饭饭TXT > 海外名作 > 《屍鬼/尸鬼(日文版)》作者:[日]小野不由美【完結】 > 尸鬼@txtnovel.com.txt

[#地付き]――創世記 第四章.32

作者:日-小野不由美 当前章节:15396 字 更新时间:2026-6-15 17:40

「一人暮らしの経験もできるし」と、言って雪はちらりと舌を出す。「親だって、近頃、忙しいの分かってるから、出してくれるでしょ。単に一人暮らししてみたい、じゃ、絶対に許してくれないけど」

「雪ちゃんらしいわ。ちゃっかりしたもんねえ」

「へへへ。それでね、言ってみよう、って話をしてたんです」

 もしも、と静かな声を上げたのは下山だった。

「先生がその条件を呑んでくれたら、おれも一口乗せてもらおうかな」

 律子はぽかんと口を開けた。

「だって、下山さんは奥さんと子供さんが」

「だからさ。家に妙なもんを持ち帰りたくないからね。どうせ、そう長いことじゃないだろう。先生がデータを取りまとめて、行政に動いてもらうことができるようになれば、うちだけが獅子奮迅することもないわけだし。それまで単身赴任ってのも悪くないね」

 相談のうえ、律子らは敏夫を呼んで、その件を伝えた。敏夫は一瞬、目を丸くし、狼狽したように全員の顔を見つめた。

「おいおい。うちを破産させる気か?」敏夫は例によって憎まれ口を叩いた。「それでなくても、規定外の検査が多くて持ち出しなんだ。住居費と手当で破産確定だ」

 そう言ったが、表情を見れば、それが本音でないことは明らかだった。

「それもサッパリして、いいかもしれませんよお」

 雪の言に、敏夫は破顔する。

「だが、下山さんは困る。おれが奥さんに絞め殺されちまう」

「じゃあ、絞め殺される覚悟ができたらでいいです。手が必要になったら、そう言ってください」

 下山が微笑んで、敏夫は笑い、そして軽く頭を下げた。

「――ありがとう」

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 翌日、敏夫は一本の電話に叩き起こされた。下外場に住む前田巌の訃報を伝える電話だった。家族が声をかけても目を覚まさない、という。息をしていないように思われる、もしかしたら死んでいるのかも。すぐに行く、と答えたものの、この日まで敏夫は前田家に往診に行ったことがなかった。あまり医者に縁のない家なのだろう、とにかく電話で道順を聞いた。

 出かける準備をしていると、母親の孝江が起き出してきた。

「またなの?」

 孝江でさえ、早朝の電話は訃報だと理解していた。理解せざるを得ないほどの死者が続いている。

「そのようだ」と、敏夫は答えた。

「いったい、何がどうなってるの?」

 孝江の声は切迫した調子を孕んでいる。敏夫は母親の、怒りとも不安ともつかないものに歪んだ顔を見返した。

「あなたがそうやって出かけていくのは何度目? 村で何が起こってるの。どうしてこんなに次々と」

 さあ、と素っ気なく答えて母屋を出ようとした敏夫の腕を、孝江は掴[#「掴」は旧字体。Unicode:U+6451]んだ。

「まさか、伝染病じなゃないでしょうね」

 敏夫は驚いて孝江を振り返った。――そう、ここまでくれば、それを疑わないほうがおかしい。

「……分からない」

「分からないって。これだけ人死にが続いているのよ?」

「伝染病のように見えるのは否定しない。だが、検査しても陽性反応が出てこないんだ。検査結果からすると伝染病じゃない。だから分からない、としか言えない」

「でも伝染しているのね?」

「ここだけの話だが、たぶん」

 孝江は敏夫の手から白衣を引ったくった。

「行くことはないわ。救急車を呼ぶように言いなさい」

「母さん」

「伝染するんでしょう? しかも正体が分からないってことは、予防できないってことじゃないの。あなた、そうやって人が死ぬたびに駆けつけてる自分が、いちばん危険な場所にいるってことを分かってるの」

 敏夫は息をついて、軽く孝江の肩を叩いた。

「じゅうぶん気をつけてるよ。――呼ばれた以上、行かないわけにはいかないんだ」

「あなたでなくてもいいでしょう」

「村の外の連中は、まだこれに気づいてない。うかつに警告もできないし、だから簡単に外の医者に任せるわけには」

「冗談じゃありませんよ! どうしてあなたが、そんな危険なことをしなきゃならないの。万一のことがあったらどうするの」

「しかし」

「あなたはひとり息子なんですよ、分かってるの。あなたが死んだら病院をどうするの。まだ跡継ぎもいないのよ。恭子さんはろくに家に寄りつきもしないし――」

 敏夫は息を吐いた。孝江の手からそっと白衣を取り戻す。

「いざとなったら、親戚筋から出来のいいのを容姿にすりゃいいだろう」言って、敏夫は笑う。「そうでなきゃ、母さんが再婚するってのはどうだい」

「敏夫!」

「……行ってくる」

 敏夫は踵を返して、小走りに病院に向かった。鞄を提げて車に乗り込む。もう六時になろうとしていたが、周囲はほの暗い。夜が長くなった。

 あれが孝江にとって「息子の身を案じるむということなのだ、と車を出しながら思う。別に息子を家を残すための道具だと見なしているわけではない。孝江にとって、自分と家は不可分のものなのだ。孝江は尾崎の一部であり、尾崎は孝江の拠って立つ場所だ。自分を一部として呑み込んだ尾崎を、息子に引き継がせる。孝江にすれば、この世で最も価値あるものを自分ごと息子に託そうとしているのだし、息子だからこそ、譲り渡してもいいと思っている。敏夫を後継者として受容することで、敏夫にも尾崎の存続に参与するという誉れを分け与えているのだし、これは孝江にとって愛情の発露に他ならない。

 孝江の不幸は、息子が同じ価値観を共有していない、ということだった。敏夫は尾崎に執着がない。むしろ自分を戒める枷のように感じてきた。尾崎など絶えてしまえばいい、と呪ってみるほど敏夫はもう子供ではないが、絶えるなら絶えても構わないとは思っている。少なくともそれを防ぐために積極的に何かをしようとは思えなかった。

 それでも敏夫が村に戻ってきたのは、尾崎のためではなく、尾崎を頼りにしている村人のためだ。彼らを落胆させたくなかった。政治的な思案に汲々としながら大学に残るより、患者に必要とされ感謝される生活を自分のために選んだ。

 ――ぼくらは家を残すための道具じゃない。

 そう、山寺の跡取りは言った。まだ進路に迷う子供だった頃のことだ。

 ――自由意思のある一人の人間だ。だから、自分の望むように生きる権利がある、と思う。

 家族ばかりでなく、村人もまた敏夫にも静信にも家を継ぐよう期待している。けれどもそれを背負う義務を、敏夫も静信も持たない。自分の未来は、自分の自由意思で決めていいはずだ。だが、他者の期待に背くためにあえて別の未来を選択することを、果たして本当に自由意思というのだろうか、と静信は言った。

 村の者が敏夫や静信に期待を抱くのは当然のことだ。誰もが医者にいて欲しいのだし、住職にいて欲しいのだ。確かに医者も寺も、あるに越したことはない。不要なものというのならともかく、それは明らかに必要なもので、その存続は自分の意思ひとつに委ねられている。――結果、敏夫は村に医者を残す道を選んだ。

 山の中に孤立した村、日本の同じような村々と同様に若者は流出し、年寄りばかりが残っている。彼らには医者が必要だった。だから自分がそれになった。自己犠牲ではない。他者に必要とされ、感謝される人生を選んだのだ。

(なのに、おれは何もできてない……)

 敏夫はステアリングを握りしめる。夏以来、勢いをつけて増え続ける死者、これだけの人間が死んで、孝江ですら怪しむほどの異常事態に至っても、未だに解決の方策が見えない。患者は増え続けている。以前として致死率は百パーセント。く、死に至る機序さえ把握できない。

 暗澹たる気分で前田家についた。明かりの点いた典型的な農家の玄関には、中年の女が待ちわびるようにして立っていた。家の地所に車を入れると駆け寄ってくる。

「先生、済みません」

「あんたは」

 ぺこりと頭を下げたのは、前田元子だった。夏の最中、子供が車に撥ねられて駆けつけてきたあの母親。

「いつぞやは……どうも」

 元子は、恥じ入るように言って頭を下げた。

「お久しぶり。茂樹くんは、あの後どうでしたか」

「おかげさまで特に何事もありませんで。本当に、あのせつは失礼しました」

 前田茂樹が担ぎ込まれてきたのは、七月のことだったか。もう、はるか以前のことに思えた。もう十月だから、丸ふた月以上が経過したことになる。

「大事なくて良かった」

 元子に促されて家の中にはいると、玄関先に中年の男が一人、途方に暮れたように佇んでいた。元子の夫だろう。

「容態がおかしいのはお舅さん?」

 はい、と元子は頷いて奥へと案内する。茶の間を通り抜けた六畳に、二組の布団が敷かれ、その一方の枕許に老女が坐り込んでいた。

「ああ――先生、息が……お爺さんの」

 両手をついて振り返ったのが元子の姑だろう。敏夫は頷き、枕許に座る。横たわったのは六十過ぎの男だった。すでに死相が現れている。敏夫は取りあえず脈を取る。触知なし、血圧もゼロ、瞳孔も散大。

「……亡くなってます」

 わっと妻女が泣き崩れた。それを見つめ、敏夫は顔を覆った元子に目を移す。

「具合が悪かったんですか」

 はい、と元子は頷いた。

 元子が舅である巌の異変に気づいたのは三日ほど前のことだった。どうも怠そうで、食欲も落ちた。顔色も悪いように思われた。ずっと以前に、班を通してチラシが配られたことがある。元子はその内容を覚えていたし、だから巌も貧血ではないかと思ったのだった。チラシでは医者に行くよう勧めていた。だから元子も、病院に行ってはどうかと巌に勧めた。だが、「嫌だ」と巌は言った。

 巌は壮健で、六十を過ぎるこの歳まで病気ひとつしたことがないのが自慢だった。そのせいか、他人が寝付いていても何か不始末でもしでかしたかのように言って責める性癖があった。実際のところ、特に持病もなく、風邪や腹痛で寝付いたこともない。毎日、元気に山や田圃に出て行く。その巌が傍目にも怠そうだったから、元子は気になってたまらなかったのだが、巌はそれが気に入らなかったようだった。医者にかかる必要などない、と言い張る。

「わしは別にどこも悪くない」

 これに同意したのは、姑の|登美子《とみこ》だった。

「そうよ。お祖父さんは丈夫な質なんだから。だいたいあんたは心配のしすぎ。すぐに大騒ぎするんだから」

「でも……」

 登美子は声を荒げた。

「そりゃ、お祖父さんも人の子だから、ちょっとばかり具合の悪いこともありますよ。でも、そんなのは山に入って汗を流せば治るもんよ。病気をするのはね、不摂生をするからよ。お祖父さんなんて、未だにちゃんと働いてて、朝だって早いし、夜更かしだってしないし。お酒も飲まなきゃ煙草も吸わない。それでどこがどう悪くなって言うの」

「ええ……でも……」

「うるさい」と、巌は露骨に機嫌が悪かった。「今日は早めに寝る。それで治る」

 それ以上は強くも勧められず、元子は口を噤んだが、やはり気になって仕方がなかった。巌は健康なだけでなく、意気盛んな老人で、機嫌を悪くすると口やかましい。それが必要最低限、それだけで口を噤んでしまったのがらしくなかったし、機嫌を損ねると元子などは身が竦むほど怖いものなのに、怖いと思わせるほどの覇気がなかった。そして、その翌日も治ったようには見えなかった。依然として巌も登美子も、何でもないの一点張りだったが、元子は不安で堪らず、おろおろと口を挟んでは二人を怒らせた。

 そもそも巌も登美子も、元子が小心なのが気に入らないのだ。心配性で怖がりなのは、巌らにとって弱いことと同義で、弱いことは良くないことなのだった。はっきりものを言わない、何というと口ごもる、心配をしすぎる、すぐに胃痛や頭痛を起こす、と舅姑は元子を責める。元子がそんなふうだから、孫まで神経質だ、と元子は叱られてばかりだ。自分は実際、気弱すぎるという自覚があったので、元子も懸命に気に病むまい、くよくよすまいとするのだが、舅や姑の及第点には至らないようだった。

「どんなふうに具合が悪かったんだい?」

 敏夫に訊かれ、元子は感じたところを述べた。敏夫は溜息をつく。

「医者には?」

「いえ……お祖父ちゃんが、寝てれば治るって言うものですから……」

 弾かれたように登美子が顔を上げた。

「そうよ。本当に、一回だって寝込んだことはなかったんだから。そりゃあ、丈夫な人で、不養生だってしなかったし」

 そう、とだけ敏夫は言った。

「急性心不全だろうね。それ以上、詳しいことは病理解剖してみないと分からない」

「解剖……」元子は血の気が引くのを感じた。「あの、お祖父ちゃん、解剖されちゃうんですか?」

「冗談じゃありませんよ」登美子は泣きながら声を荒げる。「お祖父さんを切り刻むなんてとんでもない」

「医者にかかってないからね。本来的には、最後に見てから二十四時間以内に死んだんでないと、死亡診断書は出せないんだよ」

 登美子は敏夫をねめつけた。

「分かりました。――で、お幾ら出せば、診断書を書いてくれるんです」

「お義母さん」

 元子は声を上げ、敏夫と登美子を見比べた。

「それはどういう意味ですかね」

「そういうことなんでしょ? 出すもの出さないと、診断書も出せないっていう」

「そういうことを言ってるんじゃない」と、|傍目《はため》にも敏夫が気を悪くしたのが分かった。「あんたは旦那が元気な人だったという。元気な人がどうして突然、死ぬんだい。どっか具合が悪かったんだよ。あんたはどこが悪かったのか、知りたいとは思わないのかね」

「そんなこと知ったって、今さら取り返しがつくもんじゃないでしょう」

「まあ、そうだな」敏夫の声には棘が露わだった。「具合が悪いときに医者に診せなきゃ、取り返しのつけようもない」

 登美子は敏夫をねめつけ、そして元子を振り返った。

「だいたい、あんたが煩く言うからよ」

 元子は思わず後退り、瞬く。

「病院に行け行けって、常日頃から。なんでもないことに大騒ぎするから。だからお祖父さんは――だから」

 登美子は言葉を見失ったように突っ伏して声を上げて泣き始めた。夫の|勇《いさみ》が駆け寄って母親の背中を撫でた。身を縮めた元子の肩を敏夫が叩いた。そつと部屋の外に促す。

「……気にしないほうがいい。お祖母ちゃんは気が立っているんだ」

「はい……」

 敏夫は溜息をつく。

「おれが責めたせいだな。申し訳ない。まあ、巌さんの健康を過信して医者に見せなかったのが本人にも悔いになってるんだろうな」

 そうですね、と元子は呟いた。

「あの、解剖は」

「無理には勧めないよ。本音を言うと勧めたいところだけど、遺族の意向を無視するわけにもいかないんですね。ただ、本当に原因不明じゃ診断書は書けないんだ、本来はね」

「はい……申し訳ありません」

「せめて採血させてもらっていいかね。最低限の資料が欲しいんだ。そうでないと、こっちも問題になることがあるんで」

「はい、でも」と、元子は六畳のほうを見た。果たして登美子がうんというだろうか。

「死後の処置をするんで、ちょっとお義母さんたちに席を外してもらう。そのときに、どうだろうね」

 元子は不安に思いながらも頷いた。敏夫は礼を言い、六畳に戻る。登美子に説明をして、席を外させた。新しい着替えを持ってきなさい、と言われ、元子はそれを探しに行く。

「おかあさん、何かあったの?」

 二階に上がると、茂樹と志保梨が不安そうに部屋から顔を覗かせた。

「ちょっとね」と、元子は言い、寝ているように言う。「お客さんが来ているから、部屋から出ちゃだめよ」

 頷いた二人を見守り、元子は胃のあたりを押さえた。

 ちゃんと言うべきだったろうか。お祖父ちゃんが死んだのだ、と。だが、突然の死をどう伝えていいのか分からない。下手な伝え方をして心の傷になるようなことがあったら、と元子は竦む。――心配しすぎる、という義父母の言い様は不当ではない。実際に元子も自分はいろんなことを考えすぎる、と思う。こうやって迷って、とりあえず嘘をついたことが、二人を余計に傷つけるのかもしれない。結局のところ、誰かに相談して、こうしろ、と言ってもらえなければ何をする踏ん切りもつけられないのだった。

 重い息を吐いて、元子は納戸に入った。|経帷子《きょうかたびら》を着せて納棺するまで、普通は寝間着か浴衣、でなければ着物を着せておくのが慣わしだった。登美子は浴衣を、と言ってたから、浴衣でいいのだろう。箪笥を探り、できるだけ綺麗なものを探し出す。

(とうとう、うちでもお葬式だわ……)

 元子は何気なく、そう思った。山入で老人たちが死んだのは夏のことだった。その前後にも葬式があった。友人の加奈美の知り合い――正確には加奈美の母親と仲の良かった誰かが死んだらしい。加奈美の「ちぐさ」では、夏以来、死に事が続く、葬式が多い、という話題が出ていた。実際、元子も「ちぐさ」で頻繁にどこそこで葬式だという話を聞いたし、実際に葬儀を出している景色を見かけたことがある。今年は変だ、と誰もが言う。そのたびに元子は「そうね」とだけ答えてきた。人死にが多いのは事実だ。――少なくとも、死んだという話が多かったのは事実。

(でも……)

 元子は不意に鳥肌が立つのを感じた。話の上だけだったものが、自分の身の回りで事実になった。これが死というものだ。それが続いていた、夏以来。

 元子は背後を振り返る。不安そうに頷いた二人の子供たち。

(余所者が来た……)

 元子は頭を振る。それと巌の死は何の関係もない。巌は事故で死んだわけではない。

(村に……余所者が……)

 関係ない。だから、元子の子供を奪っていく者などいないはずだ。

 ――国道にさえ行かなければ大丈夫。

 元子は自分に強く言い聞かせた。

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「ちょっと、タツさん、聞いた?」

 タケムラの店先に、大塚弥栄子が駆け込んできた。

「前田の巌さんが死んだんだって」

 へえ、と声を上げたのは佐藤笈太郎だった。

「あのとっつぁんが。あのくらい元気な人もいないと思ってたのになあ」

 タツが訊くと、弥栄子は今朝、と答えた。

「朝、登美子さんが起きたら、隣で冷たくなってたんだってさ。びっくりするじゃない、ねえ?」

「なにかしらねえ」と、大川浪江が渋面を作った。「どうしてこんなに人が死ぬのかしらね、今年は。うちの松村さんとこの娘もさ、こないだ死んだのよ。富雄が葬式、采配してねえ」

「あらまあ」と、弥栄子は頷く。「うちもよ。大塚製材の息子が死んだからさ」

 変ね、といったのは広沢武子だった。

「なんだかさ、変じゃない。こんなに人が死ぬなんて。夏以来でしょ。ほら、山入で人が死んでさ、もう五人」

「五人」と、笈太郎が目をぱちくりさせた。「そんなにいるもんかい」

「いるよ」と、武子は憤慨した。「山入で三人だろ、でもって大塚の息子と、村松の娘なんじゃないの。五人じゃない」

 弥栄子が手を振った。

「だから、巌さんが死んだんだってば。六人よ、だから」言って、弥栄子は首を傾げた。「あれ? 違うわ、つい最近もこんな話をしたわよねえ」

 ああ、と笈太郎が手を叩いた。

「中埜の息子だよ。そういえば死んだんだった」

「あら」と、大川浪江は指を折る。「じゃあ、七人?」

「待ちなよ、まだいるよ。ほら、清水の娘が死んだじゃないか。でもって、大川だよ。浪江さん、あんたんとこは縁続きじゃないのかい。大川の茂くんが死んだんだ」

「そうだわ」と、浪江は狐につままれたような顔をした。「じゃあなに? 九人?」

「そんな馬鹿な」武子は口の中で唱えながら、指を折っていった。「七で、八、九……あら、本当に九人だわ」

 タツは息を呑んだ。|鳩尾《みぞおち》のあたりで悪寒がした。

「駐在を忘れてるよ」

 あ、と老人たちは声を上げる。それぞれが呆気にとられた顔をした。タツはそれを見やり、さらに心の中で唱える。それだけじゃない、何度も葬式で村を出入りする車を見た。安森工務店でも葬式があったし、たしか丸安の製材所でも死人が出ている。誰とは分からないけれども、それとは別に最低でももう二、三軒。――この数は異常だ。

「こりゃあ、郁美さんじゃないけど、変だよ。絶対にどうかしてる」

 笈太郎は猫のように顔を拭った。

「変ったって……」武子は周囲の顔色を窺うようにした。「だって、別に事故ってわけじゃないし。みんな病気で死んでんだろ?」

「まさか、伝染病じゃないだろうね」

 笈太郎が言うと、浪江が手を振る。

「そりゃあ、ないわよ。伝染病だったら役所から色々言われるもの。ほら、隔離したりさ。確か、伝染病だと土葬にできないのよ。昔、お父さんから聞いたことがあるわ」

「でも、そうでなくて、どうしてこれだけの人間が死ぬんだい? それも三月――いや、実質、八月と九月、ふた月の間だよ」

「でも、伝染病はないわよ」

 おそるおそる、というふうに声を上げたのは弥栄子だった。

「まさか本当に、何かの祟りなんじゃ」

「祟りって、何の」

「何だか分からないけど。……ああ、ほら、あちこちの庚申さまが壊れてたことがあったじゃない。確か、神社の弘法さまも壊されて。あれの祟りとか……」

「馬鹿馬鹿しい」武子は鼻で笑った。「あんた、郁美さんに感化されてんじゃないの? そうでなきゃ、大塚製材の感化よ」

「違うわよ。そりゃ、あたしだって馬鹿馬鹿しいとは思うけど、だって妙じゃない」

「およしよ」と、タツは口を挟んだ。店の前の村道を、郁美がやってくるのが見えた。タツの視線を追って、年寄りたちがいっせいに口を噤む。

「あら、郁美さん、お久しぶり」弥栄子が取ってつけたような明るい声を出した。郁美は笑い、そして店を通り過ぎようとする。「あら、郁美さん、寄ってかないの」

 郁美は足を止めた。

「ちょっとね。忙しいのよ、あたしもね」

「どうしたんだい」笈太郎は瞬いて、そうだ、と声を上げる。「あんた聞いたかい。前田の巌さんが死んだってさ」

 そう、と郁美は笑った。これ見よがしに溜息をつく。

「こうなることは分かってたけど、可哀想にねえ。じゃあ、ちょっと寄ってみないといけないかしら。大変だわ、本当に忙しくて」

 タツは眉を顰めた。

「あんた、葬式の出た家に行って、祟りだなんだと言ってんのかい」

「あら。だって教えてあげないとね。やっぱり。後々続いたら困るでしょう。一人死ぬと、家族を引いていくことがあるから」

「御苦労なことだね」

 タツは皮肉を含ませていったが、郁美は機嫌よく笑った。

「感謝されてるのよ。そりゃあ、ものの分からない人もいるけど、世の中、道理の分からない人ばっかりじゃないから。最近、ちょくちょくお祓いしてくれって人が来てさ」

 おやまあ、と武子が目を剥いた。

「家の方角はどうだろうとか、相談されちゃってね。これも人助けだから、あたしも気持ちよく相談に乗ってあげるんだけど」

 タツは、素っ気なく頷いた。そうか、と思う。それで郁美は上機嫌なわけだ。

「知らない仲じゃないんだから、何かあったらみんなも言ってちょうだい。特に弥栄子さんと浪江さんね。縁続きで人死にがあったでしょう。気をつけなさいよ」

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 田茂定市が事務所に顔を出したとき、静信は法事がひとつ終わって一息ついたところだった。事務所には静信だけだった。光男は例によって雑用で奔走しているし、鶴見らは法事のために駆けまわっている。夏以来の死者のための法事が、積もり積もって寺を忙殺し始めていた。

「若御院、聞きましたか」

 何を、と静信が定市に問うと、定市は困り果てたような顔をした。

「中外場の昌治さんなんですがね」

 静信は背筋を伸ばした。中外場の世話役、小池老だ。

「昌治さんに何か――?」

「いや、それが。昌治さんがどうしたわけじゃないんですが、あそこの息子一家がね、いなくなったっていうんですよ」

 静信は虚を突かれて瞬いた。

「いなくなった?」

「ええ。ゆうべね、氏子の寄り合いがあったんですよ。中外場の三安が越したって話は御存じですか」

「ええ、聞きました」

「三安の誠一郎さんが、中外場の村方世話役でね、その人が突然、引越しちまったもんだから、代わりを立てないといけなくてね。そろそろ霜月神楽のことも考えないとならないんで。それで、とりあえず小池の昌治さんに相談しようってんで来てもらったんですわ。――まあ、寄り合いっていっても、そういう相談だから、雑談と大差なくてね。例によってみんなで夜中まで飲んで、くだ巻いてたんですけど、それで昌治さんが帰ったら、家の者がいなかった、って話なんですよ」

 そんな、と静信は呟いた。

「昌治さん、驚いてうちに連絡してきてね。いったいどうしたんだろうって心配してたんですけど、そうしたら今朝になって――ついさっきですわ。近所の者が、昌治さんの留守中に例の高砂運送、あれが来てたって教えてくれたらしいんですよ」

「越したんですか? 昌治さんをおいて? 何の相談もなく?」

 そうなんですよ、と定市は頭を抱えた。

「わたしも呆れるというか――どうなってるんですかね、近頃の村は」

 定市は顔を上げ、静信の顔を覗き込んだ。

「若御院、何か聞いてないですか、尾崎の若先生から」

 静信は定市の縋るような顔を見返した。

「流行り病だって噂があるんですけどね」

「流行り――病」

「夏からね、多いでしょう、死人が。悪い病気でも流行ってるんじゃないか、ってみんな言ってはいたんですけどね、半分は冗談みたいなもんだったんですよ。けれどもね、つい一昨々日も、竹村の美智夫くんが死んだでしょう。こいつはおかしいんじゃないか、本当に伝染病なんじゃないかって」

 まさか、と静信は答えようとして答えられなかった。わずかに首を横に振った。

「若御院、どうなんです? なんでも若御院は方々に出向いて、いろいろと話を聞いているって話じゃないですか。それは――」

「定市さん」静信は先を制した。「ぼくには答えられません。どうしても気になるのでしたら、敏夫に直接、訊いてください」

 定市は押し黙って、静信の顔をまじまじと見つめた。

「……近々、区長会議を招集させてもらってもよろしいですかね」

「その前に、三役だけで」

 静信が言うと、定市は頷いた。黙って頭を抱え、深い溜息を落とした。

 静信は定市を見送ると、光男に留守居を頼み、寺を出た。まっすぐに中外場に向かい、小池老を訪ねる。小池老は広い家の中にぽつりと坐り、虚脱したように背を丸めていた。

「小池さん」

 縁側から声をかけた静信に気づくと、小池は、ことりと会釈する。なんのために静信が来たのか、分かってる様子だった。

「あの――定市さんから話を聞いて」

「とにかく上がんなさい」

 静信は一礼し、茶の間へと上がり込む。小池は座るよう、視線で示しただけで、やはり力が抜けたように身動きしなかった。

「息子さん一家がいなくなったとか」

 小池は深く頷く。

「まったく……何を考えてたんだか」

「本当に出て行ってしまったんですか」

「らしいな。近所の者が、荷物をトラックに積み込むところを見ててね」

「保雄さんは何か言い残していかなかったんですか?」

 小池は首を横に振った。

「伝言もなけりゃ、書き置きもない。さっき勤め先に連絡したら、三日も前に辞めてやがった」

 辞めた、と静信は口の中で復唱した。小池の息子、保雄は確か、溝辺町のNTTに勤めていたはずだ。

「辞める理由は何も言ってなかったらしくてね。呆れた話だよ。息子がねえ、わしに黙って仕事辞めて一家連れて出て行ったってんだから、情けないやら悔しいやら」

 言って、小池は掌の付け根で目許を押さえるようにした。

「あの……事前に何か、それらしいことを言ってなかったんですか。失礼ですが、何か諍いがあったとか」

 何も、と小池は投げ出すように言う。

「ゆうべ帰ったら、家がまっまくらでね。全員が全員、寝るような時間じゃないし、近頃は孫が宵っ張りでね。それで、何事かあったんだと思ったんだわ。孫が具合でも悪くなったんだろうかって」

 小池は自嘲するように口許を歪めた。

「人の子のほうがね、一昨日から具合が悪かったもんで。立ち眩みってのかな、風呂上がりに坐り込んでね。それで寝かせてあったんだ」

 静信は、どきりとして小池の震える口許を見つめた。

「保雄もぼーっとしたふうだったし、嫁も何だか気分が優れないふうでさ。おまけに孫はその有様で、上の子も何だか青い顔しててね、それで一家揃って風邪でも引き込んだのかと思ってたんだわ。……そしたら、何のとこはない、あいつら、胸に納めたことがあって、黙り込んでただけなんだ。さすがにわしに後ろめたかったのか、含むところがあったのか」

「……小池さん」

 小池は何の意味でか、首を横に振った。

「そんなこととは思わねえで、家の明かりが消えてるのを見て、下の子が具合悪くて病院にでも連れて行ったのかと思ってね。肝を冷やしたら、出て行ったって」

「待ってください。小池さん」

 静信は小池に|躙《にじ》り寄った。

「具合が悪かったんですか? 下の子――郁生くんですよね、確か」

「ええ」

「郁生くん、どんな具合だったんですか。熱はありましたか?」

 いや、と小池は落ちくぼんだ目を瞬かせる。

「熱があるふうじゃなかったなあ。脳貧血ってやつ、あれだろうって言ってたんで。もともと瘠せた子で、貧血気味で低血圧ってんですか、それでね。顔色は紙みたいに真っ白でしたけど、熱はなかった」

「頭痛とか、吐き気とかは」

「いや。別にそういうことは言ってませんでした」

「それが一昨日ですか?」

「はあ」

「保雄さんはどうです。他の人は? 似たような感じですか」

「上の子は似たような感じだったなあ。ぼうっとしたふうで。――いや、ぼうっとしたのは保雄か。怠そうというか、眠そうというか。妙な目つきで……こいつ酔っぱらってるのかなと」

「ちょっと待ってください。それは誰の話です? 上の――董子ちゃん? それとも保雄さん?」

 ええと、と小池は呻いた。

「分からない……わしは」

「ひょっとして、皆さん似たような状態だったんですか?」

 静信が言うと、小池はぽかんとしたように静信を見返してから、そうか、と呟いた。

「そうです――そうだ。確かに、みんな似た按配だったんです。どうもぼうっとしたふうでね、なんて言うんですか、なんか目ばっかりぎらぎらしててね。妙に据わってるんですよ、目が。そのくせあらぬところを見てる感じで――」

「憑かれたような……?」

「そうですわ、それ」

「それが一昨日から?」

「一昨日――なのか。その前の日だったのか。けれどもそのくらいです」

「保雄さんが辞めたのと、同じ頃ですよね?」

「ええ、そうです。そういう計算になりますわな」

 まさか、と静信は思った。ひょっとしたら、一家は発症していたのではないのか。それはあまりに、例の病気の前駆症状に似ている。そして突然、仕事を辞め、そして転居した。仕事を辞めたところまでは清水隆司らと同様だ。その後が違うだけで――。

「保雄さん一家は、最近どこかに出かけませんでしたか。村の外じゃなくても、村の中でもいい。たとえば山に入ったとか、山入に行ったとか」

「いや、別に……」

「では、誰かを訪ねたとか、訪ねてきた人がいるとか、そういうことは?」

「それも別にないと思うけどね」言ってから、小池は思い出したように、「そう言えば、嫁が兼正の住人に会ったとか言ってました」

 静信は眉を顰めた。

「桐敷さん――ですか」

「はあ。夜に、近所に回覧板もって出かけて、その帰り道に桐敷の旦那にあったとかで。それでちょっと立ち話をしたとか言ってましたが。今度、遊びに来てくださいよ、って言ったら、奥さんと娘を連れてくるって。あそこの娘、うちの下の孫と同い年くらいだそうで。そう言ってたらしいですけど、それきり別に来たって話は聞いてねえなあ」

「そうですか……」

 何か事件はなかったか、それこそ虫に噛[#「噛」の字は旧字体。Unicode:U+5699]まれたとか、その程度のことでもいい、そう言ったのだが、小池は特にこれということを思い出せなかったようだった。ともかくも慰め、静信は小池の家を辞去する。帰り道、尾崎医院の前を通ったので車を停めた。

 これを敏夫に伝えておくべきかどうか――静信は少し迷った。敏夫は疲れているのだ。重大な事態を前に焦っているし、精神的なプレッシャーに喘いでいる。実際のところ、静信が転居者に時間を割くのは、敏夫にしたら時間の浪費以外のものには見えないだろう。気持ちは分かる。その苛立ちも、無力感も。だから寄って、わざわざ小池老の話を伝えることは躊躇われた。

 だが、一家は発症していた可能性がある。静信では見極めがつかないが、敏夫が直接小池老から話を聞けば、見極めがつくかもしれない。どうしようか迷い、結局、静信は車を降りて病院の裏手に向かった。

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