ふたりの身体を虑って、久祯は凪斗たちに部屋を与えると、あとは放っておいてくれた。食事も部屋のほうに运んでくれるらしい。
母屋のなかで、その一角は独立した客用として造られていた。
十二畳の主室の奥の袄(ふすま)を开けば、细い廊下が走っている。向かいは八畳间で、寝具がふたつ并べて敷かれていた。廊下の突き当たりには、ゆかしい総木造り汤殿がある。
凪斗はすぐに汤を使った。
男たちの手の感触を消し去りたくて、しつこく肌を洗う。
……角能が踏み込んできてくれたお阴で、すんでのところで体内に射精されずにすんだものの、それでも男の性器を受け入れさせられてしまった。侵入された瞬间、凪斗のなかでギリギリ踏み止まっていた、坚気のままで生きていきたいという想いは粉々に打ち砕かれた。
元の自分には、元の生活には、もう戻れない。
こんな忌まわしいことを引き寄せる血から、逃げきることなどできないのだ。
底知れぬ深い谛念が访れ──冷えた胸のなかで昏い色の火の粉が舞った。
逃げられないから、道はふたつにひとつだ。この血に负けて相手に喰らわれるか、あるいは、この血を引き受けて相手を喰らうか。
そして。
気づいたとき、凪斗は异母兄の首に匕首を突きつけていた。自分の下で怯えきる男の様子に、肢体を悦びの戦栗が走る抜ける。性的快楽に酷似した、目も眩むような絶顶感。皮肤が张り诘め、弾む息が濡れる。
岐柳の血が、亡き母によって嵌められた枷を引き千切り、思うさま猛(たけ)っていた。身体が芯から热く昂扬し、心には凶暴な愉悦(ゆえつ)が溢れ返り。望むものすべてを掌中にできる万能感に支配されて……
『だから、俺に角能さんをください』
角能を远ざけようと誓ったのに、本当の愿いを口にしてしまった。
凪斗は俯き、汤船の表面に苦しい吐息を溶かす。
──いまからでも、取り消さないといけない。
そうわかっているのに、终わりを一分一秒でも先延ばしにしたくて、凪斗は切り出せないまま角能とふたりの遅い夕食を黙々とすませた。
角能はさすがに调子が优れないようだった。食事を终えてから早々に寝室へと促された。
けれども凪斗を先に寝室に行かせておきながら、角能はなかなかやってこない。
光に透けて、行灯(あんどん)の和纸に封じ込められた小さな红叶の叶が、壁にほのかな影を投げかけている。
その光を受けながら、凪斗は白い浴衣の衿元を何度も直しつつ、布団のうえで正座して待っていた。
──……角能さんが戻ってきたら、眠る前にきちんと取り消すんだ。
悬命に自分を奋い立たせる。少しでも気を缓めたら、角能を欲しいという本心が溢れてしまいそうで。
顔を强张らせて俯いていると、ようやく角能が戻ってきた。彼の手には、直方体の小ぶりな桐の箱と、日本酒の瓶が握られている。怪我をしているのに寝酒などしたらいけないと言いたかったけれども、その言叶すら口にできないほど、胸が诘まっていた。
こんなに気がおかしくなりそうなぐらい欲しい相手に、自分はこれから退ける言叶を告げなければならないのだ。
「あの……角能さん、话が──」
绀地の浴衣(ゆかた)の裾をばさりと割って、角能は无言のまま凪斗の前に胡座をかいた。
「……角能さん」
「话はあとだ」
ぞんざいに言って、桐箱の盖を外す。凪斗は箱を覗き込んだ。紫绀(しこん)の绢布(けんぷ)に埋もれるようにして、白くて丸いつやつやしたものがある。
纯白の盃だ。
「両手を出せ」
慌てて両手を差し出すと、角能は盃を凪斗の掌に载せた。ひんやりと手に吸いついてく陶器の感触。微妙な重み。
「そのまま持ってろ」
角能は日本酒の瓶の盖を外した。そして首の部分を握ると、凪斗の手のうえで瓶を倾けた。トクンと凉しい音がして、盃へと透明な液体が注がれる。浅い器は一瞬でいっぱいになる。
「それを八分目まで饮め」
「……」
饮まないと话を闻いてもらえないらしい。凪斗はぎこちない动きで盃の端に唇をつけた。冷たい日本酒が、饮み込んだとたん喉の奥で热を生じる。
「残りはこっちに寄越せ」
命じられるまま、底に少しだけ酒の残った盃を角能に手渡す。
角能はそれを両手で包むように持つと、縁に口をつけてクッと呷った。そして、言う。
「これで、俺とおまえは二分八の兄弟だ」
「にぶはち?」
「八分の兄に、二分の弟。兄弟盃のなかでは、一番、亲分子分に近い関系ってことになる」
──……兄弟盃? 亲分子分?
混乱に目をしばたたいたのち、ハッとする。おそるおそる寻ねる。
「……これって、まさか『固めの盃』じゃ」
「ああ、そうだ。俺はおまえに仕える。おまえを护る」
凪斗はさあっと苍褪せた。
角能の手の盃を夺おうと腰を上げる。
「そんなのダメだ! 取り消さないと……取り消し方はっ?」
凪斗のてを逃れて、角能の手に握られた盃が宙へと振り上げられた。そしてそのまま、床机へと叩きつけられる。薄い陶器が割れる音が、凪斗の心臓に突き刺さるように响いた。畳みに白い盃の欠片(かけら)が散る。
「これで、俺はもうおまえに盃を返すことはできない」
「……」
见诘めてくる黒い瞳が、わずかに细められる。
「永远に、俺はおまえのものだ」
言叶の意味を理解するより先に、心臓がドクりと音を立てた。
──永远に……俺のもの。
これが角能からの答えなのだと……あまりにも惊きすぎて、受け入れることができない。
心臓が壊れたみたいに激しく打つ。头のなかは真っ白に染め上げられていた。
そして凪斗は混乱の极みにあるのに、角能が腰を上げて、间合いを诘めてくる。
肩を掴まれたとき、耻ずかしいぐらいビクッと身体が跳ねた。角能の瞳が近づいてくる。视界を黒に呑み込まれていく。
唇が重なった瞬间、本当に心臓が止まりそうになった。
指の一本の动かせないような状态なのに、涙だけ、ぽろっと目から転げ落ちる。
「……ひどい」
唇が离れて、初めて言えた言叶はそれだった。
「なにが酷いんだ。おまえが俺を欲しがったんだろう?」
頬に口づけてくる男の肩を、ようやく动いた手で拳を作り、ドンッと叩く。
「俺は、ちゃんと……取り消すつもり、だったのにっ」
「悪いな。手遅れだ」
肩を叩かせたまま、角能は凪斗の背に掌を当てて、布団へと押し倒した。その仕种がいつも乱暴な角能らしくなくてとても优しかったから、凪斗はよけいに混乱してしまう。角能が圧し挂かってくるだけで、こんなにも胸が苦しい。
「俺をおまえに、くれてやる」
耳元で嗫かれれば、身体と心の奥底がじくりと热く荡ける。
「……そんな、こと、言って」
角能の手がそっと浴衣の裾を割って、入ってくる。
「後悔する──絶対に、後悔する……また俺のせいで怪我して」
「そんなに泣くな」
宥(なだ)めるように内腿を抚でられると、自然に脚がぎゅうっと闭じてしまう。もっと大胆なことを散々してきたのに、角能の気持ちが自分に向いていると感じるいま、わずか爱抚だけでも腰の抜けそうな痹れが生まれる。
「脚を开け。手が动かせない」
「……っ、动かさなくて、いい」
泣き顔はきっとみっともなくて、间近に见下ろしてくる角能と视线を合わせられない。
角能の手が脚のあいだから引き抜かれ、浴衣をくぐって凪斗の腹部へと置かれた。大きな手のぬくもりが、肌からその奥へと伝わっていく。
脐のあたりをくすぐられて、泣いたまま思わず小さく笑ってしまった……笑ったとたん、下着のウエストからするりと指が入ってきた。不意打ちに惊いて、浴衣のうえから角能の手を両手で掴むけれども、遅かった。
「……っ」
性器を男の手指にくるみ込まれる。と、角能が少し惊いたような声で讯いてきた。
「なんで、もうこんなに濡れてるんだ?」
──なんで、って。
凪斗は首筋まで真っ赤にする。少しキスをして肌を抚でられただけなのに、身体はすっかりおかしくなってしまっていた。いまも性器からとろとろと透明な蜜が溢れ、握っている角能の指を濡らしていく。
「やだ、动かすなよっ」
「びしょ濡れだから、よく滑る。ほら」
「────っ、う」
「出したいってピクピクしてるぞ。我慢するな」
「ひぅ……っ、ぁ────ああっ」
缓めに作られた手の筒で数度擦り上げられただけで、凪斗は不器用に腰を跳ねさせてしまった。角能の手が浓密な白浊に涂れながら、ゆっくりと扱く动作を缲り返す。くちゅ…くちゅっ、と重ったるい卑猥な音がしている。
「あ、やだって」
出しきったばかりの先端の洼みに亲指の爪が入ってきて、丹念に掻き出す仕种をする。
苦しく呼吸している唇を、角能に舐め上げられる。下唇を咥えられて、吸われる。
ちゃんと放ったのに、ペニスは芯を失わない。
なにか、とても変な感じだ。
いつものように訳がわからなくならず、角能の指だとか舌だとか体温だとか重みだとかが、はっきりと知覚された。
抱き缔められて彼の香りを嗅いでいるだけで、脳が激しく痹れて。自分が上げる声だとか体液の濡れ音まで、やたらなまなましく闻こえる。うずうずと昂められ、身体の奥底から沁み出るような快楽を几度も溢れさせられた。
たぶん、凪斗の状态をわかっていて、角能はいつになくゆったりとした爱抚を缲り返しているに违いなかった。凪斗の浴衣の衿や裾を淫らに开き、肌という肌に唇や指を丹念に这わせる。
体内に长い中指を挿れられ、なか捏ねられる。そうして、あさましい蠕动を引き起こしておいて、指が引き抜かれる。それを何度かされると、もう堪えられなくなる。
「ぃや──くなよ」
凪斗は蕾を缔めて、节の张った指を闭じ込めた。
「抜く、なよ、もう……」
角能が何十度目か知れないキスをしながら、指をズズッと奥へと戻す。そして、なかに潜む快楽のポイントに指先を载せると、小さな円を描くように擦った。
「ふ、ぁ」
乱れきった浴衣の合わせ目を分けて、润んだ赤い茎が极限まで勃ちあがっていく。先端の震える洼(くぼ)みに新たな雫がぷくりと宿る。
「指だけでイくか?」
「……ど、して」
「ん? なんだ?」
戯れるように颚を軽く噛まれる。凪斗は濡れそぼった目で角能を睨んだ。
「どうして、挿れないん、だよっ」
「挿れてほしいのか?」
ふいにもう一本の指が粘膜の口を突き抜けた。二本の指がなかで开かれて、V字に奥の粘膜の壁を押し拡げる。
「や……ぁ」
「俺としては、このまま朝まで苛(いじ)めても、饱きなそうなんだがな」
「……ッ、ぁあっ」
言叶と指で意地悪を仕挂けてくる男に、凪斗はしがみついた。そして初めて会ったときに啮(かじ)った角能の左耳に噛みつく。粘膜を指に缠わりつかせて、もっと太いものがほしいと言外にねだる。
少しは煽られてくれたものか、角能がぴくりと身体を震わせた。不安定な吐息が凪斗の首筋にかかる。体内の指が捻り抜かれる。
角能が自身の下腹に手をやった。浴衣の合わせから猛々しいペニスが握り出された。行灯のしっとりとした光を受けたそれは先走りを滴らせて、濡れそぼっている。
角能も自分と同じように、おかしなぐらい昂ぶってくれている。凪斗の脚は、自然と男を迎え入れるために开かれた。
身体が重なる。
「────ん」
逞しい干が蕾を薄く引き伸ばし、粘膜を逆抚でしながら入ってくる。身体の内侧に角能を通されて、凪斗の呼吸はあられもなく乱れた。
「凪斗」
名前を呼ばれて、自分に覆い被さり、真上から覗き込んでいる男へと濡れた目を上げる。
「……ぁっ」
视线を合わせたまま、角能は质量のある性器を根元まで凪斗に埋め込んだ。
凪斗の头を抱え込むようにして、角能がぽつりと呟く。
「初めておまえをちゃんと抱いている気がする」
身体だけでなく、心ごと全部を抱いてもらえている。だからこれは、ある意味、本当に初めての行为なのかもしれなかった。
そして、この多少意地は悪いが优しい角能は、もしかすると、警视庁に勤めていたころの元の角能に近いのかもしれない……そんなふうに感じる。
凪斗の剥き出しの右肩に角能が掌を押し当ててきた。そのまま胸へと、刺青の蛇を抚でていく。蛇の割れた舌が舐めている淡い色合いの乳轮を、亲指と人差し指で摘み出す。角能は顔を伏せると、尖った粒を舌先でつついた。
それだけで、凪斗の後孔はきゅっと男を缔めつける。
「……ふっ、──あ、ぁ」
蛇と角能に同时に舐められている小さな実が、红く硬く凝って、濡れている。左の胸も大きな掌で抚でさすられてから、尖りを指先で転がされた。
胸から拡がるズキリとした刺激が缲り返し缲り返し、脳や下腹を痹れさせる。
凪斗は唇と性器から透明な体液をだらしなく滴らせながら身闷えた。角能を含んでいる粘膜の筒が、きつく収敛したかと思うと、次の瞬间、淫らに波打つ。
凪斗の性器は、角能の糊(のり)のきいた浴衣へと濡れそぼった头を擦りつけていた。胸への爱抚のせいで、いまにも果ててしまいそうで。
「や──ぃや、俺ばっか……动け、よ」
まったく动こうとしない角能を促したけれども。
「动いたら伤口が开くだろう。それに、おまえのなかがすごい动きをしてるから、それだけでイけそうだ」
「ヘンなこと言──」
角能の开いた唇が乳轮ごと咥えて、吸い上げる。左胸の尖りは亲指の腹で热くなるほど素早く擦りたてられている。
「いや──ヤだって、ば……」
嫌だと言いながらも、凪斗は胸を角能へと差し出すようにして、背を弓なりに反らせた。腰が胜手に淫らな大小の轮を描いてくねる。角能の头を両腕で抱きかかえ、足先でシーツを掻き乱す。
「角能さん、お愿い──から、动いて、くれよっっ」
もどかしくてもどかしくて涙が溢れた。めちゃくちゃな粘膜の愚动で、抽送(ちゅうそう)をせがむ。
ふいに胸から刺激が消えた。
「……凪斗っ」
角能が额を喉元に擦りつけてきた。
さらりとした冷たい黒髪が颚をくすぐる。
堪えきれなくなった様子、角能は凪斗の腰をがっしりと両手で掴むと、ほんの数度、激しく腰を突き上げた。
「ぅ、あっ──あ、あ……」
ひと突きごとに、头のなかが真っ白になるほどの快楽が弾ける。
极まって戦栗いている凪斗の奥深くで、重ったるい热液が溢れ返った。溢れさせながら、角能が凪斗の呼吸を夺うように唇を押し重ねてくる。
至福の眩晕のなか、凪斗は自分のものになった男をきつくきつく抱き缔めると、そのすべてを贪欲に受け止めた──。
エピローグ
ニットの上着のジッパーを上げて鞄を斜め挂けすると、凪斗は部屋を出て、庭に面した廊下を歩いていく。地窓のむこう、枫(かえで)が叶の合间に绯色(ひいろ)の细やかな花をつけている。早咲きの椿(つばき)は叶も花もつやつやとしていて、まるで饴(あめ)细工みたいだ。
廊下の突き当たりを曲がって、凪斗は台所を覗き込んだ。
「俺、ちょっと角能さんと出てくるから」
祖母に声をかける。
「はいはい」
辰久が破门になり、岐柳组のお家騒动がひと段落してから、祖母は凪斗の许に帰された。そうしていまは、この岐柳家の离れでふたたび一绪に暮らしている。
凪斗が四代目を継ぐことになったという报告をしたとき、祖母は卒倒しかけた。ひどいショックを与えてしまったのを申し訳ないと思いつつ、凪斗は自分が选んだことだからと缲り返し説明し、なんとか理解してもらったのだった。
とはいえ、さすがに刺青のことは言えなかった。身体のほうはなんの问题もなかったという话だけれども、祖母は入院前より少し痩(や)せたようだったし、とにかくこれ以上の心労は与えたくなかった。
「あ、ずんだ饼、作ってるんだ?」
祖母が擂粉木(すりこぎ)で枝豆を溃しているのを见て、凪斗は小さく舌なめずりする。明るい緑色をしたずんだ饼は凪斗の好物だ。
「角能さんも好きだといいけどねぇ」
「きっと好きだよ。角能さん、祖母ちゃんの料理にメロメロだし」
「そんなこと言われたら、今晩の御饭も手を抜けないわ」
「て、最近、俺より角能さんの好きなメニューのほうが多いような……」
口を尖らせながらも、祖母と角能が自然に驯染みあっていることが、凪斗は嬉しい。
なんといっても、同じ屋根の下で暮らす仲なのだ。角能はいま、凪斗の永久専属のボディガードとして、ここで寝食をともにしている。
玄関から角能が「凪斗」と呼ぶ声が闻こえてくる。「じゃ、いってくるから」と祖母に手を振り、廊下をバタバタと走る。
待たされてちょっと不机嫌そうな顔をしている角能に谢りながら、凪斗はスニーカーに足を突っ込んだ。
「よお、ナギトちゃん」
青山にあるギャラリーのよく磨かれたガラス扉を角能とともに入っていくと、雕刻科の岩泉が駆け寄ってきた。
「へぇ。けっこう见にきてくれてるんだ?」
美大生のグループ展にしては、ずいぶんな客の入り様だった。さして広くないギャラリーは人で溢れている。
「いやぁ、それがさ。口惜しいとゆーか顺当とゆーか、ナギトちゃんのお阴なわけだ」
「え?」
「例の絵。ァ◇ラインの口コミで、すげぇ絵があるって初日の晩から噂が拡まって、人が押しかけてきたわけさ」
凪斗はこのグループ展に飞び入り参加というかたちで絵を一点、出展していた。円城凪斗の名义で出すと辰久の筋で迷惑がかかる可能性があるから、匿名(とくめい)での参加だった。作品横のプレートには汉字二文字のタイトルだけがぽつんと记されている。
「実は、さっきも美术雑志の记者が来てて、あの絵を描いた人を取材させてほしいって申し込みがあったんだ。保留にしといたけど、どうする?」
口コミも取材も、まったく予想外の反响だった。
これまでの画风とまったく违っていただけに、作品としての価値は自分でもまったく计れなかったのだ。
「あれはそういう絵じゃないから―─取材は断っといてほしい」
「うーん。勿体(もったい)ねぇけどなぁ」
「ごめん」
谢る凪斗の腕を、角能が小突く。
早く絵を见せろと言っているのだ。ものがものだけに、ちょっと気耻ずかしくなりながら、凪斗は角能を奥の一角へと导いた。
その絵の前には人だかりができていたが、背の高い角能は後ろのほうからでも见ることができているらしかった。しばし、杉板に岩絵の具で描かれた絵を凝视して。
「……露出狂か、おまえは」
ぼそりと呟く。
「露出狂って―─」
凪斗は焦った。
「なに言ってんだよ。角能さんなんて、絵のことなんにもわかんないだろ」
言いながら角能を见上げると、呆けれたような视线が返ってくる。
「自分に関わることに気づかないほど钝感じゃない。大体、あのタイトルで気づかなかったら、ただのバカだろう」
「…うっ」
縦七十センチ、横五十センチほどの小作品だ。
深みのある岩絵の具を涂り重ね涂り重ね。その结果、自分でも意図しないまま、几重にも重なり合った无数の円が生まれていた。さまざまな色彩が重たい波纹のように拡がり、闇へと溶け崩れていく。そして画面のあちこちに散る、赤と白の飞沫。
そう。この絵は、凪斗が角能との日々を写し取ろうと思って描いたものだった。
角能から离れなければならなくなっても、これだけは抱えていこうと决めて描きつづけた絵。初心(うぶ)な想いも、淫らな性交も、ここに详细に涂り込められている。
「まぁ、おまえの気持ちはよくわかった」
「……」
赤く染まっている凪斗の耳へと、角能が唇を寄せる。
「この热烈なラブレターのお返しは、今夜たっぷりしてやる」
「そんなお返しは、いらない」
速攻で言い返し、さらに反撃の言叶を言わなければと冷や汗をかきながら考えていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
「凪ちゃん、呼んでくれて、おおきに」
折原だった。その後ろには八十岛もいて、ふざけた感じにちょいと敬礼をする。
「うちを寿退社した角能とは、うまくやってるか?」
「寿って、角能サンが嫁サンですか。こんなごつい嫁サンおったら、いややなー」
このふたりはいつたい、角能と自分の関系をどこまで知っているのか、凪斗はふたたび冷や汗をかかされる。
「くだらないことを言うな」
角能が睨むと、折原は八十岛の後ろにひょいと隠れたが、见えている肩は楽しげに揺れている。
「ま、うちの社员一同,代替わりしたら今度は四代目についていきますので、末永くご贔屓(ひいき)に」
八十岛にそう言われて、八十岛セキュリティサービスは组长の直辖(ちょっかつ)组织だったことを思い出す。
迹目を継ぐ仪式は、春先にでも、ということになっていた。凪斗からすれば父亲は矍铄(かくしゃく)としていて、组长の座を退く必要があるようには见えないのだが、早く凪斗に代目を譲りたいようだった。
岐柳组四代目になるということが、実际にこんな困难に身を投じることなのか、凪斗はまだリアルに思い描くことができない。
人の道に外れたことに、この手を汚していくのだろうか。
亡き母亲が悲しむようなことを、していくのだろうか。
……たとえそうだったとしても、角能とともにあれるのならば、ただひとつの道と思い定めて歩いていける。
角能が一绪に堕ちてくれるなら、こんな闇のなかへ辿り着いても、构わない。
いつしか人垣が崩れて、凪斗たちと絵を遮るものはなくなっていた。
角能との関系で感じてきたすべてを、凪斗はまっすぐ见诘める。
苦しさ、悦び、戸惑い、せつなさ―─苦痛に快楽、あらゆる感情や体感が混ざり合い、万色(ばんしょく)の津波となって苏り、激しく身を洗う。そのすべてが爱しくて、胸がいっぱいになる。
そして、角能もまた同じ波に洗われているのかもしれなかった。凪斗を护る頼もしい手が、背をそっと包んでくれる。
「……俺、絵のことはようわからへんけど」
八十岛の後ろから出てきた折原が、絵とタイトルプレートを交互に眺めて、难しい顔をする。
「なんや、えらいディープな『初恋』やなぁ」
その感想に、凪斗に寄り添う角能が、笑いに身体を震わせた。
■あとがき■
こんにちは。沙野风结子(さのふゆこ)です。
この本を手に取ってくださって、本当にありがとうございます。
ラピスさんでは初めてのお仕事。文库も初めてですが、いつものノベルズより多い原稿量を诘め込んでみました。
にしても、タイトルがやたら黒々としてますね。担当さんと势いで决めたのですが、内容と乖离(かいり)してないかビクついてます。これでも「黒度と色気が足りてない——」とゲラに手を入れまくったんですが。お阴で、着者校はフランケンシュタインのようなサシカエの岚になってしまいました…
内容のほうはえーっと……子蛇ちゃんの求爱物语、でしょうか。プロポーズしちゃう受と、受に跪(ひざまず)く攻というのが、头にあって。ちなみに今回のお気に入り濡れ场はおんぷプレイでした。笑。
そして、そういうつもりはなかったんですが、メンタル的には佐伯(さえき)を含めた三角関系モノ? 佐伯や年配组のシーン、书いていて妙に楽しかったような。
凪斗(なぎと)は半寝ボケな子蛇ですが、完全覚醒(?)した暁(あかつき)には、意外と根がマトモな角能(かどの)は苦悩しそうですねぇ。想像するとちょっと愉(たの)しい。
イラストをつけてくださった奈良千春(ならちはる)先生、ありがとうございます。またお仕事をご一绪にさせていただけて、とても幸せに思ってます。キャララフの时点で、角能と凪斗に心を荡(とろ)かされたのはもちろんですが、刺青(いれずみ)の蛇がまたもう色っぽくて、代わる代わる拝んでは闷(もだ)えてました!
そして担当のT様。素敌な大人っぽい(黒系)话を书けるように精进(しょうじん)したいです。ご指导、よろしくお愿いします。
関西弁チェックをしてくれた友人にも、改めて感谢を。
こうして书いてみたかった话を本として出すことができたのも、読んでくださる皆様がいればこそですね。少しでも読んで损じゃなかったと思っていただける作品を书けるように顽张りたいと思っています。もしご意见ご感想など教えていただければ幸いです。
では、しっとりした梅雨(つゆ)シーズンをお过ごしくださいませ。
*沙野风结子*
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