饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15375 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 申しわけなさそうに、頭をかいた。

「いや、わしも今さっき着いたところだ、同じ銀行から出てくるんだから一緒に来ればいいようなものの、専務と組合委員長では、痛くもない腹を探られるからねぇ」

 綿貫が云うと、熊本は浅黒い顔をおしぼりでごしごしとこすり、

「全く馬鹿《ばか》げたことですがねぇ、この四月に組合の専従になってからは、公式の労使懇談の会合以外、専務にはとんとご無沙汰してしまいました」

 熊本は、綿貫が融資部長だった頃の部下で、結婚の仲人《なこうど》までして貰い、実質的には綿貫の腹心の部下だった。それなればこそ、綿貫も個人的な呼出しをかけられ、現在の組合の動静を聞き出すことによって、阪神銀行との合併の下工作を無理なく運べるのだった。銀行の組合は、他の企業と比べると、御用組合も同然だが、非組合員は頭取以下全行員数の約一割、残りの九割が組合員で組織率一〇〇パーセントに近いから、銀行合併という大問題になると、組合の諒承《りようしよう》がなければ絶対といっていいほど成立しない。したがって組合は経営者にとって、平素はおとなしい猫であっても、合併問題を抱えれば、眠れる獅子《しし》になりかねない。

 酒が運ばれ、座敷机の上にしゃぶしゃぶの用意が整うと、綿貫は熊本の盃《さかずき》に酒を注《つ》いでやり、

「委員長になってから、君はまた一段と人間の幅が大きくなったようじゃないか、わしが委員長になれとすすめた頃は、困ります、自信ありませんと逃げの一手だったが、いざなってみると、歴代の誰よりも評判がいいんで、喜んでいる、しかし無理して体をこわしとりはせんかね」

 犒うように云うと、熊本は人の好《よ》さそうな笑いをうかべて、綿貫に返盃《へんぱい》し、

「体は学生時代からレスリングで鍛えてますから、誰にも負けん自信があります、ですが今月のはじめ、八年ぶりに風邪をひきましてねぇ、女房はびっくり仰天しましたが、これで人並になれたと喜んでるんです」

 蛮カラな笑い声をあげた。綿貫も吹き出しながら、こいつは昔とちっとも変っていないと安堵《あんど》した。この四月に委員長になるまでの経歴は、大学卒として早からず、遅からず出世しているし、持ち前のファイトと体力にまつわるエピソードは入行当時から尽きない。ことに入行二年目に配属された大田支店で、或《あ》る農家が一町步程の田畑を宅地として売ることを聞き込むや、その農家の土間に三日三晚泊り込み、大の銀行嫌いのじいさんを根負けさせて、当時の金額で三千万円近い現金を、二十四歳の熊本に全額預金させた話は行内誌にも載って、つとに名を馳《は》せた。

 しゃぶしゃぶ鍋《なべ》が煮たって来ると、綿貫はあとは自分たちでやるからと仲居に席を退《さが》らせ、

「ところで最近の組合はどうなんだね、こんなことを唐突に聞くのも、この頃は組合の生《なま》の声が聞えんもので、仲人もやったし、赤ん坊の名付親にもなって気心の知れた君に、今日は進講して貰おうと思ったわけだが……」

 さり気なく切り出した。

「専務にご進講などとは柄じゃありませんが、最近の若い者は云いたいことをどしどし云いますから、組合大会や代議員会は活発ですよ」

 まだよく火の通らない神戸肉を、かまわず口の中に入れながら応《こた》えた。

「そりゃあいい傾向だ、で、どんなことがみんなの関心事なんかね」

「何しろ大へんな物価高ですから、ベース.アップの要求にも増して、住宅対策が大きいですね、住宅貸付金の限度をもっと引き上げるとか、社宅を増設するとか、せめて結婚したらすぐ社宅へ入れるようにする、入れない者には家賃の補給金をもっと引き上げるとかすべきですね、専務、東京で今、若い人が結婚すると、家賃はいくらだと思われますか」

「そうだな、一万五、六千円かね」

「冗談じゃありません、二万円以下のところなんかないです、普通二万四、五千円はしますね、しかも結婚年齢は年々、若くなる一方ですから、一万円前後の補給金を貰っても、一万四、五千円は家賃に消えてしまいます、それなのに片や社宅に入っている者は、四、五千円のただ同然の家賃で、しかも年齢が行っており、給与も高いので、上下《うえした》、大きな矛盾があります」

 熊本は、次第に労使話合いの席でぶつような演説口調になって来た。

「なるほど、考えないといかん切実な問題だ、その他《ほか》にはどんなことが出ているのだね」

 綿貫は、熊本の盃に注ぎながら聞くと、酒豪の熊本は、水を飲み干すようにぐいと空け、

「住宅問題の次は、超過勤務が多くなって、やたら忙しくなったことが挙げられますね、仕事の量は増えるのに、人が増えないことが最大の原因ですが、女子でも月に十時間乃至《ないし》二十時間、男子は三十時間などざらで、役付の連中になると、六十時間から七十時間のオーバー.ワークなんですよ、だからもっと早く帰れる体制をつくるべきで、女子なんか、銀行はお稽古事《けいこごと》の時間がないといって、就職希望者が減ってますし、役付者も子供の教育一つ出来ないとこぼしています、それでもまだ戦中派以前の者は、銀行のためと云われれば黙って働きますが、若い者は随《つ》いて来ません、もう十年もたてば、われわれだってドライな今の若者を統括して行くのは困難じゃないかと危惧《きぐ》しているぐらいですから、ましてや経営者には真剣に従業員対策を考えて貰いませんとねぇ」

「おいおい、あんまり脅かさんでくれよ、われわれだって君たちの着実な仕事ぶりは充分に評価し、報いたいと思ってはいるが、激烈な銀行競争を勝ち抜いて行くためには、内部蓄積をはかり、経営の土台を固めて行かなければならんのだから、経営者は経営者なりに、君らとの板挟《いたばさ》みになって、頭を悩ましておるのだよ」

 綿貫は、苦しい経営者の立場を述べ、

「だが、組合からみて当行の経営陣はどうなんだろうねぇ、日銀からは相も変らず天下りが続き、寄合世帯で必ずしもしっくり行っていない点があるのだが――」

「その点については、専務の方こそいろいろご苦労がおありだと思いますが、はっきり云って、各支店毎《ごと》の分会へオルグに行くと、うちの経営陣は大丈夫か、また日銀から天下りが来るのか、天下りはわれわれのことを真剣に考えていてくれるのかといった若手の辛辣《しんらつ》な意見が多いのですよ」

 熊本が云うと、綿貫はさらに盃をすすめた。

「そうか、想像はしていたが、そんなに天下り批判が強いのかね」

「そりゃあ強いですよ、大体ですね、日銀の温室育ちの役員たちに、われわれが溝板《どぶいた》踏んでやっている預金集めの苦労なんか、到底、解《わか》らんでしょう、そういうのが経営者におさまって、国際金融情勢がどうの、金融政策がどうのと、口先ばかりのことを云っても、若い者の共感がどうして得られますか、やはり専務のアサヒ石鹸《せつけん》への融資じゃありませんが、石鹸粉をかぶってという人でなきゃあ、当行の経営者としての資格はないですよ」

 どんと座敷机を叩《たた》いた。熊本の性格からして、自分に忠義だてして、調子を合わせているだけとは思えなかったから、綿貫は熊本のその言葉で、自分が日銀進駐軍の追出し工作をはじめても、組合が足を引っぱる懸念はないという確信を深めた。

「熊本君、云いにくいことを、よくぞずばりと云ってくれた、そういう経営陣への苦言を呈してくれるのは、君のような侍なればこそだ、しかし現執行部や組合OBの中には、一人や二人、日銀支持派もいるんじゃないのかね」

 組合の日銀支持派を探り出すために一步、話を進めると、

「現執行部にはそんなのはおりませんが、僕の二代前の委員長で、いまだに組合に根強い影響力を持っている草加さん、あの人は日銀派と協調ムードで、われわれとはちょっと――」

 と云い、にやりと笑った。草加は、熊本とは対照的に地味だが知性派であり、今は外国部次長として、日銀天下りの外国担当の白河専務の管轄《かんかつ》に入っている。綿貫は早速、草加に対する巧妙な配置転換を考えねばならぬと思いめぐらせながら、

「熊本君、君とは融資部時代、縄のれんでよく飲んだものだな、あの当時、君がおはこでよく歌っていた都の西北、あれを久しぶりに聞かせてくれんかね」

 俄《にわ》かに湿っぽい声で云った。熊本は訝《いぶか》しげに盃を置き、

「専務、急にどうなさったのですか」

 綿貫の顔を覗《のぞ》き込んだ。

「うむ、こうやって君とさしで話し合えるのも、あるいは今日が最後かもしれんのでなあ」

 詠嘆口調で呟《つぶや》いた。

「なんですって! 専務、ほんとですか、わけを話して下さいよ」

 昂《たかぶ》った声で、聞いた。

「わしは、君のさっきからの話を聞いて決心したんだよ、君ら後に続く若い人のことを考えると、生っちょろい日銀進駐軍や、大過なく退職金さえ貰《もら》えばいいというような連中に、大同銀行の将来を委《ゆだ》ねてなるものか、わしは日銀進駐軍と一戦やる、たとえ敗《やぶ》れてわしの方が出て行く結果になろうと、悔いはせん」

 決心するように云うと、熱血漢の熊本は忽《たちま》ち感激し、

「専務、よくぞご心中をお話し下さいました、狼煙《のろし》を上げるとなれば、私も組合工作はぬかりなくやります、専務一人を犬死させません!」

 酔いの廻った声を張り上げた。綿貫は有難うと、感極まったように云いながら、心の中では、これなら日銀進駐軍追出しの次に、阪神銀行との合併を切り出しても、熊本とは組めるという自信を持った。

 ブルーの絹のアンサンブル.ドレスをまとった万樹子の姿が三面鏡に明るく映し出され、ピン.クッションを手にしたデザイナーが、手早く仮縫を進めている。

「あら、お痩《や》せになりましたのね、ウエストが六十二センチにおなりになりましたわ」

「そう、少し気苦労があると、覿面《てきめん》に痩せるものなのね」

「ご冗談じゃありませんわ、何のご苦労もないご身分で、気苦労などとは――」

 万樹子の作りつけの洋裁店から、仮縫に来ているデザイナーは真《ま》に受けず、

「ウエストをもう少しお詰めして、裾《すそ》に向ってフレヤーの量を増やした方が、新しいシルエットでございましてよ」

「そうね、その方がパーティに出かけるアンサンブルらしい華やぎが出るわね」

「お仕立上りは、いつ頃にさせて戴《いただ》きましょう」

「来週の土曜日に間に合わせて戴きたいわ、新調のドレスで出かけたいから――」

 着て行くあてのないパーティのことを、ことさら華やかに云いながら、万樹子はさっきから奥座敷の様子を気にしていた。

 万俵家から実家へ帰って一カ月目の今朝《けさ》、相子から、できればお父さまにもお目もじ致したいから、夕食がおすみになった頃、お訪ねしたいという電話があり、いま相子は母の佳江《よしえ》と会っているのだった。

 廊下に足音がし、母の佳江が顔を覗かせた。

「仮縫はまだですか、もう随分、お待ち戴いているから、早う顔をお出しするものですよ」

「でも、私、会いたくないわ、あの人とは顔を合わせるのもいやだわ」

「けど、向うのお舅《とう》さまのお使いでお見えですから、そんなわけにはいきませんよ、ちょっと臥《ふ》せっていてとお断わりしているけれど、そうお待ち戴けません、急いで支度なさい」

 云いつけると、仮縫をしているデザイナーは、

「ちょうど、終るところでございますから、すぐお脱がせ致しますわ」

 手早くピン印《じるし》をつけ、うしろへ廻ってピンが肌に刺さらぬようにドレスを脱がせた。スリップ一枚になった万樹子は、流産した体とは思えぬほど豊満でみずみずしかった。佳江は眩《まばゆ》げに眼を瞬《しばたた》かせ、万樹子がジャージーのワンピースを着終ると、促すように先にたって客間へ足を運んだ。

 客間には、相子が改まった和服姿で、床の間をはずした位置に坐っていた。万樹子が入って行くと、にこやかな笑顔で、

「ごきげんよろしゅう――、その後、お工合はいかがでございますの?」

 万樹子が実家《さと》帰りした翌日、万俵大介の指示で相子が安田家を訪ねたのに対し、安田家の口上は、万樹子は体の工合が勝《すぐ》れないので暫《しばら》く実家で静養させて戴くというものだった。

「ええ、おかげさまで――」

 万樹子が素っ気なく応えると、

「それはようございましたこと、ご静養の甲斐《かい》あって、お工合がおよろしいようでしたら、ぼつぼつお戻り戴きたいのですが――、二子さんと三子さんも、お嫂《ねえ》さまがいらっしゃらなくて淋《さび》しいと、お待ちしておりましてよ」

 万樹子が実家帰りする日、険しく云い争ったことなどは忘れ果てたように下手《したで》に出、

「それにお舅さまが、何かと理由もあるだろうが、ともかく戻るようにと申しておられます」

 と云うと、万樹子は俄かに顔を硬《こわ》ばらせた。

「まあ、どう遊ばしたのかしら、何かお舅さまに、ご不満でも――」

 万樹子は、眼を伏せて首を振った。

「では、お姑《かあ》さまに何かご不満が?」

「いいえ、お姑さまはいい方です」

「じゃあ、一体、万俵家のどこがご不満なのでしょう、お聞かせ下さいましな」

 相子は、万俵大介と妻妾同衾《さいしようどうきん》の生活を営みながら、平然として聞いた。その盗《ぬす》っ人《と》たけだけしさに、万樹子は怯《おび》えを覚えた。それは万樹子の結婚前の異性関係の事実を握っているから、万俵家の妻妾同衾の秘密は、決して発《あば》かれないという自信の上にたっている。母の佳江が横から、

「やはり先刻来、お話し申しておりましたように、万俵家のご両親には何の不満もございませんが、銀平さんにもう一つ、おいたわりがないことが原因のようでおます」

 と云うと、万樹子も眼を上げ、

「私が帰ったあと、あの人はどんな様子なのです?」

 銀平は、万樹子が離婚を決意して実家へ帰ったと聞いても、その方が彼女のために倖《しあわ》せでしょうと、妙にさばさばした表情だったが、相子は、

「銀平さんも、万樹子さまがこう長く帰られないと、さすがにお寂しいのか、早く帰って貰いたいご様子ですわ」

「じゃあ、どうしてご自身でいらっしゃらないのです」

「このところ、お仕事の方がますます忙しくなられて――」

「忙しい、忙しいは、あの人の口癖ですわ、妻が突然、実家へ帰ったというのに、一カ月の間、電話一本かけて寄こさず、すべて他《ほか》の人にことの処理を委ねていらっしゃる、そんなところが血が通わなさすぎますわ、しかも銀平さんのそうしたやり方を通していらっしゃる万俵家そのものも、私には冷た過ぎます!」

「万樹子、何という云い方をするのです、そんな云い方でお話しすることは、お父さまも、この私も許しませんよ」

 佳江が厳しく窘《たしな》めると、

「お父さまやお母さまに、いくらお話ししても、到底、お解りにならないわ、結婚とか家庭というものに、何の感動も持たない人のいたわりのなさ、薄情さが、私を不幸にし、私を子供の産めない体にしてしまったのだわ、あの人は、まともな生活の出来ない人よ!」

 なおも云い募りかけると、

「万樹子さま、あなたが子供を産めなくなったのは、もちろん、銀平さんに半分の責任はあるでしょうが、あなたご自身にも流産するような不注意がなかったかどうか、反省して戴かなくてはならぬことが、あるのではございませんかしら?」

 静かな語調であったが、相子は、暗に万樹子の婚前の異性関係を、ほのめかすように云った。万樹子は瞬時、言葉を跡切《とぎ》らせたが、思い詰めた表情で、

「銀平さんご自身に、お越し戴きたいと思いますわ」

「じゃあ、銀平さんがお迎えに参れば、解決するというわけですね」

 万樹子は押し黙ったが、母の佳江が、

「我儘《わがまま》申し上げてすみませんが、ここは一つ、万樹子の云い分をかなえてやって下さいまし、先日来、主人ともいろいろ話しているのですけれど、要は銀平さんにお越し戴くよりほかないと、主人も申しております」

 相子は内心むっとしたが、ここで高飛車に出て、万俵、安田家の閨閥《けいばつ》に罅《ひび》を入れることは、万俵家における自分の立場にも響くことであったから、

「では帰りまして、銀平さんにその旨《むね》をお伝え致します、何かとお大切に――」

 と云い、慎しく席をたった。そして安田家を出ると、待たせてあった車で、相子はすぐ万俵家に引き返した。

 万俵大介は、書斎で机に向っていた。相子が入って行くと、

「どうだったんだね、話は?」

 パイプに火を点《つ》けながら、聞いた。

「お話になりませんわ、人をさんざん待たせておいて、やっと顔を出したと思うと、銀平さん自身が迎えに来なくては帰らないと、云うのですから――」

 と云い、佳江の話を通して、安田太左衛門も、銀平に対しては相当、硬ばった気持を抱いているらしいことを話した。

「銀平も困った奴《やつ》だな、だが、万樹子には、どうしても帰って来て貰わねばならぬから、迎えに行くように、私から銀平に話す」

 と云いながら、大同銀行との合併を成功させるまでは、阪神銀行の筆頭株主である大阪重工社長の安田太左衛門とまずくなるわけにはいかないと思った。

「あなた、今夜はどなたかお客さまでも?」

「うむ、芥川が急ぎの用件があって、もうそろそろ来る頃なんだ」

 綿貫千太郎から大同銀行のマル秘資料を受け取って、羽田を七時に発《た》つ旨、連絡して来たのだった。相子は大介のさり気ない語調の中にも、いつにない緊張感を感じ取り、

「じゃあ私、お先に失礼致しますわ」

 着物の裾を翻《ひるがえ》して、書斎を出て行った。大介の眼に錆朱《さびしゆ》ぼかしの着物の裏が妙に艶《なま》めかしく映り、今夜は相子と同衾する日であったことが、ちらっと脳裡《のうり》を掠《かす》めた時、女中が芥川の来訪を告げに来た。

 居間で寧子に挨拶《あいさつ》する芥川の声が聞え、やがて書斎へ入って来た。

「どうも遅くなりました、この頃の飛行機は遅着ばかりで困ります」

「で、綿貫はすぐに引き渡してくれたかね」

「はい、しかし、受取書はがっちり取られました」

 芥川は、出来れば渡したくなかった“万俵念書”のことを云い、

「例の役員陣の身上調査書は、早速、お目通し戴いておりますね」

 書斎机の鍵《かぎ》のかかった引出しに視線をあてた。

 外部に洩《も》れることを警戒し、三つの企業専門の人事興信所に分散して、三雲頭取以下、十六名の役員の詳細な身上調査を依頼し、その調査結果を、一昨日《おととい》、万俵の自邸宛《あて》に送付したのだった。そこには、各人の経歴、家族、係累《けいるい》、趣味はもちろん、資産、行内外の風評、交際範囲、特定企業及び特定個人との密着関係から行内人脈、綿貫との親密度まで書き込まれている。

「慎重に眼を通したよ、妙な総会屋と親しかったり、特定の取引先と密着している役員は一、二いるようだが、特に“要注意”の人物はいないようだな、三雲頭取を除けば、まあみな、無難というか、凡庸な役員ばかりだねぇ」

「全く同感ですが、三雲頭取は九年前に夫人を亡くされたにもかかわらず、正真正銘、女性関係は潔白というのには、実のところ驚き入りましたよ」

 万俵がこの宏大《こうだい》な邸内で、妻妾同居の生活を営んでいることまでは、さすがの芥川も知らず、女性関係を口にすると、万俵は不快そうに、

「つまらんことに感心するじゃないか、それより早速、資料の検討に移ろう、まず最初に年齢別の人員構成と、給与実態の資料を出してくれ給《たま》え」

 と促すと、芥川は厳封した厚さ五センチほどの書類袋の中から、手早く選《え》り出し、万俵の方へ差し出した。合併に際して、余剰人員の整理と給与水準の調整は、最も手をやく困難な仕事であった。

 万俵は鋭い視線で、びっしり並んだ数字を追って行き、

「人員構成をみると、当行と同じように大同銀行にも中高年層が多いねぇ、余剰人員の整理は、合併後すぐには手をつけられないにしても、極めて非効率だから、速《すみ》やかに整理を促進する計画案を検討しなくてはならない」

 と云うと、芥川も体を乗り出してその数字に見入りながら、万俵の指示をメモした。

「次に給与の実態だが、大同銀行の平均定例給与は六万四千百十一円で、当行の六万五千八百三十一円より、千七百二十円低いわけだねぇ、となると、合併銀行の給与水準は高い方の当行に調整することになるから、人件費だけでも月約千七百万の負担増になる――、芥川君、賞与のはね返りを含めると、計どれくらい膨《ふく》らみそうかねぇ」

 平均給与と入行年次別の給与体系一覧表を芥川の方におしやった。芥川は暫く試算していたが、

「平均賞与は大同銀行十八万八千五百二十四円、当行十八万九千三百五十円で、その差は八百二十六円ですから、さして膨らむことはないと存じます、しかし人件費の実態については相当、専門的な高度の知識を必要としますので、本件について人事部長にそろそろ話をする時期ではないかと思いますが――」

 と進言すると、

「じゃあ、ここ二、三日のうちに私から直接、話すことにしよう、それから役員人事については、最初の一年間は一切、手をつけず、専務は専務、常務は常務のままで行き、二年目に一割内外のカット、三年目には新人も登庸しなければ新銀行の内部のモラル、士気に影響するから、三割カットして、新たに阪神、大同二対一の比率で役員を入れ替えることだ」

 大介が云った時、女中が、夜食と飲物を運んで来た。マル秘資料を拡げているテーブルとは別のテーブルにクロスを敷き、セットすると、ぴたりと扉を閉ざして出て行った。

 夜のしじまが万俵家を押し包み、やがて一つまた一つ、部屋の灯《あか》りが消えて行く中で、大介と芥川が向い合っている書斎の灯りだけが、深夜まであかあかと点いていた。

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 二   章

 秋の気配が深まった皇居の森を、万俵大介は東京支店の頭取室から眺めていた。

 東京事務所長の芥川が、大同銀行のマル秘資料を携えて岡本の自邸へやって来たのは、十日前の夜である。あの晚は午前二時頃までかかって、芥川とともに、綿貫千太郎の手渡してくれたマル秘資料に眼を通し、翌日は頭取室で大亀専務を交えて合併メリットとデメリットの試算を行なったのだった。

 合併メリットは、何といっても店舗と取引企業の問題に尽きる。ことに大同銀行の店舗数は都市銀行中第二位で、全国的に支店網が張りめぐらされているから、地銀的色彩の強い阪神銀行にとっては、それが最大の利点で、両行が合併すれば名実ともに都市銀行としての業容が備わるはずだった。

 扉《ドア》が開き、芥川が入って来た。

「頭取、お待たせ致しました、只今《ただいま》、大同銀行二百三十五支店の実地調査の資料が出揃《でそろ》いましたので、お目通し下さい」

 細長く丸めて持って来た地図を、万俵の机の上に拡げた。五十万分の一の精密な日本地図で、六大都市を中心に赤丸と青丸の印《しるし》がびっしり書き込まれている。赤丸が阪神銀行の支店、青丸が大同銀行の支店であることは一目瞭然《りようぜん》であった。万俵は回転椅子《いす》からたち上り、眼を凝らすように両行支店地図に見入った。芥川も体を乗り出し、

「主要都市の大同銀行の各支店については、私と総務課長の黒井で手分けして実際に見て廻り、立地条件や当行支店との距離、将来の発展性等について、この眼で確かめて参りました、やはり紙の上に書いてある所番地と実際の立地条件は、ほんとに当ってみないことには解《わか》らないもので、同じ東京の京橋といっても、たった一番地違いで裏通りだったり、場所は角店《かどみせ》でも、建物が老朽化していたりして、店舗価値が随分、違って参りますからねぇ」

 と云《い》い、大同銀行二百三十五支店の立地条件と阪神銀行各支店との距離を詳細に記した一覧表と、全支店のカラー写真を取り出して説明した。芥川自身と黒井総務課長が検分した以外の支店は、来年度の店舗政策の資料にしたいという口実で、各支店長に報告させたのだった。

 万俵は舌なめずりするような視線で、それらを丹念に見て行き、

「当行との重複店舗はどのくらい、出そうかね」

「大まかなところ、京浜地域で十、京阪神八、四国九州三、計二十一店舗は出そうな感じが致します」

「二十一店舗か――、ではその浮いた分の支店をどこへ出すか、新店舗計画は、早急《さつきゆう》に考えなければならんな」

 そう云うと、万俵は内外の銀行が鎬《しのぎ》を削るように並んでいる大手町の金融街に面した窓にたって行った。都市銀行の新店舗申請は、大蔵省の厳しい行政指導によって年間、一行一店舗に抑えられているが、統一経理基準の導入と配当の自由化によって、格差がますます開いて来た都市銀行を合併へ駈《か》りたてて行くために、大蔵省は半年前、『合併による重複店舗はその同数だけ、配置転換を認める』という意味の銀行局長通達を出していた。したがって阪神、大同の合併が成功すれば、銀行として咽喉《のど》もとから手が出そうなその優遇措置を、どこよりも先に蒙《こうむ》ることが出来るのだった。

「そろそろ二時近くですが、頭取はお出かけになるご予定ではございませんか」

 芥川が時間を気にするように云った。

「もうそんな時間か――、遅れるとまずい会合だから、出かけるとしよう」

「今日は地域開発委員会でございますか」

 万俵が政策委員をしている会の一つを口にすると、

「いや、そうではない、阪神特殊鋼の財務内容の調査結果が出たので、その件で長期開発銀行へ出向くのだよ」

「しかし、その件でしたら、主《おも》な協調融資銀行七行が、融資担当の専務、常務を出してつくっている事故処理委員会で発表されることになっていたのではございませんか」

「ところが、そういうわけにはいかん事態が出て来たらしくてねぇ」

「すると調査の結果、思いもかけない膿《うみ》が出て来たとでもいうのでしょうか」

 目下の合併問題と関連のあることだけに、声をひそめた。

「それは向うへ行って、話を聞いてみないことには解らない、長期開発銀行の宮本頭取と大同銀行の三雲頭取の三者だけの極秘の会合だから、渋野常務にはこのことは伏せておくように」

 万俵は釘《くぎ》をさし、部屋を出た。

 五日前、突然、神戸の本店頭取室に長期開発銀行の宮本頭取自身から電話がかかって来、「阪神特殊鋼の調査結果がまとまりましたが、銀行団の専務、常務クラスにあからさまに出来ないことが出て参ったので、サブ.メインである大同銀行の三雲頭取とともに、内々にご相談したく、弊行へご足労願います」と伝えられたのだった。万俵は電話を受けたその時も、会合に出向いて行く今も、何の動揺も感じていなかった。

 ホテル.ニューオータニの芙蓉《ふよう》の間《ま》で、アサヒ石鹸《せつけん》の創立五十周年記念パーティが行なわれていた。正午から始まったパーティで、会場には官公庁、同業者、販売店、取引銀行の招待者が三百人近く出席し、昼間から水割で顔をほてらせる者、ホステス相手に大声で喋《しやべ》っている者など、洗剤石鹸という業種らしい気さくな姿が見受けられる。

 そんな中で、アサヒ石鹸のメイン.バンクである大同銀行の三雲頭取は、下へもおかぬもてなしを受けていたが、型通りの挨拶がすむと、あとはアサヒ石鹸の役員たちと話題も合わず、一刻も早く会場を出たい気持に駈られていた。

「おや、頭取、こちらにお見えでございましたか」

 蒸れるような人混みの向うから、綿貫が赭《あか》ら顔に汗を吹き出して寄って来た。綿貫はパーティが始まった時間からずっと会場に詰めっきりで、まるでアサヒ石鹸の社長のような愛想をふりまき、顔見知りの一人一人に挨拶して廻っていた。

「今日は盛会で何よりですね、長い取引先だけに、君にとっても今日の創立記念パーティは感慨無量のものがあるでしょう」

 三雲はカクテル.グラスを片手に祝うと、綿貫は得意満面の笑みをうかべ、

「そりゃあ、頭取、一介の石鹸屋だったアサヒ石鹸を、今日《こんにち》ここまで育て上げるに当っては、いろいろなことがございましたからねぇ、今でも一番懐《なつ》かしい思い出というと、隅田川《すみだがわ》沿いの小さなトタン屋根の工場で、石鹸職人と一緒になって、石鹸粉の成分を、ああでもない、こうでもないと洗面器を十幾つも並べて実験したことでございますよ、あの頃は、私も若かったんですねぇ」

 自分の言葉に酩酊《めいてい》するように云った。横から綿貫と同年輩のアサヒ石鹸の役員が、

「私どもとて、あの頃のことは、いまだに忘れもしません、未来の専務たる綿貫さんに、空《から》っ風が吹き通しの土間で何くれとなくご相談に乗って戴《いただ》き、はては算盤《そろばん》しかお持ちになったことのない手を、石鹸粉や漂白剤で荒してしまうなど、今から考えると、もったいないことばかり――」

 感激するように、言葉を跡切《とぎ》らせた。

「だが、あの頃は楽しかったな、むしろ洗濯機用の洗剤で当てて、会社が急速に伸び、二部上場になった後の方が、気苦労がつきないものだよ、業績がよければよいで、綿貫は情実貸金をしているんじゃないかと痛くもない腹を探られ、不振になればなるで、同族経営の石鹸会社など、もはや将来性がないからと融資の打切りを迫られたりするんだからねぇ、しかし喜びも悲しみも幾星霜、ロイヤル化粧品を買収して以後、株価はみるみる百円棒高になるし、今日の五十周年記念は、一点の雲もない秋空の如《ごと》き晴れやかさだねぇ」

 綿貫は、三雲にあてつけるように陽気に喋った。しかし多少の誇張はあっても、概《おおむ》ね事実であるだけに、阪神特殊鋼のことで苦悩している三雲の胸に鋭く突き刺さった。

「では私は、そろそろ失礼するとしよう」

 長期開発銀行に行かなければならない時間であった。

「おや、もうお帰りになるので? さっきお見えになったばかりですから、せめて、二、三十分はおいでになって下さいよ、社長と副社長がもうすぐ挨拶に会場を廻りますので、花を添えてやって下さい」

 綿貫は、いかにも情がないと云わんばかりに云った。

「だが、二時から大事な所用があるから、もう会場を出なければ――」

 時間を気にするように云うと、

「ほう、ここより大事な所用が、今日、ございましたかねぇ」

 厭味《いやみ》たっぷりに云ったが、三雲は振りきるように会場を出た。

 人いきれが蒸れるように籠《こも》っていた会場から階下の玄関に出ると、ひやりとした外気が頬に快かった。しかし、待たせてある車に乗り込むと、これから行く長期開発銀行でどんな話が切り出されるのか、三雲は次第に不安な気持に包まれ、五日前に宮本頭取自身がかけて来た電話を思い返した。宮本頭取は用件を述べた後、「阪神銀行の万俵頭取を交えた三人だけの会合で人目が憚《はばか》られますので、特にお出迎えも致しませんが、地下の駐車場から直接、頭取応接室に上って来て下さい」と云い添えたのだった。

 三雲は緊張した表情で、車の前方を見詰めていた。

 万俵大介を乗せた車は、虎《とら》ノ門《もん》の長期開発銀行の地下駐車場へ滑り込んだ。すぐ前を徐行していた黒塗りのベンツから、大同銀行の三雲頭取が降りたつのが見えた。

「やあ、三雲さん、本日はどうも――」

 万俵は会釈《えしやく》したが、三雲は沈んだ表情で、

「ちょうど、ご一緒でしたね」

 言葉少なに応《こた》え、二人揃って来客専用のエレベーターに乗った。三雲はエレベーターの中でも重く口を噤《つぐ》み、こころなしか顔色も冴《さ》えない。万俵はそんな三雲の様子を、獲物《えもの》を撃つような視線で、窺《うかが》っていた。

 五階でエレベーターが停まった。役員室ゾーンで、秘書課員が万俵と三雲の姿を見付け、目だたぬように奥まった頭取専用の応接室へ案内した。

 宮本頭取は、すぐ姿を現わした。

「これはこれはお二方《ふたかた》、お揃いで、本日はお呼びたてした形になって申しわけございません、どうぞ、こちらへ――」

 小柄だが、温和な風貌《ふうぼう》と包容力のある性格で知られ、それが長期の設備資金銀行の頭取として、市中銀行の間で信頼され、何か問題があった時も、まとめ役として大いに役だっていた。

「頭取、この度は阪神特殊鋼の調査、何かとお手数をおかけ致しました」

 万俵がメイン.バンクであり、親会社である立場で挨拶《あいさつ》すると、三雲も、

「平素は何かとお世話になっている上に、この度はまたお手をお煩《わずら》わせ致しております」

 と挨拶し、宮本頭取を挟《はさ》んで、三雲と万俵は向い合って坐《すわ》った。

「本日、極秘で両行の頭取にお運び戴きましたのは、阪神特殊鋼の財務調査の結果が、当初、予想していた以上に悪く、一企業の存廃にかかわる事態にたち至っているからです」

 宮本頭取が云うと、万俵はいかにも面目なげに眼を伏せたが、三雲は、

「で、その調査結果の内容は――」

 心の動揺を押し隠すように聞いた。宮本頭取は手に持った書類を繰り、

「調査結果の概略を記《しる》したものを用意しておりますので、それにお目通しを戴きながら、お話を進めて行きたいと存じます」

 調査の要点を記載した書類を、三雲と万俵の双方に手渡した。

「先般のガス爆発事故に伴う直接、間接的な損害額は、会社側見込みの十六億五千万を上廻り、約十八億と見られ、加えて輸出キャンセルによる不良在庫は約十億、これら負債に加えて問題になるのは、固定資産の内容で、既にここ二カ年間の投資額二百億に対し、月の売上げは僅《わず》か五億しか増えておらず、その上、大部分の設備が遊休しているから、資産価値はかなり割り引いてみる必要があります、さらに固定資産、在庫その他に、これまで四百八十億が投じられておりますが、これらを調達している資金は、自己資本が六十億、残りすべては他人資本で、自己資本の約七倍の他人資本によって賄《まかな》われていることになりますから、一口に云って、資本構成は不良と云えましょう」

 宮本頭取は一気にそう説明し、

「万俵頭取、ちょっと厳し過ぎますか」

 万俵への配慮を示すように云ったが、万俵はメモに視線を向けたまま、

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