饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15403 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「ほう、そんなことをやっていたなど知らなかったねぇ――」

 石川社長はやや不快げに云い、経理担当の銭高と営業担当の川畑も心外な顔をした。というのも、阪神特殊鋼は、鉄平を中心とする技術屋グループで主流を占められ、ともすれば技術偏重になって、事務系統が軽んぜられる社風があったからだ。

「それに致しましても、技術グループの方々がどういう計算をして、そんな報告を専務に申し上げたのでしょうかねぇ、なにしろ、高炉というのは、電気炉のように生産量に合わせて、自由に止められるものではなく、稼動し始めたら、故障が起らない限り、三百六十五日、のべつまくなしに銑鉄が出て来るから、製品をしゃにむに作らなければなりません、それだけの製品をはかす市場がほんとにあるんでございますか、その見通しなしに、資本金の数倍もの大事業をそう簡単に決めるわけには参りませんからねぇ」

 銭高は三年前に阪神銀行からさし向けられている常務だったから、高炉建設が決定されれば真っ先にその皺寄《しわよ》せをかぶる立場にあり、最初から反対であった。

「その懸念《けねん》は二年前にも聞いたよ、しかし、通産省が二年前に出した見通しはかなり強気だったが、実績は常にそれを上廻っている、それからみると、今後も需要の過半を占める自動車産業は、資本の自由化に対処するため、設備投資を続行して大幅な増産計画をますます進め、ベアリングはいくら生産しても追いつかないぐらいだし、特殊棒鋼でもわが社は輸出に力を入れているから、需要について僕は強気なんだ」

 浅黒い顔を引き締めて、鉄平は力説した。

「しかし高炉をもって一貫生産すれば、原価はいくらに下りますか、そのあたりを綿密に計算しないことには――」

 営業担当の川畑常務が質問した。

「細かい数字は、改めて役員会で報告させるが、鉄源だけでトン当り五千円、最終的な製品の段階まで考えると、最低一万五千円は、コスト.ダウン出来る計算だ」

「専務がおっしゃるように安くなるのでしたら、大いに売りまくりたいところですが、業界のシェアはある程度、がっちり固められていますから、急に今までの二倍も三倍もの製品を売り込むことができますかねぇ」

 川畑は製品が売れさえすれば賛成だという営業マンらしい云い方をした。

「需要がある限り、価格が安くなれば製品は売れるし、シェアも拡げられる、それが経済の原理じゃないか」

 鉄平がきめつけるように云うと、経理の銭高常務は口髭を撫《な》でながら、

「ところが現実はそう簡単に参りません、売れるというはっきりしたメドもなしに高炉をたてて、三十九年の時のような大不況に出くわしでもしたら、どういうことになりますか、いくら大幅なコスト.ダウンが出来たとしても、そうした不況の場合のことを考えたり、膨大な設備資金の金利や、新たにかさむ人件費やらを考えると、私たち経理畑の者にはそら怖ろしいような計画でございますね」

 鉄平の営業的な甘さをただし、その度に金繰りの苦労をさせられている者の皮肉が籠《こ》められていた。鉄平は最前から黙っている工場長の一之瀬を見やった。

「一之瀬君、君はどう思う?」

「私は心情的に申しまして、どんなに小さくてもいい、高炉が持てたらと、常々思っています、しかし高炉建設の技術をどうするのか、それを考えますと、正直云って、躊躇《ちゆうちよ》せざるを得ないのですよ」

 温厚な語調で云うと、石川社長はわが意を得たように頷《うなず》き、

「もっともだ、それだけに慎重な上にも慎重に考えて貰《もら》いたい、だいたい日本のどの特殊鋼メーカーもまだ手をつけてない高炉建設を、なんでよりによってうちが冒険しなければいかんのか、そこのところが私にはさっぱり解らんのだよ」

 と云うと、鉄平は精悍《せいかん》な眼をぎらりと光らせた。

「今、皆さんが云ったような懸念をすべて考えた上で、なお断行しようというのが僕の結論です、問題は資金調達が可能かどうかという点だが、これは、専務である僕が全責任をもつ、つまりメイン.バンクの阪神銀行に融資を依頼すると同時に、サブ.バンクの大同銀行にも、強く協力方《がた》を懇請する、幸い、今度、日銀から大同銀行の新頭取に就任された三雲《みぐも》さんは、私がマサチューセッツ工科大学に留学していた時、たまたま日銀のニューヨークの駐在参事をしておられた関係で親交があり、特に公共的な産業の育成に関心の深い人だから、大いに期待出来ると思う」

 もはやそれ以上、鉄平に反対する者はなく、資金調達さえ可能ならばという空気に変って行った。

 万俵家の芝生の庭の横に、ボイラー暖房の洋蘭《ようらん》の温室がある。三十坪ほどの広さのなかに、カトレア、シプリペジウム、ミルトニアなど、百数十種類にわたる洋蘭が、紫、紅、淡桃色、黄、ブルーと、色とりどりの花を咲かせ、室内は春のような温かさだった。

 寧子《やすこ》は、昼食後、庭番夫婦に鉢の植替えや株分けをさせ、自分はピンセットで根ぎわに生えている雑草を一本一本、丹念に抜き取っていた。

「奥さま、大丈夫でおますか、新《さら》のピンセットの先は尖《とが》ってまっさかい、お手を傷《いた》めはらんといておくれやす」

 庭番が気遣うように云うと、寧子は五十半ばとは思えぬ細面の白い顔をかしげた。

「大丈夫よ、私でも蘭のことなら人並に出来ます」

 家事は何一つ出来ない寧子だったが、洋蘭栽培に関しては人並以上だった。昔から洋蘭は王侯貴族の趣味と云われて、実家の嵯峨家も戦前からそれに凝り、専門の園丁までいたほどだから、見よう見真似で覚えたのだった。

 ガラス越しに、鉄平の妻の早苗の姿が見えた。クリーム色のカーディガンの衿《えり》もとを寒そうに合わせ、温室へ入って来るなり、カーディガンを脱いだ。

「お姑《かあ》さま、相変らず、お精がお出になりますこと、温室に入ってらっしゃるときが、いちばん生甲斐《いきがい》を感じてらっしゃるみたい――」

 寧子はそうかもしれないと思った。家事をはじめ、家内《いえうち》全般の差配を相子が取り仕切っている万俵家の中で、たしかに自分のすることといえば、昔から続けている鼓《つづみ》の稽古《けいこ》と洋蘭の栽培ぐらいだった。特に今日のように、夫の大介が東京へ出張している日は、のんびりと、殆《ほとん》ど一日中、温室で過してしまう。

「鉄平さんは、このところまたお忙しいようね」

「ええ、なんだか、また大きなお仕事が始まるようですから、致し方ありませんわ」

 早苗は、政治家の娘らしく割り切った云い方をした。

「それは大へんね、ところでいかが? あなた方のお部屋へどれかお好きなのをお持ちになっては」

 寧子が云うと、早苗は棚の上に並んでいる鉢の一つ一つを覗《のぞ》き込み、純白の大輪《たいりん》の花に目を止めた。

「皇太子さまご夫妻がハワイへご訪問になった時、美智子妃殿下がお好み遊ばしたというのに因《ちな》んで、クラウン.プリンセス.ミチコと名付けられたそうです、清楚《せいそ》で気品がございましょう? それを上げましょうか」

「まあ、およろしいの、嬉《うれ》しいですわ」

 早苗は、純白のカトレアの鉢を両手で大事そうに抱え取ったが、

「そうそう、お姑さま、今、母屋《おもや》におりましたら、芦屋の千鶴《ちづる》叔母さまからお電話がございまして、この前の日曜日、お姑さまにお電話でおことづけをしておいたのに、お返事がないけれどと、少しお冠《かんむり》のご様子でしてよ」

 と伝えて、温室を出て行った。寧子は、思わずピンセットの手を止めた。この前の日曜日、大介と美馬がゴルフに出かけている留守中に、大介の妹の千鶴から電話がかかり、帰宅したら大介に伝えると云っておきながら、ついうっかり忘れてしまい、夜になってから大介の寝室へ電話をかけたのだった。しかし受話器を通して相子のただならぬ息遣いを聞き、慌てて電話をきってしまったのだった。あの時のなまなましい気配を思い出しながら、寧子は、相子という一人の女性の存在が、かつては自分を自殺に追いやったこともあるのを、今さらのように思い返した。

 寧子が十九歳で嫁いで来た最初の夜、夫の大介は、お前は幼な過ぎる、昔から宮さまや華族の出の女は、交わりのあと始末も人にして貰うほど幼いと聞いていたが、お前もそれと同じだなと云った。そのくせ、その幼さを愉《たの》しむように、寧子の手を取り足を取って、営みの技巧を教え込んだのだった。鉄平を妊《みごも》ると、忽《たちま》ち寧子の体から遠ざかったのは、結婚前から面倒をみている女がいたからだった。それを知っても、寧子がさほど取り乱さなかったのは、寧子に随《つ》いて実家の嵯峨家から来ていた老女から、かねがね十四代も続いている万俵家のような家に嫁いだからには致し方のないことで、その上、大介は人一倍、その方の欲求が強いようだから、今後も女性関係での苦労は覚悟しなければならないと、因果を含められていたからだった。そして次第にそうしたことが、寧子にも当り前のことのように思われて来たのだった。

 したがって高須相子が、子供たちの家庭教師として万俵家へ入って来た時、寧子は大介と相子もいつかは、という諦《あきら》めに近い気持を抱いていた。しかし現実に、半年目に二人の関係が出来たことを知った時は、今まで感じたことのない苦痛を覚えた。これまでと違って、夫の体と繋《つな》がっている相子と同居しなければならぬ上に、長男の鉄平の眼に、それが触れたからである。それでも寧子が何も云い出さなかったのは、公卿《くげ》華族の家で手作りの雛《ひな》人形のように育てられて、人と争ったり、自分を主張したりする強い意志と性格に欠けていたからだった。それだけに、舅《しゆうと》の敬介が死亡したのを境に、公然とした形を取りはじめてからも、抗《あらが》いようがなかった。これまで夫婦の寝室だった部屋の前に、新たに寧子と相子の寝室をしつらえ、晚餐《ばんさん》の時は二人が一日交替で大介の左側の妻の座に坐《すわ》り、その夜の寝室も共にすることになっていた。初めのうち寧子は、さすがにそれを拒んだ。しかし、相子は冷然とした表情で、「じゃあ、あなたご自身でお子さまの教育から家事の管理を遊ばしますか」と云い放った。寧子が嫁いで来る時に随いて来た老女も既にいなくなり、相子に対抗し得るだけの能力を持たない寧子は、そう云われれば、無念の思いをこらえるより仕方なかった。

 妻の座を犯す女性と一つ家《や》に顔を合わせ、何気なく装い、さり気なく語り合う生活は、寧子のように人と争うことの出来ない性格の者でも、時々、万俵家を去ってしまいたい衝動に駈《か》られた。しかし長男の鉄平は別として、他の子供たちが、母の身にそんな変化が起っているなどとは知らず、豊かに満ち足りて、美しく育っている姿を見ると、心が鈍った。それにもかかわらず、子供たちのためという寧子の最後の心の支えさえ、無惨《むざん》に引き裂かれるようなことが起った。

 それは、一日交替で妻の座を替ることになってから二年目の新年を迎え、例年通り年末から一家揃《そろ》って、志摩観光ホテルで過して帰って来た夜の出来事だった。その夜は、寧子が夫と同衾《どうきん》する日であったから、いつものように白絹《しらぎぬ》の夜着《よぎ》に着替えて、大介の寝室へ足を踏み入れたが、その瞬間、寧子は思わずたちすくんだ。いつの間に誂《あつら》えて運び込まれたのか、今までの古い二台のベッドに替って、新調の豪華なベッドが三台並んでいた。三台の真ん中がダブル.ベッド、両側がシングルで、その一方には相子の豊満な肢体が横たわっていた。呆然《ぼうぜん》として大介を見詰めると、「今夜から時々は、こうして三人で同衾しようじゃないか」と云うなり、寧子の体を真ん中のダブル.ベッドへ引き入れ、同時に隣のベッドの相子をも引き入れ、両腕に二人の女の体を抱いたのだった。寧子は、必死に抗ったが、相子はなまなましい息遣いで大介の体にまとわりついていった。そして眼も眩《くら》むような行為が、寧子の目の前で行われ、あまりの恥ずかしさに嗚咽《おえつ》しかけた寧子をも、やがて獣のような交わりの中へ加えたのだった。屈辱に体が灼《や》け爛《ただ》れ、心も狂いそうになって、交わりが終った時、寧子は万俵家を去る心を決めた。これまでも妻妾《さいしよう》同居の生活に耐えて来たが、妻の立場を完膚《かんぷ》なきまでに踏み躙《にじ》る妻妾同衾という屈辱には耐えられなかった。

 その翌朝、寧子は実家へ帰り着いた。だが、戦後の嵯峨家は寧子を迎え入れるだけの余裕を失《な》くし、当主である長兄に伴われて、牽《ひ》かれるようにまた万俵家へ戻って来たのだった。そして二度目に妻妾同衾を求められた時、「夫婦の交わりは獣のようなものではございません」と激しく拒んだが、「お前の口からそんなことが云えるのか、それなら離婚《さ》って貰おう、離婚されるだけの理由は身に覚えがあるだろう」と残忍な響きをもった声で突き放すように云われた。寧子はその夜、睡眠薬自殺を図った。

 帰って行く家もなく、さりとて妻妾同衾にも従えない寧子は、自ら死を選ぶよりほかはなかったが、ブロバリンの致死量を誤り、未遂に終ってしまったのだった。死ぬことさえ、自力でかなわぬ自分を思うと、寧子はもはや、大介にも相子にも、抗うことを諦めてしまったのだった。

 背後《うしろ》で庭番の声がした。

「奥さま、そろそろおしまいになりましたら? お疲れが出やおまへんか」

「そうね、もう四時、二子《つぎこ》も三子《みつこ》も、帰って来る頃だわね」

 ほっと溜息《ためいき》をつくと、寧子はピンセットをおいて温室を出た。

 *

 東京麹町《こうじまち》の行邸《こうてい》を午前八時三十分に出た万俵大介の車は、代官町をぬけ、皇居の濠端《ほりばた》を右に見て、丸の内の阪神銀行東京支店に向っていた。

 冬枯れの景色の中で、皇居の常磐《ときわ》木《ぎ》の緑が、豊かな水を湛《たた》えた濠に美しく映えている。万俵大介は毎月数回上京するが、麹町の行邸から東京支店に向うこの朝の道が、一日のうちで最も清々《すがすが》しい。やがて車はパレス.ホテルの横を左へ折れ、日本の金融街といわれる大手町通りに入る。大友銀行、富国銀行、第三銀行、五和銀行をはじめ、日本の大銀行がずらりと両側に建ち並ぶ通りには、午前九時の開店を待ち受けるように車の列が続き、足早に銀行へ入って行く人影が眼につく。日本の金融の心臓部としての鼓動が、車の中の万俵にも伝わって来るような充実した朝の風景であった。

 万俵はふと、ニューヨークの世界的な金融街であるウォール街を思い出した。超高層ビルが林立して空を遮《さえぎ》り、終日、陽のあたらない道路の両側に、ニューヨーク株式取引所をはじめ、モルガン、チェイス.マンハッタンなどの国際的大銀行が、非人間的な威圧感をもって並んでいる。朝九時、地下鉄から吐き出されるビジネス.マンの流れで、はじめて人間の街としての活気を帯びて来るのだった。

 丸の内ビルの横を通り、五菱銀行を斜めに見て、車は九時に馬場先濠《ぼり》に面した阪神銀行東京支店に着いた。戦災で焼け残った神戸の本店の重々しいバロック風建築と異なり、軽快な直線とクリーム色の壁面をもった近代的な建物は、一階の営業部の玄関も、ホテルのロビーのような明るさと華やかさを採り入れている。

「頭取、お早うございます」

 日程表を抱えた秘書が玄関まで出迎えており、エレベーターの中でその日の日程を報告した。エレベーターを降りると、頭取室に続く廊下には、本店と同じ真紅の絨毯《じゆうたん》が敷き詰められている。万俵は、頭取室に向いかけたが、エレベーターを挟《はさ》んで反対側にある『阪神銀行東京事務所』と書いてある部屋の方に、ちらっと視線を向けた。

「何か、ご用でも――」

 秘書が聞くと、いや、いいと云い、そのまま、頭取室に入った。馬場先濠に面した五階の頭取室からは、二重橋が見え、さらにその向うに緑青《ろくしよう》を吹いた新宮殿の屋根が望まれた。いつ見ても、心の静まりと安らぎを覚えるたたずまいだった。しかし、一度、視線を金融街へ移すと、建ち並ぶ建物こそ荘重であり、或《ある》いは近代的に洗練されているが、そこでは眼に見えない各行の凄《すさま》じい銀行戦争がしのぎを削っている。万俵は東京へ来る度に、関西にいる時には感じられない強い競争意識に駈られる。先週から娘婿《むすめむこ》の美《み》馬中《まあたる》に電話して、永田大蔵大臣と会う席をつくってくれるように頼んでいるのも、その一つの現われであった。

 万俵は窓際《まどぎわ》から離れ、秘書に東京事務所長の芥川《あくたがわ》常務を呼ぶように云った。東京事務所というのは、関西の銀行が必ず備えている機能である。東京地区の業務を統轄《とうかつ》することと、中央官庁との交渉を担当する部門になっているが、何といっても、対政界、対大蔵省工作を主な仕事にし、その面の情報収集活動が優先した。したがって所長たる者の資格は、政、官界の人脈地図に精通し、他行より一刻も早く正確な情報を得る能力を持っていることが必要であった。人によっては、東京事務所を忍者部隊と呼ぶこともある。

 東京事務所長の芥川常務が入って来た。細い華奢《きやしや》な体に、渋いグレイのダーク.スーツを着、縁なし眼鏡をかけた姿は、見るからに気障《きざ》な感じを与えたが、鼻の右横にある大きなほくろがそれを救って、むしろ洗練された機敏な銀行マンを思わせた。

「頭取、お早うございます、昨夜は宴席が三つも重なりましたので、さぞお疲れでございましょう」

 昨夜は五時半から七時半まで取引先を招待、七時半から九時までは逆に大口融資先からの招待、九時から十時半までは経済記者招待という三つの宴席が重なり、万俵は、いささか疲れを覚えていた。

「だが、君も大へんだったろう、三つ目の席の十時半以降は君に任せて、私は先に失礼したからねぇ」

「あれから二次会に銀座のクラブを二軒ほど廻り、十二時過ぎにお開きにし、今朝は小金井《こがねい》で“朝の特訓”をして参りました」

“朝の特訓”というのは、早朝ゴルフのことで、何か密談を凝らす時、朝の六時、七時ごろからコースを廻り、何くわぬ顔でそれぞれの職場へ出勤することだった。

「誰なんだ、相手は?」

「例の社民党の中根正義先生ですよ」

 毎年、年賀受けの日に必ず、阪神銀行本店へ年賀に現われる大蔵委員の社民党議員で、選挙地盤の事情さえ許せば、いつでも自由党から立候補しそうな男であった。

「別に急な用件ではなかったのですが、中京銀行の東海車輛《しやりよう》に対する不良貸付を、大蔵委員会で問題にするということを耳にしましたので、早朝ゴルフをやりながら、真偽のほどを確かめたのです、不良貸付は事実だそうですが、十億程度のことで、大蔵委員会などで問題にされるのは、日頃のつき合いが悪かったからでしょうねぇ、私など大蔵委員と名のつく限り、与党議員はもちろんのこと、野党議員には特に念を入れて、常日頃からサービスに努めるよう心がけております」

 芥川は、東京事務所長としての日頃の自分をいささか顕示するように云ったが、事実、大蔵委員会は、銀行に対して、融資先の倒産や不良貸付、店舗新設をはじめ、その他《ほか》、どんな些細《ささい》なことでも、問題にしようと思えば、出来るのだった。その点、芥川は抜け目なく、要所要所に術《て》を打っている。黙っているが、満足そうな万俵頭取の顔色を読み取ると、芥川はさらに機敏にたち廻った。

「頭取、今夜は、永田大蔵大臣とお目にかかられますか?」

「多分、大同銀行の新頭取就任パーティのあと、会えるだろう、美馬が、その段取りをつけてくれているから――」

「では、永田大臣が近く開設される新しい事務所のお祝いには、どれぐらい致しましょう? もちろん、各行が幾らぐらいにするかは打診しておりますが、美馬さんともご相談したいと思いながら、なかなか連絡がつかなくて――、それに差し上げるからには、どこよりも早く、例の架空名義の口座に振り込んでおきたいと思いまして――」

「まあ、永田大蔵大臣とうちは、なみのつき合いじゃないから、その辺のところは手落ちのないようにしておくことだ」

 そう云い、万俵は葉巻を一服くゆらし、

「ところで東京地区における業務面のことだが、目下、申請中の埼玉県大宮《おおみや》の店舗新設の認可は、下りそうかね」

 都市銀行の店舗新設は年間、一行当り一店舗が大蔵省銀行局によって認可される。関東方面の地盤が弱い阪神銀行は、人口が急増しつつある大宮に新店舗の申請をしていた。

 芥川はこれまでの調子の良さと異なり、やや言葉に窮するような気配を見せ、

「何しろ大宮は、他行も眼をつけているところですから、激戦になりそうです」

 と困難な状況を強調してから、

「しかし大宮支店獲得は、頭取の強いご指令もあり、どこと競願するか、有力な建設業者を使って調べさせました、その結果、東京の富国銀行と大阪の平和銀行が秘《ひそ》かに駅前周辺の土地の買収にかかっていることが解《わか》り、銀行局で冷飯を食わされている連中に当りをつけて内偵しましたところ、やはり、富国、平和の二行が競願しており、さらに店舗開設要望書に記入している両行の希望順位を教えてもらいましたら、富国銀行は、大宮の他に川崎にも新店舗を申請しており、むしろそちらの方にウェイトがあるようですから、問題は大阪の平和銀行です」

 一店舗の新設によって平均二十億の預金が集まるから、各行とも新店舗の開設には血眼《ちまなこ》になり、深く潜行した争奪戦が昼夜をわかたず、繰り拡げられるのだった。

「それで、君はどういう術《て》を考えているのかね」

 芥川は、顔のほくろにちょっと手を当てて、眼をまたたかせた。

「二行以上が競願している時は、何と云っても大義名分の筋書を作った上でなければ、大蔵省の方も、他行への云いわけがたちませんから、当行としては、関西の代表的な家庭電器メーカーであるオリエント電器が大宮に大型の新工場を設立するので、その融資銀行として是非とも大宮に店舗を持ちたいという理由を強調すると同時に、大いに働きかけて、平和銀行に順位振替[#「順位振替」に傍点]の指導をして貰《もら》うことを考えております」

 芥川の云う順位指導というのは、大蔵省の担当官に働きかけて、平和銀行に、第一希望の大宮は無理だが、第二希望の地区ならすぐ認可の用意があるという行政指導をさせて、希望順位を変更させるという意味だった。

「平和銀行にしても、相当、大蔵省に食い込んでいるから、油断ならないが、金融再編成の前だから、一店でも有力な支店を増やして体力を増強しておかなければならない、もちろん、最後は政治ベースの話合いになるだろうが、そこが君の腕のみせどころだ」

 万俵は、芥川の力量を試すように云った。

 ホテルオークラの平安の間で、大同銀行の新頭取就任披露パーティが開かれていた。

 会場の入口には、金《きん》屏風《びようぶ》を背にして、前頭取、新頭取を頭に、専務以下の役員がたって、来賓の一人一人を迎えている。万俵大介は会釈《えしやく》して、専務、常務たちの前を通り、新頭取の三雲祥《みぐもしよう》一《いち》の前で足を止め、

「ご就任、おめでとうございます」

 と挨拶《あいさつ》した。三雲頭取は五十六歳と思えぬ若々しい顔を紅潮させて、

「有難うございます、今後とも、およろしく」

 鄭重《ていちよう》に頭を下げ、隣にたっている前頭取も、

「私同様に、よろしくご指導のほどを――」

 先輩らしい言葉を添えた。会場に入ると、各銀行の頭取をはじめ、政、官、財界五百名近い人々が集まっていた。

 総理大臣と大蔵大臣の姿は見えなかったが、政界からは通産大臣をはじめ、衆参両院議員の実力者、大蔵委員、官界からは大蔵次官をはじめ、主計局長、銀行局長、理財局長らの姿が見え、日銀からは副総裁をはじめ理事たちまで来ているのは、新頭取が日銀からの天下《あまくだ》りでもあるからだった。財界からは大企業の社長、専務たちの顔が揃《そろ》い、銘々、テーブルの上のオードブルを取ったり、カクテルやハイボールに口をつけながら談笑していた。中には好都合の連絡場所とばかり、気忙《きぜわ》しく動き廻る政治家や経営者も見かけられた。

 そんな中で、万俵大介は、全国銀行協会の会長である富国銀行の巌《いわお》頭取と五菱銀行の鵜川《うがわ》頭取、それに大蔵次官と銀行局長の四人が、グラスを手にして、談笑している姿を眼にした。両行とも日本を代表する上位の二大銀行であったが、富国銀行の巌頭取は、戦後の大きな疑獄事件には必ずといってもよいほど、一度は名前が出て来る男であり、五菱銀行の鵜川頭取にしても、政治献金の贈収賄《ぞうしゆうわい》事件に関係しながら、不思議と責任を追及されず頭取の座についている。それに比べると、今、万俵大介が金融再編成を前にして、閨閥《けいばつ》を利用し、あらゆる政治手段を駆使して、阪神銀行の利得を図ろうとしていることが、極めて小さいことのように思われた。そして何かといえば、銀行に対して高姿勢を打ち出す大蔵次官と銀行局長が、巌頭取と鵜川頭取を前にして、にこやかな愛想笑いをうかべて話している。万俵大介のように毛並と財力に恵まれて育ちながら、たまたま、都市銀行第十位の阪神銀行の頭取であるということのために、巌や鵜川の下位にたたねばならぬのかと思うと、不快だった。しかし万俵は、銀髪端正な顔に微笑を湛えながら、巌たちの方へ近寄った。

「やあ、万俵さん、昨日はどうも、いろいろとご尽力を――」

 巌は、昨日の全国銀行協会の理事会で、万俵が長期金利の改訂問題について信託協会説得の打開策を提案して、会長を支持したことを云った。

「いやいや、あんなことでお役にたてば――」

 と云い、重藤《しげとう》大蔵次官と春田銀行局長に挨拶すると、

「いいところへいらした――、今、僕たちで“日銀哺育箱《ほいくばこ》”説、つまり日銀のようにお札を発券しているだけの安易なところに育った連中が、都市銀行のような斬《き》った張ったの激しい競争の場へ出て来るのは、哺育箱育ちの赤ん坊がいきなり普通食を食べるようなもので、忽《たちま》ち下痢《げり》を起すんじゃないかと話していたんですよ」

 日頃、日銀を紙幣発券局呼ばわりして憚《はばか》らぬ重藤次官は、尊大な云い方をした。

「以前、大同銀行の次期頭取は、大蔵からという噂《うわさ》を耳にしたことがありましたが、どうだったんですか?」

 万俵は、笑いながら聞いた。

「さあ、そんな噂がありましたかねぇ」

 春田銀行局長が、妙な含み笑いをうかべて云った。

 大蔵省と日銀の天下り先の競争は、絶えず激烈を極め、どこかの銀行で日銀出身の頭取が失敗すると、すぐ大蔵省出身が進駐して行くのだ。

 入口に、日銀総裁の姿が見え、鷲鼻《わしばな》のように尖《とが》った鼻に大きな眼をきらつかせ、にこりともしない表情で入って来た。

「それそれ、噂をすれば何とやらで、日銀神宮の神主さまのご入来《じゆらい》だ」

 重藤次官が揶揄《やゆ》するように云った。日銀では業務終了の三時になると、今でも厳《おごそ》かに拍子木を打って終業の時刻を告げる習慣がある。万俵大介は思わず苦笑し、巌、鵜川頭取も、顔を見合せて笑ったが、日銀出身の他行の頭取たちは、最敬礼で総裁を迎えた。そして総裁の出席を待っていたかのように、三雲新頭取が就任挨拶を述べるために、会場正面にあるマイクの前にたった。色白、面長の顔だちにいかにも日銀出身らしい品の良さが滲《にじ》み出、心の昂《たかぶ》りを抑《おさ》えるように静かな口調で、

「この度、はからずも大同銀行の頭取就任を仰《おお》せつかりましたが、五十六歳の今日まで日銀という世界しか知らぬ私が競争激甚《げきじん》、特に金融再編成が真剣に論議され、推進されようとしております都市銀行の頭取に就任致しますことは、まことに責務重大にして、相当なる覚悟をもって臨まねばならぬものと存じております、何卒《なにとぞ》、各行、各界の皆さま方の温かいご指導と、ご支援のほどをお願い申し上げます」

 言葉短く、謙虚に挨拶した。事実、三雲祥一は、日銀へ入行以来、その中枢《ちゆうすう》に近い秘書室、海外勤務、調査局などのエリート.コースのみを步んで理事になり、戦後はじめて国債を発行するにあたって、大蔵省と金融証券業界の双方に納得の行くような国債発行の条件をまとめたことが評価され、一時は副総裁とも噂されたことがあった。しかしそれは、三雲自身の実力ばかりでなく、戦前の貴族院議員だった父を持ち、母も旧財閥の出であるという毛並に負うところも多分にあったようである。

 それだけに都市銀行第八位の大同銀行とはいえ、もとは貯蓄銀行の寄り集まりから発足した銀行であったから、図体《ずうたい》は大きいが、内容的には相当な体質改善を行わなければならない。その頭取に就任することは、衆目の見るところ前途多難であった。しかし日銀出身の銀行家たちは、また一人、日銀出身の頭取が出たことを喜び、結束を固め合うように、挨拶を終えた三雲頭取の周りに集まった。そんな光景を生粋《きつすい》の都市銀行の頭取たちは皮肉な眼《まな》ざしで眺め、引き揚げかける者もあったが、三雲頭取は、出席者の一人一人に挨拶するために、会場を廻りはじめた。

 万俵大介と一緒にいた巌、鵜川頭取と重藤次官、春田銀行局長たちは、挨拶が終ると早々に帰ってしまったが、万俵はその場に残っていた。三雲は万俵の前に来ると、

「関西での披露パーティでご挨拶させて戴《いただ》くつもりでしたのに、早々にお出まし戴き、恐縮でございます」

 心から嬉《うれ》しそうに云い、

「ご長男の鉄平さんは、相変らず、お元気ですか? 私がニューヨークの駐在参事時代、マサチューセッツ工科大学に留学しておられ、時々、ご一緒にブリッジをしたものですが、あの頃から阪神特殊鋼の将来に大きな夢を燃やしておられましたね」

「おかげで、あれが中心になって若い技術陣を作り、そのスタッフが阪神特殊鋼を背負ってたっている形です、おたくにはいつもお世話になっていますが、今後とも何かとよろしく――」

 万俵は、阪神銀行の頭取としてではなく、鉄平の父親らしい挨拶をした。

「いえ、私の方こそ、いろいろとご指導を願います、特に当行は関西方面に弱いこととて、早速にも担当常務を送り込んで業容を強化したいと存じておりますので、よろしく」

 それが単なる社交辞令でないことは、真摯《しんし》な深い眼ざしで解った。万俵は内心、常務一人を送り込むことぐらいで簡単に融資順位が上るものかと思い、三雲の日銀育ちらしい甘さを感じ取ったが、にこやかな笑顔で、

「じゃあ、失礼――、ご来阪の折はひとつ、ゆっくりお目にかかりたいものです」

 と挨拶し、時間を気にするように、ちらっと時計を見た。その時、蝶《ちよう》ネクタイを結んだ給仕長が目だたぬように、そっと万俵に近寄って来、電話がかかっていることを告げた。予《あらかじ》め、電話がかかって来たら、取り次ぐように頼んでおいたのだった。足早に会場を出、クロークの前の電話を取ると、

「もしもし、お舅《とう》さん、さっき大臣の秘書から、今日の予算委員会は最後の質問者が五時半までで終る見込みだから、六時過ぎならというお返事ですよ」

 娘婿《むすめむこ》の美馬中からであった。

 入口から玄関まで打水に湿り、香がたきしめられている新橋の料亭『金田中《かねたなか》』の廊下を、芸者たちが艶《なま》めいた裾《すそ》さばきで行き来し、お座敷の挨拶を交わす声以外はしんと静まりかえっている。

 奥まった二十畳程の座敷で、万俵大介は、永田大蔵大臣と歓談していた。その席には芸者が侍《はべ》り、華やかに座を彩《いろど》っている。

「このところお久しぶりですね、こうして大臣のご謦咳《けいがい》に接するのは――」

 万俵は端正な銀髪姿で、床の間を背にした永田大臣の盃《さかずき》に酌をした。

「いや、どうも――」

 永田大臣は、万俵の盃を愛想よく受けてから返盃《へんぱい》した。背が低く痩《や》せている上に、色が黒く、一国の大蔵大臣にしては、風采《ふうさい》が上らなすぎたが、三白眼《さんぱくがん》に凄味《すごみ》がある。万俵は、永田大臣の返盃を口に含みながら、

「美馬から聞いたのですが、大臣はこの間、ついに五段の免状をとられたそうですね、碁《ご》は美馬も好きで、ちょっとした天狗《てんぐ》気取りでいるだけに、大へん羨《うらや》ましがっておりましたよ」

 表向きは、暫《しばら》く謦咳に接していないからという口上で設けた席だけに、まずくだけた話題を持ち出した。

「あら、頭取、それをあんまりおっしゃっちゃ駄目、大臣はただでさえ近頃、そのご自慢話ばかり、でも変なのは、五段になってから急にお打ちにならなくなったの、もしかして、ナーさま[#「ナーさま」に傍点]のは、段は授ける、しかれども以後、絶対打つべからずのあの類《たぐ》いじゃないのかしら」

 永田大臣が贔屓《ひいき》にしている若い美妓《びぎ》が、潤《うる》むような円《つぶ》らな瞳《ひとみ》で云った。

「また桃太は、そんな口をたたく、今度、もう一度、云ったら、自慢のそのぴちぴちした頬を針でつついてやるぞ、さぞ、若水《わかみず》が勢いよく吹っ飛ぶだろうな」

 永田大臣が齢甲斐《としがい》もなく、眼を細めて戯《たわむ》れると、

「おっほっほっ、桃太ちゃんの頬っぺなら、十メートルぐらい、若水が吹き出るんじゃないかしら」

 年増《としま》の姉芸者が、合の手を入れた。

「いや、二、三十メートルは充分飛ぶな、どうだ、桃太、ちょっと突っついてみるか」

 まだ二十《はたち》そこそこの芸者の、水蜜桃《すいみつとう》のようにみずみずしく張った頬に、大臣の上機嫌な手が伸びると、賑《にぎ》やかな笑いが起った。ここへ来る前、芥川常務が「最近、大臣にお気に入りの若い妓《こ》ができましてね、今夜はそれをよんでいますから」と囁《ささや》いたのだった。対政界、対大蔵工作を受け持つ阪神銀行東京事務所長の芥川は、政、官界の人脈地図とともに、どの大臣が、どの芸者を贔屓にし、その姉妹芸者は誰かという芸者の閨閥《けいばつ》地図まで頭に入れて宴席を設けているのだった。

 一しきり座興が続くと、永田大臣は若い美妓の手を離し、

「大同銀行のパーティへ行かれたそうだが、三雲新頭取の印象は、どうでした?」

 真顔で、万俵に聞いた。

「なかなか、いいですね、日銀出身にしては、珍しく意欲的なタイプじゃないですか」

 万俵は、昼のパーティで、三雲頭取の甘さを見抜いたことなどは※[#口+愛]《おくび》にも出さず、オーナー頭取らしい余裕をみせて応《こた》え、芸者たちに眼配せした。それを機会《しお》に、芸者たちは巧みに座をたった。

 二人きりになると、万俵は、

「こういう機会に、ひとつ大臣のご意見を、ざっくばらんにお伺いしたいのですが――」

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