饭饭TXT > 海外名作 > 《江户川乱步短篇集(日版)》作者:[日]江户川乱步【完结】 > 《江户川乱步短篇集(日版)》@txtnovel.com.txt

すんで、十三日の午後の第一回の配達の分を取り出した中に、その脅迫状がまじっており

ました」

「何者がそれを投げ込んだかという点も」伯父がつけ加えました。「交番の警官などにもた

ずねてみたり、いろいろ調べたが、さっぱりわからないのです」

明智はここでしばらく考え込みました。彼はこれらの意味のない問答のうちから、何物

かを発見しようとして苦しんでいる様子でした。

「で、それからどうなさいました」

やがて顔を上げた明智が話の先をうながしました。

「わしはよほど警察沙汰にしてやろうかと思いましたが、たとえ一片のおどし文句にもせ

よ、娘の生命をとると言われては、そうもなりかねる。そこへ、家内もたって止めるもの

ですから、可愛い娘には替えられぬと観念して、残念だが一万円出すことにしました。

脅迫状の指定は今もいう通り、十五日の午後十一時、T原の一本松までということで、

わしは少し早目に用意をして、百円礼で一万円、白紙に包んだのを懐中し、脅迫状には必

ず一人でくるようにとありましたが、家内がばかに心配してすすめますし、それに書生の

一人ぐらいつれて行ったって、まさか賊の邪魔にもなるまいと思ったので、もしもの場合

の護衛役としてこの牧田をつれて、あの淋しい場所へ出掛けました。笑ってください。わ

しはこの年になってはじめてピストルというものを買いましたよ。そしてそれを牧田に持

たせておいたのです」

伯父はそういって苦笑いをしました。私は当夜の物々しい光景を想像して思わずふき出

しそうになるのを、やっとこらえました。この大男の伯父が、世にもみすぼらしい小男の

しかも幾ぶん愚鈍な牧田を従えて、闇夜の中をおずおずと現場へ進んで行った、珍妙な様

子が眼に見えるようです。

「あのT原の四、五丁手前で自動車をおりると、わしは懐中電燈で道を照らしながら、や

っと一本松の下までたどりつきました。牧田は、闇のことで見つかる心配はなかったけれ

ど、なるべく|木《こ》|陰《かげ》をつたうようにして、五、六間の間隔でわしのあと

からついてきました。ご承知の通り一本松のまわりは一帯の灌木林で、どこに賊が隠れて

いるやらわからぬので、可なり気味がわるい。が、わしはじっと辛抱してそこに立ってい

ました。さあ三十分も待ったでしょうかな。牧田、お前はあのあいだどうしていたっけな

あ」

「はあ、ご主人の所から十間ぐらいもありましたかと思いますが、繁みの中に腹這いにな

って、ピストルの引金に指をかけて、じっとご主人の懐中電燈の光を見詰めておりました。

ずいぶん長うございました。私は二、三時間も待ったような気がいたします」

「で、賊はどの方角から参りました?」

明智が熱心に訊ねました。彼は少なからず興奮している様子です。と言いますのは、ソ

ラ、例の頭の毛をモジャモジャと指でかきまわす癖がはじまったのでわかります。

「賊は原っぱの方から来たようです。つまりわれわれが通って行った路とは反対のほうか

ら現われたのです」

「どんなふうをしていました」

「よくはわからなかったが、なんでもまっ黒な着物を着ていたようです。頭から足の先ま

でまっ黒で、ただ顔の一部分だけが、闇の中にほの白く見えていました。それというのが、

わしはそのとき賊に遠慮して懐中電燈を消してしまったのでね。だが、非常に背の高い男

だったことだけは間違いない。わしはこれで五尺五寸あるのですが、その男はわしよりも

二三寸も高かったようです」

「何か言いましたか」

「だんまりですよ。わしの前までくると、一方の手でピストルをさしむけながら、もう一

方の手をぐっと突き出したもんです。で、わしも無言で金の包みを手渡ししました。そし

て、娘の事を言おうとして、口をききかけると、賊のやつやにわに人差指を口の前に立て

て、底力のこもった声でシーッというのです。わしはだまってろという合図だと思って何

も言いませんでした」

「それからどうしました」

「それっきりですよ。賊はピストルをわしの方に向けたまま、あとじさりにだんだん遠ざ

かって行って、林の中に見えなくなってしまったのです。わしはしばらく身動きもできな

いで立ちすくんでいましたが、そうしていても際限がないので、うしろの方を振り向いて

小声で牧田を呼びました。すると、牧田は繁みからごそごそ出てきて、もう行きましたか

とビクビクもので聞くのです」

「牧田さんの隠れていたところからも賊の姿は見えましたか」

「はあ、暗いのと樹が茂っていたために、姿は見えませんでしたが、何かこう賊の足音の

ようなものを聞いたかと思います」

「それからどうしました」

「で、わしはもう帰ろうというと、牧田が賊の足跡を検べてみようというのです。つまり

あとになって警察に教えてやれば非常な手懸りになるだろうという意見でね。そうだった

ね牧田」

「はあ」

「足跡が見つかりましたか」

「それがね」伯父は変な顔つきをして言うのです。「わしはどうも不思議でしようがないの

ですて。賊の足跡というものがなかったのです。これは決してわしたちの見誤まりではな

いので、きのうも刑事が検べに行ったそうですが、淋しい場所でその後人も通らなかった

とみえ、わしたち両人の足跡はちゃんと残っているのに、そのほかの足跡は一つもないと

いうことでした」

「ほう、それは非常に面白いですね。もう少しく詳しくお話し願えませんでしょうか」

「地面の現われているのは、あの一本松の真下の所だけで、そのまわりには落葉がたまっ

ていたり、草がはえていたりして、足跡はつかないわけですが、その地面の現われている

部分には、わしの下駄と牧田の靴の跡しか残っていないのです。ところが、わしの立って

いた所へきて金包みを受取るためには、どうしたって賊はその足跡の残るような部分へ立

ち入っていなければならないのに、それがない。わしの立っていた地面から草のはえてい

る所までは、一ばん短いので二|間《けん》は充分あったのですからね」

「そこには何か動物の足跡のようなものはありませんでしたか」

明智が意味ありげに訊ねました。伯父はけげんな顔をして、

「え、動物ですって」

と聞き返します。

「例えば、馬の足跡とか犬の足跡とかいうようなものです」

私はこの問答を聞いて、ずっと以前にストランド.マガジンか何かで読んだ一つの犯罪

物語を想い浮かべました。それは或る男が、馬の蹄鉄を靴の底につけて犯罪の場所へ往復

したために、殺人の嫌疑を免れたという話でした。明智もきっとそんな事を考えていたの

に違いありません。

「さあ、そこまではわしも気がつかなかったが、牧田お前覚えていないかね」

「はあ、どうもよく覚えませんですが、たぶんそんなものはなかったようでございます」

明智はここでまた黙想をはじめました。

私は最初伯父から話を聞いた時にも思ったことですが、今度の事件の中心は、この賊の

足跡のないという点にあるのです。それは実に一種無気味な事実でした。

長いあいだ沈黙がつづきました。

「しかし何はともあれ」やがてまた伯父が話しはじめます。「これで事件は落着したのだと

わしは大いに安心して帰宅しました。そして翌日は娘が帰ってくるものと信じていました。

偉い賊になればなるほど、約束などは必ず守る、一種の泥棒道徳というようなものがある

ことをかねて聞き及んでいたので、まさか嘘はいうまいと安心しておりました。ところが

どうでしょう、きょうでもう四日目になるのに娘は帰ってこない。実に言語道断です。た

まりかねて、わしはきのう警察に委細を届け出ました。けれども、警察はどうも、事件の

多い中のことで、余り当てにもなりません。ちょうど幸い甥があんたとお心安いというの

で、実は大いに頼みにして御足労を願ったような次第で……」

これで伯父の話は終りました。明智は更にいろいろ細かい点について巧みな質問をして、

一つ一つ事実を確かめて行きました。

「ところで」明智は最後に訊ねました。「近頃お嬢さんの所へ、何か疑わしい手紙のような

ものでも参っていないでしょうか」

これには伯母が答えました。

「私どもでは娘の所へ参りました手紙類は、必ず一応私が眼を通すことにしておりますの

で、怪しいものがあればじきにわかるはずでございますが、さようでございますね、近頃

べつにこれといって……」

「いや、ごくつまらないような事でも結構です。どうかお気づきの点をご遠慮なくお話し

願いたいのですが」

明智は伯母の口調から何か感じたのでしょう、畳みかけるように訊ねました。

「でも、今度の事件にはたぶん関係のないことでしょうと存じますが……」

「ともかくお話なすってみてください。そういうところに往々思わぬ手掛りがあるもので

す。どうか」

「では申し上げますが、一と月ばかり前から娘の所へ、私どものいっこう聞き覚えのない

お名前のかたから、ちょくちょく葉書が参るのでございますよ。いつでしたか、一度私は

娘に、これは学校時代のお友だちですかって聞いてみたことがございましたが、娘は、え

えと答えはいたしましたものの、どうやら何か隠している様子なのでございます。私も妙

に存じまして、一度よく糺してみようと考えていますうちに、今度の出来事でございまし

ょう。もうそんな些細なことはすっかり忘れておりましたのですが、お言葉でふとおもい

出したことがございます。と申しますのは、娘がかどわかされますちょうど前日に、その

変な葉書が参っているのでございますよ」

「では、それをいちど拝見願えませんでしょうか」

「よろしゅうございます。たぶん娘の手文庫の中にございましょうから」

そうして伯母は問題の葉書というのを探し出してきました。見ると日付は伯母の言った

通り十二日で、差出人は匿名なのでしょう、ただ「やよい」となっています。そして市内

の某局の消印がおされていました。文面はこの話の冒頭に掲げておきました「一度おうか

がい云々」のあれです。

私もその葉書を手に取って充分吟味してみましたが、なんの変てつもない、いかにも少

女らしい|要《よう》でもない文句を並べたものにすぎません。ところが、明智は何を思

ったのか、さも一大事という調子で、その葉書をしばらく拝借して行きたいと言うではあ

りませんか。もちろん拒むべき事でもなく、伯父は即座に承諾しましたが、私には明智の

考えがちっともわからないのです。

こうして明智の質問はようやく終りを告げましたが、伯父は待ちかねたように彼の意見

を問うのでした。すると、明智は考え考え次のように答えました。

「いや、お話を伺っただけでは別段これという意見も立ちかねますが……ともかくやって

みましょう。ひょっとしたら、二、三日のうちにお嬢さんをお連れすることができるかも

しれません」

さて、伯父の家を辞した私たちは、肩を並べて帰途についたことですが、その折、私が

いろいろ言葉を構えて明智の考えを聞き出そうと試みたのに対して、彼はただ、捜査方針

の一端をにぎったにすぎないと答え、そのいわゆる捜査方針については、一とことも打ち

明けませんでした。

その翌日、私は朝食をすませますと、直ぐに明智の宿を訪ねました。彼がどんなふうに

この事件を解決して行くか、その径路を知りたくてたまらなかったからです。

私は例の書物の山の中に埋没して、得意の瞑想にふけっている彼を想像しながら、心安

い間柄なので、ちょっと煙草屋のおかみさんに声をかけて、いきなり明智の部屋への階段

を上がろうとしますと、

「あら、きょうはいらっしゃいませんよ。珍らしく朝早くからどっかへお出かけになりま

したの」

といって呼び止められました。驚いて行先を訊ねますと、別に言い残してないというこ

とです。

さてはもう活動をはじめたかしら、それにしても朝寝坊の彼が、こんなに早くから外出

するというのは、あまり例のないことだと思いながら、私は一と先ず下宿へ帰りましたが、

どうも気になるものですから、少しあいだをおいて、二度も三度も明智を訪問したことで

す。ところが、何度行ってみても彼は帰っていないのです。そして、とうとう翌日の昼ご

ろまで待ちましたが、彼はまだ姿を見せないではありませんか。私は少々心配になってき

ました。宿のおかみさんも非常に心配して、明智の部屋に何か書き残してないか調べてみ

たりしましたが、そういうものもありません。

私は一応伯父の耳に入れておく方がいいと思いましたので、早速彼の屋敷を訪ねました。

伯父夫妻は相変らずお題目を唱えてお祖師様を念じていましたが、事情を話しますと、そ

れは大変だ。明智までも賊の虜になってしまったのではあるまいか。探偵を依頼したのだ

から、こちらにも充分責任がある。もしやそんなことがあったら明智の親許に対してもな

んとも申しわけがないと言って騒ぎ出す始末です。私は明智に限って|万《ばん》|々《ば

ん》へまなまねはしまいと信じていましたが、こう周囲で騒がれては、心配しないわけに

はいきません。どうしよう、どうしようといううちに時間がたつばかりです。

ところが、その日の午後になって、私たちが伯父の家の茶の間へ集まって、小田原評定

をやっているところへ、一通の電報が配達されました。

フミコサンドウコウイマタツ

それは意外にも明智が千葉から打ったものでした。私たちは思わず歓呼の声を上げまし

た。明智も無事だ。娘も帰る。打ちしめっていた一家は、にわかに陽気にざわめいて、ま

るで花嫁でも迎える騒ぎです。

そうして、待ちかねた私たちの前に、明智のニコニコ顔が現われたのは、もう日暮れご

ろでした。見ると幾ぶん面やつれのした富美子が彼のあとに従っていました。ともかく疲

れているだろうからという伯母の心づかいで、富美子だけは居間に|退《しりぞ》き床に

ついた様子でしたが、私たちの前にはお祝いとあって、用意の酒肴がはこばれる。伯父夫

妻は明智の手を取らんばかりにして、上座にすえ、お礼の百万遍を並べるという騒ぎでし

た。無理もありません。国家の警察力をもってしても、長いあいだどうすることもできな

かった「黒手組」です。いかに明智が探偵の名人だからといって、そうやすやすと娘が取

り戻せようとは、誰にしたって思いもかけなかったのです。それがどうでしょう。明智は

たった一人の力でやってのけたではありませんか。伯父夫妻が凱旋将軍でも迎えるように

歓待したのは、ほんとうにもっともなことです。彼はまあなんという驚くべき男なのでし

ょう。さすがの私も、今度こそすっかり参ってしまいました。そこで、皆がこの大探偵の

冒険談を聞こうとつめよったものです。黒手組の正体は果たして何者でしょう。

「非常に残念ですが、何もお話しできないのです」明智が少し困ったような顔をして言い

ました。「いくら私が無謀でも、単身であの兇賊を逮捕するわけにはいきません。私はいろ

いろ考えた結果、極くおだやかにお嬢さんを取り戻す工夫をしたのです。つまり、賊の方

から|熨《の》|斗《し》をつけて返上させるといった方法ですね。で、私と『黒手組』

とのあいだにこういう約束が取りかわされたのです。すなわち、『黒手組』の方ではお嬢さ

んも身代金の一万円も返すこと、そして、将来ともお宅に対しては絶対に手出しをしない

こと、私の方では、『黒手組』に関しては一切口外しないこと、そして、将来とも『黒手組』

逮捕の助力など絶対にやらぬこと、こういうのです。私としてはお宅の損害を回復しさえ

すれば、それで役目がすむのですから、下手をやって虻蜂とらずに終るよりはと思って、

賊の申し出を承知して帰ったような次第です。そういうわけですから、どうかお嬢さんに

も『黒手組』については一切おたずねなさいませんように……で、これが例の一万円です。

確かにお渡しします」

そういって彼は白紙に包んだものを伯父に手渡しました。折角楽しみにしていた探偵談

を聞くことができないのです。しかし私は失望しませんでした。それは伯父や伯母には話

せないかもしれませんが、いくら固い約束だからといって、親友の私だけには打ち明けて

くれるだろう。そう考えますと、私は酒宴の終るのが待ち遠しくてしようがありません。

伯父夫妻としては、自分の一家さえ安全なら、賊が逮捕されようとされまいと、そんな

ことは問題ではないのですから、ただもう明智への礼心で、賑やかな杯の献酬がはじめら

れました。あまり酒のいけぬ明智はじきにまっ赤になってしまって、いつものニコニコ顔

を更に笑みくずしています。罪のない雑談に花が咲いて、陽気な笑い声が座敷一杯にひろ

がります。その席でどんなことが話されたか、それはここにしるす必要もありませんが、

ただ次の会話だけはちょっと読者諸君の興味をひきはしないかと思います。

「いやもう、あんたは全く娘の命の親です。わしはここで誓っときます。将来ともあんた

のお頼みならどんな無理なことでもきっと承知するということをね。どうです。さし当り

何かお望みくださることでもありませんかな」

伯父は明智に杯をさしながら、恵美須様のような顔をして言いました。

「それは有難いですね」明智が答えます。「例えばどうでしょう。私の友人の或る男が、お

嬢さんに大変こがれているのですが、その男にお嬢さんを頂戴するというような望みでも

構いませんでしょうか」

「ハハハハハハ、あんたもなかなか隅に置けない。いや、あんたが先の人物さえ保証して

くださりゃ、娘をさし上げまいものでもありませんよ」

伯父はまんざら冗談でもない様子で言いました。

「その友人はクリスチャンなんですが、この点はどうでしょう」

明智の言葉は座興にしては少し真剣すぎるように思われます。日蓮宗に凝り固まってい

る伯父は、ちょっといやな顔をしましたが、

「よろしい。わしはいったい耶蘇教は大嫌いですが、ほかならんあんたのお頼みとあれば、

一つ考えてみましょう」

「いやありがとう。きっといつかお願いに上がりますよ。どうか今のお言葉をお忘れない

ように願います」

この一とくさりの会話は、ちょっと妙な感じのものでした。座興と見ればそうとも考え

られますが、真剣な話と思えば、又そうらしくもあるのです。ふと私は、バリモアの芝居

では、あのシャーロック.ホームズが、事件で知合いになった娘と恋におちいり、ついに

結婚する筋になっているのを思い出して、密かにほほ笑みました。

伯父はいつまでも引き止めようとしましたが、余り長くなりますので、やがて私たちは

暇をつげることにしました。伯父は明智を玄関まで送り出して、お礼の寸志だと言いなが

ら、彼が辞退するのも聞かないで、無理に二千円の金包みを明智の懐へ押し込みました。

隠れたる事実

「君、いくら『黒手組』との約束だって、僕にだけは様子を話してくれたっていいだろう」

私は伯父の家の門を出るのを待ちかねて、こう明智に問いかけたものです。

「ああ、いいとも」彼は案外たやすく承知しました。「じゃ、コーヒーでも飲みながら、ゆ

っくり話そうじゃないか」

そこで、私たちは一軒のカフェーにはいり、奥まったテーブルを選んで席につきました。

「今度の事件の出発点はね。あの足跡のなかったという事実だよ」

明智はコーヒーを命じておいて、探偵談の口を切りました。

「あれには少なくとも六つの可能な場合がある。第一は伯父さんや刑事が賊の足跡を見落

としたという解釈、賊は例えば獣類とか鳥類とかの足跡をつけてわれわれの眼を欺瞞する

ことができるからね。第二は、これは少し突飛な想像かもしれないが、賊が何かにぶら下

がるか、それとも綱渡りでもするか、とにかく足跡のつかぬ方法で現場へやってきたとい

う解釈、第三は伯父さんか牧田かが賊の足跡をふみ消してしまったという解釈、第四は偶

然賊の履物と伯父さん又は牧田の履物と同じだったという解釈、この四つは現場を綿密に

検べてみたらわかる事柄だ。それから第五は、賊が現場へこなかった、つまり伯父さんが

何かの必要から独り芝居を演じたのだという解釈、第六は牧田と賊とが同一人物だったと

いう解釈、この六つだ。

「僕はともかく現場を検べてみる必要を感じたので、あの翌朝、早速T原へ行ってみた。

もしそこで第一から第四までの痕跡を発見することができなかったら、さしずめ第五と第

六の場合が残るばかりだから、非常に捜査範囲をせばめることができるわけだ。ところが

ね、僕は現場で一つの発見をしたんだ。警察の連中は大変な見落としをやっていたのだよ。

というのは、地面にたくさん、なんだかこう尖ったもので突いたような跡があるんだ。も

っともそれは伯父さんたちの足跡(といっても大部分は牧田の下駄の跡)の下に隠れてい

て、ちょっと見たんではわからないのだがね。僕はそれを見ていろいろ想像をめぐらして

いるうちに、ふとある事をおもい出した。天来の妙音とでもいうか、実にすばらしい考え

なんだよ。それはね、書生の牧田が小さなからだに似合わない太い黒メリンスの兵児帯を、

大きな結び目をこしらえて締めているだろう。うしろから見るとちょっと滑稽な感じだね。

僕は偶然あれを覚えていたんだ。これでもう僕には何もかもわかってしまったような気が

したよ」

明智はこう言ってコーヒーを一と口なめました。そして、なんだかじらすような眼つき

をして私を眺めるのです。しかし、私には残念ながらまだ彼の推理の跡をたどる力があり

ません。

「で、結局どうなんだい」

私はくやしまぎれにどなりました。

「つまりね、さっきいった六つの解釈のうち、第三と第六とが当っているんだ。言い換え

ると、書生の牧田と賊とが同一人物だったのさ」

「牧田だって」私は思わず叫びました。「それは不合理だよ。あんな愚かな、それに正直者

で通っている男が……」

「それじゃあね」明智は落ついて言うのです。「君が不合理だと思う点を一つ一つ言ってみ

たまえ。答えるから」

「数えきれぬほどあるよ」

私はしばらく考えてから言いました。

「第一、伯父は賊が大男の彼よりも二、三寸も背が高かったといっている。そうすると五

尺七、八寸はあったはずだ。ところが牧田は反対にあんな小っぽけな男じゃないか」

「反対もこう極端になるとちょっと疑ってみる必要があるよ。一方は日本人としては珍ら

しい大男で、一方は畸形に近い小男だね。これは、いかにもあざやかな対照だ。惜しいこ

とに少しあざやか過ぎたよ。もし牧田がもう少し短い竹馬を使ったら、かえって僕は迷わ

されたかもしれない。ハハハハハハ、わかるだろう。彼はね。竹馬を短くしたようなもの

をあらかじめ現場に隠しておいて、それを手で持つ代りに両足に縛りつけて用を弁じたん

だよ。闇夜でしかも伯父さんからは十間も離れていたんだから、何をしたってわかりやし

ない。そして、賊の役目を勤めたあとで、今度は竹馬の跡を消すために、わざと賊の足跡

を調べまわったりなんかしたのさ」

「そんな子供だましみたいなことを、どうして伯父が看破できなかったのだろう。第一、

賊は黒い着物だったというのに、牧田はいつも白っぽい田舎縞を着ているじゃないか」

「それが例のメリンスの兵児帯なんだ。実にうまい考えだろう。あの大幅の黒いメリンス

をグルグルと頭から足の先までまきつけりゃ、牧田の小さなからだぐらいわけなく隠れて

しまうからね」

あんまり簡単な事実なので、私はすっかりばかにされたような気がしました。

「それじゃ、あの牧田が『黒手組』の手先を勤めていたとでもいうのかい。どうもおかし

いね。黒手……」

「おや、まだそんな事を考えているのか、君にも似合わない、ちときょうは頭が鈍ってい

るようだね。伯父さんにしろ、警察にしろ、はては君までも、すっかり、『黒手組』恐怖症

にとっつかれているんだからね。まあ、それも時節がら無理もない話だけれど、もし君が

いつものように冷静でいたら、なにも僕を待つまでもなく、君の手で充分今度の事件は解

決できただろうよ。これには『黒手組』なんてまるで関係がないんだ」

なるほど、私は頭がどうかしていたのかもしれません。こうして明智の説明を聞けば聞

くほど、かえって真相がわからなくなってくるのです。無数の疑問が、頭の中でゴッチャ

になって、こんぐらがって、何から訊ねていいのかわからないくらいです。

「じゃあ、さっき君は、『黒手組』と約束したなんて、なぜあんなでたらめをいったのだい。

第一わからないのは、もし牧田の仕業とすれば、彼をだまってほうっておくのも変じゃな

いか。それから、牧田はあんな男で、富美子を誘拐したり、それを、数日のあいだも隠し

ておいたりする力がありそうにも思われぬし。現に富美子が家を出た日には、彼は終日伯

父の屋敷にいて、一歩もそとへ出なかったというではないか。いったい牧田みたいな男に、

こんな大仕事ができるものだろうか。それから……」

「疑問百出だね。だがね、もし君がこの葉書の暗号文を解いていたら、少なくともこれが

暗号文だということを看破していたら、そんなに不思議がらないですんだろうよ」

明智はこういって、いつかの日、伯父のところから借りてきた例の「やよい」という署

名の葉書を取り出しました。(読者諸君、はなはだご面倒ですが、どうかもう一度冒頭のあ

の文面を読み返してください)

「もしもこの暗号文がなかったら、僕はとても牧田を疑う気になれなかったに違いない。

だから、今度の発見の出発点はこの葉書だったといってもいいわけだ。しかもこれが暗号

文だと最初からハッキリわかっていたのではない。ただ疑ってみたんだ。疑ったわけはね、

この葉書が富美子さんのいなくなるちょうど前日にきていたこと、手跡がうまくごまかし

てあるがどうやら男らしいこと、富美子さんがこれについて聞かれたとき、妙なそぶりを

示したことなどもあったが、それよりもね、これを見たまえ、まるで原稿用紙へでも書い

たように各行十八字詰めに実に綺麗に書いてある。で、ここへ横にずっと線を引いてみる

んだ」

彼はそう言いながら、鉛筆を取り出して、ちょうど原稿用紙の横線のようなものを引き

ました。

「こうするとよくわかる。この線にそってずっと横に眼を通してみたまえ。どの列も半分

ぐらい仮名がまじっているだろう。ところがたった一つの例外がある。それは、この一ば

んはじめの線に沿った各行の第一字目だ、漢字ばかりじゃないか。

[#ここから2字下げ]

一好割此外叮袋自叱歌切

[#ここで字下げ終わり]

「ね、そうだろう」彼は鉛筆でそれを横にたどりながら説明するのです。「これはどうも偶

然にしては変だ。男の文章ならともかく、全体として仮名の方がずっと多い女の文章に、

一列だけ、こんなにうまく漢字の揃うはずがないからね。とにかく僕は研究してみるねう

ちがあると思ったのだ。あの晩帰ってから一所懸命考えた。幸い、以前暗号についてはち

ょっと研究したことがあるので、結局、解けたことは解けたがね。一つやってみようか。

先ずこの漢字の一列を拾い出して考えるんだ。しかしこのままではおみくじの文句みたい

で、いっこう意味がない。何か漢詩か経文などに関係していないかと思って調べてみたが、

そうでもない。いろいろやっているうちに、僕はふと二字だけ抹消した文字のあるのに気

づいた。こんなに綺麗に書いた文章の中に汚ない消しがあるのはちょっと変だからね。し

かもそれが二つとも第二字目なんだ。僕は自分の経験で知っているが、日本語で暗号文を

作るとき、一ばん困るのは濁音半濁音の始末だよ。でね、抹消文字はその上に位する漢字

の濁音を示すための細工じゃないかと考えたんだ。果たしてそうだとすると、この漢字は

おのおの一字ずつの仮名を代表するものでなければならない。それから、紙を何枚も何枚

も書きつぶして、ずいぶん考えたが、とうとう解読することができた。つまりこれは漢字

の字画がキイなんだよ。それも|偏《へん》と|旁《つくり》を別々に勘定するんだ。例

えば『好』は偏が三画で旁が三画だから33という組合わせになる。で、それを表にして

みるとこうだ。この中に一つ当て字がある。『叮嚀』は、ほんとうは『丁寧』だが、それで

は暗号にぐわいがわるいので、わざと当て字を使ったんだね」

彼は手帳を出して左のような表を書きました。

[#ここから2字下げ]

旁 3 2 2 2 2 2 4 2

偏1 3 10 4 3 3 11 6 3 102

一 好 割 此 外 叮 袋 自 叱 歌 切

[#ここで字下げ終わり]

「この数字を見ると、偏の方は十一まで、旁の方は四までしかない。これが何かの数に符

合しやしないか。例えばアイウエオ五十音をどうかいうふうに配列した場合の順序を示す

ものではあるまいか。ところが、アカサタナハマヤラワンと並べてみると、その数はちょ

うど十一だ。こいつは偶然かもしれないが、まあやってみよう。偏の画の数はアカサタナ

すなわち子音の順序を示し、旁の画の数はアイウエオすなわち母音の順序を示すものと仮

定するのだ。すると『一』は一画で旁がないからア行の第一字目すなわち『ア』となり、

『好』は偏が三画だからサ行で、旁が三画だから第三字目の『ス』だ。こうして当てはめ

て行くと、

「アスヰチジシンバシヱキ」

となる。『ヰ』と『ヱ』はあて字だろう。『ハ』は偏が六で旁が一でなければならないが、

適当な字が見当らなかったので、偏だけでごまかしておいたのだろう。果たして暗号だっ

た。ね、『明日一時新橋駅』。さて、年ごろの女のところへ暗号文で時間と場所を知らせて

くる。しかもそれがどうやら男の手跡らしい。この場合ほかに考え方があるだろうか。逢

引きの打合わせと見るほかにはね。そうなると、事件は『黒手組』らしくなくなってくる

じゃないか。少なくとも『黒手組』を捜索する前に一応この葉書の差出人を取り調べてみ

る必要があるだろう。ところが、葉書の主は富美子さんのほかに知っている者がない。ち

ょっと難関だね。しかし一とたびこれを牧田の行為と結びつけて考えてみると、疑問はた

ちまち解けるのだよ。というのは、もし富美子さんが自分で家出をしたものとすれば、両

親のところへ詫状の一本ぐらいよこしてもよさそうなものじゃないか。この点と、牧田が

郵便物を取りまとめる役目だということと結びつけると、ちょっと面白い筋書きが出来上

る。つまりこうだ。牧田がどうかして富美子さんの恋を感づいていたとするんだ。ああし

た不具者みたいな男のことで、その方の猜疑心は人一倍発達しているだろうからね。で、

彼は富美子さんからの手紙をにぎりつぶして、その代りに手製の『黒手組』の脅迫状を伯

父さんのところへさし出したという順序だ。これは脅迫状が郵便でこなかった点にもあて

はまる」

明智はここでちょっと言葉を切った。

「驚いた。だが……」

私がなおもさまざまの疑問について糺そうとすると、「まあ、待ちたまえ」彼はそれを押

えつけておいてつづけました。「僕は現場を検べると、その足で伯父さんの屋敷の門前へ行

って牧田の出てくるのを待ち伏せしていた。そして彼が使いにでも行くらしいふうで出て

きたのを、うまくごまかして、このカフェーへ連れ込んだ。ちょうど今僕らが坐っている

このテーブルだったよ。僕は彼が正直者だということは、はじめから君と同様に認めてい

たので、今度の事件の裏には何か深い事情がひそんでいるに違いないと睨んでいた。でね、

絶対に他言しないし、場合によっては相談相手になってやるからと安心させて、とうとう

白状させてしまったのだ。

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