饭饭TXT > 海外名作 > 《华丽一族/華麗なる一族(日文版)》作者:[日]山崎丰子【完结】 > 華麗なる一族.txt

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作者:日-山崎丰子 当前章节:15433 字 更新时间:2026-6-16 06:24

「ところで、おたくで造っておられる日本一のドック、いつ頃、竣工《しゆんこう》の予定なんですか?」

 万俵が聞くと、

「五月中旬ですが、このところドックのマンモス化も止《とど》まるところを知らずで、半年もたてば五十万トンよりさらに大きなのがどんどん出来るでしょう」

「なるほど、タンカーは大型化するほど経済効率がいいにきまっていますが、その代り、万一の事態が起った時のことを考えると、その損失は膨大ですからね」

 銀行家らしい慎重な意見を出しながら、万俵大介は、万樹子を観察し、安田太左衛門は、銀平を観察していた。

 仲人役の伊東夫人は、絶えず、両家の取りなしに気を配り、

「安田社長さまの方は、ご承知のように岡山の庄屋さんのお出で、秀才三兄弟と云われるご評判でおます、お兄さまは中央製紙の社長さま、弟さまは五井地所の社長さまで、それぞれのご令息、ご令嬢たちは、一流企業の社長や重役の子女とご縁組になり、辿《たど》って参りますと、宮家ともご縁戚《えんせき》になりはるのでおます」

 いかにも家同士の閨閥《けいばつ》結婚らしく、まず両家の縁戚関係が話題になり、双方の頭の中にこの結婚によるメリットが弾《はじ》かれていた。万俵大介にとっては、金融再編成の流れを前にして、自行の筆頭株主である大阪重工の社長であり、関西財界に顔のきく安田太左衛門と姻戚関係を結ぶことは何かと有利であったし、安田側からみれば、大型設備投資に追われる重工業会社として、融資銀行は一行でも多いほど有難く、しかも都市銀行のオーナー頭取である万俵大介との縁組は大きな魅力であった。

 一しきり、両家の縁戚関係が話題になると、伊東夫人は如才なく、

「万樹子さまのご趣味は、たしかスキーと音楽でおましたかしら――」

 当人同士に話題を向けた。

「ええ、スキーは、雪が降りはじめると、じっとしていられないほど好きですわ、でも、近頃は日本のスキー場はどこも俗化していて、とても滑る気がしないので、スイスへ参りますの、ちょうど姉のハズバンドが、外交官でジュネーブにいますから、父から電報を打って貰《もら》うと、義兄《あに》はどんなに忙しくても空港まで迎えに来てくれて、クリスマス.ホリディを利用して、姉と子供たちも一緒に、モンブランへ連れて行ってくれますの、今年のお正月は兄夫婦と一緒でしたのよ」

 実兄は大阪重工の営業部長で、万樹子は三人兄姉の末子であった。そのせいか、よく云えば、おおらかとも云えたが、自分の父の財力と社会的地位に絶対の信頼をおいて、人生に何の疑問も持たない人間の軽薄さが、喋《しやべ》れば喋るほど露《あら》わになる。

「万俵さんは、スキーをなさいますの?」

 万樹子は、自分より十齢上《としうえ》の銀平に好奇の眼《まな》ざしを向けて聞いた。

「いや、僕は性来、ものぐさで、降りたり、上ったりのスキーはどうも」

 もの柔らかに応《こた》えたが、それとない皮肉がこめられていた。しかし、万樹子はそんな含みには気がつかず、

「じゃあ、スポーツはお好きじゃありませんのね」

 と云うと、相子がにこやかに、

「そんなことございませんのよ、ゴルフはお父さま似でハンディ十五でございますし、ヨットの操縦もお出来になりましてよ」

「まあ、ヨットを! 私、学生時代、お友達のヨットに乗せて戴いてすっかり魅せられてしまい、操縦を習いたいと父に頼んだのですけれど、許してくれませんの」

「それでしたら銀平さん、もう少し暖かくなったら万樹子さんをヨットにご招待なさっては?」

 冬の間は、西宮ヨットハーバーに繋《つな》ぎっ放しになっているヨットのことを云うと、銀平は、黙って煙草《たばこ》をふかしはじめた。長身端麗な容姿でセミ.タキシードをさり気なく着こなし、気障《きざ》なほど瀟洒《しようしや》でありながら、どこかにニヒルな冷たさがあって、若い女性なら誰しも心惹《ひ》かれそうなタイプであった。

 二人の話が跡切《とぎ》れると、伊東夫人はまた巧みに話題を変えた。そして、

「この『ヴィラ.舞子』は有栖川宮さまのご別邸でおましただけあって、ご普請《ふしん》は、すべて木曾《きそ》の御料林から選《よ》り抜かれた檜ばかりでご造営しはりましたそうで、あとでお食事を致しますダイニング.ルームは、京都御所の紫宸殿《ししんでん》の天井を模した御殿風の格子組《こうしぐみ》になっておます」

 と云うと、安田佳江は、さきほどから一言も語らない万俵寧子の方を見、

「奥さまは、嵯峨《さが》子爵《ししやく》さまのお出でおますから、宮さまがご別邸にあらせられた時には、おいでになったのではございませんか?」

 と聞いた。寧子は白い顔をかしげるようにして、はじめて口を開いた。

「有栖川宮さまの妃殿下さまにお声を賜わり、おたあさまのお伴で、このご別邸にご伺候申し上げ、筑前琵琶《ちくぜんびわ》をお聞かせ戴いたことがございます、その時、先刻《さつき》、車で上って参りました坂――、あれは二頭だてのお馬車が上って来るのにちょうどいい勾配《こうばい》にお造りになっているそうでございますが、あの坂をお馬車で上って参りましたことを覚えております」

 母親でありながら、見合いの席らしい心配りは何一つせず、宮さまの思い出話だけを妙に生き生きとした表情で話した。安田夫妻はそれを奇異に感じたらしく、顔を見合せると、伊東夫人は素早く、

「さあ、この辺で、銀平さまと万樹子さまは、お庭でもお散步しはったら、いかがでおます?」

 二人きりで話をさせるように仕向けた。

「僕の方は、別に二人きりで話さなければならないようなことは――」

 銀平はしぶりかけたが、万樹子は、

「あら、私は、お庭を散步したいわ、こんな薄暗い御殿のような建物の中にいると、気が滅入《めい》ってしまいそう――」

 無邪気に云うなり、カクテル.ドレスの裾《すそ》をひるがえしてたち上った。銀平と万樹子は大広間から階段を下り、並んで庭を步き出した。

 そのうしろ姿を眺めながら、相子は秘《ひそ》かに人事興信所で調べた安田万樹子の素行を思いうかべていた。表面は単に贅沢で我儘《わがまま》なブルジョア娘にしか映っていないが、豪奢《ごうしや》な服装に包まれているその体は、既に男を知っていた。そのことを、万樹子の両親はもとより、仲人の伊東夫人も知らなかったが、相子だけは知っていた。それを知りながら、敢《あ》えて素知らぬ顔でこの縁談を進めたのは、阪神銀行頭取の万俵大介が、金融再編成に対処して行く上で、筆頭株主である大阪重工との関係を密にしておかねばならないからだった。それを考えると、安田万樹子が少々、傷ものであっても、我慢しなければならない。それが、家のため、企業のための閨閥結婚というものであった。しかも結婚するその当人が、ことごとに相子を皮肉な眼でみている銀平であってみれば、相子にとってはいささかの痛痒《つうよう》も感じないことであった。

 万俵鉄平と銀平は、神戸港に臨んだ海岸通りの郵船ビルの地下のバーから外へ出、タクシーを探したが、つかまらないまま、海岸通りを三宮の方へ向って步き出した。弟の銀平は見合いの服装であるセミ.タキシードの上に黒のドスキンのコートを重ね、兄の鉄平は逞《たくま》しい体にトレンチ.コートを無造作に羽織って、兄弟でありながら、容貌《ようぼう》も性格も、服装の好みもすべて対照的であった。

「見合いをした夜ぐらい、お父さんたちとまっすぐ家へ帰ったらどうなんだ、全く困った奴《やつ》だ――」

 各国の珍しい酒が置いてある静かなバーで、たまたま、阪神特殊鋼の技術者たちを犒《ねぎら》っていた鉄平が、見合いの帰途、ぬけ出して来たらしく、独りカウンターで飲んでいる銀平を見つけ、一緒に帰ろうと促したのだった。

「兄さんこそ、せっかく部下と飲んでいらしたのに、途中で席をたっていいのですか?」

「彼らと話していると、鉄談議はつきないが、今夜、家で調べものがあることだし、ま、いいよ、それより、どうだった? 今日の見合いは」

「別に、どうってことはない、兄さんの時と同じでしょう」

 銀平は投げやるように云った。そう云われると、鉄平は、自分の結婚も、父と相子の画策で、時の通産大臣の娘との話がどんどん運び、見合いは儀礼的に過ぎなかったから、何とも応えようがなかった。

「安田さんのお嬢さんは、気に入ったのかい?」

「可もなく、不可もなしというところだな」

 そう云いながら、銀平は二人になって『ヴィラ.舞子』の庭を步いた時のことをちらっと思いうかべた。広い庭をたいした話題もない退屈さと馬鹿馬鹿《ばかばか》しさを味わいながら步いて、大きな松の樹陰《こかげ》に来ると、銀平は、万樹子の肉感的な唇を男の視線で真っ正面からまじまじと見詰めた。その時の万樹子の表情には、何の恥じらいも、憤《いきどお》りの色もなく、むしろ銀平の視線を迎えるような反応さえ見せて、既に男を知っている様子がうすうす感じられた。しかし銀平にとって、そんなことはたいした問題ではなかった。

「それで、例の女性の方の問題は、始末がついているのかい?」

 弟思いの鉄平は、気懸《きがか》りそうに聞いた。

「どの女のことですか? 兄さんが云っているのは」

「小森章子《あきこ》とか云ったろう? その場限りの決済ですまない例外がいたじゃないか」

「――終りましたよ、とっくに」

「そうだったのか、僕はまた――」

 鉄平は弟の横顔を見遣《みや》りながら、云いかけて口を噤《つぐ》んだ。どんな場合にも心の底を見せることのない銀平だったが、行きかう車のライトに照らし出された銀平の顔に、哀《かな》しみとも苦渋ともつかぬ表情がうかんでいたからであった。

 銀平と小森章子の出会いは、五年前の夏の六甲にさかのぼる。毎年、七月の下旬から九月下旬まで、六甲の山荘へ居を移す万俵家では、距離的に大した違いはなかったから、父も鉄平も銀平も、山荘から通勤し、休日にはゴルフのあまり好きでない鉄平も加わって、六甲カントリー.クラブで時を過す。

 その日は、六甲に上ってまだ間もない日だった。雨もよいの人影のないコースを鉄平と銀平が廻っている時、若い女性が一人で打っていたのを一緒にプレイに誘ったのが、小森章子とのきっかけだった。さして大きくはない灘《なだ》の酒造家の娘で、油絵をやっているため、ずっと今まで東京で暮し、ゴルフは始めたばかりですと、清楚《せいそ》な顔で笑ったが、髪を断髪に切り揃《そろ》え、銀平と同じ二十八歳でありながら、なお独身であるところに、強烈な個性が感じられた。その日から銀平は新鮮な思いで小森章子との付合いをはじめて、夏の終りには、二人は深い間柄になっていた。絵を描くということで比較的自由な行動のとれる章子との関係は、三年続いた。時として我《が》の強い二人の間には摩擦があったが、銀平の傍《そば》から離れてベッドを滑りおりるなりキャンバスにたち向う章子は、いつまでたっても新鮮で、銀平が一度でも結婚の意思を持った相手がいるとすれば、章子以外にはない。しかし、父と母との生活を見ている銀平には、結婚に対して何の期待も持てず、結婚とは一戸を構え、一組の男女の表札を門口へ掲げることだという程度の感覚しかなく、自分から結婚を口にするのは億劫《おつくう》だった。そして銀平のそうした心の内側を知った章子は、四年目の夏、突然、「パリへ行って、私の人生を四年前の方向へ戻して来るわ」と云って、銀平のもとから去って行ったのだった。

 鉄平と銀平は、暫《しばら》く黙ったまま、步いた。タクシーの空車は、依然として来ない。

「で、安田家との結婚はいつ頃になる?」

 鉄平が話をもとに戻すと、

「それは、わが家の結婚プロデューサーの相子女史がいろいろなことを勘案した上で定《き》めるでしょうよ」

 他人《ひと》事《ごと》のような口調で応えた。

「やらせておけばいいよ、男には結婚以外に、自分を賭《か》ける仕事というものがあるじゃないか」

 銀平と異なって、ものごとを向日的に考え、積極的に行動する鉄平はそう云うと、精悍《せいかん》な眼をきらりと光らせ、対岸の大阪湾臨海工業地帯の煙突から夜空を灼《や》くように吹き出している赤い炎を見詰めた。

「銀平、阪神特殊鋼もいよいよ、高炉を建設することに踏みきったよ、資本金六十億の会社が、八百立方米《リユーベ》の高炉一基、転炉二基を中心に、全部で二百五十億、資本金の四倍もの設備投資に賭けるのだ、むろん完成までには大へんな困難があると思うが、やり抜いてみせるよ、どんなに小さくてもいい、自社で高炉を持って銑鉄《せんてつ》から一貫生産するのは、僕の長年の夢だったんだから――」

「兄さんはいいですね、自分の情熱を燃やし得る仕事をしているんだから――」

「それはまた、いつもの皮肉かい?」

 鉄平が云うと、

「いや、皮肉なんかじゃない、湿地帯の隠花植物のような人間が集まっている銀行という組織体は、僕の性《しよう》に合いませんよ、お父さんのように、銀行の頭取なるが故《ゆえ》に謹厳公正、品行方正を求められ、社会的に抑圧されたものは、世間から遮断《しやだん》された家の中で、妻妾《さいしよう》同居という異様な形で発散するという神経の持主でなければ、とても頭取など勤まりませんからね、その点、僕は、お父さんとは、頗《すこぶ》る違う」

 銀平は、父を冷やかに批判するように云った。

「たしかにお父さんは、僕たち子供と母の生活を滅茶苦茶《めちやくちや》にしているが、経営者としてはりっぱだ、お祖父さんの代には地方銀行だった阪神銀行を、全国第十位の都市銀行に発展させたし、万俵鉄工を阪神特殊鋼と改称し、近代的設備を持つ特殊鋼メーカーに成長させたのも、お父さんの力によるものだ、父親としてはどんな欠点があっても、経営者としての優れた力は認めるべきだよ、さっきの高炉の件も、お父さんには一応、諒承《りようしよう》を取りつけてあるが、今後、何かとお前も側面援護を頼むよ、明日は、通産省へ行って、重工業局長に会って来るんだ」

 鉄平は不意に足を止めると、そこから見える尼崎の帝国製鉄の方に向って傲然《ごうぜん》と挑むように云ったが、銀平は、無表情だった。

 国会議事堂を見ながら、車が霞《かすみ》が関《せき》三丁目を右折すると、前方に八階建ての大きなビルが見える。大きいという以外に何の特徴もない殺風景な建物であるが、それが日本の産業行政を司《つかさど》る通産省であった。万俵鉄平は、車の中から精悍な眼で通産省を見上げた。阪神特殊鋼の高炉建設の件で、十一時に重工業局長と会う約束になっているのだった。

「重工業局長が、たとえ、二、三十分とは云え、よく時間の都合をつけてくれましたね、これも大川先生の政治力のおかげです」

 鉄平の傍《かたわ》らで、阪神特殊鋼東京支社の広岡調査部長が車を降りる支度をしながら、もう一度云い、鉄平も頷《うなず》いた。

 特殊鋼業界のトップクラスとはいえ、帝国製鉄をはじめ、大手鉄鋼メーカーと比べれば、中企業の規模に過ぎぬ阪神特殊鋼の高炉計画について、重工業局長が、直接会うということは、まず例外であった。普通なら鉄鋼業務課の課長か、課長補佐ぐらいと話し合うのが常識であった。もちろん、本省における課長、課長補佐というのは、エリート官僚であり、一般の企業における課長や課長補佐などとは比べようもない大きな権力を、企業に対して持っている。したがって、局次長、局長ともなれば、よほどの場合でなければ会えなかったが、阪神特殊鋼の齢若《としわか》い専務である万俵鉄平が、通産省の中でも主流である重工業局長とじかに話し合えるのは、自由党の党人派グループの領袖《りようしゆう》で、元通産大臣であった岳父《がくふ》の大川一郎が、よろしく根廻ししておいてくれたおかげであった。

 車が通産省の正面玄関に停まると、鉄平は運転手が扉《ドア》を開けるのも待たず、大股《おおまた》な足どりで、エレベーターへ向った。大臣や次官、官房長の部屋はこの建物の二階にあり、重工業局は七階にあった。

 約束の時間きっかりに重工業局長の受付へ行くと、女子職員が局長室へ案内した。本省の局長室にしては、簡素すぎるほどがらんとした部屋であった。石橋局長は、自分のデスクの前にたったまま、電話中であったが、万俵鉄平の姿を見ると、早口で気忙《きぜわ》しく電話を切った。

「お待たせしました、どうぞ」

 鉄平は、局長の前に坐り、随行して来た広岡は入口に近い椅子に腰をかけると、石橋局長は、広岡の方はちらとも見ず、ソファの肘《ひじ》に両手をのせ、足を組んだ。昨年、四十八歳の若さで重工業局長になり、省内きっての出世頭と云われているだけあって、大柄な風格と相まって、自信に満ちた表情が齢以上の押出しを感じさせる。

「ご多忙のところを、ご無理なお時間をお割《さ》き戴《いただ》き恐縮です」

 鉄平が鄭重《ていちよう》に挨拶《あいさつ》すると、

「いやあ、一昨日《おととい》、次官からお会いするようにと云って来られたんですが、何しろ急なんで、時間のやり繰りがつきかねますがとご返事したら、今度は、大臣から是非、時間の都合をしろと云われまして――、ですから申しわけないのですが、二十分程しかないのですよ」

 暗に鉄平の岳父である大川一郎の線で話が持ち込まれて来たことを、迷惑そうに云った。

「申しわけありません、高炉計画書の提出期限が、三月末日ですので、事前に局長のご諒解方を得ておきたいと思いまして――」

 鉄平は率直に頭を下げ、

「実は、今度の高炉計画ですが、高炉を持たないわが社はいつも原料不安に悩まされていますし、五年先、十年先の需要見通しを考えますと、このあたりで少々無理をしても抜本的な体質改善を図らねばならないと考え、八百立方米《リユーベ》の高炉一基と転炉、アッセルミル圧延機その他付帯設備を入れて、総額二百――」

 と云いかけると、石橋局長はろくに説明に耳を傾けず、

「だいたいの話は、鉄鋼業務課長から聞いていますよ、しかし、転炉だけで止《や》められたらどうですか」

 高飛車に、鉄平の言葉を遮《さえぎ》った。

「転炉だけ――、すると、肝腎《かんじん》の溶銑《ようせん》は、どうしろとおっしゃるのですか?」

 鉄平は、むっとして反問した。

「それは、お近くの帝国製鉄から分けてお貰《もら》いになればいいじゃないですか、莫大《ばくだい》な資金をかけて無理に高炉を建てても、どれほどのメリットがあるか、これからの高炉は二千立方米《リユーベ》、三千立方米《リユーベ》とますますマンモス化し、またそうしないと、鉄鋼なんてものは、もはやメリットが出てこない時代なんですからねぇ」

「それは普通鋼メーカーの場合でしょう、わが社としては、自社で作る製品の原料獲得という意味で、それに見合った規模の高炉を考えたのです、転炉だけで、その中へ入れる溶銑を他《ほか》へ頼るとなると、今まで以上に原料的に不安定になりかねません」

 随行して来ている広岡は、はらはらするような表情を向けたが、鉄平は強い口調で云った。石橋はちらりと切り返すような視線を向け、

「なるほど、それほど高炉建設に強い決意をお持ちなら、当局ではお止めする権限はないのですから、計画書を提出されれば、受理致しますよ、しかし、実際にこれを承認するしないの権限は、ご承知のように業界の自主的な話合い、つまり自主調整によって決められることですから、問題は、その方面の筋を、どう納得させるかですねぇ」

 と云ったが、これまで業界内の話合いが、すんなりとついたためしはなく、いつも揉《も》めれば、通産省が“裁定”という名目のもとに乗り出し、実質的には、通産省の意向が大きく働く。そしてそれは、帝国製鉄と富国製鉄の意向を多分に代弁する色彩が強い。鉄平は、何をぬけぬけしいことをと思いながらも、ここは何としても通産省の支援が必要であったから、

「その方面には当社の事情をよくご説明して、ご納得戴くことに致しますが、ともかく、局長のご諒解を得ませんことには――、で、来週早々に設備、生産、資金の各計画書を鉄鋼業務課へ提出致しますから、どうか、よろしくご支援下さい」

 と頭を下げると、石橋は、

「大臣からのお声がかりであったことも、課長や課長補佐たちに伝えて、慎重によく検討するように伝えておきましょう」

 政治的な含みをもった答え方をした。

 鉄平は、ホテル.ニュージャパンの八階にある大川一郎事務所を訪れた。二室続きの贅沢《ぜいたく》な部屋で、取っつきの部屋には二人の秘書の机と、陳情客の待合せ用の椅子が並び、奥が大川一郎の部屋であった。

「どうぞ、ちょうど来客がすっかり終ったところでございますから――」

 秘書が云うと、奥から大川一郎の精力的で脂《あぶら》ぎった顔が覗《のぞ》いた。ソ連対外貿易省の招待で、二週間の訪ソを終えて五日前に、帰国したばかりというのに、忙しそうに机の上の書類に眼を通している。

「お舅《とう》さん、おかげさまで今朝、通産省へ行って参りましたが、ご帰国早々のお疲れの中をお手数かけました」

 と礼を云うと、大川一郎は鋭い眼光を和らげ、

「いやあ、これぐらいのことで疲れていては、政治家は勤まらんよ、ソ連は今、シベリア開発が、バイカル湖の東側にまで延び、ヨーロッパから資材を運んでいてはコスト高になるから、日本からの資材輸入を望んでいるんだ、日本の財界もこの辺で、ソ連ともっと積極的な経済協力を考えることだよ」

 まだ訪ソの昂奮《こうふん》が残っているのか、一気にそう喋《しやべ》りまくり、

「ちょうどいい、帰国後、連日、宴会続きで、今夜ぐらいはゆっくり寛《くつろ》ぎたいと思っていたところだし、鉄平君も来たことだから、家で飯を食べよう、家内も久しぶりで喜ぶだろう」

 妾宅《しようたく》を構えている大川一郎であったが、娘婿《むすめむこ》の来訪となると、岳父らしい気遣いを見せ、自宅での晚餐《ばんさん》に誘った。

 クライスラーに乗り、小石川の茗荷《みようが》谷《だに》の大川邸に向ったが、その間も、大川一郎は、車に備えつけのマイクロ.テレビでニュースを見、書簡類の封を切り、鉄平に話しかけ、一刻の休みもなく時間を使い、

「銀平君の縁談は、きまったそうだな」

「おかげさまで、大阪重工の安田社長のお嬢さんにきまりましたよ」

「そりゃあよかった、大阪重工なら業容はいいし、安田体制は十年以上続くと云われている実力社長だから、何よりだよ」

 口にこそ出さないが、これで選挙の時の資金パイプが一本増えたというような響きがあった。

 車が大川邸の前に着き、運転手がクラクションを二つ鳴らすと、門脇《わき》の昔の下男部屋のような建物から二人のボディ.ガードが走り出て、大きな門を開き、車が玄関に着くと、大名屋敷のような式台に、妻の和代をはじめ、四人の書生と二人の女中が両手をついて出迎えた。いつもの情景ながら、鉄平には、地方の網元の出とはいえ、戦前は、権力と闘うべく新聞記者になった記者出身の岳父が、こうした大時代な出迎え方を平気でさせている神経が呑《の》み込めなかった。

「鉄平さん、ようこそ、早苗から電話があって、お待ちしておりましたんですよ」

 糟糠《そうこう》の妻の老いというのか、姑《しゆうとめ》の和代は夫より老《ふ》けて見える顔を綻《ほころ》ばせて云い、奥座敷へ案内した。五、六百坪程の敷地に二階建ての数寄屋《すきや》造りで、玄関から奥座敷へ入る廊下は、庭に面した広縁になり、庭には地元議員や業者などから贈られたらしい見事な庭石や燈籠《とうろう》が並んでいた。

「どうだ、いい燈籠だろう、あの築山《つきやま》の前のが利休《りきゆう》形《がた》だよ」

 茶人が喜びそうな珍しい利休燈籠を自慢しながら、大川は丹前に着替え、座敷机を挟んで鉄平と向い合った。姑は、女中たちを指図して料理を運ばせ、鉄平と夫とに酌をした。大川はぐいと盃《さかずき》を空けると、

「どうだった? 今日の重工業局長との話合いは――」

「お舅さんのおかげで、直接、石橋局長と話し合えましたが、最初、高炉は無理だから、転炉だけにしろと云うんですよ、もちろん、僕としてはあくまで高炉建設をやりたいと、お願いして来ましたがね」

 高圧的であった石橋の態度を思い出しながら応《こた》えると、大川の盃を持った手が止まった。

「なに、転炉だけにしろと――、生意気なことを云う奴《やつ》だ、早速、文句をつけてやる、だいたい奴らは、帝国製鉄と富国製鉄の霞が関出張所員だと云われているほど、あの二大製鉄との癒着《ゆちやく》ぶりは甚《はなは》だしい、私が通産大臣をしてる時、解《わか》ったんだが、製鉄関係の会議を開くと、その内容が帝国製鉄と富国製鉄には一時間後に筒抜けになり、その次の大手メーカーには三時間後、中クラスでも、三日後には伝わっているという工合だ、したがって、私が通産大臣在任中に二大製鉄と繋《つな》がっている連中を相当ぶった切り、思いきった人事をやったつもりだったが、息の根を止めるに至らなかった、しかし、私が大臣在任中に面倒をみておいた手兵の五人や十人は幹部級に残っておるから、舐《な》めた真似《まね》はさせん、阪神特殊鋼の高炉建設の許可は是が非でも、今期に認めさせる」

 そういう時の大川一郎の鋭い眼光は、さらに鋭さを増し、どす[#「どす」に傍点]のきく濁声《だみごえ》とともに威圧感を持つ。事実、通産省の現職大臣は、官僚出身であったが、大川一郎が曾《かつ》て通産大臣であった時に行なった一種の恐怖人事ともいうべき思いきった人事は、現職を去った今も、通産官僚たちの印象に残り、現職大臣には及ばずとも、相当な残存勢力が残っているのだった。しかも三十五人の代議士を抱えている大川一郎は、総裁選ともなれば、キャスティング.ボートを握る派閥の長であったから、現職であるなしにかかわらず、隠然たる力を持っている。したがって、これまでも、万俵家が姫路に所有している農地が中国縦貫道路に買収される時は、大川一郎が建設省に働きかけて有利に取り計らい、阪神特殊鋼の機械輸入などについても、大きな力をかしていた。と同時にそれに充分に見合う報酬を受けていた。

 姑が銚子《ちようし》を替えに席をたつと、大川は右手の小指を前に出し、卑猥《ひわい》な笑いをうかべ、

「女の方はどうなんだい、早苗も母親似で、味の悪い方じゃないか?」

「まあ、まあってところですよ、だが、今の僕はその方より、おったてたいのは高炉、高炉なら抱いて寝たいほど可愛《かわい》いってとこですよ」

 鉄平が白い歯を見せて、からからと笑った。

「一基、二百五十億もする高炉を抱いて寝たいなどとは、ふてぶてしいことを云うじゃないか」

 大川が眼をしばめるように上機嫌に云った時、書生が憚《はばか》るように入って来て、大川にメモを渡した。

「ちょっと用談の電話だ、失礼する――」

 席をたち、隣室の電話器を取ったが、地声が大きいから、鉄平の耳にも聞えて来る。

「――うん、やって来たが、話にならん、包みが小さい――、うん、もう四、五日したらまたやって来るだろう、そうだ、そのたか[#「たか」に傍点]によって、据えおきか、値上げかを考える――」

 どうやら、仲間うちのやり取りらしいが、露骨に利権の臭《にお》いがし、包みというのは金包みのことらしい。しかし、手短かに電話をきると、大川は、何食わぬ顔で、もとの席に戻り、

「で、お父さんの方は、どんなご様子かね? このところ暫《しばら》く会っていないが――」

「元気ですよ、近々一度、お会いしたいと云ってましたが、金融再編成論が喧《やかま》しく取沙汰《とりざた》されていますので、これから父も大へんでしょう、美馬さんに何かと相談している様子です」

 美馬の名前が出ると、大川は眉《まゆ》を顰《しか》め、

「あいつは嫌な奴《やつ》だ、大蔵官僚の典型的な慇懃《いんぎん》無礼さと、小利口さを持った奴だ、永田大蔵大臣にべったりだから、私と姻戚《いんせき》関係にあることを、ことさらに敬遠するようなポーズを取る、何かの会合で顔を合わせることがあると、わざと時間をずらせたりして、実に陰湿だよ」

 不快そうに云ったが、鉄平には、父の万俵大介が、官僚出身である永田大蔵大臣と密接に繋がっている大蔵省主計局次長の美馬中《あたる》と、党人派主流である大川一郎との両方に閨閥《けいばつ》を作り、どちらに権力の座が動いても、安全なように考えている胸中が解っていた。大川は、盃《さかずき》をふくみながら、

「鉄平君、“保険つなぎ”という言葉を知っているだろう、家が焼けても保険をかけてあるから大丈夫というあれだよ、君の親父《おやじ》さんは、官僚派が落ち目になっても、党人派が落ち目になっても、決して損にならんように両方に“保険つなぎ”をしているわけさ、しかし、これは何も阪神銀行頭取の万俵大介に限ったことではない、財界人というのは、絶対、一つのものに賭《か》けない習性を持っているんだよ、だから、私は、いつも財界人のことを、商人どもが何を云うかなどと放言して、憎まれとるんだよ、あっはっはっはっ」

 そう云い、愉快そうに笑ったが、ソ連帰りの疲労のためか、声の割に酒気がさめかけた顔色は冴《さ》えず、顔全体が少しむくんでいるように見えたのが、鉄平の気に懸った。

 翌日、万俵鉄平は、東京支社での販売会議を終えると、爽《さわ》やかな笑いをうかべて、会議室を出た。ここ二、三カ月の販売成績が良好に伸びているからであった。

 窓から東京駅が見える東京支社は、八重洲《やえす》ビルの三階にあり、支社長以下六十名の社員が、営業、技術、調査、総務の各部に分れて机を並べ、広い室内には活気が漲《みなぎ》っている。鉄平は、社員たちの机の間を大股《おおまた》な足どりで步き、専務室へ入りかけて、壁面のポスターに視線を止めた。安全用のヘルメットをかぶった凜々《りり》しい鉄鋼マンが、日の出を見詰めている躍動的なポスターであった。もちろん、神戸の本社にも随所に掲げられているポスターで、目新しくはなかったが、昨日、通産省に行って重工業局長とじかに話し合い、さらに岳父の大川一郎にも会って、高炉建設計画が現実性をもって步み出した時だけに、その厳粛で力強いポスターに心を惹《ひ》かれたのだった。

「専務、三時十分過ぎですから、大同銀行へお出かけ願います――」

 背後《うしろ》から、昨日、通産省に同行した広岡調査部長が声をかけ、支社長も、慌《あわただ》しく総務部へ車の用意を命じた。

「ああ、もうそんな時間か――」

 鉄平は急いで、エレベーターで地下の駐車場へ降りた。大同銀行は、阪神特殊鋼にとって、阪神銀行に次ぐ融資率の高い銀行で、今度の高炉建設についての融資を依頼するために、三時半に頭取と面会する約束になっているのだった。

 車に乗ると、広岡は分厚い書類袋を鉄平の鞄《かばん》の横に置き、

「では、よろしくお願い致します」

 神妙な顔つきで云った。分厚な書類袋の中には、阪神銀行へ出してあるのと同じ融資申込書と事業計画書が入っていた。

 大同銀行の新頭取である三雲祥一は、鉄平がマサチューセッツ工科大学に留学していた時代に、たまたま親交があったが、高炉建設というような膨大な設備資金の調達となると、父が頭取をしている阪神銀行に頼みに行くようなわけにはいかないと思った。

 車は凄《すさま》じいラッシュを縫って日本橋に向った。本石《ほんごく》町まで来ると、日本銀行が、その威厳を誇示するように聳《そび》えたっている。大同銀行本店は、ちょうどその日本銀行の斜め後方にある。八階建ての大きなビルであったが、全体から受ける印象が、どこか野暮ったく、堅実一本の行風が建物にまで反映しているようだった。大同銀行は、今でこそ預金量九千二百億の都市銀行第八位の存在だが、その前身は、各地方に有力な基盤を持っていた十幾つかの貯蓄銀行が、戦後、一つに合併した寄合世帯である。したがって、人材的な面でも多少の問題があり、頭取は、大同銀行が発足した当初から今日に至るまでの二十年間、ずっと日銀からの天下りであった。

 大同銀行二階の役員受付に上ると、

「いらっしゃいませ、頭取にご面会の阪神特殊鋼の万俵さまでいらっしゃいますね」

 受付の女子行員が鄭重《ていちよう》に、頭取室へ案内した。

「やあ、暫く――、ほんとうに暫くでしたね」

 三雲頭取は回転椅子《いす》からたち上り、鼻筋の通った面長の顔に懐《なつ》かしさを籠《こ》めた笑いを湛《たた》えながら、手をさし出した。鉄平もがっしりとした手を出し、

「すっかりご無沙汰致しております、この度は頭取にご就任、おめでとうございます」

 十数年ぶりの握手を交わした。

 ソファに向い合うと、三雲はまじまじと鉄平を見詰め、

「あれからもう十三年も経《た》つんですねぇ、ブリッジは今でもやっていますか?」

 当時を懐かしむように聞いた。留学生の鉄平と、日銀ニューヨーク事務所の参事とでは、年齢的な開きがある上に、住まいも遠く隔たっていたが、阪神銀行がニューヨーク支店を持っている関係で、鉄平は休暇になると、よくニューヨークへ出かけた。そんな時は必ず数日間滞在したから、銀行関係の三雲とも顔見知りになり、互いにゴルフよりブリッジが好きなところから、会えば必ず、カードを楽しんだ。そしてブリッジをしながらも鉄の話をはじめると止《とど》まるところを知らない鉄平を、三雲は“情熱居士《こじ》”と呼び、鉄平は、酔えば必ず若山牧水の歌を口ずさむ三雲を“純情居士”と呼び、人間的な情緒を失いがちな海外生活の中で、互いに心の触合いを感じ取っていたのである。

「おかしなものですね、日本へ帰って来ると、すっかり疎遠になってしまって、今の僕は、一日が四十八時間あってほしいと思うほどの忙しさに追いまくられていますが、三雲さんは如何《いかが》ですか? 日銀と、こうした都市銀行とでは、何かと勝手がお違いになるんじゃないでしょうか」

 曇り一つなく拭《ふ》き磨かれた窓ガラスの向うに聳えたっている、荘重な日本銀行の建物に眼を向けながら、鉄平は聞いた。

「そうですね、日銀時代は、公定步合の上げ下げや、景気調整といった政策的な仕事でしたから、常に日本経済全体の展望をしっかり捉《とら》えた上でものを考えねばならないという難かしさはありましたが、都市銀行の世界は、預金、貸金一つとっても、毎日毎日が、俗な言葉で云えば、斬《き》った、はったの激しい競争に明け暮れ、しかもその結果は、すぐ数字で冷酷に評価されるのですから、厳しいところだとつくづく感じますよ、しかし、さし当って今、私が心を砕いているのは、一日も早く大同銀行の行風に馴染《なじ》み、行員たちの心に溶け込むことですよ、何しろこの大同銀行も、都市銀行に転換してスタートしてから二十年になりますから、貯蓄銀行時代からの中堅幹部、若手行員が育って来て、今なお上層部が日銀からの移入人事であることに、反感を持ちはじめているようですから」

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