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第15章 青豆.2

作者:日-村上春树 当前章节:3879 字 更新时间:2026-6-16 01:35

「私もその気はない。でも一度だけ高校生のとき、仲の良い女友だちとそういう風になったことはある。そんなつもりはなかったのに、成り行きで何となくね」

「そういうことってあるかもしれない。それで、そのときは感じた?」

「うん。感じたと思う」と青豆は正直に言った。「でもそのとき一回きり。こういうのはいけないと思って、もう二度とはしなかった」

「レズビアンがいけないってこと?」

「そうじゃない。レズビアンがいけないとか、不潔だとか、そんなことじゃないの。<傍点>その人と</傍点>そういう関係になるべきじゃないと思ったっていうこと。大事な友情をそういうナマのかたちには変えたくはなかった」

「そうか」とあゆみは言った。「青豆さん、今晩よかったら青豆さんのところに泊めてもらえないかな? このまま寮に帰りたくないんだ。いったんあそこに帰っちゃうと、せっかくこうして醸し出された優雅な雰囲気が一瞬にしてぶちこわしになっちゃうから」

 青豆はダイキリの最後の一口を飲み、グラスをカウンターに置いた。「泊めるのはいいけど、変なことは<傍点>なし</傍点>だよ」

「うん、いいよ、そういうんじゃないんだ。ただ青豆さんともう少し一緒にいたいだけ。どこでもいいから寝かせて。私は床の上でもどこでも寝ちゃえるたちだから。それに明日は非番だから朝もゆっくりできる」

 地下鉄を乗り継いで自由が丘のアパートまで戻った。時計は十一時前を指していた。二人とも気持ちよく酔いがまわっていたし、眠かった。ソファに寝支度を整え、あゆみにパジャマを貸した。

「ちょっとだけベッドで一緒に寝ていい? 少しだけくっついていたいんだ。変なことはしない。約束するから」とあゆみは言った。

「いいよ」と青豆は言った。これまでに三人の男を殺している女と、現役の婦人警官が一緒のベッドで寝るなんてね、と彼女は感心した。世の中は不思議なものだ。

 あゆみはベッドに潜り込み、両腕を青豆の身体にまわした。彼女のしっかりとした乳房が青豆の腕に押しつけられた。アルコールと歯磨きの匂いが息に混じっていた。

「青豆さん。私のおっぱいって大きすぎると思わない?」

「そんなことないよ。とてもいいかたちに見えるけど」

「でもさ、大きなおっぱいってなんだか頭が悪そうじゃない。走るとゆさゆさ揺れるし、サラダボウルをふたつ並べたみたいなブラを物干しに干すのも恥ずかしいし」

「男の人はそういうのが好きみたいだよ」

「それに乳首だって大きすぎるんだ」

 あゆみはパジャマのボタンを外して片方の乳房を出し、乳首を青豆に見せた。「ほら、こんなに大きいんだよ。変だと思わない?」

 青豆はその乳首を見た。たしかに小さくはないが、気にするほどのサイズだとも思えなかった。環の乳首より少し大きなくらいだ。「かわいいじゃない。大きすぎるって誰かに言われたの?」

「ある男に。こんなでかい乳首を見たことないって」

「その男は見た数が少なかったのよ。それくらい普通だよ。私のが小さすぎるだけ」

「でも私、青豆さんのおっぱいって好きだな。かたちが上品で、知性的な印象があったよ」

「まさか。小さすぎるし、右左でかたちが違うし。だからブラを選ぶときに困るのよ。右と左でサイズが違うから」

「そうか、それぞれにみんないろんなことを気にして生きているんだ」

「そういうこと」と青豆は言った。「だからもう寝なさい」

 あゆみは手を下に伸ばして、青豆のパジャマの中に指を入れようとした。青豆はその手をつかんで押さえた。

「だめ。さっき約束したでしょう? 変なことはしないって」

「ごめん」とあゆみは言って手を引っ込めた。「そう、さっきたしかに約束した。きつと酔っているんだね。でもさ、私って青豆さんに憧れているんだ。さえない女子高校生みたいに」

 青豆は黙っていた。

「あのさ、青豆さんは自分にとっていちばん大事なものを、その男の子のために大事にとっているんだね、きつと?」とあゆみは小さな声で囁くように言った。「そういうのってうらやましいよ。とっとける相手がいるのって」

 そうかもしれない、と青豆は思った。しかし私にとっていちばん大事なもの、それは何だろう?

「もう寝なさい」と青豆は言った。「寝付くまで抱いててあげるから」

「ありがとう」とあゆみは言った。「ごめんね。迷惑をかけて」

「謝ることはないよ」と青豆は言った。「迷惑なんてかけてない」

 青豆はあゆみの温かい息づかいを脇の下に感じ続けていた。遠くの方で犬が吠え、誰かが窓をばたんと閉めた。そのあいだずっと、彼女はあゆみの髪を撫でていた。

 眠り込んでしまったあゆみをそこに残して、青豆はベッドを出た。どうやら今夜は彼女がソファで眠ることになりそうだ。冷蔵庫からミネラル?ウォーターを出して、グラスに二杯飲んだ。そして狭いベランダに出て、アルミニウムの椅子に座り、街を眺めた。穏やかな春の夜だった。遠くの道路から人工的な海鳴りのような音が、微風に乗って聞こえてきた。真夜中を過ぎて、ネオンの輝きもいくぶん少なくなっていた。

 私はあゆみという女の子に対して、たしかに好意のようなものを抱いている。できるだけ大事にしてやりたいと思っている。環が死んでから、私は長いあいだ、もう誰とも深い関わりを持つまいと心を決めて生きてきた。新しい友だちがほしいと思ったことはなかった。しかしあゆみに対しては、なぜか自然に心を開くことができる。あるところまで気持ちを正直に打ち明けることもできる。でももちろん、彼女はあなたとはぜんぜん違う、と青豆は自分の中にいる環に向かって語りかけた。あなたは特別な存在だ。私はあなたと共に成長してきたのだもの。ほかの誰とも比較にならない。

 青豆は首を後ろにそらせるような格好で、空を見上げていた。目は空を眺めながらも、彼女の意識は遠い記憶の中を彷徨{さまよ}っていた。環と過ごした時間、二人で語り合ったこと。そしてお互いの身体を触り合ったこと……。でもそのうちに、彼女が今目にしている夜空が、普段見ている夜空とはどこかしら異なっていることに気づいた。何かがいつもとは違っている。微かな、しかし打ち消しがたい違和感がそこにはある。

 どこにその違いがあるのか、思い当たるまでに時間がかかった。そしてそれに思い当たったあとでも、事実を受け入れるのにかなり苦労しなくてはならなかった。視野が捉えているものを、意識がうまく認証できないのだ。

 空には月が二つ浮かんでいた。小さな月と、大きな月。それが並んで空に浮かんでいる。大きな方がいつもの見慣れた月だ。満月に近く、黄色い。しかしその隣りにもうひとつ、別の月があった。見慣れないかたちの月だ。いくぶんいびつで、色もうっすら苔が生えたみたいに緑がかっている。それが彼女の視野の捉えたものだった。

 青豆は目を細め、その二つの月をじつと眺めた。それから一度目を閉じ、ひとしきり時間を置き、深呼吸をし、もう一度目を開けてみた。すべてが正常に復し、月がひとつだけになっていることを期待して。しかし状況はまったく同じだった。光線の悪戯{いたずら}でもないし、視力がおかしくなったわけでもない。空には間違いなく、見違えようもなく、月が二つきれいに並んで浮かんでいる。黄色の月と、緑色の月。

 青豆はあゆみを起こそうかと思った。本当に月が二つそこにあるのかどうか、尋ねてみるために。しかし思い直してやめた。「そんなの当たり前じゃない。月は去年から二つに増えたんだよ」とあゆみは言うかもしれない。あるいは「何を言ってるの、青豆さん。月はひとつしか見えないよ。目がどうかしたんじゃないの」と言うかもしれない。どちらにしても私が抱えている問題は解決しない。より深まるだけだ。

 青豆は両手で顔の下半分を覆った。そしてその二つの月をじつと眺め続けた。間違いなく何かが起こりつつある、と彼女は思った。心臓の鼓動が速くなった。世界がどうかしてしまったか、あるいは私がどうかしてしまったか、そのどちらかだ。瓶に問題があるのか、それとも蓋に問題があるのか?

 彼女は部屋に戻り、ガラス戸に鍵をかけ、カーテンを引いた。戸棚からブランデーの瓶を出し、グラスに注いだ。あゆみはベッドの上で気持ちよさそうに寝息を立てていた。青豆はその姿を眺めながら、ブランデーをすするように飲んだ。キッチン?テーブルに両肘をつき、カーテンの背後にあるもののことを考えないように努力しながら。

 ひょっとしたら、と彼女は思う、世界は本当に終わりかけているのかもしれない。

「そして王国がやってくる」と青豆は小さく口に出して言った。

「待ちきれない」とどこかで誰かが言った。

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