饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15371 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「誰かのう!」

 人声がし、猟犬が尾を振った。

「市太爺《いちたじい》さんのところにいる万俵だ!」

「おう、万俵の若旦那《だん》さんか、鉄砲の音がしたんで、何かと飛んで来たんや」

 猟銃を手にした市太老のところの勢子《せこ》であった。今日の猪猟《ししりよう》のために、猪《いのしし》の餌《え》ばみの跡や足跡を先見《さきみ》に来ているのだった。鉄平が手にぶら下げている兎を見、

「この上の尾根に、猪の足跡が見つかりましたでぇ、足跡の大きさからみて、親猪らしい、早よ報《しら》せんことにゃあ――」

 と云《い》い、鉄平を促して雪の山道を下りながら、

「若旦那さん、毎朝、ようご精が出ますな、山步きも大分、馴《な》れなはったやろ」

 岡本の邸《やしき》を出、妻子を東京の妻の実家へ送って行った後、暫《しばら》く一人で考えたいからと、妻にも行先《ゆきさき》を告げず、祖父の代からの付き合いである多紀連山の麓《ふもと》にある草山村の猟師、大垣市太老の家に身を寄せているのだった。

 山麓《さんろく》まで下り、ライトバンに乗って、市太老の家まで帰って来ると、土間で十頭の猟犬が、麦と米と猪の臓物を混ぜた餌《えさ》を貪《むさぼ》るように食べ、炉ばたには、味噌汁《みそしる》が湯気をたてて煮たっていた。勢子が猪の足跡を見付けたことを告げると、市太老の長男の市郎をはじめ、そこに集まっている地元の猟師たちは、歓声を上げ、腹ごしらえにかかった。

 市太老は、炉ばたの正面に鉄平を迎え、

「さあ、さあ、若旦那さん、濡《ぬ》れた皮の上衣《うわぎ》は脱いで――、その山兎はわしがワタヌキしときますよって、早う温まりなはれ、山步きもええけど、こう毎朝では体にこたえ、なんぼなんでも無茶や、先代の大旦那さんがおられたら、大目玉もんよ、のう」

 市太老は二言目には、先代の大旦那さんと云い、鉄平が容貌《ようぼう》、体躯《たいく》、性格ともに先代に似ていることを懐《なつ》かしみ、鉄平がここ暫く逗留《とうりゆう》したいが、家には黙っていてほしいと云った時も、理由などきかず、鉄平のために別棟になっている自分の隠居部屋を空けて、迎え入れたのだった。

 鉄平は、市太老がよそってくれた味噌汁の椀《わん》を受け取り、ふうふう吹きさましながら箸《はし》をつけていると、表戸が開き、いつものように昨日《きのう》の夕刊と朝刊が一緒に放り込まれた。土間の上框《あがりがまち》で朝食を食べていた勢子の一人が、炉ばたに置いたのを、鉄平は二杯目のご飯を所望しながら、まず夕刊に眼を向け、はっと箸を止めた。

大蔵委 阪神特殊鋼倒産に関連し

    大同、阪神銀行頭取を喚問

 一面左側の肩に、大きな見出しが出ている。鉄平は、新聞を鷲掴《わしづか》みにして、記事に眼を走らせた。そこには昨日、衆議院大蔵委員会に、大同、阪神両行頭取が喚問され、阪神特殊鋼への融資経過について厳しい追及を受けたことが記《しる》されている。そして阪神銀行の頭取である万俵大介より、大同銀行の三雲頭取の方に放漫融資、不良貸付としての厳しい責任が問われていることに、鉄平は五体が引き裂かれるような痛みを覚え、つい先刻《さつき》まで肉体を酷使し、いためつけることによって忘れようと努めて来たことが、どっと思い返された。

「若旦那さん、発《た》つ用意でけましたでぇ」

 地下足袋に足もとを固め、銃を肩にかけた市太老の長男の市郎を先頭に、猟師や勢子たちが、十頭の猟犬を引き連れてたち上ったが、鉄平は放心したように応《こた》えなかった。

「どうしなはった、若旦那さん!」

 市太老が訝《いぶか》しげに促した時、鉄平ははっと我に返り、

「すまないが、先に行ってほしい、尾根の場所は解《わか》っているから後を追う――」

 辛うじてそう云い、もう一度、新聞を拡《ひろ》げ、二面に詳細が記されている記事を読んだ。明らかに父、万俵大介は、何らかの奸計《かんけい》をもって、三雲頭取を陥れる策を計り、三雲頭取はその罠《わな》に落ち、満身創痍《そうい》になっている――。「三雲さん、あなたは企業の将来性を見誤ったばかりでなく、経営者まで見誤っている、都市銀行の頭取としての資格などあなたにはない」「大蔵大臣は、今度の問題で監督すべき金融機関の責任者を処分する方策を考えていないのか」――、鉄平の耳朶《じだ》に父に踊らされて三雲頭取を弾劾《だんがい》する政治家の声が聞えて来るようで、いたたまれなかった。無理に閉じていた心の創口《きずぐち》が鋭く裂け、どくどくと血を噴き出すような思いであった。鉄平は眼を閉じ、突き上げて来るものに耐えようとした。だが、いつの間にか有線電話のハンドルを廻し、東京の三雲の家の番号を申し込んでいた。まだ八時前だから、三雲頭取は在宅しているはずであった。やっと電話が繋《つな》がった。

「もしもし、三雲さんのお宅ですね、頭取をお願い致します、万俵鉄平です」

 と云うと、老婢《ろうひ》らしい声で、

「一足違いで、たった今、お出ましになりました、もしもし、少々、お待ちを――」

 と応え、受話器の向うで声が変った。

「もしもし、万俵さん――、志保でございます、どちらにいらっしゃるのです」

 鉄平は、言葉に詰ったが、

「丹波の篠山《ささやま》の知人宅です、今、新聞を見て、昨日の大蔵委員会のことを知り、三雲頭取に何とお詫《わ》び申し上げていいか、それでお電話をさし上げたのです……」

 志保は暫く、言葉を跡切《とぎ》らせ、

「父はもうすべてを覚悟しているようでございますわ、それより万俵さんの行方が知れないことを気にかけておりました、どうか只今《ただいま》の居場所をおっしゃって下さいまし」

 細い静かな声であったが、一筋の温かい心の流れが伝わって来た。鉄平は瞬時、迷ったが、昨年十一月に三雲頭取と猪撃ちに来たところですと、志保に告げた。

 三雲は、大蔵省の正面玄関を入り、大臣室のある二階に向って階段を上りながら、つい今しがた、大同銀行を出て来る時、自宅からかかって来た娘の志保の迫るような声を思い返した。

 ――今、万俵鉄平さんからお電話がありましたの、丹波の篠山に蟄居《ちつきよ》していらして、新聞を見て、はじめて昨日の大蔵委員会のことを知って、三雲頭取にすまない、自責の念で一杯だと、そうおっしゃって……、お父さま、鉄平さんを許してあげて――と、懸命な声で伝えて来たのだった。そうした念《ねが》いを伝えて来た愛娘《まなむすめ》へのいとおしさと、さらに自分がこの人物ならばと賭《か》けた万俵鉄平が、今は丹波の山中に蟄居しているということが、三雲の胸の中で重なり合った。

 階段を上り、左へ折れると、官房長室、事務次官室、政務次官室が並び、大臣室に通じる廊下は、慌《あわただ》しい朝の官庁とは思えぬ静けさに包まれている。昨日、大蔵委員会が閉会し、銀行に帰りついた三雲の後を追うように春田銀行局長から電話があり、「明朝、永田大臣がお呼びですので、午前九時十五分に大蔵大臣室までお出向き願いたい」と云って来たのだった。大蔵委員会に喚問されたすぐ翌日であり、しかも、午前九時十五分という、まだ大蔵省詰めの新聞記者たちが出て来ていない時刻だけに、三雲は、厳しい叱責《しつせき》を覚悟していた。

 大蔵大臣室の前まで来ると、かっきり九時十五分であった。隣接している秘書官室をノックすると、すぐ大臣室へ案内された。

 三十坪ほどの広さの大臣室には、執務用の大きな机と応接用ソファ、会議用の大テーブルが配置され、国旗が掲揚されている。

 永田大蔵大臣は国旗の前のソファに坐《すわ》っていたが、春田銀行局長のみならず、井床銀行課長まで陪席していることに、三雲は異様な思いがした。

「この度は何かと当局にご迷惑をおかけし、大臣にまでご心労をおかけして、申しわけございません」

 大蔵委員会に、永田大蔵大臣まで参考人として出席しなければならなかったことを、詫《わ》びた。

「ご足労です――」

 永田大臣はにこりともせず、自分と向い合った椅子《いす》をすすめ、

「阪神特殊鋼への不良融資に関していろいろと報告書を読み、昨日の大蔵委員会の質疑応答を聞いていると、結局、大同銀行の体質に起因しているようだが、三雲君としてはこの問題にどう対処するつもりでいるのですかねぇ」

「私と致しましては、阪神特殊鋼へのこげつきを整理して、ちゃんと軌道に乗せてから、引責辞任を致すつもりでおります」

 三雲は姿勢を正して云いながら、陪席している井床銀行課長が自分の発言をメモしていることに気付いた。

「だが、問題は三雲君の考え通り軌道に乗るか、どうかだが、銀行局長の報告によると、大同銀行の傷は予想以上に深く、君のところの力だけで、傷あとの整理が出来るか疑問だと云っている、事実、頭取が責任を取っただけですむ話ではなさそうなので、君に来て貰《もら》った次第ですよ」

 永田大臣の言葉には、複雑なニュアンスがあった。

「その点につきましては、当行では連日、役員会を開いて善後策を検討し、何とか後《あと》処理できるめど[#「めど」に傍点]をつけております」

 と云うと、永田はそれには応えず、かわって春田銀行局長が口を開いた。

「今度の問題を通して一番、痛感するのは、大臣もご指摘になったように御行《おんこう》の融資の仕方、人、組織を含めた体質自体の脆《もろ》さですね、大きな融資先にはいつも他行のあとに随《つ》いて、いわゆる“二位銀行”として融資しているうちは、そうした旧態依然たる体質でもぼろ[#「ぼろ」に傍点]を出さずにすまれたんでしょうが、鉄鋼のような基幹産業のメインになって、リードして行くとなると、現状でははっきり云って力不足で、都市銀行として、今まで通り独りだちしていけるものか甚《はなは》だ心もとないと思います、先日、松平日銀総裁の意見を聞いてみましたが、やはりちょっと独力では難かしいのではないかというようなご意見でしたよ」

「そんなはずはないと存じます、松平総裁には逐次、経過を報告し、何とか独力で大同銀行の傷あとを改善するという方向で、いろいろ助言を戴《いただ》いております」

 三雲は、きっぱり云った。

「そりゃあ、君に対する激励の意味じゃないかね、総裁は、春田君に事実そう云っているんだろう」

 永田は、三雲の言葉を無視するように云うと、春田は、

「そうです、実は、大同銀行の経営を改善するにはどうすればよいか、日銀としてどれだけの協力が出来るのか、その辺を総裁に打診してみたのですが、日銀として大同銀行の面倒見をどうするかという具体的な話にはならず、むしろ現在、大同銀行が背負っている深傷《ふかで》では、とても独力でやっていけないという判断をしている感じです、もちろん、日銀出身の三雲さんにかかわることですから、はっきりとした云い方は避けておられますが――」

「独力で駄目なら、どこかに手をかりないといかんではないか」

 永田の三白眼が、じろりと三雲の方を見た。

「とおっしゃいますと、まさか、どこかと合併を……」

 三雲は愕然《がくぜん》とした。大蔵大臣じきじきの手厳しい叱責は覚悟して来たが、まさか他行との合併勧告が持ち出されるとは予想だにしないことであった。

「三雲君、僕も今度のことでは心配して、金融界の心ある人の意見を聞いてみたところ、大同銀行と合併してもという意向をもっているところが、一、二あるようだし、春田君のところには、他《ほか》にもいろいろと青写真があるらしいじゃないか」

「たしかに複数の銀行から非公式な意思表示がありますから、私の方でいろんな角度から検討してみたところ、たまたま阪神銀行から、今度の阪神特殊鋼への融資については、親銀行として道義的な責任を感じているから、大同銀行の多額のこげつきの整理には積極的な協力をしたいと云って来ているので、この際、阪神銀行との合併が、一つの有力な考え方ではないかと存じます」

 春田が、改まって永田大臣に具申するように云うと、永田は、

「うむ、それも一つの考え方だね」

 いかにも初耳のように頷《うなず》き、三雲にいささかの疑いも持たせぬような老獪極《ろうかいきわ》まる云い方をしたが、三雲の脳裡《のうり》には、今まで絶えず、何かガラスが曇っているような感じであったのが、今、はっきり拭《ぬぐ》われた思いがした。だが、大同銀行のために日夜業務に励んでいる役職員たちが、この話を耳にすれば、いかに激怒するであろうかと思うと、胸が締めつけられた。三雲はひたと眼を上げた。

「大臣、お言葉を返すようでございますが、当行には、他行との合併によって、現在の危機を乗り切ろうなどという意見は、役員の誰一人として持っておりません、よしんば、かりに、私がその気持になっても、大同銀行一万人の行員は、大臣のお言葉の方向へは動かないと存じます」

 大臣の要求を拒んだ。陪席している春田は苦い表情をし、その横で、びっしりメモを取っている井床銀行課長も、思わず手を止めたが、永田はきりぎりすのように痩《や》せ細った体をゆっくり椅子から起し、

「三雲君、何しろ突然の話で、君もびっくりしただろうし、何もここで即答して貰おうとは思っていないよ、まあ、役員会にもかけて慎重に考えてから返事してくれ給《たま》え、しかし、僕の善意は大事にしてもらいたい」

 三白眼を光らせ、止《とど》めを刺すように云うと、春田は、

「じゃあ、これで――」

 と云い、永田.三雲会談は、僅《わず》か二十五分で一方的に打ち切られた。

 大蔵省から大同銀行へ帰った三雲頭取は、直ちに緊急役員会を招集した。

 今朝《けさ》、午前九時十五分に三雲が大蔵大臣室に呼び出されていることを知っている専務、常務たちは、三雲の帰行を待機していたから、すぐ役員会議室に参集した。

 三雲はさし迫った表情で、

「緊急役員会を招集したのは、ほかでもない、実は先程、永田大蔵大臣に呼ばれ、今回の件を契機にして阪神銀行との合併を勧告された、あまりにも唐突《とうとつ》であり、大同銀行の死活に関することなので、私としては大臣のお言葉に副《そ》える自信はないと云って来たが、当局がそこまでいうことは、当行にとって重大な経営危機と云わざるを得ないから、諸君の忌憚《きたん》のない意見を聞かせて貰いたい」

 と云うと、愕然とするだろうと思った役員たちは、妙にしんと黙り込んだ。真っ先に激怒するはずの綿貫専務をはじめとする業務担当の小島常務、人事担当の山之内常務、総務企画担当の角野常務らの生抜き派はちらっと上眼《うわめ》遣いに三雲を見、中間派である経理担当の夏目専務と事務能率担当の中原常務は口を噤《つぐ》み、三雲と同じ日銀天下りの外国担当の白河専務だけが、あまりのことに顔を蒼《あお》ざめさせた。三雲はそうした沈黙に尋常でないものを感じた。そして中間派の夏目専務に向って、

「夏目君、あなたの意見はどうです」

 と促すと、夏目は温和な眼をまごつかせるように瞬《まばた》きし、

「頭取が、即答を拒否して帰って来られたのは、一行の頭取としてごりっぱな態度だと思います――」

「いや、僕が聞いているのは、阪神銀行との合併に対する君の意見ですよ」

 重ねて云うと、横合いから綿貫が、口を挟《はさ》んだ。

「ほかならぬ銀行局長が同席の上で、大蔵大臣から阪神銀行との合併を勧告された限りは、頭から蹴《け》らず、この席上で討議すべきだと思います」

 三雲は、きっとした視線で、綿貫を見た。

「綿貫君、君は大蔵大臣の意見をもっともだと思うのかね」

「いえ、そうは申しておりません、ただわれわれは、大蔵省の監督下にあって営業して来ているので、当局とことをかまえたくない、いやしくも大蔵大臣じきじきの勧告を、頭から拒否するのはいかがなものでしょう、そうまで云われる限り、大臣として何か、それなりのお考えがあるのではないでしょうか」

「たとえ何らかの考えがあったとしても、まことに非礼な話だと思う、いやしくも公《おおやけ》の金融機関に対して、何の前ぶれもなく、突如、合併話を切り出すなど、私はむしろ大臣の方が非礼だと思う、それでも、綿貫君、君はおめおめとこの合併勧告を受け入れるというのですか」

 毅然《きぜん》と云った。

「いや、そこのところが問題でございますよ、大蔵省の許認可で動いている銀行として、大蔵大臣がそういう言葉を洩らされるということは、事務当局として、それが望ましいと思っている証拠だと考えねばならないのではないでしょうか」

 叩《たた》きあげの専務らしい老練さで、やんわりと云い返すと、

「綿貫君の話を聞いていると、まるで阪神銀行との合併を歓迎しているようじゃないか」

「とんでもありません、しかし私は、最近の金融情勢を見るにつけ、いつかは当行も合併に踏みきらねばならんと思ってはいました、もちろん、どこと特定の相手を考えたわけではありませんが、今、頭取のお話を聞き、この際、大臣のお言葉を冷静に受け入れるべきではないかと存じます、当行にとって不為《ふため》になる話ではないと思われますので――」

「君は、一体、何をもって、不為ではないと云うのかね」

「実は、もし合併しなくてはならぬのならと、私の頭の中で考えておりました中に、たまたま阪神銀行が入っておりましたので――」

 あとは言葉を濁すように云うと、綿貫派の業務担当常務である小島が発言した。

「頭取、先刻来のお話を伺っておりますと、もし頭取にご決意があれば、阪神銀行なら手頃の相手でありますから、検討の余地があるように思います」

 と云うと、同じく綿貫派の人事担当の山之内常務が、

「人の和という点から考えても、貯蓄銀行から今日《こんにち》、都市銀行にのし上った苦労人の多い当行行員と、地銀的都市銀行である阪神銀行の行員とは、どこか一脈相通じるものがあり、一考に値すると存じますが――」

 同調しかけると、日銀天下り派である白河専務が激しく遮《さえぎ》った。

「君たちは突然、何を云い出すのだ、君たちがいつも云う大衆と密着した当行の特殊性とか、自主独立路線というのは、一体、どうなるのだ、ちょっと大蔵省から厳しいことを云われたからといって、そんなにびくびくするのはやめ給え、だから、つけ込まれるのですよ!」

 昂奮《こうふん》のあまり、綿貫たち生抜き派を指さして非難し、一触即発の気配がたち籠《こ》めた。三雲も顔を紅潮させ、

「そうした諸君の年来の気持を汲《く》んだればこそ、私は今日の勧告に反対して来たのだ、もちろん、私も大勢観としては、金融再編成の流れの中で、合併を考えている、しかし、大蔵大臣から突如として切り出された阪神銀行との合併勧告はおかしい、それではまるで阪神特殊鋼倒産に関連して、傷もの同士が一緒になれという類《たぐ》いの話で、そんな姑息《こそく》的な合併は、いつかは必ず悲劇的な結果に終る、合併はやるからにはそれが終着駅になるような志《こころざし》の高い合併でなければならない」

 と云うと、白河専務がまた呼応した。

「同感です、どこかが合併すれば、すぐ追い越されてしまうような合併では意義がないし、大同銀行の大きな将来に繋《つな》がらない」

 正論を打ち出すと、綿貫は赭《あか》ら顔をまっ赤《か》に光らせ、

「そこまでご深慮のほど有難うございますが、たとえ大同銀行の名は消えても、実を生かすという考え方もありますよ」

 開き直るように云うと、三雲の顔に青筋がたった。

「君は、大同銀行を売る気ですか!」

 面罵《めんば》するように云った。綿貫は鼻翼を膨《ふく》らませ、

「あなた方こそ、次々と歴代、日銀から天下って来て、われわれの銀行のために何をやってくれましたか? 何もしてくれなかったじゃあないですか、苦節四十年のわれわれ生抜き派の結論が、名を捨てて実を生かすための合併です、あなた方がもっとしっかりし、当行のことを思ってくれていたら、或《ある》いはこうした考えにならなかったかもしれないのだ!」

 売り言葉に買い言葉のように応じると、白河が、

「何を云う! 私たちがおったればこそ、今後の国際競争に備えて、外国為替《かわせ》部門をいち早く強化し、最初はたった六人であった調査部を充実し、都市銀行にふさわしい体裁を整えられたのではないか」

 と云い、中間派の夏目専務を三雲派へ引きずり込むように、

「夏目君、三専務の一人として、あなたの忌憚のない意見を承りたい」

 と迫ると、既に綿貫の根廻しで、新銀行の専務の椅子を確約されている夏目は、

「白河さんと綿貫さんの両氏、それぞれのご意見がおありでしょうが、阪神特殊鋼への貸込みで当行の経営が危機に瀕《ひん》している時だけに、ここは大蔵省当局から出された合併案にのっておけば、何かとバック.アップを得られ、将来、当行の屋台骨を揺がすような破綻《はたん》は避けられるものと思います」

 と応《こた》えると、その言葉におっかぶせるように人事担当の山之内常務が突如、たち上った。

「頭取、実は白河専務以外の、ここに列席している役員たちは、綿貫専務を筆頭に、既に阪神銀行との合併の決意を固めております」

「なに! まさか、それは、ほんとうか……」

 固唾《かたず》を呑《の》んで一同を見渡すと、白河専務以外の役員は、黙って頷《うなず》いた。紅潮した三雲の顔からさっと血の気が退《ひ》いた。綿貫は、そんな三雲の手ごたえをじっと、確かめてから、

「実は、大蔵委員会の喚問がすまれたら申し上げようと思っていたのですが、まさか大蔵大臣からのお呼出しがあるとは予想だに出来ず、大臣に会われる前にお話し申し上げられなくて、残念ですが、われわれの意見は、固まっておりました」

 白河専務のニューヨーク出張中を狙《ねら》って、ことを決してしまったのだった。熱気をはらんだ会議室は一転して冷え冷えとしたうそ寒さに掩《おお》われた。

「それにしても、なぜもっと早い時期に、率直に話してくれなかったのだ」

 三雲は腸《はらわた》からこみ上げて来る怒りを抑え、やっとそう云うと、綿貫は俄《にわ》かに下手《したで》に出たもの腰で、

「しかし、頭取にご相談を申し上げ、万一、頭取がご賛成でない場合でも、私どもとしてはこの際、阪神銀行との合併は行なった方が当行のためになるという使命感に燃えており、頭取に弓をひくことになりますので、止《や》むなくこのような形になったのです」

 と応えると、三雲はまだ全面的に信じられぬ思いで、

「もう一度だけ、役員諸君に聞く、諸君らは綿貫専務とほんとうに意見、行動を共にしているのか」

 搾《しぼ》り出すように悲痛な声で確かめると、もはやどの顔も三雲頭取から視線を逸《そ》らせ、綿貫専務の方を注目している。綿貫は徐《おもむ》ろにたち上り、

「頭取、甚《はなは》だ申し上げにくいことでございますが、既に私たちは書状をもって、互いの意思を確認し合っております」

 と云い、上衣《うわぎ》の内ポケットから連判状を出して、三雲の前に拡げた。取締役以上の全役員十六名のうち、十一名が連判していた。三雲は、突如、背後から断崖《だんがい》に突き落されたような衝撃に襲われ、眼が眩《くら》んだ。

「なお、ご納得が行かぬようでございましたら、取締役も招集して役員会としての採決を取るように取り計らいますが――」

 三雲は、首を振った。

「連判状まであるのなら、今さら採決の必要はない、私は日銀から大同銀行の頭取に就任した時、いつの日にか、大同銀行生抜きの人に、頭取の座を渡したいと思って来たが、私の非力で、心ならずも意を達せずじまいであったことを恥じる、今回、阪神特殊鋼の問題で、阪神銀行との合併を当局から迫られ、君たちと胸襟《きようきん》を開いて話し合ってみたかった――」

 三雲は、思いを残すように云い、

「しかし、もはや、君たちの心が奈辺《なへん》にあるかが解《わか》った、私としてはすべて終ったから、あとは君たちに任せる――」

 と云うと、三雲は潔《いさぎよ》く椅子からたち上った。綿貫たちのクーデターは成功したのだった。三雲は椅子から離れると、息を殺すように自分を見詰めている役員たちに背を向け、扉《とびら》に向って静かに步き、独り役員室を去った。

 *

 いつもより早く眠りから覚めた万俵大介の眼の下の窪《くぼ》みに、にんまりとした笑いが溜《た》まった。自分の野心が満たされた時に見せる快い緩みをもった笑いであった。

 昨夜、大同銀行の綿貫専務から、クーデターが成功し、三雲頭取はあとは君たちに任せるといい残し、役員会の席を去ったと伝えて来た。そのことが、万俵の心を満たしているのだった。時計を見ると、まだ七時前である。寝室の暖房は適度にきいていた。両側のベッドに視線を移すと、相子の豊満で露《あら》わな肢体と、寧子の雛《ひな》人形のように白い小柄な体が横たわり、どちらもぐっすりと眠っている。クーデター成功の報《しら》せを耳にした万俵は、異様な昂《たかぶ》りの中で、久しぶりに妻妾同衾《さいしようどうきん》の淫《みだ》らな娯《たの》しみを貪《むさぼ》り、心身ともにたっぷりとした快楽を堪能《たんのう》したのだった。万俵は、年内に阪神、大同銀行の大株主の諒承《りようしよう》と組合対策を隠密裡《り》に行ない、来春早々、合併発表に持ち込むことだと思った。それにはまず、阪神銀行側としては、筆頭株主である大阪重工の安田社長の諒承を取りつけなければならない。

「……あら、お目ざめでしたの、日曜日ですのにお早うございますのね」

 相子が眼を醒《さ》ました。

「うむ、そろそろ起きて、食事をする、午前中に安田太左衛門さんを訪ねる約束をしているから」

 相子は素早く起きて、万俵にガウンを着せかけ、自分もガウンを羽織ったが、寧子は、妻妾同衾を強いられた恥ずかしさに堪えられぬように、

「お先に――」

 眼を伏せ、消え入るような声で云うと、三台のベッドが並んで、まだ昨夜の獣のような交わりのあとが漂っている部屋を、すうっと出て行った。そんな寧子に、相子は眼もくれず、

「安田さまへいらっしゃるのなら、銀平さんもご一緒なすっては? その方が何かとおよろしくなくって――」

 万俵の心の中を読み取るように云い、ナイト.テーブルの上の電話のダイヤルを廻した。銀平の家を呼び出すと、若いお手伝いはまだお寝《やす》みですと応えたが、相子は強引に起させ、銀平が電話口に出ると、すぐ受話器を万俵に手渡した。

「銀平かい、私だ、今朝十時に安田さんを訪問する約束をしているから、お前も一緒に行って、万樹子とのことを解決するがいい」

 と云うと、銀平は睡眠不足の不機嫌極まる声で、

「そんなことで日曜日の早朝、叩き起さないで下さいよ、僕はご免蒙《こうむ》りますよ」

「しかし、銀平、今日、安田さんを訪ねるのは、ことのほか大事な用件だ、それだけにお前も一緒に行って、万樹子と話し合う方がいい」

 大事な用件という言葉を強調すると、

「どんな大切なご用件かしりませんが、僕は何度おっしゃっても参りませんよ、大体、ベルト.コンベアに乗せるように勝手に安田万樹子との結婚を運んだのはそちらなんだから、万樹子を戻したければ、勝手に連れ戻して下さいよ、僕は何の不自由もしていないのですから――」

 と云うなり、がちゃりと電話をきった。万俵は苦々しげに受話器を置き、相子も表情を険しくした。

 山芦屋《やまあしや》の安田太左衛門邸に、万俵の車が着くと、既に正門は開かれていた。車を降りて、玄関に足を向けると、

「お舅《とう》さま、ようこそ――」

 珍しく和服姿の万樹子が出迎え、万俵の背後へちらっと視線を向けた。もしや銀平もという、女心だった。

「銀平の奴《やつ》、相変らずのお寝坊でねぇ、いくら電話しても起きなくって――」

 と云うと、万樹子は大きな瞳《ひとみ》を見開いたまま、頭を振った。

「いいえ、いいんですの、あの人は絶対、自分で迎えに来ないこと、私には解っておりますわ」

「そんなことはないよ、何しろ、今日は日曜日の午前中だもんだから――」

 いたわるように云うと、

「お舅さま、毎日が、日曜日の朝ではございませんわ」

 銀平の誠意のなさを詰《なじ》るように云ったが、

「どうぞ、こちらへ――、父が茶室の方で先程からお待ち申し上げております、母もあとで参上致します」

 庭石伝いに、柴垣《しばがき》の向うに見える茶室へ案内した。

 蹲《つくばい》で口をすすぎ、躙口《にじりぐち》から茶室へ入ると、安田太左衛門は、炉の前に端坐《たんざ》して待っていた。万俵は正客の座に着いた。

「ご休養の日に、お邪魔致します」

「なんの、なんの、私の早起きは年中で、日曜日は茶室に入る事を楽しみにしていますから、お客になって戴《いただ》いて有難いぐらいですよ」

 安田は温和な表情で云い、見事な袱紗捌《ふくささば》きで柄杓《ひしやく》を構え、しゅんしゅんと煮えたぎっている釜《かま》から湯を掬《すく》って、古薩摩《こさつま》の筒茶碗《つつぢやわん》に茶をたてた。万俵は作法通り、ゆっくり呑み干し、古薩摩の枯れた野趣を賞《め》でながら、

「銀平は、いまだにこちらへ伺わず、私もほとほと手をやき、申しわけなく思っております」

 と詫《わ》びた。安田はそれには応えず、

「ご長男の鉄平さんは、その後どうしておられるのです、阪神特殊鋼の経営には失敗なさったとはいえ、人物、識見ともに優れた人で、阪神特殊鋼を去られてからも、会社は未《いま》だに鉄平さんの人柄を慕い、鉄平さんの命じられた“阪神特殊鋼の煙突の煙を絶やすな”という一言を守って、難かしい再建計画に取り組んでいるそうじゃありませんか」

「お褒めにあずかって恐縮です、ここ暫《しばら》く東京へ参っておりますが、いずれ何か仕事をはじめると思いますので、その節はよろしく――」

 あくまで鉄平が万俵邸を去ったことは口に出さなかったものの、志摩半島や丹波の篠山、東京と大阪の『つる乃家』などの心あたりを再三再四、あたってみても、鉄平の行方は杳《よう》として知れなかった。

「二子さんの結婚式も、いよいよ三月の三日におきまりになったそうですね」

「おかげさまで――」

 と応えたが、二子は、父親である自分の説得も聞かず、細川一也との結婚を強硬に拒んでいる。二子のことと云い、銀平と万樹子の不仲と云い、銀行合併という大事業を前にした万俵にとっては、煩《わずら》わしい雑事以外の何ものでもなかったが、どちらも合併話とかかわりがあったから、なおざりに出来ない。

 二服目のお茶を喫し終ると、

「本日、ご自宅までお伺い致しましたのは、このほど、内々にではありますが、当行と大同銀行とが合併の合意に達しました、そのことを筆頭株主である安田さんにご報告かたがた、ご諒承を得に参った次第です」

 と云った。安田はお点前《てまえ》の手を止め、愕《おどろ》くように万俵の顔を見た。

「本来ならもっと早い時期に、大株主の方々のご諒解方を得なければならぬのですが、このところ金融界がいろいろと騒がしく、どう転ぶか解らぬ状態でしたので、ご報告が遅れました、事後承諾のような形になりましたが、結果としては喜んで戴けることと思います」

 万俵が云うと、

「あなたが合意される限りは、一対一の対等合併でしょうね」

「もちろんです、幸い融資先について見ると、当行は重化学部門が中心、大同さんは流通部門が中心で重複しておりませんので、合併によって資金量が大きくなるだけ、当行の従来のお取引先に対して今まで以上にご満足戴ける状態になると確信しております」

「しかし、当然、本店は東京へ移るでしょうから、今はそうはおっしゃっていても、遠い将来はやはり東京に重点がおかれるんじゃないですか」

「いや、東京で預金を集めて、こちらで運用する、つまり資金だけ持って来て、食《く》い得《どく》というわけですよ」

 万俵の顔に、銀行家らしい笑いがうかんだ。

「じゃあ、新銀行の頭取は?」

「私がやります」

「しかし、向うは何といっても阪神銀行より上位の銀行ですのに、三雲頭取はよく承知されましたね」

「ところが、三雲頭取は病臥《びようが》され、向うの経営陣はがたがたになっています、そんなこともあって、私が頭取ということになりました」

「じゃあ向うの方は、行内的に無理なく、役員会の総意として、万俵頭取にかたまったのですね」

 安田は念を押すように確かめた。万俵の脳裡に、綿貫らのクーデターが掠《かす》めたが、

「数ある役員の中には合併反対の人もあり、新銀行の頭取についても、当然、議論が闘わされたことは想像に難くありませんが、結論としては、向うの役員の総意によって決定されたことですから、ご安心下さい」

 と云い、万俵は一度、言葉を切り、

「ここで是非、安田さんにお願いしたいのは、合併に対する世論のリードです、おそらく、同じ阪神特殊鋼の倒産で傷ついた同士で、どうして一方がリーダー.シップを取り、一方が吸収される形になるのか、マスコミ、経済団体などで問題視されると思いますので、その辺を――」

 時間をかけ、あらゆる手練手管で永田大蔵大臣に働きかけて来ただけに、万俵の最も怖《おそ》れるところは、世論であった。じっと耳を傾けていた安田は、

「そうすると、そうした疑問に対して、合併は阪神特殊鋼の倒産が直接の原因ではなく、大同銀行の経営体質に起因するもので、たまたま阪神特殊鋼の件はきっかけになったにすぎないと、私に世論の旗振り役をせよとおっしゃるわけですね」

 暖かい冬陽《ふゆび》の射《さ》し込んだ茶室に一瞬、厳しい空気が張り詰めた。

「お手数ですが、当行の筆頭株主であり、関経連の役員であるあなたに、何かと意見を求められることが多いと思いますので、よろしく――」

 深々と万俵が頭を下げると、

「承知しました、世論の旗振り役はお引き受けしましょう、しかし、今日は実のところ、万樹子のことでお運び戴くものと思っていました、あれも万俵家から帰ってはや三カ月たち、少なくとも銀平君が迎えに来て、新年から心身ともに再出発させてやりたいと思っておりました、ですが、もう娘の万樹子はお宅へは帰しませんよ」

 安田は、企業と娘との関係をぴしりと分けるように云った。

 新橋の待合『たがわ』は、忘年会の宴席の退《ひ》け時がいっときになり、玄関が賑《にぎ》わっている。

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