饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15393 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 誠心を披瀝《ひれき》しながら、斜め向いの父の顔を見た。何度、面会を求めても断わられ、遂《つい》にこのような公式の場でしか会うことが出来なかったのだった。

「なるほど、ご決意のほどは結構ですが、今の御社の財務内容は、あなたのごりっぱな決意とはあまりにも裏腹な結果になっており、その点について、あと二、三、お尋ねします」

 宮本頭取はそこで一旦、言葉をきり、

「あなたは阪神銀行と大同銀行との間に、協調融資の乱れがあったことを、ご存じですか」

“協調融資の乱れ”という紳士的な表現をしたが、それは“見せかけ融資”のことだった。

「その点については過日、三雲頭取からご質問があった時点で、初めて知りました、病床の石川社長に代って実質上の経営責任者である私が迂闊《うかつ》に見過していた点、衷心よりお詫《わ》び致します」

「それでは経理担当の銭高常務に伺いますが、阪神特殊鋼から大同銀行に報告されていた阪神銀行の融資額を水増ししたのは、なぜですか、こうしたことが道義的に由々しい問題であるのを、銀行出身者としてのあなたは、よく承知されているはずではありませんか」

 厳しい詰問《きつもん》に、万俵から因果を含められている銭高は、恐縮しきった姿で応えた。

「申しわけございません、阪神銀行の融資の実行が遅れましたので、苦しまぎれに大同銀行さんから借り増すために、私の一存で行なってしまったのでございます」

 三雲頭取はきっとした眼《まな》ざしを、銭高に向けた。

「単にそれだけの理由ですか、経理担当の立場を利用して万一、阪神特殊鋼が倒産に瀕《ひん》した時、阪神銀行にだけは損害を与えまいと、配慮したのではないですか」

「とんでもありません、当社が倒れるなど、われわれは夢想だにしておりません、ともかく高炉が稼動すれば、赤字資金も軽減され、楽になることは目に見えているのですから、全く一時的な資金ショートを切り抜けるための操作にほかなりません」

 平身低頭して銭高が云い繕うと、三雲は万俵の方へ向き直り、

「まことに不躾《ぶしつけ》なことながら、こういう事実をメイン.バンクの万俵頭取が全然、関知されていなかったというのは、理解に苦しみます、万俵頭取に何らかのお考えがあったのではないのでしょうか」

 核心に迫るように聞き糺《ただ》した。万俵はいささかも表情を変えず、

「当行の融資の実行が遅れていた点については、それなりの行内事情があったからで、阪神特殊鋼には諒承《りようしよう》ずみのことです、一方、当行の融資の遅れた額を、大同銀行さんに融資して貰うよう特に名ざしで指示した事実は全くありません」

 平然と云ってのけた。

「それなら、銭高常務にさらにお伺いしますが、阪神銀行に相当額の預金がありながら、高步《たかぶ》借りまでしたのはどういうつもりですか」

「架空売上げを計上して、売上げを水増ししたり、見せかけ融資を行なっているうちに辻褄《つじつま》が合わなくなったので、あくまで一時的な穴埋めのつもりで高步借りに手を出しました」

 と応えると、長期開発銀行の宮本頭取は、

「それにしても、せめてメイン.バンクには高步借りのことを話して、或《あ》る時点で高利を返済すべきではないでしょうか」

 と畳み込んだ。

「――たしかに或る時点で、メインには思いきって話すべきでしたが、高步借りまでしているとは、さすがに云えず、迷っているうちに会社の内容が急速に悪化し、高利の金も返せないようになったのです」

「今まで、そうした言語道断の状態を当行に隠していたことは、粉飾行為ではありませんか」

 三雲の声が気色ばんだ。銭高は言葉に詰ったが、鉄平がつと顔を上げた。

「粉飾などという意図は、私を含めて、当社には毛頭ございません、私の不明の致すところで、今日《こんにち》のような状態にたち至りましたが、いま一度、お力添えを得て、この危機を乗り越え、何としても高炉を稼動させて戴《いただ》きたく存じます、お願いします!」

 鉄平は思わず、父の万俵大介へ縋《すが》りつくように膝《ひざ》を前へ進めたが、その父は他人のような無表情な眼を向けていた。宮本頭取は、

「あなたのご決意のほどは承っておきましょう、阪神特殊鋼を今後どうするかは、今から余人を混じえず、私たちで協議しますから、お引き取り下さい」

 退席を促した。

 万俵鉄平と銭高が部屋を出て行くと、お茶が入れ替えられ、暫時《ざんじ》、重苦しい沈黙が続いたが、三頭取の胸中には、それぞれの思いが去来していた。三雲の胸には、いかに銭高が云い繕おうとも、万俵大介に対する不信感が消えなかったし、万俵は、今からどうたち廻れば、自分に有利な場面転換が図れるかが関心の的だった。宮本頭取は、長期開発銀行の頭取として、両行をいかに妥協させて、まとめるかということだけに心を傾けていた。

 やがて、宮本頭取は口を開いた。

「いかがです、阪神さんのお考えは?」

 まず話をメイン.バンクの万俵に向けた。

「情において阪神特殊鋼に支援を続けたいのですが、大衆の金を預かる銀行として、先の見通しがつかぬまま、ずるずる貸し込んで行くことは、一行の損失のみならず、社会的に指弾を浴びることにもなりますから、この際、思いきって整理、縮小を図るべきだと思います」

 私情を混じえぬ厳しい意見を述べると、三雲は、

「万俵さん、あなたのそのごもっともなご意見を伺う前に、私としてあなたに申し上げたいことがあります、つまり阪神特殊鋼の万俵専務は確かに経理面に疎《うと》く、資金繰りの破綻《はたん》のもとになったが、万俵専務の企業に対する態度は、今でも正しいと思っています、真摯《しんし》な万俵専務の態度と、それを阪神銀行が強力にバック.アップされているということで、当行もまた、基幹産業育成の意味から、阪神銀行さんと協力して来ました、にもかかわらず、今日に至って、それが信のおけないものであったということは、私として全く割りきれない思いです」

 噴き上げて来る憤《いきどお》りを抑えるように、瞬時、言葉を跡切《とぎ》らせ、

「私としてはもはや、阪神特殊鋼に対する情熱は失いかけている……しかし、阪神特殊鋼が特殊鋼業界最初の高炉を持って一貫生産に踏み切ることに私が賛同し、その実現のために融資して来たこと自体は間違っていないと思うので、いま一度、お互いの立場に固執せず、阪神特殊鋼の今後を考えるべきだと思う」

 そう結ぶと、万俵の上半身が不意に前へ屈《かが》んだ。

「三雲さん、あなたのほんとうのお気持を聞かせて戴いて嬉《うれ》しい――、そこまであなたに云われることは、私として申しわけない気持で一杯です、あなたの云われる企業育成という銀行の使命については、私とて同じ考えですが、自分の息子だけに、どこか甘いところがあるのではないかと、息子を助けたい気持より、銀行家としての使命が先にたってしまい、その結果としてあなたにご迷惑をおかけしてしまいました、その点、心からお詫びいたします――」

 深々と頭を下げたが、もはや万俵大介を信じない三雲は、

「お詫びして戴くより、今後、具体的にどうするかということのほうが大事です、長期開発銀行さんのご意向はいかがです」

 と打診した。宮本頭取は、

「正直に云って当行は、今回のことがあったからというわけではありませんが、長期設備銀行の性格上、阪神特殊鋼の担保と睨《にら》み合せると、これぐらいが限度と思います」

 話の取りなし役はしても、火中に栗《くり》を拾うような融資は、体《てい》よく断わった。

「そうなると、三雲さん、おたくとうちの二行だけで阪神特殊鋼の面倒を見ることになり、他行にはこれ以上の融資は望めませんから、やはりこの際、一時的に不名誉でも、会社更生法の手続きを取って、抜本的なたて直しを図るべきでしょう」

 万俵はすかさず、思うつぼ[#「つぼ」に傍点]に話を向けた。

「しかし、基幹産業であり、業界第一位の阪神特殊鋼が、会社更生法の適用を受けることになれば、社会的な影響は大きく、関連企業に連鎖倒産が起る可能性も強い、また長期的に見て、成長力のない企業ならともかく、一時的に不況に叩《たた》かれ、経営が悪化したからといって見放すのは、万俵さん、あまりに軽々しい結論じゃありませんか」

「おっしゃる通りです、だが当面の問題は資金です、それがどうしようもない段階では、会社更生法の適用を受けて、一旦《いつたん》、整理しないことには、どこからの融資も援助も受けられず、下手をすると、野たれ死してしまいます、もっとも、日銀か、大蔵省の格別のお墨付でもあれば別ですがねぇ、三雲さん、あなたに何かお考えでもあるのですか」

 暗に日銀出身の三雲に、日銀特別融資の計らいを打診させるような云い方をすると、三雲は、

「じゃあ、日銀総裁に会って、ともかく一度、相談してみましょう」

 万俵の狡猾《こうかつ》な罠《わな》にはまるように応えてしまった。

 三雲は、いつもより早く独りで朝食をすませ、病床の娘の志保《しほ》を起さぬようにそっと自室へ戻って、出勤の支度にかかった。

 書斎に続いた居間には、片側に洋服箪笥《だんす》や整理箪笥が作りつけられてある。洋服箪笥の中にはブラッシュされた服が整然とハンガーにかかり、乱れ籠《かご》には純白のワイシャツと下着が老婢《ろうひ》の手で整えられていた。毎朝、下着を着替えるのが三雲の癖で、九年前に亡《な》くなった妻は、癇性《かんしよう》過ぎると笑ったものだが、いまだにその癖は癒《なお》らない。下着を脱ぎ替え、ズボンを穿《は》き、ワイシャツを着ていると、志保が入って来た。

「お父さま、今朝《けさ》はお早いのですね」

 透けるように白い顔に、深いブルーの室内着の色が映えるようであった。

「お早う、今朝は銀行へ出る前に寄るところがあるのでねぇ」

 ネクタイを結び終り、上衣《うわぎ》をつけると、志保が、

「あら、ネクタイが少しまがっておりますわ、それに胸ポケットのハンカチーフもお忘れになって――」

 三雲にしては珍しいことであった。

「どうか遊ばしまして? お父さま、この頃、お顔の色が冴《さ》えませんし――」

 整理箪笥から純白のローンのハンカチーフを取り出し、父の胸ポケットにさし入れながら、志保は長い睫毛《まつげ》の眼を曇らせた。

「いや、別に何でもない、忙しくて少し疲れているだけだから、心配しなくていいのだよ」

 と応《こた》えたが、昨日《きのう》、長期開発銀行で開かれた二回目の三頭取会が終るなり、阪神特殊鋼に対する日銀の特別融資を依頼するため、松平総裁に緊急の面会を申し入れ、今朝九時前に訪ねることになっていた。

「旦那《だんな》さま、お車が参りました」

 老婢が、銀行の迎えの車が来たことを告げた。

「ではお父さま、行っていらっしゃいまし、あまりご無理をなさらないで――」

 志保はなおも気遣うように云って、玄関まで父を見送った。

 車に乗り込むと、三雲は重苦しく黙り込んだ。阪神特殊鋼への日銀特融の可能性が極めて困難な上に、松平総裁と自分との関係があまりうまく行ってないからでもあった。七年前、当時はまだ理事の松平からすすめられた通り彼の妻の妹を後添えに迎えていたなら、二人の間柄が、気まずくこじれることはなかったはずだった。しかし当時は妻を亡くしてまだ二年目だったし、病身の志保のことを考えると、松平から「夫と死別した義妹だが、君にえらく執心で、他家からの再婚話に乗らないので、是非とも貰《もら》ってやってくれないか」と頼まれても、応じられなかった。それが自尊心の人一倍強い松平の気持を傷つけ、さらにその後、義妹が神経性の病気になったことで松平との関係は決定的にまずくなってしまったのだった。

 車は八時四十五分、日本橋本石《ほんごく》町の日本銀行に着いた。正面玄関で車を降りると、守衛たちは恭《うやうや》しく、曾《かつ》ての日銀理事を迎えた。

 総裁室のある二階へ上ると、昨日、電話した綾部《あやべ》秘書役が総裁室から出て来た。

「これは三雲頭取、昨日はせっかくお電話を戴きながら、こんな朝早くにしか時間がお取り出来ず、申しわけございません」

 総裁の懐《ふとこ》ろ刀として、理事同等もしくはそれ以上の権限を振るっている綾部であったが、先輩に対する姿勢は、鄭重《ていちよう》すぎるほど鄭重であった。

「いや、私の方こそ突然、無理を申し上げました、総裁はよろしいですか」

「どうぞ、お入り下さい――」

 綾部秘書役は、総裁室の大きな扉《とびら》を押し開いた。外部の来訪者は、総裁応接室で会うのが慣例であったが、三雲が日銀出身者であるという内輪な意味と、極秘で会いたいという申し入れに対し、綾部秘書役が裁量したのだった。

 ドームのように天井の高い三十坪程の室内は、正倉院の古代裂《ぎれ》を模写したような古めかしい壁模様と調度品に囲まれ、奥まった一角に大きな執務机が置かれていた。痩身《そうしん》をダーク.スーツに包み、執務机の前に坐《すわ》っていた松平総裁は、入って来た三雲を睥睨《へいげい》するような鋭い眼つきで見た。

「総裁、本日は取り急ぎご相談申し上げたいことがあって参上致しました」

 改まった姿勢で挨拶《あいさつ》すると、松平総裁は鷲鼻《わしばな》の下の小さくつぼんだ唇を開いた。

「阪神特殊鋼の件ですか」

 三雲はあっと息を呑《の》んだ。おそらく長期開発銀行の宮本頭取が万一の時の責任を慮《おもんぱか》り、三雲より先んじて、阪神特殊鋼のさし迫った事態を耳に入れていたらしい。

「仰《おお》せの通り、そのことでお願い致したいことがございます」

 松平総裁は天津絨毯《テンシンじゆうたん》の上をゆっくり步いて、応接用のソファに来、三雲と向い合って坐った。

「突然ですが、総裁、阪神特殊鋼に対し、日銀法第二十五条の適用をお考え願えませんでしょうか」

 直截《ちよくせつ》に切り出した。日本銀行法第二十五条『日本銀行ハ主務大臣ノ認可ヲ受ケ信用制度ノ保持育成ノ為《ため》必要ナル業務ヲ行フコトヲ得』は、いわゆる“日銀特別融資”の発令を意味する条文であった。

「三雲君、君らしくない依頼じゃないか、日銀特融がよほどの場合でなければ行なえないことは、承知のはずだ、山川証券の場合は、金融機関であり、万一、倒産した場合は、証券市場が大混乱、金融恐慌《きようこう》を惹起《じやつき》するおそれがあったから、止《や》むなく第二十五条の発令に踏み切ったが、一般産業会社の救済のためには、そうそう簡単に行なえない」

「お言葉ですが、阪神特殊鋼は基幹産業であり、万一、倒産の羽目にたち至った際には関連会社、下請けの連鎖倒産が起り、その波及するところはきわめて大ですから、金融恐慌と同じような社会不安を招くことが目に見えております」

「だが、形はどこまでも一般産業会社の救済じゃあないか、そういう前例はいまだ曾てないだけに、日銀がなぜ一企業の救済に乗り出したかという説明を、どうつけるつもりかね」

 松平総裁は、冷やかな語調で云った。三雲は顔を蒼《あお》ざめさせ、

「実は、この件は阪神特殊鋼の問題であると同時に、当行の問題でもあります、と申しますのは、当行の阪神特殊鋼への貸込みは、メインの阪神銀行を上廻って百億にのぼり、当行系列の相互銀行、信用金庫にも当行が保証して貸し込んでいる分があります、したがって万一、阪神特殊鋼が倒産した場合、当行はそれらの保証分もかぶらねばならず、まさに非常なる危機にたち至っております」

 と云ったが、松平総裁は黙したままだった。

「私の不明で、まことに申しわけない事態になり、伝統ある日銀出身の頭取としての名を辱《はずか》しめるような結果にもなりましたが……、何卒《なにとぞ》、総裁のご英断による、二十五条の適用を重ねてお願い申し上げます」

 必死の面持で云うと、松平総裁は、

「阪神銀行では、この問題にどう対処しようとしているのかね」

「阪神特殊鋼の実質上の経営者である万俵専務が、阪神銀行の万俵頭取の令息だけに苦慮しているようですが、結論的には会社更生法の手続きを取るほかないという方向に向いています、しかし万俵頭取が裏で何かを意図して、動いているという疑惑は、私からふっきれません」

 三雲が応えると、松平総裁は鷲のように尖《とが》った鼻を仰向け、円形の高い天井の一点を凝視した。何かを思索する時の癖で、今、三雲が口にした万俵の何らかの意図について、思いをめぐらせているのだった。松平総裁は、一介の地銀的都市銀行の頭取でありながら冷徹怪異な雰囲気《ふんいき》を持つ万俵大介の姿を脳裡《のうり》に思いうかべていたが、ふと万俵の背後に、永田大蔵大臣の顔がちらついた。三雲が云う通りやはり何かがある――、それが何であるか、三雲の話だけでは解《わか》らないが、永田大蔵大臣と親密な関係にある万俵が、もしや意図的に三雲をして、阪神特殊鋼に貸し込ませたのではないかという疑惑を持った途端、松平総裁は身の毛のよだつような思いがした。と同時に三雲がどうなろうと、自分はこの件に深入りしてはならないと思った。

「三雲君、君のいう事情はよく解ったよ、問題は阪神特殊鋼だけでなく、大同銀行にもあるということが――、だが、先程も云ったように、表に出るのは、どこまでも阪神特殊鋼に日銀特融を行なったという事実であり、日銀がなぜそんな一企業に特融したのか、日銀出身者が頭取に天下っている大同銀行の貸込みを助けるためではないかと、国会あたりでも問題にされかねないだろう、そうなると、大同銀行が、メインの阪神銀行を上廻る不良貸付を阪神特殊鋼にしたのは、日銀の監督不行届に一半の責任があると、こちらも追及されることになる、三雲君、それでも君は日銀特融を要請するつもりかね」

 巧みに大義名分を押したてた。日銀出身者だけに、三雲はその大義名分に抗する言葉もなく、うな垂れた。阪神特殊鋼の救済は事実上、潰《つい》えたのだった。

 総裁室を出た三雲は、陽の射《さ》し込んで来ない中世の回廊のような薄暗い廊下を悄然《しようぜん》と步きながら、奈落《ならく》に落ちて行くような思いに打ちひしがれた。

 *

 東名高速道路の御殿場インター.チェンジから箱根に上るドライブ.ウェイには車の影一つなく、箱根外輪山《がいりんざん》の紅葉《もみじ》が鮮やかな色彩のコントラストを見せていた。

 万俵大介は、窓ガラスを半分開いた。十月下旬の山の空気はさすがに冷たく、足元にまで吹き込んで来たが、午前十一時半に東京.麹町の行邸を出て、既に二時間半も車に乗りづめの万俵にはむしろ快かった。

「大臣の山荘には定刻に着きそうかね」

 万俵は、永田大蔵大臣の顔を思いうかべながら、運転手に聞いた。

「はい、この先の乙《おと》女峠《めとうげ》を越えますと、三十分ほどですから、三時の定刻にお着けできると存じます」

 万俵は頷《うなず》き、窓を閉めた。国会あけで静養中の永田大臣を芦《あし》ノ湖畔《こはん》にある山荘に訪ねるのは、阪神特殊鋼の決定的な危機も絡《から》めて、阪神、大同両行の合併を打ち明けるためであった。

 車が海抜一千メートルの乙女峠を登り切ったところで、背後を振り返ると、眼前に富士山が壮麗な姿を見せて拡《ひろ》がっていた。紺碧《こんぺき》の空に、すでに六合目あたりまで新雪をいただき、雄大なスロープを描いて裾野《すその》までくっきりとうかび上っている。万俵はその山容に見惚《みと》れながら、日本の象徴である富士山を間近に仰ぎ、一国の大蔵行政を司《つかさど》る大臣と戦後はじめての都市銀行の合併話をすることに、幸先《さいさき》のよさを感じた。

 芦ノ湖の永田大臣の山荘は、箱根神社下の鬱蒼《うつそう》とした杉並木の奥にあった。萱葺《かやぶ》きの門の横に地元警察から派遣された警官が警備に当っていたが、万俵が車からおりたつと、来訪が知らされているらしく、すぐ門を開けた。昨年五月に新築された山荘で、新築祝に万俵は鞍馬《くらま》石の庭石を贈っていた。

 延段《のべだん》を上ると、新しい民家風に設計された山荘の玄関に、永田の妻が出迎えた。

「ご遠路をお疲れでございましょう、さあどうぞ――」

 言葉に永田と同郷の茨城訛《なま》りが残り、およそ大臣夫人ぶったところのない気さくなもの腰で、玄関から客間に案内した。

 芦ノ湖が見下ろせる座敷には、床寄《とこよ》りに囲炉裏《いろり》がきられ、自在にかけた鉄瓶《てつびん》がしゅんしゅんと湯気をたてている。万俵は囲炉裏の前に坐り、運ばれた茶に口をつけ、

「奥さまにはご無沙汰《ぶさた》致しておりますが、お噂《うわさ》はよく娘婿《むすめむこ》から伺っておりますよ、春から詩吟を始められたとか――」

「内緒にしておいて下さいって申し上げたのに、美馬さんもお人の悪い――、永田は耳障《ざわ》りだからやめろやめろと申しますが、春田さんや美馬さんに励まされて続けていますの」

「やめろとは大臣も暴君ですね、詩吟は健康のためにもよろしいそうで、是非、お続けになるべきです」

 笑いながら云った。こうした打ちとけた会話が出来るのも、曾て永田が冷飯食いをしていた頃、美馬を伴《とも》にして永田の家を訪れていたからであった。

 永田の妻と入れ替るように障子に人影が映り、永田が小柄な痩身に大島の対《つい》を着て現われた。

「これは大臣、ご静養先のご静謐《せいひつ》をおさわがせして恐縮です、結構なご普請《ふしん》で先程から感じ入っております」

 薩摩葦《さつまよし》の糸通しの天井、欅《けやき》の床柱、赤木の肥松《こえまつ》の囲炉裏框《がまち》を褒めると、永田はまんざらでもない笑いをうかべ、

「ついでに、新築祝に戴《いただ》いた石をご覧戴きますかな」

 と云い、広縁にたった。躑躅《つつじ》と石南《しやくな》花《げ》が植え込まれたゆるやかな斜面の庭の向うに芦ノ湖が一望のもとに見渡せ、右手上空に富士山が聳《そび》えたっている。これほどの場所を永田はどのようにして手に入れたのか、思いをめぐらせていると、

「鞍馬石は、そこの躑躅の寄せ植えの間に置きましたよ」

 永田は庭の中ほどに置いた二つの石のうちの一つを眼で指した。高さ四尺近い逸品で傍《かたわ》らの秩父《ちちぶ》石と好対照をなしている。

「これはどうも――、横の秩父石も結構ですね」

「いや、あれは大きいだけが取柄だよ、さあ寒いから、中へ入りますか」

 永田はそう云い、障子を閉めて、囲炉裏の前に坐った。庭石を見ている間に炭がつぎ足されたらしく、あかあかとおこり、灰には青海波《せいがいは》の文様《もんよう》が描かれ、囲炉裏を浄《きよ》めている。

 万俵は、真向いの永田大臣の顔をまっすぐ見、

「ご静養先ですから、用件を簡単に申し上げます、実は私の方の阪神特殊鋼の件ですが、これ以上、今の状態で生きのびることは困難ですので、二、三日中に大同銀行の三雲頭取と通産大臣を訪ね、会社更生法による政府救済をお願いに参ることになりました」

 と報告した。永田大臣は煮えたぎる鉄瓶に眼を遣《や》ったまま、暫《しばら》く沈黙していたが、三白眼《さんぱくがん》を上げると、

「駄目か――、協調融資の銀行団でもっと面倒をみることが出来ないのかね」

 念を押すように、聞いた。

「非力にして、これ以上はどうしても――」

 言葉少なに応《こた》えると、永田は再び何事か沈思するように腕組みした。

 不意に庭のどこかでケーンと、ひときわ甲高い鳥の声がした。雉《きじ》の鳴声であった。万俵は今年の正月、志摩半島で恒例の雉撃ちをした折、鉄平にもう少しのところで誤射されかけたことを思い出し、今の雉の声が鉄平の悲痛な叫びのように思われて、ぞっと冷たいものが背筋を奔《はし》ったが、永田は決断したらしく、

「よし、阪神特殊鋼の件は諒解《りようかい》した、だが関連倒産はできるだけ最小限に食い止めるようにして貰いたい」

 命じるように云い、

「阪神特殊鋼が倒れるのは致し方ないとして、融資銀行は大丈夫かね、もしそれで銀行ががたがたになるようなら、一般預金者に迷惑が及び、大蔵省としても責任問題になる」

 大蔵大臣らしい言辞であった。万俵はすかさず畳み込んだ。

「大臣、今日のもう一つの用件はそのことなのです」

「というと、君のところの銀行が工合でも悪いのかね」

「いえ、当行は幸いにして軽微ですが、問題は大同銀行で、もしかして大同銀行はこの件が命取りになるかもしれません」

「なに、大同銀行が? どういうことなんだ」

 永田は囲炉裏の炭火を火箸《ひばし》で挟《はさ》み、説明を促した。

「大同銀行が、阪神特殊鋼へ食い込んで来たそもそもの経緯は、基幹産業との取引という看板取引的な意味と同時に、西の方に進出基盤を持ちたいという二つの動機があったためと思われます、私の方としても、阪神特殊鋼はとても一行で面倒見きれる規模でなくなって来ましたので、結構なお申し入れと思い、以後、協力して支援して参りました、ところが大同銀行の方は、特殊鋼の不況が深刻になっても積極融資の方針を変更されず、正直申して私の方も心配はしていましたが、他行さんの融資方針にとやかく嘴《くちばし》を入れるのもさし出がましく、今日《こんにち》に至りましたが、この度の長期開発銀行の財務調査で、大同銀行はメインの当行を上廻る融資を行ない、大へんな深入りをしていることが判明したのです」

 表情を曇らせながら、ぬけぬけと云い、

「阪神特殊鋼が全く他人の企業であれば、これは大同銀行さんのご意思による融資だからと横も向けましょうが、何しろ実子が経営にあたっている会社だけに、私としても寝ざめが悪く、道義的な責任を感じないではいられません、当行で大同銀行さんに対して、何かして上げられることがあるならと――」

 万俵はわざとそこで言葉を切り、謎《なぞ》をかけるように永田の眼の奥を凝視した。その途端、三白眼がちかっと光り、貧相な顔に凄味《すごみ》が浮かんだが、すぐそら恍《とぼ》けた表情で、

「大同銀行といえども、痩《や》せても枯れても都市銀行なんだから、万が一のことがあっては困るが、業務提携でもするつもりかね」

「業務提携では、もはや靴の上から足を掻《か》くような効果しかありません」

「すると、抱え込むつもりか」

「もし、大臣のお許しさえあれば――、先日、次女の結婚披露の件で、佐橋総理を官邸にお訪ねした折、総理は永田大臣には何でも云ってくれていいということでございましたので――」

 ここぞとばかりに斬《き》り込むと、永田は薄く笑い、

「相変らず万俵さん、あんたは鯱《しやち》が鯨《くじら》を呑《の》み込むことばかり考えていたらしいね、だが、いざ現実の問題となると、形の上でどうしても不均衡の譏《そし》りはまぬがれないね、そこのところを世間にどう納得させるか、難かしい問題だねぇ」

 いかにも難かしそうに云った。万俵は心外な思いがした。

「大同銀行の救済について、銀行局の方では、別な青写真でもあるのでしょうか」

「大同銀行は恰好《かつこう》な花嫁だから、一つや二つの組合せは当然、銀行局構想としてあるだろうが、そんなのはなんとでもなる、私が云っているのは、さっきも云ったように不均衡の問題だ」

 銀行合併の許認可は所詮《しよせん》、大蔵大臣たる自分の胸先三寸だと言外に匂《にお》わせながら、再度、形の不均衡に難色を示した。今さら口にするまでもないことに難くせをつけ、首をたてにふらないのは、要は合併認可の“値”を釣り上げるためであるらしい。永田の胸中を読み取ると、万俵は閉め切ったガラス障子越しに見える庭石に眼を向け、

「大臣、あの鞍馬石と秩父石は、形も色も全く異質で、一緒に並べて置くなど、およそ頭では考えられないことですのに、事実、ああして組み合せて置くと、案外、置き栄《ば》えが致しますね、銀行合併とて、あれと同じではないでしょうか」

 と云うと、永田も石の方を見、

「それは云えるかもしれない、だがこの庭には、もう二つぐらいはあってもいいだろう」

 呟《つぶや》くように云った。互いに禅問答のようなやりとりだったが、万俵は年来の執念を燃やし続けて来た“小が大を食う”合併を大蔵大臣の権力に名を借りて、何が何でも認めさせようとしているのであり、永田は、それを認めるためには、二百万か三百万の鞍馬石の値段でなく、もうあとマルが二つほど足りないことをほのめかしているのだった。

「なるほど、あと二つほどなら私の方の出入りの庭石屋に探させ、いずれお届け致しますよ」

 万俵はぎらぎらと脂《あぶら》ぎったこの会談をさり気なく受け、双方の取引は暗黙裡《り》に成立した。

「いつの間にか、随分、長居してしまいました、それでは只今《ただいま》の件、私の方の人間を早速、春田銀行局長のもとにさし向け、当行の考えを具体的にお話ししてよろしいでしょうか」

「うむ、とりあえずそれは必要だからやってくれ給《たま》え、事務的に問題がなければ、阪神特殊鋼の禍《わざわ》いを福に転じることが出来るのだからねぇ」

 と云いながら、永田は灰に描いた青海波の上に、火箸で「大」と「小」の二文字を無造作に書き散らした。

 高須相子は、芦ノ湖スカイラインを走らせていた車を停《と》めた。それはちょうど万俵大介が訪れている永田大臣の別邸がある辺《あた》りと、湖を挟んで、対角線の地点であった。今朝《けさ》、二子と細川一也の新居のことで、仲人《なこうど》の小泉夫人の赤坂のマンションを訪ねて打ち合せした後、久しぶりに箱根で寛《くつろ》ごうという万俵からの連絡で、相子は東京から独りレンタカーを運転して箱根へ来たのだった。

 シーズン.オフのドライブ.ウェイは、殆《ほとん》ど往《ゆ》き交う車もなく、相子は車から降りると、ドライブ.ウェイの横の叢《くさむら》にたった。眼の下に拡がる芦ノ湖は、冴《さ》えた秋空の下に、引き込まれるようなエメラルド.グリーンの深い水を湛《たた》えている。対岸の山々は半ば冬の気配を見せているが、ところどころ点々と黄ばみ、湖面に近付くにつれて燃えるような赤さに紅葉し、山から湖面に至る細かな色の変化と人気《ひとけ》ない静けさが、スイスの山間《やまあい》にあるシュテッテ湖のたたずまいを想《おも》い起させた。

 離婚した夫のリチャードとバカンスに出かけたところであった。シュヴィーツというスイスの国名と国旗の発祥地の近くにあるシュテッテ湖は、アルプスの山々に囲まれ、緑の結晶のように透明な水面に山影を映し、湖岸の船着場に、船が着いては離れて行く音が、静かな湖面に響いていた。その素朴《そぼく》で静まりかえった湖を見詰めながら、当時まだ若く健気《けなげ》だった相子は、大学の研究室に勤務する夫と、決して余裕のある生活ではなかったが、やがて子供を産み、倖《しあわ》せな家庭をつくることを話し合ったものだった。

 谷間から吹き上げて来る風が俄《にわ》かに冷たさを増し、相子がたたずんでいる辺りに生《お》い茂っている芒《すすき》が、銀色の波をたてて風に揺らいだ。相子はスエードのコートの衿《えり》をたて、スカーフを首に巻きつけて急いで車に戻ると、仙石原《せんごくはら》の箱根観光ホテルに向った。

 ホテルに着くと、万俵の方が先に着いていた。フロントで自室の鍵《キー》を受け取る時、相子はちらっと、五〇一番のキー.ボックスに眼を走らせ、鍵がないことを確かめた。万俵と外で泊る時は、必ず別々に部屋を取って、世間の眼を繕っているのだった。

 エレベーターを五階で降りると、相子は自分の部屋へ寄らず、まっすぐ万俵の部屋へ行った。

「お入り」

 万俵の声がした。室内は暖房がきき、既にバスを使ってホテルの浴衣《ゆかた》に寛いだ万俵が窓際《まどぎわ》の長椅子に坐り、月刊誌を読んでいた。

「早くお着きになりましたのね、いかがでございましたの、大臣のご機嫌は?」

「うむ、上機嫌だな、新築祝に贈った鞍馬石がたいそうお気に召したようだ」

 万俵から何一つ具体的に聞かされていなかったが、毎日の万俵の機嫌や言葉の端々、そして体の調子や夜の営みを通して、相子には、万俵が何を考え、何をしつつあるのか、ほぼ推察出来るのだった。

「で、相子の方はどうだったんだい?」

「私の方も、上々ですのよ、小泉夫人とご一緒に、新居になる南平台《なんぺいだい》のマンションの仕上りを見に参りましたが、さすがに一也さんのお父さま、細川信也氏の設計だけあって、内部に、木目の壁材や柱がふんだんに使われていて、暖かい感じと品格のある内装でした、お隣のお部屋は、前最高裁長官の重光ご夫妻ですって――、でも肝腎《かんじん》の二子さんは、この頃、ますます、勝手気儘《きまま》な振舞いで、私も手をやいておりますのよ」

 相子は、大きな溜息《ためいき》をついた。

「手をやくなど、相子らしくないじゃないか」

 万俵は笑った。

「笑いごとじゃありませんわ、この頃、妙に外出が多くなり、この間も帰宅が遅いので出先を聞くと、万樹子さんのところへ寄っていたということなので、万樹子さんの様子を伺いかたがた、安田家へお電話すると、夕方、お帰りになったということで、いまだに頻繁《ひんぱん》に一之瀬四々彦と会っている様子ですの」

「まさか――、婚約して、結婚式の日取りまできまっているのに、一之瀬などと会ってみたところで、どうしようもないじゃないか」

「私もそうは思うのですが、二子さんは、鉄平さん似なのかしら、こうと決めたら、自分の思い通りにしないと気がすまない身勝手なところがありますから、心配しておりますの」

 次々と見事な嫁入道具が出来上り、新居の用意も整いつつあるというのに、嫁入前の娘らしい喜び一つ見せない二子が腹だたしかった。

「そりゃあ、相子の思い過しだよ、二子のことより、むしろ気懸《きがか》りなのは、実家《さと》帰りしたまま、いまだに戻って来ない万樹子の方だな」

「あなたが銀平さんに、独りで行くのがいやなら、自分も一緒に行ってやるからと甘いことをおっしゃるから、銀平さんはますます他人《ひと》事《ごと》のような顔をしているのですわ、それにしても、銀平さん自身が誠意をもって迎えに来ない限り、万俵家へ帰らないなんて、万樹子さんも随分な思い上りですこと――」

 相子は、万樹子のことと云い、二子のことと云い、自分の思い通りに行かないことが重なって、不快な苛《いら》だちを覚えていた。両方とも万一、うまく行かない場合のことを考えると、それは万俵家の閨閥《けいばつ》推進役である自分の立場を損い、失うことであった。

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