来賓の列がやや跡切《とぎ》れた時、傍《かたわ》らの綿貫が汗を拭《ふ》きながら、肥満した体を万俵の方へ寄せ、
「大蔵大臣は、まだお見えじゃありませんが、確かにご出席下さるのでしょうね」
気懸《きがか》りそうに、小声で囁《ささや》いた。程なく会場に入り、新銀行の頭取として、来賓に挨拶する時間であったが、永田大蔵大臣の出席が得られなければ、今日の披露パーティに画龍《がりよう》点睛《てんせい》を欠くことになる。
「もうそろそろ、お見えになる頃だと思いますよ」
そう応えながら万俵は、永田大臣もさることながら、娘婿《むすめむこ》の美馬中も遅れていることが訝《いぶか》しかった。
大蔵省の二階にある大臣室で、主計局次長の美馬は、新銀行披露パーティに出かけねばならぬ時間を気にしながら、永田大臣の前に一礼して、坐った。
「君を呼んだのは、ほかでもない、新銀行の披露パーティに行く前に、話しておきたいことがあってねぇ」
永田大臣は、痩身《そうしん》を大きな執務机の回転椅子にもたせ、口を切った。時が時だけに、美馬は新銀行誕生の際、万俵から永田大臣へなされた“挨拶”が充分に行き届かなかったのではと、懸念《けねん》すると、
「今日のパーティには、君は次期銀行局長ぶくみで、臨んで貰《もら》いたい」
突然のことに美馬は、自分の耳を疑った。
「しかし大臣、主計局次長の私が次に銀行局長というのは、序列をとび越えることになりますが――」
省内の序列から考えて、主計局次長の次は理財局長、乃至《ないし》、経済企画庁へ一旦《いつたん》、転出した後、銀行局長というのが穏当な人事であった。だが、永田大臣は美馬の当惑など意に介さず、
「実は今朝、重藤《しげとう》次官が正式に辞意を申し出たので、後任は春田君に内定した、したがって、春田君のあとの銀行局長は、君にやって貰うつもりでいる」
七月人事を前にして春田銀行局長の次官昇進は、衆目の見るところであったが、厳しい省内序列を無視して、自分を一足とびに銀行局長に任命するには、何か相応の理由があるはずだと、美馬は考えた。
「ま、このことは春田君とも相談した上のことだ、新銀行の誕生にあたっては、君も大いに骨を折ったが、万俵頭取の女婿《じよせい》という関係を離れて、次期銀行局長として考える時、東洋銀行の将来はうまく行くと思うかね」
薄い笑いを、三白眼《さんぱくがん》に漂わせて云った。
「大臣、それはどういう意味のご質問でしょうか、東洋銀行は発足したばかりの銀行ですから、すべてはこれからにかかっていると思いますが――」
「そうかねぇ、はっきり云って、弱い者同士が合併し、図体《ずうたい》が大きくなっただけの銀行に、何が期待出来るというのだね、それどころか、新銀行は従来のそれぞれの中下位銀行の問題点をそのまま持ち越し、重複店舗の配置転換、余剰行員の活用など、問題点の大きさは、合併前よりある意味ではもっと大へんだ、それにあの弱体な役員の顔ぶれではとても克服出来ないし、第一、万俵頭取自身に問題がありすぎる」
永田大臣は、冷やかに云った。
「問題とおっしゃいますと、たとえば――」
緊張した面持で聞くと、
「阪神特殊鋼倒産に至る融資経緯だ、同社の元専務で、万俵大介氏の長男の猟銃自殺など、地銀的都市銀行のオーナーならともかく、中央の都市銀行の頭取としては、暗い側面がありすぎる」
「ですが、新銀行の体質がそれだけ解っておられて、なぜご認可になったのでしょうか」
美馬も、さすがに抗弁した。
「君、解らんかね、それは金融再編成の火蓋《ひぶた》を切るために、ともかく都市銀行同士の大型合併が必要だったからだ、春田君はその行政指導の大任を見事に果し、それを手土産に次官に昇進するのだよ、次期銀行局長たる者は、今日、発足した東洋銀行の合併後の体質改善を図り、名実ともにワールド.バンクたる銀行をつくることだ、そのためには東洋銀行を上位四行の一つと“再合併”させることだ」
永田大臣の声が、大臣室に低く籠《こも》り、美馬は驚愕《きようがく》のあまり言葉も出なかった。永田はさらに口を継いだ。
「上位四行の中《うち》、合併したばかりの東洋銀行を抑え込めるのは、まず五菱銀行をおいて他《ほか》にない、次期銀行局長たる君の仕事は、東洋銀行と五菱銀行との合併をまとめることだ、むろん五菱とは話が通じている」
「大臣――」
美馬は、絶句した。まさか永田の胸中が、阪神、大同を合併させ、新銀行を誕生させた上で、さらに上位の五菱銀行との再合併を意図していたとは――、それではまさに、豚は太らせて食え式のやり方以外の何ものでもない。さすがの美馬も身の毛がよだった。
「何だ、鳩《はと》が豆鉄砲を食ったような顔をして――、君だっていずれは代議士に打って出るつもりなんだろう、それとも東洋銀行入りでも考えているのかね」
「いえ、将来、政界入りを志していることには変りありません」
「それならなおのこと、在任中に大仕事をまとめ、足場を広くしておくことじゃないのかね、それには銀行局長二年、次官一年の計三年がかりで、東洋銀行と五菱銀行の合併を実現させることだ」
と云い、永田は、三白眼でじっと美馬を見据えた。五菱銀行との合併を成し遂げれば、永田は、美馬に次官のポストをも約束しているのだった。将来、政界入りを狙《ねら》っている美馬にとって、次官経験は選挙のための最も有力な肩書であり、永田のいう強大な財閥銀行との接近は、より太い資金パイプと繋《つな》がることであった。
美馬は、息苦しくなるような緊張感に捉《とら》われ、永田大臣から視線を逸《そ》らした。その美馬の眼に、帝国ホテルの孔雀の間で、合併の喜びに酔いしれているであろう万俵大介の顔が、迫るようにうかんだが、
「大臣、お受け致します」
美馬は、内示を受けた。
金屏風の前で、万俵大介はひきもきらぬ来賓に、答礼を繰り返しながら、予定の時間をとっくにすぎているにもかかわらず、永田大臣と美馬が、まだ現われないことに苛《いら》だち、かすかな不安を覚えていた。綿貫も同じ思いらしく、落ち着かぬ目つきで来賓を迎え、時計が二時半を示しかけると、総務部長がそっと万俵の傍《そば》へ寄り、
「もはやこれ以上、新銀行頭取のご挨拶《あいさつ》を延ばすことは致しかねますが――」
と促した。万俵は頷《うなず》き、進まぬ足取りで会場に入った。
孔雀の間は、千人を越す来賓で蒸せ返るような熱気に包まれている。万俵が人々の間を縫い、正面のスタンド.マイクの前にたった時、会場入口の近くにたっていた人々が左右に動き、通路がつくられたかと思うと、永田大蔵大臣が報道陣のカメラを浴びながら入って来た。万俵は、ほっと安堵《あんど》し、大臣の方へ深い一礼をしてから、マイクに向った。
「本日は、ご多用の中、大蔵大臣をはじめ、政官財界のご要職の皆さま方にご出席を賜わり、ここに東洋銀行を発足させて戴く栄に浴しましたことを衷心より厚く御礼申し上げます、東洋銀行は、旧大同銀行と旧阪神銀行とが対等合併したばかりの新銀行でございますが、一日も早く行内の融和をはかり、新銀行の持つ全機能を発揮して、日本経済のために大いに貢献させて戴く所存でございます、同時に今後の国際競争に備え、真にワールド.バンクとしての力を蓄えるべく、役員一同、心を新たに致しておりますので、今後とも温かいご支援のほどをお願い申し上げる次第でございます」
簡潔であったが、上位四行に迫る気魄《きはく》が溢《あふ》れ、拍手が湧《わ》き上った。永田大臣はその中を万俵の傍へ步み寄り、
「万俵頭取、おめでとう、東洋銀行の誕生を祝して、私が乾杯の音頭を取りましょう」
相好を崩して、云った。新銀行に対する永田大臣のなみなみならぬ力の入れように、会場はさらに湧《わ》きたち、万俵の顔に歓喜の色が満ち溢れた。
「東洋銀行の誕生を祝して、乾杯!」
シャンペンがあちこちで勢いよくぬかれ、永田大臣が大きく声を発すると、グラスが高々とかかげられた。
「大臣御自らの乾杯、忝《かたじけ》のうございます」
万俵は昂《たかぶ》った声で云い、自分を中心にしてシャンペン.グラスが燦《きらめ》き、喝采《かつさい》するように揺れるのを酩酊《めいてい》するような思いで見廻したが、その時、永田大臣のうしろにいる美馬に気付いた。当然、自分のそばに来て祝意を述べるべきであるのに、永田の陰に隠れるようにたっている。万俵の方から笑いかけると、美馬はたじろぐように体を退《すさ》らせ、顔に引き攣《つ》れるような笑いが奔《はし》った。万俵は奇異な思いでもう一度、眼を凝らすように見詰めると、美馬はもはや何事もなかったように、にこやかな笑いを返した。その一瞬の引き攣れるように歪《ゆが》んだ笑いが、まさか舅《しゆうと》である自分を裏切る戦慄《おののき》だとは、万俵は気付かなかった。
万俵は、三年先に再合併される運命に置かれつつあることも知らず、会場を埋めた来賓たちの乾杯を受け、激励の握手をさらに受け続けていた。
万俵家は夜の闇《やみ》に包まれ、本館のダイニング.ルームだけに、あかあかと灯りが輝いていた。ダイニング.ルームの中央に置かれた樫《かし》の大テーブルの上には、寧子が丹精を籠《こ》めた紅紫色のカトレアが優雅に活《い》けられ、スイス製のテーブル.クロスの上にはフルコースの銀のフォークとナイフが並べられていたが、テーブルを囲む幾つかの椅子には、大介を正面に、左右に寧子と相子の三人だけが坐り、曾《かつ》て万俵家の兄弟姉妹が坐った椅子は空席になっている。天井にシャンデリアが輝き、高窓に填《は》められたステンド.グラスが燦き、ダイニング.ルームが、広く豪奢《ごうしや》であればあるほど、空席のうそ寒さが目にたった。
万俵は、帝国ホテルでのパーティをすませた後、明日、神戸のオリエンタル.ホテルで催す新銀行の披露パーティのために東京から帰邸していたのだった。
最初のスープが運ばれ、大介がスプーンを取ると、寧子と相子もそれに倣《なら》ってスプーンを取り、音をたてずに吸った。
「今日のご披露は大へんなご盛会だったそうで、おめでとうございます、何かとお気遣いで、気しんどいことでございましたでしょう」
藤紫のつけさげに碾茶《ひきちや》色の袋帯を胸高に締めた臈《ろう》たけた装いの寧子が、京都訛《なま》りでおっとりと云うと、
「うむ、大蔵大臣に乾杯の音頭を取って戴き、いよいよ、これから名実ともに新銀行の頭取として忙しくなり、責任も重くなる――」
大介はまだ昼間の昂《たかぶ》りから醒《さ》めやらぬ思いで云い、
「寧子、これからが大へんだよ、住まいの本拠が東京へ移り、相子の助けがなくなるのだから――」
万俵は、今夜の晚餐《ばんさん》を最後にして、万俵家を去る相子の気持をひきたてるように云うと、相子はローズ色のシルク.シャンタンのドレスの胸もとに、大粒の真珠のネックレスを飾り、
「これからは、お正月の万俵家の華やかな晚餐会は、なくなりますのね――」
毎年、年末の三十一日から新年にかけての四日間、志摩観光ホテルのメイン.テーブルを陣取り、大介を正面にして左右に寧子と相子が坐り、その両側に鉄平夫妻、銀平夫妻、そして万俵家の美しい姉妹たちが新調の装いで燦《きらび》やかに居列《いなら》ぶお正月の晚餐会――、人々の注目を集めていたその晚餐会が、自分が万俵家を去ると同時になくなることが、せめてもの心なぐさめであるかのように云うと、寧子は、
「相子さんがいらっしゃらなくなると、淋《さび》しゅうなりますわ、それに東京の邸《やしき》へ移って、私一人でやっていけますかしら……」
心細げな表情を見せたが、今日限りで、十何年間の妻妾《さいしよう》同居、或《あ》る時は妻妾同衾《どうきん》をも強いられた生活が打ち切られ、舅《しゆうと》との忌《いま》わしい思い出があるこの邸を去って、東京の邸で名実ともに妻の座に坐れるやすらぎが、寧子の心を柔らかく包んでいた。しかし、忘れようと努めている鉄平の死を思い出すと、またしても涙がこみ上げて来そうになったが、今朝《けさ》、ピッツバーグの一之瀬四々彦のもとにいる二子から、二人きりの挙式を待つばかりですという便りを受け取り、あとは三子の結婚と銀平の再婚を自分の手でしなければならぬことを思って、寧子にもようやく世の母親らしい責任の重さが肌身に感じ取られた。その三子はこの春からアテネ.フランセに通うために一足先に東京の邸へ移り、銀平は明日の地元での新銀行披露の準備のために、今夜は帰りが遅くなる。
「相子さん、こんな時、あなたもお子さまがあれば、およろしかったのに――」
寧子の口から、ごく自然に出た言葉であったが、相子の胸には刃《やいば》のように鋭く突き刺さった。人の子供を教育し、良縁を探して結婚させ、閨閥《けいばつ》の枝を拡げたことは、一体、自分にとって何を意味するのだろうか。たしかにより有力な閨閥づくりをすることによって、万俵家の家内《いえうち》を自由に差配し、それが企業の繁栄に繋がるという権勢欲に似た満足感は得られたが、それが自分にとって何であったろうか――。それに比べて寧子という人間は、長男の鉄平を失ったとはいえ、飾り雛《びな》のように万俵家の奥深くにただおっとりと坐って何もしないでいて、再び妻の座を取り戻そうとしている。相子はテーブルの上のカトレアを引きちぎりたい衝動に駈《か》られた。
「相子、千里桃山台のマンションは気に入ったかい、南向きで陽あたりもいいし、間取りもよさそうじゃないか」
万俵はそう云いながら、相子がはじめて子供たちの家庭教師として万俵家へ現われた時の才気に満ち溢れた若々しさを思い返していた。あの時から比べれば、当時の若々しさは失っているが、それに代る熟《う》れた濃艶《のうえん》な肢体がある。その体を今夜限りで手放し、妻妾同衾の娯《たの》しみを失うのかと思うと、三台のベッドが並んだ寝室で交わり合ったさまざまな姿態が眼にうかび、俄《にわ》かに脂《あぶら》ぎった執着を覚えた。だが、男の企業的野心を果して行くためには、眼をつぶらねばならない。一つの銀行を食う悦《よろこ》びに比べれば、一人の女を気ままにする娯しみは、高価な美術品に淫《いん》する類《たぐ》いのものに過ぎない。
鱸《すずき》のムースリーヌの皿が運ばれて来ると、大介は寧子と相子にワインを注《つ》いでやった。
「相子さん、やはり当分、何もなさらないおつもり? あなたのような方が、何もなさらないなど、もったいのうて――」
寧子は溜息《ためいき》をつくように云ったが、相子は、万俵の計らいで生活に困らないというだけで、今後、何をするかということは決まっていなかった。たった一人の肉親である高校の教師をしている弟が、再婚をすすめたものの、日本の煩《わずら》わしい家族制度の中で気苦労の多い再婚をする気持など、さらさらない。そうなると、再び外国へ行って、そこで安楽な生活の場を見付けるよりほかになさそうだった。
「また、外人と再婚しそうですわ」
グラスに口をつけ、ことさらに艶然と笑うと、寧子は驚いた顔をしたが、大介は明らかに不快な顔をし、気まずい沈黙が流れた。
突然、室内電話のベルが鳴った。相子が窓際《まどぎわ》に近いサイド.テーブルの上の電話を取ると、美馬からであった。
「あら、美馬さん、先日はどうも――、私たちは今、最後の晚餐をしているところですの、明日は何時頃、お着きになりますの」
明日の神戸における新銀行の披露パーティにも、美馬は、主計局の出張をかねて、本省役人の立場で出席することになっているのだった。
「え? そのことで万俵に――、すぐお替り致しますわ」
と云うと、万俵はテーブルをたって、受話器を取った。
「もしもし、私だ――、今日の披露パーティには何かと有難う、明日も頼むよ」
上機嫌で云うと、
「実は明日のパーティですが、伺えなくなりました」
「急に、どうしてなんだい?」
「実は近畿《きんき》財務局での仕事が長びきそうで、とても神戸まで行く時間がないのですよ」
「だが、どうにか時間のやりくりがつかないのかね、顔を出してくれる程度でいいのだが――、次の七月人事で春田局長は次官に昇進し、銀行局長がかわるのは確実らしいので、その辺の動きについても、ゆっくり君の話を聞きたいと思っているんだよ――」
大介が云った途端、美馬は電話器の向うでおし黙った。
「もしもし、中君、どうかしたのかね?」
「いえ、別に――、ともかく、明日は失礼します」
向うから、電話をきった。万俵は、美馬の声がいつもの女のように鼻にかかった声と全く異なったよそよそしさがあることに気付いた。そして、昼間のパーティの時の様子を思い合せ、美馬が素直に喜んでいない不自然なものを感じた。
万俵は窓際に寄り、窓の外へ眼を向けた。広い邸内の高みにある鉄平の住まっていたル.コルビジェ式の建物が見えた。灯りは点《つ》いていないが、白い建物が闇の中に、ほの白く浮かび上っている。鉄平の葬儀後、早苗に子供たちを連れて帰って来るように云ったが、子供の学校の問題もあり、早苗は暫《しばら》く東京の実家で子供を育てたいと云い、戻って来ない。そして隣接する銀平の南欧風の建物も、灯りこそ点いていたが、万樹子は離縁《さ》り、銀平も不在がちで冷え冷えとしたうそ寒さに包まれ、一万坪に及ぶ宏大な邸内が、俄《にわ》かに荒涼とした死人の棲家《すみか》のように思え、遠くでかすかに聞えるもの音が、骨の鳴る音のように聞えた。
万俵の脳裡《のうり》に、猟銃自殺を遂げた鉄平の無惨《むざん》な顔がうかんだ。
「あなた、なにか……」
怪訝《けげん》そうに寧子が声をかけた。
「いや、少し疲れているんだろう――」
言葉を濁した。銀行の合併は成功したが、それが鉄平の死を犠牲にして購《あがな》われたという事実は、生涯、拭《ぬぐ》い去れぬものだと思うと、万俵の心を満たしていた成功の喜びは冷え、怖《おそ》れを覚えた。
万俵はテーブルに戻り、再びフォークを手にしたが、もう話すことはなくなっていた。寧子と相子も、話題を失《な》くしていた。人気《ひとけ》のないがらんとしたダイニング.ルームには、曾て万俵家の華麗な一族が団欒《だんらん》したさざめきはなく、三人の使うナイフとフォークの音だけが、天井に音高く響いた。
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あとがき
『華麗なる一族』は、週刊新潮に二年七カ月連載した小説で、私にとって困難な仕事であった。“金融界の聖域”である銀行の取材は、覚悟していた以上に困難で、その閉鎖性は医学界よりさらに聖域であることを痛烈に感じた。取材と金融の基礎勉強に半年余りも費やし、小説以前の作業にこんなに時間を費やしていいものかという疑問も持った。しかしそうした取材の積み重ねによって、銀行と政、官界のこれまで窺《うかが》い知ることの出来なかった結びつきとそこに介在する人間ドラマを観《み》ることが出来た。
しかし、この小説に登場する銀行、官僚、政治家たちには、決して特定のモデルはない。事実との間にどのような類似があったとしても、それは偶然の酷似であり、どこまでも虚構のものであることをお断わりしておきたい。
連載を終ってから、さらに取材して加筆訂正し、上中下三巻にまとめることが出来たのは、関係筋の心ある方々の陰のご尽力と、秘書野上孝子の協力によるところが大であることを明記致したいと思います。
昭和四十八年二月
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