饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15401 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 饗応《きようおう》作戦で、調査に手ごころを加えて貰おうという下心が見えすいていた。

「そうしたことは、おかまいなく――、それより早速、帳簿を拝見させて戴きましょうか」

 万俵銀平が慇懃《いんぎん》無礼な語調で促すと、太平社長の傍らに畏《かしこ》まっている専務と経理課長は、総勘定元帳や補助帳簿の分厚な綴《つづ》りなど、銀行側の要求通り、二年前まで遡った財務関係の諸帳簿を運び込んで来た。

「ほんなら、私はこれから余儀ない業界の集まりがありますよって、ちょっと失礼さして貰います、ご不審の点は専務と経理課長がお傍《そば》におりますよって、何でもお尋ね願います」

 太平社長はそう云い、専務と課長に、

「腹蔵のないところをお話しして、うちの内情をよう納得して貰うんやでぇ」

 まことしやかに云い残して、そそくさと席をたった。最高責任者の社長がいては、抜きさしならぬことを聞かれた時に、言を左右にして答えを逸《そ》らすわけにゆかず、席をはずすに越したことはないという判断らしい。

 太平社長が出て行くと、二人の調査員は用意された机に移り、ワイシャツ姿で調査を開始した。

「まず、総勘定元帳から拝見しましょう」

 年長の調査員が専務に云い、二年前からの分厚い帳簿を開いて、銀行に提出されている貸借対照表の数字と突き合せて行った。その間、万俵銀平は応接ソファに坐ったまま、二年分の資金繰表をもう一度、仔細《しさい》に点検して行った。

 総勘定元帳の照合は一時間半程で終った。

「では、次に補助帳簿を――」

 一息つく間もなく調査員が云うと、ずっとたち合っている太平スーパーの専務と経理課長は、三十冊近い帳簿を机の上に積み上げた。二人の調査員は手分けして、現金、預金、借入金、支払手形、仕入等の項目別に、明細が記帳されている帳簿を調べにかかった。このあたりから調査は本格的になり、もし太平スーパーが妙な経理のからくり[#「からくり」に傍点]をしていれば、それを摘発する手がかりが見つけ出せる。それだけに、調査員の方もスーパー側の専務と経理課長も緊張した面持になり、室内は帳簿を繰る音と、双方の短いやり取りの声以外、しんと静まり返った。

 昼食後も、三十冊近い帳簿調べはなお続き、時計は午後二時を指していた。帳簿の山に囲まれた二人の調査員はワイシャツの袖《そで》をたくし上げ、指先を黒くしていたが、銀平は相変らず上衣も脱がず、ソファに坐ったままの姿勢で、二人の調査員の手が廻らない帳簿を調べていた。本店営業部の貸付課長の前、四年間、調査部にいたから、こうした調査には二人以上に慣れている。

「仮払金帳簿を出してみて下さい」

 若い方の調査員が云った。

「ええっと――、あ、これです、どうぞ」

 経理課長は帳簿の山の中から探して提出した。調査員は慣れた手つきで頁《ページ》を繰り、仮払先を一つ一つチェックして行ったが、ふと手を止め、

「この三千五百二十一万円の仮払金は、何の払いですか?」

「それは、その……店の規模が大きくなるに従い、九つの支店分の仕入商品をそれぞれの店がバラバラに仕入れるのでなく、まとめて仕入れることが出来ますと、何かと低コストにつきますので、今度、この近くの国道沿いに配送センターを建設することにしましたんで……、三千五百二十一万円はその建築費の手付金です」

「ほう、そんなものを造られるなどとは貸付担当の僕も聞いてませんでしたねぇ」

 すかさず、銀平が言葉を挟んだ。

「おかしいですね、社長が申し上げているものとばかり思っていましたが――」

「全くお聞きしてませんね、建設会社との契約書をみせて戴きましょうか」

「さてと、あの契約書は――、確か経理部長が保管しているんだったね」

 専務は、経理課長に云った。

「はあ、ところが、部長は目下、病気で休んでおりまして――」

「経理部長が先月でおたくを辞めたことは、さっきトイレットへ行った時、たまたま、店員から聞きましたよ」

 銀平は、専務たちの逃げ口上を封ずるようにきめつけ、

「どこなんです、この三千五百二十一万円の払出先は?」

 鋭く追及した。

「申しわけありません……、実は、社長の個人的な事情で支出したものでして――」

「そうすると、社長の借金というわけですね」

 銀平はそう云ったが、信用はしなかった。朝からの四時間近い調査で、太平スーパーの経理は資産にかなりの腐れ[#「腐れ」に傍点]と水増しがある一方、負債額は実際以上に低く抑えられており、各項目にわたって二重帳簿を作って粉飾している疑いが次第に濃厚になって来たからであった。経理部長という重要ポストにある役職者が先月辞めたのも、それを裏付ける要素かもしれない。銀平は専務の方を向き、

「昨日、当行へ来られた時、お聞きしかけた不審な支払手形の件ですがね、おたくの社長があまりに昂奮《こうふん》されたので、あれ以上お聞きするのを差し控えたのですが、それは、この支払手形帳簿にも載っている門脇《かどわき》商事のことなんですよ、そことおたくとは、どんな取引がおありなんですか?」

 と詰問《きつもん》した時、扉《ドア》が開いて、太平社長が蒼惶《そうこう》とした様子で入って来た。一旦、逃げの術《て》を打ったものの、そこは自分一代で築き上げた事業であったから、気になって帰って来たらしい。硬《こわ》ばった雰囲気を感じ取ると、わざと惚《とぼ》け面《づら》で専務を見、

「一体、どないしたんや、えらい難かしい顔をして――」

「いえ、別に――、今、門脇商事のことを……」

 専務が戸惑い気味に云いかけると、

「ああ、あれでっかいな、そらご不審に思われても仕方おまへんわ、門脇商事という名前はけったいだすが、二年程前に、京都の織元と提携して和服のレデエ[#「エ」に傍点].メエ[#「エ」に傍点]ドを始めた新しい会社で、うちなどの衣料品スーパーには、打ってつけのとこですよって、去年からとんとん拍子に取引が始まったんだす」

 昨日の取り乱しようとは打って変った落着き方で申し開きをした。

「ほう、和服のレディ.メイドの会社なんですか、和服なら去年の九月頃から、この一月までに総計七千万近い取引があっても当然なわけですね、よく売れていますか?」

「そらもう昨今はなんせ、レデエ[#「エ」に傍点].メエ[#「エ」に傍点]ド時代ですよって」

「それは結構です、ところで、仕入台帳に、この門脇商事は記帳されているだろうね」

 銀平は二人の調査員を顧みて聞いた。もし仕入台帳に記載されていなければ、門脇商事の支払手形は、商取引のものでないことが証明出来るわけだ。

「記載されています、仕入回数と、支払手形を振り出した回数も合致してます」

 調査員が帳簿を見ながら応《こた》えると、

「ほれ、ちゃんと合うてますやろ、けど、ご不審の点は徹底的に調べてはっきりして貰《もろ》うた方が、うちとしても気持がよろしおますわ」

 太平社長は、顔中を笑い皺《じわ》にし、声を上ずらせた。銀平は一瞬、怯《ひる》みかけたが、

「それはどうも、では社長のお言葉通り、念のために仕入伝票と注文書の綴りを見せて戴きましょう」

 と云うと、俄《にわ》かに太平社長の顔から笑いが消えた。持って来させた仕入伝票にも、注文書にも、門脇商事の名前は皆無だった。

「どういうことですか、これは――、ここに積まれているのは、二重帳簿じゃありませんか」

「そんな……まるで税務署みたいな云い方やおまへんか」

 太平社長も開き直るように云い返した。営々として築き上げてきた自分の事業を生かすも殺すも、ここが勝負という切迫感があった。しかし銀平はじっと相手を見据え、

「銀行は信用取引ですからね、そちらが悪質な粉飾をして事実をあくまで隠す腹なら、もはや当行としては手を引くより仕方がありません」

 と云い放った。主力銀行の阪神銀行が手を引けば、さし当って二月二十日払いの二億の支払手形が不渡りになり、太平スーパーは倒産することになる。太平社長の皺だらけの顔が引きつれた。

「――申しわけおまへん、門脇商事というのはご推察通り、高步《たかぶ》業者でおます」

 遂《つい》に金融手形であることを認めた。

「実は、一年前に東京の百貨店系の富士ストアが進出して来てから、店員を引き抜かれたり、特売のチラシを刷っている業者にスパイを入れて、うちの特価デーに同じ目玉商品をさらに安値でぶっつけて来るなど、大資本にものを云わせたえげつない攻め方をされて売上が急に減り、ここ一年、あっという間に二億近い赤字を出しました、その穴埋めのために、高步業者から危険を承知で、七千万近い金を借り、去年の九月から繰り廻しておりましたんだす」

 一気に吐き出すように話すと、傍らの専務と経理課長も、うなだれた。

「で、金利はいくらです?」

「日步、七銭でおます」

「随分、悪質な業者から借りたものですね」

 年利に換算すると二割五分、阪神銀行が太平スーパーに貸している金利は七分七厘《りん》であるから、太平スーパーの金繰りの窮迫ぶりは手にとるようにうかがえた。

「では在庫を実際に当ります、商品台帳の簿価《ぼか》にも不審な点がありますので」

 二人の調査員がたち上りかけると、

「えらい失礼だすが、店員の上っぱりを着用してほしおます、店にはお客さんや仕入先筋も出入りしますよって、銀行の調査を受けていることが解《わか》ったら、それこそうちは……」

 太平社長は、哀願するように云った。二人の調査員はさすがに嫌な顔をしたが、仕方なく紺《こん》の上っぱりを着た。銀平は衿《えり》の行章だけをはずして、売場へ足を向けた。

 いつの間にか、外は暗くなり、蛍光燈《けいこうとう》に照らし出された店内には、勤め帰りらしい会社員や、夕方の買物の主婦たちが出入りしていた。それでも特価デーにしては客足が少ない。

「全商品はとても調べきれないから、衣料は男女オーバーと狐《きつね》の衿巻、食料品はラーメンと罐詰《かんづめ》の抜《ぬき》調査をします」

 二人の調査員は、まっすぐオーバー売場へ行き、ハンガーに下っている品物と、商品台の下の戸棚のなかのストック品を数えはじめた。銀平は両手をポケットに突っ込んだまま、それをみていたが、やたらにマネキンを多くして陳列面積を埋め、品数の不足を補っている様子が見て取られた。明らかに商品台帳と現物の在高《ありだか》の間にも大きな開きがあるようだった。

 銀平が煙草《たばこ》をくわえてガラス窓に寄ると、眼の上に派手なネオン塔が見えた。『富士ストア』という赤いネオン.サインが大きく点滅している。それは五百メートルほど離れた甲子園寄りにあるはずなのに、ネオン塔でみると、眼と鼻の先のように見える。銀平は、無表情にネオン塔を見詰めながら、この調査が終った後の、太平社長に云うべき言葉を考えていた。それは、どんなに執拗《しつよう》に、今日の調査結果を聞かれても、「いずれ後日、取りまとめまして、――」と答える次第になるはずだった。

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 二   章

 神戸港に臨んだ灘浜《なだはま》臨海工業地帯は、朝からスモッグに掩《おお》われ、石油化学工場や、機械、造船工場から吐き出される煙が、北西の季節風に煽《あお》られて、海側の上空へ幾筋もの縞《しま》模様を描き出している。

 その中で一際《ひときわ》、高い煙突から煙を吐き出しているのが、万俵コンツェルンの一翼である阪神特殊鋼であった。大阪寄りの東南端に二十五万坪の敷地を有し、製鋼工場、圧延工場、製管工場など、十棟近い工場が並び、岸壁には特殊鋼の原料となるスクラップを輸送する船が碇泊《ていはく》している。

 工場内に、午前八時の就業を告げるサイレンが鳴り、カーキ色の作業衣を着た従業員たちが小走りに、或《ある》いは自転車に乗って職場へ急ぐ姿が見られた。

 万俵大介の長男で、この阪神特殊鋼の専務である万俵鉄平は、ワイシャツの上に作業衣をつけ、安全用の黄色いヘルメットを冠《かぶ》りながら、事務本部の玄関の階段を駈《か》け下り、大股《おおまた》な足どりで製鋼工場へ向った。父の大介に似て長身であったが、色の浅黒い精悍《せいかん》な容貌《ようぼう》は、祖父の敬介を思わせ、分厚い肩を押し出すように步いて行く姿には、まだ三十八歳の専務とはいえ、資本金六十億、従業員数三千人の阪神特殊鋼の実質的経営者らしい堂々とした威風がそなわっている。

「専務、お早うございます、今日はご出張あけで、お休みではなかったのですか?」

 背後《うしろ》で声がし、振り向くと、工場長の一之瀬《いちのせ》がすでに各工場を見廻って来たらしく、ジープから降りて、足早に近寄って来た。

「お早う、五日間も工場を離れていて、休めるものかどうか、解《わか》るだろう――」

 白い歯をみせて、鉄平は応《こた》えた。通産省の重工業局製鉄課との打合せと、大口ユーザーへの挨拶《あいさつ》廻りのために、ここ五日間上京し、今朝の一番機で帰って来たのだったが、伊丹《いたみ》空港から工場へ直行したのは、鉄平のような技術屋経営者にとって、五日間も工場を離れていると落ち着かないからだった。

「相変らずのご気性ですな、もっともその専務の気性で、当社はここまで大きくなったんですな」

 鉄平より一まわり以上も年上の一之瀬は、温厚そうな眼を細め、九州訛《なま》りのある口調で云《い》い、

「で、これから製鋼工場ですか」

 電気炉工場の方へ眼を向けた。六十トン電気炉をはじめ、各工場はまだかなり先にあったが、二人には、電気炉から聞えてくる低い振動音や、鋼《はがね》が圧延されて製管される高い金属音が、独特の響きをもって体に感じ取られる。

「今日の工場の調子は、よさそうだな」

 鉄平は工場全体から響いて来る快調な音を聞き分けるように、ぎょろりと大きな眼を動かして步調を早め、一之瀬工場長もそれに従った。

 鉄平が東大の冶金《やきん》科を卒業後、マサチューセッツ工科大学を経て阪神特殊鋼へ入ったのは、昭和三十年であった。当時、既に工場の一部は現在地に移転していたが、もともと阪神特殊鋼は、祖父の敬介が、第一次世界大戦の時、神戸市長田にあった小さな鉄工所を買収し、第二次大戦が終結するまで、軍需景気に便乗して、みるみる大きくのし上げた会社であったが、戦後十年間は、従来のような軍需産業に依存した行き方は出来ず、さりとて特殊鋼の消費先である自動車、機械工業はまだ興隆期に入っておらず、苦境の時代だった。

 しかし、アメリカ留学で自動車産業の発展を具《つぶさ》に見て来た鉄平は、ベアリングの素材となる軸受鋼《じくうけこう》の将来性を見通し、大量生産によるベアリング鋼の製造を強く主張して、高級鋼の生産一本で手堅く経営して行こうとする中小企業的感覚の幹部たちと鋭く対立した。この時、製鋼部長だった一之瀬だけが、若い鉄平の説を支持し、近代的な大型設備の導入を実現したのだった。その結果、自動車産業の飛躍的発展に伴い、時流に遅れて倒れて行く群小の特殊鋼メーカーを尻目《しりめ》に、業界では姫路特殊鋼と並んで、首位を争う規模にまで発展し、今では完全に首位にたった。

「君、こんなスクラップを使っているのか」

 六十トン電気炉のある第一製鋼部の工場の前まで来ると、鉄平は、そこに野曝《のざら》しに積み上げられているスクラップの山を指した。鉄の塊や厚板などの一級品スクラップに混じって、自動車を圧縮した薄板や旋盤の切り端などの二級品があったからだった。鉄平のような技術者気質《かたぎ》の者は、二級品スクラップは使わない主義であった。

「それは致し方ありませんよ、いくら専務の指示でも、そうそう一級品スクラップばかりでは、採算が合いませんからねぇ」

 一之瀬は宥《なだ》めるように云った。鉄に情熱を傾け、ひたむきに突き進む鉄平を、一之瀬はいつも温かく見守り、助けてきたが、ともすれば採算面を度外視しかける経営者としての欠点を、巧みに補う老練な術《すべ》も心得ていた。

「解った――、しかし最近、銅《カツパー》の率が上り気味だから分析値によっては、認めるわけにはいかないよ」

 鉄平はそう云うなり、六十トン電気炉工場へ入った。

 ターミナル駅の構内のような、天井の高い大きな建物の真ん中に、高さ四メートル、直径七メートルの巨大な電気炉とその付帯設備が据えつけられ、四十人近い従業員が働いている。一回に六十トンの溶鋼が出来る大量生産用の電気炉で、他にも三十トンと十五トン炉がそれぞれ三基あった。製品の品目に応じて、原料のスクラップと銑鉄《せんてつ》にカーボン、シリコン、ニッケル、クロームなどの特殊な合金を加え、電気で溶解して、鋳型《いがた》に鋳込み、一個二トンの鋼塊にするのが電気炉工場の工程で、全工程の中でもっとも重要な部門であった。というのも特殊鋼というのは、その名の通り特殊な鋼[#「特殊な鋼」に傍点]であり、成分の混じり工合、不純物の入り方が鋼の生命を大きく左右し、ちょっとした外れによって、それが使用される自動車、飛行機、機械部品などに重大な“欠陥”を及ぼすからであった。それだけに原料を溶かして鋳込めば事足りる普通鋼メーカーとは異《ちが》った苦心があり、特殊鋼が育ちより氏[#「育ちより氏」に傍点]といわれる所以《ゆえん》でもある。

「よし、出鋼だ!」

 張りのある声が広い工場に響いた。製鋼部長の金田で、ちょうど電気炉で溶解した鋼が、規定の温度に達して、出鋼する時間だった。そんな時は、たとえ、専務、工場長が入って来ようと、従業員たちは見向きもせず、百トン吊《づ》りのクレーンで取鍋《とりべ》を電気炉の方へ動かし、そこから鋳型に鋳込む作業に取りかかるのだった。

「出鋼、少し待て!」

 鉄平の声で、一斉に動作が止まった。

「温度は、大丈夫だろうな」

 大股に金田の傍《かたわ》らへ廻って、鉄平は確かめた。この金田をはじめ、各工程の部長クラスは、鉄平が母校の東京大学の冶金科へ直接、足を運んで採用した優秀な技術者たちであった。

「はい、千六百度に上っております」

「分析値はどうだったかね」

 金田が、分析値を説明すると、

「銅《カツパー》が気になっていたが、それならいいだろう、しかしシリコン〇.一八パーセントは少ない、〇.二五パーセントまで上げることだ」

 てきぱきと指示し、直ちに電気炉の成分調整が行われた。

「じゃあ、再分析してみましょう、おい、試験片を造ってくれ」

 金田が傍らの作業員に命じた。手に火傷《やけど》のあとがある白髪頭の熟練工が、鉄製の長い杓《しやく》を取り、電気炉の取口から真っ赤に溶けた溶鋼を汲《く》み出した。十五年ほど前までは、こうした熟練工が鋼の色を見て、勘で判断したものだが、今は試験片をつくって、エア.シューターで分析室へ送り、二、三分もすればその分析値が出てくる仕組になっている。

 鉄平と一之瀬工場長、金田製鋼部長は、分析値の結果を聞くため、中二階にある管理室へ上って行った。電話は二分でかかって来た。金田は受話器をとって、黒板に分析値を書いて行った。

 鉄平は素早く成分データに眼を通し、

「これでよし、出鋼だ!」

 出鋼のサインを出すと、直径六メートルの巨大な取鍋がクレーンで電気炉の前に寄せられ、高温のため白光を放っている溶鋼を受けた。その後、一旦《いつたん》、脱ガス槽《そう》に入れられてから、電気炉の横にずらりと並べられている鋳型のところまで動かされて行った。そしてここで鋳型への注ぎ込みが始まる。取鍋から燃えるような溶鋼が勢いよく鋳型に注ぎ込まれると、一瞬、眼を射るようなオレンジ.レッドの強烈な光と凄《すさま》じい熱が放射され、作業員たちは熱風に顔を紅《あか》らませ、汗を滴《したた》らせた。

 鉄平も頬を紅潮させて、中二階の階段から作業状況を見詰めていた。出鋼に際して最も重要なことは、溶鋼の中に入っている酸素を如何《いか》に少なくするかということで、低酸素化のための脱ガス方法は、阪神特殊鋼が世界に誇る技術のひとつだった。

 鋳込みが終ると、鉄平は一之瀬とともに電気炉工場を出、鍛造、圧延工場へ向った。

「専務、ちょっとお話が!」

 圧延工場へ入りかけると、製鋼部長の金田が追いかけて来た。めったに感情を剥出《むきだ》しにしない冷静な性格であるのに、顔に怒気を含んでいる。

「どうしたんだ、何かあったのか」

 鉄平と一之瀬工場長がたち止まった。

「今、帝国製鉄から連絡があって、今日も銑鉄を送れないと云って来たのです、これで今日まで五日間、ストップですよ」

 資力が足らずに溶鉱炉を持てない特殊鋼メーカーは、どこでも、原料の大半がスクラップであったが、鋼の質をよくするために、溶鉱炉をもっている大手メーカーから銑鉄を買い入れて混入しており、阪神特殊鋼は地理的に最も近い帝国製鉄尼崎《あまがさき》製鉄所から月三千トンの銑鉄を買い入れていた。

「またか――」

 鉄平は太い眉《まゆ》を寄せた。これまでにも時折、帝国製鉄の「万やむを得ない事情により」という一片の口上で銑鉄がストップされ、苦い経験を舐《な》めさせられていた。

「理由というのは、何なんだね」

 一之瀬工場長が聞いた。

「それが例の如《ごと》く説明なしで、ほんとうに連中は大企業であることを笠《かさ》にきて、横暴ですよ」

「全くだ、高炉をもたない中小メーカーはいつも連中に振り廻されて、泣き寝入りだ」

 鉄平は憤懣《ふんまん》やるかたない口調で云い、

「よし! 今から向うの所長に会いに行く」

 精悍な眼を光らせた。

「しかし、石川社長にご相談された上でなくても、よろしいのですか」

 一之瀬は、鉄平の叔父である社長の石川正治のことを云った。

「相談したって、どうせ、もう暫《しばら》く様子を見ようと云うにきまっている、それより今から行く旨《むね》、向うへ連絡しておいてくれ」

 と云うなり、鉄平は事務本部の方へ体を翻した。

 帝国製鉄の尼崎製鉄所は、阪神特殊鋼の約七倍、百七十万坪の広大な敷地を持っている。そこには十数棟の工場が整然と並び、三基の高炉がひときわ高く聳《そび》えたっていた。

 万俵鉄平は、窓越しに高炉の見える贅沢《ぜいたく》な応接室で、所長と向い合っていた。所長は営業出身の鉄鋼マンらしく、身ぎれいな装《なり》でソファに足を組み、

「わざわざお越し下さいまして、どうも、万俵頭取とは会合の席などで、ちょいちょい、お目にかかっておりますが、相変らず、異色財界人ぶりを発揮しておられますねぇ」

 慇懃《いんぎん》過ぎる「ございます」調で、一しきり阪神銀行頭取の御曹子を意識した社交辞令を述べたあと、

「時に、突然、お運び戴《いただ》いたご用向きは何でございましょう?」

「ほかでもありませんが、ここ五日間、おたくから銑鉄を送って戴けないので、事情を伺いに来たのですよ、うちとしては、おたくから月に三千トンの銑鉄を入れて戴く契約をしており、その分を計算に入れて生産計画をたてているのですから、その辺をお考え戴かないと、工場の操業にさし支えるのです」

 鉄平は、技術屋らしく直截《ちよくせつ》に切り出した。

「ほう、そんなことになっていますか、そのことなら、工程部長を呼びましょう」

 言葉は丁寧であったが、用件が解ると、そんなことは、重役であり所長である自分にではなく、せいぜい、工程部長にかけ合うべきだと云わんばかりに、すぐ工程部長を呼んだ。

「君ぃ、阪神特殊鋼さんは銑鉄のことで、大分、お困りの様子だから、何とか考えてさしあげてはどうかね」

 工程部長が入ってくると、所長は鷹揚《おうよう》な口調で云った。

「ところが、例の高炉が腹下ししているのですから、私どもとしても、どうしようもないのでしてね」

 高炉の腹下しというのは、炉の内部の壁に不純物が堆積《たいせき》し、そこが動かなくなって、正常な稼動《かどう》が行われなくなることだったが、その言葉つきは、鉄平に対して悪びれる様子がないどころか、妙に底意地が悪かった。

「しかし、おたくは二千立方米《リユーベ》二基、三千立方米《リユーベ》一基と、大型高炉が三基もあるのですから、一基が不調になったからと云って、うちへ全然、送れないということはありませんでしょう、日産一万五千トンのうち、ストップしているたったの五百トンぐらいは都合をつけて、送って戴きたいものです」

 鉄平が頑として云うと、工程部長は薄い笑いをうかべた。

「たった五百トンなどと云って貰《もら》っては困りますよ、うちはおたくと違って、十四工場が操業していて、一工場に八百人から九百人、全部で一万二千人の作業員が口を開けて待っているんです、いくら高炉の不調がうちの責任とは云え、よそさまの心配まで致しかねますね」

 他の中小メーカーだったら、そこまで云われると、大手メーカーの逆鱗《げきりん》に触れることを怖《おそ》れて引っ込むところだったが、鉄平は怯《ひる》まずに語気を強めた。

「じゃあ、うちとの契約を一方的に破るというわけですね」

「まあ、そんな短気なことをおっしゃらずに……何しろたった五百トンとおっしゃっても、今もご説明しましたように、うちにはたくさんの工場と従業員がいるのですからねぇ、おたくの生産計画を寸分も狂わせたくないとおっしゃるなら、前にもおっしゃっておられた高炉建設を実現されたらいかがです、おたくは他と違って、阪神銀行がうしろに随《つ》いておられる上、あなたご自身、マサチューセッツ工科大学に留学された優秀な技術者なんですからねぇ」

 その莫大《ばくだい》な建設費の調達が困難なことを百も承知で、所長はあしらうように口をはさんだ。鉄平は腹の底からこみ上げて来る憤《いきどお》りを咽喉《のど》もとで噛《か》み殺しながら、

「じゃあ、私の方も、小なりとはいえ、自前で高炉を持つべく大いに努力致しますから、その節はよろしく」

 挑むように云い、

「ともかく、ストップされている銑鉄については、おたくの誠意ある回答を是非とも願いたいものです、明日、また参りますから――」

 強引に云い残し、憤然と席をたった。

 鉄平は帝国製鉄から一旦、社へ帰って、一之瀬工場長や金田製鋼部長と善後策を練ったあと、猪名川《いながわ》のクレー射撃場へ車を走らせた。

 山を切り拓《ひら》いた猪名川クレー射撃場は、四時を過ぎると、陽がかげりはじめたが、周囲の空気を突き破るように銃声が響いていた。

 射台《スタンド》のあたりには、撃ち終った三、四人の人影が見え、自慢の銃を皮ケースにおさめて、クラブ.ハウスへ引き揚げて行ったが、万俵鉄平ともう一人だけが、射台《スタンド》にたっていた。

 鉄平は、ブローニングのスーパーボーズドをかまえ、前方十五メートルの壕《ごう》から機械的に飛び出す皿形のクレーを撃っていたが、さっぱり当らない。たまに当ったかと思うと、クレーの端をかすめて、その破片が、不様《ぶざま》に芝生の上に落ちた。二発撃つ毎《ごと》に射台を替えて行くのだったが、いたずらに薬莢《やつきよう》が足もとに散らばり、二ラウンド、五十発撃って、点数は六十点にも満たなかった。点数を数えている顔馴《な》じみの係員も、

「万俵さんにしては、今日は調子がよくありませんね」

 気の毒がるように云った。帝国製鉄と銑鉄のことで争ったくすぶりが、まだ尾を曳《ひ》いて残っているらしい。

 鉄平の銃歴は、猟が好きだった祖父に端を発し、学生の頃から祖父のお伴《とも》をして、北陸の雉子《きじ》撃ちや、丹波《たんば》の山奥の猪《しし》撃ちに出かけた。父の大介はゴルフ好きで、あまり猟を好まなかったが、それでも時々、鉄平とともに祖父のお伴をした。どちらかといえばお祖父《じい》さんっ子の鉄平は、ゴルフ好きの父や銀平から離れてひとり、鉄砲を撃っていることが多かった。母の寧子はそれを好ましく思っていなかったが、鉄一筋の鉄平の、唯一《ゆいいつ》の趣味をとめるわけにもいかなかった。

 ターン!

 鉄平から三つ間をおいた射台で、五十そこそこの紳士が、見事にクレーを撃ちぬいた。横で当てられると、よけいに苛々《いらいら》し、よほどクラブ.ハウスへ引き揚げようかと思ったが、派手な射撃コートを着て屯《たむろ》している富豪気取りの連中と顔を合わせることを考えると、それも神経に障《さわ》った。鉄平は暫く前方に見える緑の山を見詰め、弾を装填《そうてん》し、深呼吸してから、今度は慎重に銃床を胸に当てて引金に手をかけた。

 ターン!

 クレーは、こなごなに砕けた。鉄平はさらに次の射台に移り、銃口をかまえた。秒速七十メートルの速さで飛び出し、上空へ舞い上るクレーが、不意に銑鉄《せんてつ》の塊に見えた。鉄平は太い眉を吊り上げて目を見張り、連射した。見事に的中し、鉄平は獲物《えもの》を追うような猛々《たけだけ》しい心のたぎりを覚えた。と同時に、ふと三年越しに練り続けた高炉建設を、父の協力を得て実現しようという決意が、ふつふつと湧《わ》き上って来た。

 その翌日、万俵鉄平は憤りを抑えきれない表情で、叔父の石川正治社長と向い合っていた。

 帝国製鉄尼崎製鉄所からすでに六日間も銑鉄が入らず、そのことで鉄平が今朝、再び交渉に出かけて帰って来たところだった。

「帝国製鉄の云い分は昨日と同じく、依然として不調の高炉のどこが悪いのか、原因不明で、生産は三分の二に落ちて自社操業にも支障をきたすおそれがあるから、おたくへは廻せないの一点張りなんですよ、他《ほか》ならぬ高炉のことだから、うちとしても或《あ》る程度は譲步するつもりですが、こちらから出向かなければ、その理由を説明しないし、迷惑をかけるとも云わない、それどころか、こちらが催促がましく云うと、そんなに文句があるなら、今後一切、売らない式の高圧的な態度を取る」

 無念そうに云って唇を結んだ。鶴《つる》のような痩身《そうしん》を回転椅子にもたせかけて聞いていた石川社長は、

「――その気持は解《わか》る、しかし、昨日、帝国製鉄へ談じ込みに行った時、もしや失礼なことを云って、心証を害したというようなことは、ないだろうね」

 遠慮がちに聞いた。特殊鋼業界のトップ.クラスである阪神特殊鋼とはいえ、超マンモス企業の帝国製鉄からみれば、中小企業に過ぎない存在であったから、それが気に懸《かか》るらしい。

「どういう意味なんですか、それは」

 鉄平は、太い眉を動かした。

「いや、その、何だよ、それで向うは、今日も故意に銑鉄をストップしているというようなことは、ないのだろうねぇ」

 石川社長は慌《あわ》てて言葉を濁した。明治維新の元勲《げんくん》の一族という毛並で、万俵大介の実妹の婿《むこ》になり、格別の経営手腕もなかったが、阪神特殊鋼の社長におさまっている石川正治は、万俵家の長男で、阪神特殊鋼の技術を背負ってたっている専務の鉄平には、何かにつけて控え目だった。鉄平はそんな消極的な叔父に業《ごう》を煮やすように、

「だいたい、日頃からわが社に限らず、中小メーカーが無抵抗すぎるから、“鉄は国家なり”などという思い上った特権意識をむき出しにした大手高炉メーカーに、ますます舐《な》められるんだ」

 と云って、椅子からたち上り、

「僕は、考えに考えぬいたのですがね、このあたりでわが社も抜本的な対策を講じないことには、今後の飛躍的発展は望めない、それで三年越しの懸案である高炉建設を、今年、思いきって決断すべきだと思うのです」

「高炉建設――そんな社運を左右するような大事業を、いくら鉄平君、君でも……」

 口ごもるように云いかけた時、インターフォンが鳴った。

「秘書課でございますが、只今《ただいま》、常務の連絡会が終りまして、ご報告したい件があるとのことですが、およろしいでしょうか」

「今、専務と用談中だから、後にして貰うように」

 石川社長がそう云い、きりかけると、鉄平はインターフォンに向って、

「いや、ちょっと待ってくれ給《たま》え、僕の方に用件があるから、三常務揃《そろ》って、こちらへ来るように伝えてくれ給え」

 太い声で命じた。

 経理担当の銭高《ぜにたか》常務、営業担当の川畑常務、設備担当と工場長を兼務している一之瀬常務の三人が入って来ると、石川社長は応接用のソファに席を移し、三人の常務も腰を下ろしたが、鉄平だけはたったまま、

「急に集まって貰ったのは、目下、討議を願っている今年度の設備計画について、大幅な再検討を加えて貰いたいからだ」

 と切り出した。工場長の一之瀬は、ほぼ見当がついているらしく、温厚な表情を変えなかったが、銭高と川畑は、訝《いぶか》しげな顔付をした。

「今、社長に話していたところだが、帝国製鉄からは今日も回答ゼロだった、こういうことは、これからも度々、起るだろうし、スクラップの値の動きもとみに変動が激しく、こうした原料ルートの不安定が解消されない限り、わが社の飛躍的発展は期待できない、それでこの際、年来の懸案である高炉建設を実現すべきだと思うのだが――」

 常務たちは、愕《おどろ》くように顔を見合せた。鉄平はかまわず、熱っぽく言葉を続けた。

「時期的に考えても、わが社は鋼塊《こうかい》から最終製品までの設備の近代化をほぼ完了した段階だから、このあたりで高炉で銑鉄をつくり、それを転炉で精錬《せいれん》して、鋼塊に鋳込《いこ》むという一貫生産の設備に会社の総力をかけるべきではないだろうか、もちろん、特殊鋼業界で初めての大事業ではあるが、特殊鋼メーカーとしてわが社ほどの規模になって、まだ原料を外部に頼っていること自体が問題だと思うのだ」

 そこまで云って一同を見廻すと、細い小作りの顔に口髭《くちひげ》をたくわえた銭高は、ねっそりした調子で意見を述べた。

「そりゃあ、専務のおっしゃる通りでございまして、鉄に携わっている者にとって、高炉を持ち、原料を自家生産することは夢でございますよ、けれど、何と申しましても、たとえ中程度の高炉でも、付帯設備まで入れますと、二百億以上の資金が必要な大事業ですから、今度のことで性急にお決めにならず、もっと日をかけて慎重に検討すべきだと思います」

「もちろんだ、僕が高炉建設を持ち出したのは、決して今回のことで感情的になって云い出しているのではない、ここ三年間、絶えず考え続けて来たことで、特に去年の暮頃からは製鋼部の金田部長を中心とする技術グループに、その技術的な検討とともに、便益計算をやらせ、充分にメリットが出るという自信を持ったからだ」

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