饭饭TXT > 海外名作 > 《屍鬼/尸鬼(日文版)》作者:[日]小野不由美【完結】 > 尸鬼@txtnovel.com.txt

[#地付き]――創世記 第四章.11

作者:日-小野不由美 当前章节:15507 字 更新时间:2026-6-15 17:40

「村迫の秀正さんは、とりあえず生前の外傷はなかったと思われる。腐敗と死後損傷――これは主に昆虫によるものだが――が激しくて、死因の特定はできなかった。義五郎さんのほうも腐敗が進んでいたものの、発見された部位にとりあえず生前の外傷は見あたらない。死後、野犬に襲われて損傷した、というところらしい。ただし、発見できなかった部位もあるわけだが、現場の状況から考えても、ともに内因性急死だろうということで決着がついた」

「三重子さんは」

「三重子婆さんにも、やはり外傷はない。内因死であることは確実だ。開けてみるとあちこちが悪かったらしい。冠動脈の硬貨、心筋炎、肺および腹腔内における血液就下、特に顕著だったのは肝臓組織の壊死だ。急性肝不全か、肝炎から来る劇症肝炎、そのあたりだろうという話だな」

「そう……」

 静信は頷く。

「爺さん二人は、おそらく死後五日から六日ってところだろうという話だった。――ところが」敏夫は言葉を切って、マグカップを静信に向かって突きつけた。「三重子婆さんが死後三十時間ていど」

「間違いないのか、やはり」

「間違いない。馬鹿な話だろう? 爺さんが死んで、婆さんは数日、爺さんの死体と同居していたわけだ。誰にも連絡ひとつせずに。座敷には仲良く布団が並べてあった。婆さんのほうは布団から這い出して、裏庭に出ようとして死んだ、という風情だ」

 静信は納得する。村では、三重子は夫の後を追ったらしい、という噂が流れていた。この状況では、そう解釈するものがいてもやむを得ない。

「婆さんのほうは、自然死だ。しかも爺さんを看取ったことが確実だから、爺さんは事故や何かで倒れたわけじゃないだろう。事故があれば、いくらなんでも人を呼ぶなり救急車を呼ぶなりしたはずだ。秀正さんも義五郎さんも、布団の中で死んだらしい。三重子婆さんは死ぬ前にうちに来て、二人の具合が悪いと言っていた。義五郎さんの薬を取りに来たんだがね。あの人は高血圧の持病があったから。特にどこがどう悪い、というわけでもなさそうで、夏風邪だろうと言っていたが」

 静信は瞬いた。夏風邪だろう――とは、最近、別の場所でも聞いた言葉だ。

「いずれにしても、それで寝かせてあった。おそらくはそのまま死んだ、ということだろう。少なくとも事故でもなければ事件でもない。婆さんは高齢にもかかわらず、病人二人を抱えて看病に追われた。寝食の暇もなかったというところだろう。それが爺さんが死んで、緊張の糸が切れて倒れた」

「つまり、三重子さんは秀正さんの死を看取ったけれども、本人はその心労で秀正さんの死を知らせることもできないほど、もう悪かった……?」

「としか考えようがないだろう? だが、電話くらいしても良さそうなもんだ。横で亭主が死んでる、自分も電話の側に行くのが難儀なほど具合が悪い、そういう場合、人はかえって必死になって電話の側に行くものなんじゃないか? ところが、必死になるまでもない。電話は枕許にあったんだ。寝床から起きて立ち上がって電話台に手を伸ばせば良かった。立ち上がらなくても、身を起こして手を伸ばせば何とか届く。だが、婆さんはなぜか、寝床からちょっと出て手を伸ばすことより、畳を二メートルほど這って外の空気を吸うことのほうを選んだってわけだ」

 しかも、夫の死から四日も五日も経って、と静信は心の中で添えた。いったい三重子に何が起こったのだろう。

「義五郎爺さんのほうは高血圧で、ずっとうちから降圧剤を出してた。それで高血圧から来る脳出血または心疾患じゃないかということだ。だが、村迫の爺さんの法はとくにこれといって命にかかわるような持病はなかった。原因が考えられるとしたら、婆さんが言っていた夏風邪だけだ」

「夏風邪で人が死ぬものなのか?」

 敏夫は大きく息を吐いた。

「風邪だろうと、死ぬときは死ぬさ。とくに夏風邪を起こすウイルスの中には怖いやつがあるんだ。インフルエンザは肺炎を起こすが、夏風邪は心炎を起こす」

「じゃあ――」

「可能性としてはあり得る」

「にしても、三人が三人」

 死ぬものだろうか、と言いかけて、静信は何となく言葉を呑み込んだ。

 敏夫は手を振る。

「妙な気がすることは確かだが、確率的にはあり得るさ。可能性だけで言うなら、火星人が舞い降りてきて、三人が恐怖の余り死んだ可能性だってあるわけだからな」

 静信は苦笑し、敏夫もまたくつくつと笑う。

「山入の三人は歳が歳だった。秀正さんはこれといった慢性病はなかったものの、気管支が弱くて冬場、風邪を引くたびに気管支炎を起こしていた。今回も気管支炎を併発したのかもしれん。三重子婆さんだけは元気そうだったが、生まれたての体のようにまっさら、とはいかんさ。しかも急性肝不全の場合、肝機能の低下から肝性脳炎を引き起こすことがある。肝性脳炎が起きると意識レベルは低下するし、異常行動を誘発することがあるんだ。おそらくはそれが原因で、亭主の死体と仲良く枕を並べていたんじゃないかという話だな。――もっとも、他に解釈の仕様がない、ということなのかもしれんが」

「そう……」

「だが、警察が重視してるのは三人の人間の死体より、むしろあちこちに残った動物の死体のほうさ。村迫の台所と、義五郎じいさんの台所、何者かが食ったんだ。ふるってるじゃないか。台所でだぜ?」

「やはり野犬?」

 敏夫は肩を|竦《すく》める。

「さあね。野犬が台所でお食事あそばすかどうかはさておき、警察は狂犬病を疑ったみたいだったな。とりあえず三重子婆さんから狂犬病ウイルスは発見されなかったようだが、ワクチンとヒトグロブリンは置いてあるか、しつこく訊かれたから。最初は精神異常者でも紛れ込んでと思ったようだが、人間のほうは自然死だとしか考えられないから、この線は完全に捨てたらしい」

「そうか……」

 静信は呟く。自然に溜息になった。安堵したせいなのか、あるいは他の理由によるものなのか、自分でも分からなかった。

 敏夫もまた盛大な溜息をついてから静信を見た。

「――ところでお前、いつまでそうやって突っ立ってるんだ?」

 やすよが休憩室で一服していると、律子と雪がお茶を運んできた。

「お茶でーす」

 雪の燥いだような声に、やすよは通信販売のカタログから目を上げ、軽く拝んでみせた。

「ありがと」

「どういたしまして」雪は子供っぽく胸を張って言ってから、背後のドアを振り返った。「先生、どうするって言ってました? 呼べばいいのかなあ。それとも、控え室に持っていったほうがいいですか」

「ああ、構わないでいいわよ。さっき覗いたら、若御院が来てたようだったから」

 あら、と律子が声を上げた。

「いつの間に。若御院にお茶を持っていったほうがいいですよね」

「さっき、あたしが行っといたわ」

「変なの」と、雪は椅子に腰を下ろす。「若御院って、いっつもいつの間にか来てるんですよね。あんなふうに裏からこそこそ来ないで、堂々と来ればいいのに」

 やすよは苦笑した。

「あの人たちは、昔からああなのさ。奥さんがいい顔をしないからね」

「いい顔をしないって」

「だからさ、なんのかんの言っても若御院は、お寺の若さんなわけでしょう。この村じゃ、寺は偉いのよ。いちばん偉いのがお寺さん、次に偉いのが兼正、三番目が尾崎と昔から決まってるの」

「お医者なのに一番じゃないんですか」

「病気にかからない者はいても、死なない者はいないからね。病気はここじゃなくてもあるけど、みんなあそこの檀家なんだから、寺はあそこでなきゃならない。御院に引導を渡してもらわなきゃ、あの世にも行けないんだから。村にとっちゃ当たり前のことなんだけど、奥さんはそれが気に入らないんでしょ。そういうの、気にする人だからね」

「ふうん」

「小さい頃から、絶対に若先生を寺に遊びには行かせなかったからね。なにしろ寺のほうが偉いから、遊びに行ってお菓子でも貰えば、後で礼のひとつも言わないわけにはいかないでしょう。そうやって|謙《へりくだ》って頭を下げるのが我慢ならないんでしょ。だからって、寺の若さんが相手のことだから、遊ぶなとも言えないし」

 雪は目を丸くする。

「そんなもんなんですか」

「まあね。――かといって、若さんのほうに表だって遊びに来られると、それなりにもてなさなきゃならないし、何かあったときには、やっぱり頭を下げないといけない。だから、本音じゃ来て欲しくないのよ。でも、相手が相手だから来るなとも言えない。それで若先生の部屋に勝手に来て帰っていくぶんには構わないってことになってるんだわね。そうすれば、来たのが分かってても気がつかないふりしてりゃいいんだし、何かあっても知らなかったで済むわけだから」

「複雑なんですねえ……」

 雪がしみじみというのには、やすよは笑った。

「奥さんはね。寺のほうはは、若御院はあんなふうだし、御院にしても奥さんにしても偉ぶらないからね。うちの奥さんが勝手に気にしてるだけなんだけどねえ」

 やすよは苦笑した。気位が高い、と言えばいいのだろうか。敏夫の母親、尾崎孝江はそういう人物だった。実家はどこだかの羽振りの良い病院だったらしく、寺や村長を医者の上におく村の流儀は、はなはだ自尊心を傷つけるらしかった。自分は病院の「奥さん」で――村では「奥さん」と呼ばれるのは、つい最近まで寺と兼正、尾崎の妻だけだった――村の者とは違うのだ、という態度を頑として崩そうとしない。

 先代にもそういう面があったから、敏夫が戻ってきて院長に納まるまでは、やすよたちも苦労が絶えなかった。何しろ、自宅のほうの食事の支度や掃除まで手伝わされることがあったから、体の良い使用人扱いだったのだ。休日に家で寛いでいても、いきなり電話がかかってきて、模様替えをするから手伝ってくれ、などと要求される。

「休みの日にお茶会の手伝いをさせられたりね」やすよは笑う。「そんなふうだったからねえ。まあ、大変だったわ」

「なんですか、それェ。あたしねそんなことさせられたら辞めちゃう」

「雪ちゃんは、若先生の代しか知らないからね。大先生の頃は、とてもじゃないけど村の者じゃなきゃ勤まらなかったわねえ。本当に代替わりして、がらっと病院の雰囲気が変わったからね。つい三年前までは、こんな休憩室みたいなものも満足になかったんだから。お昼なんて、裏口の水場の脇で食べててさ、お茶も備品じゃなくて、自分たちでお茶代持ち寄って買った葉っぱよ」

「……あたし、もうちょっと先生のことを尊敬することにします」

 妙に力を込める雪に、やすよは声を上げて笑った。

 病院のスタッフは体の良い使用人扱い。けれども病院には一切、関わりを持たない、それが孝江の流儀だった。どんなに忙しくても手伝うわけでもなし(手伝おうにも何の資格も持っていないのだが)、急患や往診を求める電話の対応さえしない。「尾崎の奥さん」と呼ばれ、求められて寄り合いに出るのでなければ、村の者とも付き合わない、お茶だ仕舞いだと言って出ていく以外は、自宅に閉じこもったまま。

 そんな孝江の息子、敏夫は孝江とも先代とも似つかない気性の持ち主だが、妻に選んだ恭子はやっぱり孝江のような女だというあたり、息子はかくも母親という存在から逃れられないものなのかもしれない。

 尾崎恭子は同居してない。村に戻ってきた最初の頃こそ家にいて、習い事だ何だと出かけていたのは孝江と同様だが、そのうちに家にいるのにうんざりしたらしく、溝辺町にアンティーク?ショップを開くと、マンションを借りて生活をしている。気が向けば帰ってくるが、それも徐々に間遠になっている。孝江はそういう嫁が腹に据えかねるらしく、戻ってくれば小競り合いが絶えないが(そして、それによって恭子の足はまた遠のく)、よく似た嫁姑だと、やすよなどは思う。

(……ま、若先生も大変だわ)

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 クラクションの音を聞いたような気がして、矢野妙は目を覚ました。歳のせいか、眠りが浅い。些細なことでも目を覚ます。国道でブレーキ音がしてても、トラックのエア?フォーンの音がしても目覚めることがあるが、今夜の場合は、もっとあからさまに誰かに起こされた、という気がした。

 枕許の畳に置いた時計を見ると、深夜の二時だった。また、クラクションの音がする。家の前――ドライブインの駐車場のほうからだ、という気がして、妙は起き上がった。

 妙の寝室は家の裏手にある。国道ではなく、裏の田圃に接する庭に面していた。その寝室を出て廊下を抜け、仏間を兼ねた座敷にはいる。入って妙は目を覆った。表の駐車場に車がいて、ヘッドライトが家を照らしいている。ハイビームになったままなのか、夏場のこととて開け放した雨戸の間から強い照明がまともに射し込んでいて、思わず妙を狼狽させた。

「……なにごと?」

 たたらを踏んだ妙の後ろから、娘の加奈美の声がした。振り返ると、片手で目廂[#入力者注「目廂」の読み不明。「めひさし」?]を作った加奈美が、白々と照らされている。

「……さあ」

 妙が答えるのと同時に、またクラクションの音がした。加奈美が座敷を通り抜け、縁側へと出る。真っ黒な長い影が座敷に落ちた。

「何の騒ぎなんです」

 加奈美が雨戸の間から外に呼びかける。何やら人の声がしたが、妙にはその内容は聞き取れなかった。トラックでもいるらしく、声をかき消すほどのアイドリング音がしていた。

「ちょっと。ライトを消してください」

 加奈美は駐車場に向けて声を張り上げた。「ちぐさ」の広い駐車場には、大型のトレーラーが一台、他にも乗用車らしき車が停まっている。細かいことは分からない。なにしろ目を灼かれるほどのライトが注いできている。

 加奈美の抗議が聞こえたのか、ライトが消えた。途端に視力を奪われる。真っ暗なところにヘッドライトの残像が斑紋を描くのだけが見えた。軽い目眩を感じて瞬いている間に、傍迷惑なアイドリング音もやむ。どうやらエンジンを切ることを、やっと思いついたらしい。

 目が暗がりに慣れ、静寂になれると、駐車場に三台の車が停まっているのが街灯に照らされて見えた。一台は大型のトレーラー、二台は乗用車でそのうちの一方はセダン、もう一台はワンボックス車だった。

「どうも、すいません」

 恐縮したような若い声がした。ワンボックス車の側にいる、若い男が声の主のようだった。

「いったい何の騒ぎなんです。何時だと思ってるの?」

「おそれいります。道に迷ってしまって」

 加奈美は目を|眇《すがめ》、首を傾げた。若い男は加奈美のほうに近づいてくる。二十代の半ばだろうか、怪しげな風体には見えなかった。

「何度もこの辺りを走り回っているんですが、道が分からなくて。すっかり進退窮まってしまったもので」

「どちらへいらっしゃるの?」

 若い男は、心底、申し訳なさそうに頭を下げた。

「外場、という集落なんですけど」

 加奈美は溜息をついた。

「ここが外場よ」

 え、と若者は周囲を見渡す。

「うちの左にある道を入るの。入ったところが外場の集落。点滅信号があって、その下に外場って書いてあるでしょ?」

 若者はあたふたと後退り、国道のほうを見やった。小声を上げて、小さくなって戻ってくる。

「済みません。見落としてました」

「見落としやすいみたいなんだけどね。まあ、お役に立てて良かったわ」

「本当に申し訳ありませんでした」

 若者は深々と頭を下げる。

「外場にご用なの? こんな時間に?」

 ええ、と若者は微笑んだ。

「本当は、もっと早く着くはずだったんですが。ぼくが迂闊で、とんでもないことになってしまいました。本当に失礼しました」

 加奈美は素っ気なく頷き、そしてトレーラーに目をやった。街灯の光で「高砂運送」と読みとれる。

「ひょっとして引越? 兼正の人かしら」

「兼正?」

「ああ、地名みたいなもの。外場の集落の北西にある高台のお屋敷じゃない? 古い洋館の」

 そうです、と若者はまた頭を下げた。

「|桐敷《きりしき》と申します。転居早々、とんだご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 まあ、と加奈美は思った。では、本当に兼正が越してきたのだ。――とはいえ、何という引越だろう。

「あの家なら、その道を入ったところよ。川沿いの道を真っ直ぐに上がって、神社に続く橋の袂の交差点を、神社とは反対方向に入るの。左へね」

「神社の前を左ですね」

「そう。それをまっすぐ行くと、山に突き当たるわ。その坂を登ったところだから」

「ありがとうございます」

 若者は頭を下げ、改めて起こしたことに詫びを言ってから、トラックのほうへと駆け戻った。運転手に何事かを告げ、改めて加奈美に頭を下げて、ワンボックス車へと駆け戻る。再びエンジン音が響いた。トラックと二台の車が駐車場の中で切り返し、国道へと出て行く。最後に残ったのは白い外車だった。運転席に男の姿が、後部座席には二人分の人影がちらりと見えた。一方は女で、もう一方は子供のようだ。加奈美の前を通過する際、女が会釈したような気もしたが、単に光の加減でそう見えただけかもしれなかった。

「……まあ、驚いた」

 加奈美の背後から妙が顔を突き出して、トラックを見送っている。

「まったくね。とんだお引っ越しだわ」

「よほど方向音痴な人たちなのね」

 みたいね、と加奈美は苦笑した。村への入口は見落としやすいとはいえ、国道から集落に入る枝道はいくつもない。地図をちゃんと見ていれば、普通は分かりそうなものだが。第一、これから越してくる村を、一度も訪ねてみたことがなかったのだろうか。

 加奈美は少し胸の中にわだかまるものを感じた。別に不審なふうではなかったけれども。にしても、今の連中の振る舞いはどこか妙ではないだろうか。まるでわざと、加奈美たちを叩き起こしたように見える。そのために道を訊いたような気が。

(……まさかね)

 加奈美は村道のほうに曲がっていく車を見送った。白いセダンはかなりの高級車に見える。若者はいかにもあの屋敷にはそぐわない。主人というふうではなかった。むしろあのセダンに乗っていたのが主人ではないだろうか。だとしたら、主人がとうとう車を降りてこなかったのも気になるが。

「やっぱり、か」

 加奈美が呟くと、妙が首を傾げた。

「なあに?」

「かなり変わった人たちみたい、って話」

 そうねえ、と妙は未だに村道のほうを見送っている。

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五章

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「それじゃあ、山入の三人はやっぱり病死だったんですか」

 控えの部屋で衣に着替えながら、角が言った。角は山入関係者の通夜と葬儀のために一泊の予定で駆けつけてきている。光男は角を手伝いながら、頷いてみせた。

「らしいよ。若御院がそういってた」

 角は溝辺町に住んでいる。家は同宗派の寺で、角はその次男だった。檀家数もさほどに多くなく、住職である父親も副住職である長男も教師との兼業で、とりたてて角の手は必要ない。それでこうして非常勤の役僧として通ってきていた。

「まあ、三人が三人とも歳だったからなあ」

「おいくつです?」

「いくつになったんだかねえ。確か、義五郎さんはもうじき八十じゃなかったかな」

「それじゃあ、長寿だ」角は嘆息する。「うちの祖父が死んだのが六十一でしたよ。親父は今年で五十六だけど、もうあちこちが悪いって始終こぼしてますしね」

「そう、じゅうぶん長生きしたんだけどねえ」光男は苦笑する。「八十近くまで生きりゃ、大往生の域なんだけど、なにしろああいう状況だったからさ。なんだか大往生という気がしないね。不慮の死、って感じで差」

「そうですね、どっちかというと非業の急死って印象ですもんね」

「まあ、三人が三人、ばたばたと片づいたってのは珍しいが、そういうこともあるからね」

 そうですね、と角は袈裟をかけながら頷く。

「うちの檀家でも、ひと月の間に、ぱたぱたと一家のうち四人が片づいたことがありましたよ」

「四人。そりゃ珍しい」

「そのうちひとりは、もう九十過ぎで、病院に入ったきりの爺さんだったんですけどね、四十過ぎの息子さんが心筋梗塞で倒れたのを皮切りに、ぱたぱたと親父さん、爺さん、お袋さんと四人。そういえば、あれも夏だったなあ」

「やだねえ」光男は頭を振る。「死人ってのは、どうも続くからね。こっちも秀司さんに続いて三人だろう。このまま勢いづいて続かなきゃいいんだけどね」

「後藤田秀司さんのほうが後なんじゃないですか」

 角の指摘に、光男は瞬いた。

「そうか。実際になくなったのは、山入の三人のほうが先か。秀司さんが甥を引いていったのかね」

「引く、ねえ」

 角が言ったとき、池辺が顔を出した。

「鶴見さん、法事から戻ってきましたよ」

 よかった、と光男は笑う。

「なんとか間に合ったな。きっと引き留められてたんだろう。和田の爺さんは話好きだからね」

「そうらしいです」池辺は笑って、衣桁にかけておいた自分の袈裟を取る。「――とうとう越してきたんだそうですよ」

「越して?」

 光男が瞬くと、池辺は何やら得意げに笑う。

「兼正。昨日の――ああ、今朝か。とにかく夜中にトラックが入ったそうです」

「おやまあ」

 夜中にですか、と角は目を丸くした。

「ずいぶん変わった人たちなんですね」

 光男もまた呆れ半分に頷いた。

「まったくだ。――それで結局、どういう人たちなんだって?」

「住人はまだ誰も見てないようですよ。下外場の誰かが、使用人だかアルバイトらしい若いのに会ったそうですけどね。夜に叩き起こされたんですって。道を訊くのに」

「へえ」

「なんでも、大きなトラックと、車が二台だったそうで。グレイの四駆と白のビーエムだそうです」

 光男は息を吐いて頭を振った。未だに村人の間では、前田茂樹を引っかけて逃げたのは、兼正の住人だという説が濃厚だった。

「なんだ。じゃあ、やっぱり礼の外車は兼正とは関係ないんじゃないか」

「分かりませんよ、光男さん。あの後、車を替えたのかもしれませんからね」

「そういうことを気軽に言うもんじゃない」

 光男は池辺をねめつける。

「にしても」角は笑った。「今日の通夜は、その噂でお経どころじゃないでしょうね」

「まったくです。なんか、すごい勢いで弔問客が増えてますよ」

 やれやれ、と角と光男は顔を見合わせた。これでもう、村人は山入どころではないだろう。これから執り行われる通夜と明日の葬儀と、それらが厳粛に進むはずはないことは確定したと言えるだろう。

 ふたりの心中を読んだように、池辺が笑う。

「まあ、いいんじゃないですか。ほら、兼正の屋敷についちゃあ、妙な噂が流れてましたもんね。近辺で人の気配がしたとか、塀の中から呻り声がしたとか。これで怪談じみた噂話も立ち消えになるでしょう」

 そうだねえ、と光男が苦笑したときに、重い足音を響かせて鶴見がやってきた。

「鶴見さん、お疲れさまです」

 光男の声に、鶴見は軽く頭を下げ、部屋の様子を見回して池辺を睨む。

「なんだ池辺、お前もう広めたのかい」

「そりゃあもう。右から左に」

「お前さんは坊主のくせに口が軽くていけない」

「坊主が無口じゃ、商売にならないじゃないですか」

「それもそうか」と、鶴見は声を上げて笑った。「ときに、若御院は」

「ふきさんと話をしてるのを見ましたよ」

 池辺が言う。

「ふきさんを慰めてるんでしょう。ふきさんも災難ですよね。息子と兄さんと、立て続けですから」

「まったくなあ。しかし、若御院も寝なくて大丈夫なのかね。寺を出る前に顔を見たときは、目を真っ赤にしてたが」

 角が嘆息とも簡単ともつかない息を吐いた。

「また徹夜ですか」

 みたいだね、と光男は苦笑した。

「朝、勤行だけでも鶴見さんと池辺くんに頼んで一休みしてきたら、と勧めたんだけどね。今日は法事もあるし通夜もあるしで、大変なのが分かってたんだから」

 本当に、と池辺も頷く。

「若御院は真面目だからなあ。せめて勤行ぐらい休めばいいのに」

 鶴見は顔を|顰《しか》める。

「ぐらい、ってことがあるかい」

「言葉の綾ってやつですよ。昨日も寝不足みたいだったでしょう。予定が立て込んでいたのに」

「盆を過ぎるまでは忙しいからなあ。せめてこの時期くらい副業を休めばいいんだが。まあ、あの商売も坊主と同じで、暇はあっても休みはない商売のようだから」

「そうですねえ」

 鶴見と池辺の会話を聞くともなく聞きながら、光男は鶴見が着替えた衣を衣桁に広げる。鶴見も池辺も、正確には住職である信明の弟子にあたる。池辺は静信が大学四年の頃、本山の斡旋で入門した。鶴見などは光男が出入りを始める前から寺にいる。どちらも副住職である静信よりも僧侶としての経験が長く、鶴見などは静信よりも遙かに年上だ。他寺の噂を聞く限り、そういう場合には色々と軋轢があるものだが、当の静信が万事に控えめで鶴見や池辺をよく立てるし、対する鶴見らも真面目な副住職に一目を置いているから、特に揉め事が起こったことがなかった。

 初戦は寺男に過ぎない光男に丁寧に頭を下げ、いちいちに「光男さん」と言って立ててくれるのもいい。静信の書いた小説は、実を言えばどこが面白いのかよく分からなかったが、副業を鼻にかけることもなく、小説を書く間も事務所に詰めて、本分をおろそかにしないところに好感が持てた。

 結局のところ、鶴見や池辺の師となり、静信を育てた信明の|為人《ひととなり》のおかげなのかもしれない。――手足に不自由があって寝たきりだとはいえ、未だに檀家の住職に対する尊崇は深かった。光男自身も例外ではない。

「もう少し気を抜いても良さそうなもんなんですけどね、若御院の場合」池辺は溜息めいた息を吐く。「今だって、少しでも休んでおけばいいのに、ふきさんにずーっとついてるんですから」

「ふきさんが心配なんでしよう」角が微笑った。「若御院は優しいから」

 鶴見は頷く。

「あの人は、根っからの坊さんだからなあ」

 光男は衣を始末しながら、内心で頷いた。

 光男は十五の歳から寺に通い、陰から寺を支えてきた。光男自身は宗教法人としての寺にどんな役職を持つわけでもないが、自分は寺の一部だと思っているし、寺に対する愛着も深い。有り体にいうなら、この寺が自分のものであるかのように感じている。その光男の目から見ても、静信は寺を任せるに足る跡継ぎだった。穏やかで、礼儀正しく、きちんとした性格だ。淡々とした物腰は、衣を着ているとぴたりとはまる。尾崎医院の跡取りのように、不謹慎なところはない。家業を馬鹿にしている様子もなかった。根っからの坊さんという言い方は正しいと思う。跡継ぎとしては、何の不足もない。――たったひとつ、古い傷を除いては。

「本当にねえ」言って、池辺は少し口元を歪めた。「なのになんだって、妙なことを言う連中がいるんだか」

 光男は池辺の、本気で気分を害しているような声に瞬いた。

「妙なこと?」

 池辺は失言に気づいたように声を上げ、光男らの顔を見まわす。

「いや……ええと」

「妙なこと、っていうのは何なんだい」

 さっき、誰かが立ち話してるのが聞こえて」池辺は言い淀み、「ほら、ちょっと前の、外車が子供を引っかけた事件。あれで、本当にそんな車がいたのか、って」

「いたも何も」鶴見が目を見開いた。「げんにむ子供が怪我をしたんだろう」

「そうなんですけどね。でも、若御院がその場にいて、子供を病院に運んだじゃないですか。だから……」

 言いにくそうに口ごもる池辺の先を察して、光男は頷いた。

「ああ。実は若御院がひっかけたのを、口裏を合わせてどうこう、という話かい」

 その噂なら小耳に挟んだことがあった。光男は檀家衆を取りまとめているから、檀家の噂には耳ざとい。

「なんだい、そりゃあ」

 鶴見は心外そうに声を上げた。

「そういうことを言う連中もいるんだよ。別に悪意があって言ってるわけじゃない、単に無責任に想像を逞しくしてるだけなんだろうけどね。なにしろほら、肝心の犯人が捕まらないまんまだから。実は兼正の車で、敷地の中に隠れてたんだとか色々と噂が出まわってたろ。あの類だよ」

「それにしても、言うに事欠いて」

「だから、悪意はないんだよ。不慮の事故でそういうことになって、周りが若御院を|庇《かば》ったんじゃないか、って話なんだから」

「それのどこに悪意がないんです」池辺は憤然としたふうだった。「悪意そのまんまじゃないですか。若御院がそういう人でないことぐらい――」

「今じゃもう、村の全部がうちの檀家ってわけじゃないからな」

 光男は低く言った。檀家ならたとえ無責任な噂話ででも、そういう言い方はしない。少なくとも、寺の耳にはいるような場所では。実際、この噂を光男の耳に入れた檀家衆も気分を害しているようだった。

「人の噂でしか若御院を知らない連中もいるってことだよ」光男はことさら丁寧に、鶴見の衣の埃を払う。「しかも若御院は、ちょっとばかり繊細すぎるところがあるから。副業も変わってるし、それでいろいろと妙な想像をする連中がいるんだろう」

 光男の言わんとしたことを悟ったように、鶴見が微かに唸るような声を上げた。池辺と角はそれに気づかなかったようだった。

「それにしてもね、光男さん」

「昔は、村の全部が檀家だったんだよ。単に檀家だってだけじゃない、大昔にゃ田圃も山も何もかも寺から借りてたんだからね。だからこそ村の連中は寺には一目も二目も置くんだが、後から入ってきた連中にはそんなことは関係ないからね。特に、檀家でないのは、それこそ戦後に入ってきたような新しい家ばっかりだ。そういう連中にしたら、寺が意味もなく偉そうにしてるように見えるんだろう」

 光男は言って、顔を上げた。笑みを作って池辺らを促す。

「それより、行かないでいいのかい。通夜が始まるよ」

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「律子さん、お昼、一緒にどうです?」

 上着を羽織った井崎聡子が、処置室に顔を出した。

「今日はわたし、お弁当だから。いってらっしゃい」

 じゃあ、お先に、と聡子は汐見雪と手を振った。それに笑い返して、律子は処置ベッドの周囲をざっと片づける。物品の残量を確認していたとき、ふと、今日は水曜日か、と思い出した。

 パーティションひとつを隔てた隣の処置室では、やすよが片づけをしている。律子は、やすよに声をかけた。

「やすよさん、前原のお婆ちゃん、見かけました?」

 やすよは脱衣籠を所定の位置に戻しながら、「前原セツさん? 見てないわね」

「ですよね」

 律子は溜息をついた。

「セツさんがどうかしたの」

「土曜日に薬をもらいに来たんですよ。先生の診察がないと出せないから、必ず月曜には来てくださいね、って言ったのに、月曜も火曜も、とうとう来なかったなと思って」

 やすよは、声を上げて笑った。

「あの人は注射嫌いだからねえ。まあ、首に縄つけて連れてくるわけにも行かないからさ」

 そうですね、と溜息をつく律子を軽く叩いて、やすよは一足先に処置室を出た。中待合から廊下に出たところで、通用口から静信が顔を覗かせているのが目に入った。

「あら、若御院」

 間仕切りのドアを開けると、静信は丁寧に頭を下げる。

「お昼休みのところ申し訳ないんですが、軟膏が切れたのでいただきに来たんです。いいですか」

 やすよは笑った。

「かまいませんよ、どうぞ。――御院はいかがです? この暑さで、ずいぶん参ってらっしゃるでしょう」

「暑さのわりに良いようです。特に食欲も落ちずに済んだようですし」

「あら、そりゃあ良かったですねえ。奥さんが本当によくお世話をなさるから」

 やすよは控え室のほうに向かう。

「どうぞ。お茶でもお持ちしますんで」

「お構いなく。――ああ、被服剤も残りが少ないんですが」

 はいはい、と頷いて、やすよは控え室のドアをノックした。

「先生、若御院ですよ」

 おう、と中からぞんざいな声がする。やすよがドアを開けると、敏夫は机に向かって本の山に埋もれていた。

「ちょっとお待ちになってくださいね。ついでに、先生を|宥《なだ》めといてくださいよ。今日はずっと、ご機嫌が斜めでね」

 苦笑する静信を残して、やすよが廊下を戻っていく。敏夫が煙草を|銜《くわ》えたまま本から顔を上げた。

「真に受けるなよ。うちの看護婦は、ああやってなにかというとおれをくさすんだ」

 静信は笑ってコメントは避けた。

「で? 言っておくが、いよいよ越してきたって話なら間に合ってるぞ」

 控え室に入るなり敏夫に言われて、静信は瞬いた。

「何だ、その話じゃないのか。――例の家だよ。引越のトラックが来たらしいじゃないか」

「ああ――らしいな」

「おかげで今日は、無駄話をしに来る連中で千客万来だ。いや、今日も、と言うべきかな」デスクの上、敏夫の前には厚い大判の本が開かれている。「誰かがトラックを見ただの、車がどうだの、雨戸が開いてカーテンが見えただの。きっと今日は朝から、坂の辺りは見物人で鈴なりだったんだろうさ」

 静信は、なるほど、と軽く笑う。

「おれが信じられんのは、その見物席を抜け出して、わざわざ知らせにくる奴が少なからずいたってことだ。見物したいなら、そのまま住人が出てきてカーテンコールをやらかすまで見てりゃいいだろうが。何だっていちいちやってきて、御注進に及ぶわけだ? おれがそんなことに興味があるとでも思ってるのかね、連中は」

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