饭饭TXT > 海外名作 > 《伯爵と妖精(日版)》作者:[日]谷瑞惠【1-3卷】 > 《伯爵と妖精(日版)》@txtnovel.com 第03卷 プロポーズはお手やわらかに.txt

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作者:日-谷瑞惠 当前章节:15424 字 更新时间:2026-6-16 07:18

「なら、あなたたちもプリンスと敵対してるってことわかってもらったら?」

「突然|襲《おそ》いかかってくるような奴に、説明する機会が? しかしまあ、プリンスに野放《のばな》しにされているくらいだから、たいした連中じゃないんだろう」

「でもエドガーさま、私のことを知っているなら、エドガーさまのことも知っているのではないでしょうか」

 立ち止まり、彼は考え込む。

「そうだな。用心しておこう」

 エドガーからすべてを奪い、とらえて奴隷《どれい》にしていたというプリンスとその組織は、アメリカにある。なんといっても大西洋の向こうだ。エドガーの居場所をつかむにも時間がかかるはずだし、その間に彼は、伯爵の位《くらい》を手に入れ、英国の社交界に確固《かっこ》とした位置を築き、誰にも手出しができないようにしようとしている。

 それだけでなく自分たちを苦しめた人物への復讐《ふくしゅう》をたくらんでいるふしもあるが、今のところは、勝ち取った自由な生活を謳歌《おうか》している。

 このまま彼らが、つらい過去も復讐も忘れてくれればいいとリディアは思っていたが、それは難しいことなのだろうか。

 まさか、敵の敵にまでねらわれるだなんて理不尽《りふじん》だ。

 流血|沙汰《ざた》に巻き込まれても、リディアがここを去れない理由のひとつは、彼らの今後が気がかりなのもあるかもしれない。

 フェアリードクターの仕事以外に何ができるわけでもないけれど、エドガーを伯爵にすることにかかわった以上、彼には伯爵家を盛り立てていってほしいと思う。

 それが領地に棲《ひそ》む妖精たちのためでもあるから、力になりたいのだ。

 考えながらリディアは、レイヴンが手に包帯を巻いているのに気がついた。

「レイヴン、怪我《けが》をしたの?」

「かすっただけです」

「あの、ごめんなさい。あたしがのしかかったりしたせいね」

 ふだんのレイヴンなら、ひとりを相手に怪我などするはずがないからだ。

 エドガーがちらりとこちらを見た。

「のしかかった? それはまた……。明日からは僕が練習相手をしようかな」

 エドガーにのしかかったら、と想像したリディアは、なんだかとんでもないことになりそうな気がしてあせった。

「あ、あなたじゃ気が散って練習にならないわよ」

「意識してくれてるってこと?」

「は……? そんなわけないでしょ! あなたのそういう下心がいやなの!」

「けどね、レイヴンにだって下心くらいあると思うよ。なあ?」

 返事を求められたレイヴンは、少し考え、「たぶん」ときまじめに答えた。

「で、どんな気分だった?」

「あーっ、もう! 何|訊《き》いてるのよ、やめてちょうだい!」

 リディアは赤くなって抗議する。エドガーはくすくす笑い、レイヴンは相変わらず無表情だ。

「リディアが恥ずかしがるから、あとでこっそり教えてくれ」

「はい」

「はいじゃないでしょ!」

 たった今誰かにねらわれてるとわかって、深刻な状況のはずなのに、どうしてこの人はこうも能天気《のうてんき》なの?

 信じられない思いでいっぱいになる。

 リディアはまた、どうしてこんな奴に雇われているのかと疑問を感じ始める。

 そこへ執事《しつじ》が、伝言を携《たずさ》えて現れた。

「旦那《だんな》さま、本物のダンス教師は、出かけ際《ぎわ》に玄関前の階段から突き落とされて足をくじいたそうで、当分ダンスは難しいとか。たった今使いの方がいらっしゃいました」

 ああ、とエドガーはため息に似た声を出す。

「計画的だったわけだ。トムキンス、新しいダンス教師をさっそく慎重《しんちょう》に選んでくれ」

「かしこまりました。それから、小さなお嬢《じょう》さんが伯爵さまはまだかとおっしゃっておりますが」

「そうだ、忘れていた」

 はっとリディアも顔をあげた。フェアリードクターとしての責任を思い出せば、エドガーに対する理不尽な気持ちはすっかり消し飛ぶ。

「マリーゴールド! あたしも忘れてたわ。エドガー、もう彼女に会ったの?」

「おや、きみの知り合い? まだ会っていないよ。トムキンスが取り次ぎに来たとたん、きみの悲鳴が聞こえたんだ」

「よかった! 会う前でよかったわ。エドガー、彼女は妖精なの。面倒なことになりそうだから、あたしもいっしょに話を聞くわ。それから、あなたは彼女が持ってきたものを、なんであろうと受け取っちゃだめよ」

 怪訝《けげん》そうな顔をしながらも、彼は頷《うなず》く。ソファに腰をおろすと執事に言った。

「お嬢さんをここへ呼んでくれ」

 ミス・マリーゴールドは、ついさっきの意気揚々《いきようよう》とした元気をすっかりなくし、やけに落ちこんだ様子で現れた。

「本当に妖精?」

 とエドガーはリディアにささやく。

「これ以上大人の姿にはなれないそうよ」

「残念だ。もう十年成長してくれないと、いくら僕でも口説《くど》くのをためらう」

 どうかしら。赤ん坊にだっていい顔しそうだわ。

 思った通り、けなげなあいさつをする小さな女の子をエドガーは淑女《しゅくじょ》扱いし、手を取って椅子《いす》にかけさせた。

「伯爵さま、お約束の品を、主人からことづかってまいりました。以前に主人が、あなたさまに結婚を申し込んだ際、所望《しょもう》されたものです」

「……結婚?」

 のみこめないらしいエドガーに、リディアが説明する。

「だから、あなたじゃなくて青騎士伯爵のご先祖が妖精に結婚を申し込まれたのよ」

「ああ、さっきのトムキンスの話か。……本当のことだったんだ。てことは、ミス・マリーゴールド、きみのご主人は妖精女王?」

「はい。月野原の女王でございます」

「美人?」

「それはもう……」

 乗り気になってどうするのよ。

 いやもちろん、エドガーが乗り気なら、リディアがこの結婚話を阻止《そし》する理由はないのだが。

「でも女王もその姿? ちょっと欲情できないかなあ」

「ご心配なく。その必要はございませんので」

「えっ、きみたちそういうのはナシ? それじゃあ何の楽しみも……」

「そういう問題じゃないの!」

 ほうっておいたらどんどん論点がずれそうだ。リディアは彼の腕をつねりながら、さっと割って入った。

「マリーゴールド、女王との約束をしたとき、伯爵は〝月〟を所望したはずよ。あなた、月を持ってきたって言うの?」

「はい。……でもそれが……、盗まれてしまったんです!」

 わっと彼女は泣き出した。

「盗まれたって? ひどい奴がいるものだな。お嬢さん、いきさつを聞かせてくれないか。力になれるかも……」

「エドガー、あなたは黙ってて」

 ぴしゃりと言って、リディアは少女に向き直る。

「女王のもとへお帰りなさい。盗まれたものは、月であるはずがないわ。夜空に月はちゃんとかかっているもの。だから伯爵は、女王と結婚はしないのよ」

「いいえ、本当に月を見つけたんです。空の月の方がにせ物でないと言いきれますか? だって女王さまが見つけた月は、ちゃんと満ち欠けするのですもの」

「それはめずらしい。見てみたいな」

 リディアが必死に追い返そうとしているのに、エドガーはまた能天気に口を出した。

「ええぜひお見せしたいですわ。きっと気に入って、主人との結婚を承諾《しょうだく》してくださると信じていました。なのに……、いつのまにかこんなものにすり替えられてしまっていて……。たった今、伯爵さまとの面会を待ちながら確かめようと取りだしてみたら」

 マリーゴールドが取りだしたのは、そのへんの小石に見えた。

「きっとあいつが盗んだんです。あのひどい妖精が……」

「妖精に盗まれたの? だったら、あたしたち人間が取り戻すのは無理ね」

 落胆《らくたん》しつつも、少女は頷く。妖精の事情に詳しいフェアリードクターといえど、人間と接点のないトラブルには介入《かいにゅう》の余地がない。

「道すがら声をかけられて、ああ、あのとき、〝月〟を見せたのがいけなかったんです」

 同情は感じるが、どうしようもない。

「ねえマリーゴールド、このまま帰るわけにいかないの?」

「女王さまにしかられます」

「でも盗まれたのならしかたがないわ。許してくださるわよ」

「その〝月〟を、またつくり出すとかできないのか?」

「つくり出す? あれは自然が奇跡の力で生み出す、とてもめずらしいもの……」

 と言いかけ、彼女ははっとしたように首を横に振る。

「いえ、月は月、この世に月はひとつだけです」

「ふうん、妖精女王って、ダイアナとかティタニアとか月の女神の名で語られるじゃないか。月の妖精なら、小さな月を自由につくり出すこともできるのかと」

「女王は月の妖精じゃなくて、月光の妖精って言った方が近いかしら。彼女たちみたいな小さな妖精の集団はね、周囲の草花や昆虫や小動物の化身《けしん》であってその場の風景を体現《たいげん》してるの。中でも高貴な妖精が、月を象徴する女王なのよ」

「そうなんだ。すばらしいね。きみは可憐《かれん》なマリーゴールド、シャムロックやデイジーもいるのかな? コオロギやキリギリスも?」

 ご機嫌な様子で、エドガーは続けた。

「すぐには帰りにくいだろうから、しばらくここにいたらどうだい? ねえリディア、妖精の客人《きゃくじん》なんてすてきじゃないか。女王には、〝月〟を取り返そうと手を尽くしたと言いわけもできるし」

 マリーゴールドは、少しばかりほっとしたように泣いていた顔をあげた。善良な野原の妖精だ。それくらいなら問題ないだろうとリディアも思う。

 エドガーの、妖精に対する危機感のあまさは少々気がかりだが、〝月〟を受け取りさえしなければ、妖精界に連れていかれることはない。

[#挿絵(img/moonstone_045.jpg)入る]

 その〝月〟がないのだというし。

 いつのまにか灰色の猫が、そばのテーブルに腰かけていた。ヒゲをひくひくと動かしながら、ニコは鼻をこする。

「いやな感じがするぞ」

 そう言って、テーブルの上に置かれた小石を一瞥《いちべつ》した。

「何なの? マリーゴールドをだました妖精のこと?」

「わかんねえけどさ、なんかいやな感じなんだ。それにこの石、苔《こけ》が生えてるぜ」

 苔、水の中にあった石。

 リディアも少々、いやな予感をおぼえた。

 まさかね、と自分に言い聞かせる。

「旦那《だんな》さま、さっきの先生の忘れ物はどういたしましょう」

 そこへ現れた執事《しつじ》の言葉に、ますます気分が滅入《めい》る。

 忘れ物、指が四本ばかり。リディアの目に焼き付いているそれが、ぱっと思い浮かぶのだからたまらない。

「きっと取りには来ないだろうからね。野良犬の餌《えさ》にでもするかい?」

 ほんの一瞬、エドガーの残酷《ざんこく》な方の一面がかいま見えると、ふとすべてが、悪い方へ向かって連鎖《れんさ》していくように感じ、リディアはその感覚を追い払うように頭を振った。

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  舞踏《ぶとう》会のひと騒動

 リディアの自宅、カールトン家は、伯爵《はくしゃく》家の舞踏《ぶとう》会に招待されると決まったその日から、急にあわただしくなっていた。

 妖精女王の〝月〟の行方《ゆくえ》も、プリンスを敵視する組織のことも、忘れるくらい忙しかった。

 その後何事もなく、じっさいリディアは、あのときのいやな予感さえ忘れかけていた。

 急いでドレスを仕立てねばならなくなり、靴や手袋や髪飾りをそろえ、ダンスと作法《さほう》をおぼえなければならなかったのだ。

 そもそもリディアは、正式な場に出られるようなドレスを持っていなかった。

 エドガーに連れまわされて出かけたオペラハウスや貴人宅には、伯爵家が用意してくれたドレスを着ていった。伯爵家付きのフェアリードクターを世間に認めてもらうため、仕事の一部だと言いくるめられて出かけたものだったからだ。

 今度の舞踏会もそのようなものだと思っていたが、正式に招待されるのに仕事の延長のつもりではいけないと、めずらしくきっぱりと言った父は、ひとり娘の支度《したく》のために奔走《ほんそう》してくれた。

 リディアの父は大学教授で、それなりに上流階級とのつきあいもあるが、にぎやかな場は苦手なので、よほど断れない相手からの招待をのぞいて社交界には出ていかない。

 けれども今回は、リディアに恥ずかしい思いをさせないためにもと、いっしょに行ってくれることになった。

 だからよけいに、慣れないことをしようとしているカールトン家は、大変なことになっているのだ。

 そうこうしているうちに、舞踏会の当日はやって来た。

 午後から床屋へ行って、いつもの適当なボサボサ頭をさっぱり整えてきたリディアの父は、仕立屋《したてや》の到着が遅いと、落ち着きなく何度も眼鏡《めがね》をはずしては拭《ふ》いていた。

 時間がなかったので、リディアのドレスの仕上がりは当日になってしまったのだ。

 結局、届いたのは夕方だったが、カールトン家の家政婦《ハウスキーパー》は手際《てぎわ》よく、リディアの身支度を整えるにはどうにか間にあった。

 白モスリンのドレスにはクリームイエローのリボンがかわいらしくあしらわれている。襟《えり》とスカートを飾るのは繊細《せんさい》な手編みのレースだ。

 いつもはおろしっぱなしの赤茶の髪を、きちんとカールして少女らしく結いあげる。フリージアをあしらった髪飾りをつけ、ひじまである手袋をつければ、ようやくできあがりだった。

 階下で父に呼ばれ、家政婦が出ていくと、リディアはできあがった姿を鏡で確かめながら、そこにいたニコに感想を求めた。

「ねえニコ、どう思う?」

「おれにわかるわけねえだろ」

 あくびをしながら、ニコは立ちあがった。

 人間たちの忙しさを、どうでもよさそうに眺めていたニコだが、新しいシルクのホワイトタイをしている。

 彼も舞踏会に行く気らしい。

「最初の舞踏会なら白がいいって仕立屋さんが言ったのよ。でもちょっと、明るすぎて落ち着かないかしら」

「いいんじゃねーの、若いんだから」

「白だったら染め直しもできるし、リボンやレースをつけ変えれば、何度でも新しいデザインに直せますって」

「何度も舞踏会に行くつもりかよ」

「夜会《やかい》の正装って、思ったより肩が出るのね」

「聞いてねーな?」

 鏡の前で体をずらし、リディアは後ろを確認する。

「ねえ、背中も開きすぎじゃない?」

「なんか結局、楽しそうだし」

 はっとリディアは我に返る。

「な、何言ってるのよ。これは義務よ、義務」

「べつに楽しめばいいじゃないか。田舎《いなか》の舞踏会とはくらべものにならないんだろ? 町の連中に自慢できるぞ」

 それはそう、舞踏会といえば女の子のあこがれだ。リディアだって例外ではない。

 故郷の田舎町でも、舞踏会は行われていた。中流階級《ミドルクラス》が主流の、本当にささやかなパーティだったけれど、町から出たこともない少女たちにとってはあこがれの対象だった。

 しかしリディアは、舞踏会に出かけたことはない。変わり者扱いされていたから、狭い町で顔見知りばかりの舞踏会に出かけても、楽しめないと思ったからだ。

 でもこれから行くのは、本物の舞踏会だ。おとぎ話のような夢のような、貴族の舞踏会。

 自分のダンスの腕前は、夢のようとはほど遠いけれど、エドガーに出会わなければあり得ない機会だった。華やかな雰囲気をせいぜい楽しんでこようと思う。

「そうね、どうせ行くなら楽しまなきゃ損ね」

「けどホント、知らない奴と踊らない方がいいぞ。そいつに恥《はじ》をかかせることになる」

 ずっとリディアの練習を見ていたニコがそう言うのだから、自分で思っているよりひどいのかもしれない。

 先生は、まあ大丈夫でしょう、と言ってくれたけれど、顔が引きつっていたような。

「じゃあ、エドガーにも遠慮してもらった方がいいかも」

 いっそその方がリディアは気楽だ。

「いいじゃないか。伯爵さまには日ごろのうっぷんをぶつけてやれよ」

 とニコは二本足で立ったまま、前足で猫パンチをしてみせた。

 どういう意味よ。

 階下から、今度はリディアを呼ぶ声がした。どうやら父が、まだネクタイを決められないらしい。

 今行くわと返事をしながら、リディアはすそを少し持ちあげる。

 スカートをふくらませるクリノリンを押さえつつ、戸口をくぐらなければならない。フォーマルなドレスで身動きするには、この家のドアも階段も狭すぎるということだ。

「おいおい、家の中でつっかえて身動きできなくなりそうだな」

 ニコがあきれた声でつぶやいた。

 箱馬車で伯爵邸へ着く頃には、邸宅《パレス》の玄関前にはすでに何台もの、紋章《もんしょう》つきの馬車が停まっていた。

 馬車から降りてくるのは、夜会服の着こなしも身についた紳士《しんし》淑女《しゅくじょ》ばかりだ。流れるように伯爵《はくしゃく》邸の玄関へすいこまれていく。

 リディアと父も馬車を降り、召使いに案内されて奥へと進む。

 いつも出入りしているはずのホールなのに、新しい絨毯《じゅうたん》と無数のランプと、花やクロスで飾られていれば、リディアは別世界へ迷い込んだような気がして、はしたなくもキョロキョロと見まわしてしまった。

 玄関ホールから続く弧《こ》を描いた大階段。そこをあがれば広間が目の前に開ける。広間につながるいくつもの部屋はすべて扉が開け放されていて、すでに着飾った人々の談笑でざわめいている。

 父に肩をたたかれ、ようやく視線をもどせば、目の前にエドガーがいた。

「伯爵、このたびはお招きにあずかりまして、恐れ入ります」

「ようこそ、カールトン教授、それからリディアお嬢《じょう》さん」

 そんなふうに呼びかけられると、今夜は、フェアリードクターではなくカールトン家の娘としてここへ来たのだと意識する。それだけの意識の違いかどうか、彼のことは見慣れているのに、微笑《ほほえ》みを向けられてどきりとした。

「こんばんは。……ロード・エドガー」

 いつものような軽口ではいけないと意識すると、急に距離を感じるのだから奇妙なものだ。

「ゆっくりと楽しんでいってくださいね」

 そう言っただけで、彼の視線はリディアと父から離れる。

 次から次へやって来る招待客を迎えなければならず、リディアだけにかまっている場合ではないのだ。彼からそれ以上言葉をかけてもらうのは無理だと気づき、もう少し何か言ってもらえると期待をしていたらしい自分に驚かされた。

 立ち去ろうとしたとき、軽く腕をつかまれた。エドガーは密会の手紙でも渡すように、そっとリディアの手に、コーラルピンクの薔薇《ばら》を落とす。

「ドレスの襟元《えりもと》に飾って」

 耳元でささやかれ、ふと父に対して秘密を持ったような、そんな気持ちにさせられたリディアは、振り返った父の視線から薔薇の花を隠していた。

「リディア?」

「な、なんでもないわ、父さま。……ちょっと飲み物をもらってきてもいいかしら」

「ああ、私はメースフィールド公爵《こうしゃく》にあいさつしてくるよ」

 父と離れ、人込みに紛《まぎ》れ込んだリディアは、ほっと息をついた。

「動揺してどうするのよ」

 エドガーの思わせぶりな言動はいつものことだ。

 だいたい、薔薇を襟に飾れだなんて、ドレスに飾り気が足りないってことなのかしら。

 あらためてあたりを見回すと、女性たちはみんな艶《あで》やかだ。自宅では豪華に見えたドレスも、大輪の花が咲き乱れるここでは、たしかに地味なくらいだった。

 窓ガラスを鏡代わりに、きれいにとげを抜かれた薔薇を襟元に挿《さ》してみる。

 豪華な宝石などないだけに、そっけなかった襟元が少しは華やかに見えるかもしれない。

 襟のフリルを整えながらリディアは、ふと視線を感じるような気がして顔をあげた。何人かの女性が、さりげなく視線をそらした、ように思えたのは気のせいだろうか。

 あたし、何かおかしいのかしら。

 父の姿を探そうとし、給仕《きゅうじ》をつとめているレイヴンに気づく。リディアの方へやって来ると、彼はグラスを差し出す。

「お飲物は?」

「あ、ありがと……。ねえレイヴン、あたしのドレス、変?」

「わかりません」

 と彼は即答した。

 訊《き》く相手を間違ったようだ。

「すみません、間違えました。とてもおきれいです」

「……そう言えってエドガーに?」

「はい」

 はいって、どうなのよ。

 このずれたやりとりに、すぐそばでクスクス笑う声があった。

「少しも変じゃありませんよ」

 そう言ったのは、たまたま近くにいたらしい青年だ。

「なんてぼくが言うのもなんですけど。こういう舞踏《ぶとう》会ははじめてなもので」

 やさしそうな瞳だった。

「アシェンバート伯爵が、気さくに誘ってくださったので来てみたんですけど、やっぱり場違いだったかなと心配しているくらいで」

 自分の、少しくたびれたイブニングコートをつまんでみせる。

 レイヴンは忙しいらしく、さっさといなくなってしまったが、リディアは、舞踏会がはじめてだという青年に親近感をおぼえ、自然に笑顔を向けることができた。

「あたしもはじめてなんです」

 見るからに人のよさそうな、まじめそうな印象だった。薄茶のくせ毛は無造作《むぞうさ》にのびたままだが、リディアには気取ったところがない人に見える。

 上流階級《アッパークラス》ではなさそうだし、エドガーが直接声をかけたなら、個人的に気に入っている人なのだろう。

「でもお嬢さん、あなたとても注目されてますよ。伯爵とダンスを約束しているでしょう?」

「え?」

 ドレスの襟に飾った薔薇を、彼は指さした。

「今夜の、アシェンバート伯爵とおそろいだ」

 そういえば、エドガーのボタンホールもこの薔薇だったような。

「その花、うら若き令嬢《れいじょう》たちのあこがれの目を集めてますよ。紳士諸君も気にしてるかな。誘いたくても気が引けるでしょうね。あなたが伯爵だけに夢中だとすれば」

 そういう意味なの?

 だったら誰にも誘ってもらえないじゃない。

 ちょっとくらいは、そういうできごとも期待していなかったこともない。

 目と目があって、引き寄せられるように言葉をかわす、なんて夢みたいなことも、ひょっとしたらと考えた。

 この薔薇捨ててやろうかしらと思う。でも誘われてむやみに踊ったりしたら、相手に恥をかかせてしまうかもしれない。そういう意味でもエドガーの計算が働いているのだろうか。

 主催する舞踏会を、めちゃくちゃにされたくはないだろうし。

 やっぱり現実はきびしいのねと、リディアはため息をつく。

 ともかく、人に見られているような気がしたのはこの花のせいだったようだ。

「あの、あたし、伯爵とは知り合いだけど、そういうんじゃないんです。ダンスが下手《へた》だから、踊らなくてすむようにってことだと思います」

「ダンスが苦手? ぼくもですよ。踊れないもんだから、誘わなくても失礼に当たらないだろうあなたに、話しかけていられるわけです」

 くす、とリディアが笑うと、彼も微笑んだ。

「ああ、申し遅れました。ぼくはポール・ファーマンといいます。駆け出しの画家なんです」

「もしかして、あのティタニアを描いた方?」

「ご覧になったんですか? それは名乗らない方がよかったかな……。絵のイメージと違うって女性にはよく言われるんです。繊細《せんさい》で神経質なタイプだと思われるみたいで」

「そんなこと。あたしは会ってみたいと思ってました。あ、あたし、リディア・カールトンです」

「ミス・カールトン、妖精はお好きなんですか?」

 好きというより、見えるし声が聞こえるし、日々妖精と接している。

 なんて言ったら、妖精画家でも変な娘だと思うかしら。

「ええ、まあ」

 退《ひ》かれたくないから、よけいなことは言わないでおく。

「妖精も神話の神々も、ぼくにとってはイマジネーションの源《みなもと》です。誰も見たことがないからこそ、自由に想像力を羽ばたかせられる」

「でも、見たことのある人がいるから、妖精という存在が人に知られているんじゃないのかしら」

「ああそうですね。人には心の目があるから、目には映らないものも見える」

「心の目、本当にそれだと思います。妖精を見るのに必要なのは」

 それだけの言葉だが、リディアは自分のことをわかってもらえたような気がしてうれしかった。

 好んで妖精の絵を描く人だから、もしかしたら、妖精が見えると話しても受け入れてくれるかもしれないと思うほど。

 いつのまにか静かに、オーケストラの前奏が始まっていた。

 ホールの人込みが動き始める。中央に、ダンスをするカップルが集まっていく。

「伯爵《はくしゃく》だ。やっぱり目立つな」

 リディアにもすぐに目についた。誰よりも光に映《は》える金髪は、シャンデリアの下でいっそう人目を集めている。

 もちろん彼は、賓客《ひんきゃく》の高貴な令嬢たちを次々に誘わなければならないのだから、本当のところリディアと踊るようなひまはないのではないか。

 なければないでいいのだけれど。

 眺めていると間もなく、カドリールのリズムに乗ってダンスが始まった。

 列になって踊りながら、パートナーが入れかわるものだから、エドガーがエスコートしていた少女は、ほんの少し彼から離れて隣の男性と手を取り合う間も、じっと彼の方ばかり見ていた。

 少し、うらやましくなった。

「楽しそうだわ」

「踊ってみますか?」

「え、でも……」

「このダンスなら簡単な方だし、間違ってもあんまり目立たないじゃないですか」

 そう。だから楽しそうに見えた。リディアが最後まで手こずっていたのは、ワルツとメヌエットだ。

「伯爵としか踊らないと決めているわけでないなら」

 楽しまなきゃ損。そう思いながらリディアは頷《うなず》く。

「じゃあ、ファーマンさん、どうぞよろしく」

「ポールでけっこうですよ」

   *

 中庭へと続く石段の手すりに腰かけ、スコッチのグラスを片手に、妖精猫のニコは鼻歌を歌っていた。

 オーケストラが奏《かな》でる音楽は、ここまでよく聞こえてくる。それでいて人込みのざわめきは遠く、静かだ。夜空には三日月《みかづき》、うまい酒にキャビアやスモークサーモンをつまみながら、彼はすっかり上機嫌だった。

 本当いうと、魚の卵やペラペラの切り身より、取れたての新鮮な魚をまるごとフライにした方が好きだが、まあこれもそう悪くはない。

 音楽を聞きつけて集まってきた小妖精たちが、噴水のまわりや木の根元で思い思いに踊っている。

 カールトン家の|家付き妖精《ホブゴブリン》たちもいる。

「ニコさん、青騎士伯爵の舞踏《ぶとう》会は、本当にすばらしいですわね」

 黄金《こがね》色の羽をせわしなく動かしながら、マリーゴールドはニコの上をひらひらと飛んだ。

「伯爵ご本人も、とてもすてきな方。女王さまのもとへきてくださったら、わたしたちの国もいっそう幸福になれることでしょうに」

「おいおい、まだあきらめてないのかよ。伯爵を連れていくのは無理だぞ」

「あの〝月〟さえあれば、承知してくださるはずでしたのに」

「しかしな、あんたの女王さまが惚《ほ》れた男はあいつじゃないわけだろ。同じ伯爵家を継いでるだけだがそんなのでいいのか?」

「あら、名前が同じならそう変わりはないのでしょう? 人の寿命は短いから、代わりに血と名をつないでいくと聞いたことがあります」

 奴は血すらつながってないわけだが。と思いながらも口にはしないでおく。

 遠い昔、妖精たちにとってもっとも親しき友人だった人間、青騎士|卿《きょう》。その子孫としての青騎士伯爵という名は、今でも妖精たちにとってとくべつなものがあるのだろうから、女王が執着《しゅうちゃく》するのも無理はないのだろう。

 本当いうとニコは、マリーゴールドがあの悪党を妖精女王の国へ連れ去ってくれたら、リディアは解放されるのにと思わないでもない。

 このまま伯爵家のフェアリードクターでいることは、エドガーの背後《はいご》にあるわけのわからない争いに、リディアが巻き込まれてしまう可能性もある。

 しかしリディアは、いくぶんエドガーに同情的だ。何度もだまされて利用されて、思い通りにさせられていても、悲しい過去を持つ彼に結局同情してしまう。

 とはいえそれがリディアの性格なのだからしかたがない。エドガーが妖精に連れ去られるようなことになったら、それが彼の本意でない限り、どうにかして助けようとするだろう。

 フェアリードクターとしての責任感で、どんな無茶もするだろう。

「ちっ、やっぱり当分、ロンドン暮らしかねえ」

 つぶやいたとき、中庭の小妖精たちが急にざわめきだした。

 噴水が勢いよく吹き出す。ブロンズの人魚像を囲む水面が、黒い山のように盛り上がる。

 と同時にまがまがしい気配《けはい》が辺《あた》りに漂う。

 マリーゴールドはニコのしっぽに身を隠し、ニコはあわてて茂みに飛び込んだ。

 噴水の池から突如《とつじょ》現れたのは、堂々として美しい漆黒《しっこく》の馬だった。

「ケ、水棲馬《ケルピー》……」

 思わず声が漏《も》れ、ニコは口元を前足で押さえる。

 腰を抜かして逃げ遅れた小妖精を蹄《ひづめ》で蹴散《けち》らし、水滴《すいてき》をふくんできらきらと輝くたてがみを震《ふる》わせたケルピーは、首をあげて建物を見あげた。

「あ……あいつです、ニコさん。女王さまの〝月〟を盗んだのは」

「えっ、ほんとかよ」

「人の姿をしてましたけど、あの黒|真珠《しんじゅ》の瞳に間違いありません」

 まずい。非常にまずい。

 ニコは緊張しながら、ピンと張ったヒゲを意識する。

 苔《こけ》の生えた石ころを見たときから、いやな予感はしていたのだ。水棲馬が故郷の水を離れ、ロンドンまでやって来るとはとうてい思えなかったから、まさかと否定していた。

 しかし奴は、水棲馬の中でも変わり者だ。ふつう連中は、人間を餌《えさ》としか思っていないが、リディアに興味を持ってつきまとっていたくらい変わり者だ。

 人間の嫁をもらったさらに変わり者の弟ケルピーに感化されたらしく、執拗《しつよう》にリディアに、花嫁にならないかと誘った奴だ。

 ニコが戸惑《とまど》っているうちに、ケルピーはさっと人に姿を変え、にぎやかな舞踏会が行われている広間へと続く階段をのぼり始めていた。

「……早くリディアにしらせないと」

 ようやくニコは体を動かす。そばの木によじ登り、二階の窓に飛び移ると、ケルピーより先にと、煌々《こうこう》とガスランプの輝く広間へ駆け込んでいった。

 ダンスの音楽は次々と変わる。しっとりと流れるように歌うヴァイオリンから、軽快なクラリネット、落ち着いた旋律《せんりつ》はチェロのソロ。

 ダンスの輪を離れ、演奏を聴きながらの立ち話も、リディアにとって意外と楽しいものだった。

 父にファーマン氏を紹介し、妖精物語が好きだという公爵《こうしゃく》夫人との話もはずんでいたとき、人の足元をくぐるようにして、二本足でちょこまかと駆け回っている灰色の猫が目についた。

 ニコってば、人込みでは猫らしく四つんばいにならなきゃおかしいでしょうに。

 幸い誰も足元など見ていないし、気づいていない様子だったが、リディアは急いでニコのそばへ駆け寄った。

「リディア! 探したぞ! 大変なんだ、あのケ……」

 なにやらあわてているらしく、そのまま勢いでしゃべり出そうとするニコを、リディアはさっと持ちあげる。

「おいっ、何すんだよリディア」

「こんな人込みでしゃべらないで」

 猫が二本足で歩いてしゃべるだなんて、大騒ぎになってしまう。

 そのままニコをバルコニーの方へぶら下げていくと、カーテンの陰に隠れるようにしながら手すりの上に彼をおろした。

「無茶すんなよな……」

 不満げにつぶやきながら、ニコは乱れた毛並みを直す。何より身だしなみを気にする妖精猫だ。ついでにネクタイも直す。

「それよりいったい何なのよ」

「そうだ、現れたんだよ、奴が」

「奴?」

「ほら、あれだよ、マリーゴールドの〝月〟を奪った奴」

「犯人がわかったの?」

「じゃなくて、それが奴だったって……」

「リディア! そこにいたのか」

 ニコが言い終わらないうちに、別の声がした。

 隣のバルコニーから、男が身を乗り出している。

 ランプの明かりに照らし出された、黒い巻き毛。精悍《せいかん》で神秘的な、人ではあり得ないほど美しい容貌《ようぼう》。背が高く均整の取れた体つき。

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