大蔵委員という立場上、数々の銀行内部の隠れた悪を握っている中根は、高圧的に出た。その態度で、芥川は中根自身も、万俵頭取を出席させたがっている気配を読み取った。自分が代表質問にたつ大蔵委員会に、阪神、大同両行の頭取と永田大蔵大臣まで召喚し、弁舌をふるうことによって、大蔵委員としての箔《はく》をつける一方、選挙区に委員会の議事録や新聞記事をばらまいて中根正義の名を高からしめようと、早くも計算している。政治家の大向うを狙《ねら》う俗っぽさに、芥川は胸がむかつくような不快感を催したが、
「なるほど、頭取が欠席すると、かえって痛くもない腹を探られるようでしたら、堂々と出席させて戴きましょう、その代りと云っては何ですが、大同銀行の三雲頭取も、病気欠席などということにならぬようお願い致しますよ」
「そりゃあ当然だよ、片手落ちでは政治家、中根正義の良心が許さんからねぇ」
中根は正義漢ぶって哄笑《こうしよう》した。笑うと、知的に見える顔の下に、品性の下劣さがのぞく。
「ところで先生、細かい話になって恐縮ですが、中根先生は今回の問題について、どのような点に特に質問のポイントを置いていらっしゃるのか、おさしつかえなければ二つ三つ、お教え戴ければ幸いですが――」
さり気なく聞き出しにかかると、
「その辺については、大蔵省の方から君の方へ連絡があるだろうから、それからでもいいじゃないか」
もったいぶって、芥川の質問をかわし、芸者の嬌声《きようせい》が聞えて来る方へ催促がましい視線を向けたが、芥川は気付かぬ振りで、
「もちろん大蔵省とは、逐一、連絡を取って、その内容に注意致しますが、それにしても、先生ご自身が最も関心を持っておられる点は、どのようなことでございますか」
さらに執拗《しつよう》に食い下ると、
「それはこれからいろいろと資料を取り寄せ、じっくり勉強してからだが、年末ともなれば、われわれも多事多端で、腰を据えて勉強する時間がなかなかなくてねぇ」
「それでは私どもとして、おそらく先生がお聞きになりたいのはこういう点ではないかという項目を列挙し、それに対する当行の見解と申しますか、回答のようなものを簡単な書面にして、持参致しましょうか」
すかさず、畳み込んだ。書面といえば資料のようで聞えはいいが、要は不勉強な代議士たちのために、予想される問いと答えをメモにした、いわゆる“想定問答集”のことであった。程度の低い代議士になると、“想定問答集”の予習もせず、いきなり一字一句そのまま読み上げ、相手方の答えの方まで読んで失態をさらけ出す者もいる。しかし、さすがに中根は弁護士出身だけに、
「そうだな、そういうのがあると、参考にはなるがねぇ」
一応、ポーズを取り繕ったが、芥川は、
「ともかく、明日、お届け致しますから、ご参考までにご一読下さい、そして荒尾先生にも、中根先生からお目通し戴けるよう計って戴けませんでしょうか」
「そりゃあ無理だね、荒尾君が厳しい関連質問をする時、君のところの見解を、僕がどう巧《うま》くその中へ割り込ませるかだけでも、大へんなことだよ、君ぃ」
恩着せがましく云った。
「承知しております、しかし私どもの方は中根先生が頼りなのですから、取りあえず、これで、荒尾先生にもよろしくお取り計らい下さい」
芥川はそう云うなり、上衣の内ポケットから茶色の封筒を中根の前へ押しやった。
「そう、じゃ、まあ預かっておこう」
中根は照れもせず、まるで座敷机の上の爪楊子《つまようじ》を取るようなさり気なさで、封筒を取り上げ、するりと自分のポケットに滑り込ませた。
*
七時を廻ったばかりであったが、三雲はもう朝食をすませ、着替えもすませた服装で、自宅の書斎の机に向っていた。銀行からの迎えの車が来るまで、まだ三、四十分ある。
十二、三畳ほどの書斎の天井は高く、古びていたが、亡父の代から何十年も拭《ふ》き磨かれている太い柱は黒光りしている。三雲は机に向って、病床に臥《ふ》している友人に宛《あ》て、墨筆で見舞の手紙をしたためていた。このところ多忙を極めている三雲は、一カ月前、胃癌《いがん》で入院した学生時代の親友を見舞に出かける時間もないのだった。一旦《いつたん》、銀行へ出れば頭取としての日常業務、外部からの面会、各種の会議、会合が連続し、やっと時間があく頃には、病院の面会時間は過ぎている。病床の友人を見舞う時間さえない現在の索漠たる生活を、三雲はふとわびしいものに思い、職場から墓場までの時間をゆったりと取って、いつでも友の病床を見舞えるような生活を自分のものにしたいと思った。そんな心境で見舞の手紙をしたため終えると、老婢《ろうひ》がお茶を運んで来た。
「どうだい、志保の工合は?」
風邪をこじらせ、ここ三、四日来、ずっと微熱が続いている娘の様子を聞いた。
「それが今朝もまた三十七度三分ございまして、ご朝食はオレンジ.ジュースだけで、オート.ミールにはお口をつけられませんでした」
「それはいけない、じゃあ出かける前に部屋へ寄ってみよう」
そう云い、三雲は封書に宛名を記《しる》し、筆を置くと、老婢に投函《とうかん》を云いおき、志保の部屋へ入った。
庭に面した南向きの部屋の一方に、ベッドを置き、花台にクリーム色の薔薇《ばら》が活《い》けられている。志保は父の姿を見ると、華奢《きやしや》な体を起し、ガウンを羽織りながら、
「お父さま、こんなお父さまの大切な日に、お玄関までお見送りもせず……」
と云い、眼を潤《うる》ませた。今朝、午前十時から阪神特殊鋼の倒産に関連する金融問題について、三雲は、衆議院大蔵委員会に、阪神銀行の万俵頭取とともに喚問されているのだった。
「何も志保が、心配することなどないんだよ」
「だって、新聞に両行頭取、大蔵委員会に喚問などと書いてあると、私、もう……、お父さま、万俵鉄平さんは、どうしていらっしゃるのかしら――、あれ以来、何のお便りもございませんの?」
阪神特殊鋼が会社更生法の申請をした翌日、謝罪のために訪れた鉄平に対し、三雲は「大同銀行頭取という公人としては、君に詫《わ》びられたからといって、許すわけにはいかない、君とこうして自宅で会うことすらおかしい」と厳しい態度で接したのだった。そしてその後、鉄平からはぷつんと音信が跡絶《とだ》えている。
「便りはないが、聞くところによれば、父上と一緒に住んでいた邸《やしき》は出てしまっているらしい」
「え? ではどちらへ――」
志保は、鉄平の身を案じるように熱のある顔を曇らせた。
「それは解《わか》らないが、鉄平君の音信などこの際、関係のないことじゃないか、そんなことより食欲はなくても、出来るだけ食事を摂《と》って、体力をつけることだよ、ほら、また空咳《からぜき》をしているじゃないか」
と云い、この頃、さらに亡《な》き妻の面ざしに似てきた志保の体をいたわると、
「お父さま、ちょっと――」
志保の透けるように白い指先が、三雲の胸もとに伸び、胸ポケットにさしたローンのハンカチーフの歪《ゆが》みを直して、ベッドから父を見送った。
三雲は、いつもより早く、八時四十分に大同銀行本店の玄関に着いた。秘書が緊張した表情で出迎え、
「先程から綿貫専務がお待ちでございます」
と伝えた。エレベーターに乗り、足早に頭取室へ向う間にも、何となく慌《あわただ》しい気配が流れている。綿貫は待ちかまえていたように三雲を迎え、
「頭取、当行の大蔵省担当の忍者に、重ねて確かめさせましたところ、本日の大蔵委員会の質問のポイントは、阪神特殊鋼への融資のいきさつと、サブの当行がメインの阪神銀行を上廻る貸込みをした時期及びその理由ということですから、たいしたことにならないと思います、何しろ、大蔵省銀行局としても、今日の大蔵委員会はうまくくぐり抜けないことには、当局としても、都市銀行の監督不行届ということで、代議士諸先生に吊し上げられますから、ことなく終ってほしいという点では、こちらと同じ心境ですよ」
三雲の気持を解きほぐすように云いながら、その実、綿貫は前夜、極秘裡《ごくひり》に阪神銀行の芥川と会って、万俵頭取側が、今日の大蔵委員会で代表質問にたつ中根代議士に周到な根廻しをし、“想定問答集”をも手渡して、厳しい追及を逃れる術《て》を打っていることを知っていた。にもかかわらず、大同銀行側として何らの術《て》も打たず、阪神銀行の動きさえ三雲に知らせないのは、阪神特殊鋼倒産の責任をすべて三雲におっかぶせようと企《たくら》んでいるからであった。
扉《ドア》をノックし、融資部長の島津が入って来た。顔面を蒼白《そうはく》にし、
「頭取、申しわけございません……、私がもっとしっかりしておれば、頭取が大蔵委へ喚問などという事態にならなかったものを……、せめて今日は私が、大蔵委へお伴《とも》致し、何かお役に……」
日銀天下り派である島津融資部長は、ぶるぶる両手を震わせると、三雲は、
「まあ、島津君、落ち着き給《たま》え、誰だって大蔵委員会などへ出なくてすませられるものならすませたいが、かくなる上は、堂々と出席するより仕方がない、阪神特殊鋼の件については、私自身も納得ゆかない点があるから、それをも合わせて、ありのままの事実を話し、見せかけ融資を見抜けなかったことが事態を悪くしてしまったことも、あからさまに話すつもりだ」
と云った。綿貫は飛び上らんばかりに驚き、
「しかし、頭取、見せかけ融資にひっかかったとなると、かえってこちらの恥になりますから、いくら何でもそれは――」
止めにかかると、三雲は静かな語調で、
「今となっては、恥よりも何よりも、真実を話し、この一連の事態を私自身の手で明白にすべきだと思う、今の私は既に覚悟ができている――」
「ですが、今日の頭取の答弁の一言一句は、当行一万人の行員の信用と将来にもかかわることでございますから、いくら真実とおっしゃいましても、あまりにも正直すぎるご答弁は――、何しろ相手は、大蔵委員といっても俄《にわ》か勉強の代議士ですから、その辺のところは適当にお答えになられた方が賢明だと存じますよ」
綿貫は、芥川と打ち合せた筋書が崩れるのを防ぐために必死に云うと、三雲は、それを行員を思うあまりの心情と受け取り、
「綿貫君、行員諸君には、心配をかけてすまないが、平静に業務に励んでくれるよう、君からよく云ってくれ給え」
しんと沁《し》み通るような声で云った。
「承知致しました、その点はどうかご懸念《けねん》なく――、ただ一万人の行員のことを慮《おもんぱか》り、くれぐれもご答弁は、程を得られますようお願い致します」
綿貫は巧みにつぼ[#「つぼ」に傍点]を押え込み、
「頭取、そろそろお時間です――」
と促すと、三雲は、たち上った。
廊下には、綿貫の腹心の長谷川総務部長が、大蔵委員会へ随行するために、厚い資料鞄《かばん》を抱えて待っていた。
三雲の車が、日本橋本石町から国会に向った一足先に、丸の内の阪神銀行東京支店からは、万俵大介が、芥川を従え、黒塗りのベンツで、国会へ向っていた。
衆議院大蔵委員会は、年末の国会というのに、ほぼ全員が顔を揃《そろ》え、自由党、社民党、民主党、公正党の大蔵委員三十五名がずらりと委員席に列《なら》び、近頃にない熱気を帯びている。
正面の壇上には、自由党の吉見委員長が着席し、壇下の左側、参考人席には、永田大蔵大臣をはじめ、春田銀行局長、大同銀行三雲頭取、阪神銀行万俵頭取の順に坐《すわ》り、右側には政府関係者随員が着席した。いつもはがらんとしている委員席後方にある記者席、傍聴席も、立錐《りつすい》の余地がないほど埋まり、今日の委員会になみなみならぬ関心が寄せられている。
午前十時から開かれた委員会は、代表質問に社民党の中根正義委員がたち、まず阪神特殊鋼への融資経過について、阪神銀行の万俵頭取と、大同銀行の三雲頭取からひとわたり聴取し、次に融資比率がメイン.バンクの阪神銀行より、サブの大同銀行の方が上廻った前後の経緯について、詳細に質疑したいと云い、問題はいよいよ核心に迫った。
「万俵頭取にお伺いします、あなたが阪神特殊鋼への融資を手控えようと考えた直接の原因は、何だったのですか」
中根委員は、委員席の二列目中央の自席にたち、厳しい表情で質問したが、机の上には、前夜、芥川から受け取った“想定問答集”が、ことさらに拡《ひろ》げた大部《たいぶ》の資料の間に、目だたぬようにさし挟《はさ》まれている。万俵は参考人席に起立し、
「直接の原因は、本年三月以降、特殊鋼業界の不況が長期化の様相を見せはじめましたので、高炉建設の一時中止を、阪神特殊鋼の経営陣に求めたのでありますが、聞き入れられなかったところにございます、阪神特殊鋼は、昨年十二月、大口輸出先であるアメリカン.ベアリング社からのキャンセルがあり、転売不能のストックを大量に抱えて、既に資金繰りが悪化しておりましたので、当行としては赤字覚悟のダンピングをしなければ製品が売れない不況下で、金利だけでも月二、三億にのぼる膨大な高炉建設はきわめて危険であり、高炉設備計画の変更を強く求めたのです、しかし阪神特殊鋼側は聞き入れず、経営方針がかくも相違致しましては、規定通りの融資は出来ないと判断したのでございます」
落ち着き払った口調で、答弁した。それは中根委員が資料の間に挟んでいる“想定問答集”の「答え」と一分《いちぶ》もたがわぬ答弁であった。
「なるほど、不況以前から資金繰りが悪化しているようじゃあ、資本金六十億の会社が、資本金の四倍を越える膨大な設備投資を強行するなど、無謀にも程がある、それにしても、万俵さん、阪神特殊鋼はあなたのところの系列企業でありまして、ましてや実質的な経営者はあなたのご子息じゃありませんか、にもかかわらず、メイン.バンクの位置を、なぜ他行に譲ったのか、常識では理解出来かねるので、その辺の事情を伺いたい」
中根が、いかにも革新議員ぶった容赦ない追及をし、新聞記者や傍聴席にまぎれ込んでいる阪神、大同銀行以外の銀行忍者たちも、それに対する万俵の答弁に耳を欹《そばだ》てた。
「中根先生のご指摘はまことにごもっともでございますが、当行は好んでメインをおりたのではない点を、何とぞご理解戴きたいと存じます、たとえ系列企業であっても、また経営者がわが子であっても、国民の皆さまの大切な預金を預かっております立場上、常に冷徹な判断に基づくモラルが、銀行家には課せられており、メインの当行が経営方針に疑問を持って融資を手控えれば、阪神特殊鋼も、自重してくれるものと秘《ひそ》かに期待しておりました、ところが阪神特殊鋼は、サブ.バンクの大同銀行さんの方へ走ってしまい、当行が事実上のメインでなくなったのに気付いたのは、大分、あとになってからというのが実情でございます」
万俵は、大蔵委員をはじめ、一同の好奇な視線を意識して、苦渋の表情を装いながら、自行の融資方針について、巧妙に正当性を主張した。隣席に坐っている三雲頭取の澄んだ眼に、万俵の欺瞞《ぎまん》を憤《いきどお》る色がうかんだが、永田大蔵大臣は、質疑応答を聞いているのか、いないのか、特徴のある三白眼を薄く閉じ、口をへの字につぼめたままであり、春田銀行局長も、委員会室の壁面に掛っている歴代の大蔵大臣の肖像画を無表情に見詰めている。
中根委員は、“想定問答集”の頁《ページ》をさり気なく繰り、
「では次に、大同銀行の三雲頭取にお伺いします、あなたは銀行家として、実の親さえ見放すような企業に貸し込んだのは、どういうわけですか、その判断の基準は、どこにあるのですか」
質問の鋒先《ほこさき》を三雲に向けた。
「大同銀行、三雲祥一君――」
壇上から、吉見委員長が三雲の発言を促した。三雲は、参考人席からたち上り、
「阪神特殊鋼への融資の基本理念は、先程も触れましたように、特殊鋼業界といえども高炉を持ち、一貫生産することが有用であり、業界の中でもずばぬけて優秀な技術を持つ阪神特殊鋼なら、それがなし得ると信じたからです、たとえ不測の輸出キャンセルがあり、不況になったとはいえ、確固とした将来の見通しの上にたった高炉設備計画をメイン.バンクがいたずらに危険視し、建設半ばで見捨てるなど、当行には想像も出来ないことでした」
穏やかではあるが、芯《しん》の強い語調で自己の信念を述べた。
「ほう、すると、あなたは阪神特殊鋼の高炉建設に全然、危惧《きぐ》の念を抱かれなかったというわけでしょうか」
「全く危惧を抱かなかったと申したら、嘘《うそ》になりますが、トップである万俵鉄平専務の不退転《ふたいてん》の決意が揺るがぬ限り、資金繰りさえ続けば、必ずや高炉建設は為《な》し遂げられると、信じておりました」
「しかし、一行の頭取として、それほどまでに信じていた結果が、倒産というのは、一体どうしたことですか、あなたは先程、阪神特殊鋼に対する最終的な融資残高は百五十一億と、いとも簡単に答えられたが、そのうち担保は、どれぐらい取っておられるのですか」
「九十八億八千万は電気炉の工場財団に入っておりますが、残りの五十二億二千万については高炉完成後、新たに工場財団を組成し、担保設定することになっておりました」
「ということは、要はその五十二億二千万については、無担保で貸していたわけで、あなたの融資態度は極めてルーズであると同時に、一般預金者をこれほど馬鹿《ばか》にした話はない、しかも私が調査したところによれば、本年六月三十日、大同銀行は、阪神特殊鋼が経営悪化の一途を辿《たど》っている最中《さなか》にもかかわらず、二百万株の株式を購入した事実がある、三雲頭取、これは一体どうしたことですか」
中根委員は、株式購入の証拠書類をこれ見よがしに右手で振りかざした。記者席はもちろん、傍聴席からも騒《ざわ》めきが起ったが、三雲は動じない視線を、ひたと中根委員に向け、
「それは阪神特殊鋼の方から安定株主として買い増して欲しいという依頼があり、従来の当行との取引関係からみて、その程度の持株なら差しつかえないと考え、購入したのです」
「たしかにそういう大義名分は成りたつかもしれないが、それにしては購入時期がいかにも不自然ではないですか、阪神特殊鋼は高炉設備資金調達の一環として、来春三月に増資計画があったことは私も調査ずみであり、当時、不況のあおりを受けて七十円台を低迷していた株価の下支《したざさ》えをして、増資環境をよくするために買い増したというのが真実じゃないのですか、そうだとすると、あなたは銀行家でありながら、証券取引法で禁止されている株価操作をおやりになったことになるのですよ、そんなこととは知らずに連れ買いした街の投資家は、阪神特殊鋼が倒産して一文の値打ちもなくなった株券を前に泣いているんです、それを、あなたはどう見ているのですか」
居丈高に、中根がきめつけた。三雲は突然、足もとを掬《すく》われたように口詰った。思いもかけぬ悪質な云いがかりであった。
「株価操作など、私は考えもしなかったことですし、二百万株の買い増しが証券取引法に触れる株価操作になるなどとは考えられません」
と押し返すと、中根は三雲の言葉に耳をかさず、
「ではもう一度、万俵頭取に伺います、あなたの方には、株の買い増しの依頼があったのですか」
「阪神銀行、万俵大介君――」
吉見委員長が、万俵の氏名を呼んだ。万俵は起立し、
「当行には六月半ばに、株式買い増しの依頼がございました、しかし、当行としては高炉建設の一時中止を説得中でしたので、当然、依頼には応じませんでした」
「なるほど、以上でメイン.バンクの位置が逆転した前後の事情が解《わか》りました、メインの阪神銀行が高炉建設の中止を勧告した時点で、サブの大同銀行も、阪神特殊鋼の若い経営陣を抑えておれば、或《ある》いは今回の大型倒産は、避け得たのではないかと思われます」
中根がそう云いきると、
「委員長!」
三雲の広い額に青い筋がたち、委員長に向って発言を求めたが、中根はそれを遮《さえぎ》り、
「三雲頭取には、そのほかいろいろと聞きたいことがありますが、時間がないので、次の参考人に質問を進め、改めてご見解のほどは伺わせて戴きます」
一方的に三雲の発言を封じた。三雲が頭取として無能であり、阪神特殊鋼倒産の責任者であると印象づけるには、三雲の発言を封じてしまうことが最も効果的であった。しかも参考人側が、それに逆らってなおも発言を強行しようものなら、国会議員に対する不遜《ふそん》な態度として、どんな手段に出られるかしれない。三雲は、わなわなと唇を震わせた。
「委員長! 緊急に両行頭取について、関連質問があります」
大蔵委員席の最前列から声が上った。中根と同じ社民党の荒尾留七委員であった。
中根の表情が苦々しくなり、永田大蔵大臣と春田銀行局長も、大蔵委員会の“爆弾男”の異名を取る荒尾留七に胡散《うさん》臭げな視線を向けた。しかし、人いきれで蒸せかえりそうな委員会室の中で、もっとも動揺したのは、万俵大介であった。万俵のうしろに控えている芥川の顔色も、変った。“想定問答集”を中根代議士を通じて、荒尾代議士に手渡そうと工作したのが失敗していたからであった。
「最初に、万俵頭取にお伺いしたい」
荒尾委員は、東北の一介の郵便局員から組合幹部にのし上り、選挙に打って出た社民党代議士らしく、肩から胸にかけて筋肉が分厚く盛り上った頑丈な体躯《たいく》に闘志を漲《みなぎ》らせ、はじめから挑戦的な語調で万俵を名指した。万俵は、荒尾がこれから始める関連質問如何《いかん》では、先に、代表質問者の中根委員と交わした“想定問答集”が一気に吹っ飛び、真相が暴露されることによって、大同銀行の三雲頭取より、自分の方がとり返しのつかない場へ追いやられるのではないかと危惧した。
荒尾委員は、陽灼《ひや》けしたいかつい顔でぐいと、万俵を見据え、
「先程来、あなたの云っていることを聞いていると、阪神特殊鋼の万俵鉄平氏とは実の親子とはいえ、銀行家としての立場上、融資を手控えたと、まことに聞えのいいことを云っておられるが、銀行家というものは、本来、取引先の企業の経営がおかしくなった場合、あくまで企業を倒産させないよう、誠心誠意、努力するべきであるにもかかわらず、あなたのやり口をみていると、阪神特殊鋼の業績のいい時ばかり金を貸して金利を稼《かせ》ぎ、危うくなると、掌《てのひら》を返すように冷遇している、あなたはわが子といえども銀行の利鞘《りざや》が吸えなくなると、弊履《へいり》の如《ごと》く捨てようというのですか、それが万俵頭取のいう銀行家の社会的責任なんですか」
銀行家の偽善を引き剥《は》がすように詰め寄ると、委員席から、そうだ、そうだ! という野次が飛んだ。万俵は頬を硬《こわ》ばらせ、
「先生のお言葉ではございますが、私はいかなる場合も、預金者保護を第一義に考えており、息子もそれは承知しております」
出来るだけ言葉短かに答弁した。
「じゃあ伺うが、阪神特殊鋼の経営問題について、あなたは同社の万俵専務との間でどの程度、真剣な討議があったのですか」
「何分《なにぶん》、親子のことでございますから、お互いの性格論争までしながら、何とか阪神特殊鋼の暴走を食い止めようと論議を尽しました、しかし何としても、息子は私の助言を聞き入れませんでした」
「しかし、阪神特殊鋼には大株主がいるでしょう、真実、それほど危ういと解っていたら、なぜ大株主を集めて実情を訴え、阪神特殊鋼の経営陣に反省を求める努力をしなかったのですか、あなたは性格論争とか何とか云っているが、腹の底ではいつ逃げよう、いつ逃げようと、そればかりを考えていたんでしょう! どうなんです!」
「いえ、さようなことは全くございません」
「ない? そんなことはないはずだ、胸に手をあててよく考えてみなさい、あなたはいろいろ云いわけを云っているが、われわれの眼には、あなたの銀行は儲《もう》けるだけ儲けて、逃げてしまったとしか考えられない、つまりは食い逃げ、それも親が子から食い逃げしたようなものだ、そういう意味では問題児を後でおしつけられた三雲頭取の方に、むしろ同情の余地すらある」
語気を強めて、万俵を吊《つる》し上げた。傍聴席にもぐり込んでいる各行の忍者たちはさすがに遠慮して視線を落したが、新聞記者たちは小気味よさそうに、鉛筆を走らせている。
「さて、その三雲頭取だが、同情の余地があるとはいえ、親も見捨てる子会社の後を、あなたのところは何故《なぜ》、引き受けたのですか、大同銀行と阪神銀行の間には交換融資、たとえば、あなたの銀行で手に負えなくなった企業の面倒を阪神がみるかわり、大同の方で阪神特殊鋼の面倒をみるというようなバーター取引があったのではないのですか、もしそんなことで阪神特殊鋼の融資を引き受けたとなれば、あなた方は一般大衆の預金を何と心得ているのか、あなた方の銀行の預金は、国民大衆が手にまめをつくり、朝は朝星、夜は夜星をいただき、一生懸命働いて貯《たくわ》えた命から二番目に大事な金なんですよ、国民がそんな融資を承認すると思っているのですか!」
荒尾委員は、三雲に向って噛《か》みついた。
「大同銀行、三雲祥一君」
吉見委員長が、三雲の答弁を促した。三雲はアサヒ石鹸《せつけん》のことが脳裡《のうり》を掠《かす》め、もしや綿貫千太郎が歪曲《わいきよく》して部外者に喋《しやべ》ったのではないかと思ったが、
「そのようなバーター取引は一切、ございません」
きっぱりした口調で否定した。
「それでは阪神特殊鋼への深入りは、頭取のあなたの責任においてしたことなのですか」
「たしかに私の判断で融資を続行しました、ですが、ここではっきり申し上げたいことがあります、それは阪神銀行が見せかけ融資というような形で、何故《なぜ》、当行に故意に貸し込ませたかということで、この点、万俵頭取に不信の念を払拭《ふつしよく》できません」
銀行家の良心を問うように云うと、
「なに、見せかけ融資――、これは聞き捨てならぬ大問題だ、万俵頭取、あなたはそんな詐欺《さぎ》行為のような悪質な操作をしてまで、なぜ大同銀行に貸し込ませたのですか、かくなる上は阪神特殊鋼の倒産は、メインが計画倒産を意図して、貸金を引き揚げた疑いがある、万俵さん、どうなんですか!」
荒尾委員は、嗄《しわが》れ声を一段と張り上げ、机を叩《たた》いた。委員会は騒然とした。万俵は全身、血の気が引く思いで、答弁の方法を思いめぐらした。
「委員諸君、静粛に! 阪神銀行、万俵大介君」
吉見委員長はそう制しながら、自身も意外な事態の成行きに昂奮《こうふん》の気配を見せている。
「お答え申し上げます、見せかけ融資を当行が行なっていたとのお疑いでございますが、三雲頭取の何らかの思い違いとしか考えられません、思うにそれは阪神特殊鋼のことで、当行が融資を手控えた事実を、阪神特殊鋼は大同銀行さんに知られ、融資が削減されるのを恐れて、当行があたかも従来通りのペースで貸し出しているように粉飾した帳簿を渡していたそのことを、云っておられるのだと思います、ご不審と思われましたら、阪神特殊鋼の管財人にご照会下さいますよう」
少しでも弱味を見せればつけ込まれるから、万俵は机の下の足を踏ん張り、毅然《きぜん》たる態度で斬《き》り返した。荒尾委員は一瞬、ひるむような気配を見せたが、三雲はいささかもひるまず、発言を求めかけると、
「委員長!」
三雲より一手早く、中根委員が挙手した。
「中根正義君」
委員長は、中根委員の発言を許可した。
「時間もあと余りありませんので、私がまだし残している質問をさせて戴きたいと思います、その前に三雲頭取に補足して伺います、只今《ただいま》、あなたは見せかけ融資とかおっしゃいましたが、よく聞けば、要はあなたが阪神特殊鋼に騙《だま》されていたのではないですか、企業の将来性の見通しの誤りといい、経営者に対する見誤りといい、失礼ながら、都市銀行頭取としての資格は、あなたにはありませんよ、反省しておられるのでしょうね」
中根委員は、阪神銀行から受け取った“想定問答集”を巧みに割り込ませて迫った。三雲は顔を青ざめさせながら、
「私には私なりに申し上げたいことがたくさんありますが、結果的にこういう事態となった以上、反省はしております、しかし、これだけは国会という場においてどうしても申し上げたい――」
と云い、見せかけ融資を指示したのは万俵だと云いかけると、中根の声がおっかぶさった。
「いや、解りました、しかし、この国会という場において、今度の問題は大同銀行の不明の致すところだと認め、反省しているのですね、それならば結構です」
有無《うむ》を云わさず、三雲の良心の訴えを、言葉の暴力で押し潰《つぶ》してしまい、
「次に、永田大蔵大臣に伺います、今度の問題で大蔵省の監督責任を感じていますか」
中根委員は、勢いづくように云った。
「大蔵大臣、永田格君」
吉見委員長がやや改まった語調で呼ぶと、永田大臣は半ば閉じていた三白眼をゆっくり開け、きりぎりすのような痩身《そうしん》で、たち上った。
「監督が充分、行き届いていなかったことは遺憾に思います、今後はこういう事態が発生しないよう、銀行検査は必要に応じて厳しくやっていく所存であります」
言葉は慇懃《いんぎん》だが、中根の追及など蚊《か》が止まったほどにも感じていない紋切型の答弁をした。しかし中根の方は大蔵大臣を相手取っての代表質問に気負いたち、
「今回の問題で銀行の経理に与える影響を、大臣はどう考えておられますか、経営不安を起す怖《おそ》れはないのですか」
「阪神特殊鋼は更生会社として、現在、既に再建の道を步んでおり、私に報告されているところでも、更生会社として運営よろしきを得れば、比較的早期に再建される見通しなので、阪神特殊鋼の倒産が銀行の経営に致命的な打撃を与えるところまでは行っておりません、また経営不安についても、下請け、関連企業に対する対策は、両行ともに万全を尽すといっておりますので、これ以上拡《ひろ》がらないと信じます」
「では、大蔵大臣、あなたは一社に対する銀行の融資額は、どの程度までが適正であると考えていますか、大口融資の規制問題については、以前から問題になっており、今回の阪神特殊鋼倒産を契機に具体的に規制法案をつくる考えはないのですか」
「その点に関しては、検討に値する課題ではありますので、数年前、銀行局でアメリカの規制法案を研究させましたが、目下のところは考えておりません」
永田大臣は、ぬらりと逃げを打った。
「春田銀行局長、そのアメリカの大口融資規制法案とはどういう内容のものですか」
「銀行局長、春田透《ひでる》君」
「お答え申し上げます、アメリカでは一社に対して自己資本の一〇パーセント以下という制限があり、それを日本に導入し得るものか否《いな》か、調査、研究致しましたが、わが国とアメリカとでは国情の相違もございまして、目下は、銀行の経営責任において、自主的に制限するよう厳しく指導しております」
春田銀行局長は、慇懃鄭重《ていちよう》に、もの馴《な》れた答弁をした。
「なるほど銀行の経営責任においてですね、となると永田大臣、今回の場合、貴重な大衆預金を預かる金融機関として、軽率であったということになるならば、金融機関の責任者を追及する方策はあるのですか、もしあるとすれば、それはいかなる根拠に基づいて行なうのですか」
なおも執拗《しつよう》に食い下ると、永田大臣は、
「銀行法第二十三条、法令違反、公益侵害等に対する処分の項目に基づいて行なうことになります、条文については銀行局長より説明させます」
と云い、すぐ春田銀行局長が答弁した。
「第二十三条の条文を申し上げます、『銀行ガ法令、定款若《ていかんもしく》ハ主務大臣ノ命令ニ違反シ又ハ公益ヲ害スベキ行為ヲ為《な》シタルトキハ主務大臣ハ業務ノ停止若ハ取締役、監査役ノ改任ヲ命ジ又ハ営業ノ免許ヲ取消スコトヲ得』となっております」
「では大臣は、今回の問題で両行に対し、銀行法第二十三条を適用する考えはあるのですか」
永田大臣は、三白眼をちかっと光らせ、
「この問題については、阪神特殊鋼の債権債務の問題も、いまだ結論が出ておりませんが、その結果を待って、もし当局で銀行経営の任にあらずと考えれば、当然、厳しい措置をもって臨むつもりです」
と答弁すると、中根委員は満足げに頷《うなず》き、吉見委員長が壇上から、
「本日の大蔵委員会は、これにて終了致します」
閉会を告げた。万俵の顔に九死に一生を得た安堵《あんど》の色がうかび、隣席の三雲は、最後の永田大蔵大臣の発言で、今日の大蔵委員会が最初から一つの方向付けをもって開かれていたことに気付き、顔面を蒼白《そうはく》にした。
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五 章
万俵鉄平は、早朝の雪の山道を猟犬一匹を連れ、独り登っていた。
眼前に丹波《たんば》の中央部を縦走する多紀《たき》連山が雪を頂いた容《すがた》を見せ、その一つである三岳《みたけ》山の山道は、氷点下の寒さのために凍《い》てつき、空気まで氷のように硬く冷たい。鉄平は肩にジェームス.パーディの猟銃をかけ、俄《にわ》かに険しくなった山道を鉈《なた》で枝を払い、一足ごとに足場をつくりながら、登っていた。手足の先が凍《こご》え、一足進む度に息が切れ、吐く息がすぐ凍りつくようで、激しく苦しい步足《ほそく》であったが、今の万俵鉄平にとっては、そうして肉体を傷《いた》めつける日々が、せめてもの心の救いであった。
足を止め、山の頂を仰ぐと、北の斜面から雪が降りはじめている。阪神特殊鋼を明け渡した日、ぼたん雪が降りしきっていたことが鉄平の胸を掠《かす》めたが、過去の思い出を振り払うように再び険しい山道を登った。行き止まりの沢まで来ると、犬は戸惑うように鉄平を仰いだが、鉄平は凍てついた岩に足もとが滑らぬよう注意しながら、ずんずん下りて行き、沢を渡ると、道なき道に踏み入った。
不意に猟犬が、くんくんと雪に覆《おお》われている地面に鼻をすりつけ、逆毛をたてた。山兎《やまうさぎ》の足跡らしい小さな跡形がついている。鉄平は銃をかまえながら、犬のあとを追った。突然、眼の先の窪《くぼ》みにかさっと音がし、枯れた叢《くさむら》から兎が飛び出した。
ターン!
発砲すると、茶褐色の山兎が宙に撥《は》ね上り、叢に落ちた。猟犬がすぐ血を滴《したた》らせた大きな山兎をくわえて来た。鉄平は、山兎の両耳を掴《つか》み、再び山中を上りかけると、どっどっどっと、枯枝を踏みつけながら鉄平の方に向って来る音がした。はっと身構えると、