饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15372 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 鉄平は、動かぬ語調で云った。

「そうすると、告訴人は万俵鉄平個人ではなく、阪神特殊鋼代表取締役専務.万俵鉄平で、被告訴人は、阪神特殊鋼取締役.万俵大介、特別背任罪で告訴という形になるが、問題は証拠だ、その点がやや弱いと思う」

「どうして弱いのだ?」

 鉄平は、聞き返した。

「なぜかといえば、見せかけ融資、インパクト.ローン、高步借りなどの事実を立証するには帳簿と書類が必要なんだ、これらは会社更生法の申請をした時に提出した資料のコピーを持って来て貰《もら》い、その中から僕が必要なのを選《よ》り出せば証拠付けられるだろう、だが、肝腎《かんじん》なのは、万俵大介氏が、それらを謀議、或《ある》いは教唆《きようさ》、指示したことを立証できるか、どうかということだ」

「それは、当社の経理担当常務の銭高によって立証することが出来る」

「しかし、銭高常務では無理だろう、前身が阪神銀行の元融資部長で、いわばお目付《めつけ》役の形で阪神特殊鋼の役員におさまっているのだから、常識的にいって信用できるかどうかが問題だし、もっと確かなしっかりした証人がほしい――」

 倉石はそう云い、暫く考えをめぐらせるように腕を組んでいたが、

「万俵君、僕は君の話を聞いていて、父といえども企業家として許し難い思いで告訴に踏みきる君の気持は解るが、息子が、父親を告訴したことに対する世間の眼、風当りについては充分、考えての上のことか」

 念を押すように聞いた。

「もちろんだ、だが、私が父を告訴するのは決して私怨《しえん》ではない、私自身、経営者としての非力、未熟さを深く反省し、今日《こんにち》に至った責任を痛感しているが、父の意図的な操作によって、当社を倒産の羽目に追い込み、すべて高炉が出来るまでと耐乏生活を忍んでくれた三千人の従業員を突如、生活の不安に陥れ、むざむざと帝国製鉄に吸収されてしまうことは、黙過できない、阪神特殊鋼の専務として、ことの大義名分を通し、帝国製鉄への吸収を阻《はば》むことが、会社と従業員に対する私のせめてもの詫びであり、最後の務めだと思う、そのために父、万俵大介を告訴することによって受ける世間の非難は覚悟の上のことだ――」

 鉄平は、どこまでも私怨ではなく、公憤であることを強く訴えた。

「そうか、君のように男らしい、そして真摯《しんし》な情熱を持った男が、そこまで覚悟を決めた上のことなら、僕としても全力を尽してやるが、さっきも云ったように証拠の点で弱い面があるから、君もそこのところをもっと固めて貰いたい、僕も今日の話を整理し、組みたててみる――」

 最初は慎重を期していた倉石も、鉄平の熱意と正義感に動かされるように引き受けた。

 倉石法律事務所を出ると、外はすっかり暗くなり、ビルの上にはネオン.サインが輝き、道路には車のヘッド.ライトが光の帯のように流れていたが、鉄平はタクシーを拾わず、梅田新道の方へ向って步いた。步きながら鉄平は、遂《つい》に父を告訴することに踏みきった苛烈《かれつ》な現実感がひしひしと胸に来、こうした形で相対峙《たいじ》しなければならぬ自分たち父子の相剋《そうこく》を無惨《むざん》なものに思った。

 万俵大介は、いつものように九時から十五分刻みで来客と面談し、十一時に一くぎりつけた。

 ほっと一息つき、頭取室の専用トイレットの扉《ドア》を押した。扉が閉まると、把手《ノブ》の横にオレンジ色の小さなランプが点《つ》き、同色のランプが秘書課の標示板に繋《つな》がるようになっている。用便中に電話がかかって来た時の応対と、用便中に万一のことが起った場合の用意だった。

 眼の前のランプがついた。用をすませ、机の上の受話器を取り上げると、

「頭取、ご入院中の阪神特殊鋼の石川社長から緊急のお電話がかかっております」

 石川正治は、会社更生法申請で高血圧症が悪化し、芦屋病院に入院中であった。急いで受話器を取ると、

「大へんなことが――止《と》めて下さい! 鉄平君をすぐ止めんことには!」

 狼狽《ろうばい》しきった石川の声が、飛び込んで来た。

「どうしたのです、止めるって、鉄平の何を――」

「告訴、鉄平君があなたを神戸地検へ告訴すると……」

「なに、私を告訴――、鉄平は今、どこにいるのです!」

「地検へ行ったと思います、だから早く」

「いつ頃、そちらを出たのです」

「四十分、いや五十分前かも――告訴状をちゃんと用意し、社長である私の諒解《りようかい》をむりやり取りに来て、わが社の顧問弁護士でもない若い弁護士と一緒に地検へ――」

「なぜその時、鉄平を引き止めて、すぐ私に報《しら》せなかったんですか!」

「ですが、思い止《とど》まるように云うのが精一杯で、あとは血圧が上り、眩暈《めまい》がして、とても……」

 舌をもつれさせ、弁解しかけると、万俵は乱暴に受話器を置いた。手が震え、唇が震えた。さすがの万俵大介にとっても、驚天動地の出来事であった。一週間前の夜、「お父さん、僕はあなたを告訴します」と挑んで来た鉄平ではあったが、まさか本気で実行に移すとは――。万俵はすぐ机の上の外線直通電話を取り、自行の顧問弁護士である曾我《そが》法律事務所の番号を廻した。

 曾我は神戸弁護士会の会長であり、日本弁護士連合会の理事でもあった。

「あ、これは頭取、何か急なご用でも――」

「ええ、緊急で、しかも極秘の用件です」

 と云い、万俵は押し殺すような低い声で、今、石川正治から報せて来たことを曾我弁護士に話した。

「取り急ぎ、地検へ行って、鉄平の告訴が外へ洩《も》れないようにしてもらいたいことと、一体、何をもって私を告訴したのか、至急に調べて戴《いただ》きたいのです」

 と云うと、たいていのことに動じない老練な曾我弁護士も、驚くような気配を見せ、

「解りました、早速、地検へ行って、外部へ洩れないような術《て》を打ち、告訴状の内容を聞いて来ましょう」

「出来れば、告訴状の写しを取って来て戴きたいのですが」

 鉄平が何を理由に、どんな罪状で自分を告訴したのか、気が気ではない。

「告訴状は写しを取ることも、見せて貰うことも出来ないのですよ、だが何とか告訴内容を聞き出して来ますよ」

 検事出身の曾我弁護士は自信ありげに云い、電話をきった。万俵はまたすぐ受話器を取り、東京事務所の芥川を呼び出し、鉄平の告訴事件が起きたことを伝え、今からすぐ飛行機で来るよう命じた。そしてさらにインターフォンを押した。速水の静かな澄んだ声が応《こた》えた。

「頭取、お呼びでございますか」

「大亀専務を呼んでくれ給《たま》え」

「大亀専務は、先程、大阪の取引先へ出かけられました」

「じゃあ、出先へ連絡をつけて、用件がすみ次第、急ぎ帰って来るように云ってくれ給え」

 早口で云い、インターフォンを切ると、掌《てのひら》が汗でべっとりと濡《ぬ》れ、顔にも脂汗《あぶらあせ》が滲《にじ》み出ていた。

 曾我弁護士が頭取室へ現われたのは、それから二時間後であった。大亀専務も、相前後して帰って来、事の内容を知ると、顔を蒼《あお》ざめさせた。曾我弁護士も、五十七歳とは思えぬ桜色の艶《つや》のいい顔を引き締め、

「告訴状は提出されたばかりでしたが、私が検事だった頃からの気心の知れた事務官に頼んで、告訴内容を聞いて来ましたよ」

 と手帖《てちよう》を前に置いた。

「要は、万俵大介氏は、阪神特殊鋼の非常勤取締役の地位にありながら、資金繰りに窮していた同社を帝国製鉄へ身売りするために、故意に同社に不利益になる行為を行ない、経営不振に陥らせた、その具体的事実として、一、見せかけ融資を行ない、阪神特殊鋼に損害を与えた、二、インパクト.ローンの手続きを遅らせ、融資を詰らせた、三、先の一、二により資金繰りに詰った同社に高步《たかぶ》借りをさせて急速に経営不振に陥れた、以上、三点について特別背任として告訴するという趣旨で、告訴人は万俵鉄平個人でなく、阪神特殊鋼代表取締役専務.万俵鉄平という会社の立場で告訴しています」

 と説明すると、

「云いがかりもいいところだ、私がたまたま阪神特殊鋼の非常勤取締役であることにひっかけて、同社に対する背任を問おうなどとは、怪《け》しからん、なんという卑劣な奴《やつ》だ!」

 日頃の万俵には珍しく、人前も憚《はばか》らず激怒した。曾我弁護士は、

「問題は、告訴状にある三点について、頭取が計画、もしくは指示したかどうかということが一つ、もう一つは、仮に頭取がそうした計画を指図したとして、見せかけ融資などの三点を、阪神特殊鋼が損害を蒙《こうむ》ることを知りながら行なったかどうかということ、それらが争点になります」

 と云った。万俵はさらに激昂《げつこう》し、

「一切、与《あずか》り知らぬことばかりだ、私はそんなことを指示した覚えも、参画した覚えもない!」

 頭から突っ撥《ぱ》ねると、大亀は、

「頭取、今はそんなことをおっしゃっておられますより、告訴された以上、ほっておくわけには参りません、一刻も早く世間に知られぬような術《て》を打つことだと思います」

 阪神銀行の頭取として訴えられているのではなく、阪神特殊鋼の非常勤取締役としてであっても、阪神銀行の体面と信用を何よりも慮《おもんぱか》った。曾我弁護士も、

「頭取が身に覚えがないと云われるなら、誣告《ぶこく》罪で打ち返す術もあるが、それではかえって世間に目だちますから、ここは相手方に告訴を取り下げさせるのが、一番得策です、それには鉄平氏と情理を尽して話し合われることと、実際面として、阪神特殊鋼の利益、たとえば更生計画に現実的にプラスする条件を出して話し合われることが、スムーズな解決法だと思いますよ」

 とすすめると、万俵は暫《しばら》く押し黙り、

「大亀君、すまないが、君が鉄平に話しに行ってくれ、今の私は、あれの顔を見るのさえ我慢ならんのだ」

「しかし、頭取、ここはやはり親子で腹を打ち割って話されるべきだと思います、さし出がましい申し上げようですが、このような事態が起りましたのも、日頃、頭取と鉄平専務が、企業家同士という間柄だけで、普通の家庭の父子《おやこ》のようなお話し合いがなかったからだと存じます、この際は頭取ご自身が、父親の情を持ってお話になれば――」

 万俵は応えなかった。大亀は膝《ひざ》をすすめ、さらに言葉を継ぎかけると、慌《あわただ》しく芥川が入って来た。

「頭取、鉄平さんが告訴などほんとうに――」

 まだ信じられぬように云ったが、曾我弁護士からことの概略を聞き終えると、忍者部隊長の芥川もさすがに声を呑《の》んだ。

「芥川君、君に事態収拾の名案はないかね」

 万俵が顔を向けると、

「私も告訴の取下げ以外、ないと存じます、世間の耳目は今、戦後最大級の大型倒産である阪神特殊鋼に集まっており、なかんずく親銀行が背後についていながら、なぜ倒産したのか、東京の政財界、マスコミでも話題になっております、それだけに万一、このことが外部に洩れれば、どんな手段を用いても、マスコミを防ぐことはまず不可能で、阪神銀行ならびに万俵頭取の大へんなスキャンダルになりますよ」

 動揺しながらも、万俵が最も不安に思っている点を衝《つ》いた。さらに芥川は曾我弁護士の方を向き、

「この告訴が、神戸地検からすぐ東京の検察庁あたりへ流れるという心配はありませんか」

「その点は私も懸念し、取下げの可能性が強いからという口実を設けて、暫く伏せておいて貰うように根廻しするつもりです」

「それで一安心です、東京の検察庁あたりへ流れてしまうと、官界、政界との繋《つな》がりが複雑微妙なだけに、非常に危険ですからね、今度の場合、もし大蔵省銀行局あたりへ洩れると――」

 と云い、芥川は口を噤《つぐ》んだ。その途端、万俵の眼がきらりと光った。万俵の意図するところは、阪神特殊鋼を帝国製鉄へ身売りさせるような単純なことではなかった。大同銀行をして阪神特殊鋼へ貸し込ませた上で、阪神特殊鋼を意図的に倒し、深傷《ふかで》を負った大同銀行を一挙に呑むことであった。

「よし、早速、鉄平と話してみる」

 万俵が応えると、曾我弁護士は、

「お二人であらましの話し合いがつけば、あとは弁護士同士で示談をし、告訴を直ちに取り下げさせますから、ではまた後ほど」

 と席をたち、大亀、芥川も部屋を出た。

 万俵は息を整え、阪神特殊鋼の専務室直通のダイヤルを廻した。

「もしもし、鉄平か、私だ――、今、石川社長から話は聞いた、誤解もいろいろあるようだし、石川社長も病床で心配しているから、すぐ来て貰いたい」

 万俵はつとめて平静な声で云ったが、鉄平は、

「今となっては、お目にかかる必要はないと思います、あなたと私との間はもう終っているのです、あとは法廷で争うだけです」

 と云い、電話を切った。万俵の耳に法廷という言葉が強い響きをもって残った。

 万俵はぐるぐると、部屋の中を步きながら、一週間前の夜、鉄平が自身の出生に疑惑を持ち、それが今回のことにかかわりがあるだろうと迫った時のことを思いうかべた。万俵は言下に否定したが、あのような疑惑を持ち、言葉を口にした鉄平と、法廷で対決するような事態だけは、避けなければならない。万一、そのようなことになれば、阪神銀行の信用と同時に、万俵家の家名を汚《けが》し、来春にひかえている二子の結婚にまでひびき、ここまで完璧《かんぺき》に積み上げて来た自分の野心が一挙に打ち砕かれてしまう。そう思うと、万俵の胸に陰惨な怒りが火に油をそそぐように、さらに燃え上って来たが、今は何よりも鉄平に告訴を取り下げさせることであった。万俵は自ら阪神特殊鋼へ出かけ、鉄平に会う決心をした。

 万俵大介を乗せた車は、灘浜にある阪神特殊鋼の正門を入った。去年の六月、高炉の礎石を置く鍬入式《くわいれしき》以来、一年半ぶりであった。

 工場構内は、更生手続き開始の申立てで活気を失っていたが、十棟の工場は整然と並び、電気炉工場の巨大な煙突から、鉄を精錬する赤黒い煙が吹き出している。万俵は更生手続き申立て後の混乱しきった状態の中で、一日たりとも絶やさない煙を見、鉄平のひたむきな情熱と勇気に、脅威を覚えた。

 事務本部の玄関に車が着くと、万俵は人目につかぬよう、秘書課も通さず、直接、専務室を訪れた。

「どなた?」

 誰何《すいか》する鉄平の声が聞えたが、万俵は応えず、扉《ドア》を押した。鉄平は息を呑むように父親の顔を見た。

「もうお話し合いすることはないと、申し上げたはずですが――」

 拒むように云ったが、大介はソファに坐り、

「まさかと思ったよ、告訴など――、親子じゃないか」

 と云いながら、鉄平の机の上に山積された会社更生法関係の書物や書類、壁に貼《は》られた高炉建設の工程進行表へ眼を遣《や》った。工程進行表は火入式を間近にひかえて、ぴたりと赤いグラフが止まっている。

「どうかね、一服――」

 大介はポケットから葉巻を出して先を切り、鉄平にもすすめた。鉄平は素っ気なく断わり、

「ご用は、何ですか」

「告訴のことだ、どうして告訴状を出す前に一度、云ってくれなかったのだ、私はこれでも、お前のことを随分、考えて来たつもりだ」

「お考え下さった上のことが、今度のような結果なんですか、重荷になった阪神特殊鋼を帝国製鉄へ身売りすることを画策し、そのためにじわじわと首を絞めるように経営不振へ陥れたではありませんか」

「それはお前の誤解だ、だからこうして私は足を運んで来たのだよ、第一、私が阪神特殊鋼を帝国製鉄へ身売りすることを意図したなど、どんな証拠があるというのだね」

「あなたが、既にご承知になっている告訴状に挙げた――」

 と鉄平が云いかけると、

「その、あなたというのは止《よ》しなさい、この間のことに、お前はまだこだわっているのか」

 不快げに窘《たしな》めると、鉄平はそれには応えず、

「告訴状に挙げた見せかけ融資など三点によって、意図的に阪神特殊鋼の経営を悪くしたことが立証できます」

「なるほど、その告訴状の内容については、さっき当行の顧問弁護士から聞いたが、その三点を立証したところで何になる、万俵大介自身が、それに参画し、教唆《きようさ》したことが立証されなければどうにもならんだろう、裁判はすべて証拠主義だからねぇ、それとも確たる証人でもあるというのかね」

 鉄平は、言葉に詰りかけたが、

「阪神特殊鋼三千人の従業員は、会社更生法適用後も、帝国製鉄の傘下《さんか》に入らず、自主独立路線で再建したいと念《ねが》っている、それを確実に実現させるためには、帝国製鉄への吸収合併を画策しているあなたを告訴し、法の力をかりて阻止するよりほかにない」

 斬《き》りつけるような鋭さで云うと、大介はかすかな身じろぎを見せたが、

「そこまで従業員が可愛《かわい》く、また下請けのことも思うなら、私に考えがある――、お前が即刻、告訴を取り下げるのを前提に、下請けと、阪神特殊鋼の従業員に対して、次のような好条件を用意する」

 鉄平が一番、心に呵責《かしやく》している点を衝いた。

「まず第一は、当行が担保として押えている有価証券は、額面の六、七割がけぐらいで取っているから、その余裕分の担保を下請けに譲り渡す、ざっと八、九億出るだろう」

 鉄平は、応えなかった。

「下請けに対しては、他企業への融資を削ってでも優先的に、しかも低利で融資する」

 なおも鉄平は応えなかった。大介はさらに、

「下請けで納入先を失ったところには、当行の取引関係で納入先を斡旋《あつせん》する」

「…………」

「阪神特殊鋼の従業員で転職する者は、当行の得意先へ世話をする」

 次々に条件を並べた。

「当然でしょう、主力銀行としては――、私が要求することは、阪神特殊鋼が更生会社になった後も、あくまで自主独立で行くことであり、告訴取下げの唯一《ゆいいつ》の条件は、帝国製鉄への吸収合併をご破算にすること以外にありません」

 鉄平は、断固として撥《は》ねつけた。大介の脳裡《のうり》には、会社更生法の適用で阪神特殊鋼の債務を棚上げし、帝国製鉄に吸収合併させることによって阪神銀行が得るメリットと、帝国製鉄の兵藤副社長と既に数度にわたる会談を行ない、ほぼ一致した合併条件に達していることが去来したが、今それを鉄平に悟られることは、大介年来の宿願である“小が大を食う”銀行合併を危うくしてしまうことであった。大介は窮地に追い込まれながらも、頬にかすかな笑いをつくり、

「そこまで私が帝国製鉄への身売り話を画策したと信じているのなら、これ以上、言葉を尽しても無駄だ、しかし、何らの証拠もなく、そう思い込み、真相を確かめず、先走って父親たる私を告訴するなど、いたずらに世間の耳目を※[#奇+支]《そばだ》たせ、十四代続いた万俵家の家名に傷をつけるだけだ、来春に挙式を控えている二子や、これから良縁を得なければならぬ三子たちの立場を思いやってほしい、第一、お母さまがこのことを知れば、どんなショックを受けるか、病いに伏してしまうかもしれぬことも、充分に考えての上のことだね」

 今度は情に訴えるように云うと、鉄平は呻《うめ》くように口ごもったが、

「今は、万俵一族のことより、私にとっては、阪神特殊鋼とその従業員のことを考えております、そして私は、こうした挙に出た限り、出来るだけ早く、万俵家を去る所存でおります」

「なに、家を出る――、早苗と子供たちはどうするのだ?」

 大介の眼に激しい狼狽《ろうばい》の色がうかんだ。鉄平が家を去ることは、万俵大介が家父長として君臨している一族主義の万俵家から、一人の反逆者を出すことであった。

「なにも、家を出ることはないだろう、もしお前が私財を抛《なげう》って、いささかでも債権者に弁償する意味なら、万俵不動産で買い取らせて弁償し、その後、借家という形で住んでいるがいい」

「いえ、それでは私の信条が許しません、早苗にはことの事情を話して、子供とともに実家《さと》の大川家へ預けます」

 鉄平は、きっぱりと云った。大介はもはや鉄平の動かし難い決意を知ったが、今、自分に呼応して大同銀行内で、阪神銀行との合併工作を秘《ひそ》かに進めている綿貫専務一派の画策が成功するまでは、何としても時間を稼《かせ》がねばならなかった。大介は焦《あせ》り、激して来る思いを抑え、静かな声で、

「そうか、お前はそこまで心を決めているのか、しかし、あえて、もう一度だけ云う、阪神特殊鋼の更生手続き開始の決定が出て、管財人が入って来る時点で、私が帝国製鉄に阪神特殊鋼の身売り話をしていたかどうかが明白になるだろうから、それまで一時、告訴を取り下げ、その時になって、帝国製鉄への身売り話が事実であったら、私を告訴しても遅くはないではないか――」

 なおも老獪《ろうかい》に説得したが、鉄平は首を振った。

 久しぶりに夕食時に帰宅した万俵鉄平を、子供たちがはしゃぐように迎えた。

「パパ、今日は早かったのね、毎日こうだと、京子うれしいな」

 小学一年の京子が瞳《ひとみ》を輝かせると、三年生の太郎も、

「毎日でなくても、週に一回か二回でもいいや、今日の夕食は焼肉だよ」

 父の会社のことなど知らない子供たちは、ここ一カ月余り、会社に泊り込んだり、深夜に帰宅したりする父と夕食を共にしたことがなかった。

「焼肉ならパパの大好物だ、すぐ着替えて来るから、先に食堂へ行っておいで――」

 子供たちはぱたぱたとスリッパの音をたてて、食堂へ行った。

「あら、お早いのね、何かあちらでご用事でもあるの?」

 迎えに出て来た早苗は、舅《しゆうと》たちの住まいを眼で指した。

「いや、今夜は久しぶりに子供たちと食事をしようと思ったんだ」

「まあ、それなら私も大いに腕を振るいますわ、お召替えは、ねえやに手伝わせましょう」

 浮きたつ声で、キッチンへ引き返した。

 着替えをすませて食堂へ出ると、食卓には卓上グリルが置かれ、大皿にロース肉、海老《えび》、貝、野菜類がきれいに盛りつけられて、子供たちはもうナプキンを胸につけている。

「パパ、早く坐ってよ、パパが来ないと、お肉が焼けないもの」

「よし、今日はパパが焼いてやろう、京子はなんだ?」

「私は、おえびとピーマン、おねぎは嫌い」

「僕は、肉と貝柱だ」

「よしよし、沢山食べて、パパやママより大きくなるのだよ」

 鉄平は、旺盛《おうせい》な食欲に満ちあふれる子供たちの顔を眺めた。色白の京子は長い髪をリボンで結び、おしゃまな感じが可愛かったが、太郎は小学校三年生にしては体格がよく、もの怯《お》じしない性格だった。

 早苗が自慢のヴルーテ.ソースを子供たちにとり分けてやると、

「パパ、今年はまだ猪《しし》撃ちに行かないのだね、冬休みに僕も連れて行ってほしいな」

 肉を頬張りながら、せがむように云った。

「お前はまだ駄目だよ、パパだってお祖父《じい》さんに初めて連れて行って戴《いただ》いたのは、もっと大きくなってからだよ」

 と云い、子供たちが喜び、妻が倖《しあわ》せそうに頬笑んでいる姿を見ながら、万俵邸の一角にあるこの家で、こうした団欒《だんらん》の日を過せるのも、あと幾日かと思うと、胸に迫るものがあり、ふと箸《はし》を置いた。

「あなた、どうかなすって? 何か召し上っていらしたの」

「いや、食べていないよ、ママ、どんどん焼いてくれ」

 強いて明るい声で云うと、早苗は大皿の肉や野菜を卓上グリルに並べた。じゅっ、じゅっと焼ける音に、子供たちははしゃいだ。

 食事がすみ、子供たちも寝《やす》ませてしまうと、鉄平は、改まった話があるからと、妻を書斎へ呼んだ。

「あなた、改まって一体、何ですの?」

 早苗は、訝《いぶか》しげに聞いた。鉄平は妻の顔を見詰め、

「すまないが、暫《しばら》く子供たちを連れて、実家へ帰っていてくれ」

「え? 何ですって? 子供たちを連れて、実家へ――」

「そうだ、実は今日、親父《おやじ》に対して背任を問う告訴をしたのだ」

 早苗は自分の耳を疑うように、

「どうして……どうして、お舅《とう》さまを告訴などなさったのです……」

 声が震えた。

「今度の会社の倒産に関して、止《や》むに止まれぬ事情から出たことだが、そのわけは女の君には云えない」

「でも、告訴などなさる前に、お舅さまと話し合って解決する方法がなかったのですか」

「それが出来るものなら……」

 言葉を跡切《とぎ》らせると、

「あなたとお舅さまとの間は、どうしてそんなに冷たいのです? 何か私の知らない事情でもおありなのですか――」

 鉄平は黙って、首を振った。

「でも、どうして血の繋《つな》がった父と子の間で、告訴など――、そこまで許し難いことが父子《おやこ》の間にあろうなどとは、私に理解出来ませんわ」

 あらゆる術数を弄《ろう》して自己の企業的野心を遂げようとする父に、許し難い不正があるからこそ告訴するのだと叫びたい衝動を辛うじて抑えた。

「それで、お舅さまはどうなの、あの方は黙っていらっしゃらないでしょう」

「そうだ、すぐ会社へ来て、告訴取下げの条件をいろいろ云われたが、私は断わることにしている、なぜ断わるかは、これも女に話すべきことではない」

「じゃあ、せめて銀平さんには、ご相談になっての上のことでしょうね」

 鉄平は再び、首を振った。

「どうしてなんです、銀平さんならお舅さまと同じお仕事だから、あなたの会社の事情はよくお解《わか》りだし、何よりもたった二人きりの男兄弟じゃありませんか」

「銀平だって、こと仕事に関しては父と同じように、企業間の話は親子兄弟の情実ぬきという主義だし、それにあいつは、何事につけ、傍観者という立場を崩さない性格だ、それはそれで一つの生き方だと思う――」

 低い声でそう云い、

「僕は、自分の半生を賭《か》けた阪神特殊鋼と三千人の従業員のために、どんなことがあっても告訴の取下げはしない、そうと決めたからには、結婚の時、父から譲られたこの家を出て行くべきだと思う、父はそこまでしなくともと云ったが、それでは筋が通らない、いつも仕事本位で、君に苦労をかけてすまないが、子供たちを連れて、大川家へ行ってくれ」

 鉄平は夫として、はじめて妻に頭を下げた。早苗は暫く俯《うつむ》いていたが、顔を上げると、

「――あなた、解りました、亡《な》くなった父からも常々、妻たる者の心得として、夫の大事の時、足手まといにならぬことが一番だと、教えられて参りましたから、あなたのご指示通り、この家を出ることは承知致します」

 曾《かつ》ての自由党の領袖《りようしゆう》、故大川一郎の娘らしい気丈さで応《こた》えた。

「ですが、あなたご自身はどうなさるのです?」

「僕は役員寮に入って、会社の更生計画に打ち込む、そして再建に見通しがついたら、迎えに行って、新しい住まいを見つけることにする」

 そう云うと、早苗はきっとした眼《まな》ざしで、

「それはいやです、この家を出ることは明日からでも致しますが、あなたと私たちが別れて生活するのはいやです、どんな住まいでもいいから、ご一緒したいと思います」

 はっきりとした口調で云った。

 庭燈籠《どうろう》に灯《あか》りが入った神楽《かぐら》坂《ざか》の料亭『わかもと』の離れで、綿貫千太郎はひとり手酌しながら、昼間、阪神銀行東京事務所の芥川常務が突然、昼食の約束を取り消して来たことにこだわっていた。

 いつもの有楽町のしゃぶしゃぶ屋の座敷で、阪神特殊鋼倒産の銀行責任について、大蔵省、日銀がどのような見解を持っているか、芥川側が手に入れた情報を昼食しながら聞くことになっていたのに、正午前になって、芥川は今から大阪へ飛ばねばならぬ急用が出来ましたのでと、日の変更を云って来たのだった。どれほど大事な用件か知らないが、他行の専務である自分との約束を間際《まぎわ》になって取り消すなどとは失敬な奴《やつ》と立腹しながら、一方では芥川の尋常でない取急ぎ方に、神戸の阪神銀行本店で何か事件が発生したのでは――と、動物的な嗅覚《きゆうかく》を働かせていた。

 阪神特殊鋼が会社更生法の適用を申し立てた直後であったし、ことに阪神銀行はメイン.バンクでありながら途中で見放し、冷酷に会社更生法に持ち込ませたという風評がたっている時だけに、充分に考えられることであったが、いよいよ阪神銀行との合併工作を開始しようとしている綿貫にとって、いま妙な突発事が起ることは迷惑千万であった。

 背後で脂粉の香りがしたかと思うと、裾《すそ》をひいたお座敷着姿の豆千代が、そっと襖《ふすま》を開けて顔を覗《のぞ》かせていた。

「なんだ、豆千代か、どうした?」

「ああら、どうしたとは、ご挨拶《あいさつ》だこと、このところ一向、呼んで下さらないし、そろそろ秋風なのかしら――」

 体をくねらせ、艶《つや》っぽい流し眼を送った。日頃の綿貫なら、忽《たちま》ち相好を崩してしまうところであったが、豆千代の腰のあたりに好色な目つきを向けただけで、

「まあ、そうきんきん云うな、このところ滅法忙しくて、お前としっぽりしているわけにいかんのだよ、今晚もうちの小島常務と二人だけの用談があるから、おあずけだ」

「何か知らないけど、急にえらくお仕事に熱心だこと――」

 中庭を隔てた廊下で、お座敷を抜け出た豆千代を捜す仲居頭《がしら》の声がして、豆千代はすねたように座敷へ行った。

 綿貫は今夜の大事を腹に据えかねるように再び銚子《ちようし》を取り、独酌しかけると、廊下に足音がして、小島常務が勝手知った気やすさで入って来た。

「どうも遅くなりました、千葉の得意先まで行っておりましたもので――」

 一礼して、坐《すわ》った。色黒で背が高く、馬面《うまづら》のように顔が長かったから、陰ではウイスキーの銘柄をもじって“ブラック.ホース”と呼ばれていたが、自らは伊達《だて》男を気取って、縞《しま》のカラーシャツに幅広のネクタイを締め、そのちぐはぐさが、かえって預金集めの陣頭指揮者として若い行員たちに親しまれ、人気を集めていた。

 座敷に酒肴《しゆこう》が運ばれて来ると、綿貫は人払いし、

「千葉までとは大へんだったな、まあひとつ――」

 犒《ねぎら》うように云い、盃《さかずき》に注《つ》ぐと、小島は一気に飲み干し、

「専務、今夜は私だけお呼出しに与《あずか》り、何か格別なご用命でも――」

 綿貫親衛隊のメンバーをはずしたさし[#「さし」に傍点]の席であることに、ただごとならぬ気配を感じ取っていた。

「うむ――、どうかね、阪神特殊鋼の倒産、会社更生法適用に関して、当行の得意先の様子は?」

「みな、驚きの一言ですね、神戸に本社と生産工場がある企業で、しかも阪神銀行というれっきとした親銀行がついている阪神特殊鋼に、大同銀行がどうしてそこまでのめり込んだのか不思議だと、異口同音に云われますよ、今度という今度は、三雲頭取のために大同銀行の信用に傷がつき、融資担当の綿貫専務にまで迷惑がかかりかねませんよ」

 小島常務は、支店廻りの東奔西走と、接待ゴルフで陽灼《ひや》けした長い顔で憤慨した。

「わしも三雲の馬鹿《ばか》殿のために、顔に泥を塗られたようで我慢ならんが、大蔵省には、阪神特殊鋼に対するわしの融資行為が最初から消極的であったことをいち早く強調しておいたし、日銀にも充分、説明しておいた、だが、小島君、油断はできんぞ」

「と云われますと、もしや専務が……」

 小島は色をなし、思わず、綿貫の頸《くび》に視線を当てた。

「馬鹿もの! 誰が三雲如《ごと》き者の身替りになどなるものか」

 激しい剣幕で一蹴《いつしゆう》し、

「時に小島君、わしに君の体をあずけてくれんか」

 いきなり、有無を云わさぬ語調で云った。綿貫にとって、万俵大介との密約が成るか成らぬかは、綿貫親衛隊の元締であると同時に、営業第一線を掌握する小島の動き如何《いかん》で、その半ばが決せられると云ってもよかった。小島は、綿貫より三つ齢下《としした》の五十六歳で東北大学出身だが、若い頃から馬車馬の如《ごと》く預金獲得に汗水滴《た》らし、十数年前、当時、新宿の呉服屋から衣料専門のスーパーに進出した得意先の店主が交通事故にあったと聞くなり、病院へ駈《か》けつけ、その場ですぐ輸血を申し出て、店主とその家族をいたく感激させたこともある。爾来《じらい》、そのスーパーの小島への信任は絶大で、今や業界第六位の大手スーパーに急成長し、ボウリングなどのレジャー産業へも乗り出したその会社の預金の六割までが、大同銀行扱いになっている。そうした体を張った働きぶりは綿貫と肌が合い、融資と預金の面で二人は車の両輪のように絶妙なコンビを組み、実質的に二人で大同銀行の屋台骨を支えて来たのだった。

 綿貫は、じっと小島の顔を見守り、

「驚かんで、冷静に聞いて貰《もら》いたいことがある、実は一カ月ほど前から阪神銀行の万俵頭取と、わしの間に合併話が起っており、この一カ月間、慎重に考えに考えた上、わしは合併に踏み切る決意をした、随《つ》いて来てくれるな」

 一方的に信頼を託すように云った。事実は二カ月前に万俵大介と密約を交わし、大同銀行のマル秘資料を手渡していたが、そこまでは云えない。

 小島はあまりのことの重大さに、茫然《ぼうぜん》とし、

「そんな大事を、突然におっしゃられても……、しかし阪神銀行は、本気で当行との合併を望んでいるのですか」

「こんな企業の命運を左右するような重大事に対して、本気も嘘気《うそき》もありはせん、阪神銀行の万俵頭取が識見、力量ともに金融界では万人の認める人物であることは、君も承知しているだろう、その万俵頭取が云うには、阪神銀行にしろ、大同銀行にしろ、中下位行は、いつかは金融再編成の波に呑《の》まれる日が来る、しかしその日を待たずして、今回の阪神特殊鋼のような大型倒産が起って傷ついては、両行とも乗じられる隙《すき》が大きくなるから、いっそこの際、合併しようではないかと、云うのだよ」

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