その手を繋いだまま、 学校の玄関へと 歩き始めた。
「大丈夫かな??怒られないかな??」
「怒られたらそん時はそん時だ!」
美嘉の心配をよそに、
ヒロは落ち着いた様子で玄関のドアを開け る。
鍵はどうやら 開いているみたい。
体育館では 部活動をやっているからだろう。
あの頃と 変わらない校舎。
古臭いような懐かしい香りが…
いろんな想いを次々と よみがえらせる。
この校舎で三年間過ごし
いろいろな経験をしたおかげで今の自分が いる。
そして今もこの校舎で大人になっている人 がたくさんいて、
それがこれからも繰り返し繰り返し続いて いくのかと思うと
…不思議な感じだ。
靴下のままそーっと忍び足で廊下を歩く。 ギシギシ鳴る廊下。
小さな物音にびくびくしながらも階段を上 がり
辿り着いた場所は図書室の前だ。
図書室に行こうって言い合ったわけではな い。
二人の足はいつの間にかここに向かってい たんだ
まるで何かに 導かれるかのように…。
「いっせーので…で二人で開けよっか??」
「だな。いっせーのーで…」
ガラガラ うるさいドアの音は
校舎の古さを 意味している。
あの頃と変わってない。
メッセージなのかもしれないね。
図書室は本の独特な香りがして、
窓の外から見えるグラウンドは静寂してい て
寂しく砂ボコリが舞っていた。
「約三年振りかなぁ~??懐かしいね!!」 はしゃぎながら図書室を走り回る美嘉の姿
を
ヒロは優しい目で 見つめていた。
その時偶然目に入ったのは太陽に反射して ピカッと光った黒板。
そこに白いチョークで書かれた小さい文 字。
【君は幸せでしたか?】
【とても幸せでした。】
薄くなっている。 でも確かに残っている。
図書室の黒板はあまり使う機会がないか ら、
ただ消し忘れているだけかもしれない。
でもね 三年の時を経て…
今こうして二人のもとに届いたよ。
これは長い間離ればなれになっていた二人 への
このメッセージは三年間の間で、
どれだけの出会いや別れを見て来たのか な??
唯一二人を繋いでいた指輪を返した卒業 式、
もう繋がりはなくなってしまったと思って いた。
だけど… こんなところでも
繋がっていたんだ。
ヒロもこのメッセージが今もまだ残ってい ることにきっと気付いている。
だけどお互いがそれについて触れることは ない。
なんとなく… 触れることが出来ない。
すれ違っていても 二人の気持ちは 繋がってたんだ。
キーンコーン カーンコーン
突然鳴るチャイムの音に思い出そうとして いた記憶達が
一瞬にして消えてしまった。
ヒロはまるで何かきっかけを待っていたか のように、
チャイムが鳴り終わったと同時に口を開い た。
「ここでいろいろあったよな」
寂しいようにも悲しいようにも見えるヒロ の横顔から
目が離せない…。
窓の外をまっすぐ見つめるヒロの横顔をじ っと見つめながら答えた。
「いろいろあったね…」
「ここで俺が美嘉に告ったんだよなー」
「うん!!」
「喧嘩したこともあったよな!」
遠い目で窓の外を見つめるヒロがどこかに 消えてしまいそうで…
腕を強く掴んだ。
ヒロは遠くを見つめたまま話し続ける。
「ここで一つになったよな。それで…」
“それで赤ちゃん 出来たよね”
ヒロはその言葉を 飲み込んだ。
しんみりとした雰囲気をどうにか変えよう と
明るく振る舞う。
「…次赤ちゃん出来たら頑張って産もう ね!!」
ヒロは何も答えてはくれず、 優しく微笑みながらの髪をそっと撫でた。
最近、
美嘉の質問をはぐらかして答えてくれない ことが多いよね。
「そうだな」 って一言だけでも言ってくれたら
安心出来るのに…。
心の奥に生まれる不安は増すばかり。 掴んでいた腕を離しヒロに強く抱き付いた
「ヒロまた突然いなくなったりしないよ ね??」
ヒロの顔を 見ることが出来ない。
…困ってる?? こんな質問迷惑かな??
でもね、 安心が欲しいの。
もう離れないって…
ずっとずっとそばに居てくれるって証拠が 欲しい
言葉が欲しい。
それが例え嘘だとしてもそれでもいい。 叶わなくても…
今すぐに 言葉が欲しいんだ。
ヒロは美嘉の体をゆっくり離し、
前髪を掻き分けあらわになったおでこを指 で軽く弾くと
再びきつく抱き寄せた。
「バーカ。おめぇみてーな甘えん坊で泣き 虫で寂しがりやな女、俺じゃねぇと付き合 えねーよ!」
ぶっきらぼうで乱暴で意地悪な言い方だけ ど、
でも安心をくれている。
“離れないよ”って… 言葉と鼓動で
伝わったよ…。
「あれ?言い返さねぇの?つまんねーな!」 こんな言葉も、
今はただの照れ隠しだってことぐらい わかってる。
「あっかんベー!!」 ヒロに向けて舌を出すと
ヒロは子供のようなあどけない笑顔で 笑っていた。
「じゃあそろそろ帰ろっか??風邪引いた ら困るしね!!」
図書室の匂いを忘れないようにと大きく深 呼吸をした時、 一瞬風とともに微かに運ばれたあの香り。
美嘉がクリスマスにヒロにプレゼントし
た、 スカルプチャーの 香水の…。
「ヒロもしかして香水つけてる!?」
興奮したように胸に顔を埋めながら聞く と、
ヒロはげんこつで美嘉の頭をコツンと叩い た。
「気付くの遅ぇし!」 この香り、
そしてこの場所。
これはまさに 高校時代そのもの。
…胸が痛いのに なぜか温かい。
再び過去の想いに ふけり始める。
「もう出るぞ!」
ヒロの現実じみた言葉に微妙な想いを巡ら せたまま図書室を出た。
「この廊下で手繋いで歩いたよなー」 廊下を歩きながら
しみじみと言うヒロ。
そして美嘉が二・三年生を過ごした教室に 顔を覗かせた。
「ここでよくノゾムとかみんなで集まってた よな。楽しかったな」
一つ一つをゆっくり思い出そうとするかの ように
二人は校舎全体をぐるぐると回った。 美嘉はね
この校舎でヒロとの楽しかった日々を たくさん思い出すことが出来るよ。
でもね 辛いことも… たくさんあった。
ヒロに新しく彼女が出来た時とか、 すごい苦しかったの。
そーゆー思い出もこの校舎には確かにあ る。
でもね、
その時ヒロがどんな気持ちだったのかと思 うと
今胸が締め付けられるんだ…。
「ごめんね……」 突然謝りたくなってしまった。
「なんで謝んの?」 不思議そうな顔をするヒロ。
「別にぃ~!!」
唇を尖らしておどけたように言うとヒロは 何かを感じ取ったのか、
こう答えた。
「意味わかんねぇ!…俺もごめんな」
「ヒロはなんで謝ってるの~??」
さっきヒロが美嘉に聞いたことと全く同じ ことを聞き返すと、
ヒロも美嘉のマネをして唇を尖らせながら おどけたように答えた。
「別になんでもねぇ!」 二人は大きな声で笑い合い、
そのまま駐輪場へ向かい再び自転車に乗っ て走り出した。
自転車に乗り校舎を後にした二人の後ろ姿 は、
現在と過去の影が重なり
よりいっそう輝きを 増していたんだ…。
もう家に帰るのかと思っていたのに、 自転車は家とは反対の道へ進む。
「ねぇ~またどっか行くの??」 声が届くように叫ぶと、
ヒロは自転車を漕いでいるのにも関わらず 後ろを振り向きながら答えた。
「さっき行ったのは俺らが出会った場所。 じゃあ次は?わかるだろ」
「あ~危ない !!ちゃんと前見て運転し て!!」
「おぅ~!」
ヒロが後ろを向いたことが気になってあま り返事を聞いていなかったけど
なんとなく所々の単語だけは覚えている。
確かさっき行ったのは出会った場所だから 次は…みたいなこと言ってたよね??
さっき行ったのは 出会った場所。
つまり学校。
じゃあ次は別れた場所? つまり川原かな??
予想は的中。 自転車は川原へと
到着した。
川原に咲いていた花はもうほとんど 枯れてしまっている。
でも何本かは かろうじて残っていた。
チョロチョロと流れる川のせせらぎが、 昔と変わらず心を癒してくれる。
「降りようぜ」 手を引かれながら坂道を降り
草の上に座った。
風は強いけど 今日は快晴。
陽射しの強さに上を向くことが出来ないく らいだ
「ヒロ寒くない?大丈夫??」
ヒロの顔を心配そうに覗き込むと、 ヒロは後ろに回り美嘉の体に手を回した。
「大丈夫。こうすれば寒くねーよ!」
触れるヒロの体が美嘉を包んでくれて温か い。
上着よりもカイロよりも1番温かい…。
昔見た夢。
暗闇の中から美嘉を明るい所まで導いてく れたあの大きな手は、
…きっとヒロだった。
今日の朝早くに作った手作り弁当を袋から 取り出し、
弁当箱をパカッと開けた。
自転車で揺れてしまったせいか、 おかずが左側に寄ってしまっている。
その中から卵焼きを箸でつまみ、 ヒロの口の中に運んだ。
「どう?どう??」
「うめぇ!生きてて良かった~って感じだ わ」
「大袈裟すぎるし!!」
ミニトマトを自分の口に運ぼうと箸でつま んだ時
ヒロが咳ばらいをして何かを話し始めよう としたのでミニトマトを弁当箱に戻し耳を 傾けた。
「早く雪降んねぇかな」
「雪??」
「ここに雪降ったらどんな景色になるか見 てみてぇ」
冬に一度 ここに来たことがある。
優とヒロを選ばなきゃならない時… 一人でここに来た。
冬の川原はね、
花は咲かないし川の水も凍って流れたり流 れなかったりして…
春とか夏とか秋のほうがずっとずっと 綺麗なんだよ。
…でもね 言わない。
別れてからここに来たのを知られたくな い。
それにあの時は一人だったから…
二人だったら綺麗に思えるかもしれないか ら。
「じゃあ~雪が降ったらまたここに二人で 来よう??」
またいつものように返事を濁されてしまう
だろう。
でもきっとヒロはこの言葉が欲しくてそう 言ったんだと思うんだ。
「そうだな。二人で来ような!」 ヒロの答えは
意外だった。
またヒロとここに来ることが出来るんだ…。 何度夢見ただろう。
嬉しい気持ちのまま再びプチトマトを箸で つまんだその時…
ヒロが後ろから抱きしめる手の力を強め た。
その瞬間プチトマトが箸から落ちコロコロ と地面を転がり、
ポチャンと音をたてて川の水とともに流さ れる。
「ヒロ…??」
何も答えずただただ抱きしめる力を強める ヒロ。
「どうしたの…??」
様子がおかしい。 心なしかヒロの体が 震えている。
「俺、まだ死にたくねぇよ…」
か細いヒロの声。 頭の中が
真っ白になる。
言葉が 理解出来ない。 理解したくない。
「え…」
「もっと美嘉と一緒に過ごして…これから もずっと…いろんなことして笑っていきて ぇよ…」
「ヒロ…」
「赤ちゃんと三人で手繋いでそんでまたこ こに来てぇんだよ…ただそれだけなのにな んで…」
強く握り合ったその手からは、
ヒロの気持ちがひしひしと伝わってくる よ。
痛いくらいに… 伝わっている。
“死にたくない”
“死にたくない”
“死にたくない”
頭の中は、
なんか固い物で殴られたような…そんな感 覚。
悪性リンパ腫。 心に封印していた言葉が一気に飛び出す。
本当は不安で 毎日毎日不安で…。
平気フリをしていた。
ヒロが元気だったから、ヒロがこんなに苦 しんでるとは
思わなかったから…。
重い現実が 二人の目の前を横切る。
癌と言う名の… 悪性リンパ腫と言う名の悪魔が、
今二人の間に現実として襲い掛かって来て いた。
心情とは正反対に、
川はチョロチョロと優しい音をたてて流れてい る。
ヒロの弱音を聞いたのは今日が初めてだっ た。
今まで平気そうな顔して不安は口に出した りしなかったのに…。
本当はずっと不安で心細くて、 寂しかったんだね。
だってヒロはすごい相手とと闘ってるも ん。
ずっと闘ってきたもん。
いくら喧嘩が強くて負けたことのないヒロ だからって、
癌。 こんな強い相手と闘ってたら弱音も吐きた
くなるよ…。
ずっと我慢して 偉かったね。
偉かったね。
「ねぇヒロ…」
後ろを振り向こうとするとヒロは強い口調 で言った。
「こっち見んな」 ヒロの言葉に従い
真っ直ぐ前を向いて川の流れを目で追う。
「ヒロは死なない…死んだりしない…死な せない。生きる…絶対に…」
ヒロは何も答えず繋いだ手を離し、 強く強く抱き締めた。
抱きしめられているはずなのに、 ヒロが遠くに感じる。
ヒロの目から流れ出る雫が卵焼きの上に ぽつぽつと落ちた。
抱きしめる腕があまりに細くて… 今ヒロが闘っている病気の恐ろしさを この時改めて
…実感したんだ。
卵焼きを指でつまみ、 口へと運ぶ。
あれ?? なんでだろ。 しょっぱい…。
あぁ、ヒロの涙か。 ヒロが頑張ってる証。 ヒロが生きたいって 強く想ってる証。
美嘉は泣かない。
ヒロがいつか死ぬかもしれないと言う現実 を
認めたくないから。
美嘉が泣いたらヒロはもっと不安になるか ら。
だから泣かない。 頑張るの。
「ヒロ…チュウは??」
ヒロは美嘉の言葉を聞きあごを指でぐいっ と寄せ
わざとチュッと音を鳴らすようにキスをし た。
「もっともっとたくさんして?」
今は何も考えず ただただお互いを求め合いたいんだ。
それは逃げかもしれない
今日が終わればちゃんと先のことを考える
から… 今だけは何もかも忘れて愛し合いたいの。
二人は何度も キスをした。
ヒロの唇は温かくて… 優しくて…。
向かい合った状態で座り 二人は無我夢中で唇を重ね合わせた。
ヒロの手が 背中をさする。
背中を行ったり来たりしている。
「我慢しないで…」 ヒロの動きは一瞬ピタリと止まる。
そして唇を噛み締めた。
「できねぇよ。だって俺…」 何を言いたいのか
わかってる。
だけど今は聞かない。
「ヒロが退院するまで出来ないなんて…嫌 だぁぁぁ~!!」
わざと安心するような言い方をしたんだ。 退院…。
この言葉は今の二人にとって大きな希望。
“死”か“退院” どっちも隣り合わせの状態だから…。
安堵の表情を見せるヒロ
「だから、ね。我慢しなくていいの…」
二人は再び 唇を重ね合わせた。
こんなに不安なのに… こんなに苦しいはずなのに…
体も心も なにもかもが ヒロを求めている。
「美嘉、愛してる」
「ヒロ、愛してる…」 初めて言われた。
初めて言った。
愛してるって言葉。 こんなに優しくて
こんなに愛しい響きだったんだね。
そして二人は 一つになった。
二人が別れたこの川原で…一つになった。 繋がった。
なんか変な感じだね。
今ヒロは、
ヒロはきっと笑うかもしれない。 だから言わないけど、
愛してるって言われて 愛してるって言って 一つになった瞬間ね…
幸せすぎて 涙が出たんだよ。
涙でぼやけた視界の奥でね、 赤ちゃんが笑ってこっち見てたんだ。
草むらにゴロンと横になり 二人…手を繋いで
空を見ていた。
水色の空に もくもくと流れる 白い雲。
さっきまで眩しく照り付けていた太陽は、 雲で隠れてしまってる。
川原で別れた日も、 こんな空だったよね。
ヒロの顔をちらっと見ると、
目を閉じて寝てしまっているみたいだっ た。
その時… ヒロの目から流れた
一粒の涙。
悪い夢を見ているのかもしれない。 それとも…
今何かを 考えているのかな。
流れた涙は一粒だけ。 それ以上流れることは 無かった。
神様。 ねぇ、神様。
ヒロをまだ連れて行かないで下さい。
美嘉にどんな辛い試練を与えてもいいか ら、
ヒロを連れて行かないで下さい。
美嘉はね、 一人じゃ
生きて行けないよ。
ヒロがいないと ダメなの。
だから…。 もし“奇跡”が存在するのなら
今起こして下さい。
なんでヒロなの…? なんでヒロがこんなに苦しむの…?
ヒロを助けて。 ヒロを苦しめないで。 ヒロを助けて。 ねぇ、お願い…。
神様…神様…。
自然と流れる涙を必死で拭いながら 気付かれないよう声を押しころして泣いた
「そろそろ病院戻っかな~。薄暗くなって 来たしな!」
寝ていると思っていたヒロが目を開け、
突然体をむくっと起こして立ち上がった。
「…そうだね!!」 必死で涙を拭き、
何事もないようにその場を立ち上がる。
ヒロは美嘉のお尻についた草を手ではらっ た。
「今日からまた病院か~早く治すから冬に また来ような!」
「…うん、約束!!」
いつもの 強いヒロに戻ってる。
ヒロの弱音を聞いたのは この日がが最初で最後だった。
もっともっと ヒロと過ごしたい。
いろんな場所に 行きたい。
でもそれはヒロが元気になるまで我慢だ ね。
「ってかお前チビだな!身長何㎝だっけ?」 ヒロがいじわるな顔で
美嘉の頭にひじを置く。
「148 ㎝だけど!!ヒロは??」
「ヒロがデカすぎるだけだし~♪♪」
さっきまでのしんみりとした空気はすっか りなくなり、 もういつもの二人に戻っていた。
自転車に乗って病院へ向かうヒロの背中… あんなに広くて大きかった背中が、
夕日にあたってなぜかとても小さく感じた んだ。
「俺?俺は確か 178 ㎝ちょっと。ってかマ
ジでチビだな!」
も行きたいね。