饭饭TXT > 海外名作 > 《屍鬼/尸鬼(日文版)》作者:[日]小野不由美【完結】 > 尸鬼@txtnovel.com.txt

[#地付き]――創世記 第四章.10

作者:日-小野不由美 当前章节:15364 字 更新时间:2026-6-15 17:40

 敏夫は聴診器を片づけながら溜息をついた。

「また祟りだの何だの言い出すんじゃないだろうな」

 あら、と郁美は心外そうだった。

「だって、おかしいじゃないですか。同じ血筋で立て続けに三人も死んだんだもの」

「義五郎さんも亡くなってるよ」

「義五郎さんは、村迫の家と家族同然だったじゃない。とばっちりを食ったってことも、あるんじゃないかしらねえ」

「なんのとばっちりだい。あんまり馬鹿なことを言うもんじゃない」

「若先生はすぐにそう言うけど、実を言うと、わたしは見たのよ」

「見たって何を」

「実はね、十日ほど前だったかしら。妙な夢を見たの。山入の上に真っ黒な雲が浮いているのよ。それだけの夢だったんだけど、わたしはピンと来たわ。きっと山入で良くないことがある、って」

「単なる夢だ。――じゃあ」

 言って立ち上がりかけた敏夫の膝を郁美は[#「掴」の字は旧字体。Unicode:U+6451]んだ。しっかりと体重をかけて縋りつくようにしたまま放さない。

「伊藤さん」

「わたしには分かったのよ。絶対、山入で不幸があると思ったんだから。そしたら、秀司さんに続いて、あの騒ぎでしょう。やっぱり村迫の家には、何かあったのよ。わたしは若い自分に、三重子さんにそう言ったことがあるんだから。あの家は良くないわよ、あんた、あそこに入ったままでいるとろくな死に方しないわよ、って。けども、三重子さんも人の話には耳を貸さない人だから。そしたらあの夢でしょう。わたしにはピンと来たけど、また妙な顔をされるのも嫌だから。それで黙ってたんだけど、分かってて何もしないのも気分が悪いじゃない。だからね、特別にお祈りをしたのよ、村迫の家で嫌なことが起こりませんように、って。そしたら、ご祈祷[#「祷」の字は旧字。Unicode:U+79B1]の最中にヤモリが出てきたの、それも二度も」

 そう、とそっけなく言って、敏夫は郁美の手を引き剥がそうとしたが、右手を剥がせば左手が伸びてくる。

「これは駄目だ、と思ったのよ。それだけじゃないの。ほら、わたしは前々から言ってるじゃない、今年はおかしいって。お正月に占ったとき、良くない予感がしたのよねえ。そしたらこの暑さで渇水でしょう。おまけにね、今年に入ってからずっと、兼正の家のほうから良くない気を感じるの。悪いものが淀んでる感じがするのよ。こないだからそれが、山入のほうに流れていってるなって思ってたの。ほら、水が流れるみたいにね、ちょろちょろ山入のほうに流れてる感じがしたのよ。そしたらあの予知夢でしょう。兼正の土地を売ったのは良くなかったと思うのよ。あれで村の気が、ぐっと悪い方に傾いたのね。もともと兼正は曰く因縁のある場所だし」

「伊藤さん、おれはあんたのご託を聞いてられるほど暇じゃないんだがね」

「まあ、お聞きなさいって、悪いことは言わないから。兼正のあの家ね、あれは良くないのよ。あの家、方角も良くないの。門の位置が変わったでしょう、兼正の前の家とるあれは良くなかったのよ。せめて前のままにしておかないといけなかったの。それを教えてあげようと思って、訪ねたんだけど、誰もいないでしょう。きっとね、不幸があったのよ。賭けてもいいわ。越してくる予定だったのに、身内で不幸があって、それで越してこれなくなったの。無理もないわ、あんな家、建てるんだもの」

「伊藤さん」

「これだけじゃ終わらないわよ。もしもあの家に、本当に人が越してきてごらんなさい。もっと酷いことになるから。若先生、知ってます? うちの近くにね、三猿の石碑があるじゃないですか。あれが割れたんですよ、先日。ちようど山入で三人が死んだ頃なのよ、それが。それで気になって見に行ったら、三之橋の袂のお地蔵さんも、神社の手前の弘法さまも壊れてたんですよ。首が落ちてバラバラに割れてたの。聞けば、義五郎三さんの死体はバラバラになってたって言うじゃないですか。これが無関係だなんてこと、あると思います?」

「おれには、無関係としか思えないがね」敏夫は邪険に郁美の手を引き剥がした。「とにかく、特に具合の悪いところはないから。できればおれを呼ぶ前に、もう少し冷静に様子を見て欲しいもんだな」

 あら、と郁美は敏夫をねめつける。

「わたしは冷静ですとも。わたしのいうことを信じてないんでしょう。けども、妙な予知夢を見て以来なんだから、調子が悪いのも。きっと毒気に当てられたんだと思うわ。ずっとなんだから、本当に」

 そう、と言い捨てて、敏夫は土間に下りる。二度と郁美の往診だけはしたくないものだと切実に思うが、きっとまた呼ばれることになるのだろう。直接、郁美から電話があって呼ばれるのなら、断りようもあるし、電話で様子を訊いて済ますこともできる。けれども必ず電話してくるのは娘の玉恵で、往診を断ろうとすればヒステリックに泣く。後で郁美に叱られると言って泣き縋ったあげく、泡を吹いて倒れ、玉恵のほうが救急車で運ばれたこともあった。敏夫の父親は、この母子を毛嫌いし、往診に呼ばれるたび青筋を立てて起こっていたが、それでも根負けする形で、結局、かんかんになりながらも足を運んでいた。おそらくは敏夫も同様に、また引っ張り出されることになるのだろう。

 まだ何かを言いつのっている郁美を置いて、さっさと土間を玄関に向かう。玄関脇の部屋から玉恵が出てきて頭を下げた。差し出した封筒は使用済みのダイレクトメールのもので、その中には、最低限の規定額が入っていると、敏夫は長年の付き合いで知っている。

「どうも……」

 玉恵は沈んだ声で言う。敏夫は溜息交じりに封筒を受け取った。

「玉恵さんの苦労は分かるけどね、こういうことで呼ばないでくれないか。こうしている間にも、本当に診る必要のある急病人が、病院に駆け込んでいないとも限らないんでね」

 済みません、と玉恵はたっぷりした体を縮めた。

「お母さんが、どうしてもって……」

「それは分かっているよ。だが、おれだって、世間話のために呼び出されたんじゃ困るんだよ。せめてお母さんのほうが病院に来るよう説得するなり、少しは玉恵さんが水際で止めてくれないと」

「……はい」

 玉恵は、うっそりと頭を下げた。敏夫は再度、溜息をついて玄関を出る。道には|陽炎《かげろう》が立ち、灼かれたアスファルトは熱波を上げている。|気怠《けだる》いほど淀んだ空気にうんざりせざるを得なかった。

 あの母親を抱え、二人きりで生活している玉恵の苦労は分かっているが、こうして忙しい中、しかも暑い中を引っ張り出されれば玉恵に対して苛立ちを感じないではいられなかった。せめて二人に意見してくれる親戚なりともいればいいのだが、郁美は村外から嫁に入った女で実家とは疎遠だし、あの奇妙な言動のせいで村内の親戚筋とはものの見事に縁が切れている。近隣の者も、敬して遠ざける、というふうで、相手をするのは暇を持て余したタケムラの老人たちぐらいなものだ。要求されれば面倒は見るし、それなりの手助けもするが、関わり合いになることを決して歓迎するわけではない。親子は村の外れ、二人きりで孤立していた。

「やれやれ……」

 まだ線香の胸が悪くなるような残り香が、白衣に染み付いている気がする。静信との友誼のせいで、線香の匂いには慣れているが、寺で嗅ぐ線香の匂いは嫌だと思ったことがかなった。むしろそれなりに風情のある匂いだと思っているぐらいだが、これは自分の気分の問題なのだろうか。それとも線香自体の問題なのだろうか。

 病院に戻ったら白衣を換えよう、そう思いながら病院の脇の土手道にさしかかったところで、ちょうど駐在の高見が姿を現した。制服姿のまま、首に引っかけたタオルで首筋を拭っている。車を寄せて停めると、高見は親しげに笑った。

「ああ、若先生」

 高見の木訥とした笑みに、敏夫は少しく救われた気がした。

「お疲れさん。見巡りかい」

「そちらこそお疲れさまです。往診ですか」

「伊藤の郁美さんのとこにな」

 敏夫が言うと、高見は大仰に息を吐いた。

「そりゃあ、本当にお疲れさまでしたねえ」

「まったくだ。高見さんも茹だってるふうだな。冷たいものでも飲んで涼んでいくかい」

「そりゃあ、ありがたい」

 高見は破顔する。敏夫は助手席を示したが、手を振って病院を示す。病院の敷地まで十メートルかそこらだ。意を察して車を走らせ、駐車スペースに入れていると、高見が後を追って敷地に入ってきた。

「いやね、念のために聞き込みのまねごとをしてみたんですけどね」

 敏夫は車を降り、高見の照れくさそうな顔を振り返った。

「聞き込みって、何を」

「もちろん、山入のあれが自然死だってのは承知なんですが。いちおう、不審な人物を見なかったか確かめておくのも悪いことじゃないだろうと思いましてね」

「ははあ」

「単に、そんなことでもしてないと、どうも役目を果たした気がしないという、それだけのことだと言えば、そうなんですけどねえ」

 高見は笑って顔を拭った。敏夫も、通用口に向かいながら笑う。

「それが人情ってものかもしれないな」

「それで思い立って、あちこち聞いてまわったのはいいですが、結局、聞いたのは加藤さんちの坊やの話ぐらいなもんですわ。なんでも、何日か前に怖い小父さんが村道を上に向かって歩いていったとか」

「怖い?」

 敏夫は通用口から上がりながら問う。

「子供のことなんでね、何がどう怖かったんだ、と聞いても要領を得なくて。どうも、夕暮れ時に男を見かけて、それがバットだか金槌だかを持ってて、怖かったというだけのことらしいんですけど。裕介くんによると、兼正の家は鬼の巣なんだそうです」

 敏夫は笑った。

「子供らしいっていうのかね。おれも餓鬼の頃はそんなだったのかな」

「覚えてないんですか?」

「忘れちまったよ。どうも周囲の人間の話を総合するだに、そういう可愛気とは縁遠かったようだが」

 高見が声を上げて笑って、休憩室から清美が顔を出した。清美ももちろん休みだが、患者があまりに多くて埒が明かないので出勤してもらった。せっかくの休日に清美も迷惑な話だが、給料を出すわけだから敏夫にとっても迷惑な話だ。

 高見は制帽を脱いで清美に挨拶する。敏夫は高見を連れて控え室に戻り、白衣を脱いで放り出すとクーラーの通風口の前に立った。それでようやく人心地がついた。

「クーラーってのは、人類にとって最大の発明だって気がするな」

「クーラーと冷蔵庫じゃないですか」

「かもしれん」

「暑い中を歩き回って、やっと聞けたのが、その怖い小父さんの話と、車の話だけですわ。ほら、七月の終わりに下外場の子供が車に引っかけられたことがあったじゃないですか」

 ああ、と敏夫は頷いた。

「あれきり別に見慣れない人間を見かけたこともないってんですから、村は平和です」

「それだけ世間が閉じてるんだろう」

 高見は帽子で顔を扇ぎながら笑う。

「いちおう、気になるんで兼正にも行ってみたんですけどね」

「それであんなところを歩いてたのか。しかし、気になるって何が」

「いや、あの車――黒の大きな外車だったって話でしょう。それで兼正の車なんじゃないかという噂がありましてね」

「なるほどな。きわめて分かりやすい連想だ」

「だもんで念のために兼正の様子も見てみたんですよ。本当に無人なのかどうか、確かめておくのも悪くない気がしましてね」

「ふうん?」

「門には内側から閂がかかってるようで、押しても引いても開きません。通用口も同じですわ。それで、ちょっと中を覗いてみたんですけどね」

 敏夫は口を開けた。

「なんだい、塀を乗り越えたのかい」

 ええ、まあ、と高見はいっそう照れたふうだった。

「気になったもんでねえ。中は可哀想なことでしたわ」

「まさか、荒らされてたとか?」

「いや、そういうわけじゃ。前庭に、ずーっと芝を植えてあるんですよ。ところが、住人がいなくて水をやってない、その上この日照りでしょう。それで、せっかくの芝がすっかり枯れててね。ありゃあ、もういちど植え込まないと、芝生になりませんや」

 なるほど、と敏夫は笑った。

「でも、おかけで車が入ったり人が出入りしたんなら、土が荒れて分かったんじゃないですかね。とりあえず踏み荒らされた形跡はなかったんで、やっぱり住人はいないんでしょうねえ。少なくとも、出入りしてる者はいないふうでした。窓から中を窺っても見たんですが、どうも人がいる様子じゃない。ついでに裏口に廻って、メーターも見たんですけどね」

「へえ?」

「水道もプロパンも、元栓から閉まってましたわ。電気のメーターもぴくりとも動いてない。プロパンも使った様子がなかったしねえ。ありゃあ、無人でしょう。ああも締め切ってたら、それこそクーラーと冷蔵庫の恩恵なしにゃ、生活できない」

「そうだろうな。クーラーはたまたま切ってるとしても、冷蔵庫が動いてりゃ、メーターは動くだろうしな」

「そうなんですよ。いや、とんだ骨折り損でした」

 高見は陽に焼けた顔を赤らめて笑う。敏夫もこれに苦笑を返した。誰もが話題に飢えている。――いや、変化に飢えているのだ。十年一日のように、何の変化もない暮らし。山入の事件は、そこに投げ込まれた石だった。彼らはその波紋を、できるだけ長く保ちたいのかもしれない。単なる不幸な偶然では片づけてしまいたくないのかも。その気持ちは敏夫にも分からないでもなかった。

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「どうです、厄落としをしていきませんか」

 広沢が言うと、武藤も頷く。結城にも否やはなかったので、二人の後に付いていった。

 後藤田の葬儀の後だった。結城は初めて埋葬式に参加し、土の下に埋められる棺を見た。村の内で使われる棺には蓋に小窓がない。葬儀の終わりに釘を打たれたまま、火葬場でそうするような最後の対面もなかった。そのせいか、棺が穴の中に埋められてしまっても死者が葬られたという感触に乏しく、火葬場で遺骨が上がってくるときのように永遠に死者と切り離された、という感じはしない。火葬とは違う奇妙な別離がそこにはあった。

 広沢と武藤は村の中心部――外場と呼ばれる――に向かい、商店街の外れにある店に入っていった。

 結城は興味を惹かれた。村に越してきて一年になるし、商店街には生活の必要もあって頻繁に出入りする。外れにあるこの建物には気づいていた。白っぽいテラコッタ仕上げの壁、アルコーヴのように窪んだところに黒い木製のドアがあり、磨りガラスが入っている。どうやら店舗らしいのだが、磨りガラスからは店の中が見通せず、表に面した小さい窓もステンドグラスが入っていて、やはり中は覗き込めない。店の名前は「creole」なのだと思う。磨りガラスに金文字で入っているが、結城はそれをなんと読むのか分からなかったし、ましてや何の店なのかも分からない。店を見るたびに気になってはいたが、さほどに重要なことでもないので、いつか武藤なりに聞いてみようと思いつつ忘れていた。

 広沢がドアを開けると、クーラーの冷気と一緒に静かなピアノの音が流れてきた。カウンターと小さなテーブル、コーヒーの匂い、喫茶店だったのか、と結城は瞬いた。

「いらっしゃい」

 カウンターの中には、四十半ばの瘠せた男が入っている。白いシャツに黒ズボン。バーテンダーを思わせる風貌だった。広沢は迷わずカウンターに坐る。結城も武藤とそれにならんだ。

「お揃いで。不祝儀ですか?」

 親しげな声に、広沢が頷く。アイスコーヒー、と声をかけるので、結城もそれに倣った。

「弔組でね。――こちらは」と言って、広沢は結城を振り返る。「結城さん。こちらはマスターの長谷川さん」

 よろしく、と長谷川は会釈して笑う。

「工房の結城さんですよね。初めまして」

「こちらこそ。……喫茶店だったんですね、ここは」

 結城が言うと、長谷川は声を上げて笑う。

「食事も出しますし、夜には酒も出しますけどね」

「この人は」と、武藤は渋い顔をする。「わざと看板を出さないんですよ」

「何か理由があるんですか? いや、私もお店には気づいていたんですが、何のお店だか分からないので遠慮していたんです。居心地のいい喫茶店を探していたのに」

「それは失礼しました。これを機会に御贔屓に」長谷川は言って、含み笑う。「いいんですよ、これくらいで。出ないと近所の小父さん小母さんの溜まり場にされちゃいますからね。優先で流行歌を流せだの、ランチに納豆を付けろだの言われるのは真っ平御免ですから。まあ、不遜ながらこうやって客を選んでるわけで」

「だから敷居が高い」

 武藤が恨めしげに言った。「喫茶店の看板も上げないし、わざと店の名前も横文字にして、読めないようにしてるんですからね、この人は」

「なんと読むんですか、あれは?」

「クレオールですよ」広沢が言った。「結城さんはジャズは?」

「嫌いじゃありません。そうか、そのクレオールか。でも、だったらディキシーなんじゃないですか?」結城は笑った。「チック?コリアじゃなく?」

「やりますね」長谷川は破顔する。「当店はお客様のような方をお待ちしておりました」

 くすくすと結城は笑った。

「長谷川さんも、転入組なんですよ」広沢も笑っている。「もっとも、奥さんが外場の方なんですけどね」

「ああ――そうなんですか」

「もう三年になりますかね」

 広沢の問いに、長谷川は頷いた。

「三年半ですね。何とか商売になってるからありがたい。越してきた当時は、女房に畑を作ってもらわないといけないかと思ってましたが、それなりに御贔屓にしてくれる人に恵まれたんで」

「わたしがこれを言うのは何ですが、どうしてまた外場に?」

 長谷川は苦笑した。

「商社マンだったんでけどね。四年前に一人息子を亡くしましてね」

 結城は言葉に詰まった。

「いや、気にせんでください。バイクの事故で呆気なく。それで気抜けしちゃいましてね。都会で踏ん張る気力がメゲたっていうか。女房の父親が一人で残ってたんですけど、息子の後を追うみたいに死んで。それで越してきたんです。喫茶店でもやって、夫婦二人で隠居するか、と思って」

「そうなんですか。奥さんはお店には?」

「いまは外に出てます。夕飯時にはちょっと早いんで。昼時と夕飯時、それ以降なんです、書き入れ時は」

「ランチも出るんですか?」

「簡単なものと日替わりしかありませんけれどね。夕飯も似たようなものです。基本はコーヒーと酒なんで」

「それは助かるな。外場はいいところなんだけど、ひとりで飲む場所がなくてね」

「そうでしょう」と長谷川は笑う。外場に越してこようと思ってね、一番気になったのがそれだったんですよ。でも、外場じゃ酒を飲む場所も喫茶店もないし、と思って。それで自分で始めることにしたんです。もともと興味もあったんで。半分は道楽みたいなもんですね」

 なるほど、と頷く結城に笑って、長谷川は広沢を見る。

「今日は学校は――ああ、今は夏休みか」

「本当は、ここしばらく出ないといけないんだけどね。今日は勘弁してもらいました」

「お疲れさまです。暑かったから大変だったでしょう」

「そうでもなかったかな。もう整理してあったんで」

「整理?」

 結城が訊くと、広沢は頷く。

「墓所のね。墓穴を掘るところが更地になっていたでしょう」

「ああ……」

「土葬ですから死人が一人出ると、棺ひとつ分の土地がいる。けれども、こちらじゃ樅を植えますからね。弔い上げになると墓――角卒塔婆を倒して樅を植えるんです。新仏が出て土地が必要になると、一番古い樅を倒して整地する。それを整理というんですが、整理が済んでないと本当に大変なんですよ。夏場のことだから整理がつくまで埋葬を待つわけにも行きませんからね」

「樅を倒すんですか? ぼくらが?」

「することもありますよ。ほとんどは安森工務店に頼みますけどね。夏場はあそこに頼まないと、間に合いません」

「安森工務店――ああ、門前の。あそこはそういうこともやるんですか」

「村の中では普請が少ないですからね。あそこが村の中でやる仕事は、ほとんどが墓所の整理です。後藤田のお婆ちゃんが、ついこの春、工務店に頼んでやってもらったばかりらしいですね。まだ土も軟らかかったし、おかげで我々は大助かりですが、自分のための場所に息子が入るんじゃあ可哀想な話です」

「外場では、死ぬ前に整理をして置くんですか」

「そういうことをする人もいます。年老いた親が自分の死期を見て、残されたものが慌てずに済むよう、自らの墓所を整える。少なくはないことですが、誰もがそうするわけでもありません。後藤田のお婆ちゃんは心がけの良い母親だ」

「……そうですね」

「本当に可哀想な話ですよ。どうも、かける言葉がなくてね。長患いの年寄りが死んだのなら、遺族に対しても慰めようがありますし、遺族自身にしても心の準備のしようもあれば、諦めようもあるんでしょう。けれど、子供に急死された親を慰める言葉なんか、この世に存在するんでしょうかね」

 広沢が言うと、感慨深げに長谷川が頷いた。武藤もなにやらしみじみとした顔をする。広沢はグラスを覗き込んだ。

「わたしにも四つになる娘がいますが、あの子が死んだときのことを想像すると、慰めようと考えること自体、無意味な気がします」

 結城はひとり息子の顔を思い浮かべた。

「……確かに、そうですね」

 自分が老境にさしかかり、息子だけが残され、そうして自分が死を覚悟した頃になって、息子に先立たれてしまったら。残された親の苦しみは想像に余りある。結城は、ふきの痛ましいほど頼りなげな姿を思い出した。葬儀の喧噪の中でただひとり、寄る辺を失ったかのように身を縮め、じっと悲嘆に耐えていた姿。誰もが、かける言葉を見つけられなかったのだろう。老母は衆人の中でぽつんと座っていた。――いや。

 結城は微かに眉根を寄せる。周囲の人間はむしろ、ふきのことなど念頭にないように見えた。誰も息子を亡くした老婆を顧みていなかった。その場にいた人々の興味は山入の方に向いていたのだ。

「……あんなものなんですかね」

 結城が呟くと、広沢が首を傾げる。いや、と結城は苦笑して見せた。

「秀司くんの葬儀が、どうも別のことで賑やかだったから。何となくこういう小さな地域社会では、ああいう場合、親身になって遺族を支えようとするものだという思い込みがあったんで」

 長谷川と武藤が顔を見合わせた。広沢は困ったように微笑む。

「確かに――今日の葬儀じゃ、秀司くんも、ふきさんもそっちのけで山入の話ばかりでしたが」

 それは、何かの祝祭のようだった。村人が話題に飢えているのは分かる。こういう事件が得てして周辺の者を喜ばせるものであることも。だが、何も葬儀の席でああまで|燥《はしゃ》がなくても、という気がしたのも確かだった。

「しかも、起こったことは惨事でしょう。同じ村の老人が三人、非業の死を遂げたわけじゃないですか。それが大事件だということは分かるし、だから葬儀の席上でも口の端に上がらざるを得ないことは分かるのですけど、何もあんな燥ぐような口ぶりでなくても、という気がするんです。同じ共同体の人間のうえに悲劇が起こったのだという――そういう扱いにはならないものなのか、と」

「結城さんは虫送りを覚えていらっしゃいますかね」広沢は静かに言う。「別当を担いで祠から祠へ練り歩いたでしょう」

「ああ――ええ」

 結城は首を傾げた。広沢が唐突に何を言い出したのか、一瞬、意を掴[#「掴」の字は旧字体。Unicode:U+6451]みかねる。

「道祖神……というと、道の神様ですよね」

「境の神、と呼んだ方がいいんだと思いますが。外場では道祖神がよく残ってます。地蔵や庚申塚の形をしていても、必ず石でできていて、性質としては明らかに道祖神の役割を果たしているんだそうです。村のウチとソト、その間にある境の神なんですよ」

 結城は瞬いた。

「すみません。わたしはそのへんは疎いもので……」

 失礼、と広沢は笑む。

「道祖神というのは、本来的にはウチとソトの境の神なんです。我々は自分のことを『ウチ』というふうに称しますよね。これは自宅の建物そのものを示すだけではなく、もっと観念的なものを含んでいるものです。自分や自分の空間、家族やそれらにまつわる記憶、様々なものを包含するイメージとしての『ウチ』というものがあるんですね」

「ああ、確かに」

「建物としての『ウチ』は境界線が明瞭です。家の壁、あるいは敷地の境界線。だいたいは建物の壁や塀で囲まれた空間を差すのだと思うのですが、いずれにしても、ここからここまでが自分の家だ、という境界線があるものですね。ところがイメージとしての『ウチ』には、明瞭な境界線がないのです。『ウチ』の外側には、必ずウチともソトとも区別のつかないグレイゾーンがあります。それは場合によってウチになり、場合によってソトになることもある」

「はあ……ええ」

「村の場合も同様です。外場は行政上は外場校区といいますが、こちらのほうは境界線がはっきりと決められています。けれどもイメージとしての村の境界線は曖昧です。いわば村自体が『ウチ』なんですね」

「ウチの会社、ウチの学校――」

「そう、それと同様です。我々は村を『ウチ』として認識するのですが、ウチがあればソトもある理屈で、結局のところ、これは世界をウチとソトとに二分することなのですけど、そうすると、その境界線はウチなのかソトなのかという問題になる」

「はあ、それは確かに……」

「観念に線を引くということは、そういうことなのでしょうね。白いものをこちらへ、白でないものを黒としてあちらへ弾いていく。すると最後には白黒どちらとも言えないグレイのものが曖昧なまま残されてしまいます。つまりはグレイゾーンでイメージを区切って二分すると、ということです。このグレイは場合によって――比較するものによって白になったり、黒になったりする」

「ああ、そうなのかもしれないですね」

「我々がイメージする『ウチの村』というものの境界線は、『ウチ』と同様にはっきりとしません。曖昧なグレイゾーンに取り巻かれている。この曖昧なグレイゾーンが『境』で、『境』というのは結局のところ、ウチでもありソトでもあります。道祖神というのは、この境の神なんですね。ウチとソトの間に位置する、『境』そのものの神」

「へえ……」

「ですから道祖神は、ソトから侵入しようとする邪霊や悪鬼からウチを守り、豊穣をもたらしてくれると同時に、道祖神そのものは悪霊だったりするわけです。この両義性が道祖神の特徴で、石というのは古来、生命あるものとないものの境の物質だとされています。ですから道祖神として、石や石碑、石地蔵を村境に祀ってあるんです」

「ああ、その道祖神を供養してまわるわけですね、お供えをして。そうしながら、ベットを振って村の中の穢れや罪、害虫や疫病を移して、境に捨てるわけだ。そういえば、この手合いのお祭りでは、必ず村の外れに捨てるんですね、不思議にソトじゃない」

 広沢は破顔した。

「そうです。それこそが境の両義性なんでしょう。村にとって鬼は疫病の暗喩です。ベットに従って鬼も一緒に村境へと出ていく。そうしながら、ウッポして境の内側を踏み清めていくんですね」

「なるほど、鬼はソト、福はウチだ」

 結城が笑うと、広沢も笑った。

「いまだにね」と、広沢は温厚に笑みを含んだまま言う。「そういう祭りを後生大事にしているところなんです、この村は。村の者にとって村はウチという意識が強い。かえせばそれだけ、ソトから孤立している」

「ああ……それは分かるような気がします」

 広沢は息を吐いて、コーヒーのグラスを見つめた。

「山入は、消滅寸前の集落でした。残っているのは三人だけ、それも地理的に孤立していたために、村の者からすると隔絶感があったのだと思うんです。山入が村のウチかソトかと問われると、過去の歴史や現在の行政上の区分けを考えても、ウチだとしか呼べない。けれども、意識の上では、どこかもうソトだという認識なのだと思うんです」

 結城は、ああ、と頷いた。

「ウチとしてイメージから弾き出されて、境のものになっていたんですね、山入は」

「そうなんだと思います。山入で老人が死んだ、これはウチの人間からすると、純然たる悲劇です。三人もの老人が孤立したまま、誰にも看取られることなくひっそりと死んでしまったわけですから。けれども、ウチにとっては悲劇でも、一旦ソトにでれば対岸の出来事にすぎないのです。とはいえ、対岸の出来事であっても、悲劇は悲劇です。我我が外国の災害を目にして、悲惨だ、可哀想だと思うように、対岸の出来事も悲劇として認識される。そこにはリアリティや身に迫った感じが失われているのですけど、これは悲劇として受け止めるべきだ、という思慮が働いて、悲劇として認識されるのです」

「けれど、山入はソトでもなかった?」

「そうですね。山入は境でした。ウチでもなく、ソトでもない。粛然とするほどウチのことではないのです。かといって、無分別に燥いではならないという思慮を働かせることができるほどソトでもない」

「ああ……そうか。なるほど」

「山入に対する扱いがどうしても浮つくのは、そういうことなのでしょうね。そして葬儀というのは、祭祀のひとつであり、祭祀というのは日常に対する非日常という意味で、祝祭の一種なんです。大勢の人が集まってひとつの儀式に参加する、という意味で祭りと何の違いもない。そこにさらなる非日常が飛び込んでくる。 それは全く無関係ではなく、しかも安全なほど離れた非日常です。だから、相乗効果、というのですかね――どうしても賑々しくならざるを得ないのでしょう」

「そうですね……」

 結城は頷いた。なるほど、そんなものか、と思う。納得しつつ心のどこかで落胆していることも事実だった。

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 山入の三人の遺体が戻ってくる、という知らせが静信の元にもたらされたのは、八月八日、秀司の葬儀の翌日のことだった。人口の減った山入の世話役を兼ねる安森徳次郎から連絡があって、葬儀の日程を打ち合わせる。

「さほどに急がなくてもいい。何だったら通夜は明日でも」

 徳次郎が電話の向こうで言うのに、静信は首を傾げた。

「いいんですか」

「それが、酷い話なんだよ。秀正さんとこの上の婿さんがいろんな手続きをやったんだけどね、よく事情を知らないもんだから、|荼毘《だび》にしちゃってね」

 静信は受話器を握ったまま瞬いた。

「それは――たしかに、秀正さんは――」

「遺体を返されたって仕様がないと言やあ、そうなのかもしれないがね。実際、大川の大将も義五郎さんを荼毘にしてもらったくらいだし。とは言え、三重子さんまで焼いちまったのは酷い話さ。婿さんがこっちじゃ土葬にするんだってのを知らなくて、手続きしちまったらしいんだがね。まったく、無神経の極だよ」

 静信は沈黙した。手続きをした婿が無神経だというより、未だに土葬にする外場のほうが特殊なのだろう。村の者でもない人物が風習にさして重きを置かず、軽々に対処してしまったのも仕方ないことなのかもしれなかった。

 だが、村の者は火葬に対する抵抗が強い。遺体であっても遺骨であっても死者は死者に違いないのだけれども、村の者は遺骨に対して、損なわれた遺体だ、という気分を抑えられなかった。

「そういうわけだから、いそいで埋葬してやっても仕方ないからね。まあ、つい昨日、秀司くんの葬式が済んだところだし、余裕を見て明日の方がいいんじゃないかと思ってね」

「そうですね」

「わたしはとりあえず、警察に同行してお骨を引き取ってくるんで。戻って葬式の算段をしてから、今夜にでもゆっくり行きますわ」

 お待ちしています、と静信はいって電話を切った。少し考え、黒板に目をやる。予定はいくつか入っていたが、どれも池辺か鶴耳が行くことになっている。それを見て取って、静信は立ち上がる。黒板の隅にメモを残して事務所を出た。

 通い慣れた道を通って山を下り、尾崎医院の裏庭へ向かう。腕時計を見るとすでに休診時間に入っていた。往診がなければ敏夫は控え室か、母屋の自室にいるだろう。庭沿いに歩いて控え室を覗き込むと、デスクに向かって書類を眺めている後ろ姿が見えた。静信が軽く掃き出し窓のガラスを叩くと振り返る。わざとらしく渋面を作ってから中を示したので、ガラス戸を開けて中に入り込んだ。クーラーの冷気が心地よい。

「さっそく死臭を嗅ぎつけてきたな」

「――え?」

 控え室に上がり込むなり言われて、静信は敏夫を見た。

「死体が戻ってくる話を聞きつけてきたんだろう。そういう件に関しちゃ、坊主ってのは、ハゲタカ並だな」

 静信は苦笑した。

「ハゲタカでもハイエナでもいいけど。解剖の結果は出たのか?」

「SUD」

「なんだ、それは?」

「内因性急死、ってやつだ。とにかく状況が異常だったんで警察も徹底的にやったらしいが、とどのつまりは原因不明。まだ培養検査やなんかの結果が出そろってないんで、本当の結論が出るまでには三週間ほどかかるだろうって話だが、とりあえずそれで決着がつきそうな案配だな」

「そんな」

 そんな、と言われてもな、と敏夫は息を吐く。

「村迫の爺さんと義五郎さんは原因が分からないというより、原因を特定できるほど死体の状態が良くなかった、ということだ。そもそも病死の包囲解剖で、明らかな死因が特定できるのは半数以下だ。その上この陽気で遺体は腐敗が進んでいる。臓器は軟化融解して泥状化する。それで死因を特定しろといわれてもな。しかも首都圏や大都市のように監察医制度があるわけじゃなし。この辺じゃ解剖してみるのだって、法医学の専門家じゃなしに一般臨床医だ。これで精一杯というところさ」

 敏夫は溜息をつく。

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