饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15381 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「関連企業および下請けに迷惑をかけぬことに全力をあげます、その具体策として直ちに当行内に『特別相談室』を設けて、極力、関連企業、下請けの連鎖倒産を防止、打開に当ります」

「最後にもう一つ、債権者の多くは、阪神特殊鋼の実質的な経営者である万俵鉄平氏と阪神銀行の万俵頭取が親子であることから、まさかと思っていたムードが濃いのですが、その辺の責任をどう考えられますか」

 社会部の記者らしい読者の興味をそそる質問であったが、万俵は、

「銀行の頭取としては、そのような質問にはお答え出来ません」

 毅然《きぜん》として、突っ撥《ぱ》ねた。

 新聞記者のインタビューが終ると、万俵はすぐ商工会議所へ阪神特殊鋼の会社更生法申請についての説明に行かなければならなかった。速水が関係資料を用意し、玄関に待たせた車に、万俵は早朝からの多忙さをいささかも感じさせない表情で乗り込んだ。

 車が行ってしまうと、速水は朝から神経を張り詰め、動き詰めであった体をほっと休め、頭取室へ引き返そうとした時、ぽんと肩を叩《たた》かれた。振り返ると、万俵銀平が、

「どうだ、そっちは大へんだろう」

 平常と変りのない様子で声をかけた。

「だが、頭取の方が、朝から行内指揮、東京連絡、新聞記者のインタビューなどで大へんだよ、君だってそうだろう」

「うん、僕も貸付課長として主要取引先へ説明に廻り、まだ昼食もしていないのだ、君もまだなら、どうだ一緒に――」

「いや、僕はまだできない、それより阪神特殊鋼の方はどんな工合なんだい、万俵専務はあの若さで、これほど大きな苦難に遭われて――」

 速水が、鉄平の身を案じるように云うと、

「馬鹿《ばか》だよ、兄貴は――、ほどほどにしておけばいいのに、死にもの狂いになるからさ」

「しかし、万俵専務は、経営者としての信念を持って、自分のすべてを賭《か》け、死にもの狂いでやって来られた、その事業が一旦《いつたん》、破綻《はたん》を来たすと、それまでの努力も経緯もすべて抹殺《まつさつ》され、経営者としての失敗だけが刻印されるというのは、あまりに残酷すぎる」

「そんなものだよ、経営は、まさに結果だけだ、君だって銀行マンだから解《わか》っているはずじゃないか」

「しかし、この場合は違う――」

「どう違うのだ――」

 と云ったが、二人の会話はそこで跡切《とぎ》れた。大同銀行を合併しようともくろんでいる万俵大介の意図を知っている二人は、それ以上は口にせず、すっと右と左に別れた。

 三雲志保は、静かに門を開けた。

「夜分にお邪魔致します」

 門燈の下に、万俵鉄平がたっていた。

「まあ、万俵さん――、大へんでございましたでしょう、どうぞ、お入り下さいまし」

 濃い睫毛《まつげ》を瞬《しばたた》かせると、

「志保さんご自身でしたか――、恐縮です」

 病身の志保に門を開けて貰《もら》ったことを気遣うように云った。

「婆《ばあ》やが、ちょっと所用で出かけておりますものですから――」

 と云い、応接間へ案内した。天井の高い古風な応接室には、昔ながらのシャンデリアがそのままであり、古めかしい調度品が置かれている。鉄平はその一つの椅子に腰を下ろすと、ふっと大きな吐息をついた。会社更生法の申立てをした昨日《きのう》から、組合との折衝、下請けの連鎖倒産防止と、一刻も休む暇《いとま》のない多忙さで、朝起きる時、腰がぐらりとふらつくほど疲れきっていたが、何をおいても大同銀行の三雲頭取には詫びなければならなかった。早朝の飛行機で東京へ着き、真っ先に大同銀行を訪ねると、三雲頭取はずっと外出ということで、会うことが出来ず、通産省へ行って、次官、重工業局長にお詫びかたがた今後の事態収拾の方策を説明し、さらに東京の取引関係へも事情説明に廻り、三雲が帰邸する時間を見はからって、訪ねて来たのだった。

 和服姿の三雲が入って来た。僅《わず》か会わぬうちに、鬢《びん》には白いものが混じり、頬にもげっそりとした窪《くぼ》みが出来ている。鉄平は胸を衝かれる思いで、無言のまま三雲を迎えた。志保がお茶と果物を運んで来たが、父と鉄平との間の気配を察し、

「どうぞ、ごゆっくり――」

 伏目がちに、部屋を去った。

 二人きりになると、鉄平は席からたち上り、

「今さら、お詫びの言葉もございません……」

 深々と頭を垂れた。三雲は暫《しばら》く黙って、鉄平の疲れ果てた顔を見詰め、やがて、

「鉄平君、私は大同銀行の頭取という公人としては、君に詫びられたからといって許すわけにはいかないんだよ、君とこうして自宅で会うことすらおかしい」

 静かな声であったが、峻烈《しゆんれつ》な厳しさに貫かれている。

「解っております、しかし、経営者としての私の未熟さから、三雲頭取にまでご迷惑をおかけし、その上、メインである阪神銀行より大同銀行の方が深傷《ふかで》であるということが申しわけなく、どうしてもお目にかかって、お詫びを申し上げずにはおられず、参りました」

「未熟なのは鉄平君だけではなく、市中銀行の頭取として、私も未熟だったかもしれない――」

 と云いながら、三雲は、単に百億の融資がこげついただけでなく、乗るかそるかという最後の段階で、阪神銀行の万俵頭取にしてやられたことの恥辱が、こたえていた。

「阪神銀行の頭取としての父に、いろいろと許し難いことが――」

 と鉄平が云いかけると、

「いや、もうそのことは――」

 三雲は苦渋に満ちた表情で、首を振った。

「鉄平君、私の支援は不幸にして失敗に終ったが、阪神特殊鋼の高炉建設に融資したこと自体は決して誤りではなかったと思う、帝国製鉄のような大鉄鋼メーカーは、特殊鋼メーカーが高炉を持つことは間違いだという意見だが、私は逆に、特殊鋼メーカーがいつまでも大鉄鋼メーカーの下請け的立場にいることに反対だ、特殊鋼メーカーが独自に高炉を持ち、一貫生産することは、大鉄鋼メーカーでは考えられない新たな用途、製品を開発し、日本の特殊鋼業界への貢献度をいっそう高めるというのが、私の持論だ」

 今も信念を失わぬように云うと、鉄平は、

「私も同じです、しかも高炉を持っている大鉄鋼メーカーの都合で、銑鉄《せんてつ》の需給が勝手に変えられるという横暴さが我慢なりません、私が特殊鋼業界最初の高炉建設に踏みきったのも、もとはといえば、帝国製鉄尼崎製鉄所が、向うの都合で銑鉄を送ったり、止めたりしたからです、それだけに、ことを遂げずに終ったことは、無念です……」

 歯噛《はが》みするように云った。三雲も無念の面ざしで、

「今は不幸な結果に終ったが、十年後、二十年後の灘浜には、ここで投資した二百五十億の金が何倍にも生き、必ず日本の特殊鋼業界の大きな資産になるだろう、私の融資はむざむざと溝《どぶ》に捨て去ったわけではなく、将来、必ずやりっぱに生きる、ただ時に利あらず、非運だった……」

 こみ上げて来る思いをぐっと耐《こら》えるように云った。

「いや、非運だったのではありません、阪神銀行の融資が予定通り続いていたら状況は変っていたでしょう、一方で三雲頭取の支援を受けながら、一方で足を引っ張られていたのです、それが父の意図だったとは……」

 鉄平は、呻《うめ》くように云った。三雲は痛ましげに鉄平を見詰めた。父の助けを借りることも出来ず、自分のすべてを賭けた企業を倒産させてしまった鉄平の心中に交錯する複雑な苦痛が、三雲にも感じ取られた。

「今度のことが、三雲頭取の進退にかかわるような心配は、ないのでしょうか」

「私の進退より、行内の動揺や当行の今後を懸念《けねん》している――」

 三雲は、大蔵省銀行局が大同銀行の貸込みに厳し過ぎるほど厳しい態度で臨んでいることと、心に頼む日銀がもう一つ積極的に動かないことに思いをやりながら云い、

「私の進退は、いずれ私自身が気持を整理して決めることになるでしょう、それより鉄平君、君は当面の更生計画に全力を注いでほしい」

 その淡々とした清冽《せいれつ》な言葉が、鉄平の心にこたえた。

「三雲さん、僕は……」

 と云いかけると、

「では、鉄平君、失敬する――」

 三雲はそう云い、たち上って、くるりと踵《きびす》を返した。その背はもはや大同銀行頭取という公人の後ろ姿だった。

 そっと扉《ドア》が開き、志保が白い顔を覗《のぞ》かせた。

「失礼致しました、父がお見送りも致しませず――、私がお送りさせて戴《いただ》きますわ」

「いえ、志保さんはお体に障《さわ》られますよ、夜気は冷たいですから」

「でも、ご門のところまでですから――」

 志保は玄関に出ると、鉄平のために靴を揃《そろ》えた。玄関のポーチから門にかけての植込みを庭園燈が照らしていたが、植込みに夜露が光り、肌寒かった。志保は着物の衿《えり》もとを合わせた。鉄平が敷石を踏みながら、

「僕は、あなたのお父さまのご厚志に、大へんなご迷惑をおかけしてしまい、これからは、もうお伺い出来なくなるかもしれません」

 と云うと、志保は庭園燈のほのかな灯《あか》りの中で、鉄平を見上げた。

「いいえ、父は公人として厳しい態度を取っているかもしれませんが、私情では今後のあなたの身の振り方までお案じ致しておりますわ」

「僕の身の振り方を……」

 鉄平は、口ごもった。

「ええ、ですから、何かと大へんでしょうけど、お体をお大切に遊ばして――」

 涙にくぐもるような声で云った。

「有難う、あなたこそ――、お父さまをくれぐれも大切にしてさし上げて下さい」

 鉄平は門を出ると、待たせてあった車で、羽田空港に向った。

 飛行機が大阪伊丹空港に着陸すると、鉄平は、父がいかに拒もうと、今晚こそ父に会おうと心を決めた。体は鉛を呑《の》んだように重く疲れきっていたが、このまま、おめおめと父のなすがままにはならぬという思いが、突き上げて来た。

 迎えの車で岡本の邸《やしき》に着くと、鉄平は父の住まいである本館の前へ車を着けた。ホールに入ると、居間にはまだあかあかと灯りが点《つ》いていたが、母や妹たちの姿はなく、妙にがらんとしている。

「あなた、お帰りになりましたの」

 階段の方から相子の声がしたが、鉄平と視線が合うと、相子は、

「あら、鉄平さんでしたの」

 はっと足を止めたが、すぐ軽やかな足どりで降りて来た。

「今度のこと、大へんでしたわね、それにしても、よくご決意なさいましたこと――」

 阪神特殊鋼が会社更生法を申請してから初めて鉄平と顔を合わせた相子は、同情を寄せるようなしんみりした語調で云ったが、眼の奥には、声をたてて笑っているような色さえ漂っている。

「それにしても、こんな時間にどうかなさいましたの」

「父に用があるのだ、まだ帰っておられない様子だから、居間で待っている」

 鉄平はそう云い、女中を呼んでブランディを持って来るように云いつけたが、相子は横合いから、

「困りますわ、お父さまは、今夜、阪神特殊鋼の後始末の会合で遅くなられ、明朝はまたお早いのですから、お引取り下さいましな」

 取り仕切るように云った。

「君は黙ってろ、それよりお母さまはどうなさっている?」

 鉄平と相子の間で、うろたえるようにたっている女中に聞いた。

「はい、奥さまは、専務さまの会社のことでご心痛のあまり、臥《ふ》せっておいででございます、今、温かいスープをお持ちしようと存じておりましたところで――」

「そうか、じゃあ、ブランディはテーブルの上に運んでおいてくれ、お母さまのお部屋へちょっと伺って来る」

 二階へ上ろうとすると、車の音がし、ファウン.グレートデンの吠《ほ》え方で、父の帰宅が解った。相子と女中は、急いで玄関へ出迎え、鉄平は居間で待ち受けた。

 相子が、鉄平の来訪を耳うちしたらしく、大介は不機嫌な表情で入って来た。

「お父さん、緊急のお話がありますので、夜分ですが、お待ちしておりました」

「もう取り急ぐ用はないはずじゃないか、どうしてもというのなら、明後日《あさつて》にして貰おう、明日は上京して、大蔵省、日銀、通産省へお詫《わ》びと事情説明に廻らねばならない」

「それならなおのこと、今晚中に話さないと、僕自身おさまりがつかないのです」

 鉄平は父を見据え、たちはだかるように云った。まるで手負いの猪《いのしし》が突進して来るような凄《すさま》じい気魄《きはく》と形相をしている。

「それほどさし迫った話なら、疲れているが、一応、聞こう」

 これ以上拒めば、面倒なことが起るような気がし、大介は居間の奥にある書斎へ入った。

 椅子に坐るなり、鉄平は、

「今日、東京で三雲頭取にお目にかかって参りました、お詫びのしようもない立場に三雲頭取を追いやってしまい、自責の念で一杯です――」

 と声を落した。大介は無表情にパイプたてから、ストレート.グレーンのパイプを抜き取りながら、

「もういいじゃないか、会社更生法の適用申請は、協調融資銀行が話し合い、これしかないという合意のもとに踏み切ったんだからねぇ、三雲頭取一人に“悲劇の人”ぶられたんじゃあ、メイン.バンクの頭取である私の浮かぶ瀬がない」

 冷然と突き放すように云うと、鉄平の太い眉《まゆ》がぐいと、吊《つ》り上った。

「お父さん、僕は騙《だま》されませんよ」

「藪《やぶ》から棒に驚くじゃないか、何が騙されないんだ――」

 大介は、火を点けたパイプを口にくわえ、落ち着き払って、聞き返した。

「お父さんが阪神特殊鋼を更生会社に持ち込んだのは、重荷になった子会社を、巧《うま》く帝国製鉄へ身売りするつもりだからでしょう、そのために金融引締め期をいい口実に、融資をストップし、高炉建設で膨大な資金がいる阪神特殊鋼の資金繰りを悪化させて、意図的に潰《つぶ》したんじゃないのですか」

 充血した眼に、憤《いきどお》りを燃えたたせると、大介はかすかに表情を動かしたが、

「お前は、自らの経営者としての無能を棚に上げて、そんな云い方をするのか、阪神特殊鋼は万俵コンツェルンの中で、銀行に次ぐ大きな企業だ、それを私が、帝国製鉄に身売りすることを意図して潰したなどと、どうしてそんな血迷ったことが考えられるのだね」

「僕は、お父さんの、そのいつ如何《いか》なる時にも尻尾《しつぽ》を出さない、まことしやかな銀行家の欺瞞《ぎまん》を引き剥《は》がしたい! かなり以前から帝国製鉄の兵藤副社長と会い、阪神特殊鋼の身売りについて談合していたことを通産省のさる筋から聞きましたよ、しかもこの話には、美馬中まで入っているということじゃないですか」

 詰め寄るように云ったが、大介は身じろぎも見せない。

「ほう、はじめて聞くことばかりだが、通産省のどの辺《あた》りの話なんだい?」

「それは、申し上げられません」

「云えないような筋からの情報かね、それならどうせ、阪神特殊鋼の倒産をめぐって、総会屋か業界紙あたりが、面白可笑《おか》しく創作した筋書だろう、大蔵省主計局次長である美馬まで登場するなどとは、話が出来すぎているよ」

「いえ、二子からも、それを裏付ける話を、僕は聞いております」

 二子が、美馬夫婦に誘われて、帝国製鉄の秘書課勤務の細川一也と東京会館で食事をした時、美馬と細川の間で帝国製鉄と阪神特殊鋼が近い間柄になればという話をしていたこと、その後も大介が、兵藤副社長と会っていることを鉄平に報《しら》せていたのだった。

「まだ世間のことなど何も解《わか》らぬ二十幾つの娘の云うことなど、信じる方がどうかしてる、お前は会社更生法のショックで、いささかノイローゼ気味になっているんじゃないかね」

 パイプをくゆらせ、軽侮するように云った。

「お父さん、あなたはメイン.バンクの頭取として、私に会社更生法の適用を勧告された時、男らしく受けろとおっしゃいましたが、今、お父さんも男らしく認めるべきことは、認めて下さい、阪神特殊鋼を意図的に経営不振に陥れたその意図の中に、僕の出生が、かかわっているのではないでしょうか」

 そう云った途端、端正な大介の顔が一瞬、醜く歪《ゆが》んだ。

「お父さん、僕はあなたの子供ではなく、祖父と母との――」

「黙れ! 鉄平――」

 激昂《げつこう》した声が飛び、口にくわえていたパイプが投げつけられた。鉄平の肩先にパイプが当ったが、鉄平は妙に静かな気持で、床に落ちた煙草《たばこ》の火をスリッパで消し、

「今の僕の問いに、答えて下さい」

 と云った。大介は固く口を引き結んでいた。いたたまれぬほどの不気味な沈黙が部屋を押し包み、椅子に坐っている大介が、鉄平の人生を左右する大きな黒い影のように見えた。やがて大介の口が、ゆっくりと開いた。

「鉄平、お前は、万俵大介の長男だ――、それ以外の何ものでもない」

 いささかの感情もまじえず、動じない声で応《こた》えた。そこにはたとえ、亡父と妻との間に不倫があったとしても、絶対、口にはしない男の姿があった。しかし、そう云わせたのは妻への愛情でも、子供への愛情でもなかった。その不倫の事実を認めれば、男としての自分の不様《ぶざま》さを認めることになるからだった。

 鉄平には、もはや父の応えは要《い》らなかった。そして万俵大介を骨肉の父として考えることが、はるか真実に遠いことのように思われた。そう思うと、鉄平は他人に対するような気持で、

「先程の帝国製鉄の件ですが、僕は、あなたの思い通りに阪神特殊鋼をさせませんよ」

 きっぱりと云いきった。

「何をいう、お前には静養を命じただろう、今後一切、阪神特殊鋼に対する口出しは許さない」

 と突っ撥《ぱ》ねると、鉄平はたち上った。

「あなたが何と云われようが、更生会社の管財人が決まり、更生開始まで、私はまだ阪神特殊鋼の代表取締役専務です、三雲頭取をあのような窮地に陥れた上、阪神特殊鋼三千人の従業員の将来がどうなるか解らぬような帝国製鉄への身売りなど、僕は断じて許さない!」

 叩《たた》きつけるように云った。しかし大介は取り合わぬように、

「ともかくお前は、心身ともに疲れ過ぎているから静養が必要だ、これからのことは生活の問題もあるだろうから、再就職先を考えてやっているよ、万俵倉庫の副社長だ」

 餌《えさ》を投げ与えるように云った。鉄平の顔が朱奔《しゆばし》った。

「お父さん、どこまで僕を――」

 一瞬、絶句し、

「私は、あなたを告訴します」

 鉄平が云った途端、大介の顔色が変った。

「子が父を告訴するなど、正気の沙汰《さた》か、何をもって告訴しようというのだ」

「あなたは、阪神銀行の頭取であると同時に、阪神特殊鋼の非常勤取締役であることを、まさかお忘れになっておられないでしょう、その取締役が、自社への不利益行為を行なった背任を告訴します」

 鉄平は、父の咽喉《のど》もとに刃《やいば》を突きつけるように云った。

 *

 会社更生法申立てから三日目、阪神特殊鋼の煙が遂《つい》に跡絶《とだ》えた。五十余年間、一日たりともたゆまず、燃え続けて来た製鋼の火が消え、スモッグに掩《おお》われた灘浜の空に、巨大な煙突が空虚に突ったっているだけであった。

 電気炉工場から伝わって来る震動音も、圧延工場から響いて来る高い金属音もぴたりと止《や》んだ二十五万坪の工場構内は、死の街のように静まりかえり、職場を離れた従業員が、そこここの工場の棟に集まって、会社の先行《さきゆき》とわが身の生活に不安を募らせている。

 そんな中で製鋼部の一之瀬四々彦は、いつものように作業衣をきちんとつけた姿で電気炉工場へ向っていたが、痛烈な哀《かな》しみと憤りを必死にこらえていた。四々彦にとって、会社更生法申立ては、他の従業員と同様に、寝耳に水の出来事であった。それだけに俄《にわ》かには信じられず、グラウンドに全従業員が招集され、万俵専務の口からその旨《むね》が語られた時、はじめて阪神特殊鋼の倒産を実感として受け取り、茫然《ぼうぜん》自失したのだった。

 万俵専務は壇上から三千人の従業員の顔を一人一人見詰めるように、更生法申請のやむなきに至った経緯を述べたが、高炉稼動を目前にして、なぜもう一踏ん張り頑張れなかったのか、四々彦には納得出来なかった。高炉稼動を信じ、そのために、ここ一年半は、重油一滴、鋼材一片たりともおろそかにせず、全従業員が団結して耐乏生活を忍んで来たことを、万俵専務や工場長であり常務である父をはじめとする役員陣は、なぜもっと考えてくれなかったのか――、それを思うと裏切られたような気持になったが、最後に万俵専務が「会社がこのような事態になって申しわけないが、危急存亡のこの時、諸君は耐え難きを耐えて、頑張って貰《もら》いたい、この先、たとえどんな事態が起ろうとも、阪神特殊鋼の優れた技術と設備、従業員の固い結束がある限り、阪神特殊鋼は不滅である」と、声涙ともに下る要請をして壇上を降りた時、四々彦は、万俵専務の無念の胸中を悟り、とどめようのないほど涙が噴き出して来たのだった。

 オレンジ色の鉄の炎と熱気が失《う》せた電気炉工場は、うそ寒く灰色にくすんでいた。四々彦は工場内を見廻して、製鋼部長の金田の姿を探したが見当らず、作業員たちが不安な面持でひそひそと話し込んでいる。

「一体、会社はこの先、どないなるのやろ、三日前、専務は会社更生法を打って再建に当るから、心配はいらんと云うたが、倒産したことにかわりないのやから、人員整理でわしらの馘《くび》かていつ切られるかしれんでぇ」

 空《から》の鍋《なべ》のようにぶら下った電気炉の下でも、職長以下七、八人が輪になって話していた。

「それやったら、こんなとこで仕事もなしにぶらぶらしとらんと、早いとこ次の就職口を探さんとあかんな」

「ほんまや、営業部長なんか、倒産前から会社が危ないのを知ってて、社内預金を全部おろして、さっさと辞めよったそうやでぇ」

 若い作業員が口々に浮足だつように云うと、老職長が睨《にら》みつけた。

「お前ら、ど根性あれへんな、こんな時こそ事務屋の生っちょろい腰抜け連中と違うて、わしら現場の者《もん》が頑張らんとあかんのや、それが生産会社の現場の根性や」

「そうかて、倒産した途端、方々から契約は取り消されるわ、原料は借金のカタに持って行かれるわで、現に操業はストップしてるやないか、この調子やと賃金カットだけで無《の》うて、今住んでる社宅かて借金のカタに差し押えられ、追い出されるかしれんでぇ、女房かて今朝《けさ》、心配しとった」

 三日前まで一心同体で働いていた従業員たちのそうした囁《ささや》きを耳にするにつけ、四々彦は倒産会社の惨《みじ》めさを思い知った。

 今朝から操業停止になったのは、昨夜十一時過ぎ、原料納入業者がトラック部隊を仕立てて乗り込み、債権のカタだと云って、自社納入の合金材料をごっそり持ち去る事件が発生したからだった。役員陣は対外折衝に奔走しているし、従業員の唯一《ゆいいつ》の心の支えである操業が停まって、会社は今、要《かなめ》のはずれた扇のようにばらばらになりかけている。

 入口の方で騒ぎがし、振り返ると、万俵専務が姿を現わした。安全用のヘルメットを目深《まぶか》に冠《かぶ》り、作業衣を着て、大股《おおまた》に電気炉の方に步いて来る。四々彦は、眼を見張った。そこここで話し込んでいる従業員たちも一斉にたち上った。

 鉄平は窶《やつ》れを見て取られぬよう眼に力を入れ、自分を取り巻いた従業員を見廻して、

「皆、元気か、会社がこんなことになり、心配かけてすまない」

 と声をかけると、

「すまないですむか! 何しに来た」

 険しい声が後方から飛んだが、それ以上は誰も何も云わなかった。鉄平は心に鋭い痛みを覚えたが、気持を持ち直すように、

「どうして煙を絶やしたのだ、電気炉の火が消えたために、他の工場の作業員たちがどんなに動揺しているか、君たちは解らないのか」

 叱《しか》るように云った。倒産前と同じ強く張りのある声であった。職長の一人が、

「原料納入業者が昨夜、モリブデンやニッケルなど、特殊鋼の大事な副原料を持ち去ってしまったものですから――」

 訴えるように云うと、

「そのことは先程、金田製鋼部長と資材部長から報告を受けたので、すぐ一之瀬工場長が業者へ説得に走っているが、そんなことでへこたれる製鋼部だったのか」

 ことさらに叱咤《しつた》するように云った。

「ですが専務、スクラップも、あと十日ぐらいしか残っていませんし、帝国製鉄から入る銑鉄《せんてつ》も、もう大分前から入れてくれんので、あと四、五日分しかありません」

 別の職長が云った。鉄平は太い眉《まゆ》を上げ、

「なに、帝国製鉄が銑鉄を入れていない? いつからなんだ」

「更生法申立てのずっと前ですから、かれこれ十二、三日以前からです」

「そうか、それなら契約違反だから、私から帝国製鉄に厳重抗議する、その他の原料も業者及び銀行団と話し合い、早急《さつきゆう》に善処するが、ともかく電気炉の火を消し、煙をたやしてはならない、たとえ一日一チャージでも二チャージでも、毎日、出銑《しゆつせん》するのだ」

 励ますように云った時、

「専務、話がつきましたよ、押えられた資材はほどなく返って来ます」

 一之瀬工場長の声がし、そのうしろに金田製鋼部長も安堵《あんど》した顔でたっていた。作業員たちの眼に生気が甦《よみがえ》った。

「よし、直ちに製鋼にかかるのだ」

 鉄平が操業開始を命じ、作業員は、敏速に持場に散った。

「原料投入、用意!」

 金田製鋼部長の第一声が、工場内に響き渡ると、三十トンのスクラップ.バケットがクレーンで持ち上げられ、高さ四メートル、直径七メートルの電気炉の蓋《ふた》が横へ旋回して、大きく口を開いた。

「位置良好、投入開始――」

 金田の第二声とともに、あたりを揺るがすような轟音《ごうおん》がし、スクラップが電気炉に投下される。中二階の操作室に駈《か》け上っていた一之瀬四々彦が、金田製鋼部長の合図で電気炉に通電するスイッチを押した。

 スクラップが千度以上の高熱で熱せられ、どろどろの溶鋼になるまでの一時間はまたたく間にすぎた。次に精錬《せいれん》のための高圧酸素が送られ、脱酸、合金混合を経て、出銑までは一時間余りである。

 熱風が吹き上げて来る操作室で、鉄平が、四々彦と測定機の目盛りに目を配っていると、一之瀬工場長が上って来た。

「専務、煙が出ておりますよ、ほかの工場の作業員や事務本部の者も、みんな通路に出て、煙を見上げていますよ」

 淡々とした口調だが、温和な眼が潤《うる》んでいる。

「そうか、四々彦君、出てみよう」

 電気炉工場の外に出ると、百メートルほど先の広い通路一杯に作業員が集まっており、操業停止になってから七時間目に、再び煙を出しはじめた巨大な煙突を見上げていた。鉄平と四々彦も煙突を振り仰いだ。阪神特殊鋼のシンボルである電気炉工場の煙突からは、鉄を精錬する赤黒い煙が噴き出して、灘浜の方へ太い曲線を描いている。

「専務、やりますよ、われわれはどんなことがあっても、頑張るぞ!」

 駈けつけて来た組合委員長が、手をさし出した。鉄平は現場から叩き上げた委員長の、火傷《やけど》のあるがっしりした手を握り返した。

「阪神特殊鋼の煙は決して絶やさない、君たちの将来に不安のないよう全力を尽すから、君たちも再建のために固い結束をしてくれ」

「解《わか》りました、われわれ組合も現場の責任者と話し合い、毎日の生産計画に協力します、但《ただ》し、帝国製鉄の軍門に下るのは絶対反対ですよ」

 と云った。他の作業員たちも、

「そうだ! そうだ! 鉄は国家なりなどと、大きな面《つら》ばかりしとる奴《やつ》の風下にはたたんぞ」

「阪神特殊鋼にも、あと一息で高炉ができるのや! 会社の再建は自力でやるのや!」

 口々に叫ぶ声が、鉄平の耳を搏《う》った。

「大丈夫だ、阪神特殊鋼は、帝国製鉄の手には渡さない」

 きっぱりした口調で頷《うなず》いた。これほどまでに、阪神特殊鋼の自力再建を願う作業員たちのためにも、帝国製鉄への身売り話を秘《ひそ》かに進め、そのために意図的に潰《つぶ》した父、万俵大介を弾劾《だんがい》せずにはいられないと心に決めた。

 万俵鉄平は、大阪梅ヶ枝町の倉石裕《ひろし》法律事務所を訪ねた。倉石裕とは、灘《なだ》高、東大の同窓生で、狩猟仲間でもあった。

 ビルの五階の事務所の扉《ドア》を押すと、六時過ぎであったが、ファイル.ボックスのぎっしり並んだ室内に、三人の事務員が書類を整理したり、電話を取っていた。入口に近い机にいる事務員に、名前を告げると、

「どうぞ、こちらでお待ち致しております」

 次の部屋の扉を開けた。

「やあ、久しぶりだな、このところ猟でも会わないな」

 倉石は、痩《や》せぎすの鋭い顔の中で、眼だけを人なつこく頬笑ませた。七、八坪の部屋の窓際《まどぎわ》に大きな机を置き、壁面には判例集をはじめ論文集、法律関係の書籍がぎっしりと並んでいる。

「遅くなってすまん、出がけにちょっと面倒な用事があって――」

 時間に遅れたことを詫《わ》びた。

「今度は大へんだったな、まさか君のところがと、驚いたよ、今日は久しぶりで食事しながら、さっきの電話の用件を聞こうじゃないか」

 倉石は、鉄平の気持を引きたてるように云ったが、

「いや、そうもしておれないし、今、飲みに出かける気がしないんだ、ここで話したい」

 友人同士の遠慮の無さで云い、ソファに坐ると、

「解った、で、折り入っての用件というのは?」

「実は、告訴したいことがあって、その相談なんだ」

「ほう、告訴の相手は一体、誰なんだ」

 鉄平は一瞬、躊躇《ためら》い、

「親父《おやじ》だ、万俵大介だ――」

「えっ、君、親父さんを……」

 倉石は、信じられぬように鉄平を見た。

「どうしたんだ、銀行の頭取である親父さんを告訴するなどとは――」

 高校時代、万俵家へよく遊びに行き、父親としての威厳に満ちた万俵大介を知っている倉石は、訝《いぶか》った。

「君だって、そして世間の誰もが訝しく思うだろう、しかし、止《や》むに止まれぬ思いからだ――、親子関係で告訴するのではなく、企業家同士という対人関係で、告訴せざるを得ないのだ」

 と云い、鉄平は、阪神特殊鋼が倒産に至った経緯を詳細に話し、その間、阪神銀行の頭取であると同時に阪神特殊鋼の非常勤取締役である万俵大介が、重荷になった阪神特殊鋼を帝国製鉄に身売りするために、意図的に倒産を早め、会社更生法適用の申請を余儀なくさせたことを話した。

 倉石は、弁護士らしい冷静さで鉄平の話を聞き、時々、問題点をメモしながら聞き終ると、暫《しばら》く内容を整理するように考え、

「要は、万俵大介氏が阪神銀行の頭取であると同時に、阪神特殊鋼の非常勤取締役であるにもかかわらず、あえて阪神特殊鋼に不利益になる行為を行ない、経営不振に陥れたから、同社に対する特別背任として告訴するというわけか――」

「そうだ、当社を帝国製鉄へ身売りすることを、われわれに内密で画策していたのだ、そのため、資金繰りに困っていたのを助けるどころか、見せかけ融資を行ない、それが因《もと》で、一時不渡りが起るなど、逆に首を絞めたのだ」

 鉄平は憤《いきどお》りに燃えるように精悍《せいかん》な眼をぎらりと光らせたが、倉石弁護士は、

「法律的にいえば、万俵大介氏が、帝国製鉄へ身売り話を持ち込んだこと、即背任にはならんよ、会社が危なくなって来たら、寄らば大樹の陰で、大きなところへくっ付けようとするのは普通のことだから、それをもって背任ときめつけるのは、いささか早計だ」

 と云い、煙草《たばこ》に火を点《つ》けた。

「問題は、帝国製鉄への身売り話を、告訴にどう結びつけるかだ、身売り話そのものは、必ずしも悪いこととはいえないが、万俵大介氏が阪神特殊鋼の取締役の地位にありながら、じわじわと阪神特殊鋼の首を絞め、経営不振に陥らしめたとしたら、その行為は、特別背任罪になる」

 法律上の争点を明確にし、

「今、君が云った見せかけ融資以外にも、まだ何かあるのかい」

「インパクト.ローンがある、高炉建設に二十億ほど足りなくなった時、インパクト.ローンの手続きをして外資導入することをすすめながら、その手続きを故意に遅らせた様子なんだ、そのうちに爆発事故が起り、インパクト.ローンの導入は宙に浮いたままなんだが、こちらが申し込んだ段階で速《すみ》やかに手続きをしていたら、資金繰りはこれほど窮迫しなかったはずだ」

「その他《ほか》に、阪神特殊鋼に損害を蒙《こうむ》らせたことは?」

 激して来る鉄平に対し、倉石は、冷静に碁盤《ごばん》の目に一つ一つ布石していくように質問した。

「高步《たかぶ》借りがある、見せかけ融資のため、当社が見せかけの穴埋めの金に窮し、阪神銀行へ融資を頼んで断わられ、止むなく、街の金融機関に高步借りすることをあえてさせ、当社に損害を蒙らせた」

「ほう、高步借りまで……」

 倉石は愕《おどろ》くように、言葉を跡切《とぎ》らせたが、

「万俵大介氏といえば、世間では冷厳な銀行家と云われているが、いつだったか、君の誕生祝のパーティへ行った時、思いがけず家庭的で、息子思いの優しいお父さんという印象を受けたのを覚えている、今度のこと、君の何かの誤解ということはなかろうか」

 懸念《けねん》するように云った。

「いや、あれは君たちに対するポーズであり、欺瞞《ぎまん》だ、僕が高炉建設を計画した時、反対したが、最終的には賛成しておきながら、一旦《いつたん》、定《き》めた阪神銀行の融資額を途中から削減し、そのためにサブの大同銀行の三雲頭取に大へんな迷惑をかけてしまった、しかも一方では帝国製鉄への身売り話を進めている、そんな父を、私は阪神特殊鋼の専務として許すことは出来ない!」

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