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[沙野风结子/奈良千春] 蛇淫の血 - 日文原版书库
作 品 名 蛇淫の血
着 者 沙野风结子
イラスト 奈良千春
媒 体 小説
シリーズラピス文库(小説 プランタン出版)
出 版 社プランタン出版
I S B N 9784829654330
「お前は俺に与えられた玩具だ」凪斗を平穏な大学生活から引きずり出し、监禁した男は言い放った。その男・角能は、岐柳组组长の隠し子である凪斗が迹継ぎ候补になったこと、凪斗のボディガードを自分が务めることを告げてきた。だが、冷めた目、嬲るような扱いは、凪斗を护る者のものとは思えない。そして凪斗は催淫剤のせいで浅ましく角能を求めてしまう。弄ばれるたび、凪斗は屈しまいとしていた心が壊されていくのを感じる。
プロローグ
店に入ると、通り一本横にある国道の騒音が妙に远くなる。
まるで绵に耳をくるまれたみたいだ。
障子越しの春の阳射(ひざ)しを思わせる照明の下を、静けさを壊さないように自然に気を割(さ)きながら歩いていく。并べられたシンプルなショーケースのなかには、贝殻を漆器に嵌(は)め込んだ螺钿(らでん)细工の砚(すずり)箱や、黒檀(こくたん)制の万年笔などが陈列され、壁には书や日本画がかけられている。
骨董品屋のような雰囲気を醸(かも)しだす猫の额ほどの広さのこの店は、日本画専门の画材屋だ。古めかしい桜材の棚には、品物がところ狭しとひしめき并んでいる。
こうして日本の一般生活から排斥(はいせき)されていったものたちに囲まれていると、外の世界のもろもろの厄介事から切り离されていくかのようだ。
和纸が置かれた棚の前で立ち止まる。
纸の表面を覗(のぞ)き込んでみる。
やわらかく毛羽立ち重なり合う白い繊维(せんい)の筋……そこに岩絵の具の红(べに)がじわりと染み込み、渗(にじ)むところを思い描く。
PART 1
「あのぉ」
突然かけられた声に、彼はまるで梦から叩き起こされた人のように、重たい睫(まつげ)で大きく瞬(まばた)きをした。
「円城凪斗(えんじょうなぎと)さんじゃないですか? おととし、日展に入选した……あの、あたしたち、あの絵にものすごく感动しちゃって、円城さんをリスペクトしててぇ」
见れば、いかにも美大生っぽい女の子のふたり组が目を辉かせている。
店の雰囲気に浸っていい気分だったのに、すっかり现実に引き戻されてしまった。
「あー」
内心の不机嫌はおくびにも出さず、彼は老若男女问わず好感度が高いと评される顔で、笑顔を作って见せた。
「よく间违われるんだ。俺も円城さんの絵のファンなんだけど」
言ったとたん、彼女たちの顔に失望の色が浮かぶ。
「えっ、なんだぁ、违うのぉ?」
「やだ、そっくりなんだもん。まぎらわしー。このお店に出入りしてるって闻いたから、张り込んでたのにぃ」
カモノハシみたいに唇を尖らせる。
しかし彼をじろじろ见ているうちに、その表情はまたころりと一転して、媚(こび)を含んだ。
「けど、そっくりってだけでも、あたし的にはアリかも」
「は?」
「だって、円城凪斗の顔、かなり好みなんだもん。その目の浅めの二重の入り方とか、唇のちょっとぽてっとした感じとか。キレイとカワイイがちょうどいい配分なのよねぇ。ねぇねぇ、髪も目も色薄いけど、天然モノ?」
「……はぁ、まぁ」
「ふーん。あなたも日本画やってるの? どんなの描くの? あたしは油絵やってるんだけど、日本画にもちょっと兴味あるのよね」
モードはすっかり逆ナンに切り替わっている。
甘い顔もしすぎると深みに嵌(はま)る。
「あの、えっと、时间ないんだ」
引きぎみに言うと、くるりと身体をかえして奥へと向かう。女の子たちは気分を害したようで、乱暴なドアの开闭で店を出て行った。
奥にあるカウンターの前に立つと、すっかり顔なじみになっている初老の店主が目尻に笑い皱(じわ)を刻んでいた。さっきのやりとりを闻いていたのだろう。
「今日はなにをご入り用ですか、円城さん」
彼——円城凪斗は、いたずらを见咎められた子供みたいに、気まずい照れ笑いをした。
「こんにちは。今日は、岩辰砂(いわしんしゃ)の九番を三両、岩红(いわべに)の十一番を二両、水晶末(すいしょうまつ)の九番を二両、お愿いします」
店主は棚にずらりと并べられた数十个の陶器の壷から三つを取り出すと、机に向かった。そこに置かれているレトロな天秤式の秤で、壷のなかに入った粉末状の岩絵の具を手早く量り分けてくれる。
もう见惯れたけれども、ここに初めて日本画に使う岩絵の具を买いにきたとき、びっくりした。
いまどき、こんな秤で分铜を使って、しかも単位は「両」だ。ちなみに一両は十五グラムにあたる。量られた岩絵の具は、粉薬みたいに薄纸に包んで渡される。
コーヒー豆とかでも量り売りとなると高级っぽいイメージなのに、それが静谧(せいひつ)な画材屋の奥で行われるのだ。なんだか秘密の仪式みたいで、いまだに少し胸が高鸣る。
买ったものを斜め挂けした鞄にしまって店を出る。
近くの国道を行き交う车の騒音が、一気に押し寄せてきた。
店のなかは常春だけれども、外は夏。空気はさらりとしていて、白い阳射しが半袖から覗く素肌を无数の细い针のように刺す。大学の前期试験も乗り切って、今日から夏休みに突入だ。
ここのところ沈みがちだった気分を微妙に引き上げられたまま、凪斗は电车に二十分ほど揺られて、自宅マンションへと帰っていった。
1
年季の入ったマンションの五阶、凪斗が自宅の键を开けていると、宅急便の深緑色の制服を着た男が通路を歩いてきた。ダンボール箱を抱えている。彼は伝票と表札を见比べながら歩いてくると、凪斗のそばで立ち止まった。
「円城さんのお宅の方ですか?」
「はい。そうですけど」
「お荷物です」
「ああ、ちょっと待ってください」
慌ただしくドアを开けて、凪斗叶玄関横の棚の小箱からシャチハタを取り出した。伝票に判を押して、荷物を受け取る。また祖母が通贩でなにか买ったのかと思って箱に贴られた伝票を见たが、宛て名は凪斗本人になっていた。送り主は「田中和子(たなかかずこ)」。覚えのない名前だ。
ドアを闭めながら、凪斗はふと眉をひそめた。
なにか、かすかに音がする。
——なんだろう……时计、みたいな?
音を辿ると、それはどうやら自分の手のなかからしているらしい。荷物を凝视する。
「……」
すうっと首筋が冷えた。
——まさか…
おそるおそる、荷物に耳を近づけてみる。
カチ…カチ…カチ…
手が震えた。
——まさか……これ、「敌」が送ってきたのか?
一绪に暮らしている祖母は腹部にポリープがあるらしく、その検査のために入院していて不在だ。いま、この家にいるのは凪斗ひとりだった。
动転してしまいながら、ぎこちない手つきで荷物を靴脱ぎ场へと下ろしていく。いたずらに揺らさないように、そっと床に置く。手を离したときには掌(てのひら)も项(うなじ)も冷たい汗にびっしょり濡(ぬ)れていた。
首にピアノ线でも巻きつけられているかのような紧迫感に息が诘まる。
——落ち着くんだ。こんな时は、どうするんだった? 「敌」からの可能性がある荷物が送られてきて、それがもしも爆発物かもしれないときには……
いますぐ、全速力でここから逃げ出したい。
でも、この荷物を放置することはできない。
「敌」からのものである可能性がある以上、相手が相手なだけに、おいそれと警察に通报するわけにもいかない。
凪斗は荷物の脇を忍び足で通り抜けて、そろそろと靴を脱いだ。廊下を抜けて奥のリビングに行き、いつも电话の横に置いてあるアドレス帐の最後のページをめくる。
八十岛(やそしま)セキュリティサービス。
この番号を携帯电话に登録しておけと祖母からしつこく言われていたのに登録しないでいたのは、こんな展开になるなどと、絶対に思いたくなかったからだ。
自分はただの二十歳の美大生だ。
母亲を三年前に亡くして、祖母とのふたり暮らし。祖母のパート代と母亲が残してくれた贮金や保険金のお阴で、生活费には困らずにすんでいる。大学の奨学金制度を胜ち取って、美大になんとか通うこともできている。高価な日本画用の画材を买うために、バイトに精を出す毎日だ。
そんな自分のことを、普通だと思いたかった。
でも、普通の家庭には危険物が送られてくることなど、まずない。
凪斗は受话器を持ち上げて、震える指でプツプツと番号を押していく。电话はすぐに繋がった。
『はぁい。八十岛セキュリティサービスです』
あっけらかんとした若い男の声。関西圏のイントネーションだ。
「あの、円城っていいますけど、いますぐ来てほしいんです」
突っかえるような早口で要请する。
『はいはい。えーっと、以前に当サービスをご利用しはったこと、あります?』
「ないと思いますけど、祖母が登録はしてあるって。その、いまさっき宅急便で荷物が送られてきて、三十センチ四角ぐらいの、それがカチカチいってて。もしかすると爆発物かもしれなくて」
『なんやて!? いま、爆発物って言わはりましたかっ?』
相手が急に大声を出した。耳がキーンとする。
惊いている、というより、妙に浮かれた声音だったのは、気のせいだろうか?
『エンジョウ、エンジョウ……ああ、マルの円にお城で、円城サン、登録してはりますね。いま、自宅のほうですか?』
相手は凪斗の住所を确认すると、十五分ほどで行くから荷物には絶対触らないで、でき
るだけ离れているようにとまくしたてて电话をガシャンと切った。
あの関西弁のテンションの高そうな男がやってくるのだろうかと、非常に心许(こころもと)ない気持ちになりながら受话器を置く。
ぴったり十五分後、自宅の电话が鸣った。电话に出ると、さっきの関西弁の青年だった。マンションの部屋の前まで来ていると言う。
『问题の荷物、どこにあります?』
「あの……玄関を开けてすぐの、靴脱ぎ场の床です」
『玄関の键は、あー、开いたはりますね。ほんならⅩ线透视ボックスで爆発物か确认して、动かして平気な型でしたら、マンションの外で処理しますんで』
「はい。お愿いします」
受话器を置くと、凪斗はリビングのソファから立ち上がって、玄関に続く廊下を覗いた。
二十代半ばぐらいの眼镜(めがね)をかけた青年が玄関ドアから入ってくるところだった。かなり抜かれた髪の色に、ジーンズとTシャツという姿。百七十三センチの凪斗より多少身长はあるようだが、体つきはひょろりとしていて似たようなものだ。とてもまともな警备会社の社员には见えない。
青年は爱娇(あいきょう)のある笑顔を浮かべて、不穏(ふおん)なことを口にした。
「ぶっ飞ぶかもしらへんから、奥ぅのほうに避难しといてください」
「……あなたが処理するんですか?」
「八十岛セキュリティサービスのァ£ハラいいます。名刺、ここの棚んとこに置いときますから。あ、爆弾は三度の饭より好物やから、もう大船に乗った気で、奥の部屋で小さなっといてください」
「はぁ…」
日本语の脉络はおかしいが、爆弾が好きだというのは本当らしい。ァ£ハラは骨を见つけた犬みたいにワフワフしながら、靴脱ぎ场に置かれた箱へと屈み込む。
できることはなにもないし、凪斗はとりあえず言われたとおり、リビング奥のソファへと戻った。しばらくすると、「やっぱこれ、バクダンですわ。外で処理してきますから、ゆっくり待っといてくださいぃ」という声が闻こえてきた。
ドアの开闭音がして、人の気配が消える。
——……本物の、爆弾だったんだ。
ショックがゆっくりと広がっていく。凪斗はぎこちない动きで、自分の头を両手で抱えた。
——「敌」が动きだしたのか?
头のなかも指先も、痹れたようになっている。
と、インターホンが鸣った。
ァ£ハラが戻ってきたのだろうか。凪斗はふらつく脚で玄関に向かい、ドアを开けた。
「どうしました?」
「……无用心にドアを开けるな」
目の前に、ネクタイのきっちりした结び目がある。
凪斗は视线をうえへとずらした。
黒。
纲膜にジンと沁(し)みる、深すぎる黒。
「おまえが、円城凪斗だな」
耳の底に响く声に、凪斗は自分が男の瞳に见入ってしまっていたことに気づく。そして、苍褪(あおざ)めた。
男は三十代前半といったところか。スーツに包まれた体躯(たいく)は凪斗より軽くひと回り以上大きい。厚みのある肩は左右に大きく张り、首筋もしっかりしている。见せかけだけでなく、実践能力があるのだろうことは、男から涨(みなぎ)る不逊(ふそん)なまでの空気に明らかだった。
ひとつひとつのパーツがはっきりした顔は见事に整っているが、漆黒の瞳や髪と相俟(あいま)って、见る者を息苦しくさせる冷たい険がある。
露骨な乱れはないから、一般の人间から见たら自信に満ち溢れた青年実业家にでも见えるかもしれない。けれども、凪斗にはわかった。
——こいつ、坚気じゃない……「敌」だ!
慌ててドアノブを引っ张る。
「ジタバタするな。みっともない」
男は闭めようとするドアを难なく开けて侵入してきた。
凪斗は伞立てへと手を伸ばした。ビニール伞を抜き出して両手で柄の部分を握ると、男へと伞を思いっきり振るう。
やや肉薄の唇で、男は笑った。
くだらない、という笑みだ。
伞は简単に男に掴(つか)まれ、大きく捻(ひね)られた。思わず手を放すと、柄の部分で鸠尾(みぞおち)を激しく突かれた。凪斗の身体(からだ)が玄関から続く板敷きの廊下にドッと転げる。男が靴のまま、廊下を踏んだ。伞が壁へと投げつけられて钝い音を立てる。
凪斗は热く痛む鸠尾を手で押さえながら、震え、あと退(ずさ)った。
「や…めろ」
男の影が、凪斗を染めていく。
圧(の)し挂かってくる男の厚い胸に両手をついて押し返そうとすると、手首を掴まれた。ダンッと木床に腕が打ちつけられ、缝(ぬ)い留められる。骨までビリビリ痹(しび)れた。
「痛……」
男の顔に漆黒の髪が落ちかかる。
瞬きのない瞳が、うえから见据えてくる。
「っ、く」
なんとか男を拨(は)ね退(の)けようと全力でもがく。凪斗は特に非力なわけではない。二十歳の男として并みの力はあるはずだ。それなのに、抵抗は侵入者にはまったく通用しなかった。
「どけ、よっ」
男は鲜やかに二重の入った目を眇(すが)めた。
「あの岐柳(きりゅう)组组长の隠し子だっていうからどれだけのタマかと思って期待してたのに、ただのガキか。诘まらない」
岐柳组组长の隠し子。
その言叶に、凪斗の身体は雷に打たれたように跳ねた。ずっと……ずっと、周りにひた隠しにしてきた秘密。自分でも目を背けようとしてきた事実。
普通の家の子供の顔をして日を送りながら、剥がれない薄纸のようにいつも自分に缠(なち)わりついていたもの。
「どうした? 极道者の亲父の面子(メンツ)にかけて、もう少し気概を见せたらどうだ?」
男は凪斗のうえで身体を揺すった。
それはどこか女に対してする卑猥(ひわい)な动作に似ていて、苍褪めていた凪斗の顔にサッと朱が散った。
「……あんた、どこの谁だ?」
怯えと愤りに濡れた瞳にあるだけの力を笼(こ)めて、男を睨(にら)む。
「少しはいい目をできるじゃないか」
男が质问には答えずに呟(つぶや)く。
逞(たくま)しくて重い身体に押し溃される苦しさと恐怖感がない交ぜになって、身体のあちこちがジンジンと痹れだす。その痹れに支配されないように、おのれを奋い立たせ、声を张る。
「答えろ、よ。どこの、谁なんだ? 俺になんの要があるんだよっ」
何度も手足に力を笼めて男を退けようと试めるけれども、相手はビクともしない。无駄に筋肉が疲弊(ひへい)して、筋が重く强张(こわば)りだす。次第に身体に力が入らなくなっていく。
「もう、おしまいか、お譲ちゃん」
「……っ」
悪魔的に整った男の顔が、间近にあった。
浓厚な墨のしたたる笔をさっと滑らせて描いたような髪。影を几重にも重ねて凝(こご)らせた深い色相の双眸(そうぼう)。傲慢(ごうまん)なラインを描く鲜やかな眉。特に肉感的ではないのに、やけに扇情(せんじょう)的な印象の唇。
その顔を见ていると、なにかぬるりとした甘みを帯びた痹れが、凪斗の背骨に络みつき、这い登った。ひどい风邪をひいたときみたいに、背筋から首筋まで悪寒に埋め尽くされる。
神経に直接诉えかけてくるゾクゾクする感覚と闘っていると、ふいに男が言った。
「カドノだ」
「……え?」
「岐柳组の、カドノだ」
すると、亲父——岐柳组组长のことを亲父だなどと认めたくはなかったが——の配下の者ということだろうか。しかし、なぜ父の下の人间がこんなことを仕挂けてくるのか合点がいかない。そんな凪斗の困惑に答えるように男が言う。
「俺は、组长からおまえのボディガードを任されたんだ」
「ボディ、ガード?」
こんな状态でボディガードなどと言われても、まったく説得力がない。ヒットマンだとでも名乗られたほうが、よほど呑み込めただろう。
「ボディガードって、なんで、急に」
「おまえの命を狙ってる奴がいる」
そのあまりにも非日常的なフレーズに、凪斗の思考は停止しそうになる。
「狙ってるのは、岐柳辰久(たつひさ)。おまえの腹违いの兄贵だ」
「……なん、で、俺なんて、俺なんて杀したって意味ないだろ」
呻(うめ)くように言うと、
「杀す意味はある」
カドノはわずかに喉を笑いに震わせてから、宣告した。
「おまえは、四代目岐柳组组长になるんだからな」
「……」
なにを、言っているのだろう?
この男は、なにを言ったのだろう?
凪斗の头は完全に男の発言を拒絶していた。现実から乖离(かいり)しすぎていて、理解できない。
理解したくもない。
「……头、おかしーんじゃねぇの」
呆然としたまま、力の入らない声で呟く。
「おまえは逃げられない。これが现実だ。受け入れろ」
现実? 现実なわけがない。自分はこれまで普通に生きてきた。絵を描く才能だけにはありがたくも少し恵まれた、普通の大学生だ。
ただ、ただこの见にたまたま极道の血が混ざり込んでいるというだけで……
「いや……だっ」
突きつけられたことが遅効性の毒のように理解されてきて、凪斗はふいに浑身(こんしん)の力で暴れだした。床に両手をがっしりと缝いつけられ、男の大きな身体に圧し挂かられたまま、身体中の筋肉を跳ねさせてもがいた。
もがいているのに、抵抗はすべて男の肉体に吸い込まれていく。
深い水の底か、土砂のなかにでも沈められているかのような息苦しさ。无力感が嵩(かさ)んでいく。
苦いようなフレグランスの香りに鼻腔(びこう)を浸される。くすんだ、寂しくて冷ややかな匂い。それに溺(おぼ)れさせられていく。
いたずらに脚をばたつかせたせいで、いつの间にか、开いた脚のあいだに男のがっしりした腰が入ってきていた。
「……ぁっ」
凪斗は目を见开いた。
男がそれに乗じて、まるでセックスの正常位のように腰を淫(みだ)らに差し込んできたのだ。
「なにっ——やめ……っ」
「脚を开いて诱ったのは、おまえのほうだろう?」
凪斗の耳に动く男の唇がかすかに触れる。
意识が揺らぎそうな痹れが、耳から波状に拡がった。首が痹れて、びくんっと肩を竦める。膝を立てた両脚で、カドノの腰をぐうっと缔めつける。
「天辺に担ぎ上げられたって、おまえなんて、どうせただの纸人形だ」
カドノが腰を乱暴に突き上げた。脚のあいだを打たれる。
「っ、う」
まるで本当に男の性器を挿されているかのような、なまなましい冲撃と屈辱感に、凪斗はほの赤く染まった首を仰け反らせた。
「少しは凄(すご)みが出るように、俺が色をつけてやろうか? ん?」
また、激しく突き上げられる。
「やっ」
「やっ、か…」
ククッと男が嗤(わら)う。
……口惜(くや)しさに、血が渗むほど唇を噛(か)む。
こんなまともでない男に组み敷かれ、愚弄(ぐろう)されて、それなのに抵抗する术(すべ)がない。薄く汗を刷いた首筋に、ふいに痛みが走った。
耳の下を噛まれていた――カドノは大きく口を开いて薄い皮肤に歯をめり込ませたまま、凪斗の汗を舌でざらりと舐(な)めた。热く濡れた柔肉(やわにく)の感触に、全身の肌がそそけ立つ。
このまま、喰(く)われるのかもしれない。
相手はヤクザだ。これまで凪斗は、ヤクザ関连のものは本も映画も极力目にしないようにしてきたが、その手合いの男の行动パターンなど想像がつく。男同士とはいえ、どんな无体もしかねないだろう。目的のためなら人を伤つけることを厌(いと)わない、むしろ人をいたぶることにこそ悦(よろこ)びを覚えるような最低の人种なのだから。
——でも、その血が、俺にも流れてる。
まるで犯されるように揺さぶられながら、首を贪(むさぼ)られている。あり得ないのに、得体の知れない淫靡(いんび)な热が身体の芯を熟ませる。
虚(うつ)ろな视线を伏せると、男の耳が目に入った。肉の薄いかたちのいい耳——。
「—!」
カドノが左耳を押さえて身体を起こす。
凪斗は床に倒れたまま、荒く胸で呼吸していた。口のなかに鉄の味がする。カドノの耳を押さえた指のあいだから、一筋の血がツと滴(したた)った。
「面白(おもしろ)いマネをしてくれたな」
凪斗歯震える上体を起こした。そして、床に転がっている歪んでしまったビニール伞へとふたたび手を伸ばす。ごわつくビニールの感触を握り缔めたときだった。
玄関ドアが势いよく开かれた。
「爆弾処理のほう、ちょちょいっと完璧に终了し……」
あっけらかんとした関西アクセントの言叶が途切れる。
「ああ、カドノサン、来てはりましたん」
立ち上がった长身の男を见上げながら、ァ£ハラが言う。
「土足で人様んち上がったらあきませんて」
凪斗は両手で伞を握り缔めたまま、目を瞬いて、ふたりを见上げていた。
どうして、八十岛セキュリティサービスの社员と岐柳组のヤクザが知り合いなのか。
「小包の中身は、どうだった?」
「あれ、ガチの小包爆弾でしたわ。しかもご丁宁に、时限式と开封式のコンボ。なかには杀伤力を上げるための小っさい鉄球が何个も入っとって、めったに见いひんマジモンですわ。いやぁ、作った人、いい仕事してはったなぁ。弟子入りしたいわ」
兴奋した面持ち、眼镜の奥の瞳をうつとりさせながら、ァ£ハラが报告する。
「もし爆発してたら、どのぐらいの规模だった?」
「あの火薬量やったら、とりあえず半径十メートル以内はぐしゃぐしゃですわ」
「本気で狙ってきたわけだな」
訳がわからない。
「な…んだよ」
呻くように寻ねる。
「あんたたち、グルだったのかよ?」
自分を护ってくれるはずのセキュリティサービスに、岐柳组の息がかかっていたというのか。
「グルもなんも、うちら同僚やし」
きょとんとした顔で、ァ£ハラが言う。
「……同僚って……だって、こいつは岐柳组の奴なんだろ?」
「确かにカドノサンは岐柳组の构成员やけど、俺かれそうやし。ああ、知らんかったんですか? 八十岛セキュリティサービスって、岐柳组のエダ……下部组织なんですわ。下部言うても、実质的には组长サンの直辖やから立场はええんですけど。岐柳组関系のVIPの安全のため、日々こーして飞んで歩いとるっちゅうわけです」
「……」
祖母はそれを承知で八十岛セキュリティサービスを頼れと言っていたのだろうか?
「ヤクザに护られるのは、不満か?」
からかうような口调で、カドノに问われる。
「あ、当たり前だ」
必死に退けてきた存在に护られるなど、本末転倒だ。
头が热くて、こめかみがズキズキする。カドノに噛まれた首筋も、脉拍に重ねて疼(うず)く。
凪斗は目にかかる前髪をぐしゃっと握り缔めた。
「なんで」
あまりに理不尽すぎる。
「なんで、放っておいてくれないんだよ」
これが梦なら、いますぐ目を覚ましたい。
「谛めろ。おまえの身体には祸々(まがまが)しい血が流れてるんだ。これまで平穏に暮らしてこられたほうが奇迹だ」
突き放す声と言叶。カドノが事実を口にする。
「カドノサン、そんな言い方せんでも……」
「そこを受け入れて行动しないと命取りになるってことだ」
凪斗は前髪を掴んだ手の下から、男を睨んだ。
闇色の瞳が、射るように自分を见返す。
2
「どうだった、四代目候补は?」
八十岛セキュリティサービス社长、八十岛泰生(たいせい)が自室のソファに横になったまま、ぐうっと伸びをしながら讯(き)いてくる。
朝まで岐柳组干部の警护についていたらしい。ワイシャツにスラックスというシンプルな姿にも、かつてフランス外人部队にいたことを纳得させるだけの迫力がある。スーツのジャケットとネクタイがちゃんとハンガーにかかって部屋の隅に吊るされているのは、折原洸太(おりはらこうた)が世话を焼いたからだろう。
角能(かどの)は八十岛のもの欲しげな视线を无视して、胜手知ったる他人の家、自分の分だけコーヒーを淹(い)れると、八十岛の向かいのソファに腰を下ろした。そして质问に答える。
「小绮丽な顔した、ただのガキだった」
过不足のない、正直な感想だった。
曲がりなりにも関东一円を牛耳(ぎゅうじ)る岐柳组组长の血を引いているのだから、こちらの腹に响くような気骨なり魅力なりを感じさせてくれるものを期待して赴(おもむ)いたのだが、とんだ肩透かしだった。
本性を引き出してやろうと少し构ってみたものの、その辺の女を押し倒したのと大差ない反応しか得られなかった。
——まぁ、この身体に伤を入れたのだけは、多少刺激的だったけどな。
噛まれた左耳の上部を、角能は指先でいじる。薄い歯の感触がそこに苏(よみがえ)る。案外、本気で噛み千切ろうとしたのかもしれない。伤は深くて、血が止まるのにかなりの时间がかかった。
「かたちばかりとはいえ、あんな迫力のひとつもない素人のガキを次期组长にするなんてお笑い草だ。组长も何を考えているんだかな」
「仕方ねぇって。长男の辰久には组を任せられんだろ。岐柳组だって経済ヤクザにシフトしてんのに、头の悪いヤク中のワンマンがトップになったんじゃあ、组自体が総崩れになんのは时间の问题だ。ならまだしも、大人しく傀儡(かいらい)に収まってくれる见目のいいお人形さんのほうがマシってこった」
「そんなに无理して存続させるほどの组织でもないがな」
「相変わらずドライだな」
「そっちだって、似たようなスタンスだろう」
八十岛が无精髭(ぶしょうひげ)の浮く口元をにやりとさせる。
八十岛泰生をトップとして起ち上げられた八十岛セキュリティサービスに、根っからの组员はいない。所属する十八名にはすべて、前身がある。それだけに暴力団という组织に属していながらも、一线を画していた。组のため组长のためではなく、あくまで自らの特殊技能を生かしたビジネスのために、ここに籍を置いている。
年嵩(としかさ)の暴力団员にはいまだに任侠(にんきょう)の义理人情をなにより尊び、いざとなれば亲分兄贵分のために铳弾の盾になり、あるいは刺客(しかく)となって刑务所に入る覚悟の者もいる。
けれども、昨今のやわらかい物ばかり食べて育った若者にそんな前时代的感覚を持てというほうが无理なわけで、五年前、组长の爱人のボディガードをしていた若手组员が、敌からの袭撃を受けたとき、あろうことか自分だけ物阴に隠れて难を逃れた。
铳撃された爱人は即死し、その事件をきっかけに组长はプロフェッショナルな警护组织を発足させたのだった。八十岛セキュリティサービスの主な业务は、岐柳组干部関系者、および岐柳组が恳意にしている政财界の要人やその家族の警护だ。
岐柳组の下部组织でありながら、当代组长からの要请でしか动かない集団。
その明解な力学を、角能は気に入っていた。
「あ、角能サン、おはよーさんです」
奥のパソコン部屋から折原が出てくる。组から依頼されたハッキングで彻夜したらしい。眼镜のむこう、目の下には隈ができている。彼はふたたび奥の部屋に引っ込むと、纸束を持って戻ってきた。
「頼まれてた円城凪斗の资料、まとめときましたんで、どうぞ」
角能はいまひとつ兴味をそそられないまま、膝に置かれた书类を手に取った。
カラーでプリントアウトされた书类の右上には、凪斗の写真が取り込まれている。折原が得意の隠し撮りでもしたのだろう。
少し斜めを向いている、なめらかな轮郭の顔。目に深い影を落とす、长い睫。素直な质感の纸は少し长めで、いまどきの若者らしく、だらしなくなるギリギリのラインで整えられている。髪と目の色が薄いせいでテレビタレント系のちょっと軽くて华やかな印象を见る者に与えるが、顔立ち自体はどちらかといえば硬质の绮丽さがある。
八十岛がソファからでかい身体を起こしながら、折原にぶっきらぼうに言う。
「コーヒー。アイスでな」
メンドくさ、と呟きながらも、折原はカウンターで仕切られたキッチンスペースへと入っていく。
「俺にも见せろ」
角能が手にしている一番うえの纸を、八十岛がひょいと摘(つま)む。
「へぇ。ずいぶんと可爱(かわい)らしーツラしてんな。あの贯禄ある岐柳组组长の血ぃ引いてるとは思えねぇや。美大生かぁ。若いのに日本画専攻なんて渋いねぇ。ん? 二年前の日展に入选してんのか。见かけに寄らず、実力派なわけだ」
アイスコーヒーを作りながら、折原が讯いて来る。
「円城サン、どうしてはります?」
「俺の部屋で寝てる」
「こっち连れてくるとき、よう暴れてはったけど、昨夜は大丈夫でしたん?」
小包爆弾を送られてきた家に凪斗ひとりを置いておくにわけはいかず——同居している祖母のほうは、一周间の検査入院中らしかった——、角能はこの同じマンションにある自分の部屋へと凪斗を连れ帰ったのだが、ひどく暴れるわ、逃げ出そうとするわで、最後には手锭で後ろ手に拘束した。両足首もガムテープでぐるぐる巻きにして、ベッドに転がした。そして、角能はリビングのソファで寝たのだった。
「で、どうするつもりだ?」
八十岛は、凪斗の写真の部分をためつ眇めつしている。
「预かってるあいだの教育を、组长から任されてんだろ? 経済ヤクザとして、岐柳组组长としての、箔を付けるためのベース作り」
「难题だな」
角能は苦い顔をする。
组长が角能に、凪斗の紧急时のボディガードと四代目候补としてのとりあえずの教育を任せたいと言ってきたのは、二ヵ月ほど前のことだった。その时は开始时期は言及されなかったのだが、今回、辰久サイドが动きだしたことによってスタートしてしまった。
なぜ角能に白羽の矢が立てられたかといえば、まず第一に、警护においては右に出る者がいないからだ。教育もなにも、命あっての物种だ。
そして第二に、组长は角能のことを高く买っていて、もっと深く岐柳组に取り込みたいと考えているようだったから、そのためだろう。
角能は组长の警护にあたることが多かったが、ある时、敌対する関西系暴力団の刺客に袭われた。脇腹にナイフを深々と突き立てられたまま、角能は身を挺(てい)して组长を护った。直後、见所があるから自分の直属の舎弟にならないかと组长に持ちかけられたが、丁重に断ったという経纬がある。