饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

第 51 页

作者:日-山崎丰子 当前章节:15419 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「いいえ――、どうぞお続け下さい」

 と応えた。宮本頭取は続いて、収支状況は、現在の市況のもとでは毎月一億五千万程度の赤字が累加《るいか》される状態で、ここ一年間は市況回復の見込みも薄く、赤字から黒字にすることはまずもって不可能との見解を出し、

「このような厳しい状況下において、各行の融資比率が今回の調査でかなり乱れていることが判明し、特に両行さんを前において甚《はなは》だ申し上げにくいことながら、両行の協調融資の足並の乱れが見られます」

 と云った。三雲が訝《いぶか》しげに、

「協調融資の乱れですって? それはどういう意味なんでしょう、具体的におっしゃって下さい」

「従来の融資比率が変っているのです、借入残高が阪神銀行九十億、大同銀行百億で大同さんの比率が増えて、阪神さんの方が下っているのです」

「え、阪神さんの方が下っているなど、そんなことが……」

 三雲は信じられないように、万俵を見た。万俵が阪神特殊鋼の銭高常務に命じて行なわせた見せかけ融資の結果であったが、三雲はそれに気付いていない。宮本頭取は、両行の微妙な確執に巻き込まれるのを避けるように沈黙していた。

「万俵さん、一体、どうしたことです」

 三雲は、ひたと射るような眼《まな》ざしを向けた。

「私もこんな数字になっていることなど知らなかったので、愕《おどろ》いているのです、おたくが突っ込み過ぎていらっしゃるのではないですか」

 万俵は、平然としら[#「しら」に傍点]をきった。

「突っ込み過ぎだなど、冗談じゃありません、当行の資金表では別枠《べつわく》融資を加えても、御行《おんこう》の比率の方が高くなっています、それがいつの間にか、何故《なぜ》、逆転したのでしょうか、おかしいじゃありませんか!」

 三雲がさらに迫るように云った時、宮本頭取が両者を取りなすように、

「思うに、これは阪神銀行さんの資金の都合で、融資の実行が一時遅れになったものと思われますが――」

 と云うと、万俵はすぐ言葉を継ぎ、

「私も、そのようにしか考えられません、こんなことで大同銀行さんとの協調融資の足並が乱れることがあれば、私の不徳の致すところで、深くお詫《わ》び申し上げます」

 姿勢を正して陳謝したが、三雲は、万俵に不信の念を抱いた。これまでもメイン.バンクでありながら、阪神特殊鋼に対する融資額を削減し、ことあるごとに大同銀行へだけ苦しい資金繰りを押しつけ、つい最近の一時不渡りの買戻し資金でも、面倒をみなかったことを思い合せると、三雲の胸には、万俵大介が背後で糸を引いているような疑惑さえ生じた。

「私にはまだ釈然としないものがあります、万俵頭取は、阪神特殊鋼の経営に対して、何か格別なご見解をお持ちなのでしょうか、もしそうなら、この際、腹蔵のないご意見をお聞かせ戴きたい」

「格別の見解などあるはずがありませんよ、メイン.バンクとして、また私自身は肉親としての情もあり、全力を尽しているつもりです」

 ぬけぬけと応えた。三雲の眼に憤《いきどお》りの色が奔《はし》った。

「融資比率が逆転していて、なおかつ全力を尽したとおっしゃるのですか」

 詰め寄るように云うと、宮本頭取は、

「まあ、まあ、融資比率については十億の差ですから、早速、阪神銀行さんが一挙に貸出しされれば解決することじゃありませんか、それより意外な事実が出て来ました、実は先に挙げました負債に加えて、阪神特殊鋼が日步十銭(年利三六.五パーセント)もの高步《たかぶ》借りをしていたことと、架空売上げを計上していたことが判明したのです」

「えっ、高步借りを……」

 万俵と三雲は、異口同音に聞き返した。街の金融機関から、高利で借りる高步借りは、銀行間で最も嫌忌《けんき》されていることだった。

「実は経費元帳を調査したところ、多額の利子を支払っているにもかかわらず、それに対応する銀行名の記載がないところから、一億五千万の高步借りの利子が、簿外《ぼがい》負債としてあることが判明したのです、さらにまた、経営不振から売上げ増加を強いられた地方の営業所が、架空売上げを三億六千万も計上していることが解《わか》り、もはや末期的症状を呈していると云わざるを得ません」

 宮本頭取は温和な顔をやや険しくし、

「このような状態で万一、阪神特殊鋼が倒産でもすると、総額五百五十億の債権が生じ、われわれ銀行筋は巨額のこげつきをつくってしまう一方、連鎖倒産する下請けも続出する事態にたち至りますから、そんな事態に陥らぬ前に、会社更生法を申請することも考慮すべきでしょう」

 もはや結論を急ぐように云った。万俵は表情を動かさなかったが、三雲はみるみる顔を硬《こわ》ばらせ、

「それは時機尚早だと思います、先刻来の固定資産の評価は、観方《みかた》を変えると、そのまま阪神特殊鋼の長所になるではありませんか、高炉が完成し、あれだけの設備が稼動《かどう》しはじめると、一転、りっぱな虎になる、万俵専務以下、優れた技術陣が健在ですから、その設備と技術を生かすための再建策を考えるべきだと思いますよ、万俵さん、いかがですか」

 真っ向から救済意見を打ち出した。万俵は瞬時、思案するように腕組みし、

「三雲頭取のお気持のほどは有難い、しかし、既に他行は逃げ腰で、おたくで一時不渡りの買戻しをして戴いた後も、当行へは何度も泣きついて来ている、したがって今後も支援を続けるとすれば、おたくとうちの二行だけということになりますが、このまま万一、阪神特殊鋼が野たれ死することにでもなれば、三雲さん、どうなさるおつもりです?」

 さすがの三雲も、口詰った。宮本頭取は事態の深刻さを慮《おもんぱか》るように、

「阪神特殊鋼がつぶれたりしては、産業界に大へんな混乱を招くことになる、この際、石川社長と万俵専務を呼んで、経営者側の再建策をとくと聞いた上で結論を出すことにしましょう、それまでは事故処理委員会には、“調査遅延”と報告しておきます」

 しめ括《くく》るように云った。

 万俵鉄平は、耳もとに伝わって来る三雲頭取の言葉が信じられなかった。

「頭取、そんな――、メインの阪神銀行と御行の融資比率が逆転してしまっているなど、私には到底、考えられません、断じてそんなことは――」

 強く否定するように云ったが、受話器を通して伝わって来る三雲の言葉を聞いて行くうちに、動悸《どうき》が大きく搏《う》ちはじめた。

「――解りました、直ちに経理担当常務を呼んでことの真偽を糺《ただ》し、もし事実ならすぐさま御行本店へ伺います、暫《しばら》くの間、ご猶予《ゆうよ》下さいますよう」

 鉄平は受話器を置くなり、銭高常務を呼ぶよう、秘書に命じた。専務室に入って来た銭高は、鉄平の険しい顔色を窺うように、

「専務、あの、何か急なご用でも……、もしお急ぎでなければ、人と約束をしているものですから、後程にして戴くと助かるのでございますが――」

「いや、重大な話だ、そこへかけ給《たま》え」

 鉄平は、自分の机の前の椅子《いす》を指し、

「阪神銀行と大同銀行の借入残高は、今、いくらになっているのかね」

「何かと思いましたら、そんなことで――、つい先日もご説明致した通り、阪神百十億、大同百億ですが、それがどうか致しましたんでございますか」

 口髭《くちひげ》を撫《な》で、とぼけた表情で聞いた。

「間違いないね、ほんとにその通りなんだな」

「いやでございますねぇ、専務、そんな恐《こわ》い眼で睨《にら》みつけられたりして……なんだか先代の万俵敬介頭取に叱《しか》られているみたいな錯覚を起しますよ」

 銭高は、鉄平の視線から逃れる云いわけのように冗談めかして笑ったが、頬のこけた貧相な顔は心中の動揺を隠しきれず、引き歪《ゆが》んだ。

「銭高君、阪神銀行が百十億で、大同銀行が百億という借入表は、大同銀行に対してだけで、阪神銀行をはじめ他の銀行には、大同銀行百億、阪神銀行九十億と、メインが逆転してしまっている表《ひよう》が渡っているというじゃないか、これはどういうことか、説明し給え」

 声を荒らげて迫ると、銭高はみるみる顔を青白ませて、やがて観念したように、

「申しわけございません、実は阪神銀行の融資の実行が、向うの都合で少々遅延し、ただでさえ苦しい資金繰りがにっちもさっちも行かなくなりましたので、会社を思うあまりに大同銀行からさらに資金を引き出すべく、阪神銀行の融資の遅れを隠した表を作って持って行き、ここ三カ月ほど、従来の比率以上の借り増しをしておった次第です」

「それじゃあ阪神銀行の見せかけ融資で、大同銀行を騙《だま》していたというわけか! つい今しがた、三雲頭取から電話があり、そのことの指摘に対して、断じてそんな不明朗なことはないと答えたばかりだ、こともあろうに、三雲頭取に何ということをしてくれたんだ!」

「え、三雲頭取からご指摘が……、頭取はなぜ、そのことを――」

「そんな詮索《せんさく》より、君は何故《なぜ》、僕までも騙していたんだ、阪神銀行はなぜ融資の実行を遅らせているのだ、これは君一人の才覚なのか」

 鉄平は顔を朱奔《しゆばし》らせ、銭高の前に仁王だちになった。

「阪神銀行の融資の実行が遅れていることは、向うさんのご事情でございまして――、ただ融資の実行は確実だというお約束を戴いていましたので、熱風炉の爆発事故や、その後の再建策でくたくたになっておられる専務に、これ以上ご心配かけてはと――、むろん私一人の独断で、どなたに相談したわけでも、命じられたわけでもございません」

 鉄平の凄《すさま》じい気勢におじけ、銭高はしどろもどろに応《こた》えた。

「では、ほんとうに君一人の才覚でやったことかどうか、聞いてみようじゃないか」

 鉄平はそう云うなり、机の上の電話のダイヤルを廻した。

「どちらへお電話をなさるのです」

「父にだ、このままで三雲頭取のところへは行けない」

「しかし、どうして万俵頭取に……、頭取は何ら関知されていないことです、お電話はおとどまり下さい!」

 いきなり、銭高は、鉄平の腕に組みつき、電話器を取りかけたが、鉄平は激しく銭高の手を振り払うと、電話に出て来た秘書の速水に、父に繋《つな》ぐよう頼んだ。しかし万俵頭取は、今朝《けさ》から上京したという返事であった。

「銭高君、他《ほか》に私に隠しているようなことはないだろうな、私はこれからすぐ東京へ飛ぶが、会社の浮沈にかかわる大事な時だから、他に何かあれば包み隠さず、全部話してほしい」

 と云ったが、銭高は黙って首を振った。鉄平は三雲に上京の旨《むね》を伝え、急いで飛行機の切符を手配させた。今からなら大同銀行本店へ、六時半には到着出来るはずだった。

 大同銀行の頭取室には、夜の灯《あか》りが点《つ》いていた。三雲は苛《いら》だたしい思いで、鉄平の到着を待ち受けていた。

 昼間、長期開発銀行で極秘裡《ごくひり》に行なわれた長期開発、阪神、大同の三頭取会談から帰るなり、三雲は融資部長を呼びつけて協調融資銀行の借入明細表を持って来させ、仔細《しさい》に眼を通したが、やはり阪神銀行百十億、大同銀行百億で、融資順位は阪神の方が上になっている。にもかかわらず、長期開発銀行の調査で大同銀行の方がトップになっているというのは、明らかに阪神特殊鋼から大同銀行に提出されている資金表は偽りだということになる。だが、なぜ他行と大同銀行へ渡す資金表を変える必要があったのか――。融資部長は、突然、資金表を見る三雲に訝《いぶか》しげな顔をしたのだったが、三雲としては自らが推進した阪神特殊鋼の資金表に疑問があるとは云えず、ちょっと思いついたことがあってと、言葉を濁していた。しかし、それもいずれは行内に知れわたり、阪神特殊鋼の融資をめぐって、自分と綿貫千太郎との対立がさらに深まるだろうと思った。

 インターフォンが鳴り、心きいた秘書の一人が、目だたぬように万俵鉄平を案内して来た。鉄平は慌《あわただ》しく頭取室へ入って来るなり、

「遅くなりました、先程のお電話によるお問い合せの件について、ご説明に参上致しました」

 と挨拶《あいさつ》したが、いつもの精悍《せいかん》な顔は青ざめている。

「一体、どうなっているのです、阪神銀行からの借入れは?」

 見せかけ融資であることを、心の一部で否定している三雲は、つとめて平静に質問した。その平静さに胸をえぐられる思いで、鉄平は云い澱《よど》んだ。

「実は……、頭取からお電話のあと、早速、調査致しましたところ、阪神銀行から入っていると思い込んでいた融資が、実際にはまだ融資を受けておりませんでした――」

「じゃあ、あなたの会社では、まだ融資を受けていない分まで、借入金として書き入れるのですか」

 ぴしりと鳴るような声が、部屋に響いた。

「申しわけございません、阪神銀行が融資を実行するまでのごく短期間のことだというので、そのような報告がお手もとに行っていたのです」

「それはあなたも、承知の上だったのですか」

「――迂闊《うかつ》にも、私は知りませんでした……」

 恥じ入るように応えた。

「知らなかったではすまない、もし、これが意図的に行なわれたものであるなら、卑劣な見せかけ融資に他《ほか》ならず、当行を偽ったことになります、いかに技術者出身で経理に疎《うと》いと云っても、専務たるあなたが、このような重大事に気付かずにいたとすれば、失礼ながら、あなたがよほど凡庸なのか、それともよほどことが巧妙に行なわれたということになりますねぇ」

 三雲の言葉に鋭さが増し、

「一体、誰が実際に見せかけ融資を行なったのです?」

 と問い糺した。

「実は、当社の経理担当常務が、阪神銀行の融資が遅れたので、苦しまぎれに御行《おんこう》から借り増すために、ここ三カ月ほど心ならずも見せかけ融資の帳簿操作をしておったということです――」

「しかし、経理担当常務一人だけの独断で、これだけ見事な見せかけ融資がやれますでしょうかねぇ」

 三雲の眼に、ありありと疑惑の色がうかび、

「私の想像では、阪神特殊鋼側は、少なくとも経理担当常務と経理部長、阪神銀行側は、融資担当常務と本店営業部長、貸付課長、そのあたりまでが組んでやらない限り、こんな巧妙な見せかけ融資はやり通せるものではないと思う、それにしても、なぜ見せかけ融資までして、当行から借り増そうとしたのか、そこが私は理解に苦しみます」

 きめつけるように云った途端、鉄平の顔色が変った。阪神特殊鋼と阪神銀行が組んで見せかけ融資を行なう限り、父の万俵大介が背後で糸をひいているに違いなかった。最初から何らかの意図をもって見せかけ融資を行なったとするなら、何をもくろみ、何を目的としていたのだろうか――。そして三雲の云うように、阪神銀行の貸付課長あたりまでが組んでいたとするならば、貸付課長である弟の銀平も介在していたことになる。そう思うと、鉄平は心の芯《しん》まで冷えて行くのを覚えた。

「その他にも、経理面で不審な点があります、街の金融機関から高步《たかぶ》借りをしていることと、架空売上げを計上していることです」

「えっ、高步借り? 架空売上げ――、一体、どれぐらいですか、お解りならお教え戴《いただ》きたい」

 信じられぬように聞いた。

「高步借りが日步十銭で一億五千万、架空売上げが三億六千万もあります」

 鉄平はがっくりと肩を落した。高步借りが、銀行間で最も嫌忌《けんき》されているのは、鉄平もよく承知していることだった。

「ですが、頭取は、それをどうしてご存知になったのですか」

「しかるべき筋から知ったことだが、君はこれをも、知らなかったというのですか、それなら君は経営者として失格だ、そんな経営者に賭《か》けた私自身もまた、一行の頭取として失格だ、私は騙されていた――」

 不意に三雲の肩が怒りに震え、両の拳《こぶし》を握りしめた。

「違うのです、頭取……」

 鉄平は、絶句した。

「なにが違うのです、たしかに高炉にすべてを賭けている君はりっぱだ、しかし、鉄を作るだけが事業ではない、今まで君が何度も、資金繰りの無理を云って来た時に、もっと早く私自身も阪神特殊鋼の経理上の欠陥に気付くべきだった、しかも当行を欺《あざむ》く見せかけ融資まで行なわれていたというのだから……、それにしても、メイン.バンクの頭取であり、あなたの父上である万俵大介氏は、この事態をどう考えておられるのです」

「頭取からお電話を戴いた後、すぐ父に連絡したのですが、折悪《あ》しく上京していて、まだ会っておりません、しかし早急に父に会って意向を質《ただ》し……」

 と云いかけ、鉄平は言葉につかえた。父に会ってみたところで、局面の打開が計れるかどうかは疑問であった。三雲の顔にふっと憐《あわ》れみの色がうかんだが、

「ともかく、早急に父上と会って打開策を考えることです、当行としては、もはや現状のままではおつき合い出来かねる状態になっているから、融資の実行が遅れている阪神銀行の借入れを早くして、誠意のあるところを示して貰《もら》いたい、今後の話はそれからです」

 これまでの温情主義を断ち切るように、きっぱりと云った。

 赤坂と新橋で二つの宴席をすませた万俵大介は、麹町《こうじまち》の行邸《こうてい》へ帰らず、世田谷の一子の家へ向って車を走らせていた。

 快く酔いの廻った体をシートに深々ともたせかけて眼を閉じているうちに、うとうととまどろんだが、昼間、長期開発銀行で秘《ひそ》かに行なわれた三頭取会のことが、頭を掠《かす》めた途端、眼を醒《さ》ました。まさか高步借りまでしなければならないほど、阪神特殊鋼の経営内容が悪化しているとは思っていなかったが、長期開発銀行の調査結果によると、大同銀行の突っ込み方は、銭高から報告を受けていた融資額とほぼ変らず、計算通り、着々と自分の野望が遂げられていると思った。

 成城町の住宅街に車が入り、生垣《いけがき》をめぐらせた家の前に停まると、一子がすぐ出迎えた。

「お父さま、先程はお電話でどうも――、美馬はまだ帰っておりませんけれど、宏《ひろし》が起きて、待っておりましてよ」

 久しぶりの父の訪問を喜ぶように云うと、内玄関に宏が走り出、

「お祖父《じい》ちゃま、ご機嫌よう」

 半ズボンにハイソックスをはいた恰好《かつこう》でお辞儀した。

「こんなに遅くまで、よく待っていてくれたね、明日、学校は大丈夫かな」

 美馬中《あたる》とよく似た顔だちの宏の顔を覗《のぞ》き込むと、宏も一緒に応接間に随《つ》いて入り、

「明日はテストだから、どっちみち、勉強しなきゃあならなかったんだよ」

「小学生で十時過ぎまで勉強しなくては、いけないのかね」

「お祖父ちゃまは古いなあ、パパのように東大へ入ろうと思ったら、今のうちから差をつけておかなくちゃあ」

 宏は、真面目《まじめ》くさった顔で云い、

「お祖父ちゃまは、二子おばちゃまのお嫁入りのことで来たの」

「そうだよ、宏は、二子おばちゃまが好きかい」

「大好きだよ、でもおばちゃま、お嫁に行きたくないって云ってたよ、どうしてなの」

 不思議そうに聞いた。

「宏ちゃん、もうお寝《やす》みなさい、明日のテストに障《さわ》りますよ」

 一子が横合いから促し、おやすみなさいと宏が挨拶して出て行くと、

「二子ちゃんは、この間もうちへ来て、細川さんとの結婚を随分いやがってましたけど、無理に進めて大丈夫でしょうかしら」

 案ずるように云った。

「無理とか、何とか云っても、今さら破談に出来るわけがないじゃないか、大体、お前にしても、鉄平にしても、二子の我儘《わがまま》をまともに受けて、あれこれ心配するから、よけい私たちに反抗するんだ」

「でも、相子さんのなさり方は初めから強引過ぎると思いますわ、二子ちゃんの相手は、どうしても細川一也さんでなくてはならないみたいですもの」

 もの静かであったが、言外に強い批判を籠《こ》めて云うと、

「本人のためにも万俵家のためにも、最適の配偶者と判断した上でのことだから当然だろう、それとも一子は、鉄平と同じように、阪神特殊鋼の一之瀬とかいう技術者《エンジニア》と結婚させたいのかね」

 咎《とが》めだてるように云った。

「ええ、二子ちゃん自身が望んでいることですから――」

 一子は、いつになくはっきりとした口調で頷《うなず》いた。大介は険しい表情で、

「二子は、阪神特殊鋼の技術者などにはやれない、だからお前も、二度とこのことは口にするんじゃない、解《わか》ったな」

「でも、どうして阪神特殊鋼の技術者がいけないのでしょうか、鉄平兄さまに伺うと、一之瀬四々彦さんという方は東大工学部の出身で、マサチューセッツ工科大学へも留学なさった優秀な方だそうではありませんか、銀平さんも、万樹子さんと結婚して一年ちょっとで破綻《はたん》しかかっているということですし、どうか二子ちゃんを倖《しあわ》せにしてあげて下さい」

 涙ぐむように云うと、

「一子、もういい加減にしないか」

 声高に大介が叱《しか》りつけた時、応接間の扉《とびら》が開き、美馬が入って来た。一子は表情を取り繕い、

「あら、お出迎えもしないで、ごめんなさい、すぐお茶のお支度を――」

 と云って、部屋を出て行った。美馬は愛想よく、

「お久しぶりです、国会の予算委員会が長びき、遅くなって、随分、お待たせしてしまいました」

「いや、久しぶりに宏の顔が見られ愉快だったよ、それより明日、佐橋総理を官邸に訪ねる時間は、うまく取れたかね」

 細川家と縁組を結ぶことにより、新たな縁戚《えんせき》関係になる佐橋総理に、挨拶をすべく、出向くことになっているのだった。

「総理もこのところ何かと多忙で、時間を取るのが大へんらしいですが、大蔵省から秘書官として出向している秋野君に強引に頼んで、明日、午後三時半から十五分間、予定を取ってもらいましたよ」

 主計局次長の実力のほどを、匂《にお》わせるように云った。

「それは早速と有難う、じゃあ明日は、日経連の地域開発委員会が終った後、中君がアレンジしてくれた帝国製鉄の兵藤《ひようどう》副社長と例の件で話をし、それからすぐ官邸へ行けば間に合うだろうねぇ」

 その予定を娯《たの》しむように云うと、

「兵藤副社長とのお話が長びかなければ充分だと思いますよ、しかし、お舅《とう》さん、ほんとうのところ、阪神特殊鋼を手放されるおつもりなんですか」

 美馬は、半信半疑の面持で念を押した。

「今さら何を云っているのだ、決心したからこそ、君から帝国製鉄の兵藤副社長にそれとなく耳うちして貰って、会う機会を作ったんじゃないか」

「そりゃあそうですが、何といっても、ご自分の長男の会社ですからねぇ――」

 さすがの美馬も、まだふっきれないように云った。半月前、大介から、「阪神特殊鋼はもはや独り步きは無理だから、できれば、以前、傘下《さんか》の特殊鋼会社との合併を打診して来た帝国製鉄に、今もその意思があるかどうか、聞いて貰いたい」と頼まれたのだった。美馬は早速、兵藤副社長が主宰する“兵六会”の席上で、そのことを耳うちすると、予定をびっしり書き記した手帖《てちよう》を取り出して、日経連の地域開発委員会の後ではどうかと、云ったのだった。地域開発委員会は、兵藤自身が委員長をし、万俵も委員をしているところから、万一、二人の会談が人目にふれても不自然でないのを配慮してのことだった。

 *

 大手町にある日経連ビル十二階の会議室の扉《ドア》が内側から押し開かれると、十七、八名の財界人は銘々に資料を手にして出て来た。

 午後一時から開かれていた地域開発委員会が終ったばかりである。国土の有効利用、過疎《かそ》地帯の政策研究の委員会だったが、識見豊かな一流企業の社長、副社長たちがそれぞれ自信と個性を漲《みなぎ》らせた表情で、会議のあとの寛《くつろ》いだ話を交わしている。そんな中で委員長である帝国製鉄の兵藤副社長は、八十キロの巨体を動かして、誰彼となく気さくに話していたが、“日経連の官房長”として政界へのパイプ役を一身に担《にな》っているだけあって、重厚さが身についている。五井物産の社長が兵藤のそばへ寄り、

「産業振興協議会の資金集めの件、不況でどこも渋くてねぇ、兵藤さんから各社へお電話をお願いしますよ」

 と声をかけると、

「承知しました、おかけしておきましょう」

 こともなげに応《こた》えているのが、万俵大介にも見て取れた。万俵はこれから兵藤と極秘で話す内容を頭にうかべながら、人目にたたぬよう、エレベーターには乗らずそっと階段から十階へ下りた。十階にある会員談話室の、いつも兵藤が常用しているNO.3の部屋で会うことになっているのだった。

「ちょっとお待たせしたようですな」

 程なく兵藤も階段から下りて来て、わが家《や》の部屋のように、NO.3と記《しる》された扉を開けて万俵を請《しよう》じ入れ、ボーイにケーキと紅茶を命じた。北欧調の木目を生かした落ち着いた部屋の中で、テーブルを挟《はさ》んで向い合うと、ビルの谷間を走る車の流れが眼下に小さく見える。ケーキと紅茶が運ばれて来ると、兵藤は大きなショート.ケーキにぱくりとかぶりつき、

「こう金詰りだと参りますね、阪神さんも、面倒をみて下さいよ」

 と笑った。金融引締めと不況の最中《さなか》であったから、金詰りの話は、財界人の日常の挨拶《あいさつ》のようなものだったが、膨大な金を食う鉄鋼会社を背負っている兵藤の言葉には実感があった。万俵はケーキには手をつけず、紅茶を飲みながら、

「いや、不景気で苦しいのは銀行とて同じですが、おかげさまで貸出先に他行さんほど大きな傷人《けがにん》が出ていませんので、資金繰りはどうにか順調に行っています、ただ先日、娘婿《むすめむこ》の美馬からお話ししておりますように、阪神特殊鋼が少し熱を出しているので、そのご相談なんですよ」

 互いに忙しい体であったから、無駄話は一切ぬきで、要件を切り出すと、兵藤の顔が引き締まった。

「それで、そのご相談の内容は?」

「実は五年前に、御社《おんしや》の系列会社である昭和特殊鋼と阪神特殊鋼との対等合併のお誘いを受けたことがありますが、あの時はまだ阪神特殊鋼が健在で、しかもどんどん伸びる見通しもあったので、もう少し独り步きさせようと思って、お断わりした次第ですが、今もまだ、そのお気持が残っておられるようなら、この際もう一度、お話を再燃させたいと思いましてねぇ」

 縁談を運ぶようなさり気なさで、切り出した。

「美馬君からお話がありましたので、早速、社長と話をし、詰めてみました、私としてはなるべくご期待に添いたいと思っていますが、社長が云うには、いろいろとご整理願いたいものを整理して戴かない限り、この話はお受けしかねると申しておりましてねぇ、それがうまく行けば、まとまらない話ではありませんよ」

 阪神特殊鋼が抱えている膨大な負債を片付け、すっきり贅肉《ぜいにく》が取れてからなら、話に応じるという云い方をした。

「ごもっとも、いろいろ内整理をしなければならない問題もありますので、その方の具体的なめど[#「めど」に傍点]がつき次第、ご連絡することにしましょう」

 万俵がことさら気軽な応え方をすると、

「しかし問題は、そんなに簡単に整理がつくかということじゃないですかねぇ、万俵さんが云われるように微熱程度の段階ならともかく、容態は相当、悪化しているようじゃないですか」

 無遠慮に、ずばりと云った。その語調で、兵藤が阪神特殊鋼の経営実態をすでに相当、根深く洗っていることが察せられた。おそらく八月末に五菱銀行で一時不渡りを起したことも、九月中頃に二十億の商社金融をこれまで付き合いのなかった五菱商事に、突如として頼んだことも、知っているらしい。しかし今、容態の悪化を認めてしまえば、足もとをみて少しでも安く買い叩《たた》こうとする帝国製鉄の思うつぼ[#「つぼ」に傍点]にはまるから、万俵はゆったりとしたもの腰で、

「容態の重い軽いの判断は、鉄鋼マンの兵藤さんと、銀行マンの私とでは多少の喰い違いがあると思いますが、阪神特殊鋼はご承知のように私の亡父の代に設立した会社で、含み資産等は充分、評価して戴けると思います」

「では、阪神特殊鋼に対する融資比率が、メイン.バンクである阪神さんの方がサブ.メインの大同さんより低いのは、どういうわけなんです?」

 すかさず、兵藤は畳みかけた。

「ああ、その件でしたら、私の方の行内事情で、融資の実行が一時、遅れているだけのことですよ」

 と応えたが、極秘裡《ごくひり》に行われたはずの長期開発銀行の調査結果までキャッチしているらしい様子が窺《うかが》われ、さすがは財界奥の院の一人といわれるだけのことはあると、万俵は少なからぬ驚きを覚えた。

 しかし兵藤はそんな気振《けぶ》りを微塵《みじん》も見せず、ケーキを平らげると、

「それにしても万俵さん、経営内容はともかくとして、あれだけの設備と技術を持っている会社を、なぜ手放されるのですか」

「それはほかならぬ兵藤さんがいつもおっしゃっているお説と、私も同じだからですよ、特殊鋼業界は高度成長を見越して企業が乱立ぎみであり、今度の不況で業界再編成は避けられぬ方向に来ています、こうした現実を直視すると、無理をして今、阪神特殊鋼をたち直らせても、この先、何年もつか解らず、それならいっそ今のうちに、業界第一位の阪神特殊鋼と、三位の昭和特殊鋼を合併させておいた方が、結局は阪神特殊鋼を生かす道だと考えたのです」

 まことしやかに述べた。兵藤は暫《しばら》く、沈思した後、

「メイン.バンクのあなたのご意向は解りましたが、これは、当社とおたくの二者だけで運べる話ですか」

 豪放細心と云われる如《ごと》く、話を詰めた。

「もちろん、今の阪神特殊鋼は、当行の一存だけで身の振り方をつけるわけには行かず、大同銀行さんの意向を取りつけねばなりませんが、それは私の方から出来ない話ではありません」

「じゃあ、大同さんと阪神さんとの話合いは、万俵さんにお任せすることにしますが、この件に付随して、阪神銀行さんとしてのご注文は何です?」

 ストレートに聞いた。万俵も即座に、

「当行をもっとご利用戴《いただ》きたいということです、御社における当行の融資順位は現在八位ですが、せめて三、四位まで高めさせて戴きたい」

「ほう、万俵さんのような都市銀行ただ一人のオーナー頭取でも、当社における融資順位などを気にされますか」

 兵藤は、急に尊大に笑った。そこには、帝国製鉄ということだけで金融機関が看板取引したさに犇《ひしめ》き集まって来るのをいいことに、自分の方から頭割りにきめた融資率で押し通している日本最大の鉄鋼会社の尊大さと、“鉄は国家なり”という思い上りが、剥出《むきだ》しにされていた。万俵は一瞬、不快になったが、ここで帝国製鉄における融資順位を三、四位にしておけば、大同銀行を合併した時、大同銀行の融資額を含めて、日本最大の企業のトップ.バンクになりうると考えた。

「当方の注文は、お含み戴けますか」

 万俵は念を押した。兵藤はそれには応えず、

「万俵さん、もしこの合併が実現すれば、新会社の社長には、あなたのご子息の万俵鉄平氏を考えておられるのでしょうか」

「いや、それは考えておりません、私は息子のことを考えているのではなく、阪神特殊鋼という会社が生き延びることを考えているのです」

 あまりに冷徹で、見事な応えであったが、二人きりの密室めいた室内には、ひやりと冷気がたつようであった。

「ほう、これはまた冷厳で鳴る万俵さんらしいお言葉、われわれ凡人は息子のこととなると、そこまでとても割り切れませんよ」

 兵藤は半ば驚き、半ば真《ま》に受けかねるように、じっと万俵の顔を見、

「ご意向のほどは解りました、では本日のところはこれで――」

 と云い、腰を上げた。万俵も揃《そろ》って部屋を出、エレベーターに乗った。

「お嬢さんの結婚式の日取りはおきまりですか、うちの細川一也君は、将来有望な青年ですから、ひとつよろしく――」

「これはいたみ入ります、挙式は来春、三月三日ですので、私の方こそよろしくお願い致します」

 兵藤は頷《うなず》き、

「で、これからどちらへ?」

「私はちょっと総理官邸へ――」

 万俵はさらりと応えながら、鉄平が昨日《きのう》から自分を追って上京し、今頃は銀行で自分を待ち構えているであろうことを思いうかべた。しかし万俵は、ここ当分、鉄平には会わぬ気持を固めていた。

 永田町の総理官邸に向う万俵の車の対向車線を、警備車が三台、列を連《つら》ねてゆっくり通り抜けて行く。夕方からの学生デモに備えてのことらしく、国会周辺に近付くと、さらにジュラルミンの楯《たて》と携帯無線機を持った機動隊員が二、三人ずつ組になって、要所、要所を固めていた。

 永田町一番地の総理官邸前に車が着くと、正門脇にしつらえられている警官詰所から制服警官が出て来て、万俵を誰何《すいか》した。車の窓を開け、氏名を名乗ると、詰所の電話で官邸内と連絡を取って、万俵大介の来訪を照合しているらしく、門の外で暫く待たされた後、ようやく唐草《からくさ》模様で縁取られた錬鉄《れんてつ》の扉《とびら》は重々しく両開きにされ、万俵の車を通した。

 棕櫚《しゆろ》の植込みのあるロータリーを徐行し、玄関ポーチで車を降りると、万俵は両側に威儀を正して起立している衛士と私服警官に軽く会釈《えしやく》し、赤い絨毯《じゆうたん》を敷き詰めたホールに足を踏み入れた。天井の高い、広いホールであったが、辺《あた》りは人影一つなく、森閑と静まり返って、ヴェールで掩《おお》われたように薄暗い。

 万俵はふと、この官邸で曾《かつ》て起った幾つかの血なまぐさい政治事件を思い起した。そうした血を見ずとも、この総理官邸には過去四十余年、熾烈《しれつ》な権力の争いや権謀術数が渦巻《うずま》き、繰り返されて来ている。ある意味で総理官邸は、斜め向いの白亜の国会議事堂よりはるかに政治の中枢《ちゆうすう》であった。

「万俵頭取ですね――」

 人影のない薄暗いホールのどこから出て来たのか、しのびやかな人の気配が間近にした。振り向くと、三十前後の秘書官がたっていた。万俵が頷くと、

目录
设置
设置
阅读主题
字体风格
雅黑 宋体 楷书 卡通
字体大小
适中 偏大 超大
保存设置
恢复默认
手机
手机阅读
扫码获取链接,使用浏览器打开
书架同步,随时随地,手机阅读
首 页 < 上一章 章节列表 下一章 > 尾 页