饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15442 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「それでお見合いは、お昼、銀行の方へお電話致しましたように来週の土曜日ということにきまりましたけれど、その場所や出席する双方のお人数、服装などについては、明日、私が、伊東さまのところへ伺っておきめすることになっておりますの」

「それにしても銀平は、どうしてこう遅いのだ」

 ワイン.グラスを口に運びながら、大介が不機嫌に云うと、皿に盛られたパエージァの蛤《はまぐり》と海老《えび》の殻をきれいな手捌《てさば》きではずしていた寧子は、銀平の空席へ眼を向け、

「きっと、お仕事が忙しいのでしょう、このところ、ずっと忙しいと申しておりました」

 かばうように云うと、大介は、太平スーパーのことかと思ったが、

「昼、銀平に電話した時はどんな様子だった?」

 と相子に聞いた。

「例の調子で、僕はいつだっていいですよ、場所もどこだってというお返事でございましたわ」

「じゃあ、すべて君の裁量で運べばいい」

 寧子をさしおき、大介と相子で縁談を運んでいることに対して、二子と三子は、一子や鉄平ほどに疑問も反撥《はんぱつ》も感じない様子で、

「とうとう、銀平兄さまもプレイ.ボーイの年貢《ねんぐ》のおさめ時が来たというわけね、ご結婚後のお住まいは、どちらになるのかしら?」

 三子が、父に聞いた。

「きまってるじゃないか、この邸内だよ、ちょうど日本館の方は殆ど使っていないから、客殿、仏間、湯殿などは残すとして、他は洋風に改築すればいい」

「まあ、御影《みかげ》か、芦屋のマンションやと思っていたのに――」

 自分のことのようにがっかりすると、

「とんでもない、お父さまのおっしゃる通りですわ、万俵家の御曹子が、マンション住まいなんて、一万坪のこの邸内に、一戸を構えるのが穏当でしょう」

 相子が、大介の言葉を引き取るように云った。

「じゃあ、私たち、女の子に生れてよかった――、男だったら、一生この邸内から出られないところやったわね」

 二子と三子は、顔を見合せてころころと笑い、デザートを終えると、食堂を出て行った。

 三人だけになると、急に座がしんと静まり、窓の外の闇《やみ》が深くなった。暗闇の中で一箇所、明るい灯《あか》りが点いているのは、池を隔てて東側にある鉄平たちの住まいであった。その灯りを見詰めながら、大介は、昼間、鉄平が頭取室へ現われた時に感じた疑惑を思い返していた。

 頭取の回転椅子に坐り、高炉建設計画を熱っぽく話しながら、くるりと一回転した時、偶然、亡父の敬介の肖像写真の下に鉄平の顔が重なり、まるで亡父の敬介がそこで執務しているような衝撃を受けたのだった。これまでも鉄平が父親より、祖父似であることは誰もが認めるところで、小学校へ入る頃からは步き方、声から、箸《はし》やフォークを上げ下ろしする手つきまで酷似していたが、今日のように曾《かつ》て敬介が坐っていた頭取の椅子に鉄平が坐り、その顔と肖像写真が重なり合うのを見たのは、はじめてのことだった。

「あら、もう十時ですわ」

 相子の声がし、それをしお[#「しお」に傍点]に、大介がたち上った。

「では、ごゆっくり、お寝《やす》み遊ばせ」

 今夜は、妻である寧子と大介が同衾《どうきん》する日であったから、相子はさり気ない挨拶《あいさつ》をし、大介を見送った。

 大介はガウンのポケットに片手を突っ込み、パイプをくわえたまま、食堂を出、二階の寝室へあがって行った。そのうしろから和服姿の寧子が、白足袋を履いた足もとで、スリッパの音をたてずに静かにあがって行く。

 大介は寝室へ入ると、上衣を脱ぎ、パジャマ一枚になってから、眼鏡をナイト.テーブルの上に置いた。眼鏡をはずすと、大介の顔からは昼間の冷徹な威厳が消え、両の眼と分厚な唇に脂《あぶら》ぎった逞《たくま》しさが露《あら》わになる。大介は三台並んでいるうちの真ん中のダブル.ベッドに仰向いた。寧子の帯を解きはじめる気配がし、大介がその方へ視線を向けると、小柄な寧子はうしろ向きになって、素肌を見せるのをはばかるような仕種《しぐさ》で着物を脱ぎ、白絹の夜着に着替えていた。そして着替え終ると、

「およろしゅうございますか」

 と云い、静かに大介のベッドへ入って、そっと寄り添うように夫のそばに体を横たえたが、自らは決して求めて来なかった。それは寧子が嫁いで来た最初の夜から変らない。まるで雛《ひな》人形のように白い小づくりな体で、大介の大きな体を受けとめるだけであり、何の技巧も知らなかった。夫婦の交わりのあと始末さえ出来ないほどの幼さであったが、大介はその幼さをもの足りないと思うと同時に、動かない人形を自儘《じまま》に揺り動かすような楽しみもあった。そうした性的技巧の無さというか、淡泊さは、長い歳月を経た今もあまり変らなかったが、大介が今もって寧子に惹《ひ》かれるのは、纏足《てんそく》のような九文にも満たない白い足であった。年中和服で、真夏にも単衣《ひとえ》の白足袋を履いている寧子の足は、静脈が透けて見えるほど白い。

 大介は寧子の足をまさぐった。大介の掌《たなごころ》に入るぐらい小さく、滑らかで柔らかい足だった。大介は何度もまさぐっては、その足を自分の体のあらゆる部分に触れさせて、愉《たの》しんだ。その間、寧子は、相子のように体を捩《よじ》らせたり、嗚咽《おえつ》したりせず、黙って眼を閉じ、なされるままになっている。大介は寧子の足を愛撫《あいぶ》しながら、銀色に光るペディキュアを塗った相子の指の長い足を思い出した。それは男に能動的に挑んで来る足であり、寧子のそれは、どこまでも受身の女の足であった。大介は寧子の足から手を離し、小柄な体を引き寄せながら、

「鉄平は齢《とし》とともに、ますます祖父《じい》さん似になって来たな」

「ええ」

 大介の顎《あご》の下で、寧子の顔が頷いた。

「ゴルフが嫌いで、鉄砲いじり、猟が好きなところまで似ているね」

「ええ」

 寧子はまた頷いた。

「父親の私より、むしろ祖父の血を濃く受け継いでいるようだな」

 大介はそう云うなり、ナイト.テーブルの上の水差しを取る振りをして、ぱっと電気スタンドを点けた。灯りの中で、寧子は露わにはだけた肌を隠すように体をつぼめたが、胸もとがかすかに震えている。それは交わりの最中《さなか》に灯りを点けられたはじらいとも、また大介の言葉に対する動揺とも受け取れた。

 高須相子は、着物の裾《すそ》を翻《ひるがえ》すような颯爽《さつそう》とした步き方で、神戸の街のトーアロードを山手《やまのて》から海岸通りに向って步いていた。遠い背後に摩耶《まや》山が聳《そび》え、青く澄みきった空には二月とは思えぬ陽が輝いて、久しぶりの外出に足もとが躍るような軽やかさだった。

 トーアロードの両側には、神戸の最も高級な洋裁店、貴金属、洋品店などが並んでいる。高級な店ほど表にウィンドウを構えず、扉《ドア》を閉ざしているが、中は豪華な絨毯《じゆうたん》を敷き詰め、一種のサロンになっている。

 相子はその一軒の扉を押した。グレイと金色で統一したサロン風の店内から、女主人が姿を現わし、

「まあ、奥さま、ご機嫌よろしゅう、今日はお珍しい和服でいらっしゃいますのね、すばらしくお似合いでございますわ」

 相子を奥さまと呼び、ブルーの臈纈染《ろうけちぞめ》の着物に濃紺《のうこん》の綴帯《つづれおび》の姿をほめたが、相子自身、自分は洋服の方がよく似合うことを知っていた。それを承知で和服にしたのは、銀平の縁談で仲人《なこうど》である伊東家を訪問するからであったが、“高須夫人”で通っている相子は落ち着いたもの腰で、女主人の愛想を受け流し、

「今日はちょっと、急いでいるのだけれど、この間、頼んでおいたビニイのシルクは入って?」

 イタリアのビニイのシルクは、世界の絹の女王であった。

「それがまだでございますの、入りましたら、もちろん、真っ先に奥さまのために、お取り致しておきますわ」

「じゃあ、お願いしてよ」

 相子は鷹揚《おうよう》に云い、店を出た。シックな洋服姿や外人の人影が多いトーアロードで、相子の和服姿は人眼についた。ブルー系で統一したモダンな和服にサファイア.ミンクのストールをかけた姿は、外交官夫人のように見え、振り返る人もいる。三宮センター街のところまで下りて、『ドンク』の前まで来ると、相子は二階のティー.ルームへ上って行った。広くはないが、美味《おい》しいコーヒーの飲める店であった。

 相子はコーヒーを飲みながら、これから訪ねる伊東夫人のことを考えた。大阪の大手商社の一つである伊東商事の会長夫人であったが、船場《せんば》の旧家の出で、今なお御寮《ごりよう》人《ん》然とした生活をし、阪神間の上流家庭の中で、船場の旧家出身の夫人を集めて『御寮人会』をつくり、いわゆる芦屋マダムといわれる社長夫人たちの『芦屋会』とは対照的であった。伊東夫人に云わせると、「芦屋会など、いくら大企業でも、所詮《しよせん》はサラリーマン社長夫人の集まりでおます、それに比べますと、こちらは、自前《じまえ》会社の社長、会長夫人で、由緒《ゆいしよ》正しい船場出身の御寮人さんたちの集まりでおます」と云うことになり、『芦屋会』の夫人たちにいわせれば、「今頃、御寮人会などとは、古ぼけた大時代感覚もいいところでございますわ、自前社長とおっしゃいますが、それもせいぜいここ二、三年で、実力のある経営者と交替しなければなりませんわ」と云うことになり、それぞれ反目し合っているが、関西の上流階級の夫人たちの会は何といっても、この二つによって占められ、結婚適齢期の娘や息子を持っている母親たちは、どちらの会ともうまくやって行かなければならない。今度の万俵家と安田家との縁談は、大阪重工の安田社長がオーナーでこそなかったが、夫人が、船場の旧家の出であるということから、伊東夫人の橋渡しで、万俵家との縁談が始まったのだった。

『御寮人会』にしても、『芦屋会』にしても、相子からみれば時間をもて余している上流階級の夫人たちの他愛ない集まりに過ぎぬようなものだったが、万俵家の閨閥《けいばつ》づくりの推進役である相子にとっては、一種の結婚カード交換所のようなところであった。

 コーヒーを飲み終ると、相子は階下《した》に降り、手焼きのクッキーを進物用の箱に詰めさせ、駐車場に待たせてあるハイヤーを呼んで、山芦屋《やまあしや》の伊東家へ向った。

 車が山芦屋に近付くと、一丁四方の長塀《ながべい》に囲まれた邸宅がずらりと並んで、樹齢を重ねた松が眼にたち、高級住宅街らしい閑静なたたずまいになる。その中で御影石の上に杉の生垣をめぐらせた数寄屋《すきや》造りの邸宅が伊東家であった。

 相子は、門前より半丁程ひかえたところで車を降りると、和服の衿《えり》もとを直し、裾をきちんと整えた。そして手土産を胸もとに抱え、さっきトーアロードを颯爽と步いていた時とは別人のような慎しさで門前まで步き、インターフォンを押すと、老女が扉を開いて奥へ案内した。大小の築山《つきやま》と池を配した広い庭は、隅々まで手入れが行き届き、庭に面した客間には香が焚《た》かれ、床の間には蕪村《ぶそん》の俳画が掛けられている。

 廊下を渡って来る静かな足音が聞えて襖《ふすま》が開き、鉄色無地の着物を着た伊東夫人が、座敷机を隔てて、相子の前に坐《すわ》った。相子は一瞬、見合いの下《した》相談とはいえ、改まって無地の着物を着て来ればよかったと悔いた。船場の御寮人たちの衣服のしきたりの厳しさは聞き知っており、伊東夫人とは去年の夏から五、六回会い、その度に船場風の更衣《ころもがえ》のしきたりを守った衣裳《いしよう》に感じ入っていたのだった。

「本日は、心得ぬ衣服で参りましてご無礼申し上げます、また、昨日はお電話で失礼致しました、おかげさまで、来週の土曜日に安田さまのお嬢さまとお見合いの段取りに運ばせて戴《いただ》きましたが、お場所のほどは、万俵は安田さまのご都合のおよろしいようにと申しております」

 相手の意を迎えるために、もの云《い》いまで別人のようになっていた。白髪混じりの頭を庇髪《ひさしがみ》に結い、鼈甲《べつこう》の笄《こうがい》をさして御寮人然とした伊東夫人は、

「それはご鄭重《ていちよう》に――、実は安田さまの方では、少々、遠うても、もと有《あり》栖川《すがわの》宮《みや》邸の『ヴィラ.舞子』の方が、格式があってええと、云うてはるのでおます」

 柔らかく、耳にまとわるような船場言葉で話した。

「では双方の出席者の顔ぶれ、服装は、どのように致しましたら、およろしゅうございましょうか?」

 相子は、さらに鄭重に聞いた。

「ご念の入ったお言葉でおます、出席者は、ご当人同士の他《ほか》に、双方のご両親と仲人、服装は安田さまのお嬢さまは、カクテル.ドレスをお召しになりはりますから、おたくさまはタキシードがおよろしおます」

「で、当方の両親の服装はどのように?」

「父親の方は絹のダーク.スーツ、母親の方は三つ紋の必要はござりまへんが、一つ紋をお召しになりはったら――」

 と云い、ふと気懸りそうに、

「不躾《ぶしつけ》なことをお聞きしますけど、おたくさまの奥さまは、公卿《くげ》華族のお出で、殆《ほとん》ど世間とのおつき合いがないそうだすけど、大丈夫でおますか?」

「さあ、それは……」

 相子は、躊躇《ためら》うように言葉を跡切《とぎ》らせた。

「これまでご長男とご長女のお見合いの時は、どうしてはったのでおます?」

「何分、世間馴《な》れしておられませんので、いつも私が……」

「ほんなら、あんさんも是非、出ておくれやす」

「ですけれど、安田さまの方のご意向が――」

 わざとさし控えるように云うと、伊東夫人は慌《あわ》て気味に、

「いえいえ、あんさんが出てくれはらんと困りますよって、それはご諒承《りようしよう》して貰《もら》います、お見合いの席で殿方がべらべら話すわけに参りまへんから――」

「では、お言葉通り、出席させて戴きます」

 謙虚に頷《うなず》くと、伊東夫人は、ほっと吐息をつき、

「今度のご縁談は去年の夏からのことで、お互いに気疲れでおましたな、大阪重工の安田さまのお嬢さまは、お家柄、ご資産、ご係累《けいるい》ともに揃《そろ》うてはり、一方、京都大学の三木教授のお嬢さまの方は、何というてもお頭《つむ》のええ血筋を入れるという点とお美しさではこれ以上ない惜しい方でおました」

 真底、惜しそうに云った。相子は、

「三木教授ほどの世界的な数学者のお嬢さまともなれば、正直なところ当方のような実業界の者には、窮屈な感じが致しまして、それにご承知のように当人の銀平は、三十三歳まで独身を通すような気儘《きまま》な性格でございますので――」

 銀平自身のせいにし、閨閥結婚の目的をもって決めた印象をひた隠しにしたが、相子の頭は、大阪重工、設立明治二十八年、資本金九十億、事業は造船、機械部門ということを諳《そら》んじていた。

 お茶に次いで、果物が運ばれて来ると、伊東夫人はふと声を細め、

「おたくさまの奥さまは、世間の噂《うわさ》では、少しお頭《つむ》がお弱いので、あんさんが一切を取り仕切ってはるということでおますけど――」

 憚《はばか》るように聞いた。思わず相子の顔に残忍な笑いが滲《にじ》みかけたが、

「いえ、お育ちから来る印象で、そう見えるだけでございます、そうでなければ、私がいくら一生懸命にお子さまたちの教育を致しましても、揃《そろ》って一流大学へ進学できるはずがございません」

 寧子をかばうように云うと、

「あんさんは、ほんまによう出来たお人でおますな、お若い時に外国で勉強されたあんさんが、万俵家のお子さまたちの家庭教師をおやりになり、今はあれだけのご大家を差配してはる、昔で云うたら鴻池《こうのいけ》、住友はんの大番頭みたいな重いお役目でおますな」

 大番頭という古くさい言葉がひっかかったが、鴻池、住友の大番頭並に評価された点は不快ではなかった。同時に世間からは、万俵大介の愛人と見なされているよりも、重々しく定着する。相子は柔らかな微笑をうかべ、

「とんでもございません、私のような者をそのように云って戴きましては……」

 慎しく応《こた》えながら、阪神間の旧家を中心とした上流階級で隠然たる力を持っている伊東家の御寮人に、曾《かつ》ての鴻池、住友の大番頭扱いされたことは、万俵家における地位をさらに揺ぎないものにする上で、決して損ではないと思った。

 阪神銀行の役員会議室で、万俵頭取を中心に六人の役員が、“丸テーブル会”と呼ばれている定例役員会を開いていた。丸テーブルを囲んで、各担当の役員が重要案件を出し合って最終的な決裁を下す会議であるから、役員たちは万全の準備を整えて出席しないと、万俵頭取の厳しい叱責《しつせき》を浴びる。

 経理担当の大亀専務、総務担当の小松専務に次いで、業務担当の荒武常務が万国博会場の建設用地となる茨木《いばらき》、千里地域の土地買収金をめぐる預金獲得についての報告を終えると、融資担当の渋野常務が目下、問題になっている太平スーパーの融資について、説明をはじめた。

「太平スーパーの件については、既に先日の融資方針会議でご報告した通りですが、その後、あらゆる面から検討を重ねましたところ、もはやこれ以上の融資は出来ないという結論に達しました」

 重い口調で云うと、大亀専務は、

「それは融資打切りという意味ですか、この段階で当行が手を引くと、少しうるさいことになりはしませんかねぇ」

 世評を懸念《けねん》するように云った。小松専務も、

「あの太平社長はマスコミに立志伝中の人物ということで売って来ただけに、銀行に情け容赦もなく潰《つぶ》されたなどと騒がれると、当行の信用に大きな傷がつくからねぇ」

 頭取の体面にいささかでもかかわるようなことがあってはと、その方に過敏すぎるほど神経を働かせていた。

「もちろん、その点は充分、考慮しており、当行の債権保全の点から申しましても、倒産させるようなことは致しません、私としては、太平スーパーをこの際、思い切って富士ストアに合併させ、その見返りとして、富士ストアには太平スーパーの負債を肩替りして貰うと同時に、富士ストアと当行との取引をはじめさせて貰える、これが最善の策と判断したのです」

 渋野が云うと、業務担当の荒武常務は、

「そりゃあ、名案ですな、実は東京系の富士ストアには、もう三年も前から何とか取引のとっかかりを得ようと、プッシュしているのですが、向うは東京の富国銀行がメインですから、なかなか難かしくてね、それだけにここで富士ストアとの取引が始まれば、たちまち十億や二十億の預金が獲得出来、一石二鳥にも、三鳥にもなる名案ですよ」

 いかつい顔を綻《ほころ》ばせるように云うと、

「いや、私は、そうは思わない」

 万俵は、ぴしゃりと云った。役員たちは驚いたように万俵を見詰めた。

「私としては、たとえ小なりとはいえ、スーパーというような有力企業をむざむざ手放すことはないと思う、太平スーパーは、万俵商事に貰っておくよ」

 まるで拾い物でもするような無造作な調子で云ってのけた。万俵商事は、万俵コンツェルンの系列企業であり、主に阪神特殊鋼の商事部門として、機械金属などの固物《かたもの》一本でやって来たが、四、五年前から綜合《そうごう》商社への脱皮を図りつつあるのだった。万俵は、言葉を続けた。

「万俵商事としては、流通機構に乗り出したいにも、時期既に遅しで、手をこまねいていたところだ、それだけにこの話には大いに乗り気で、たとえ五億の赤字があっても、スーパーの経営権を是非とも貰いうけたいと云っている」

 銀行の頭取であると同時に、万俵コンツェルンの総帥《そうすい》としての立場を含めた意向であった。一瞬、役員たちは沈黙したが、“家令専務”と陰口を叩《たた》かれ、万俵コンツェルンの金庫番的役割をも兼ねている小松専務は、

「さすがは頭取のご見識でございます、太平スーパーはいかに経営が傾いたとはいえ、阪神間に九カ店も店舗をもって、地元では名前が売れていますから、この際、安く買い叩いて、万俵コンツェルンの持物にするのは、まことに結構な案だと存じます」

 と云うと、荒武常務が首をかしげた。

「ご趣旨はわかりますが、スーパー経営に経験のない万俵商事が、この競争苛烈《かれつ》な業界に性急に打って出ることは、果して大丈夫なものでしょうか、その辺を考えますと、はっきり申して、現実的には少々、無理を感じます」

 持ち前の性格で、はっきり云うと、小松専務はむっとしたが、万俵は頷いた。

「その疑問は当然だ、渋野常務も、その点を懸念して、再考を求めて来た、しかし私としても、安易な考えは毛頭なく、資金は万俵商事がみても、仕入、販売方式など、経営上の問題については、富士ストアと提携してやって行きたいと思い、渋野常務に富士ストアの東京本社へ行って、意向を打診して来て貰ったところ、向うもかなり乗り気の様子らしい……」

 と云い、渋野にその先を説明するよう、眼で命じた。

「富士ストアとは、まだ非公式の話合いの段階ですが、当方が持って行った提携の条件は、株の持合いと共同仕入の二点です、これに対して向うでは、太平スーパーの株を三分の一以上保有し、更に役員を一、二名送ることを条件にしており、いろいろ折衝した結果、当行がそれを呑《の》めば、一応まとまるところまで話が進んでおります、つまり株の持合いによって、商事は商事で、富士ストアという大きな舞台へ伸びて行くことが出来ますし、当行には預金、貸金が出来るというわけですよ」

「ほう、小の虫を土台に、随分、大きな話をおまとめになったものですなあ、さすが寝業師《ねわざし》、渋野常務ですよ」

 外国担当の舟山常務が云うと、大亀専務が、

「そりゃあ、渋野常務の力量もさることながら、やはり頭取の遠謀深慮によるもので、全く恐れ入ります」

 心服するように云い、他の役員たちも頷いたが、万俵はにこりともせず、

「太平スーパーの二億の支払手形の期限は、たしか今日だったな、太平社長は来ているのかね」

「早くから来て待っています、頭取から結果を申し渡されますか?」

 渋野が云うと、

「いや、そんなことは君が云い給え」

 万俵は冷然と云った。

 太平社長は、もう二時間以上も渋野常務が現われるのを応接室で待っていた。胡麻塩《ごましお》頭は眼に見えて白くなり、金縁眼鏡の下の眼も落ち窪《くぼ》んでいる。阪神銀行が支払手形の期限ぎりぎりまで返事を延ばしてきたのは、何とか救済のために尽力してくれているからだろうとは思いつつも、長時間待たされていると、椅子《いす》に坐《すわ》っていても、不安で貧乏ゆすりがおさまらない。時計を見ると、とっくに三時半を廻っている。自分の帰りを、今か今かと待っている専務以下従業員のことを思うと、いてもたってもいられず、もう一度、頭取付秘書の速水に連絡を頼もうと腰を上げかけた時、渋野常務と貸付課長の万俵銀平が現われた。

「どうでおました? 今日が支払手形の最終期限で、サブの神戸相互も、メインの阪神銀行さんが支払わなければ、後押しは出来んと云うてますよって、もうおたくさんだけが頼りでおます」

 太平はいきなり縋《すが》りつくように云ったが、渋野は黙ってソファに腰を下ろし、万俵銀平も、黙ってソファに足を組んだ。

「どないしたんです、も、もしかして――」

 太平の声は震えていた。渋野はさすがに眼を伏せるようにして口を開いた。

「大へん、申し上げにくいことですが、只今《ただいま》の会議の結果、もはや事態がここまで至った以上、社長のあなたには、経営責任をとるという意味で、退いて戴きたい、そうして戴かない限り、今回の二億の支払手形の面倒はみられないという結論になりました」

「そ、そんな阿呆《あほ》な! 一体、この太平スーパーを誰の会社と思うてるのや、わしの一生をかけて、ここまでにしたんや、あんたらが、勝手にことを決める権利がどこにあるのや!」

 大声で怒鳴り、万俵銀平の前にたちはだかった。

「あんたやろ! あんたが人の店を、税務署みたいに調べ上げて、血も涙もない報告を出して、融資をストップさせたんやろ!」

 と云うなり、銀平の両腕を引っ掴《つか》んだ。渋野は慌てて、二人の間に割って入り、

「太平さん、落ち着いて下さい、あなたの会社が倒産するか、どうかの瀬戸際《せとぎわ》なんですよ」

 強い語調で窘《たしな》めると、太平は、はっと我に返ったように、ソファにへたり込んだ。その間、万俵銀平は顔色一つ変えなかったが、日頃から生理的嫌悪《けんお》を持っている成上り者に、腕を掴まえられた不快な感触が体の中を走った。

 渋野は、太平の気持が鎮《しず》まるのを待って、

「ともかく当行としては、何とかおたくの再建が出来ないものか、考えに考え抜いたんですが、経理内容を洗った結果、五億もの赤字が出て来たのでは、どうしようもありません、当行の役員の間には、粉飾決算で銀行を騙《だま》し続けて来たような会社とは、この際、はっきりと手を切れという考えと、この際、富士ストアに合併させようというプランと、二通りの強硬意見が大勢を占めました、会議が長引いたのも、そのせいなんですよ」

 と説明すると、太平は青ざめた顔を上げた。

「私が社長を退陣したら、融資の面倒をみてくれるというのは、どういう意味だす?」

「私と万俵貸付課長としては、太平スーパーという会社自体は、何とか残してあげたいと考え、そのために銀行として出来ることといえば、当行と親密な関係にあり、信用のおける商社ということで、万俵商事に引き取って貰うべく交渉しているのですが、五億もの赤字があると、おいそれと向うも乗って来てはくれませんでねぇ、それでもようやく、富士ストアが経営指導に協力してくれるのなら、引き受けてもいいというところまで、話は進んでいるのですが、あなたのご意向は如何《いかが》ですか?」

 阪神銀行と万俵コンツェルンの利得のために考え出した案であることなど※[#口+愛]《おくび》にも出さず、渋野は云った。

「富士ストアやなんて! あんなとこが介入して来るのやったら、いっそのこと倒産した方がましや、おたくさんから誰か来て戴《いただ》いても結構だすよって、もう一回だけ私にやらして下さい、死んだつもりで一生懸命にやります、これ、この通りだす!」

 太平は、拝むように手を合わせて床《ゆか》に坐り込んだ。さすがの渋野も瞬時、口ごもったが、

「太平さん、今はもうそんな段階ではないのですよ、あなたがここで身を退《ひ》いて会社と従業員を助けるか、あくまで我《が》を張ってすべてをぶち壊すか、二つに一つなのです」

 平静に、即答を促すように云った。

「私は、銀行に騙されたんや――」

 太平は肩をわなわなと震わせ、腸《はらわた》から迸《ほとばし》るような声で叫んだ。

「銀行が騙したなど――、少しは言葉を慎んで戴きたいものです、当行としては尽せるだけ尽した上での結論なんです」

「いや、初めから万俵系の会社へ取り込むために、わざと期限ぎりぎりまで返事を延ばし、どうにも身動きがつかんところへ追い詰めておいて、ぱくっと乗っ取ったんや、そやから、こないだこの廊下で頭取を掴まえて頼んだ時も、出来るだけ最善の策を検討しているというような嘘《うそ》をついて逃げたのや、ええ服きて、上品な顔して、することは、盗《ぬす》っ人《と》と同じや」

 太平が床から起き上り、語気を荒らげかけると、それまで一度も口をさし挟まなかった万俵銀平は、机の上に書類を拡げた。

「これにお目を通して、判を戴きたいのですが」

 慇懃《いんぎん》に、太平の前へ押しやった。太平は眼を瞬《しばたた》かせ、その書類を見た。『誓約書』とタイプで打たれた書類には、太平スーパーの株式の全部を万俵商事に譲渡し、社長は直ちに引責辞任して、相談役に退くことが明記されていた。

「この誓約書に判を捺《お》せと云いはるのだすか、これは私に死ねというのと同じことや、私はまだ現役で働ける、働きたいのや!」

 太平は、銀平に向って吠《ほ》えるように云ったが、銀平はいささかも表情を動かさず、

「まあ、あなたも、ここ十年ご苦労の連続だったのですから、ここ暫《しばら》くはのんびりされたらいかがです」

「ご苦労――、のんびり――、この私から仕事を毟《むし》り取って、子守せえといいはるのか……」

 太平は虚脱したように、がっくりと肩を落した。

 *

 神戸から高速道路を行き、須磨浦《すまのうら》を過ぎると、舞子ヶ浜まであと十分程であった。

 安田家との見合いのために、舞子ヶ浜の『ヴィラ.舞子』に向う万俵家の車には、万俵大介と寧子、相子が後部の座席に坐り、銀平は助手席に坐っていた。大介はダーク.スーツ、寧子は象牙《ぞうげ》色一つ紋に佐《さ》賀錦《がにしき》の帯を締め、相子は薄緑色の訪問着に錦織の袋帯、そして見合いの当人である銀平は、セミ.タキシードに蝶《ちよう》ネクタイという身装《みなり》だけは整えていたが、背中をずらし気味に坐り、片肘《かたひじ》を窓枠《まどわく》にかけ、これから見合いに出かける本人という改まった様子はいささかもない。

 舞子ヶ浜に入ると、窓の外に淡路島が驚くほどの近さで眺められる。左に海を見ながら、車は山側に向って坂道を登って行った。鬱蒼《うつそう》と木立が茂った緩《ゆる》やかな坂を登り詰めたところに『ヴィラ.舞子』と呼ばれる元有《あり》栖川《すがわの》宮《みや》別邸が建っている。

 門から玉砂利を敷き詰めた道を入って行くと、桃山式破風《はふ》造りの車寄せがあり、ボーイが出迎えた。総檜造《ひのきづく》りの建物の中は、襖《ふすま》と障子をはずし、畳の代りに絨毯《じゆうたん》を敷き詰め、元御座所《ござしよ》であった大広間は、ロビーに使われている。正面の一間半の大床《おおどこ》と床脇《とこわき》の天袋《てんぶくろ》は、摺金箔《すりきんぱく》の昔のままの形を残し、その前に緞子《どんす》張りのどっしりとした安楽椅子《ソファ》とテーブルが置かれ、御座所を取り巻く鞘《さや》の間《ま》は廊下として用いられていたが、今日の見合いのために大広間ごと貸し切られていた。

 万俵大介は、御座所の間に入ると、時計を見た。約束の三時より十五分早かった。

「土曜日の午後だから、車が混むと思ったが、意外と早く着いたな」

 と云い、そこから一望のもとに見渡せる庭を眺めた。三月初旬で、一万坪余りの芝生は、まだ枯芝色であったが、樹齢を重ねた松が、上に向って枝を伸ばさず、低く半円形に枝を拡げて、いくつもの緑の島を形造っていた。その松の背後に紺碧《こんぺき》の海が拡がり、海を隔てた真向いに淡路島が見え、島と海と緑の庭が渾然《こんぜん》と溶け合って、山を取り入れた万俵家の庭とは対照的な美しさを呈していた。

「見事なお庭でございますこと、ここなら他《ほか》のホテルと違って人目にたたず、しかも格調があって、万俵家と安田家のお見合いの場所としては、申し分ございませんわ」

 縁談をここまで運んで来た相子は、安田家がきめた見合いの場所に満足そうに云った。

「さすが安田さんだね、いいところへ眼をつけられた」

 大介は、ゆったりと椅子に坐った。大阪重工の社長である安田太左衛門と大介とは、取引銀行の頭取とその筆頭株主会社の社長という間柄だけでなく、ロータリー.クラブや関経連の役員同士という昵懇《じつこん》の仲であったし、銀平もまた自行の筆頭株主会社の社長として面識があり、見合いの相手の安田万樹子《まきこ》とも、パーティで一、二度顔を合わせたことがあった。むろん相子にしても、下見《したみ》の意味で、万樹子とは既に顔を合わせており、四人のうちで寧子だけが、安田家の誰をも知らず、先刻《さつき》から、不安そうに白い顔を緊張させていた。

 やがて静かなロビーに人の気配がしたかと思うと、安田家と仲人《なこうど》役の伊東夫人たちが姿を見せた。伊東夫人は、庇髪《ひさしがみ》に銀鼠《ぎんねず》ぼかしの訪問着を着、御寮《ごりよう》人《ん》然としたもの腰で、

「これはこれはお早いお着きで、仲人役の私が、万俵さまより遅れまして申しわけござりまへん」

 と断わりを云い、一同に席をすすめた。広間の正面大床の前に置かれたテーブルを挟《はさ》んで、万俵大介と安田太左衛門、寧子と安田夫人、その次に見合いの当人である万俵銀平と安田万樹子、その隣に高須相子と仲人の伊東夫人が向い合って坐った。伊東夫人は、帯の間に挟んだ祝儀《しゆうぎ》扇子を出し、

「本日は、ご両家のお見合いの御祝儀、めでたく相纏《まと》まりますよう、不束《ふつつか》ながら手前が仲人役を勤めさせて戴きます」

 船場《せんば》風の大時代がかった挨拶《あいさつ》をし、

「改まって、ご両家のご紹介を致すまでも無《の》う、ご当人さま方もパーティのお席でお顔を合わせておられますから、お初の方だけ、ご紹介させて戴きます、安田社長さまの横におられますのが、奥さまの佳江《よしえ》さま、万俵頭取さまの横におられますのが、奥さまの寧子さま、銀平さまのお隣が、万俵さまの家内《いえうち》を取り仕切られ、お子さま方のご教育もなさって来られた高須相子さまでおます」

 相子の紹介になると、寧子は身じろぐように眼を伏せたが、相子は慎しく一礼し、銀平は眼の端に白い笑いを滲《にじ》ませた。しかし安田家の人たちは、高須相子に対して、伊東夫人の言葉通りに受け取っているせいか、鄭重《ていちよう》にお辞儀をした。

 純銀の見事なティー.セットで、ボーイが一同に紅茶をつぎ終ると、万俵大介は、

「不思議なご縁ですね、まさか安田さんと息子の見合いの席にならぶとは」

 ちょっとてれるように云うと、安田太左衛門も、

「いや全くその通りですね」

 いささか面映ゆげに頷《うなず》いた。安田太左衛門は、その名前に似ない小柄で洗練された紳士であったが、三年前、五十六歳の若さで大阪重工の社長になっただけに、実力経営者らしい風格が漂っていた。母親の安田佳江も、大阪重工の創業者の姪《めい》にあたり、船場の旧家の出らしい古風な品がうかがわれたが、二十三歳の万樹子はその父にも母にも似ず、派手な雰囲気《ふんいき》を身につけていた。パリの高級衣裳店《オートクチユール》の型紙《パターン》で誂《あつら》えたらしいシルエットのカクテル.ドレスを着ていたが、胸もとと耳に大粒の南洋真珠のネックレスとイヤリングを飾り、腕には文字盤の周囲にダイヤモンドをちりばめた時計をはめている。せっかく眼と肉感的な唇が目だつ容貌《ようぼう》を持ちながら、贅沢《ぜいたく》過ぎるアクセサリーが、かえって軽薄な感じを与えていた。

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