饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15381 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 日銀からの送り込みを依頼すると、松平総裁はじろりと見返し、

「何もそう早まることはないだろう、大同銀行の頭取の進退は、三雲君個人の気持できめて貰っては困る、歴代、日銀から頭取を送り込んでいる銀行だから、ここで君が弱気を出して早々と辞任し、大蔵省に弱味を見せてはならんのだ、いいかねぇ」

 念を押すように云うと、

「では、私の進退は、総裁にお預け致します」

 一礼して席をたち、三雲は総裁室を出た。

 三雲が去ってしまうと、松平総裁は執務机の上の電話器を取って、大蔵省の銀行局長室に繋《つな》ぐように云い、春田が出ると、

「もしもし、松平ですよ、実は大同銀行の三雲頭取の件、あれ、いずれ考えねばならないと思っているんだが、なかなか適当な候補者がなくてね、そのうち、めど[#「めど」に傍点]がついたら、相談しますよ」

 松平はさり気ない云い方で、大同銀行の次期頭取は日銀から出すという意思表示をし、それに対して春田がどのような反応を示すかを試みた。

「これはこれは、総裁おん自らのお電話で恐縮です、その件でございましたら、当方にわざわざお断わり戴くことはございません」

 春田は、総裁に対する慇懃《いんぎん》さとも、官僚的なそつのなさともつかぬ応え方をした。松平はさらに一步、踏み込み、

「だが、やはりこの問題については、電話ではなんだし、一度、ゆっくり君と会って、相談したいものだねぇ」

 誘い出すように云うと、

「それは大同銀行内の問題ですし、それに第一、三雲頭取は今回の件の出火責任者ですから、燃え拡がった火を消し、鎮火するまでは留《とど》まられるべきだと思います」

 春田は巧みに時間を稼《かせ》ぎ、日銀からの新頭取送り込みを封じるように捌《さば》いた。

 *

 万俵二子は、神戸に帰る新幹線の車内電話ボックスで、受話器を取り上げるなり、驚いた。

「まあ、一子お姉さま――、どなたかと思ったわ、突然、車内アナウンスで電話呼出しがあったのですもの、あ、もしもし、私がこの『ひかり』に乗っていることが、どうしてお解《わか》りになった?」

 昼すぎ、都内のホテルから成城の姉の家へ電話した時、一子は留守をしていたのだった。

「あなたの電話に出た宏が、二子おばちゃまは、三時半頃の『ひかり』で帰るよって、云っていたのよ、連絡がついてよかったわ」

 いつもおっとりとした一子の声が妙に昂《たかぶ》っているのが、受話器を通して感じ取られる。

「もしもし、お姉さま、どうなさったの」

「二子ちゃん、よくそんなに落ち着いていられるのね、もしもし、今、岡本のお家から連絡があったのだけど、あなた、誰に相談もなく上京し、細川一也さんに婚約解消を申し入れたのですって?」

 列車の横ぶれでぐらりと体が揺れ、二子は電話台につかまり、

「今頃になって申しわけないのだけど、お断わりして来ました――」

 改まった語調で云うと、一子はさらに昂った声で、

「どうして一言、私に相談してくれなかったの、こともあろうにご当人に直接、解消を申し入れるなんて、失礼極まりないことなのよ、もしもし、聞えて?」

「――ええ、聞えています、でも、今まで何度もお父さまに、お断わりしてほしいとお願いしても、聞き入れて下さらないから、こうするより仕方がなかったの……」

「だけど、岡本じゃ、お仲人《なこうど》の小泉夫人から、大へんな剣幕のお電話がかかって来たらしく、さすがの相子さんも動転して、あなたの行先《ゆきさき》をうちへ問い合せて来たのですよ、婚約解消を翻《ひるがえ》すのならともかく、その気がなければ、次の京都から東京へ引き返していらっしゃい、今、岡本に帰ったらお父さまはかんかんよ、東京なら鉄平兄さまもいらっしゃることだし、もしもし……」

 一子は、姉らしい心遣いで云った。車内アナウンスが京都まであと十分と伝えているのが聞えた。二子は受話器を強く耳におしあて、

「鉄平兄さまは、茗荷《みようが》谷《だに》の大川家にはもういらっしゃらないわ」

「え? 鉄平兄さまがどうかなさったの」

 驚きの気配が伝わって来た。

「細川さんにお会いしたあと、大川家へ行くと、お兄さまはいらっしゃらず、東京に来て荷物の片付けが一段落した翌々日、一人になりたいからと、行先も告げずに出かけられたと、早苗さんは泣いていらしたわ、ええ、そう――、一子お姉さま、お心あたりなくて? え? え?」

「……お着きになった日、伺ったけれど……魂がぬけた人みたいで……どちらへ一体……」

 列車の震動音で、殆《ほとん》ど一子の声は聞き取れなくなった。

「もしもし、お姉さま、もしもし、家へ帰ってから、またお電話しますわ」

 二子は、受話器を置いた。

 隣のグリーン車の座席に戻ると、二子は窓の外に眼を向けた。薄暮の中に、琵琶湖畔《びわこはん》の灯りがにじむようにまたたき、底冷えのする京都の寒さが、伝わって来るようであった。二子は冷え冷えとした気持で、昼間、丸の内にある帝国製鉄本社へ、細川一也を訪れて行ったことを思い返した。

 細川一也は、いつものようにボストン眼鏡に、サイド.ベンツのスーツを着た気取った服装で一階の受付へ降りて来、ちょうどランチ.タイムですからと、二子を近くのパレス.ホテルのグリルへ誘った。ホテルまで步いて六、七分の間、細川はヨーロッパへの新婚旅行のスケジュールについて、相変らずの博学多識ぶりでよく喋《しやべ》った。

 ホテルのロビーに入り、二子が実は重大なお話があり、静かなラウンジでお話ししたいと云うと、細川は、訝《いぶか》しげな顔をしたが、ロビーの奥のラウンジで向い合った。二子が直截《ちよくせつ》に婚約を解消したい旨《むね》を切り出すと、ボストン眼鏡をかけた細川の顔が、自尊心を傷つけられたように歪《ゆが》み、理由は何ですかと聞き返した。二子は、「理由は申し上げられませんが、いろいろ考えた結果、私はあなたの生涯の伴侶《はんりよ》としてふさわしくないと思ったからです」と云うと、細川は暫《しばら》く沈思し、「あなたのご家庭内で、僕と結婚出来ない事情でも出来たのですか」と聞いた。首を振ると、「ではあなたの兄上が経営しておられた阪神特殊鋼が倒産し、当社の常務が管財人に入ったことと関連がありますか」と重ねて聞いた。三カ月程前、美馬、一子夫妻を交えて一緒に食事した時、美馬と細川が、経営悪化を取沙汰《とりざた》されはじめた阪神特殊鋼について、帝国製鉄の傘下《さんか》に入れば互いに好都合だと話しはじめた時、二子は、阪神特殊鋼は帝国製鉄の傘下などに入りませんわと、憤然と席をたってしまったことがあるからだった。

 二子が応えずにいると、細川も次第に意地になるように頑《かたくな》に黙り、やがて、「あなたが阪神特殊鋼の件で、兄上と同じような被害者意識を持っているとしたら、見当はずれもいいところですよ、しかも結婚ということを、当人同士の心のふれ合いでなく、そんな面から考えているのなら、僕の方こそあなたという人を生涯の伴侶として相応《ふさわ》しいかどうか、考え直さねばならない、ただしお返事は、仲人の小泉夫人を通して、礼を失せぬように致しますよ」と云い、婚約解消を申し入れられた男の不名誉を認めまいと、必死なポーズを装ったのだった。

 京都で一時《いちどき》に乗客が降りた後、車内は急にがらんとし、新大阪駅まで十数分であった。神戸の岡本の家へ帰る前に、西宮の一之瀬四々彦の家を訪ねるつもりの二子は、スエードのコートと揃《そろ》いのハンドバッグから、アドレス.ブックを取り出し、一之瀬の家の町名と番地を諳《そらん》じた。

 新大阪駅からタクシーで阪神国道を走り、夙川《しゆくがわ》の一之瀬の家を探しあてた時は七時を過ぎていた。コートを手に門のベルを押すと、下駄の音がし、和服に寛《くつろ》いだ一之瀬工場長が門を開け、二子の姿に驚いた。

「夜分に突然、お伺いして失礼致します」

 と挨拶《あいさつ》すると、

「こんなところでは風邪をひかれますよ、家内が親類の取込みごとで出かけていて、おもてなしが出来ませんが、ともかく内《うちら》へ――」

 玄関の中へ二子を請《しよう》じ入れ、奥の方に向って、

「四々彦、二子さんがおいでだから、応接間にストーブをつけなさい」

 と云うと、四々彦はセーター姿ですぐ出て来、

「どうかしたのですか、二子さん」

 疲れた二子の表情を見て取り、心配そうに聞いた。

「それよりストーブが先だ、私はポットのお茶を持って来てあげよう」

 一之瀬工場長が急がせると、

「いえ、私、東京からの帰りで、すぐ失礼しなければなりませんので、こちらで――、実は兄のことでお伺いしたいことがございますの」

 内玄関にたったまま云い、二子は一之瀬工場長の方へ顔を向け、はっと胸を衝《つ》かれた。更生会社での心労が多いせいか、僅《わず》かの間に白髪が増え、老いが滲《にじ》み出ていた。

「万俵専務が、どうかなさったのですか」

 一之瀬工場長は、四々彦が奥から運んで来た石油ストーブを二子の方へ寄せながら聞いた。

「兄は家族とともに東京へ移った翌々日、暫く一人になって考えごとをしたいからと、行先も告げずに出かけたそうですが、私、なんだかとても心配で……もし、兄の行先にお心あたりがございましたら、お教え戴《いただ》きたいのです」

 と云うと、一之瀬父子は顔を曇らせた。

「専務は、東京でご家族とご一緒だとばかり思っていましたよ――」

 一之瀬工場長がぽつりと云うと、四々彦は、

「僕も、東京へお発《た》ちになる前夜、お電話でお話ししたけれど、そんなことは全然、おっしゃっていなかった――、ただ、新大阪駅へお見送りに行きたいので時間を伺うと、プライベートなことだからと断わられ、誰にも会いたくないお口振りでしたが――」

「そうですか、じゃあ私、今日のところはこれで失礼させて戴きます、かえってご心配をおかけしたようで、申しわけございません」

 二子は肩を落し、辞しかけると、一之瀬工場長は、

「専務のことですから、心に期するところがあって、お一人になられたのでしょうが、深く傷ついておられる時だけに、全くお一人で行先もおっしゃらないというのは……、ともかく心当りをあたってみますから、あまりご心配なさらず――」

 自身の不安を抑え、二子を力づけるように云い、四々彦に二子を家まで送るよう云いつけた。

 二子は夜分の訪問を詫《わ》び、四々彦の運転するブルーバードに乗った。夙川沿いに山手に上り、芦屋から御影《みかげ》にぬける道を、四々彦は黙って車を走らせた。二子は一日の疲れがどっと出て来るのを覚えながら、

「あなたのお父さまは、帝国製鉄の管財人が入った更生会社で、随分、ご苦労なさっているのでしょうね、白髪三千丈という中国の故事を思い出して、胸が塞《ふさ》がる思いがしました」

 凍るような月の光を受けてきらきら光る川面《かわも》に眼を向けて云うと、

「父は何も云わないけど、従来の会社の社風、生産方式など無視したやり方を、すべて“会社再建”という大義名分で強いられ、管財人と現場の間に挟《はさ》まって、毎日が針の筵《むしろ》に坐《すわ》っている心境だと思いますよ、中でも一番辛《つら》いのは、専務のご意思に反し、高炉の稼動《かどう》が無期延期されたことです」

 ハンドルをきりながら、四々彦は眼に怒りを燃えたたせた。

「無期延期ですって! 熱風炉さえ補修すればもう完成だということなのに、なぜなの?」

「高炉を稼動させるには、巨額の運転資金が要るので、会社再建が軌道に乗るまでは動かさないというのが、管財人の方針なのです」

「でも、高炉を稼動させ、一貫生産した方が、得策ではありませんの」

「専務も父も、むろん僕だって、それが会社再建の早道だと主張したのだけど、要は帝国製鉄は不況でだぶついている自社の銑鉄《せんてつ》を使わせるつもりらしい」

「すると、兄の造った高炉は、幻の高炉というわけ……」

 二子が思わず息を呑《の》むと、四々彦は黙った。歯を食いしばり、何かに耐えている横顔であった。

 車が芦屋に入った時、

「僕、今月一杯で阪神特殊鋼を辞め、アメリカへ行きます」

 静かな声で云った。

「兄から伺っていました、アメリカのどちらへいらっしゃるの?」

「マサチューセッツ工科大学時代の指導教授の推薦を得て、ピッツバーグにあるUSスチールの技術開発研究所へ就職する予定です」

「私も、四々彦さんにお知らせしたいことがありますわ、今日、帝国製鉄秘書課勤務の婚約者に、直接、お会いして、婚約解消を申し入れて来ましたの」

 と云うと、四々彦はブレーキを踏んで車を止めた。強い衝動が体に響いた。

「ほんとですか、それ……」

 四々彦の眼に、深い感動があった。

「そのために上京したのですわ、今頃、家では大へんな騒ぎでしょうけど、私――」

 それ以上は言葉にならなかった。四々彦の腕が、強く二子の体を捉《とら》えた。

 赤坂のマンション八階にある小泉元駐仏大使夫人の広い客間《サロン》は適度に暖房がきき、水槽《すいそう》の熱帯魚が、群れるように華やかに遊泳している傍《かたわ》らで、チンチラのストールを肩にかけた小泉夫人がたっている姿は、珍妙な取り合せであったが、今日の高須相子は、そんな品定めをしている気持の余裕などなかった。

「あら、私、出かけるところでございましたのよ、お時間はどれぐらいかかりまして?」

 小泉夫人は、頭から切口上に云った。

「申しわけございません、お電話でご都合を伺った上でと存じましたが、ことがことだけに、何はさておいても一刻も早くお詫びにと存じまして――」

 飛行機で羽田に着き、まっすぐ駈《か》けつけて来た高須相子は、言葉丁寧に云いながらも、外出着姿の小泉夫人の前に坐り込むように腰を下ろした。

 昨夕、突然、小泉夫人から万俵家へ電話がかかって来、二子が細川一也に直接、婚約解消の申し入れをしたことを報《しら》されたのだった。あまりの唐突《とうとつ》な出来事に、とっさに相子が応《こた》えられずにいると、小泉夫人は激しい口調で、その非常識さと無礼を詰《なじ》り、事情の説明を迫ったが、二子がまだ帰宅していなかったから、ともかく当人が帰り次第、事情を聞いた上で、お返事をさし上げますと、電話をきったのだった。

「それで昨日の件は、一体、どういうことでございますの、細川家や私たちの、普通の常識では、とても考えられないことでございますわ」

 小泉夫人は、昨日からの怒りがこみ上げて来るように云ったが、相子はどこまでも下手《したで》に、

「昨日、お電話を戴きました時点では、とても信じられなかったのでございますが、本人が帰宅致し、事実であることを知り、父親の万俵をはじめ、家族一同は愕《おどろ》き、何とお詫び申し上げていいのやら……」

 口ごもると、小泉夫人は、狆《ちん》のように寸詰りで、鼻の低い顔をつんとそらせ、

「今さらお詫びなど云って戴いても、どうなるものでもございませんわ、当方が伺いたいのは、結納もおさまり、来春の挙式の日取りもきまっているという段階で、婚約を解消することは両家にとって由々しい問題です、下手をすると、週刊誌のスキャンダルにもなりかねないことを、あえてなさる限りは、何かそちらのご家族、もしくはご親戚《しんせき》さまで、細川家との縁組にご不満な点でもおありなんざんすか」

「とんでもございません」

 即座に否定すると、

「じゃあ、私のお見受けするところ、良家の子女としての常識をちゃんとわきまえておられる二子さんが、どうして、ご自分のご家族にも、仲人役の私にも、一言の断わりもなく、いきなり、細川一也に婚約解消を申し入れたりなさったのですか」

 有無を云わさぬ云い方をし、女性用のシガレット.ケースから煙草《たばこ》を取り出して、火を点《つ》け、

「大へん申し上げにくいことですけれど、万俵さまのご家庭や私たちの知らないところで、二子さんご自身が、細川一也と結婚したくない、もしくは出来ないことでもおありなんざんすか」

 煙草をふかしながら、ぐっと押え込むように云った。相子は一之瀬四々彦のことを思い、ぎくりとしたが、

「二子さんに限って、そんなことがあろうはずがございません、昨夜、当人の両親がよく話し、私も同席致しましたが、どうやら、ことを取り違えているようでございますわ」

「ことの取り違えとおっしゃいますと?」

「実は、当人の兄の万俵鉄平が専務をしておりました阪神特殊鋼が倒産し、帝国製鉄から来られた管財人によって、兄が会社を追われたことが、人一倍兄思いの二子さんにとって、大へんな衝撃《シヨツク》だったらしく、帝国製鉄勤務の細川さんに嫁ぐことは、まるで敵のところへ嫁ぐような気持になって、つい衝動的に、常識では考えられないことを致してしまったようでございます」

「さようでございますか、さすがは関西の大実業家のお嬢さまでいらっしゃいますこと、ご自分の結婚と、お兄さまの会社の倒産とを同じ次元でお考えになるなど――、でも、それは理由になりませんことよ、それとも、高須さん、あなたが、そのようなご教育を遊ばしたのかしら? どんな事情があるにせよ、ちゃんと仲人《なこうど》役の私がおりますのに、私を無視して、いきなり当人に婚約解消を申し入れられるなんて、それがアメリカ式なんざんすか、私はソルボンヌでございますから、フランスの厳しい家庭教育を尊重致しております」

 フランスへ留学した者が共通して持つ、アメリカ蔑視《べつし》のいや味な云い方をした。相子は内心、むっとしたが、ことさらに視線を落し、

「今回のことは、ひとえに家庭教師であった私の教育の至らなさでございます、当人にはよく話し、心を入れ替えさせて、近日中に細川家と一也さまにお詫びに参上させますから、今暫《しばら》くの間、ご猶予《ゆうよ》下さいまし」

 と頼み込んだが、昨夜、大介と相子が、交互に二子を宥《なだ》めすかしても、二子の決心は変らず、「細川さんとの婚約解消が、万俵家として許されないのなら、私は万俵家を出ます」とまで云いきっているのだった。それでも相子は、大介から、二子は自分の力で必ず説得するから、細川家が何と激怒し、小泉夫人から何と云われようが、今暫く日を稼《かせ》ぐよう強く指示されているのだった。

「まあ、わざわざ、高須さまが上京していらしての口上が、暫く暫くということだけでございますか、こんなこと、一也さんの伯母の佐橋総理夫人の耳に入れば、黙ってはおりませんことよ」

 自分の又《また》従姉妹《いとこ》のことをわざとらしく、総理夫人という云い方をし、

「この際、誤解のないように申し上げますが、何もお気の進まない結婚を無理にとお願い致しているわけではございません、細川一也の父は、文化功労章受章の日本を代表する建築家でございますし、母親の実家はご承知のように大手建設会社で、一也自身は東大法学部出身、帝国製鉄秘書課勤務とあれば、憚《はばか》りながら、良縁にはこと欠かずでございますから、万一、婚約解消の羽目にたち至るような場合は、当方から破談を申し出たことにして戴きますわ、それがそちらさまが、細川一也に対するせめてもの陳謝じゃあございませんこと?」

 小泉夫人の言葉が、鋭い棘《とげ》になって相子の胸に突き刺さった。

「破談――、そんなことになるはずがございませんわ、いいえ、そんなことがあっては、第一、私が……」

 と云いかけ、言葉をきった。今、細川一也と二子との婚約が破談になることは、万俵家における閨閥《けいばつ》推進役である自分の立場を損《そこな》い、万俵家における自分の存在価値を低くし、やがては自分の立場の崩壊に繋《つな》がって行くような予感がした。そう思うと、どんな手段をもってしても、鉄平に続いて二子が、万俵家を去ることを阻《はば》み、細川一也との華燭《かしよく》の典を恙《つつが》なく終えさせることだと思った。

「あなたさまのご体面を穢《けが》すようなことには、絶対致しませんから、今暫くのご猶予を――」

 相子はそう云い、小泉夫人の返事を待たず、席をたった。

 十二月下旬の夜気は、肌を刺すように冷たかったが、相子は昼間、二子の縁談のことで話した小泉夫人の言葉を思い出すと、煮えくりかえるように体がほてった。いかに万俵から命じられたこととはいえ、二子自身の無断の婚約解消申入れの陳謝のために、小泉夫人から、云いたい放題をけたたましい声で云われ、それに対して返す言葉もない立場であったことが口惜《くや》しかった。

 いつの間にか、英国大使館の前まで来ていた。この裏側が阪神銀行の行邸であったが、タクシーを乗りつけなかったのは、夜気の冷たい道を少し步いてみたかったからである。

 相子は行邸の脇《わき》門から玄関へ入り、管理人夫婦に声をかけて、自分専用の一階東端の部屋へ入った。十畳程の洋室に机とベッドとドレッサーが置かれ、在京中の仕事を片付けたり、自由に寛《くつろ》ぐことのできる部屋であった。外から入って来ると、暖房がきき過ぎ、汗ばむほど暑かった。相子はすぐコートを脱ぎ、スーツを脱いで着替えにかかった。ドレッサーの鏡の前にたって、スリップ一枚になると、月二回の全身美容で手入れの行き届いている豊満な体が剥出《むきだ》しになった。子供を産んでいない形のいい乳房《ちぶさ》が盛り上り、蒸れるような女の匂《にお》いに包まれている。そんな自分の体を見詰めると、相子は、まだまだ万俵大介を惹《ひ》きつける魅力に満ちていることに自信を持ち、間もなく行邸へ帰って来る大介のために、洋服ダンスからチャコール.グレーのジャージーのワンピースを選び出して、着替えた。大介も今朝《けさ》、飛行機で上京し、今夜は美馬中と話すために、宴席を早くきりあげて帰邸することになっていた。

 書生が、美馬の来訪を告げに来た。

「応接室でお待ち願っておりますが、お出になりますか」

「ええ、すぐご挨拶《あいさつ》に参りますわ」

 相子は鏡の中に映る地味であるが、シックな装いを確かめてから、応接室へ出た。

「美馬さま、お待ち申し上げておりました、間もなく頭取も帰られる頃でございます」

 相子は書生たちの手前、ことさら鄭重《ていちよう》なもの腰で挨拶した。書生がお茶を運んで退《さが》ると、美馬は、

「細川君との夕食はどうだった? 僕はどうにも時間の都合がつけられなくて失敬――」

 相子は、小泉夫人を訪れたその足ですぐ帝国製鉄の秘書課へ電話をし、細川一也の都合を聞いて、銀座のマキシムへ食事に誘い、美馬にも同席を求めたのだったが、予算編成で忙殺されている美馬は、ぬけられなかったのだった。

「細川一也さんって、大へんなスタイリストね、こちらは頭から二子さんの非礼を詫びているのに、自尊心と面子《メンツ》にこだわり、頻《しき》りに強がりを云ってらしたけれど、私の眼は騙《だま》されませんわ、まだ二子さんに未練たっぷりだから、充分、細川さんの顔をたてた上で、巧《うま》く話を繋いで参りましたわ」

「それなら僕も近日中に時間をやりくりして、一子を連れて細川家と狆夫人のところへ足を運んでおこう、それにしてもお舅《とう》さんは、若い娘の一人ぐらいの始末が出来ないのかね、一子の話では、鉄平君も大川家を出たまま、いまだに行先《ゆきさき》が解《わか》らないそうだね」

「ええ、無責任この上ない話ですわ、何もかも、もとはといえば鉄平さんから端を発しているのですよ、あの人のせいで阪神特殊鋼は倒産し、万俵家の一族主義はあの人が岡本の邸《やしき》を出たことで崩れかけ、二子さんにどれだけ悪い影響を与えたかしれやしません、この頃、思い通りに行かないことばかり重なって」

 苛《いら》だたしげに云うと、

「君もそろそろ、身の振り方を考え直した方がいいんじゃないかな」

 美馬が誘いかけるような表情で云った時、門の方でクラクションの音がし、書生たちが慌《あわただ》しく玄関に出迎える気配がした。

「やあ、中君、待たせてしまったね」

 万俵は、応接間に入り、書生に飲物を云いつけた。

「いや、私はこの後、徹夜で農林省と米価の折衝に入らねばならないので、話が終り次第、役所へ戻りますから」

「そう――、そんな忙しい時、二子のことなどで世話をかけ、すまないね」

「今度の縁談は、お舅さんの方のご要望で、元総理秘書官の井床銀行課長に僕が橋渡しを頼んだところからそもそもはじまり、帝国製鉄の兵藤副社長も大いに喜んで下さっているのですから、万一、まずい結果になると、私としても困った立場にたつわけですよ、ご承知のように、大蔵省は閨閥結婚が多く、入りくんでいて、とんだところで人の恨みを買いかねませんからねぇ」

 遠廻しにいや味な云い方をした。万俵は苦い顔をしたが、

「君には迷惑の及ばないよう考慮する、こうなれば一之瀬四々彦の父親の一之瀬工場長を呼んで、息子に意見するよう話すよりほか仕方がない」

 さすがの万俵も頭を抱えるように云うと、美馬は、

「それからさっき高須君に聞いたのですが、鉄平君の行先が依然として知れないというのは、困りものですねぇ、心あたりはあたってみられたのですか」

「もちろんだ、鉄平のたち寄りそうなところは全部、電話をしたが、どこにも行っていない」

「そうですか――、あの人はしっかりした人物だから、めったなことはないと思う反面、今度は何事を起すのかと気が気じゃありませんよ」

 鉄平が父である万俵大介を告訴した顛末《てんまつ》を聞き知っている美馬は、警戒するように云った。その気持は大介とても美馬以上に強く、不吉な思いが絶えずまつわりついて離れなかったが、敢《あ》えて黙殺するように口を噤《つぐ》んだ。

「時にお舅さん、今日、僕のところへ社民党の中根正義議員から電話がありましてねぇ」

 美馬は改まるように云った。

「ほう、大蔵委員の中根議員がねぇ、何だね」

「今日の大蔵委員会の理事会で、阪神特殊鋼倒産に関連し、銀行側の責任を、委員会が追及することに決まったと報せて来たのですよ」

「なに、今日の理事会で決まった――」

 万俵の顔色が動いた。

「奴《やつこ》さんは大蔵委員会の理事ですから、間違いない情報ですよ、代表質問者はラッキーなことに中根らしいですよ」

 中根正義なら、地元の神戸出身の社民党代議士だが、選挙区の党籍の制約から社民党から出ているだけで、事情さえ許せば、いつでも自由党から立候補するというような体質の代議士であった。地元議員ということもあって、万俵大介は大蔵委員会の理事の中でも、盆暮の挨拶はもとより、日頃のつき合いを格別深くしていた代議士であったから、

「可笑《おか》しいね、中根正義なら、日頃のつき合いから云って、私か、少なくとも芥川君に、まず報せて来てもよさそうなものだが――」

「そこが、奴《やつ》らの術《て》なんですよ、お舅さんに報せれば、万俵大介一人にだけ恩を売ることになりますが、私に報せると、私とお舅さんの関係から二人分に恩を売ることになりますからね、小ずるいやり方ですよ」

 吐き捨てるように云い、

「しかし表向きはどこまでも慇懃《いんぎん》に、お電話のほどを感謝し、舅《ちち》に早速、伝えますが、今日、明日の先生のご予定はと聞くと、案の定、その含みでかけて来ているらしく、明日なら六時以後、あいていると応《こた》えましたよ」

 万俵の眼に、一見、紳士風の革新代議士で、毎年、年賀に阪神銀行本店へ現われる中根代議士の顔が思い浮かんだ。

「中君、何よりもの情報だ、早速、芥川に云って、明晚、中根議員ととっぷり懇談させることにするよ」

 と礼を云うと、美馬は、

「こういう事態が起って来ると、よけいに二子ちゃんと細川君の縁談が、関連事項になって来るというわけですよ、何としても縁談《はなし》をもとに戻して下さらないとねぇ」

 念押しした。

 相子はずっと黙って控えていたが、その大きな眼には女豹《めひよう》のような鋭い光が湛《たた》えられていた。飾棚の上のウェストミンスター時計が九時半を告げた時、

「じゃあ僕は、今晚はこれぐらいで――、いずれにしても政治家の方からわざわざ電話をかけて報せてくれたのですから、こちらとしては、万遺漏のない用意をしてかかられることですね」

 美馬は、女のような赤い唇に、微妙な笑いを漂わせ、大蔵省へ引っ返した。

 阪神銀行東京事務所長の芥川は、机の引出しから行名入りの紙封筒を取り出すと、その中身を改めた。新札の一万円紙幣五、六ミリの束で、はらりと扇を開くような慣れた手つきで、新札をひろげると、かすかなインクの匂いと真新しい紙の匂いがする。芥川は二枚ずつ、指先で紙幣を数え、改め終ると、無地の封筒に入れ替えて、ホッチキスで封をし、無造作に上衣《うわぎ》のポケットに入れた。

 外はもう昏《く》れはじめていたが、大手町の金融街のビルには、蛍光燈《けいこうとう》が明るさを競うように輝いている。芥川は、受話器を取り上げると、大蔵省担当の忍者である伊佐早五郎を呼んだ。

「銀行局の久米《くめ》総務課長に、会って来たかね」

 伊佐早の顔を見るなり、聞いた。

「三時過ぎに会って参りました、大蔵委員の先生方は、昨日《きのう》の理事会で、阪神、大同両行頭取の喚問を強く主張されたようです」

 かねがね、大蔵委員会で融資銀行の責任問題が取り上げられる場合のことを考え、伊佐早五郎は、大蔵委員会と密接な連絡のある銀行局総務課を特にマークして、朝夕、貼《は》りついているのだった。芥川は既に昨夜、万俵頭取からの電話で、大蔵委員の中根代議士が、阪神、大同両行頭取を喚問する模様であることを聞かされていたが、さらに自行の忍者によって、秘《ひそ》かに大蔵省サイドからの裏を取らせているのだった。

「総務課では、頭取喚問を融資担当の役員ですませようという気配はないのかね」

「両行の融資担当役員ですめば、政府参考人側は春田銀行局長の出席だけで、大蔵大臣の出席が免れますから、その線でおさめようと、大蔵委員の理事と折衝したらしいですが、押しきられたようです」

「代表質問の委員は、中根正義議員に間違いないね」

「はい、それは確かめました」

「では、五時半に中根代議士を第三議員会館へ迎えに行ってくれ給《たま》え、場所は渋谷円山《まるやま》町の『はつ音《ね》』だ」

 芥川が指示すると、伊佐早はその場所柄から推して、単に人目を避けるためではなく、相当、きわどい根廻しをするに違いないと、忍者特有の勘を働かせた。

「畏《かしこ》まりました、では銀行の車でなく、ハイヤーでお迎えに上ります」

 と応え、部屋を出て行った。

 道玄坂を上りきった右が、円山の花街で、間口は狭いが小粋《こいき》な待合が軒を並べている。枕《まくら》を持って飛んで步く芸者が多いと囁《ささや》かれているだけに、灯《ひ》ともし頃ともなれば、そうした芸者目あての客たちが、そそくさと黒塀《くろべい》の中に吸い込まれて行く。

 芥川が待っている『はつ音』の二階の奥座敷へ中根正義が現われたのは、約束の時間から五十分も過ぎていた。顔だちは弁護士出身の代議士らしく知的な雰囲気《ふんいき》を持っていたが、五十そこそこにしては派手過ぎるプリントのネクタイを締めている。

「これは先生、ご多用の中を恐縮でございます、さあ、どうぞ、どうぞ」

 芥川は下へもおかぬもてなしで上座《かみざ》をすすめると、中根は床の間を背に趺坐《あぐら》をかき、

「君の銀行も、いよいよ大へんになって来たねぇ」

 開口一番、意味深長に云った。

「いや、全く頭取も今度ばかりは頭を痛め、中根先生のお力にお縋《すが》りするよりほかにないと申しておりまして――」

 困惑しきった顔つきで、まず今日のお願いの筋を匂わせ、酒と料理を運んで来た仲居を退《さが》らせて、芥川自身が酌をした。

「君、その件なら主計局の美馬君にちょっと伝えておいたが、昨日の理事会はそりゃあ、ひどいものだったんだからねぇ」

 ことさらに理事会の空気を誇張して云った。

「これはますますもって、弱りましたねぇ、ひどい、と申されますと、たとえば理事の先生方の中で、何党の何先生が、特に問題にしようとしておられるのでしょうか」

「自由党の川北君や公正党の柳君らは、大したことはないが、問題はうちの党のもう一人が、メイン.バンクの万俵頭取を徹底的に吊《つる》し上げると、意気込んでいる」

 大蔵委員会の理事は、自由党二、社民党二、民主党一、公正党一の計六名で構成されている。

「もう一人とおっしゃると、荒尾留七先生が――」

 芥川は、ぎくりとした。荒尾代議士は、東北の農家の七男に生れ、村の郵便局員から、組合幹部にのし上って選挙に打って出た筋金入りの社民党代議士で、大蔵委員会の“爆弾男”であった。

「で、荒尾先生は何をもって万俵頭取を吊し上げると云っておられるのですか」

「いろいろ挙げていたが、要するに阪神特殊鋼倒産問題は、新聞だけ見ていると、どうももやもやして解らん点が多い、ことに銀行側の責任については大同銀行の三雲頭取一人が放漫融資をした如《ごと》く書きたてられているが、メインの阪神銀行はその時、何をしていたのか、サブ.バンクがあれだけ支援している企業に、メインがなぜ救済の手をさし伸べず、途中で逃げてしまったのか、その真相を万俵頭取に聞き糺《ただ》すべきだというのだよ」

「ほう、そういう誤解のされ方も世の中にはあるのでございますかねぇ」

 芥川は、空とぼけながら、まめまめしく酌をし、それならなおのこと、万俵頭取が大蔵委員会に出席することは危険だと思った。

「代表質問におたちになる中根先生とは長年のお付き合いで、万俵の人となりはよく知って戴《いただ》いており、大蔵委員会でありのままにお答えすれば、ことはすみましょうが、世間では万俵のことを血も涙もない冷酷な銀行家と云う人もおり、どうも荒尾先生もそのようなイメージで誤解しておられるご様子ですね、大蔵委員会で、万俵が自分のことをとかく弁解するのも可笑《おか》しなものですので、ひとつ当行の融資担当役員の代理出席ということで、ご容赦戴くわけには参りませんでしょうか」

「それは到底、無理な頼みだねぇ、理事会で不審を持たれている上に、当人が欠席すれば、荒尾君は、本気で君のところの銀行内を嗅《か》ぎ廻りはじめるよ、そうなってもかまわんのかねぇ」

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