饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15401 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 奥の座敷には、座敷机が二つ並べられ、床を背にして、綿貫と、中間派の長である夏目専務が並んで坐《すわ》っていた。以下、綿貫派は業務担当の小島、人事担当の山之内、総務企画担当の角野の三常務と、取締役である長谷川総務部長、湊《みなと》本店営業部長に加えて、大阪から急遽《きゆうきよ》、馳《は》せ参じた山田大阪支店長の計六名が連なっている。夏目派は事務能率担当の中原常務と、取締役である三島企画部長、東外国部長の三名が連なり、全役員十六名の中《うち》、日銀天下り派を除けば、この座に出席していない役員は、名古屋支店長だけだった。

 極秘の会合であったから、綿貫の妻は、すし屋から取り寄せたにぎりの桶《おけ》や、日本酒、ビール、洋酒などを運んで来たが、すぐ座敷を退《さが》って行った。

「さて諸君、まずは固めの盃《さかずき》と行こう」

 綿貫が声に力を籠《こ》めて、互いに酒を注《つ》ぎ交わして、一気に干した。綿貫は一同を見廻した。

「先日来、夏目専務と小島常務を通じて、極秘裡《ごくひり》に諸君の気持を打診していた阪神銀行との合併問題、慎重に考えてくれたと思うが、最初に私の意見を云おう、阪神特殊鋼が更生会社となり、当行のメイン.バンクを上廻る巨額の債権が凍結されてしまった今日、当行が健全に生き残って行くためには、同じく傷ついた阪神銀行との合併が、最善唯一《ゆいいつ》の道だと思う、合併条件は一対一の対等合併だ、阪神銀行より上位の当行職員にとって、有利でこそあれ、屈辱的な合併ではさらさらないと信じている」

 阪神銀行との合併のメリットを力説すると、綿貫の股肱《ここう》の臣である小島常務が、

「私も専務のお考えに異存ありません、阪神特殊鋼倒産によって蒙《こうむ》った当行の損失、信用の著しい低下は、今後の銀行経営を非常に深刻なものにしており、これ以上、当行の経営を三雲頭取をはじめ日銀天下り派の手に委《ゆだ》ねて置くことは、危険極まりない、阪神銀行との合併はまさに好機至るという感がします!」

 一気にまくしたてた。綿貫派の役員たちは相槌《あいづち》をうった。

「しかし、だからといって他行との合併によって、当行の将来が今以上に確固として保証されるか、どうか――」

 下戸《げこ》の夏目が、湯呑茶碗《ゆのみぢやわん》を手にぽつりと云った。横に坐っていた綿貫は慌《あわ》てて盃を置き、

「その懸念《けねん》はもっともですが、相手は二ランクも下位の阪神銀行だから、当行がリーダー.シップを取る合併が出来るわけじゃないですか」

 夏目の逡巡《しゆんじゆん》を抑えにかかると、

「しかし、いかに当行が日銀支配の下に置かれているとはいえ、貯蓄銀行から都市銀行に転換して二十一年の間に、大同銀行独自の体質と人の和が出来上りつつある、その時に、いかに対等合併とはいえ、銀行の成立《なりたち》から体質、ものの考え方まで異なる関西系銀行と合併し、また一から再出発するというのは、当行並びに職員にとって果してほんとうに倖《しあわ》せなことなのか――」

 一同に問いかけるように云った。役員たちは瞬時、虚を衝《つ》かれたように押し黙った。それは何十年も慣れ親しんだ縦割りの職制の中で、自分なりに一步、一步、築き固めて来た地步、価値が、合併によって一挙に崩れ、明日からの自分の人生がどうなるか解《わか》らなくなることに対する、サラリーマンの本能的な不安であった。

 綿貫を除くすべての役員たちは、もう一度、阪神銀行との合併を頭の中で冷静に考え直しはじめた。そして議論が再燃し、阪神銀行との合併に拒絶反応が現われ出した。

「二つの対等の企業が合併して、実質的に一本に融合するには、過去の例からみて、最低、三十年はかかります、阪神銀行と合併して新銀行が誕生しても、人事のごたごたが当分続き、新銀行の生抜きの行員が、役員になるのに三十年かかる、そんな気の遠くなるような合併を今、是が非でも強行しなくても、いいのではないでしょうか」

「それに三雲頭取の意向もこの際、打診してみてはどうでしょう、三雲頭取を支持する気持はありませんが、一片の相談もなく、われわれだけで阪神銀行と意を通じ、抜打ち的に合併してしまうのは、後々まで寝ざめの悪い思いを残します」

 数人の役員が急に臆病《おくびよう》になるのを綿貫は腋《わき》の下にべっとりと脂汗《あぶらあせ》が滴《したた》る思いで聞いていた。もしここで合併拒否の方向へ進んでしまえば、綿貫の苦節四十年のサラリーマン生活を賭《か》けた策謀は、水泡《すいほう》に帰し、行内叛乱《はんらん》者として、敗北を喫することになる。

 時計はいつの間にか、午前零時を過ぎていた。綿貫は上体を座敷机に乗り出し、

「諸君の意見はあらかた解った、しかし、当行が直面している現状はそんなに生やさしいものではない、現状のままでいると、今度は日銀に代って、大蔵省から人が送り込まれて来る懸念がある――」

 と云った途端、部屋の中に凍りつくような気配が漂った。

「大蔵省から――、やはりほんとうにそんな懸念があるのですか」

 小島常務と夏目専務が、異口同音に聞いた。

「阪神特殊鋼が倒産して、融資担当専務として私が、春田銀行局長に呼びつけられた時、それとなく、それらしいことをちらつかされたのだ、われわれが今、たち上らねば、次は日銀に代って、大蔵省の支配を受けることになるのを諸君は考えに入れて、当行の主体性が守り通せる阪神銀行との合併を決意すべきだと思う、たとえ二十年先、三十年先にしか、新銀行における阪神銀行の血を淘汰《とうた》出来ないにしても、それでいいではないか、阪神銀行との合併で一躍、上位四行に迫る第五位の都市銀行に飛躍してから、すべては始まるのだ」

 強い語調で決意を促すように云い、

「正直なところ、諸君が懸念しているもう一つの重大事は、合併に際して自分たちの身分がどうなるかということだと思う、それは当然のことで、もし今、阪神銀行との合併に賛同を得れば、ここに列席している諸君には、専務は専務、常務は常務、取締役は取締役のポストを必ず保証する」

 声を高めて云うと、一同は顔を見合せた。都市銀行第八位から一躍、第五位の大銀行になり、役職の保証がされるのならば、反対する理由はない。

「専務、ほんとうに常務は常務なんですか」

 人事担当の山之内常務が念を押した。

「そうだ、常務は常務だ」

 と応《こた》えると、夏目専務も、

「私に、新銀行の大世帯の専務が勤まりますかねぇ」

「もちろんですよ、専務は専務です」

 綿貫が繰り返して、請け合うと、

「それでは大同銀行百年の計のために、阪神銀行との合併はやり遂げましょう」

 夏目が口を切り、他の役員たちも頷いた。綿貫はすかさずたち上って、床の間に用意しておいた硯《すずり》と印肉、奉書紙を机の上に置き、俄かに改まった表情で一同を見廻した。

「いろいろみなさんから問題点を指摘して戴《いただ》き、議論を尽しましたが、結論において阪神銀行との合併をやり遂げることを決定して戴いたと諒解《りようかい》していいですか、なお異議のある方はありませんか」

 確認するように云うと、夏目専務以下十名の役員は、緊張した表情で無言のうちに頷いた。

「そうか、みんな有難う、しかし三雲頭取をさしおき、われわれだけで阪神銀行との合併をきめたことが万一、洩《も》れるようなことがあれば、われわれは叛乱軍として咎《とが》を受けるやもしれない、そこで密約を守り、いかなる事態になろうとも、われわれの考えは変らないという証《あかし》を今、ここでたてたいと思うが、いかがなものだろう」

 さらに綿貫が詰めて行くと、一同は同意した。

「では、古いしきたりのようですが、連判状をしたため、われわれ十一名の盟約書とする、僭越《せんえつ》ながら私がまず最初に署名、捺印《なついん》し、みなさん一人一人にお廻しするので、ご署名願いたい」

 一同、固睡《かたず》をのむ中で、連判状の筆頭に、綿貫千太郎と筆太にしたため、ぐっと大きな拇印《ぼいん》を捺《お》した。

「さあ、夏目専務――」

 連判状を廻すと、夏目専務はさすがに昂《たかぶ》り、震える手で、自分の氏名をしたため、拇印を捺した。

「次に小島常務――」

 順番に連判状が廻され、しんと張り詰めた部屋の中に、奉書紙の上をすべる筆の音だけがした。

 十一名の氏名が書き列《つら》ねられ、連判状が綿貫の手に戻って来ると、綿貫は一同の署名、捺印を改め、傍《かたわ》らの夏目専務にも見せた。

「たしかに出席役員全員の署名を戴いた、大同銀行の経営を預かる役員として今夜は記念すべき重大な日になりました――」

 綿貫派のクーデターの狼煙《のろし》が上げられたのだった。

 玉川上水の堤沿いの道を、一台の車が上流に向って、疾走していた。春田銀行局長が乗っている車であった。

 武蔵《むさし》野《の》の面影が僅《わず》かに残っているこの辺《あた》りは、人家も疎《まば》らで、落葉した欅《けやき》の大木や、堤の両側の桜の樹《き》が影絵のようにヘッド.ライトの向うにうかび、まだ夕刻の六時を過ぎたばかりであるのに、夜更《よふ》けのような気配が漂っている。

 車は、堤に沿った道を、右折した。大型車がやっと一台、通る程度の地道で、百メートルほど行くと行き止まりになり、車は停まった。木立が生い茂り、建物らしいものは外から窺《うかが》えないが、檜皮《ひわだ》葺《ぶ》きの門があり、外燈の灯《あか》りの下に『貝塚』とだけ書いた表札が掲げられている。一見、個人の邸宅のように見えるが、旅館であった。

 春田が車から降りたつと同時に、ぎっと軋《きし》む音がして、内《うちら》から門が開かれ、ずっとそこで春田の到着を待ち受けていたような間合いのよさで、男衆《おとこし》が迎え出た。

「ご案内申し上げます――」

 男衆はそう云い、手燭《てしよく》で春田の足もとを照らし、玉砂利《じやり》の小径《こみち》を奥へ案内し、数寄屋《すきや》造りの本館の裏手へぐるりと廻った。そこに離れがあった。邸内は千坪ほどの敷地で、庭の手入れが行き届き、個人の邸宅のようにしんと静まり返っているのは、もと旧財閥系の大物財界人の妾宅《しようたく》で、十年程前、その人が物故してからは、故人と関係のある会社の会合や宿泊などに限っていたからであった。都心から車で三、四十分で来れ、しかも故人が上水道の桜並木を好んで、わざわざこうした辺鄙《へんぴ》な場所に建てた邸《やしき》だけに、政、官、財界では知る者ぞ知る会合場所で、春田もはじめてではなかった。今夜の会合の場所をここに指定したのは、阪神銀行であった。

 男衆が離れの格子戸《こうしど》を開けると、ひんやりと薄暗い玄関に、大亀専務と芥川常務が飛んで出るように出迎えた。男衆は春田のぬいだ靴を揃え、丁寧なお辞儀をして退《さが》って行った。

 座敷に入ると、芥川は畏《かしこ》まるように姿勢を改め、

「局長、どうも――」

 と云うと、大亀も肥満した体を屈《かが》め、

「いつもご高配を賜わり、有難うございます、もっとご便宜な場所をと存じましたが、何よりも極秘の席と考えまして、このようなところまでお運び戴き、恐縮でございます」

 と挨拶《あいさつ》した。大亀、芥川が二人揃って春田銀行局長を迎えたのは、十月下旬に万俵大介が永田大臣を芦ノ湖畔の山荘に訪ねて内諾を得た阪神、大同両行合併を、監督官庁の長である春田に、正式に願い出るためであった。

 春田が座椅子《ざいす》に背をもたせかけると、

「局長、本日のお願いの筋と申しますのは、酒肴《しゆこう》をまじえながらという事柄ではありませんので、先に単刀直入に申し上げます、当行と大同銀行との合併、ご認可戴くわけには参りませんでしょうか」

 大亀が一気にそう云うと、春田は苦味ばしった顔を大亀と芥川に等分に向け、

「その件については、大臣から事務方《かた》で一度、検討してみるようにと云われていますが、私としてはあなた方の話も聞いてみないことには判断のしようがないので、井床《いどこ》銀行課長や久米《くめ》総務課長には、実のところまだ話していないのですよ」

 と云い、煙草《たばこ》の灰を灰皿に落し、

「ま、大臣が云われるには、実質的には下位の阪神が上位の大同を合併することになるだけに、均衡の問題をしきりに気にしておられる――、しかし、大小の規模の問題は、御行《おんこう》の方で増資するなり、預金を大幅にのばすなりすれば解決出来ることで、つりあいの問題は私としてはさして気にならない、それより両行が合併することによって、どういうメリットが出て来るのか、それがまず問題ですね」

 官僚らしい話の運びで云った。大亀はここぞとばかりに体を乗り出し、

「ご指摘の点はごもっともでございます、メリットの第一はやはり何と申しましても店舗の補完性で、合併により全国的な店舗網を持つことが出来、重複店舗は二十一カ店に過ぎません、これとても先般の銀行法改正によりまして、全店配転が可能になりますので、ご当局のご指導を得てさらに理想的な店舗配置を致したいと念じております、メリットの第二は、融資先の補完性で、大同銀行さんがどちらかと申せば住宅、商社、スーパー、レジャー産業などにウェイトがかかっているのに対し、当行は地場《じば》の鉄鋼、石油化学、重工業部門に資金を食われておりました、それが両行合併により、バランスのとれた企業群団を形成することが出来る一方、今まで融資順位が三、四位で、一行の資金量ではなかなか食い込めなかった優良企業に対し、両行融資額を合わせると、一挙にメイン.バンクとなり得るところも出て参ります」

 と説明した。

「なるほど、メリットの点からいえばほぼ満足し得る合併ですね、しかし肝腎《かんじん》なのは、いくらあなた方がその気になっても、大同銀行が果して受け入れるか、どうかですよ、その点はほんとに大丈夫ですかねぇ」

 春田にしてみれば、永田大臣から如何《いか》に阪神、大同銀行の合併を推進するよう指示されても、頭取の三雲が日銀出身で、背後に日銀がついている銀行を、下位の阪神銀行がそうやすやすと呑めるはずがないと考えているのだった。しかも、去年の十一月に第三、平和銀行の合併が失敗しているだけに、同じ轍《てつ》を踏むような事態になれば、銀行局長としての行政手腕を問われかねない。

 芥川は、そんな春田の心中を読み取るように、

「局長のご懸念のほどはごもっともでございます、当行としても、やみくもに何が何でも大同銀行さんと合併したいというのではありません、実はこの合併のそもそもの起りは、阪神特殊鋼の融資に絡《から》んで、両行から自然に出て来た話なのです、と申しますのは、大同銀行内には、阪神特殊鋼の融資に疑問をもっていた役員がかなりおり、特に爆発事故以後、三雲頭取の融資方針を危ぶんで、阪神特殊鋼の実態を当行に再三、問い合せて来られました、その都度、当行としてはメインの立場から率直に意見を申し上げておりましたが、阪神特殊鋼が会社更生法の事態にたち至ってからは、大同銀行自体の身の振り方まで相談を受けるようになっていたのです、そうしたふれ合いの中から、合併話がいつともなく自然に滲《にじ》み出て来たというのが、正直なところでございます」

 阪神銀行が決して爪《つめ》を研いで大同銀行をひっかけたのではないことを強調しつつ、合併に至るまでの経緯を話した。

「すると、この合併はどちらかというと大同銀行の反三雲派から呼びかけられたというわけかねぇ」

 春田は、芥川の説明が、多分に事実とは異《ちが》っていることを承知しながら、わざと芥川の説明に乗せられるように聞き返したのは、両行合併をまとめ上げたいという基本的な考えがあるからだった。

 芥川は、大亀専務の方を顧みながら、

「どちらが先かと云われれば、向うさんからということになりますでしょうねぇ」

 まことしやかに応えると、大亀もことさら大きく頷《うなず》いた。

「じゃあ、その役員たちの名前は?」

 反三雲派のメンバーを聞きにかかると、

「実は、今日のお話は、両行揃《そろ》って申し上げた方がよいかと存じ、大同銀行さんには別室で待って戴いております、何でございましたら、こちらへお呼びしましょうか」

 さすがの春田も、驚いた。と同時に、ここで一緒に会っていいものか、席を改めて会うべきか、判断に迷った。阪神、大同合併の動機には何か陰謀めいた影が感じられるだけに、その陰謀の片棒を銀行局長自らが担《かつ》ぐことは警戒しなければならない。しかしほんとうに両行の話し合いが出来ているのか、じかに確かめたい衝動もあった。春田は次官を一步前にした時期だけに暫《しば》し、逡巡《しゆんじゆん》した後、意を決するように、

「いいだろう、ここへ来ているのは誰なんだい?」

 と聞いた途端、襖《ふすま》がからりと開き、

「綿貫千太郎でございます――」

 自ら名乗り、綿貫がうす暗い隣室からぬうっと出て来た。照れもせず、悪びれもせず、むしろ春田の方が眼の遣《や》り場に戸惑うと、綿貫はいざり寄るように春田の傍《そば》へすり寄り、

「先般来、阪神特殊鋼への融資につきましては、局長のご心中をお悩まし致し、申しわけなく存じております」

 ひたと畳に平伏するように、頭を下げた。その大仰さに、傍らの芥川と大亀も思わず顔を見合せると、綿貫は大きな赭《あか》ら顔を、むっくと上げ、

「つきましては本日、大同銀行一万人の行員になりかわり、大同銀行の良心を聞いて戴きに参上致しました、まずはこれをご覧下さい」

 と云うなり、背広の内ポケットから、和紙の封筒を取り出し、恭しく春田にさし出した。

「何だね、一体――」

 春田は、封書の中の巻紙を開いて、一目みるなり、あっと声を呑んだ。

  盟 約 書

われわれ大同銀行は、前身の関東貯蓄銀行時代から数えて、六十五年の歴史と伝統を誇る銀行である。日増しに厳しさを加える環境にあって、都市銀行としての今日《こんにち》の地步を築き上げることが出来たのは、いつにかかって諸先輩、ならびに一万行員の弛《たゆ》まざる努力の賜《たまもの》である。

然《しか》るにこの度、更生会社のやむなきに至った阪神特殊鋼に対する三雲頭取以下、日銀天下り役員による独断専行は、当行を未曾有《みぞう》の経営危機に瀕《ひん》せしめた。われわれがこの危急存亡の機をしのぎ、速《すみ》やかに名誉と信用を回復し、かつ未来永劫《えいごう》にわたって大同銀行の血脈を残すためには、阪神銀行との合併がわれわれの取り得る唯一《ゆいいつ》最善の道と考え、それがため挺身《ていしん》することを誓うものである。

ここにわれわれの決意を披瀝《ひれき》し、その盟約を交わす次第である。

昭和四十四年十二月二十日

  大同銀行専務取締役

      綿貫千太郎(拇印《ぼいん》)

    同 夏目 健吉

   常務取締役

      小島 彦雄

    同 山之内孫次郎

    同 角野 武

    同 中原 文一

   取締役 長谷川 進

   ………………………

(以下四名)

 三日前の深夜、綿貫千太郎の自宅で、全十六名の役員中、十一名が署名捺印した連判状であった。

「これは――」

 春田が唖然《あぜん》として、云いかけると、

「われわれは、もはやこれ以上、日銀支配を唯々諾々《いいだくだく》と受け入れることは出来ません、これは大同銀行良心派の鬱積《うつせき》した声なき声であります、何とぞ阪神銀行との合併をご認可下さいますよう、お願い申し上げます」

 綿貫は、がむしゃらに押しまくるように云い、喋《しやべ》るたびに熱っぽい息が春田の頬に吹きかけられた。春田は辟易《へきえき》してうしろへ顔を引き、胸中、何が良心派だ、叛乱《はんらん》軍ではないかと思いながらも、

「君たち役員陣の意向は解《わか》った、しかし、一般行員は自分たちの銀行の三雲頭取をはずして、下位の阪神銀行の万俵頭取を新頭取に迎えるというような異例の合併に、果して納得するだろうかねぇ」

 と云うと、綿貫は口ごもった。組合対策は腹心の熊本委員長と飲んでぬかりなく手を打っていたが、クーデターを起してまでの合併に一般行員がついて来るかとなると、さすがに一抹《いちまつ》の不安はあった。

 座敷に沈黙が漂い、いつから風が出はじめたのか、木々が騒《ざわ》めき、ガラス戸や戸襖《とぶすま》がカタッ、カタッと鳴る音が、人気《ひとけ》のない離れに妙に不気味に響いた。

「綿貫さん、どうやら一般行員の説得にまでは、自信がないようですね」

 春田が慎重に最後の一押しをすると、綿貫は弾《はじ》かれたように、

「いえいえ、一般行員こそ日銀支配に最も強く反撥《はんぱつ》しているのでございますよ、幸か不幸か、都市銀行としての歴史は阪神銀行さんより浅いですから、自行の血脈を残し、名門の血を導入するということで、反対はないと思います、それに第一、合併すれば仕事ぶり如何《いかん》によって、自分たちが未来の頭取、副頭取になり得る可能性があるんですからなあ」

 目先の頭取のポストを取られることより、合併によって給与をはじめとする労働条件がよくなることの方が、近頃の若い行員たちには説得力があるにちがいないと思い直し、綿貫は自信満々に云った。

 春田はなるほどと頷き、改めて自分の前に列《なら》んでいる大亀、芥川、綿貫の三人の顔を見直した。そして阪神、大同両行の合併話はすっかり細部まで出来ているなという確信を深め、これなら永田大臣も自分もこの合併話に乗って大丈夫と踏んだ。あとは間髪を入れず三雲退陣へことを運ぶ肚《はら》を固めた。

 春田銀行局長は、省内の局長会議を終え、官房長と暫《しばら》く懇談したあと、四階の局長室へ上った。

 局長室の扉を押すと、席をはずしている間に廻って来た稟議書《りんぎしよ》と、電話のメモを局付の女子職員がさし出した。春田はそれらにざっと眼を通し、

「十一時に、大同銀行の三雲頭取が来られるが、用談中、新聞記者や他行の来訪者には、私が外出していることにしといてくれ給《たま》え」

 と云いつけた。稟議書も、かかって来た電話も、すぐ処理するほどのものではなかったから、机の前の回転椅子《いす》に坐《すわ》り、昨夜の思いがけない会合を頭に思いうかべながら、阪神特殊鋼への融資問題にことよせて呼出しをかけた三雲頭取に対し、どのような態度でのぞめば最も効果的に頭取退陣へ追い込むことが出来るか考えをめぐらした。

 インターフォンが鳴った。局付の女子職員が、三雲頭取の来訪を伝えた。

「これは、ご多忙のところをお呼びたて致しまして――」

 春田は、慇懃《いんぎん》に三雲を迎え入れ、応接ソファに向い合うと、テーブルの上に厚い書類の綴《つづ》りを拡《ひろ》げた。阪神特殊鋼に対する大同銀行の融資関係資料で、阪神特殊鋼の倒産後、銀行局から提出を求めたものであった。

「先日来、提出戴《いただ》いていた資料をもとに、阪神特殊鋼に対する御行の融資の仕振《しぶり》を綜合《そうごう》的に検討した結果、厳重にご注意しなければならない問題点が出て来ましたので、頭取ご自身においで戴いたわけです」

 昨夜のことは気振りにも出さず、監督官庁の長らしい姿勢で云い、

「まず阪神特殊鋼への最終的な融資残高についてですが、その後の調査でいくらになりましたか」

「百五十億九千万です」

「その貸金のうち、阪神特殊鋼が更生会社となった現在、更生担保権と、更生債権はどのぐらいで、債権の切捨ては、ほぼいくらぐらいという見通しをもっておられますか」

「更生担保権は、電気炉の工場財団に入っておりますので約百億、更生債権は五十一億と予測しております、債権の切捨てについては、管財人の協議の結果を待たねばなりませんが、曾《かつ》ての姫路特殊鋼倒産のケースから推して五、六割のカットは避けられないと考えており、当行の債権切捨ては二十五億乃至《ないし》、三十億と見込んでおります」

 と応《こた》えると、

「日銀ご出身の三雲頭取ともあろう方が、随分、楽観的なお考えなんですね、昨日《きのう》の阪神銀行側の回答では、債権切捨て率は七割を超えるかもしれないと、もっと深刻に考えているし、当局としても、よくて七割、場合によってはそれ以上のカットを予測しています」

「七割以上のカット――」

 三雲は、声を呑《の》んだ。

「少しお考えが甘いようですね、七割カットとしても、御行の債権切捨ては約三十五億七千万ですが、それ程の損害を今後、どのように償却されるおつもりですか」

 春田は、ぐいと踏み込むように云った。云い逃れのきかぬ数字を握って締め上げようという最も官僚的なやり方であった。三雲は憂《うれ》いを帯びた眼《まな》ざしを春田に向け、

「債権償却については、今期の見込み収益三十億の他《ほか》に、当行が所有している不動産その他の資産を売却して埋めるか、或《ある》いは配当を減配にするかきめかねております、しかし、減配は銀行にとって非常な信用問題ですから、役員会にはかってから、きめるつもりをしています」

「むろん信用の問題も大切でしょうが、要は預金者、株主に迷惑の及ばない債権償却を第一義に、役員会で慎重に討議され、その結果については、改めて当局へご報告下さい」

 春田は大きく足を組んで云い、

「それにしても、今回のひっかかりはその額もさることながら、ひっかかりをつくった経緯そのものが、都市銀行としてはお粗末の一言につきますね、企業に対する見方が甘く、不況で経営悪化の兆《きざ》しを見せはじめた時、なぜ融資を一時、見合せ、調査をしなかったのですか、阪神銀行では市況悪化と同時に、阪神特殊鋼の経営を憂慮し、毎日のように生産在庫、販売の状況をトレースしたというのに、御行ではそれさえやっていない」

「いえ、当行も神戸支店に調査を命じ、ある程度の実態は把握《はあく》しておりました」

「では業績が落ちていることが解っていて、さらに貸し込んだというわけですか、阪神銀行では調査の結果、当初、予定していた貸金をも暫時《ざんじ》、引き延ばしているではないですか」

 資金表を指でさして、追及した。三雲はきっと顔を上げ、

「その件ですが、当行に対して阪神銀行からは、予定通り融資しているという報告がされており、それがまさか当行に貸し込ませるための見せかけ融資であったとは、考えられませんでした」

「しかし三雲さん、あなただって責められる立場ではないでしょう、メインの阪神銀行と絶えず情報交換していたら、こういうことは簡単に見抜けていたはずで、市中銀行では、要はひっかかった方が不名誉、不勉強なんですよ」

 日銀育ちの甘さを、容赦なく衝《つ》いた。

「次に、貸金に対する担保のとり方が杜撰《ずさん》に過ぎる、貸金に見合う担保をとることは、銀行経営の基本であるのに、そんな初步的な注意義務をなぜ怠ったのですか」

「高炉の設備資金の貸金担保は、高炉が完成された時点で、新たに工場財団を組成し、担保設定をすることになっており、決して怠ったわけではありません」

「そうはおっしゃっても、阪神特殊鋼は設備資金を赤字の穴うめに流用していたため、商社団が阪神特殊鋼へ高炉設備の引渡しを拒否しているではありませんか」

 それには三雲も、言葉に詰った。すかさず、春田は、

「以上の点からすると、今回の問題は単なる貸金事故ではなく、御行の経営そのものの事故だというのは明白です、しかも御行には、阪神特殊鋼への融資をめぐって人事の乱れが表面化し、人が財産である銀行として、由々しい問題です、頭取の立場でこの責任をどうお考えなのですか」

 一段と厳しく追及した。銀行局長が経営姿勢と人事の乱れを指摘し、その責任を追及することは、とりもなおさず、頭取の資格なしとして、辞任を迫ることであった。

「責任は痛感しており、問題の解決がついた時点で、私自身の進退は考えるつもりでおります」

 もはや覚悟した静かな口調で応えた。

「あなた一人が頭取を辞任したところで、大同銀行の体質は変るものではないと思いますがねぇ」

「それは一体、どういう意味なのでしょうか」

 聞き捨てならぬように云うと、

「大同銀行の体質は即、日銀の体質そのものだと申し上げているのです」

 春田は、きめつけるように云った。その言葉の中に三雲は、自分の躓《つまず》きを楯《たて》に、大蔵省から人を送り込むつもりらしい春田の胸中を読み取り、このことは直ちに松平日銀総裁に報《しら》せなければならないと思った。

「いかがなさいました、三雲頭取――」

 総裁秘書役である綾部は、突然、何の前ぶれもなく訪れた三雲の姿を見、訝《いぶか》しげに椅子からたち上った。

「予《あらかじ》めお電話もせず失礼でしたが、火急に総裁にご相談申し上げねばならぬことが起って――」

 日頃、礼儀の正しさと平静さを欠いたことのない三雲だけに、綾部秘書役は、ただごとならぬものを感じ取った。

「大蔵省へ足を運ばれたそうでございますね」

 三雲は愕《おどろ》くように綾部を見たが、総裁の懐《ふとこ》ろ刀と云われている綾部は、大蔵省をはじめ、各金融機関の情報がいち早く入って来る情報網を持っているのだった。

「それで三雲頭取の緊急事と云われますのは、今度の阪神特殊鋼の件に関して、大同銀行に何か?」

 日銀の天下り先は、いわば日銀植民地であるから、大同銀行の動静は、日銀マン全体としての関心事であった。三雲は黙って頷《うなず》いた。

「大蔵省では、今回の問題を故意に大きく拡げようとしている様子ですね」

 綾部はきらりとした眼ざしで云い、

「総裁は只今《ただいま》、長期開発銀行の副頭取と用談中で、すぐあと工業クラブへ出かけねばならぬ予定ですが、何とか都合がつくように致しましょう」

 と云い、斜め向いの総裁応接室の扉《とびら》を押して、都合を聞きに入った。その僅《わず》か数分の間が、三雲には長い重苦しいものに思えた。

 綾部秘書役は応接室から出て来ると、

「お目にかかるそうですが、用談がすみますまで、こちらで暫く――」

 応接室と隣り合っている総裁執務室の方の扉を開けた。

 ドーム型の天井の高い室内は、窓がステンド.グラスのために終日、殆《ほとん》ど陽が届かず、外界の騒音も、城壁のように高い石塀《いしべい》と石畳の中庭によって完全に遮断《しやだん》されている。その静けさは中世の城砦《じようさい》の中にいるような厚く閉ざされた静けさであった。三雲は、自分が二十数年間、この中で育ち、日銀という権威の城を出てから、まだ二年に満たぬことを思うと、ふと足もとが、揺らぐような不安を覚えた。

 扉が開き、痩身《そうしん》をダーク.スーツに包んだ松平総裁が入って来た。

「春田君と会って来たそうだね、それで話はどんな工合だった?」

 松平は、永田大蔵大臣にぴたりと密着している春田の油断ならぬ存在を頭において聞いた。

「実は、春田銀行局長に呼ばれて、阪神特殊鋼への不良貸込みについて厳しく責任を追及され、大同銀行の頭取としてこの責任をどう考えているかと聞かれましたが、その時、非常に気になることを感じまして――」

「ほう、どんなことだね」

「私の後任に、大蔵省から人を送り込もうとしている様子が感じられたのです」

「なに、大蔵省から送り込む――」

 松平総裁は顔色を動かし、

「三雲君、それは君の思い過しじゃないのかね」

 確かめるように云った。

「いや、そうではありません、銀行局長のことのほか厳しい追及の仕方、特に阪神銀行より当行の方にそれが厳しく、今回の件は単なる貸金事故ではなく、経営姿勢の問題だとまで断じられました」

 と云い、春田との話の内容を詳細に話すと、松平総裁は注意深く耳を傾け、三雲の進退に言及したところになると、眼に鋭さを増した。

「もう一度、そこのところの春田君の言葉を繰り返して貰《もら》いたい」

 三雲は、屈辱的な思いがしたが、

「当行の更生債権の保全、その他の見通しがつき、一段落ついた時点で、私自身の進退を考えるつもりである旨《むね》を伝えますと、春田局長は、あなたが頭取をやめたからと云って、大同銀行の体質がかわるわけのものじゃないでしょうと、そんな言辞でした――」

「なるほど、腹に一物ありげな云い方だな、しかし、それをもって直ちに大蔵人事の送り込みと考えるのはいささか早計ではなかろうか、君は昔から少し一途《いちず》にものを考え過ぎるきらいがあるからねぇ」

「いえ、それだけではなく、大同銀行内には人事の乱れもあるそうではないかということまで云われ、何が何でも、私を下ろした後、大蔵省からという気配が濃厚です」

 そこまで云うと、松平総裁も黙った。大同銀行は日銀天下り先の中でも上位のランクであるから、大同銀行を明け渡すことは、いわば本丸の前の出城を一つ奪われることであった。公卿《くげ》育ちのような日銀マンからみれば、大蔵官僚はいわば“蕃族《ばんぞく》”のようなものであった。その蕃族に城を取られるとなると、ことは大きい。曾て三雲から阪神特殊鋼への日銀特融を頼み込まれた時は、永田大蔵大臣の顔がちらついて後退《あとずさ》りし、もっともらしい名分をたてて日銀特融を断わったが、三雲の後任に、大蔵省から人を送り込んで来そうな話は、日銀総裁である自分自身に直接、関連があるから後退りするわけにはいかない。万一、ここで後退りすれば、日銀内部から天下り先の面倒一つ見きれぬ“腰抜け総裁”と譏《そし》られ、都市銀行の頭取たちに対しても、威信を失うことになる。

 そう思うと、松平総裁は何よりも直接、春田に会って、話を聞いてみなければという思いが奔《はし》った。もはや松平は、大同銀行のことや三雲頭取の進退より、日銀総裁である自分とのかかわり合いが重要性を帯びて来、ものを考える時の癖である鷲《わし》のように尖《とが》った鼻を天井に向け、三雲の存在を忘れたように黙り込んだ。

 三雲は、松平総裁が口をきかず、天井を見上げて考え込んでいるのは、大同銀行と自分の進退に頭を悩ましてくれているのだと思い、今さらのように自分の躓《つまず》きが、日銀にまで波及することが心苦しかった。

「総裁、私は、銀行局長からこうまで云われてなお、大同銀行の頭取の地位に恋々とする気はございません、総裁のご判断で、大同銀行の次期頭取の人選をよろしくお願い致します」

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