云われている御行《おんこう》なら、市況の見通しにはお詳しいと思いますが、私の推測は如何《いかが》なものでしょうか」

 と云うと、大友銀行の常務は、

「さようでございますね、鉄鋼、なかでも特殊鋼の市況見通しは難かしいですからねぇ」

 曖昧《あいまい》に応《こた》えをそらした。融資順位が四位以下ともなると、問題を抱えた融資先からは逃げたくて仕方がないから、こういう会議には自行の意見をなるべく云わず、損をしないようにたち廻る。しかし綿貫は一同の沈黙などおかまいなしに、さらに体を乗り出した。

「それに、阪神特殊鋼は昨年十二月、大口の輸出キャンセルに遭い、かなりの不良在庫を抱え、損失負担をさらに累加《るいか》させているようですね、ですから渋野さんがおっしゃったように、高炉が稼動すれば八カ月で損失額がカバー出来るなんて、とてもじゃないと思うのですが、第三銀行さんや五和銀行さんは、この輸出キャンセルの件が、阪神特殊鋼の立直りに相当マイナスになるとお考えになりませんか」

「輸出キャンセルと申しますと、どちらからで?」

 五和銀行が、怪訝《けげん》そうな表情で尋ねた。

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