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     第十五回

作者:日-二叶亭四迷 当前章节:5342 字 更新时间:2026-6-16 03:24

 Explanation(エキスプラネーション)(示談(はなしあい))、と肚(はら)を極めてみると、大きに胸が透いた。己れの打解けた心で推測(おしはか)るゆえ、さほどに難事とも思えない。もウ些(すこ)しの辛抱、と、哀(かなし)む可(べ)し、文三は眠らでとも知らず夢を見ていた。

 機会(おり)を窺(み)ている二日目の朝、見知り越しの金貸が来てお政を連出して行く。時機到来……今日こそは、と領(えり)を延ばしているとも知らずして帰ッて来たか、下女部屋の入口で「慈母(おッか)さんは?」と優しい声。

 その声を聞くと均(ひと)しく、文三起上(たちあが)りは起上ッたが、据(す)えた胸も率(いざ)となれば躍る。前へ一歩(ひとあし)、後(うしろ)へ一歩(ひとあし)、躊躇(ためらい)ながら二階を降りて、ふいと縁を廻わッて見れば、部屋にとばかり思ッていたお勢が入口に柱に靠着(もた)れて、空を向上(みあ)げて物思い顔……はッと思ッて、文三立ち止まッた。お勢も何心なく振り反ッてみて、急に顔を曇らせる……ツと部屋へ入ッて跡ぴッしゃり。障子は柱と額合(はちあ)わせをして、二三寸跳ね返ッた。

 跳ね返ッた障子を文三は恨めしそうに凝視(みつ)めていたが、やがて思い切りわるく二歩三歩(ふたあしみあし)。わななく手頭(てさき)を引手へ懸けて、胸と共に障子を躍らしながら開けてみれば、お勢は机の前に端坐(かしこま)ッて、一心に壁と睨(にら)め競(くら)。

「お勢さん」

 と瀬蹈(せぶみ)をしてみれば、愛度気(あどけ)なく返答をしない。危きに慣れて縮めた胆(きも)を少し太くして、また、

「お勢さん」

 また返答をしない。

 この分なら、と文三は取越して安心をして、莞爾々々(にこにこ)しながら部屋へ入り、好き程の所に坐を占めて、

「少しお噺(はなし)が……」

 この時になッてお勢は初めて、首の筋でも蹙(つま)ッたように、徐々(そろそろ)顔を此方(こちら)へ向け、可愛(かわい)らしい眼に角を立てて、文三の様子を見ながら、何か云いたそうな口付をした。

 今打とうと振上げた拳(こぶし)の下に立ッたように、文三はひやりとして、思わず一生懸命にお勢の顔を凝視(みつ)めた。けれども、お勢は何とも云わず、また向うを向いてしまッたので、やや顔を霽(は)らして、極(きま)りわるそうに莞爾々々(にこにこ)しながら、

「この間は誠にどう……」

 もと云い切らぬうち、つと起き上ッたお勢の体が……不意を打たれて、ぎょッとする、女帯が、友禅(ゆうぜん)染の、眼前(めさき)にちらちら……はッと心附く……我を忘れて、しッかり捉(とら)えたお勢の袂(たもと)を……

「何をなさるンです?」

 と慳貪(けんどん)に云う。

「少しお噺し……お……」

「今用が有ります」

 邪慳(じゃけん)に袂を振払ッて、ついと部屋を出(でて)しまッた。

 その跡を眺(なが)めて文三は呆(あき)れた顔……「この期(ご)を外(はず)しては……」と心附いて起ち上りてはみたが、まさか跡を慕ッて往(い)かれもせず、萎(しお)れて二階へ狐鼠々々(こそこそ)と帰ッた。

「失敗(しま)ッた」と口へ出して後悔して後(おく)れ馳(ば)せに赤面。「今にお袋が帰ッて来る。『慈母さんこれこれの次第……』失敗(しま)ッた、失策(しくじ)ッた」

 千悔、万悔、臍(ほぞ)を噬(か)んでいる胸元を貫くような午砲(ごほう)の響(ひびき)。それと同時に「御膳(ごぜん)で御座いますよ」。けれど、ほいきたと云ッて降りられもしない。二三度呼ばれて拠(よん)どころ無く、薄気味わるわる降りてみれば、お政はもウ帰ッていて、娘と取膳(とりぜん)で今食事最中。文三は黙礼をして膳に向ッた。「もウ咄したか、まだ咄さぬか」と思えば胸も落着かず、臆病(おくびょう)で好事(ものずき)な眼を額越(ひたえごし)にそッと親子へ注いでみればお勢は澄ました顔、お政は意味の無い顔、……咄したとも付かず、咄さぬとも付かぬ。

 寿命を縮めながら、食事をしていた。

「そらそら、気をお付けなね。小供じゃア有るまいし」

 ふと轟(とどろ)いたお政の声に、怖気(おじけ)の附いた文三ゆえ、吃驚(びっくり)して首を矯(あ)げてみて、安心した※[#白ゴマ点、181-17]お勢が誤まッて茶を膝(ひざ)に滴(こぼ)したので有ッた。

 気を附けられたからと云うえこじな顔をして、お勢は澄ましている。拭(ふ)きもしない。「早くお拭きなね」と母親は叱(しか)ッた。「膝の上へ茶を滴(こぼ)して、ぽかんと見てえる奴が有るもんか。三歳児(みつご)じゃア有るまいし、意久地の無いにも方図(ほうず)が有ッたもンだ」

 もはやこう成ッては穏(おだやか)に収まりそうもない。黙ッても視(み)ていられなくなッたから、お鍋は一とかたけ煩張(ほおば)ッた飯を鵜呑(うのみ)にして、「はッ、はッ」と笑ッた。同じ心に文三も「ヘ、ヘ」と笑ッた。

 するとお勢は佶(きっ)と振向いて、可畏(こわ)らしい眼付をして文三を睨(ね)め出した。その容子(ようす)が常で無いから、お鍋はふと笑い罷(や)んでもッけな顔をする。文三は色を失ッた……

「どうせ私は意久地が有りませんのさ」とお勢はじぶくりだした、誰に向ッて云うともなく。

「笑いたきゃア沢山(たんと)お笑いなさい……失敬な。人の叱られるのが何処(どこ)が可笑(おか)しいンだろう? げたげたげたげた」

「何だよ、やかましい! 言艸(いいぐさ)云わずと、早々(さっさ)と拭いておしまい」

 と母親は火鉢の布巾(ふきん)を放(な)げ出す。けれども、お勢は手にだも触れず、

「意久地がなくッたッて、まだ自分が云ッたことを忘れるほど盲録(もうろく)はしません。余計なお世話だ。人の事よりか自分の事を考えてみるがいい。男の口からもう口も開(き)かないなンぞッて云ッて置きながら……」

「お勢!」

 と一句に力を籠(こ)めて制する母親、その声ももウこう成ッては耳には入らない。文三を尻眼(しりめ)に懸けながらお勢は切歯(はぎし)りをして、

「まだ三日も経(た)たないうちに、人の部屋へ……」

「これ、どうしたもンだ」

「だッて私ア腹が立つものを。人の事を浮気者(うわきもん)だなンぞッて罵(ののし)ッて置きながら、三日も経たないうちに、人の部屋へつかつか入ッて来て……人の袂なンぞ捉(つかま)えて、咄(はなし)が有るだの、何だの、種々(いろいろ)な事を云ッて……なんぼ何だッて余(あんま)り人を軽蔑(けいべつ)した……云う事が有るなら、茲処(ここ)でいうがいい、慈母さんの前で云えるなら、云ッてみるがいい……」

 留めれば留めるほど、尚(な)お喚(わめ)く。散々喚かして置いて、もう好い時分と成ッてから、お政が「彼方(あッち)へ」と顋(あご)でしゃくる。しゃくられて、放心して人の顔ばかり視ていたお鍋は初めて心附き、倉皇(あわてて)箸(はし)を棄ててお勢の傍(そば)へ飛んで来て、いろいろに賺(す)かして連れて行こうとするが、仲々素直に連れて行かれない。

「いいえ、放擲(うっちゃ)ッといとくれ。何だか云う事が有(ある)ッていうンだから、それを……聞かないうちは……いいえ、私(わた)しゃ……あンまり人を軽蔑した……いいえ、其処(そこ)お放しよ……お放しッてッたら、お放しよッ……」

 けれども、お鍋の腕力には敵(かな)わない。無理無体に引立られ、がやがや喚きながらも坐舗(ざしき)を連れ出されて、稍々(やや)部屋へ収まッたようす。

 となッて、文三始めて人心地が付いた。

 いずれ宛擦(あてこす)りぐらいは有ろうとは思ッていたが、こうまでとは思い掛けなかッた。晴天の霹靂(へきれき)、思いの外なのに度肝(どぎも)を抜かれて、腹を立てる遑(いとま)も無い。脳は乱れ、神経は荒れ、心神(しんじん)錯乱して是非の分別も付かない。只(ただ)さしあたッた面目なさに消えも入りたく思うばかり。叔母を観れば、薄気味わるくにやりとしている。このままにも置かれない、……から、余義なく叔母の方へ膝を押向け、おろおろしながら、

「実に……どうもす、す、済まんことをしました……まだお咄はいたしませんでしたが……一昨日阿勢(おせい)さんに……」

 と云いかねる。

「その事なら、ちらと聞きました」と叔母が受取ッてくれた。「それはああした我儘者ですから、定めしお気に障るような事もいいましたろうから……」

「いや、決してお勢さんが……」

「それゃアもう」と一越(いちおつ)調子高に云ッて、文三を云い消してしまい、また声を並に落して、「お叱んなさるも、あれの身の為めだから、いいけれども、只まだ婚嫁前(よめいりまえ)の事(こっ)てすから、あんな者(もん)でもね、余(あんま)り身体(からだ)に疵(きず)の……」

「いや、私は決して……そんな……」

「だからさ、お云いなすッたとは云わないけれども、これからも有る事(こっ)たから、おねがい申して置くンですよ。わるくお聞きなすッちゃアいけないよ」

 ぴッたり釘(くぎ)を打たれて、ぐッとも云えず、文三は只口惜(くちお)しそうに叔母の顔を視詰めるばかり。

「子を持ッてみなければ、分らない事(こっ)たけれども、女の子というものは嫁(かたづ)けるまでが心配なものさ。それゃア、人さまにゃアあんな者(もん)をどうなッてもよさそうに思われるだろうけれども、親馬鹿とは旨(うま)く云ッたもンで、あんな者(もん)でも子だと思えば、有りもしねえ悪名(あくみょう)つけられて、ひょッと縁遠くでもなると、厭(いや)なものさ。それに誰にしろ、踏付られれゃア、あンまり好い心持もしないものさ、ねえ、文さん」

 もウ文三堪(たま)りかねた。

「す、す、それじゃ何ですか……私が……私がお勢さんを踏付たと仰ッしゃるンですかッ?」

「可畏(こわ)い事をお云いなさるねえ」とお政はおそろしい顔になッた。「お前さんがお勢を踏付たと誰が云いました? 私ア自分にも覚えが有るから、只の世間咄に踏付られたと思うと厭なもンだと云ッたばかしだよ。それをそんな云いもしない事をいって……ああ、なんだね、お前さん云い掛りをいうンだね? 女だと思ッて、そんな事を云ッて、人を困らせる気だね?」

 と層(かさ)に懸ッて極付(きめつけ)る。

「ああわるう御座ンした……」と文三は狼狽(あわ)てて謝罪(あやま)ッたが、口惜(くちお)し涙が承知をせず、両眼に一杯溜(たま)るので、顔を揚げていられない。差俯向(さしうつむ)いて「私が……わるう御座ンした……」

「そうお云いなさると、さも私が難題でもいいだしたように聞こゆるけれども、なにもそう遁(に)げなくッてもいいじゃないか? そんな事を云い出すからにゃア、お前さんだッて、何か訳が無(なく)ッちゃア、お云いなさりもすまい?」

「私がわるう御座ンした……」と差俯向いたままで重ねて謝罪(あやまっ)た。「全くそんな気で申した訳じゃア有りませんが……お、お、思違いをして……つい……失礼を申しました……」

 こう云われては、さすがのお政ももう噛付(かみつ)きようが無いと見えて、無言で少選(しばらく)文三を睨(ね)めるように視ていたが、やがて、

「ああ厭だ厭だ」と顔を皺(しか)めて、「こんな厭な思いをするも皆(みんな)彼奴(あいつ)のお蔭(かげ)だ。どれ」と起ち上ッて、「往ッて土性骨(どしょうぼね)を打挫(ぶっくじ)いてやりましょう」

 お政は坐舗を出てしまッた。

 お政が坐舗を出るや否(いな)や、文三は今までの溜涙(ためなみだ)を一時にはらはらと落した。ただそのまま、さしうつむいたままで、良(やや)久(しば)らくの間、起ちも上がらず、身動きもせず、黙念として坐ッていた。が、そのうちにお鍋が帰ッて来たので、文三も、余義なく、うつむいたままで、力無さそうに起ち上り、悄々(すごすご)我部屋へ戻ろうとして梯子段(はしごだん)の下まで来ると、お勢の部屋で、さも意地張ッた声で、

「私ゃアもう家(うち)に居るのは厭だ厭だ」

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