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     第一回 アアラ怪しの人の挙動(ふるまい)

作者:日-二叶亭四迷 当前章节:5180 字 更新时间:2026-6-16 03:24

 千早振(ちはやふ)る神無月(かみなづき)ももはや跡二日(ふつか)の余波(なごり)となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附(かんだみつけ)の内より、塗渡(とわた)る蟻(あり)、散る蜘蛛(くも)の子とうようよぞよぞよ沸出(わきい)でて来るのは、孰(いず)れも顋(おとがい)を気にし給(たま)う方々。しかし熟々(つらつら)見て篤(とく)と点(てんけん)すると、これにも種々(さまざま)種類のあるもので、まず髭(ひげ)から書立てれば、口髭、頬髯(ほおひげ)、顋(あご)の鬚(ひげ)、暴(やけ)に興起(おや)した拿破崙髭(ナポレオンひげ)に、狆(チン)の口めいた比斯馬克髭(ビスマルクひげ)、そのほか矮鶏髭(ちゃぼひげ)、貉髭(むじなひげ)、ありやなしやの幻の髭と、濃くも淡(うす)くもいろいろに生分(はえわか)る。髭に続いて差(ちが)いのあるのは服飾(みなり)。白木屋(しろきや)仕込みの黒物(くろいもの)ずくめには仏蘭西(フランス)皮の靴(くつ)の配偶(めおと)はありうち、これを召す方様(かたさま)の鼻毛は延びて蜻蛉(とんぼ)をも釣(つ)るべしという。これより降(くだ)っては、背皺(せじわ)よると枕詞(まくらことば)の付く「スコッチ」の背広にゴリゴリするほどの牛の毛皮靴、そこで踵(かかと)にお飾を絶(たや)さぬところから泥(どろ)に尾を曳(ひ)く亀甲洋袴(かめのこズボン)、いずれも釣(つる)しんぼうの苦患(くげん)を今に脱せぬ貌付(かおつき)。デモ持主は得意なもので、髭あり服あり我また奚(なに)をか(もと)めんと済した顔色(がんしょく)で、火をくれた木頭(もくず)と反身(そっくりかえ)ッてお帰り遊ばす、イヤお羨(うらやま)しいことだ。その後(あと)より続いて出てお出でなさるは孰(いず)れも胡麻塩(ごましお)頭、弓と曲げても張の弱い腰に無残や空(から)弁当を振垂(ぶらさ)げてヨタヨタものでお帰りなさる。さては老朽してもさすがはまだ職に堪(た)えるものか、しかし日本服でも勤められるお手軽なお身の上、さりとはまたお気の毒な。

 途上人影(ひとけ)の稀(ま)れに成った頃、同じ見附の内より両人(ふたり)の少年(わかもの)が話しながら出て参った。一人は年齢(ねんぱい)二十二三の男、顔色は蒼味(あおみ)七分に土気三分、どうも宜(よろ)しくないが、秀(ひいで)た眉(まゆ)に儼然(きっ)とした眼付で、ズーと押徹(おしとお)った鼻筋、唯(ただ)惜(おしい)かな口元が些(ち)と尋常でないばかり。しかし締(しまり)はよさそうゆえ、絵草紙屋の前に立っても、パックリ開(あ)くなどという気遣(きづか)いは有るまいが、とにかく顋が尖(とが)って頬骨が露(あらわ)れ、非道(ひど)く(やつ)れている故(せい)か顔の造作がとげとげしていて、愛嬌気(あいきょうげ)といったら微塵(みじん)もなし。醜くはないが何処(どこ)ともなくケンがある。背(せい)はスラリとしているばかりで左而已(さのみ)高いという程でもないが、痩肉(やせじし)ゆえ、半鐘なんとやらという人聞の悪い渾名(あだな)に縁が有りそうで、年数物ながら摺畳皺(たたみじわ)の存じた霜降(しもふり)「スコッチ」の服を身に纏(まと)ッて、組紐(くみひも)を盤帯(はちまき)にした帽檐広(つばびろ)な黒羅紗(ラシャ)の帽子を戴(いただ)いてい、今一人は、前の男より二ツ三ツ兄らしく、中肉中背で色白の丸顔、口元の尋常な所から眼付のパッチリとした所は仲々の好男子ながら、顔立がひねてこせこせしているので、何となく品格のない男。黒羅紗の半「フロックコート」に同じ色の「チョッキ」、洋袴は何か乙な縞(しま)羅紗で、リュウとした衣裳附(いしょうづけ)、縁(ふち)の巻上ッた釜底形(かまぞこがた)の黒の帽子を眉深(まぶか)に冠(かぶ)り、左の手を隠袋(かくし)へ差入れ、右の手で細々とした杖(つえ)を玩物(おもちゃ)にしながら、高い男に向い、

「しかしネー、若(も)し果して課長が我輩を信用しているなら、蓋(けだ)し已(や)むを得ざるに出(い)でたんだ。何故(なぜ)と言ッて見給え、局員四十有余名と言やア大層のようだけれども、皆(みんな)腰の曲ッた老爺(じいさん)に非(あら)ざれば気の利(き)かない奴(やつ)ばかりだろう。その内で、こう言やア可笑(おか)しい様だけれども、若手でサ、原書も些(ちっ)たア噛(かじ)っていてサ、そうして事務を取らせて捗(はか)の往(い)く者と言ったら、マア我輩二三人だ。だから若し果して信用しているのなら、已(やむ)を得ないのサ」

「けれども山口を見給え、事務を取らせたらあの男程捗の往く者はあるまいけれども、やっぱり免を喰(く)ったじゃアないか」

「彼奴(あいつ)はいかん、彼奴は馬鹿だからいかん」

「何故」

「何故と言って、彼奴は馬鹿だ、課長に向って此間(こないだ)のような事を言う所を見りゃア、弥(いよいよ)馬鹿だ」

「あれは全体課長が悪いサ、自分が不条理な事を言付けながら、何にもあんなに頭ごなしにいうこともない」

「それは課長の方が或は不条理かも知れぬが、しかし苟(いやしく)も長官たる者に向って抵抗を試みるなぞというなア、馬鹿の骨頂だ。まず考えて見給え、山口は何んだ、属吏じゃアないか。属吏ならば、仮令(たと)い課長の言付を条理と思ったにしろ思わぬにしろ、ハイハイ言ってその通り処弁(しょべん)して往きゃア、職分は尽きてるじゃアないか。然(しか)るに彼奴のように、苟も課長たる者に向ってあんな差図がましい事を……」

「イヤあれは指図じゃアない、注意サ」

「フム乙(おつ)う山口を弁護するネ、やっぱり同病相憐(あいあわ)れむのか、アハアハアハ」

 高い男は中背の男の顔を尻眼(しりめ)にかけて口を鉗(つぐ)んでしまッたので談話(はなし)がすこし中絶(とぎ)れる。錦町(にしきちょう)へ曲り込んで二ツ目の横町の角まで参った時、中背の男は不図(ふと)立止って、

「ダガ君の免を喰(くっ)たのは、弔すべくまた賀すべしだぜ」

「何故」

「何故と言って、君、これからは朝から晩まで情婦(いろ)の側(そば)にへばり付いている事が出来らアネ。アハアハアハ」

「フフフン、馬鹿を言給うな」

 ト高い男は顔に似気(にげ)なく微笑を含み、さて失敬の挨拶(あいさつ)も手軽るく、別れて独り小川町(おがわまち)の方へ参る。顔の微笑が一かわ一かわ消え往くにつれ、足取も次第々々に緩(ゆるや)かになって、終(つい)には虫の這(は)う様になり、悄然(しょんぼり)と頭(こうべ)をうな垂れて二三町程も参ッた頃、不図(ふと)立止りて四辺(あたり)を回顧(みまわ)し、駭然(がいぜん)として二足三足立戻ッて、トある横町へ曲り込んで、角から三軒目の格子戸(こうしど)作りの二階家へ這入(はい)る。一所(いっしょ)に這入ッて見よう。

 高い男は玄関を通り抜けて縁側へ立出(たちいで)ると、傍(かたわら)の坐舗(ざしき)の障子がスラリ開(あ)いて、年頃十八九の婦人の首、チョンボリとした摘(つまみ)ッ鼻(ぱな)と、日の丸の紋を染抜いたムックリとした頬とで、その持主の身分が知れるという奴が、ヌット出る。

「お帰(かいん)なさいまし」

 トいって、何故か口舐(くちなめ)ずりをする。

「叔母さんは」

「先程(さっき)お嬢さまと何処(どち)らへか」

「そう」

 ト言捨てて高い男は縁側を伝(つたわ)って参り、突当りの段梯子(だんばしご)を登ッて二階へ上る。ここは六畳の小坐舗(こざしき)、一間の床(とこ)に三尺の押入れ付、三方は壁で唯南ばかりが障子になッている。床に掛けた軸は隅々(すみずみ)も既に虫喰(むしば)んで、床花瓶(とこばないけ)に投入れた二本三本(ふたもとみもと)の蝦夷菊(えぞぎく)は、うら枯れて枯葉がち。坐舗の一隅(いちぐう)を顧みると古びた机が一脚据(す)え付けてあッて、筆、ペン、楊枝(ようじ)などを掴挿(つかみざ)しにした筆立一個に、歯磨(はみがき)の函(はこ)と肩を比(なら)べた赤間(あかま)の硯(すずり)が一面載せてある。机の側(かたわら)に押立たは二本立(だち)の書函(ほんばこ)、これには小形の爛缶(ランプ)が載せてある。机の下に差入れたは縁(ふち)の欠けた火入、これには摺附木(すりつけぎ)の死体(しがい)が横(よこたわ)ッている。その外坐舗一杯に敷詰めた毛団(ケット)、衣紋竹(えもんだけ)に釣るした袷衣(あわせ)、柱の釘(くぎ)に懸けた手拭(てぬぐい)、いずれを見ても皆年数物、その証拠には手擦(てず)れていて古色蒼然(そうぜん)たり。だが自(おのずか)ら秩然と取旁付(とりかたづい)ている。

 高い男は徐(しず)かに和服に着替え、脱棄てた服を畳みかけて見て、舌鼓(したつづみ)を撃ちながらそのまま押入へへし込んでしまう。ところへトパクサと上ッて来たは例の日の丸の紋を染抜いた首の持主、横幅(よこはば)の広い筋骨の逞(たくま)しい、ズングリ、ムックリとした生理学上の美人で、持ッて来た郵便を高い男の前に差置いて、

「アノー先刻(さっき)この郵便が」

「ア、そう、何処から来たんだ」

 ト郵便を手に取って見て、

「ウー、国からか」

「アノネ貴君(あなた)、今日のお嬢さまのお服飾(なり)は、ほんとにお目に懸けたいようでしたヨ。まずネ、お下着が格子縞の黄八丈(きはちじょう)で、お上着はパッとした宜引[#「引」は小書き右寄せ]縞(いいしま)の糸織で、お髪(ぐし)は何時(いつ)ものイボジリ捲きでしたがネ、お掻頭(かんざし)は此間(こないだ)出雲屋(いずもや)からお取んなすったこんな」

 と故意々々(わざわざ)手で形を拵(こし)らえて見せ、

「薔薇(ばら)の花掻頭(はなかんざし)でネ、それはそれはお美しゅう御座いましたヨ……私もあんな帯留が一ツ欲しいけれども……」

 ト些(すこ)し塞(ふさ)いで、

「お嬢さまはお化粧なんぞはしないと仰(おっ)しゃるけれども、今日はなんでも内々で薄化粧なすッたに違いありませんヨ。だってなんぼ色がお白(しろい)ッてあんなに……私(わたくし)も家(うち)にいる時分はこれでもヘタクタ施(つ)けたもんでしたがネ、此家(こちら)へ上ッてからお正月ばかりにして不断は施けないの、施けてもいいけれども御新造(ごしんぞ)さまの悪口が厭(いや)ですワ、だッて何時(いつう)かもお客様のいらッしゃる前で、『鍋(なべ)のお白粉(しろい)を施けたとこは全然(まるで)炭団(たどん)へ霜が降ッたようで御座います』ッて……余(あんま)りじゃア有りませんか、ネー貴君、なんぼ私が不器量だッて余りじゃアありませんか」

 ト敵手(あいて)が傍(そば)にでもいるように、真黒になってまくしかける。高い男は先程より、手紙を把(と)ッては読かけ読かけてはまた下へ措(お)きなどして、さも迷惑な体(てい)。この時も唯「フム」と鼻を鳴らした而已(のみ)で更に取合わぬゆえ、生理学上の美人はさなくとも罅壊(えみわ)れそうな両頬(りょうきょう)をいとど膨脹(ふく)らして、ツンとして二階を降りる。その後姿を目送(みおく)ッて高い男はホット顔、また手早く手紙を取上げて読下す。その文言(もんごん)に

一筆(ひとふで)示し※(まいらせそろ)[#「参らせ候」のくずし字、13-8]、さても時こうがら日増しにお寒う相成り候(そうら)えども御無事にお勤め被成(なされ)候や、それのみあんじくらし※[#「参らせ候」のくずし字、13-9]、母事(ははこと)もこの頃はめっきり年をとり、髪の毛も大方は白髪(しらが)になるにつき心まで愚痴に相成候と見え、今年の晩(くれ)には御地(おんち)へ参られるとは知りつつも、何とのう待遠にて、毎日ひにち指のみ折暮らし※[#「参らせ候」のくずし字、13-11]、どうぞどうぞ一日も早うお引取下されたく念じ※[#「参らせ候」のくずし字、13-12]、さる二十四日は父上の……

 と読みさして覚えずも手紙を取落し、腕を組んでホット溜息(ためいき)。

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