饭饭TXT > 海外名作 > 《屍鬼/尸鬼(日文版)》作者:[日]小野不由美【完結】 > 尸鬼@txtnovel.com.txt

[#地付き]――創世記 第四章.20

作者:日-小野不由美 当前章节:15384 字 更新时间:2026-6-15 17:40

「昨夜のうちになくなってるね。それもあまり遅い時間じゃない」

 死後十二時間は経っている。昨夜の十時前後というところか。

「まあ……そんな」

 敏夫は、ふきの口許に顔を寄せてみた。特に異臭はしない。検分した限り、露出した顔面と手足には、外傷や|痣《あざ》などは見られなかった。あちこちに老人特有の染みと、虫刺されの痕がいくつか目につく程度、中の幾つかは膿んでいるようだった。ただし若干の浮腫がある。念のために髪の中に手を差し入れて頭部を探ってみたが、外傷や|瘤《こぶ》のようなものは感じられなかった。

 角膜の混濁はまだ顕著ではない。胴に巻きつくようにした腕は完全硬直していて解けない。肌布団を剥ぎ、寝間着の裾を捲りあげた。ふきは下に夏用の肌着をつけていたが、これも捲りあげる。肌着の下の陽に灼けてない皮膚は蒼いほど白く、死斑は薄いが指圧によって消退しない。やはり死後十二時間程度か。夜具にも下着にも失禁の形跡はない。

 特に異常や不審な点は見られなかった。少なくとも外因死でないことは確実で、ふきを死に至らしめた原因は彼女の内部にある。今となっては推測するしかないが、昨日、妙がいる間にトイレに行っておらず、失禁の跡がないことは意味が大きいと思われた。

 妙が最後にあったとき聞いたような状態で、しかも失禁の跡がないとなると、極度の乏尿、あるいは無尿だったのだろう。浮腫があることを考え合わせても、おそらくは腎不全。意識が混濁していたことから察するに、尿毒症――それも高カリウム血症の疑いが強い。

 あのう、と田茂悠子が口を挟んだ。

「ふきさんは、どうしたんですか」

「急性腎不全だろうな。……解剖すりゃ、はっきりするんだが」

「そうですか」

 悠子は複雑な様子だった。笑えばいいのか渋面を作ればいいのか分からない、というふうに見えた。定次も同様の様子だ。おそらくは誰もが同じことを考えていたのだろう。ふきは息子と実兄を失ったばかりだ。本人も高齢で、立て続けの不幸の後、かなり参っているふうでもあった。あるいは自殺ではないか、と疑わずにはいられない状況だったし、実際、縊死していたほうがよほど違和感がなかっただろう。

「ふきさんも歳だしなあ。とにかく連日、暑かったし。……がっくり来たんだなあ」

 提示は自分に言い聞かすように言った。歳も暑さも気落ちも関係ない、急性腎不全ならすぐに医者に診せていれば死なずに死んだかもしれないんだ、と敏夫は思ったが、あえて口にはしなかった。

「弔組の世話役は小池さんだったか。確か中外場だったな。連絡を取ったほうがいい。寺にはおれから電話しとくから」

 後藤田家を辞去して、敏夫は陽炎の立つ路面に足を踏み出した。

 後藤田秀司、村迫秀正。後藤田ふき。――わずか半月の間に。

 敏夫は上外場の集落を後にしながら、軽く汗を拭った。

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(村は死によって包囲されている……)

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「……馬鹿な」

 何が起こるというのだろう? 日本のあちこちに無数にあって、徐々に衰え死んでいこうとしている山村と、この村は何ひとつ変わったところなどない。変化の最先端である都会ではない。ここにあるものは全て、無害で無益なものばかりだ。ここで――他ならぬここで、何かが起こらなければならない必然性など、どこにもない。

 だが、と敏夫はひとりごちた。

「……連中は、まったく同じものにやられてる」

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 電話を受けたとき、静信はちょうど原稿を広げたところだった。電話を取ろうとする池辺を制して、静信が受話器を取った。受話器の向こうから聞こえてきたのは、どこか硬い調子の敏夫の声だった。

「敏夫か? どうした」

 敏夫の返答は短かった。

「ふきさんが死んだ」

 静信は一瞬、絶句し、そしてとっさに自殺だろうかと思った。この夏、息子を失い、実兄を失った老女。八月もいよいよ二十一を数え、陽射しも風も、どこか秋めいてきた。未だに残暑は厳しかったが、ひとつの季節が移ろい始めた気配は明らかに漂っている。多くを喪失した老婆が、この夏を精算しようとしても不思議はない。そういう気がした。

 静信の思考を読んだように敏夫が続けた。

「ただし自殺じゃない。たぶん急性腎不全だと思う。昨夜のことだ。――いま後藤田の家から帰ってきたところだ。下外場の矢野妙さんが発見した」

 静信は言葉を失った。喉のあたりに固くわだかまるものがあった。そうか、と答えた自分の声は、敏夫のそれと同様の調子をしていただろうと思う。池辺が不審そうな顔で静信を振り返った。

「世話役に連絡するよう言っておいたから、じきにそちらからも連絡が行くと思う」

「……分かった。ありがとう」

 じゃあな、と言い残して電話を切った敏夫の声は、必要以上に事務的で情感を欠いていた。静信はこの訃報をどう受け止めたらいいのか分からなかった。驚く気にはなれず、かといって平静でもいられない。おそらくは、敏夫もそうなのだろうと思う。

「どうしたんですか?」

 受話器を置いた静信に池辺が聞く。

「後藤田の、ふきさんが亡くなられたそうです」

 え、と池辺は絶句した。

「それは、ひょっとして」

「急性腎不全だということです。昨夜のうちになくなったのが、今朝、発見されたらしくて」

 池辺の顔に浮かんだ表情を見て、池辺も同じ種類の想像をしたのだ、と静信は感じた。ちょうど鶴見と共に寺務所に戻ってきた光男が、その場の妙な空気を感じ取ったのか、何かあったんですか、と訊いた。ふきが死んだことを伝えると、鶴見ははっきりと「まさか、自殺ですか」と問うた。そうではないことを伝えれば、光男と顔を合わせる。

「……またですか?」

 寺務所の中に奇妙な沈黙が降りた。静信の喉元にわだかまっていたのも、これだった。「また」だ。この夏、何度目の訃報だろう。わずかに半月の間に。秀司、山入の三人、恵、義一、これで七人目。

 こりゃあ、と光男は重い息を吐いた。

「今年の夏は大当たりだ。下手すりゃ、まだ続きますよ。これは」

 静信は光男の顔を訝しんでみた。

「そういう年があるんですよ。以前にもあったじゃないですか」言って、光男はふと気づいたように苦笑した。「ああ、若御院はまだ小さかったから、覚えてないか」

「あったなあ」と同意したのは鶴見だった。「二十年以上も前だったかな。梅雨に鉄砲水が出て、河原にいた子供が二人、流されたのを皮切りにねえ。あのときは事故が続いたんですよ。すれも水辺の事故ばっかりでね」

「そうそう。先の御院が亡くなったのも、あの年の秋口でしたっけね」

 光男が感慨深げに言うと、鶴見は目を剥いた。

「そんな、縁起でもない。光男さん」

「ああ、いや――これは済みません。そういう意味じゃないですよ」

 池辺が控えめに尋ねた。

「あの……先代も何か、水に関係のある事故だったんですか?」

 静信は苦笑する。

「いえ。胃癌です」

 なんだ、と言いたげな池辺を見やって静信は内心で自嘲した。そう――そういうものだ。不幸にしろなんにしろ、続くことが確かにある。物事は確率に従って起こっても、均一に起こりはしないのだ。だが、人は良くないことを強く印象に残す。人の死、などというものはその最たるものだ。

 長い目で見れば確率通りの範囲内のことでも、妙に続くという印象を持つのだし、一旦そういう印象を持ってしまうと、それが先入観となって実情は著しく歪められる。鶴見は「水辺の事故ばかり」と言ったが、実際には静信の祖父は胃癌でなくなっており、他ならぬ鶴見がそれを忘れていたはずはないにもかかわらず、「水辺の事故ばかりが続く」という印象の前に霞んでしまって意識されない。

 静信は息を吐いた。死はランダムに起こる。それぞれの事例は得てして独立しており、必ず関係を持つとは限らない。だが、人の意識はその不連続の点の集合に意味を与え、関連づける。意味は「ある」のではなく、付与されるのだ。それは正座が、実際には無関係な星たちにすぎず、人の認識が線を補って正座として意味を与えたものでしかない、そういう現象に似ていた。

 死が連続しているのではない、連続しているという印象を与えるような現れ方をしているだけだ。ふきも七十が近かった。そもそも高齢で、本人も自分のために墓所の整理をしていたように、すでに少しずつ生気が抜けつつあるような老人ではあった。しかもこの過酷な夏、単に酷暑というだけでなく、息子を失い、兄を失い、ふきにとっては精神的にも辛い夏になった。それでなくても体力が落ちているのに、大事が続いて疲れたというのもあっただろう。兄と息子を失い、気落ちしていたというのもあるだろう。

 特に不審でも何でもない、順当な死というべきだろう――。

 そう思いながらも、静信はどこかで、そうやって自分に何かを言い聞かせているような気がしてならなかった。

(しかし、何を?)

 静信は自己の思考を見つめ、そして自分の中に不安を見つけた。恵のときに感じたあれだ。何かとても不当な感じ。義一のときに感じた良くない予感。決して順当でも当然のことでもない事態に自分は直面していて、だからこそ懸命に妥当性を言い聞かせないではいられない。

(……そうだったのか)

 得心した、とも言える、何かが奇妙に腑に落ちる感じ。ふきだったのか、と静信は思った。――清水でも寛子でもなく、徳郎でもなく。

 机に向かいながら、静信は恵の葬儀の日をはっきりと思いだしていた。歳よりも老け込んで見えた(覚悟しておいたほうがいい)徳郎と寛子。後藤田ふきのように丸められた背中。徳郎の背を叩いて(縋るように)じっと俯いていた清水。肩を寄せ合って、理不尽な衝撃に耐えていた彼らに感じた奇妙な危機感。

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 ――泣く子のところには鬼が来るぞ。

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 清水ではなかった、寛子でも徳郎でもなかった。

 後藤田ふきだったのだ。

 そう、大川義五郎が死んで村迫秀正が死んで、三重子は死んだ。秀司が死んで、ふきが逝った。それは序列に頓着しない。ふきよりも先に秀司が逝ってしまったように、恵が逝ってしまったように。それはただ、――広がっていくのだ。

 汚染、という言葉が念頭に浮かんだ。唐突な尋常でない死。その死は得てして近親者を汚染していく。

 清水は無事だ。寛子も徳郎も倒れたという話を聞かない。三重子は逝った、ふきは逝った。秀正の妻、秀司の母親。そして義一。

 抵抗力のない者、密接な接触。

 静信は手を握った。――疫病だ。

 閉鎖された土地、内部だけで完結した社会、錯綜する地縁と血縁、土葬の風習。

 一旦それが蔓延すれば、間違いなくこの村は、壊滅する。

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第二部 深淵より呼びぬ

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一章

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 後藤田ふきの葬儀が終わったその日、静信は夜の墓地を抜け、尾崎医院を訪ねた。控え室の明かりは消えている。かわりに庭の奥に面した窓に明かりが点いていた。母屋の一階、いちばん端にあるそれが敏夫の私室だった。

 庭木を迂回し、植え込みを避けて庭を奥に向かう。レースのカーテン越し、通い慣れた敏夫の私室が見えた。かつては応接間だった洋間。敏夫の部屋が二階の一室からそこへ唐突に移されたのは、小学校の何年生の時だったろうか。二階の部屋よりもはるかに広いのだが、敏夫は「二階」に未練があるようだった。――そう、それは敏夫の意思ではなかった。孝江がなぜ突然、敏夫の部屋をそこに移したのか、子供だった静信にもすぐに理解できた。以来ずっと感じ続けてきた一抹の罪悪感をこの夜も感じながら、静信はガラス窓を叩いた。床に座り込んでいた敏夫は顔を上げ、軽く顎をしゃくって中を示す。

「――よう」

 部屋は雑然として、敏夫の人生史をそのまま留めている。子供時代から一度も場所を移動しないベッド、勉強机。本棚の中身は参考書から医学書に、ローボードの中身は屈託のない収集品やレコードから洋酒の瓶へと変わったものの、変化は徐々に進行したので違和感はなかった。

「飲むか?」

 敏夫は軽くグラスを示し、こればかりは、家を継ぐために戻ってきてから増えた家財である小さな冷蔵庫を開けた。静信の返事も待たず、ひとつ余分に出してあったグラスに氷を入れる。

「――それで? どうした」

 酒を注いで水を足す敏夫の声には、どこか何気なさを装っている風情が滲んでいた。静信は言い淀み、しばらくの間、言葉に困ってグラスを見ていた。敏夫はことさらのように平静な顔をして、およそ興味を持っているとも思えないテレビ番組に目をやりながら煙草をふかしていた。

「……なあ、村で何が起こっているんだ?」

「何が、って?」

「秀司さん、山入の三人、恵ちゃん、義一さん、ふきさん。――一夏の話にしては、死人が多すぎるとは思わないか?」

 敏夫は素っ気ない声を出した。

「去年の夏には四人、死んでる。多すぎると言ってもたかが三人のことだろう。夏は年寄りも体力が落ちる。持病を抱えた年寄りならなおさらだ。今年は例年より暑さも厳しいしな」

「そういうことを言ってるんじゃない」

 昨年の夏、何人が死んだか、一昨年はどうだったか、他ならぬ僧侶の静信が知らないはずがない。

「確かに、義五郎さんのように不調を抱えた老人が村にはいくらでもいる。義一さんのように寝たきりの老人だって少なくない。その老人が死ぬのは、例年のことなのかもしれない。だが、秀司さんのような働き盛りの人間が突然に死ぬことがどれだけある? 事故ならともかく、病死で?」

 答える敏夫の声は必要以上に素っ気ない。

「秀司さんは成人病の危険年齢だ。悪性腫瘍、心不全、脳出血、いわゆるポックリ病、突然に死ぬことがないわけじゃない」

「じゃあ、恵ちゃんは? ――もちろん、若い者が急の病気で死ぬことがないわけじゃなかった。これまでだってあったし、これからだってあるだろう。けれどもそれがたかだか半月の間にこれだけの数、続いている。これは尋常のことなのか?

 ふきさんだって、いつ何時、何があってもおかしくない年齢だった。本人もそれを自覚していて、墓地の整理を自発的にやっている。そのふきさんが、急病で死んだだけなら、これは本当に良くあることだ。別におかしくも何ともない。――だが、そのほんの半月前には、息子が死んでいるんだ。働き盛りの健康な中年の男で、体力もあったし、特にこれといって持病もなかった。それが突然死んで、その半月後には母親が急死する。どらちも病院にかかる間もなく、本当に突然に。これがよくあることなのか?」

「あり得ないことでもないだろう。息子が死んで、高齢の母親はガックリきたんだ」

「その息子が死ぬ前に、実の兄が死んでいても?」

 静信は敏夫を見つめたが、敏夫はことさらのようにテレビを見守っている。

「村迫の秀正さんだって、いつ何があってもおかしくはない歳だった。秀正さんだけが突然死んだのなら、ぼくだって疑問には思わない。義五郎さんだってそうだし、三重子さんだってそうだ。だが三人が、――それも同じ集落に住んでいる三人が、一度に死んだんだぞ? その直後には、働き盛りの甥が急死し、半月後には妹が死んでいる。全員が全員、医者にかかる間もなくて、どこが悪かったのか分からない、治療も療養もしないまま、いきなり結論が出ているんだ。そんなことが尋常の状態であるものなのか?」

 敏夫の返答はない。自分の吸う煙草の煙を厭うようにして、ただ眉を|顰《ひそ》めている。

「個別の死は、確かに不審なところなんてない。老人が死ぬのはよくあることだし、若い者が急死するのだってないことじゃない。どれかひとつ、あるいはふたつなら、そういうこともあるかもしれないと思えるんだ。けれども、それがこれだけの数、続いている。続いていることに意味はないのか?」

「どういう意味があるっていうんだ」

「……疫病じゃないのか?」

 静信の問いに、敏夫はテレビの画面から視線を外して静信を振り向いた。煙草を灰皿に押しつける。

「古風な言い方をする」

 軽く笑って、テレビのボリュームを下げ、ローテーブルの下に積み上げてあった書類の束を持ち上げた。ひれをテーブルの上に乗せる。

「確かに、この夏は死人が多すぎた」

 敏夫は書類の上で指を組む。

「老人が多いこと、連日の酷暑を考慮に入れても異常だ。ほぼ半月の間に、おれが知っているだけでも七人の人間が死んでいる。大川義五郎、村迫秀正、村迫美重子、後藤田秀司、清水恵、安森義一、後藤田ふき、――都合、七人だ」

 静信は頷いた。

「昨年一年間に村で死人がどれだけ出たと思う? おれが知っている人間だけで八人だ。おれが死亡診断書を書いたのが五人、残る三人は転院させた溝辺町の病院から死亡の報告が上がってきている。その他にもおれの関知しない死者がいるだろうが、せいぜいが十人と少しというところだろう。全国的な平均よりも老人が多いぶん、少しだけ多い――それが去年までの状態だった。にもかかわらずこの八月、たった半月で、すでに一年間に迫る勢いで死者が出ている。数の上だけでも異常だよ。これは尋常のことじゃない」

「……ああ」

「人数だけの問題じゃない。秀司さんの死因は分からない。とりあえず額面は急性心不全ということになっているが、正直に言うなら死因不明だ。義五郎さんもそう、秀正さんもそう。恵ちゃん、ふきさん。五人の人間が唐突に死んで、その死因がよく分からない。三重子婆さんは、警察が持っていって解剖したが、やはり明解に死因を特定できたとは言い難い。疑問の余地がないのは、義一さんだけだといっていい」

 敏夫は書類の束を軽く叩いた。

「これはどう考えても異常だ。しかも秀司さんは秀正さんの甥だ。ふきさんは秀司さんの母親だ。山入の三人は、家族同然に生活していた。不透明な死を迎えた六人のうち、他の死人となんの関係も持っていないのは恵ちゃんだけ、あとは全員、何らかの密接な関係で繋がれていた。この不透明な死には近しい人間に飛び火する傾向がある。確かに――伝染しているとしか思えない」

 静信は深い息をついた。不安を不安のまま抱え込んでいるのは苦しい。明らかになったほうが安堵できるのは確かだが、そうやって明らかにされたものは村にとって最悪の代物だった。

「もしも伝染病だとしたら、おおごとになる」

 村の人間関係は密接で、網の目のように入り組んでいる。下水道は完備されているというにはほど遠い。兼正の後押しもあって町から補助金が出され、合併槽の設置が推進されていたが、生活排水の何割かは未だに川に放出されている。上水道は通っていても、村人の多くは何らかの形で地下水を未だに使っており、いったん山に入れば人は沢から飲料水を汲み上げる。だが、村を取り巻く山のあちこちには墓所が散在しているのだ。そこでは死者を未だに土葬にしている。

 静信がこれを指摘すると、敏夫は軽く首を振った。

「伝染病だとすればな。――だが、まだ決まったわけじゃない」

「けれど」

「先走るな」敏夫は低く、ぴしゃりと言う。「予断は良くない。事が事だけに、妙な予断を抱くと、かえって実態の把握が遅れて大事になる可能性がある」

「ああ――そうだな、済まない」

「伝染病のように見えるが、確かなこととは言えない。病名を特定できないんだ。少なくとも今のところ、症状が合致する伝染病は思い浮かばない。正体不明、というのが正直なところだ。伝染するのかもしれないし、しないのかもしれない。するとすればウイルス性のものなのか、細菌性のものなのか、これも五里霧中だ。寄生虫の可能性もあるし、あるいは集団中毒の可能性もある。分かるのは明らかに異常なことが起こっている、ということだけだ」

 静信は頷いた。

「問題は何が起こっているのか、ということだ。どうしてこれだけの死者が出ているのか、そこをまず掴[#「掴」は旧字体。Unicode:U+6451]まないといけない」

 敏夫は書類の束の中から、カルテを探して抜き出した。

「恵ちゃんを往診したのが八月の十二日のことだ。めぐみちゃんはその前日の十一日に倒れている。山狩りをして倒れているところを発見された、以来ずっと具合が悪かったようだから、十一日に発症したと考えてもいいんだと思う。それ以前には、特に不具合はなかった。少なくとも家族には具合が悪いようには見えなかったし、本人も不調を訴えてはいなかったんだ。これはおかしい、というので家族がおれを呼んだのが十二日の夜、そこからわずか三日で死亡している。発症してから四日だ。ところが恵ちゃんは、おれが見た時点では、どう見ても三日後に死亡するような重症患者には見えなかった」

「そう……」

「恵ちゃんは貧血以外に、これといって悪いところはないように見えた。どうして突然、死ぬようなことになったのか、正直言って、おれには分からない」

 敏夫は恵のカルテをテーブルの上に投げ出し、煙草に火を点けて煙を吐いた。

「伝染病の恐れがある。これはおれも否定しない。万が一、伝染病なら、おおごとになる可能性がある。だから調査をして実態を把握する必要があるんだが、これが難問だ」

「難問なのか?」

 敏夫は頷いた。

「恵ちゃんを最初に見たとき、ひどく怠そうで、口を利くのも億劫、という様子だったが、本人はあまり不調を意識していないふうだった。実際、そうだろう。貧血以外にはこれといって不具合がないんだからな。痛みや発熱、目に見える異常があれば、患者だっておかしいと思うし不安を抱く。だが、単に怠い、疲れやすいという程度では医者にかかる踏ん切りだってつかないだろう。あれがこの病気の初期症状だとしたら、厄介な話だ」

 言わんとするところを了解して、静信は頷いた。

「ああ、そうか。なんとなく怠い、なんてことは良くあることだ。夏場なら特に。熱でもあるのだろうかと思って測ってみても、別段、熱はない、そういうことは本当に良くある」

「そう。それですぐさま病院に駆け込む人間はいないし、こっちだってそれだけで来られちゃあ堪らない」

「それを患者のほうも分かっているからなおさらだ。適当な原因を探す。風邪、前日の疲労、飲み過ぎ、あれのせいだろうか、と思いながら日常をこなそうとするだろう。それがさらに酷くなれば、とりあえず横になっているだろうが、それでも医者にかかろうと思うかどうかは疑問だ」

「そういうことだ。患者はまだ不審を感じない。寝れば治るだろう、ぐらいに思っている。ところがこの病気は勝負が早い。本来なら迷っている時間はないんだ」

 迷っているうちに死因不明の死体がひとつ現れる。敏夫が目にするのは、不透明な死体だけだ。経過を観察している暇も、検査をする暇もない。実際、そのようにして事態は進行してきた。もしも清水が恵を敏夫に見せていなければ、静信たちの目の前には「不可解な連続する急死」という現象以外、何ひとつ残らなかったはずだ。

「それはごくさりげなく始まる」敏夫は書類を無目的に掻き回す。「恵ちゃんは貧血で始まった。義五郎さん、秀正さんについては分からないが、三重子婆さんは二人の爺さんが死ぬほんの少し前に病院に来て、二人の具合が良くない、夏風邪だろうと言っていた」

「秀司さんの時にも同じようなことを聞いたな。夏風邪かさもなければ夏負けだろうと思った、とふきさんが言っていた」

「おれも聞いたよ。夏風邪にしては熱がなかったと、ふきさんは言っていたし、三重子婆さんもそう言っていた。要は怠そうだ、食欲もなさそうだし、顔色も良くない。どこがどうとは言えないが、なんとなく調子が悪そうに見えた、ということだろう。ひょっとしたらやはりそれも貧血のせいだったのかもしれないし、あるいは、貧血以外の現れ方をすることもあるのかもしれない。いずれにしても、貧血をはじめとする些細な症状でそれは始まるんだ。そうして、数日のうちに急激に増悪する。劇的に、と言ってもいい」

「三重子さんは肝不全だな?」

「そう。山入の爺さん二人と秀司さん、恵ちゃんは不明。ふきさんはおそらく急性腎不全だ。腎不全から来る尿毒症、これが死因だと、おれは思っている。義一さんは除外できるかもしれないが、とりあえず嚥下性肺炎。おれの手持ちのカードはこれだけだ。七人も死んでいるというのに」

 静信は喉の奥で呻いた。敏夫は詳しいデータを得る必要があるが、初期のそれが引き起こす不具合はあまりに些細で、患者自身が危機感を抱かない。来院して貰わなければ、臨床例を集められない。だからと言って、役所なりを通じて危機感を煽れば、始まりがあまりに些細であるだけに、誰も彼もが病院に殺到してパニックになりかねない。

 静信の考えを読んだように、敏夫は呟いた。

「馬鹿正直に事態をアナウンスするのは、危険なだけで益がない。怠い、食欲がない、衝かれやすい気がする、それだけで病院に来られちゃあ、病院は麻痺する。そればかりじゃない、もしも本当に伝染病だった場合、病院自体が汚染源になりかねない」

「だが放置はできないだろう? とにかく、不調が起こった時点で病院に来て貰わないことには」

「手に負えんな」敏夫は溜息をついた。「罹患した患者には、たいしたことはないからといって軽く考えず、もっと重大視して来院して欲しい。罹患していない患者には、いたずらに騒がずあまり神経質にならないで欲しい。ところが、罹患しているかどうか、患者自身に分かるはずがない」

 静信は頷き、「けれども、とりあえず注意を促す必要はあると思う。体調を崩す者が多いので注意して欲しい、その程度の呼びかけはしておかないと」

「その結果、何が起こるかを考えるとウンザリするが、それしかないか。役所に協力してもらう必要があるな」敏夫は深い溜息をついた。「保健係の石田さんに相談して、役所を通じてそれとなく指導してもらう。とにかく、そこから取りかかるしかない」

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 かつては独立した村であった外場は、現在では溝辺町の中に編成されている。その溝辺町には保険センターが置かれているが、外場における保険業務は役所――外場出張所の保険係が担っていた。各集落に係がいて、これを役所の保健係がまとめる。とはいえ、担当者は石田がたった一人しかない。そもそも石田は溝辺町の指導に従って、各集落の保健係を指導する、上意下達の立場でしかなかったし、専門の知識も何もない完全な事務屋だった。もしも万が一、大規模な伝染病が流行し始めた場合、もちろん石田ひとりの手に負えるものではない。

 八月二十三日の夜、静信と敏夫は石田を寺に呼び出し、事態の説明を行った。石田は最初、半信半疑の様子だったが、敏夫の説明を受けるにつれて顔色を変えていった。

「昨年の夏には四人が死んでる。六月に二人、八月と九月に一人ずつ。正確に言うならそれだけの死者をおれが看取っている。八月の死者は心筋梗塞が原因だった。例年まあ、こんなものだな。これに対して、今年は一気に七。まだ八月は終わってないが、とりあえず今のところまでの死者を単純に比較しても昨年の一に対して今年は七、六人が余剰だということになる」

「余剰……」

 敏夫は頷いた。

「言葉は悪いが、あって当然の死亡より明らかに数が多すぎるぶん、ということだな。もっとも、こういう場合には生の数字を取り上げて昨年より六人も多い、と騒ぐことには意味がない。統計学的な処理をしなければ確かなことは言えないわけだが、それでも六人となると異常な数であることは確かだろう」

 そうですね、と石田は呆然とした様子で頷いた。

「この八月、村で何かが起こっているのは確かだ。それが異常な数の余剰死を招いている。外場というごく狭い場所で、しかもたったこれだけの期間に七。それも、そのうちの多くが突発的な内因死だ。ということになると、何らかの疾病の集団発生を疑うのは、決して不当ではないはずだ」

 はい、と頷いて石田はハンカチで汗を拭った。異常に蒸す夜だった。空気は重く淀み、温い湿気が立ち込めている。石田の前に置かれたビールのグラスは、水滴をつけたまますっかり泡が消えていた。

「しかしながら、実際に何が起こっているのかという段になると、皆目、見当がつかない。今の段階で言えることは、それは些細な症状で始まり、たいした自覚症状もないうちに劇的に増悪して死に至る、ということだけだ。そして、それは近縁者に飛び火する傾向がある。少なくとも、拡大しているのは確かだと思う」

 石田は縋るような目で敏夫を見た。

「まだ伝染すると決まったもんじゃないわけですね?」

「確定的なことは言えないな。だが、希望的観測に縋って事態を舐めてかかると、万が一本当に伝染病だったときには取り返しがつかない。伝染病を想定して警戒しておいたほうがいいと思う」

「しかし、ですね」と石田はハンカチを額に当てた。「うかつに伝染病だなんて言おうものなら……」

「問題はそれなんだ」

 敏夫は息を吐いた。

「なにしろ結果が最悪だ。伝染するなんて噂が村の連中に広まればパニックになる。初期症状があまりにも些細で良くあるだけに、連中が冷静さを失ってしまえば、たちまち病院の業務は麻痺する。伝染病だと限ったものでもないが、もしもそうだった場合、病因も感染ルートも分かっていない状態で患者が病院に押し寄せてくれば、迷惑なだけでなく危険だ。可能な限り伏せておきたいんだよ、できるなら」

 石田は頷いた。外場は尾崎医院に依存している。人口わずか千三百十九人の山村に、ちゃんとした医院があること自体、希有のことだ。外場はこれまでずっとその恩恵に浴してきたし、だからこそ尾崎医院への信頼感は大きい。村人の中には確実に、尾崎に紹介されたのでなければ別の病院にはかからない、という一種の仁義が浸透しており、だからこそ疫病の噂が立てば、村人のほとんどが尾崎医院に殺到することは間違いがなかった。

「でも……しかし、どうすれば」

 目に見えて|狼狽《うろた》えた石田に、静信は説明する。

「石田さんのほうから、保健係を通じて通達を出すことはできませんか。とにかく、近頃、夏バテが多いので注意して欲しい、というふうに」

「通達を出すのは簡単ですが」

「もしもバテているなと思ったら、素人判断をせずに病院にかかるように、と」

 敏夫が頷く。

「そもそも夏場は、水分だけ摂って食が細る連中が多い。まだまだ残暑も厳しいことだし、とりあえず三度の食事はしっかり摂れ、ダイエットは控えるように言ってもらえないか。単に健康に注意しましょう、でもいい。そうやって本当に単なる不調があるていど予防されれば、それだけでも患者の|篩《ふる》い分けにかなり役に立つ」

「はい、ええ――そうですね」石田は陽に灼けた首筋を拭う。「しかし、それだけでいいんですか。感染が拡大するのを防ぐとか、何か具体策を講じないと」

「具体策を講じようにも、現在の段階では講じようがないんだよ。せいぜい、井戸水は飲むな、できれば山や畑に出るときには水筒を持参しろ、手洗いやうがいを敢行しろ、というぐらいしか。あまりに仰々しく騒ぐと、それこそ藪をつついて棒を出すことになる」

「はあ」

「そうやって、とにかくデータを収集するところから始めるしかない。村の連中は死体に手を出させてくれない。病理解剖なんてのはもってのほか、死後の血液採取にさえ難色を示す。死体になる前に病院に来て貰わないことには、いったい村で何が起こっているのか把握することさえできないんだ」

「そう――そうですね」

「そうやってデータを集めて、これを取りまとめ、行政に動いてもらうしかない。実際に伝染病だということになるとあれたちだけの手に余ることは確実だ」

「いまから県の保健所か町の保険センターのほうへ、それとなく報告を上げておいたほうがいいんじゃないですか」

「そうしてみてもいいが。とりあえず、病名が特定できなければ役者は動いちゃくれないよ。なにしろあの連中が言う『伝染病』は、伝染する病のことを指すんじゃない、既存の、法律やマニュアルに伝染病として書かれたもののことなんだ。よほどの事態にならなけりゃ、援助は期待できないだろう。連中だって手が出せないんだ。方便として、たとえば食中毒だの肝炎だのが流行っている、という報告を上げることも可能だが、役所から問い合わせを受ければ、おれだって虚偽の病名は答えられない」

「そ、それは確かに、そうですね」

「とにかくデータを集めることだ。確かに何かが伝染しているという証拠を取り揃えて、あとは兼正に頼んで動いて貰うしかない」

 言って、敏夫は顔を顰めた。

「とは言っても、先代ならともかく、あのおっさんにそれほどの期待をしていいものかどうか分からないが」

 石田は思わず頷いた。兼正の先代、先々代はともに町長も経験した実力者だ。その先代が昨年死んで、いまは息子が議会に入ってはいるものの、血気盛んだった先代に比べればいかにも頼りない。

「先代が生きていてくれれば良かったんですけどね」石田は呟いて、ふと、「そう言えば、兼正の先代も急死しているんですよね」

 敏夫は突然、苦いものでも口に放り込まれたような、複雑な顔をした。

「そうだが――。いくらなんでも、あれは関係ないだろう。去年の七月の話だろう、確か。一年前のことだからな」

「そうですけど。まあ、なんとなく」

「とにかく、データを集めるためにも、まず患者に病院に来てもらわないことには」

「ええ、はい。分かります」

「とりあえず石田さん、夏――そうだな、七月からこちらの死亡者リストが欲しい。おれが看取った以外にも、死人が出ているかもしれない。もしもいれば死亡診断書の写しが欲しいんだが」

 石田は頷いた。

「明日には何とか。遅くとも明後日までには用意します。動態調査はわたしの管轄なんですがね、取りまとめて定期的に一気にやることにしてるもんで」

「明後日でいい。ただし、明後日には必ず」

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