甲州屋这家小客栈位于下田北口不远处。我跟在艺人们后面登上二楼。这里像是一个阁
楼,没有天花板,坐在临街的窗边,脑袋会碰到屋顶。
“肩膀不疼吧?”妈妈三番五次地叮问舞女。
“手不疼吧?”
舞女做出打鼓时那种优美的手势。
“不疼。还能敲,还能敲呢。”
“那就好。”
我试着把鼓提起来。
“嗳呀,好重啊!”
“那比你想象的要重。比你的书包还重呢。”舞女笑着说道。
28
芸人たちは同じ宿の人々とにぎやかにあいさつをかわしていた。やはり芸人や香具師(や
し)のような連中ばかりだった。下田の港はこんな渡り鳥の巣であるらしかった。踊子は
ちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供に銅貨をやっていた。私が甲州屋を出ようとす
ると、踊子が玄関に先回りしていて下駄をそろえてくれながら、
「活動につれて行って下さいね。」と、またひとり言のようにつぶやいた。
無頼漢のような男に途中まで道を案内してもらって、私と栄吉とは前町長が主人だとい
う宿屋へ行った。湯にはいって、栄吉といっしょに新しい魚の昼食を食った。
「これで明日の法事に花でも買って供えて下さい。」
そう言ってわずかばかりの包金を栄吉に持たせて帰した。私は明日の朝の船で東京に帰
らなければならないのだった。旅費がもうなくなっているのだ。学校の都合があると言っ
たので芸人たちも強いて止めることはできなかった。
昼飯から三時間とたたないうちに夕飯をすませて、私は一人下田の北へ橋を渡った。下
田富士によじ登って港を眺めた。帰りに甲州屋へ寄ってみると、芸人たちは鳥鍋で飯を食
っているところだった。
「一口でも召し上がって下さいませんか。女が箸を入れてきたないけれども、笑い話の
種になりますよ。」と、おふくろは行李から茶碗と箸を出して、百合子に洗って来させた。
明日が赤ん坊の四十九日だから、せめてもう二日だけ出立を延ばしてくれと、またして
も皆が言ったが、私は学校を楯に取って承知しなかった。おふくろは繰り返し言った。
「それじゃ冬休みには皆で船まで迎えに行きますよ。日を知らせて下さいましね。お待
ちしておりますよ。宿屋へなんぞいらしちゃいやですよ、船まで迎えに行きますよ。」
部屋に千代子と百合子しかいなくなった時活動に誘うと、千代子は腹を押さえてみせて、
「体が悪いんですもの、あんなに歩くと弱ってしまって。」と、あおい顔でぐったりして
いた。百合子はかたくなってうつむいてしまった。踊子は階下で宿の子供と遊んでいた。
私を見るとおふくろにすがりついて活動に行かせてくれとせがんでいたが、顔を失ったよ
うにぼんやり私のところにもどって下駄を直してくれた。
「なんだって。一人で連れて行ってもらったらいいじゃないか。」と、栄吉が話し込んだ
けれども、おふくろが承知しないらしかった。なぜ一人ではいけないのか、私は実に不思
議だった。玄関を出ようとすると踊子は犬の頭をなでていた。私が言葉を掛けかねたほど
によそよそしいふうだった。顔を上げて私を見る気力もなさそうだった。
私は一人で活動に行った。女弁士が豆洋燈で説明を読んでいた。すぐに出て宿へ帰った。
窓敷居に肘をついて、いつまでも夜の町を眺めていた。暗い町だった。遠くから絶えずか
すかに太鼓の音が聞こえて来るような気がした。わけもなく涙がぽたぽた落ちた。