饭饭TXT > 海外名作 > 《红指(日文版)》作者:[日]东野圭吾【完结】 > 红指.txt

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作者:日-东野圭吾 当前章节:15356 字 更新时间:2026-6-16 06:24

 しかし果たして乗り切れるのだろうか、馬鹿な過《あやま》ちを犯した息子とゆっくり話し合える日など本当に来るのだろうか──。

 玄関先に戻り、写真を刑事に返した。無論、妻は見たことがないそうだ、という台詞を添えた。

「そうですか。お手間をとらせてすみませんでした」加賀は写真を懐にしまった。

「もういいですか」昭夫はいった。

 ええ、と頷いてから、加賀はすぐ横の庭に目を向けた。昭夫はどきりとした。まだ何か、と問うてみた。

 変なことを訊くようですが、と加賀は前置きした。

「こちらの芝生は何という種類ですか」

「芝生?」声がうわずった。

「御存じないですか」

「さあ……以前からあるものですから。張ったのはずいぶん前だと思うし。この家は元々、うちの両親のものだったんです」

「そうですか」

「あの、芝生がどうかしたんですか」

「なんでもありません。気になさらないでください」刑事は笑顔で手を振った。「最後に一つだけ。昨日から早朝にかけて、家を留守にしておられた時間はありますか」

「咋日から今朝……ですか。さあ、なかったと思いますけど」

 それがどうしたのかと昭夫が尋ねようとした時だった。庭に面しているダイニングルームのガラス戸が、がちりと開いた。昭夫はぎょっとしてそちらを見た。政恵が出てくるところだった。

 加賀も驚いたようだ。「あの方は?」と訊いてきた。

「母親です。あ、でも、質問は無理です。こっちのほうにきていまして」そういって昭夫は自分の頭を指差した。「それで、さっきはいわなかったんですけど」

 政恵は何やらぶつぶついいながら、しゃがみこんで植木鉢の並んでいるあたりを覗き込んでいる。

 たまらずに昭夫は駆け寄った。

「何やってんだよ?」

 手袋、と彼女は呟いた。

「手袋?」

「手袋をしないと叱られるから」

 政恵は昭夫に背を向けたまま、植木鉢の前でごそごそしていたが、やがて立ち上がり、昭夫のほうを向いた。その手には汚れた手袋がつけられていた。それを見て昭夫は全身が凍り付くほどの寒気を感じた。その手袋は、咋夜彼が使ったものにほかならなかった。そういえば死体を処分した後、手袋をどこに置いたか記憶がない。無意織のうちに、放り出してしまったようだ。

「これでいいでしょ、おじさん」そういいながら政恵は加賀に近づいていき、両手を彼の顔の前に突き出した。

「あっ、何やってるんだ。どうもすみません。もういいから、家の中で遊んでなさい。雨が降ってくるよ」昭夫は子供に話しかけるようにいった。

 政恵は空を見上げると、納得したように庭を横切り、ダイニングに上がり込んだ。

 開けっ放しになっているガラス戸を閉め、昭夫は玄関のほうを見た。加賀が訝《いぶか》しげな顔をしていた。

「ああいう感じでして」昭夫は頭を掻きながら戻った。「だから、お役には立てないと思います」

「大変ですね。御自宅で介護を?」

「ええまあ……」昭夫は頷いた。「あのう、もういいでしょうか」

「結構です。お忙しいところ、御協力ありがとうございました」

 刑事が門扉を開けて出ていくのを、昭夫は立ったまま見送った。その姿が見えなくなってから、庭に視線を向けた。

 少女の服に付着していた芝のことを思い出し、息苦しくなった。

     11

 捜査本部は練馬警察暑に置かれた。午後二時過ぎ、最初の合同捜査会議が開かれた。松宮は斜め前方に座っている人物のことを気にしていた。じかに姿を見るのは約十年ぶりになる。引き締まった横顔は以前と変わらない。長年剣道で鍛《きた》えられた体格にも変化はないし、背筋をぴんと伸ばした姿勢も昔のままだ。

 今回の事件を担当することになってから、いずれは彼に会うだろうと松宮は考えていた。顔を合わせた時、相手がどういう反応を示すか、全く予想がつかなかった。松宮が警察官になっていることは知っているはずだが、警視庁の捜査一課にいることまで把握しているかどうかはわからなかった。

 相手は松宮よりも先に席についていた。松宮が後方に座ったことで、今もまだその存在には気づいていないと思われた。

 捜査会譲は型どおりに進められていった。死亡時刻は前日の午後五時から九時の間あたりであろうと推定されている。殺害方法は扼殺《やくさつ》。ほかに外傷は認められない。

 胃の中からアイスクリームが見つかっている。したがってアイスクリーム屋に一人で来たという少女が被害者である可能性が高まった。その場合は、さらに死亡推定時刻を絞れることになる。

 銀杏公園の周辺では、路上駐車していたという車が何台か目撃されている。その大方は商用車であったり、ふだんから常習的に駐車している車だった。深夜に関しては、今のところ目撃されていない。

 犯人の遺留品と断定できそうなものは見つかっていない。ただ、鑑識課から興味深い報告があった。遺体の衣類にはわずかながら芝が付着していたというのだ。種類は高麗芝で、生育状態はあまりよくなく、手入れもされていない。芝のほかにシロツメクサの葉も見つかっている。俗にいう、三つ葉のクローバーだ。こちらは芝生の雑草として生えていたのではないか、というのが鑑識の見解だった。

 春日井親子が住んでいるのはマンションで、当然のことながら庭はない。春日井優菜がふだんよく行く公園にも芝生は植えられているが、こちらは野芝という異なる種頬だった。ちなみに銀杏公園に芝は生えていない。

 さらに鑑識から興味深い報告があった。春日井優菜の靴下からも、わずかながら同種の土が検出されたのだ。遺体として発見された時、彼女は運動靴を履いていた。

 庭や公園の芝生に足を踏み入れたり、寝転がったりすることはあるかもしれないが、その際に運動靴を脱ぐことは少ないのではないか、というのが捜査員たちの一致した見解だった。しかも、昨日は午前中まで雨が降っていた。屋外の芝生は濡れていたはずで、そんなところに素足でならともかく、靴下のまま入るとは思えない。おまけに春日井優菜が履いていた靴は、足首まで紐を結ぶタイプのもので、何かの拍子に脱げることはまずない。つまり彼女が芝生に横たわったのは、自分の意思によるものではなかった可能性が高いというわけだ。

 殺されてから、どこかの芝生の上に放り出された、と考えるのが最も自然だった。そうなれば、人目につきやすい公共の場とは思えない。やはり個人宅の庭、ということになる。

 以上のことは比較的早い段階で判明していたので、機動捜査隊や練馬署の捜査員たちも、周辺で高麗芝を植えている場所を当たったらしい。ただしこの芝は日本では最もポピュラーといっていい種類なので、個人宅だけでも相当な数にのぼった。犯人が車を使ったのだとしたら、該当場所は飛躍的に増えるわけで、手がかりとして有効かどうかは今のところ何ともいえなかった。

 現場周辺の個人庭園を当たった結果が報告されることになった。ところがそのために最初に立ち上がったのが、先程から松宮が気にしていた人物だったので、彼はびっくりした。

「練馬署の加賀です」その人物はそう名乗ってから報告を始めた。「一丁目から七丁目までの間に、庭に芝を張っている家は二十四軒ありました。そのうち高麗芝なのは十三軒です。ただしこれは家人から聞いたことなので、家人が錯誤している可能性はあります。残り十一軒は品種については不明でした。すべての家に被害者の写真を見せて回ったところ、以前から被害者を知っていたというところが三軒ありました。ただし、いずれも最近被害者が立ち寄ったことはないということでした」

 通報があった後、彼はすぐに聞き込みに回っていたのだな、と松宮は加賀の報告を聞きながら思った。

 ほかにも同様の聞き込みをしていた捜査員がいたらしく、同じような報告がなされた。ただし、現時点では有力な手がかりとなりそうなものではなかった。

 今後の方針が捜査一課長から告げられ、とりあえず解散となった。今のところ、犯人が以前から被害者に目をつけていたのか、たまたま彼女を獲物として選んだのかは断言できない。いずれにせよ、車を使って拉致したのではないか、という見方が有力だった。遣体が捨てられていたのが被害者の自宅近くだからといって、犯人もまた近辺の人間だとはかぎらない。そう思わせるためのカムフラージュである可能性も高いからだ。ただ、銀杏公園というさほど知られていない公園を遺棄場所に選んだのは、犯人に何らかの土地鑑があったからだろう、というのが、捜査責任者たちの一致した見解だった。

 その後、係長の石垣が二人の主任を呼び、何やら打ち合わせを始めた。練馬署の捜査員らに声をかけ、一言二言話したりもしている。その中には加賀もいた。何を話しているのか、松宮は気になった。

 打ち合わせを終えた小林が、松宮たちのところにやってきた。

「こっちは現場周辺を調べることになった。目撃情報はもちろんのこと、最近、小さな子供が何らかの被害に遭いかけたという話がないか、などを調べる。それと、芝生のある家だ。鑑識のほうで芝や土壌についての分析結果を出してくれるそうだから、不審な家がある場合は、どんどん照合していく」

 小林は部下たちに仕事を振り分けていった。松宮にも聞き込み捜査が命じられた。

「おまえは加賀と組んでくれ」

 小林にいわれ、えっと松宮は聞き直した。

「当然知っていると思うが、優秀な刑事だ。俺も何度か一緒に仕事をしたことがある。やりにくいかもしれんが、今回は彼について動いてくれ。おまえにとっても、必ずいい経験になる」

「でも……」

「なんだ?」小林がぎょろりと黒目を動かした。

 いえ、と松宮がかぶりを振った時、「よろしく」と後ろから声をかけられた。振り返ると加賀が松宮をじっと見つめていた。その目は何やら意味ありげだった。

 こちらこそ、と松宮は答えた。

 散会した後、松宮は改めて加賀のほうを向いた。「久しぶり」

 うん、と短く答えた後、「昼飯は食ったか」と加賀は訊いてきた。

「いや、まだだけど」

「じゃあ、食いに行こう。いい店を知っている」

 二人並んで警察署を出た。加賀は駅前の商店街に向かっているようだ。

「少しは慣れたかい?」歩きながら加賀が訊いてきた。

「まあぼちぼちかな」松宮はいった。「世田谷の主婦殺害事件を担当した。あれで、いろいろとわかったから、殺しのヤマには少し慣れたよ」

 ささやかな虚栄だった。この人物にだけは新米扱いされたくなかった。

 加賀はふっと笑いを含んだ吐息をついた。

「事件に慣れることなんてない。殺人を担当している間は特にそうだ。遺族が泣く姿を見るのに慣れるようじゃ、人間として問題がある。俺が訊いたのは、刑事という立場に慣れたかという意味だ。制服を着ている時とは、周りの見る目も違うからな」

「そんなことはわかってるさ」

「それならよかった。まあ、どのみち時間が解決することだしな」

 加賀は駅前通りから少しはずれたところにある定食屋に案内してくれた。テーブルが四つ並んでいて、二つが塞《ふさ》がっていた。加賀は入り口に近い席についた。座る前に、エプロンをつけた女性に小さく会釈したから、馴染みの店なのだろう。

「ここは何でもうまい。お勧めは焼き鳥定食だ」

 ふうん、と頷いた後、松宮はメニューを見て煮魚定食を注文した。加賀は生姜《しょうが》焼き弁当というのを頼んだ。

「今朝、通報を受けて、恭《きょう》さんと会うだろうと思ってた」

「そうか」

「びっくりしただろ、俺がいたから」

「そうでもない。さっき見かけて、ああいるんだなと思っただけだ」

「一課に配嘱されたこと、知ってたのかい」

「まあな」

「伯父さんから聞いて?」

「いや、所轄にいても一課の情報は耳に入ってくる」

「ふうん」

 加賀はかつて捜査一課にいたことがある。その時の繋がりが健在なのかもしれなかった。

「恭さんと組むことになるとは思わなかった。うちの主任に何かいったのかい」

「いいや、何か気にくわないのか」

「そういう意味じゃない。ちょっと気になっただけだ」

「いやなら、俺のほうから小林さんに話してもいい」

「そうじゃないといってるだろ」思わず声を尖らせた。

 加賀はテーブルに肘をつき、横を向いたままで話しだした。

「所轄の刑事は一課の指示にしたがうだけだ。だから俺たちが組むことになったのは、単なる偶然だ。余計なことを気にする必要はない」

「もちろん俺だって気にしない。係長と主任の指示通りに動くだけだ。恭さんのことも、所轄の一人としてしか見ないつもりだ」

「当然だな。それでいいじゃないか」加賀はさらりという。

 料理が運ばれてきた。たしかにうまそうだった。ボリュームがあるし、栄養のバランスもよさそうだ。ずっと独身を通している加賀にとって、この店は貴重なのだろうと松宮は思った。

「叔母さんは元気かい」箸《はし》を動かしたままで加賀から訊いてきた。

 突然親戚口調で訊かれたので、松宮は戸惑った。答えない彼に、加賀は不思議そうな目を向けてきた。

 肩肘《かたひじ》を張りすぎるのも子供っぽいと思い、松宮は頷いた。

「おかげさまで、相変わらず口だけは達者だよ。そういえば、恭さんに会ったらよろしくいっといてくれって、ずいぶん前にいわれたことがある。いつ会えるかわかんないよって、その時はいっておいたんだけどさ」

 そうか、と加賀は頷いた。

 沈黙の中で松宮は箸を動かした。様々なことが頭に浮かび、料理の味は半分もわからなかった。

 先に食べ終えた加賀は、携帯電話を取り出し、何やら操作をし始めた。だがすぐに終わったところを見ると、メールを打ったわけではなさそうだ。

「何日か前に、伯父さんのところに行ってきたばかりだ」松宮はそういって加賀の反応を窺った。

 加賀は携帯電話を懐に戻してから、ようやく松宮のほうに目を向けた。

「そうか」関心はない、という口ぶりだった。

 松宮は箸を置いた。

「たまには会いに行ったほうがいいぜ。伯父さん、あんまりよくない。はっきりいうけど、本当にもうそれほど長くない。俺の前じゃ、元気なふりをしてるけどさ」

 だが加賀は答えようとしない。湯飲み茶碗を口に運んでいる。

「恭さん」

「無駄口を叩いてないで、さっさと食えよ。せっかくのうまい料理が冷めちまうぞ。それに、打ち合わせなきゃいけないこともたくさんあるんだからな」

 自分だってこっちのことを尋ねてきたくせに、と不満に思いながら、松宮は食事を再開した。

 食べ終えた頃に携帯電話が鳴った。小林からだった。

「鑑識から新たに報告があった。被害者の衣服に白い粒のようなものが付着していたらしいが、それが何かわかったそうだ」

「白い粒……何だったんですか」

「発泡スチロールだ」

「へえ」それが何を物語っているのか、松宮にはわからなかった。

「家電製品の梱包に発泡スチロールが使われていることがあるだろう。あれじゃないか、というのが鑑識の話だ」

「ということは」

「段ボール箱だ」小林は即座に答えをいった。「犯人は死体を段ボール箱に入れて運んだ。その箱に発泡スチロールの粒が残っていて、被害者の身体に付着したというわけだ」

「なるほど」

「これから銀杏公園周辺を探すが、段ボール箱は犯人が持ち去った可能性が高い。どこかで投棄したかもしれんが、犯人が近辺に住んでいた場合は、そのまま持ち帰ったことも考えられる。芝生を採取する際、それらしき段ボール箱が出されてないかどうかもチェックしておいてくれ。鑑識の話では、被害者の排泄物でかなり臭っているはずだから、家の中には持ち込まないんじゃないか、ということだった」

 わかりました、といって松宮は電話をきった。

 加賀が怪訝そうな顔をしているので、今のやりとりを話した。その上で、こう付け加えた。「俺たちの場合、たぶん無駄骨だと思うけどさ」

 この一言に加賀は反応した。どうして、と訊いてきた。

「俺が犯人なら、段ボール箱を家に持ち帰ったりしない。たとえ家がすぐ近くでもそうはしない。車で遠くまで行って、どこか適当なところで捨ててくる。当然だよ」

 しかし加賀は頷かなかった。思案顔で頬杖をつき、携帯電話の画面を見つめていた。

     12

 八重子の顔つきが変わった。両手を温めるように湯飲み茶碗を包んでいたが、その手をダイニングテーブルに置いた。

「あなた、何を今さら……それ、本気でいってるの?」

「本気だよ。もう諦めたほうがいい。直巳を警察に連れていこう」

 八重子は夫の顔をしげしげと見つめ、かぶりを振った。

「信じられない……」

「だって、もうどうしようもないだろ。今もいったように、警察はたぶん芝生のことを調べる。うちの芝生だってばれたら、言い駅できない」

「そんなのわからないじゃない。死体に芝生がついてたって、刑事がいったわけじゃないんでしょ」

「いわなくてもわかる。でなきゃ、どうして芝生の種類を訊いたりするんだ。あの女の子の身体に芝生がついてたんだよ。間違いない」

「だってあなた、服についてた芝生は取ったんでしょ。それで、トイレに流したって……」

「だからさっきから何度もいってるだろ。目についた芝生は全部取ったつもりだって。だけどあの暗がりじゃ、完璧かどうかなんてわからない。残ってたって不思譲じゃない」

「そこまでわかってるんなら、どうしてもっとちゃんと……」八重子は眉間を寄せ、悔しそうに唇を噛んだ。

「あれ以上、俺にどうしろっていうんだ。どれだけ大変だったと思ってる。人に見られちゃいけないし、早く済ませなきゃいけないし。服にびっしりと芝生がついているところを想像してみろ。暗がりで、全部取りきれるか? それとも何か。芝生がついてることに気づいた時点で、死体を持って帰ってくればよかったか?」

 こんなところで言い争いをしても仕方がないと思いつつ、昭夫は語気が荒くなるのをとめられなかった。死体を処分した時の大変さが蘇ったせいもあったが、芝生を完璧に除去しなければと思いつつ、苦しみから一刻も早く逃れたい一心で適当に放置してきてしまったことに対するごまかしの意味もあった。

 八重子はテーブルに肘をつき、額を押さえた。

「一体どうすれば……」

「だからもうどうしようもないんだ。直巳に自首させるしかない。我々も共犯ということになるだろうが、それはもう仕方がない。自業自得なんだから」

「あなた、それでいいの?」

「よくはないが、仕方がないじゃないか」

「仕方がない、仕方がないって、そんな投げやりにならないで」八重子が顔を上げ、夫を睨みつけた。「わかってるの? 直巳の一生がかかってるのよ。万引きとか人を怪我させた程度ならともかく、人殺しを……しかもあんな小さな子を殺したってことになれば、あの子の一生はもうめちゃくちゃになる。それでも仕方がないっていうの? あたしはそんなふうに思えない。最後の最後まで諦めたくない」

「じゃあ、どうすればいいというんだ。何か手があるのか。芝生のことで問い詰められたらどうする?」

「とりあえず……知らないってことで押し通す」

 昭夫はため息をついた。

「そんなことで警察が納得すると思うか」

「だって、仮に芝生がうちのだって証明されたとしても、直巳が殺した証拠にはならないでしょ。あたしたちが知らないうちに、あの女の子が勝手に庭に入ってきたっていう可能性もあるわけだし」

「刑事は、うちが留守にしていた時間帯があるかどうかも訊いてった。勝手に入ってきたのに、なぜ気づかなかったんだって追及してくるぞ」

「気づかないことだってあるわよ。ずっと庭を見張ってるわけじゃないんだから」

「そんなへりくつが警察相手に通用するもんか」

「通用するかしないか、やってみないとわからないじゃない」八重子は声をはりあげた。

「無駄なあがきだといってるんだ」

「それでもいいわよ。直巳を警察に渡さないためなら、あたしは何だってやる。それよりあなたは何なのよ。捨て鉢になって、ちっとも考えてくれないじゃないの」

「考えた結果、ほかに手はないといってるんだ」

「違う。あなたは考えてなんかいない。今の苦しさから逃げることしか頭にない。直巳を自首させれば、自分は楽になれると思ってるんでしょ。後のことなんかどうでもいいと思ってるんでしょ」

「そうじゃない」

「じゃあ、どうしてあたしのいうことにけちばっかりつけるのよ。けちをつけるなら、代わりの案を出したらどうなの。それがないなら黙ってて。警察が甘くないことぐらい、あなたなんかにいわれなくたってわかってるわよ。それでもあたしは、あたしに出来ることをやろうとしてるの」

 八重子の剣幕に昭夫はたじろいだ。

 ちょうどその時、奇妙な歌声が聞こえてきた。政恵の声だ。その声は八重子の神経をさらに刺激したようだ。彼女はそばにあった爪楊枝《つまようじ 》の容器を投げ捨てた。床に細い爪楊枝がまき散らされた。

 昭夫は口を開いた。

「下手に嘘をついてから逮捕されるより、潔く自首したほうが、結果的に早く社会復帰が出来る。未成年だから名前だって出ないし、どこか遠いところへ引っ越せば、過去のことなんかわからないだろ。俺はそのことをいってるんだ」

「何が社会復帰よ」八重子は吐き捨てるようにいった。「この局面で奇麗事をいってどうすんの。名前が出ないからって、噂がたたないと思う? 引っ越したって無駄よ。子供を殺したっていう評判は、どうせ一生ついてまわる。そんな人間をどこの誰が受け入れてくれるっていうの。あなただったらどうよ。そんな人間を平等に扱える? あたしならできない。それが当たり前なのよ。ここで捕まったら、直巳の一生は終わり。あたしたちの人生も終わり。そんなこともわからないの? どうかしてるんじゃないの?」

 今度こそ昭夫は返答に窮《きゅう》した。

 八重子のいっていることのほうが現実的だとは、彼自身もわかっていた。昨日までは、少年法などはいらないという意見だったのだ。大人だろうが少年だろうが、罪を犯した者にはそれなりの償いをさせるべきだと思っていたし、それが殺人という重い罪の場合は、死刑にすればいいという考えだったのだ。殺人を犯すような人間が更生できるとは思えず、そんな人間が刑期を終えたからといって世の中に戻される現行の法の甘さに、昭夫も不満を抱いていた。八重子のいうとおりだ。たとえ少年時代の罪であろうと、かつての殺人者を差別せずに受け入れる度量など、彼にはなかった。それでいいと思って生きてきた。

「何、黙ってるのよ。何とかいったらどうなの」八重子の声には涙が混じっていた。

 政恵の歌は相変わらず続いている。まるで読経のように聞こえた。

「中途半端はだめだ」昭夫はぽつりといった。

「何よ、中途半端って」

「中途半端な嘘をついても無駄だ。ごまかすなら、完璧にやらないと。芝生のことで警察がうちに目をつけたら、今度は確実に直巳のことを疑う。刑事に執拗《しつよう》に問い詰められた時、あいつが嘘をつき通せると思うか」

「だからといって、どうすればいいのよ」

 昭夫は目を閉じた。吐き気がしそうなほど、胸が苦しくなってきた。

 事態を把握した時から、そして死体を処分しようと決めた時から、彼には一つの考えがあった。直巳が罪に問われないようにするための、ある手段についてだった。しかし彼は今までその考えを、意識的に自分の頭から追い出していた。人として絶対にすべきことではないと思っていたからでもあるが、それ以上に、ひとたびその考えにとらわれれば、もう二度と引き返せなくなることがわかっていたせいもあった。

「ねえ……」催促するように八重子がいった。

「もし、今度刑事が来たら……」昭夫は続けた。「そうして、もし嘘がつきとおせないとわかった時には……」唇を舐めた。

「どうするの?」

「自首……させる」

「あなた」八重子が目を険しくした。「だからあたしは──」

「最後まで聞け」昭夫は深呼吸した。「そうじゃないんだ」

     13

 山田《やまだ 》という表札の下にあるインターホンのチャイムを鳴らすと、男性の声が返ってきた。「はい」

 松宮はマイク部分に口を近づけていった。

「警察の者ですが、今よろしいでしょうか。ちょっとお願いしたいことがありまして」

「あ、はあ……」相手は戸惑ったような声を出した。

 間もなく玄関のドアが開き、頭の禿《は》げた男性が不安そうな顔を覗かせた。短い階段を下りて、松宮たちのいる門扉のところに来た。

「今朝ほどはどうもありがとうございました」松宮の横で加賀がいった。

「今度は何ですか」家の主人が不満そうな顔を松宮と加賀に向けた。

「お宅では庭に芝を植えておられますよね」松宮がいった。

「ええ」

「その芝を採取させていただきたいんです」

「はあ? うちの芝をですか」

「銀杏公園で女の子の死体が見つかった事件は御存じだと思いますが、その捜査のためです。この付近のお宅すべてにお願いしていることです」

「何のために芝なんか……」

「照合したいことがありまして」

「照合?」男の顔が曇った。

「山田さんのお庭がどうとかという意味ではないんです」加賀が口を挟んだ。「この町内全体で、どういった芝が使われているかを調べる必要がありまして、それでお願いして回っています。だめだということでしたら、もちろん無理にとはいいませんが」

「いや、だめだってことはないですけど……うちが疑われているとか、そういうことではないんですね?」

「それはもちろんそうです」加賀は笑顔を見せた。「お休みのところ、本当に申し訳ありません。すぐに終わりますから、よろしいでしょうか。全部こちらでやりますので。芝生に傷が残らないよう、少量にしておきます」

「そういうことなら、まあいいですよ。庭はこっちです」家の主人はようやく得心した様子で、松宮たちを中に入れてくれた。

 松宮は加賀と共に、庭に芝生のある家を一軒一軒あたり、芝生と庭の土を採取して回っていた。どの家でも、もちろんいい顔はされない。自分のところが疑われているのか、と尖った口調で質問されることが多かった。

「なんか、効率がよくないな」山田という家を出てから松宮はいった。

「そうかい」

「いちいち説明して回らなきゃいけないってのは面倒だ。本部の誰かに、先に電話で事情を話させておけば、こっちの作業はスムーズに行くわけだろ」

「なるほど。説明係と芝生の採取係とを分ければいいということか」

「恭さんはそう思わないのか?」

「思わないな」

「どうして?」

「かえって効率が悪くなるからだ」

「なんでだよ」

「捜査は事務仕事じゃない。事情を説明するという行為でさえ、機械的にやればいいというものではないんだ。なぜなら相手が犯人である可能性もあるわけだからな。話しながら相手の反応を観察することで、何らかのヒントを掴める場合もある。しかし電話では、なかなかそこまでは察知できない」

「そうかな。声の具合でわかることもあるんじゃないかな」

「じゃあそういうこともあるとしよう。そこで君の案を採用したとする。事情を説明するために電話をかけた捜査員が、相手の対応に不自然なものを感じた場合、芝生の採取係をやっている捜査員に、いちいちその旨を伝えねばならない。それは効率が悪いと思わないか。しかも、直感というのは人に伝えにくいものだ。上手《う ま 》く伝わらない場合、実際に相手と接触する捜査員がとんでもないミスをしでかすおそれもある。また、事前に電話で事情を説明するということは、犯人に何らかの準備をする猶予を与えるということでもある。地味な作業にげんなりする気持ちはわかるが、どんなことにも意味はあるんだ」

「別にげんなりしているわけじゃないけどさ」松宮は言い訳をしたが、加賀の意見に反論する言葉は思いつかなかった。

 受け持ち区域内で庭に芝生を植えている家を、松宮は加賀と共に順番に回っていった。採取した芝生は一つ一つビニール袋に入れ、どこの家のものなのかを記す。たしかに地味な作業だった。小林から命じられている、段ボール箱の件もぬかりなくチェックしていた。しかし今のところ、怪しげな段ボール箱は見つかっていない。見つかるわけがない、と松宮は内心思っていた。

 一軒の家の前で加賀が立ち止まった。じっと玄関を見つめている。前原という表札が出ていた。芝生を採取する対象に入っている家だ。だが加賀の目つきがこれまでとは少し違って、妙に鋭さを増しているようなので、松宮は気になった。

「どうかしたのかい」彼は訊いた。

「いや、なんでもない」加賀は小さくかぶりを振った。

 二階建ての古い家屋だった。門扉があり、すぐ正面に玄関がある。短いアプローチの右側が庭だ。芝生が生えている。見たところ、あまり手入れはされていない。

 春日井優菜の衣服には、芝生のほかにシロツメクサも付着していた。よく手入れがなされている庭なら、その手の雑草は処理されているはずだというのが、芝生について多少知っている捜査員の話だった。

 松宮はインターホンを鳴らした。はい、という女性の声が聞こえた。

 形式通りに名乗ってみる。やはり、はい、と相手は短く答えた。

 玄関のドアが開けられるまでの間に、松宮は書類を見ながら前原家の家族構成を確認した。練馬署にある資料をコピーしたものだ。世帯主は前原昭夫で、現在四十七歳。妻は八重子で四十二歳。十四歳の息子と七十二歳になる母親がいる。

「平凡な一家という感じだな」松宮はぽつりと漏らした。

「ここの婆さんは認知症らしい」加賀がいった。「平凡な家庭など、この世にひとつもない。外からだと平穏な一家に見えても、みんないろいろと抱えているもんだ」

「そんなことはいわれなくてもわかってるよ。今回の事件には関係がなさそうだ、という意味でいったんだ」

 玄関のドアが開いた。出てきたのは小柄な中年男だった。ポロシャツの上かちトレーナーを着ている。前原昭夫だろう。松宮たちを見て、小さく会釈してきた。たびたびすみません、とここでも加賀が先に詫びの言葉を口にした。

 芝生を採取したい旨を松宮がいうと、前原は一瞬たじろいだような表情になった。その些細《さ さい》な変化をどう捉えていいのか、松宮にはよくわからなかった。

「あ……いいですよ」前原はあっさりと答えた。

 失礼します、といって松宮は庭に入り、手順通りに芝生の採取にとりかかった。鑑識からは、なるべく土を多めに採ってきてくれといわれている。

「あのう」前原が遠慮がちにいった。「それで、どういったことがわかるんですか」

 加賀が黙っているので、作業をしながら松宮が答えた。

「詳しいことはお教えできないんですが、このあたりのお宅ではどういった芝を使っておられるのか、データを集めているところなんです」

「ははあ、そういうデータをねえ」

 そんなものが捜査にどう役立つのか、前原は訊きたいに違いなかった。しかし尋ねてはこなかった。

 芝生をビニール袋に入れ、松宮は腰を上げた。前原に礼を述べようとした。

 その時、家の中から声が聞こえてきた。

「お願いだからやめてっ。おかあさんっ」女の声だった。

 さらに、何かが倒れるような音もした。

 前原は、「ちょっとすみません」と松宮たちにいうと、あわてた様子でドアを開け、中を覗いた。「おい、何やってるんだ」

 室内にいる女性が何かいっている。話の内容は聞き取れない。

 やがて前原はドアを閉め、松宮たちのほうを向いた。ばつの悪そうな顔をしている。

「やあ、どうも、お恥ずかしいところをお見せしました」

「どうかされたんですか」松宮は訊いた。

「いや、大したことじゃないんですが、婆さんがちょっと暴れたようです」

「婆さん? ああ……」

 松宮は、ついさっき加賀から訊いた話を思い出していた。

「大丈夫ですか。何か我々でお手伝いできることがあれば、おっしゃってください」加賀がいった。「徘徊《はいかい》老人についての相談窓口なども、うちの署にはありますが」

「いえ、ご心配なく。自分たちで何とか。はい」前原は明らかに作り笑いと思われる顔でいった。

 松宮たちが門の外に出ると、前原も家の中に消えた。それを見届けた後、松宮は吐息をついた。

「きっと会社でもいろいろと苦労があるだろうに、家の中にあんな問題を抱えているなんて、あの人も大変だな」

「あれが今の日本家庭の一典型だ。杜会が高齢化していることは、何年も前からわかっていた。それなのに大した準備をしてこなかった国の怠慢のツケを、個人が払わされているというわけだ」

「ぼけ老人を介護しなきゃいけないなんて、考えただけでも混乱してしまう。俺も他人事じゃない。いずれは母親の面倒を見なきゃいけないわけだし」

「世の中の多くの人が抱えている悩みだ。国が何もしてくれないんだから、自分で解決するしかない」

 加賀の言葉に松宮は抵抗を覚えた。

「恭さんはいいよな」彼はいった。「伯父さんを一人にして、自分は好きなように生きていけるわけだから。何にも縛られないでいられる」

 口に出してから、少しいいすぎたかなと思った。加賀が怒るかもしれない。

「まあ、そうだな」しかし加賀はあっさりとそういった。「生きていくのも死んでいくのも、一人だと気楽でいい」

 松宮は足を止めた。

「だから伯父さんも一人で死ねってことかい?」

 すると加賀はさすがにやや虚をつかれた顔で松宮を見た。だがさほど動揺した気配は見せず、ゆっくりと頷いた。

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